管のように伸びる狭間の『詣道』。進むに連れて近代化を進める道の最奥に、管を縮めた奥の奥に、執拗な装飾を施された無骨な門がある。
空を飛ばねば辿り着けない四角い扉を抜けた先に聳えるのは、黒ずんだ青銅で構成された荘厳な祭殿。更にその内部を進み社を抜けた先に在るのは、世界の果てとも見える青銅の絶壁だった。
そこに───三人の神の眷属は辿り着いていた。
「務め、ご苦労」
壁に刻まれた幾百重にも折り重なる同心の環。その中心に在る“生身の瞳”が、ベルペオルと眼を合わせる。途端、壁に在った瞳が金色の火花となって弾け、ベルペオルの眼帯の奥へと吸い込まれた。
眼帯を外した美貌に在るのは、全ての瞳を取り戻した真の三眼。
これこそが、不帰の秘宝たる『久遠の陥穽』を受けてなお巫女の託宣を可能とさせた正体。放逐の寸前で盟主へと託された、ベルペオルの右眼だった。
「───“頂の座”ヘカテーより、立ち居たる御身へ、此方が大杖『トライゴン』に御身が結装を任されよ───」
姉を労う時間すら惜しいとばかりに、ヘカテーの『トライゴン』が床を打つ。
明るすぎる水色の三角形が花吹雪のように舞い、雪のように祭殿に降り注いだ。欠片が祭殿に触れる度に波紋が広がり、全てを塗り潰す黒き炎が溢れ出した。
心臓にも似た黒炎の脈動に合わせて、祭殿を構築する青銅塊が蠢き出した。無駄な力を少しでも抑える為に祭殿の姿で眠らせていた神の蛇身が、本来の姿を取り戻している。
討ち手らが何より怖れ、必死に阻もうとし、そして果たされる事はなかった───創造神“祭礼の蛇”の復活である。
数千年の悲願の成就を前に、ベルペオルが、シュドナイが、言葉もなく目を奪われる中で……
「………………」
ヘカテーただ一人が、一度だけ振り返っていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
『神門』を抜けた狭間の道を、七羽の鳥ならぬ鳥が飛んで行く。
先行する一羽を除く全ての鳥は、その背中に一人ずつ人ならざる者を乗せていた。
「『万条の仕手』と『弔詞の詠み手』に付いてきて貰って正解だったな」
“嵐蹄”フェコルーを下し、『神門』を抜けてやってきた招かれざる客人。悠二、平井、シャナ、ヴィルヘルミナ、メリヒム、マージョリーである。
大地に囲まれた異様な道に踏み込んで早々、彼らはこの鳥の形をした影に乗せて貰っていた。
「やっぱり、あたし達ミステスだけだったら敵扱いだったかな?」
かつて『神殺し』に居合わせたという鋼の竜王。その相棒だったというメリヒム曰く、彼らは『久遠の陥穽』で“祭礼の蛇”共々放逐された太古のフレイムヘイズだろう、という事だ。
何千年も両界の狭間を漂っていた為か、或いはこの『詣道』という道が『神門』以外から干渉する者を阻んでいるのか、侵入者たる悠二らにハッキリした事は解らない。判っているのは、彼らに敵意が無い事。そして何処かに案内してくれようとしているらしい事である。この道が何なのかを考えれば、それが何処なのかは想像に難くない。
「だろうな。実際ありがたい話だ。まさかここまで面倒な道だとは思わなかった」
目まぐるしく変化する光景を横目に、メリヒムが呟く。
暫く進んで判った事だが、この『詣道』は見た目通りの単純な一本道ではない。数多の因果が複雑に絡み合い、目には見えない迷宮となっている。もし彼らがいなければ、ヘカテーを追うなど到底不可能だっただろう。
「悠二、どう? 気配はある?」
「……どうかな。はっきりと掴めないのがアイツの怖い所なんだ」
