「……侮っているつもりはなかったが、やはり評価を引き上げる必要がありそうだ」
未だ顕現の覚束ない“祭礼の蛇”を『星黎殿』の上方に降ろし、当面の護衛をシュドナイとヘカテーに任せたベルペオルは、好き放題に荒らされた神殿を『銀沙回廊』で練り歩いていた。
「それとも……お前の働き如何では状況も違ったかね?」
「笑えない冗談だな。“嵐蹄”を下すような連中と戦うなんて、完全に契約範囲外だ。『トリガーハッピーさえ貸せば前線に出る必要はない』と言ったのはそっちだろう?」
真っ先に向かったのは司令部たる『祠竃閣』。より正確には、案じていたのはその奥に秘したモノだ。
そこにいたのは、ここを任せた“螺旋の風琴”リャナンシーと、或いは死んでいるとさえ思っていた“狩人”フリアグネ。
「約束通り、何者も“この先”には通してはいない。これが私に果たせる精一杯だ」
リャナンシーの言葉に、ベルペオルは一先ずの安堵を覚えた。流石にあれに手を出されていたら面倒な事になる。
……本当に、『星黎殿』の場所以外にロクな情報も持たずに攻め込んで来たようだ。
「(しかし……やはり妙だねぇ)」
『秘匿の聖室(クリュプタ)』に隠された『星黎殿』の位置の特定。フレイムヘイズ兵団をまとめて転移させるほどの自在法。
複数の自在式を組み合わせて新たな自在法を生み出す『グランマティカ』は確かに未知数の力。どんな可能性も否定しきれない。
だが……どうにもしっくり来ない。『グランマティカ』の存在をチラつかせて、わざと自在法の力押しを印象づけようとしているような……。
「(本当に『星黎殿』の位置を『グランマティカ』で特定できるなら、何故もっと早く来なかった?)」
それを編み出すのに今まで時間が掛かった、という可能性も勿論ある。
しかし……もしそうではなかったら? 『星黎殿』の探索は全く別の要因によるものであり、派手な襲撃や兵団の転移はそれを悟らせない為のカモフラージュだったのではないか? だとすれば、今からでも暴く価値はある。
「(兵の話では、奴らは『星黎殿』の“中から”現れた)」
虱潰しに探っても見つかるだろうが、それでは恐らくまた後手に回る事になる。ある程度の推測と直感は不可欠だ。
『星黎殿』に繋がる“何か”など、そう多くはない。少し前まで人間だった坂井悠二や平井ゆかりは論外。孤高の殺し屋たるマージョリー・ドーも考えにくい、となれば……
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
未知数の者に挑む悦びに、三眼の女怪は薄く笑った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
只でさえ圧倒的に不利な包囲戦を強いられていたフレイムヘイズ兵団。その凄惨たる戦況を見下ろして、坂井悠二は眉を顰めた。
「(前哨戦で派手にやりすぎたかな。こんな短時間でここまで完璧に包囲されるなんて)」
外界宿(アウトロー)を襲撃していた時と比べて、危機感が高まっていなければあり得ない対応だ。仕方なかったとは言え……いや、今にして思えばそもそもこちらの出方を見られていたような気さえする。
鬼謀の王ベルペオル。絶対敵に回したくないと言われるのもよく解る。
そして、何より……
「流石に、これだけ混戦してちゃ集団『転移』が使えない。皆、前線を切り離そう」
「いいんじゃない?」
「了解であります」
長々と話し合っている暇はない。悠二の提案にそれぞれが言葉少なく頷く中、悠二は親指を立てる平井を暫し見つめる。
平井はもう、戦える状態ではない。かと言って、戦場の真ん中で彼女を預けられる場所などない。フレイムヘイズ兵団も信用するには足りない。やはり、自分で守るしかないだろう。
「ゆかりとシャナは、僕と一緒に北に。後の三人は西に。南と東は兵団に何とかしてもらう。『震威の結い手』、聞こえてたね?」
『ええ、何とかやってみせましょう』
少し前から『遠話』を繋いでいたゾフィーにも告げて、それぞれが戦場に飛ぶ。
『………………』
メリヒムも、ヴィルヘルミナも、悠二の何気ない選定に口を挟まなかった。
───頭の片隅、形の無い予感としてこびり付いた何かが、そうさせていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
決した勝敗に恐慌するフレイムヘイズ。逆に、『仮装舞踏会』の徒は楽園創造という壮絶な神託を受けて気力を文字通り爆発させていた。
否応なく突き崩される前線を、
「少し……おとなしくしてろ!」
限界まで伸長させた竜尾の一撃が叩いた。長大な竜尾が横薙ぎに払われて、勢い込んで雪崩れ込んで来た徒の群れが吹き飛ばされる。
「お前ら、うるさい!!」
