何もかもを焼き尽くして彼方へと疾走する紅蓮の猛威を見送って、ヴィルヘルミナは表情を隠すように仮面を着けた。
「(あの状況で、あの子の炎を敵の殲滅に使うとは)」
「(冷徹)」
どうしようもないと誰もが覚悟した戦況に、文字通り風穴を空けてみせたのは見事な機転だが、いつシャナが消滅するかという瀬戸際で、シャナを暴走させたまま撤退するという選択をした事実には、親として許し難いものがある。
いや……親でなくとも、咄嗟にああいう決断を下せてしまうのは、坂井悠二の背景からすればハッキリ言って異常だろう。
己が本質に備えた理性で以て感情を統べ、極めて合理的に目的を遂行する。無謀とは真逆の意味で危険な男に娘を託した事に、今更になって不安が募る。
「大丈夫ですよ、悠二なら」
そんなヴィルヘルミナの心中を察して、平井が引き攣るような笑みを浮かべた。
そこには、悠二の行動にパートナーとしてのバツの悪さはあっても、シャナの安否を憂う様子は無い。本当に、あの少年に全幅の信頼を寄せているのだろう。
過ぎた事案に頭を悩ませざるを得ないヴィルヘルミナの隣で、
「人の心配してる場合じゃないでしょ。───来るわよ」
マージョリーが、上方を鋭く睨み付けた。
それに応えるかのようにメリヒムの『虹天剣』が天を衝き、
「……ちっ」
遥か上空、豆粒ほどの大きさから瞬時に巨大化・接近してきた槍の穂先にぶつかり、弾けた。
軌道の逸れた刺突が、新幹線のような勢いで眼下の大地に突き刺さる。
縮む槍に引かれる形で、あっという間にシュドナイが接近してきた。全身のあちこちが、紅蓮の炎にブスブスと炙られている。
「あれに直撃されてその程度か。噂以上の怪物だな、“千変”」
「こちらの台詞だ。たかが暴走であの威力とは、本当に俺は魔神を殺したのかと記憶を疑ったぞ」
「はっ、俺の娘を、あんな愚物と一緒にするなよ」
暴走したシャナの炎から逃れて……否、爆圧に押し上げられて、シュドナイは遥か上空にまで飛ばされていた。
全身を玄武の甲羅で隙無く覆ってはいたものの、とても防ぎきれる炎ではなかった。
「だが、なおさら見逃せんな。ここで逃がせば、あと何万人の可愛い部下が消されるかわからん」
だが、それでもシュドナイに追い詰められた様子は無い。兵の一画を失おうと、想定外の炎に焼かれようと、その程度で形勢は変わらないと、全身に漲る存在感が告げている。
結局は、そういう事。
「行かせると思うか?」
この“千変”シュドナイをどうにかしない限り、フレイムヘイズ兵団の撤退など有り得ない。
「………………」
大剣の柄を握る手応えの弱々しさを感じながら、平井ゆかりはチラリと眼下に目をやった。
シャナの焼き払った大地に二筋の城壁が聳え立ち、左右からの敵を寄せ付けない道が出来ている。まだまだ優秀な討ち手は残っているようだ。この様子なら……少なくとも全滅は免れる事が出来るだろう。
───誰かが、敵の追撃を食い止めさえすれば。
「よっし、やるかぁ!」
足止めに必要なのは二つ。敵を食い止められるだけの強さと、味方を逃がした後からでも逃げられるだけのスピード。
そう考えて、故に最後まで残るのは自分だと意気込む平井。
「………………」
そのあまりにも弱々しい背中を、マージョリー・ドーが静かに見ていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
シャナの炎で薙ぎ払われた戦場の風穴に、『犀渠の護り手』ザムエル・デマンティウスが城壁を左右に張る事で道を造る。
その唯一の活路に向かって、敗北したフレイムヘイズ兵団は一目散に雪崩れ込んだ。
無論、全員ではない。ザムエルの張った城壁は自在法『ジシュカの丘』。建造物に乗り込んだフレイムヘイズの力を束ね、統べる、異端の能力。そこに残った討ち手らの力で、空からの敵を迎撃する。