事実、悠二も、ヘカテーも、創った“祭礼の蛇”さえ知らない事だが、干渉できない一部の空間を除けば彼ら以上にこの『詣道』に精通している者はいない。
形の無い他神通を頼りに進むヘカテーより、『久遠の陥穽』で感覚を遮断されながら『詣道』を創った蛇神より、感覚を失わずに数千年この道の創造を見続けてきた彼らの方が、この『詣道』を知り尽くしているのだ。
現に今も、『三柱臣』が進んだ時より遙かに早いペースで行程を進められていた。……もっとも、だからといって何もかも順風満帆とはいかない。『三柱臣』にはフレイムヘイズの影が妨害を行ったが、悠二らにはベルペオルの仕掛けた燐子が妨害を仕掛けていた。
正面、数えて十二番目になる防衛線にヴィルヘルミナと平井が躍り出る。消耗の激しいメリヒムとシャナは回復に徹し、悠二とマージョリーも自分の仕事に専念しているので、燐子退治は専ら彼女らに任せてある。
「(僕が奴なら、燐子軍団に気を取られる時を狙っ───)」
瞬間───何の前触れもなく“それ”は来た。
上から、下から、右から、左から、巨大な獣の顎門の如く聳える城塞全てから、茜色の炎が桁外れの濁流となって噴出したのだ。無数の剣を内包した茜色の怒涛は、叫ぶ暇すら与えず、燐子の防衛線ごと一息に悠二らを呑み込んだ。
「………………」
燃え盛る煉獄の渦に、放たれた剣が雨となって落ちていく。その刀身の大半が折れ、欠け、砕けている様を認めて、その男は炎の足場を轟然と立ち上らせた。
硬い髪を逆立て、外套と覆面で身体の殆どを隠した剣士。依頼を受けて標的を狩る、強大極まる紅世の王。
“壊刃”サブラク。
「相変わらず、いきなりだな」
それに合わせて、灼熱の雲が内側からの爆風を受けて晴れた。現れたのは不意の斬撃に苦しむ獲物ではなく、半透明の鱗壁にて攻撃を完全に防ぎ切った宿敵の姿。
「この俺の初撃を無傷で防ぐとはな。かつて『スティグマ』を破った事といい、流石と言っておくべきか」
察知不能の不意打ちを凌いだ悠二らが、鳥から下りて臨戦態勢に移る。無視して通り抜ける、などとは考えない。半数が足止めをして半数を抜けさせる事は可能かも知れないが、その向こうには“千変”シュドナイを含めた『三柱臣』がいるのだ。半端な戦力では、ヘカテーを引き入れても勝ち目は無い。
「だが解せんな。今の防御は、明らかに俺の一撃を想定したものだ。貴様ら、俺の存命を一体どこで聞いた」
「……そりゃ、判るよな」
サブラクの指摘に、悠二は軽く肩を竦める。
悠二は、別にサブラクの不意打ちを読んで咄嗟に自在法を展開したのではない。察知不能の不意打ちに対して、そんな防御はまず間に合わない。故に悠二は、“最初から結界を張っていた”。その上でサブラクが攻撃を仕掛け、姿を見せるように、マージョリーに鱗壁の姿と気配を隠蔽して貰っていたのだ。
正にサブラクの言う通り、サブラクの不意打ちを知っていたからこその対応である。もっとも、情報の出所を教えてやる義理などない。
「悪いけど、お喋りしてる時間は無いんだ」
肌に突き刺さる凄まじい存在感。思わず竦みそうになる心を押さえ付けて、悠二は冷然とした態度を保つ。
相変わらず、桁外れのプレッシャーだ。かつての戦いでは最終的に悠二一人で倒したものの、もう一度勝てと言われてもまず不可能だろう。
だが……既に種明かしは済んでいる。
「無理矢理にでも、通らせてもらう」
“壊刃”サブラク。
察知不能の一度きりの不意打ちと、不死身とさえ思える異常な耐久力を持ち、埒外の力と洗練された剣技を振るう怪物。
