「ッおおおおお!!」
まるで似合わぬ荒々しい咆哮を上げて、フェコルーは鉄壁の砲弾を雨のように降らせる。
外見からは考えられない大質量が超速で飛来し、飛び回るメリヒムを追い詰める。大規模な攻撃は眼下の『星黎殿』にも少なからず破壊を齎している。正に形振り構わずという猛攻だった。
「(ちっ……あの深手でよく動く)」
降り注ぐ立方体を躱しながら、メリヒムは嵐の向こうのフェコルーから視線を外さない。鬼の……否、悪魔の形相で曲刀を振り上げる様を確認して、直前で反転、加速した。
そのまま飛んでいたらメリヒムがいたであろう空間を、渾身の斬撃が薙いでいた。
「(情報には無かった。あれが奴の切り札か)」
あの曲刀の前では、常に敵の間合いに捉えられているようなものだ。いや、あり得ない角度からの斬撃も考慮すればそれ以上の脅威だ。一瞬たりとも気が抜けない。反撃するどころではない。
「(闇雲に攻撃している、訳もないな)」
飛び来る立方体から懸命に逃げ回る、その先に唐突に刃が出現した。首を狙った斬撃から身を翻して避けるメリヒムの頬から、虹色の火の粉が血のように散る。
曲刀こそ躱したものの、急に動きを加えた事で飛翔が乱れた。ギリギリで『マグネシア』から逃れた頭上から刃を振り下ろされて、間一髪サーベルで止める。
次の瞬間、臙脂色の塊がメリヒムの身体を軽々と弾き飛ばした。
「ぐ……っ!」
強烈な打撃に意識を揺さぶられながらも、メリヒムは直感で背後に剣を振るう。案の定待ち構えていた斬撃を弾くが、そこまでだった。
先の一撃で飛ばされたメリヒムに殺到する、数多の『マグネシア』には対応できない。
「(『虹天剣』が、間に合わん……!)」
サーベルを構えて歯を食い縛るメリヒム。その長身に立方体が届く寸前、
「っ!」
半透明の蛇鱗が顕現し、メリヒムを守った。銀に燃える鱗壁は打たれる毎に軋み、ひび割れ、遂には砕け散る。しかしそれは、最後の『マグネシア』を受けるのと同時だった。
「(坂井悠二……!)」
メリヒムを倒せる好機を潰された事で、フェコルーの顔が苦渋に歪む。すぐさま視線を巡らせて悠二を探すが、その姿は見当たらない。
いや……見えないのは悠二の姿だけではない。
「(これは、霧……?)」
いつの間にか、銀の霞が一帯に立ち込めている。人影どころか巨大な『星黎殿』すら見失うほど濃密な霧が、フェコルーの視界を妨げていた。
「(私の『オレイカルコス』を封じるつもりですか。ですが、こんなもの……)」
フェコルーの細い眼が、限界まで見開かれる。それに呼応して、彼の周囲を取り巻いていた粒子の嵐が一気に範囲を拡大し、荒れ狂う粒子の勢いが加速する。文字通りの嵐が巻き起こす爆風が、瞬く間に銀霧の結界を吹き散らした。
とはいえ、これを続けては自らの嵐で結局視界が塞がれてしまう。嵐を弱めて敵影を探そうとするフェコルーの眼に───嵐を貫く銀雷の蛇が見えた。
「(油断も隙も)」
即座にフェコルーが壁を張る……より一拍速く、蛇が爆ぜた。
「うわぁ!?」
予想外の攻撃にフェコルーは情けない悲鳴を上げる。しかし、弾けた雷撃の余波すらフェコルーには届いていない。咄嗟に張った障壁が、それすらも完全に防いでいた。
「(狙いは、これか!)」
だが、この攻撃は直撃が無理でも余波ならば、などという甘い狙いではない事を、フェコルーは自身の状態から理解していた。目の前で弾けた銀雷が、その爆発的な雷光が、彼の視界を完全に灼き潰している。
「っはあ!!」
迷っている暇は無い。フェコルーは周囲に巡る粒子の嵐全てを、一瞬にして重厚で巨大な球体へと変えた。
そのままぶつければ『星黎殿』でも墜とせるだろう大質量を纏いながら、フェコルーは油断なく意識を研ぎ澄ませていた。
この防御でも『虹天剣』は止められない。だが、他の攻撃は全て防げる筈だ。奪われた視覚に頼らず、存在の気配と音だけに意識を集中させ、
「(よし!)」
『マグネシア』を剔り抜いて来た虹の猛威から、絶妙に空白を作り、逃れた。同様の攻撃が二発三発と続くが、危うい所で全て回避する。
そうしている内に視力が回復し、フェコルーは『マグネシア』を解除する。その背後に、唐突に新たな気配が現れた。
「(やはりか!)」
フェコルーは驚かない。解除の瞬間を狙われるのは予測していた。即座に背後に壁を張り、振り返りもせず前方に曲刀……宝具『オレイカルコス』を振り下ろした。
────筈だった。
「!?」