だが、当然、それでも完璧には程遠い。“翠翔”ストラスの自在法『プロツェシオン』で鳥の姿となって運ばれた“煬煽”ハボリムの軍が逃走先に回り込み、フレイムヘイズ兵団の行く手を阻む。
そんな死に物狂いの戦場の遥か上空で───
「ッうあ!?」
『トーガ』の上から獣の巨腕を受けたマージョリーが、肺の空気を全て吐き出すような呻きを上げた。
「ちいっ……!」
メリヒムの『オレイカルコス』が閃き、空間を超えてシュドナイの背後から『虹天剣』を繰り出す。虹の濁流が虎の魔獸を貫いた……ように、見えた。
「甘い」
貫かれる前に“自ら穴を開けた”シュドナイが、爆ぜるような笑みと共に『神鉄如意』を突き下ろす。その巨大な穂先は持ち主の変貌に合わせて数十に増え、逃げ場すらない巨大な槍衾と化した。
「下がるのであります」
「後退推奨」
間髪入れずヴィルヘルミナがメリヒムの前に飛び出し、全ての穂先にリボンを伸ばす。
そして、それを待っていたと言わんばかりに剛槍が濁った紫に燃え上がった。無双を誇るヴィルヘルミナの戦技も、触れる事すら許さない高熱の炎には対処できない。
「間に合えぇーー!!」
動きの止まったリボンを超速で飛んできた平井が掴み、刺突の雨から二人を救い出す。
逃げ場のないと思われた広範囲攻撃の外まで一息に離脱する、桁外れの機動力である。
だからこそ、
「──────」
その勢いのまま正面から攻撃を受ければ、只では済まない。
「お前の速さは、もう判った」
平井の行く手に待ち構えていた小さな蝙蝠が不自然に膨張し、人間を優に超えるサイズのガーゴイルとなって平井を殴り飛ばした。
新たな敵ではない。本体から分離したシュドナイの一部だ。
「ちょっとアンタ! しっかりしなさいよ!」
人形のように動かなくなった平井の身体を、マージョリーが慌てて抱き止める。
元々、とっくに戦える状態ではなかったのだ。並外れた精神力と『ラーミア』の特性で何とか持ち堪えていたのだが……今の一発がダメ押しになってしまった。
「その身体でよく粘った。だが……」
そして、
「終わりだ」
平井という荷物を抱えたマージョリーの隙を、見逃すシュドナイではない。
巨大な剛槍が紫の炎を纏って、一直線に二人に伸びて───
「まだであります!」
「断固阻止!」
割って入ったヴィルヘルミナに軌道を流されて空を切る……否、吹き飛ばす。
だがそれは……あくまで槍だけの話だった。
「う……ッ……あああぁ!!」
戦技では防げない業火が、灼熱の暴風となってヴィルヘルミナを焼く。白い鬣が燃え上がり、狐の仮面が砕け散り、瀕死の討ち手が崩れ落ちる。
「こ……のっ!」
落下するヴィルヘルミナを群青の炎が素早く包み、『トーガ』の獣が形を成した。それのみならず、大量の『トーガ』が天空に舞い踊ってヴィルヘルミナを隠す。
その一つに身を隠しながら、マージョリーは眼下の戦場と、眼前の敵を睨んだ。
「(15分くらい、か。思ったよりは保ったけど、やっぱり……)」
平井だけではない。誰も彼もがギリギリの状態で凌ぎ続けていた綱渡り。僅かでも綻べば、こうしてたちまち突き崩される事は判っていた。
「………………」
残された力を吐き出すように閃虹を振るうメリヒムを眺めて、マージョリーは思いの外軽い溜息を吐く。
きっと───とっくに覚悟は出来ていたのだろう。
「悪いわね、マルコシアス」
何も答えない相棒に短く告げて、今もどうにか『虹天剣』を食らわせようと足掻いては『神鉄如意』に弾かれているメリヒムの所まで浮かび上がる。
「はい、パース」
「なっ……」
そうして、『トーガ』に隠していた平井とヴィルヘルミナを放り渡した。
予想外の行動に慌てて二人を受け止めるメリヒム。そして、そのあまりに隙だらけの行動を罠かと疑って動きを止めるシュドナイに構わず、マージョリー・ドーは詠う。