そう謳われ、事実無敗を誇った彼の正体を、悠二らは先の戦いで看破していた。
それは、サブラクが自身の巨大な身体を薄く淡く、広域に浸透させる徒であるという事。彼自身たる領域に踏み込んだ者は、彼が姿を見せる瞬間まで気配を感じ取れない。そして姿を見せた人型も彼の一部でしかない為、いくら攻撃しても広げた全体から受肉されてしまう。
しかし、その偽りの姿こそが最大の弱点。たとえ一部だろうと、普通に攻撃しても瞬時に再生されようと、それがサブラクの意志総体を宿した本体には変わりない。ならば、その人型を全体から切り離してしまえば良い。
現に悠二は、そうやってサブラクを倒した。一対一で再現する事は難しくとも、これだけの味方がいれば決して不可能ではない。
「行くぞ!!」
悠二とマージョリーが自在法を練り、平井とシャナとヴィルヘルミナが距離を詰める。そしてメリヒムが、いきなりの『虹天剣』をお見舞いする。
「やれやれ、よもやここまで侮られるとはな」
その虹を横っ跳びに躱したサブラクに、平井が、シャナが、ヴィルヘルミナが迫る。
だが、それも時間稼ぎに過ぎない。彼女らがサブラクを食い止めている間に、二人掛かりで本体から人型を切り離す隙を窺う悠二とマージョリー。
───その目論見は、一瞬にして破られる。
「この俺が、何の策も無く再戦に臨むと思ったのか」
ドクンと、大地が脈動する。
「(何かヤバい!)」
雪崩に呑み込まれる直前のような、途方もない力の予兆に、平井は怯まない。それどころか、一気に加速して斬り掛かった。
血色の刃が神速で振り下ろされ、
「っ」
それ以上の疾さで、切り返された。身体ごと叩きつける全力の斬撃は、軽々と身体ごと弾き飛ばされた。平井自身、剣の柄から手を離さなかった事が不思議に思える程の威力である。
「初めて見る顔だな」
ついでのように、数多の剣が茜色の炎を纏って飛ばされる。咄嗟に炎弾で撃ち落とそうとするも、全霊を込めた一撃の直後だ。力の溜めが追いつかない。
「迂闊であります」
「軽挙自重」
その眼前に、ヴィルヘルミナが躍り出た。『アズュール』の結界によって炎を払われた剣を、白い万条が一本残らず投げ返す。
「燃えろ!!」
同時に、シャナの大太刀から紅蓮の奔流が放たれる。
飛来する刃が、灼熱の劫火が、サブラクを直撃した。
或いはそれが、ほんの僅かでも遅ければ……少しはダメージを与えられていたのだろうか。
「(力を、集中してる!)」
サブラクの領域に在ってなお感じ取れる……否、思い知らされる気配の濁流に、悠二はサブラクを切り離す為に練り上げていた蛇鱗の壁で前衛三人を囲んだ。
瞬間、感じた気配そのままの茜色の煉獄が、渦潮の如く紅蓮の火柱に殺到する。
悠二やメリヒムやマージョリーも炎の中にいるが、熱も痛みも感じない。それも当然、これは攻撃として顕現した炎ではなく、存在の力が……炎のような姿で具現化されているだけなのだから。
「……そういう事か」
炎の渦は、あっという間に枯れ果てる。正確には、呑み込まれる。シャナの紅蓮も掻き消す濁流の消えた先に立つのは、傷一つ無い“壊刃”サブラク。
外見に大きな変化は無い。覆面から覗く目元、異形の肌と赤い眼が、人間のものとなっているだけ。
だが───その総身から漲る存在感は、もはや別人とさえ言えた。
「何、あれ……」
「……ちょっと、洒落になんないわよ」
平井が、マージョリーが、呆然と呟く。他の皆も、内心は似たようなものだ。