勢いを失った瞬間を狙って、紅蓮の劫火が前線を焼き尽くす。
「ううぅーー!!」
思わぬ反撃に猛然と放たれる炎弾の雨を、平井が振り絞った『アズュール』の結界が払う。
こうして、一時的に眼前の敵を一掃するだけならば、悠二らにとっては然程難しくはない。
だが、こんな局地的な戦闘では四方の一面を下がらせるには足りない。何より、四方全ての敵を一時的にでも下がらせる為には、ある程度の時間はこの状態を維持しなければならないのだが……。
「(士気が高すぎる)」
目の前で味方を焼き払われても平然と進んでくる。ちょっとやそっとの攻撃では二の足さえ踏んでくれない。
そして、狂乱に近い戦闘意欲を見せる敵を黙らせるには、今の悠二らには余力が無かった。
「(思った以上に、長引きそうだ)」
四方の敵を同時に下がらせ、フレイムヘイズ兵団のみを『転移』させられる瞬間。それを掴むまで耐え続けるしかない。
何せ……一人でも敵を転移に巻き込めば、撤退そのものが台無しにされかねないのだから。
形振り構わず大規模な自在法を連発すれば、或いはこの硬直を崩せるかも知れない。だが、すぐ近くに『三柱臣』を始めとした将兵がいる状況で全ての力を使い切るのは、あまりにもリスクが高すぎた。
「(けど、このまま力を削られ続けるのも……)」
経験の浅さから決断を躊躇う悠二。その感覚に、
「───ぇ」
最も恐れていた違和感が、触れる。
集団転移の為に配置していた数多の自在陣が、瞬く間に焼き消されていく感覚。
「そんな、まさか………」
思わず振り返った先───戦場から遠く外れた岩峰群から、金色の火柱が立ち上った。
隠蔽の殻を砕かれた“それ”は、見せつけるように、突き付けるように、空へと浮かび上がる。
「………『天道宮』」
自軍の切り札の最悪な形での到来に、悠二の表情が苦渋に歪んだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
時を僅か、遡る。
生き残った部下達に『星黎殿』内部の探索を命じたベルペオルは、自身もまた『星黎殿』を駆け回っていた。
嘆くべきか喜ぶべきか、探索に出した部隊と少しずつ、連絡が取れなくなっていったのである。睨んだ通り、やはり『星黎殿』の中に何か在る。
「(この期に及んで痕跡を残す利があるとは思えないが、となると、都合に合わせて切り替えの出来ない類の……)」
思う間に、ベルペオルは不意に足を止めた。勝手知ったる『星黎殿』だと言うのに、“これ”は何とも恥ずべき不覚である。
「いや、これはお前の手並みを褒めてやるべきかねぇ。いつから迷い込んでいたのかさえ気付かなかった。本当に素晴らしい“絵”じゃないか」
独り言にしては大きい言葉に応えるように、松明に照らされたベルペオルの影が───弾丸となってベルペオルを襲った。至近距離からの影の連弾は、彼女に巻き付く『タルタロス』の結界に苦も無く弾かれる。
「焼くには惜しいが」
薄く笑って、ベルペオルはヒールで軽く床を打った。そこから広がる金色の炎が、波紋のように薄暗い通路を……いや、“薄暗い通路に見えていた絵画”を焼き払った。
その奥から現れたのは、夜の神殿には有り得ない陽光の庭園。そして……侵入者を待ち構える一人の討ち手。
「『天道宮』か……! 元は『星黎殿』と一つの宝具と聞いてはいたが、よもやこんな機能があったとはねぇ」
好き勝手に翻弄された敵の策を看破した事実に、鬼謀の王は満足そうに頰笑んだ。
その余裕とも見える態度に、漆黒の貴婦人が炎を纏う。
「こちらも、まさか貴女が直々に乗り込んで来るとは思っていませんでした」
“鬼道の魁主”ヴォーダンのフレイムヘイズ・『昏亜の御し手』ヒルデガルド。
姿こそ見えないが、先ほどの絵画は“異験の技工”ヨフィエルのフレイムヘイズ・『興趣の描き手』ミカロユス・キュイだろう。
「おかげさまで人手不足でねぇ。必要とあらば足くらい運ぶさ」
『星黎殿』と『天道宮』は、元は一つの宝具だった。今までは何らかの形でその機能を抑制していたが、恐らくは二つの要塞は引き合い、融合しようとする性質があるのだろう。こうして……ある程度近付けば内部の空間が繋がってしまうように。
『星黎殿』の位置を特定出来たのも、『天道宮』があったからこそ。前代未聞の集団転移も、この『天道宮』による接近を悟らせない為の短距離のものでしかなかったのだ。
確かに、完全なノーマーク。本当にこの世にはどんな想定外があるか解らない。
───だが、それもここまで。
「こうして自ら戦うのは随分久しぶりだ。少しは愉しませて貰おうか」
因果の鎖が、金色の炎が、陽光の宮殿に乱れ舞う。
───秘匿の結界が砕け、討ち手らの逃げ道が鎖されるまで、それほど時間は掛からなかった。