───『弔詞の詠み手』が誇る自在の詩を、『蹂躙の爪牙』の奏でる『屠殺の即興詩』を。
「“豚がお空を飛んだとさ”!」
詠う即興詩の響きに合わせて群青の自在式が天に伸び、シュドナイの周囲を不可視の障壁で包み込む。
「“ホイ、茶色い服を着た男っ”」
『天道宮』が奪われてから、いつになく静かにしていたマルコシアスが、いつものように応えてくれる。
「“ハイ、すぐさま御許に引き戻すっ”!」
「ディケリ・ディッケリ・ディケリ・デアッ”!」
捕らえて、しかし、こんなものでは終わらない。
「“二十日鼠が六匹いたよ”!」
「“座って糸を、紡いでる”?」
「“通りがかったニャンコが覗く”!」
「“なにしていなさる、皆々さん”?」
無数の自在式がマージョリーから迸り、一帯の空域を包囲すると同時に、至近にいたメリヒムを内側から押し退けるように突き放した。
群青の太陽とも見える力の塊が、眩いほどに天地を照らす。
「“旦那の上着を、織っているの”!」
「“入って糸をば切りましょか”?」
常のマージョリーならば、不用意にこんな大規模な自在法は使わない。入念に準備を重ね、時間を懸けて仕掛けを行う。
「“いえいえ、けっこう、ニャンコさん あんたはワシらの頭をかじる”!」
「“とんでもないない、んなことない ちょっぴり手伝う、それだけよ”?」
使わないというより、使えない。これほどの力を瞬間的に発動させるのは、いくらマージョリーでも負荷が大きすぎる。
「“そうかもしんない、でも――嫌、よっ”!!」
「“やっぱり、入れて――くんない、のっ”!?」
それをマージョリーは、躊躇う事なく実行した。
───取り返しのつかない力を削って。
「何のつもりだ! 『弔詞の詠み手』!!」
あまりにも突然の、あまりにも判りやすい意思表示に、メリヒムが結界の外から怒鳴りつけた。
マージョリーは、振り返りもせず肩を竦めてみせる。
「今のアンタじゃ時間稼ぎにもなんないでしょ。こいつは私がやるから、その二人頼んだわよ」
判りきった答えを、言葉として伝えられる事で、心が頭に追いついた。
人選は……間違っていない。ここまでの戦いで、最も傷が浅いのはマージョリーだ。だがそれは───“千変”シュドナイと渡り合えるという意味では決してない。
「………………」
脇に抱えたヴィルヘルミナの、赤く焼かれた横顔を見る。
メリヒムは、別段マージョリーと親しい訳ではない。仲間かと訊かれれば、悩みもせずに違うと即答できるだろう。
だが、ヴィルヘルミナは違う。戦士の癖に情が厚く、情が厚い癖に失ってばかりの馬鹿な女は、起きた時どう思うだろうか。
───また一人、友達を失ったと知って。
「こんな状況で二人抱えて逃げるなんて、半端な男には頼めない。あんたにだから、頼んでんの」
そんなメリヒムの感傷を見透かしたように、マージョリーが振り返る。
「お願い。その子達まで、死なせられないでしょ」
だらしない日常の姿とも、暴れ狂う戦場の狂気とも違う。別人のような穏やかな微笑で告げられて……メリヒムは俯いて舌打ちした。
せめてもの、当て付けとして。
「どいつもこいつも、勝手な事だ」
「悪いわね、嫌な役させて」
マージョリーの言葉にもはや答えず、メリヒムは二人を抱えて逃走する兵団の方へと飛び去った。
最後に残ったのが彼で良かったと、マージョリーは苦笑する。ヴィルヘルミナや平井には、少しばかり酷だろう。
「話は終わったか」
その一連の流れを見届けたシュドナイが、拘束を力任せに引き千切ってマージョリーの前まで下りてくる。
「よく黙って見逃す気になったわね」
「ここまで豪華な舞台を用意されては、流石の俺も無碍には出来んさ」
槍を担いだシュドナイが、周囲を見渡して苦笑する。
広大な範囲を球状に包む群青の舞台。マージョリーとシュドナイだけの戦場がそこに在った。
「(これでは逃げる力も残るまい。本気で全てを捨てるつもりか)」