先程までのサブラクも、十二分に化け物だった。だが今のサブラクの威圧感は、それとすら比較にならない程に圧倒的である。単純な力の大きさだけなら、間違いなくフェコルーをも凌駕している。
「(スタイルを、切り替えたって訳か)」
サブラクは別段、特別な事は何もしていない。あれは、近代の徒ならば誰もが当たり前に使う『人化』の自在法だ。
“人の姿となる自在法”を応用する事で、広域に浸透した自身の巨体を小さな人型に押し込めたのである。故にこれは、強くなった訳でも余所から力を借りた訳でもない、“壊刃”サブラク本来の力。
「理解できたようだな。常ならば我が鰭のみに掛ける『人化』の自在法を全身に掛ける事で、全ての力を一点に集約したこの姿。意志総体を切り離すなどという小細工はもはや通用せん。目の前に在るこの俺の力の全て、砕けるものなら砕いてみるが良い」
そうと気づいた直後に、訊いてもいない事を長々と説明するサブラク。話したところで問題ないという、自信とも侮蔑とも違う、無自覚な慢心がそこには在った。
その慢心を、メリヒムは鼻で笑う。
「なるほど、前よりずっと判りやすくなった。だが良いのか?」
笑って、手にした曲刀を振り上げる。
「俺の『虹天剣』を、まともに食らう事になるんだぞ」
言うが早いか、極太の虹閃が迸る。光輝の刺突が瞬く間に『詣道』を奔り、一呑みにサブラクを貫いた。
───ように、見えた。
「疾いな」
悠二が見失ったサブラクの影を、メリヒムは捉えていた。“上空の尖塔に”着地する殺し屋を睨み付けたメリヒムは、柔らかく曲刀を振るう。
その刀身が、虚空に融け消えた。
「ほう」
そして次の瞬間、躱された『虹天剣』が上空のサブラク目掛けて“曲がった”。
感嘆するサブラクを虹が呑み込む寸前で、またも茜色の影は超速で回避する。そして再び、メリヒムが曲刀を振って閃虹の軌道を曲げて見せた。
「なるほど、こいつは便利だ」
銀髪の執事が口の端を引き上げる。
その手に在るのは以前のサーベルではなく、フェコルーから奪った宝具『オレイカルコス』。空間を越えたい斬撃を放つ曲刀である。
メリヒムには、『虹天剣』の遠隔操作は出来ない。だが『オレイカルコス』の力で放った虹に剣を触れさせる事で、その欠点を見事に補っているのだ。
「ちょっとちょっとメリーさん!? あたし達の場所わかってます!?」
「心配無用だ。シャナには効かん」
「それシャナだけ!」
サブラクを追って暴れ回る『虹天剣』に、危うく味方が巻き込まれそうになる。
一撃必殺の破壊力を持つ、縦横無尽の乱反射。凶悪という言葉すら生温い虹の猛威。
しかし……
「流石は中世最強と謳われた“虹の翼”の『虹天剣』。人の身に固めた俺の身体も、それを受ければ一撃で砕けるだろう」
当たらない。
「だが、解せんな」
自由自在に変化する神速の虹が、いつまで経っても当たらない。
その凄まじい動きを懸命に追うメリヒムの眼と……サブラクの眼が、合った。
「───避けて、斬る。只それだけで済む事の、何を“良いか”と訊いたのだ?」
音より疾く、茜の凶刃が空を翔る。変わらず追ってくる虹を苦も無く避けながら、一直線にメリヒムに襲いかかる。
「ちぃ……っ」
動きを追うのが精一杯で、虹の把握にまで意識を割く余裕が無い。メリヒムは瞬時に意識を切り替えて、
「くたばれ」
反射させていた虹を、“七色に裂いた”。背後から迫る七条の虹閃と───新たにメリヒム自身の放った『虹天剣』が挟撃する。
全く同時に、サブラクもまた、無数の刃を内包した茜色の怒濤を繰り出していた。
「ッッ……!!」
横薙ぎに振るった曲刀の軌跡から、巨大な虹刃が怒濤を斬り裂く。背後から迫る七つの光輝が剣海を貫く。
それら、必殺の挟撃を受けたサブラクは、
「直接剣を合わせるのは、初めてになるか」
自らの放った怒濤に紛れて、その全てを掻い潜っていた。滑るように踏み込んだそこは、既に互いの間合いの中。
「っはああああ!!」
メリヒムの曲刀とサブラクの双剣が、複雑に噛み合うの軌跡を描いて火花を散らす。
互いに自在法を練る隙など与えない神速の接近戦は、しかしものの数秒で決着する。
剣技は殆ど互角。しかし重さが違う、速さが違う。能力そのものが決定的に違いすぎる。
「こい、つ……!」
左の剣が曲刀を弾き、右の剣が胴を薙ぐ。辛うじて後退した事で致命傷は避けたが、それも悪足掻き。返す刀で一歩踏み込んだサブラクの凶刃が迫り……
「させない!」
頭上からの炎弾が桜色に弾けて、メリヒムごと吹き飛ばした。
転がるメリヒムを一瞥して、ヴィルヘルミナが地を駆ける。
「お前の相手はこの私、『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルであります」
メリヒムと違い、ダメージらしいダメージを負っていないサブラクに、仮面の討ち手が肉薄する。
想い人を追い詰める、友人の仇に、死に物狂いで挑み掛かる。
「かつて貴様は、『スティグマ』を受けた身で俺の剣を凌いで見せた。あれには少なからず矜恃を傷つけられたものだが、雪辱を果たせるとは運が良い。“嵐蹄”を越えてこの地に辿り着いてくれた事に感謝しよう」
距離を取って炎を使う、という素振りすら見せずに、サブラクも真っ向から斬り掛かる。
「っ……!」
確かに御崎市の戦いで、ヴィルヘルミナは『スティグマ』を受けた身体でサブラクの剣をかなりの時間、捌いた。
あの時のサブラクは本体から常に供給を受ける事で異常なまでの耐久力を誇り、だからこそ一切の防御を捨てて攻撃に全力を注ぐ事が出来ていた。だが今のサブラクは違う。目の前にいる人型がサブラクの全てであり、傷を受ければ簡単に再生などしない。
「(身体、が……)」
しかし、それでも、
「(追いつか、ない)」
徐々に、ヴィルヘルミナが押され始めた。
元よりサブラクの技量とて、決して低くはないのだ。ヴィルヘルミナとて、楽に捌けていた訳ではない。そのサブラクの技が、段違いの剣速を持って迫って来ている。太刀筋を読み切ってなお、速過ぎて投げ返す余裕が無い。それどころか……受け流す事も難しくなってきた。
「これがあの『戦技無双の舞踏姫』とはな。如何に雪辱を果たす為とはいえ、選択を誤ってしまったか。いや、元より過剰な期待はしていない。今の俺の前では、かの『大地の四神』でさえあの様だったのだからな」
首に迫る斬撃から、寸での所で後退する。それでも、鎖骨の下から肩に掛けてを派手に斬られた。
同時にリボンが幾条かサブラクに突き立てられるが、殆ど刺さっていない。
「人の身だからと侮るなよ。見た目は変わらずとも俺の身体は一帯に広がる程に巨大なものだ。こうして小さく凝縮させた今、存在の密度は重厚を極めよう。そんなか細い刃では皮しか裂けんぞ」
外套の端から、ナイフが一振り射出される。不意を突かれたヴィルヘルミナの腹部にそれは命中し、
「ッあぁ……!」
続け様にサブラクの蹴りを受けて、深々と突き刺さった。なおも止まらず、殺し屋は剣を振り上げて……
「どいつもこいつも」
いきなり割って入った半透明の鱗壁に、弾かれた。
「横から手出しにくい状況に持っていくなよ」