肉体を自由自在に変貌させるシュドナイを、一人で食い止めるのは難しい。だからこそマージョリーは、致命的な欠損を押してこれだけの結界を張ったのだ。
そしてこれだけの結界を張っても、そう長くシュドナイを閉じ込めていられる訳ではない。十分……いや、五分保つかどうかも判らない。
だからマージョリーは、己自身も結界の中に取り込んだ。シュドナイを閉じ込め、かつ、結界の破壊を妨害し続けてやる為に。
自らの退路まで断って、勝ち目の無い戦いに臨む。何を犠牲にしてでも仇を追い求めていた復讐鬼の変貌に、『仮装舞踏会』の将軍は感嘆とも羨望ともつかない溜息を吐いた。
「まさかあの『弔詞の詠み手』が、自ら捨て石になるとはな」
「捨て石? 私が? アンタにしては笑える冗談ね」
わざとらしく鼻で笑って、マージョリーは強気に笑う。
恐怖も無い。気負いも無い。打算も保険も何も無い。覚悟を決めたその表情に、シュドナイもまた薄く笑った。
「以前とは別人だな。くくっ、ゆっくりと楽しむ時間が無いのが惜しい」
その姿が、昂ぶるように膨らみ、歪む。
「せめて激しく、熱く、存分に炎を酌み交わそうか」
蝙蝠の翼と鷲の手足、蛇の尾を備えた、虎とも呼べない虎の姿へと。
「ええ、今日はリタイア無しよ」
群青の炎が、弾ける。
雲海の如く膨れ上がった爆炎が、渦を巻いて一つの姿を形作る。
それは、狼。
巨大な体躯と幾つもの頭を備えた、群青の炎狼だった。
「ッオオオオオオオォーーー!!!」
かつて暴走した時のそれとはまるで違う。確かな意志と揺るぎない覚悟に裏打ちされた、美しささえ伴う力の塊。
「おぉ……!」
虎の口から、我知らず感嘆が零れる。この世に渡り来て数千年、戦い護る事をこそ使命として生みだされた神の眷属をも唸らせる、極上の戦士の姿がそこにあった。
その美しくも儚い炎に、シュドナイは夜空の花火を幻視する。
「さあ、覚悟はいいかしら」
「ああ、どちらかが果てるまで喰らい合うとしよう」
異形の者達が炎を交わす戦場の空、群青に輝く光の檻の中で───二匹の獣が咆哮を上げた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
『───ねえ、マルコシアス』
敗北した兵団の背中を、昂揚した魔物の群れが追い掛ける。
紫電が轟き、瓦礫が舞い、地雷が爆ぜ、菫が踊り、極光が奔る。
一騎当千の討ち手が死力を尽くして抵抗を続けて……それでも敵わず、押し流されていく。
“その程度で済んでいる”戦場の頭上で………
『───なーんか、笑っちゃうくらいボロボロね。慣れない事するもんじゃないわ』
もう幾度目か、群青の巨狼が唸りを上げた。砕かれた身体に炎が燃え広がり、形ばかりの復活を遂げる。
『───だから俺は言ったのさ。そこまでしてやる義理はねぇ、逃げ出したって誰も責めねぇってな』
『───そりゃそうだけど、しょうがないじゃない』
狼の多頭が龍のように伸びて、絡み付き、喰らい付く。灼熱の牙を身に受けながら、“千変”シュドナイはその全ての首を一撃の下に斬り裂いた。
群青の炎を払って現れたのは、巨人。巨大な剛槍を振るうに相応しい、重厚極まる黒の鎧が、紫の炎を噴き上げて進み出る。
『───“そうしたい”って、思っちゃったんだから』
狼の口から恒星のような炎弾が吐き出され、鎧の胸を打つ。爆炎を受けて後退する巨人は、怯む事なく槍撃を返した。
『───付き合わせちゃって、悪いわね』
『───今さら何言ってやがる。俺が何百年オメーに付き合ってると思ってんだ』
狼の半身が、剛槍の一閃で吹き飛ばされる。
───中にいたマージョリーの、右腕諸共。
『───えぇ、そうよね』
砕けた狼は炎へと解け、解けた炎は十にも及ぶ巨大な杭となってシュドナイの全身に突き刺さる。
鎧を穿たれ、血飛沫のように濁った紫を噴き出す巨人は……無論、そんな事では倒れない。全身を串刺しにされたまま、それを抜く素振りさえ見せず、突然新たな身体を生やした。背中、腕、胸に腹、至る所から這い出してきたのは、龍と見紛う巨大な海蛇。
『───そんな貴方にだから、もう一つ、頼むわ』
素早く、鋭く、不規則に、文字通り獣の如く天を這う怪物を、マージョリーは一つ一つ撃ち落とす。
正面から迫る炎を押し返し、左右から喰らい付く頭を空間ごと捻切り、上下から突き出された槍の穂先から逃れて、
『───私の愛しい、“蹂躙の爪牙”』
回り込んできた海蛇の顎門に───下半身を丸ごと食い千切られた。
残された上半身が、ただ死を待つばかりとなって墜ちていく『弔詞の詠み手』が、
「………………ぎっこんばったん、マージョリー・ドー……、♪ 」
空で、歌う。
「……ベットを売って、わらに寝た……、♪ 」
『屠殺の即興詩』ではない。戦う力など残っている訳がない。
「……みもちが悪い、女だね……、♪ 」
何の意味も持たない歌を、擦れるような声で、それでも彼女は歌う。
「……埃まみれで、寝る、なん……て……、♪」
楽しそうに、本当に楽しそうに歌いながら───墜ちていった。
「……終わったか」
己を封じていた結界が完全に消滅するのを見届けてから、“千変”シュドナイは変化させていた肉体を人型に戻した。
決して小さくはない昂揚の余韻と、等量の寂寥が、全身に広がっていた。敵とはいえ、彼が敬意を表する程の相手は多くない。
複雑な別離を噛み締めるように、煙草の先端に火を点す。
「……いや、まだだな」
そうしながら、次は誰を狙おうかと視線を巡らせる。
マージョリーの目的は、最初から時間稼ぎだったのだ。このままみすみす敵を逃がしては、いくらマージョリー自身を倒してもそれは敗北というものだろう。
敬意を払っているからこそ、手は抜かない。やはり手負いの二人を連れた“虹の翼”を追うべきかと考えた時、
「───まだだ───」
地の底から響くような声が、聞こえた。
幻聴とも思えるその声は、すぐさま現実の脅威として“顕現”する。
「ッオオオオオォォォーーー!!!」
突如、眼下の一画が丸ごと煉獄へと変わった。そこにいた『仮装舞踏会』の一軍をも呑み込んで、“群青の炎”が咆哮を上げる。
「……考えが、甘かったか」
その炎を見て、シュドナイはサングラスの奥の眼を細めた。
フレイムヘイズが死ぬ時、契約した王が眼前の仇を討とうと強引に顕現する事が稀にある。だが多くの場合、その悲願は果たされる事なく終わる。器を失った王が、人間を喰らって世界のバランスを崩す事など出来ない王が、長時間この世に留まる事など出来ないからだ。そして、強引に顕現した王は紅世に帰る事も出来ずに朽ち果てる。
だが───今回だけは例外だ。
この場には、人間ではない大量の存在の力と、それを一瞬で刈り取れる力の持ち主がいる。
「同胞を喰らって顕現したか、“蹂躙の爪牙”マルコシアス!」
その声に応えて、炎が弾ける。『トーガ』ではあり得ない、確かな実体を持った巨大な狼……“蹂躙の爪牙”マルコシアスの顕現だった。
「あぁ、やってやるよ、我が麗しのゴブレット」
牙を剥いて、マルコシアスがシュドナイを睨む。荒々しい吐息が、牙の間から炎となって溢れ出す。
「世界一佳い女への鎮魂歌(レクイエム)だ! テメーらも一緒に歌ってくれやぁ!!!」
断末魔という名の歌声を求めて───孤高となった凶狼が殺戮の舞台へと駆け出した。
“頂の座”ヘカテーの失踪に端を発する『大戦』。
創造神の復活と世界の変容を懸けたこの戦いは、結果としてフレイムヘイズの完全敗北に終わった。
神の帰還を阻めなかったフレイムヘイズ兵団は圧倒的兵力に追い立てられ、実に全軍の3分の2を失って敗走。以降の戦いへの気力すら奪われる形となった。
創造神“祭礼の蛇”による第二の宣布が行われるのは、これから一月先の事である。