悠二の鱗壁は、ヴィルヘルミナとの間に割って入っただけではない。半球状にサブラクを取り囲み、閉じ込めていた。
もちろん、そこで終わらない。
「『あんたは何方』!?」
マージョリーの詩と、
「『兵隊だぁ』!!」
マルコシアスの詩が交互に響き、
「『なにをお望み』!?」
「『酒一杯』!!』」
群青に輝く自在式が十重二十重に顕現し、『グランマティカ』を“擦り抜けて”サブラクを捕縛する。
「『お金は何処に』!?」
「『置いてきたぁ』!!」
『弔詞の詠み手』の誇る、『屠殺の即興詩』。
さらには、血色に燃える指輪までが釣瓶打ちにサブラクを縫い止める。ヘカテーを捕獲する為に『束縛』の自在法を込めていた、平井の『コルデー』だ。
「シャナ!!」
念入りに動きを封じたサブラク目掛けて、大太刀を燃やしてシャナが駆ける。半端な力ではサブラクの身体に“刃”が立たないのはヴィルヘルミナが実証済み。ならばと、シャナは足裏から全力で爆発を起こし、自身を超速の砲弾へと変えた。
「(この程度で)」
故にそれは、刹那の内に起こった。
「(俺の動きを止めたつもりか!?)」
群青と血色の束縛が一息で引き千切られ、広げた外套から無数の剣が奔る。
───そこまでは、予想していた。
「(な……!?)」
サブラクを取り囲む悠二の『グランマティカ』は、“斬撃のみを遮断する”結界だった。強力過ぎるサブラクの剣に対抗する為、敢えて効果を限定して強度を高めたのだ。
その、斬撃にのみ特化した悠二の『グランマティカ』が───一瞬にして、剣の投擲で破られた。
「──────」
加速したシャナは、突進を止められない。自在法を無効化する彼女の身体も、自在法ではないサブラクの剣は防げない。
シャナは咄嗟に、刺突の為に大太刀に込めていた存在の力を、紅蓮の劫火に変えて放った。渾身の炎が飛び来る刃を蹴散らし、そのままサブラク本体に突き進み……
「“斬る”」
サブラクの握る一振りの剣に、十戒の如く両断された。
「(あんなに、簡単に)」
炎を放つ反動で静止を果たしたシャナは、瞬間的に湧き上がった絶望的な威力に茫然とする。
その微かな動揺を、サブラクは見逃さない。シャナが炎を練るより速く、剣の雨を矢のように放った。
「(疾い!)」
尋常ならざる威力と速度。放たれた刀剣を弾き返す事も出来ず、或いは躱し、或いは辛うじて受け流す。
それでも何とか捌けたのは、正直なところ運が良かっただけだった。
そして、
「三人目だ」
シャナがそれを凌ぐ事を、サブラクは読んでいた。必死に捌いた直後、最も体勢の崩れた瞬間を狙って、神速で踏み込んでいた。
「(あ───)」
一瞬にして大きくなるサブラクの姿を見て、己の状態を理解して……避けられないと悟った。
(ドンッ!)
少女の身体を、衝撃が突き飛ばす。死すらも覚悟していたシャナは、歯を食い縛って地を転がり……それが、予期していた痛みではない事に気付いた。
「(あ……)」
誰かが、自分の上に覆い被さっている。それが平井ゆかりであり、彼女に突き飛ばされる事で自分がサブラクの斬撃を逃れたのだと、今更のように気付く。
「(っ立たないと)」
礼を言うよりまず先に、シャナは立ち上がろうとする。今この瞬間にも、サブラクの追撃が来ないとも限らないのだ。
なかなか動かない平井を待たず、その身体を退かせようと背中に手を回し───その掌が、生暖かい感触に濡れた。
「ゆ、かり……」
背中を鮮血に染めた平井ゆかりは、答えない。
「あと、三人」
感慨もなく、余韻もなく、どこまでも冷淡に、殺し屋は次なる剣を振る。