曲刀の柄を支点に、フェコルーの身体が無茶苦茶に回転する。“空間を超えて投げられた”のだと、定まらぬ視界の中で理解した。
「(しまった、今のは『万条の仕手』か!)」
些か不用意だったとはいえ、空間を超えた斬撃まで投げられるなど完全に予想外である。柄から手を離さなかった自分を、フェコルーは今度ばかりは賛美する。
その、左右から、
「ここだ!!」
「吹っ飛べ!」
銀と群青に燃える特大の炎弾が挟撃した。もう何度目か、臙脂色の球体に隠れて防御したフェコルーは、球体から零れ落ちるように『虹天剣』の追撃から逃れる。燃え盛る銀と群青に、肌と片翼を炙られながら。
「(また二人、恐ろしい敵が増えましたか。四の五の言ってはいられませんね)」
満身創痍とは思えぬ力強い飛翔で、フェコルーは空高くから全ての敵を見下ろした。見下ろして、無数の立方体を全員に繰り出した。
「(一人一人、確実に)」
“虹の翼”メリヒム。
『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメル。
『弔詞の詠み手』マージョリー・ドー。
逃げ惑う敵の動きを睨みつけ、標的を見定める。そして……十秒に経たずに獲物は決まった。明らかに一番動きが鈍く、竜尾や障壁を多用して『マグネシア』を捌いている少年───坂井悠二。
『オレイカルコス』で斬り捨てるには、これ以上ないカモである。
「(大御巫……)」
フェコルーは僅かに躊躇して、
「(申し訳ありません!)」
しかし、決断する。
横薙ぎに振るわれた曲刀から刀身が消え、
「っが……!?」
悠二の背後。通常ならば考えられない、竜尾と背中の僅かな隙間から現れ、凱甲の僅かな隙間に刃を叩き付けていた。
皮を裂き肉を切り臓腑に迫る凶刃を受けて……
「く、そ……外れか」
首か顔を斬られると踏んでいた坂井悠二は、悔しそうに呟いた。
「(何だ───)」
その表情に不吉な予感を覚えたフェコルーは、脇腹を裂くように曲刀を引き抜……“けない”。
大量の鮮血を流しながら、悠二は己の受けた凶刃を尋常ならざる膂力で掴んでいた。
「(読んで、いたのか!?)」
予想外の行動に驚くフェコルーだが、何をするまでもない。こうしている間も『マグネシア』の連弾は続いているのだ。
立方体の一つが、動きを止めた悠二を容赦なく直撃する────と、フェコルーが思った瞬間、
「ぐわぁあああぁあぁ!!?」
打撃とも斬撃とも違う、形容し難い衝撃が全身を駆け抜けた。
それは、電撃。『オレイカルコス』を介して空間を越えた、銀の稲妻だった。
「自慢の宝具が仇になっちまったなぁ!」
「ご愁傷様!」
『マグネシア』の間隙を突いて、『トーガ』の獣が特大の火球を吐き出した。普段なら避けるのに十分過ぎる距離から放たれた一撃が、銀雷に痺れるフェコルーを直撃する。
悠二が『マグネシア』に弾き飛ばされるのと、フェコルーが曲刀を手放すのは、全くの同時だった。
「(もはや、勝ち目が、無い……)」
『オレイカルコス』はフェコルーの宝具。それが奪われるという事の意味を、彼自身が一番よく解っている。
「『一つだったらなにもなし、二つだったら少しだけ、三つだったらたくさんで』!」
「『四つだったら小遣い気分! 五つとなりゃあ大・金・持ち』!!」
マージョリーの繰り出す五つの炎弾が無数に弾けて、回避不可能な猛火の豪雨となって中天の悪魔に殺到する。その一粒一粒が並の炎弾に匹敵する破壊力。
だがフェコルーは、これを下方に展開した広大な『マグネシア』で難なく凌ぐ。長大な建造物の上にいると錯覚しそうになる臙脂色のステージを、フェコルーはガムシャラに走り回った。その舞台を、天を衝く閃虹が一発ずつ、しかし確実に貫いていく。
気配察知の自在法の感覚を覚えて、フェコルーは即座に『マグネシア』を解除した。『虹天剣』は防げず、敵には自在師まで付いている。『オレイカルコス』も奪われた。
「(防げぬ……ならば!)」
臙脂色の炎を撒いて、フェコルーが加速した。この戦いで初めて、自ら敵との距離を詰める。
真っ先に狙ったのは、ヴィルヘルミナ。
「御覚悟!」
距離を詰め、加速を付けた状態からの『マグネシア』。硬質の立方体が砲弾以上の疾さで迫り……それ以上の疾さで“投げ返された”。
とても避けきれる物ではない。全身から鈍い軋みを上げて、軽石のように打ち上げられる。
「(わざ、とか……!?)」
自在法とはいえ、『戦技無双の舞踏姫』に実体のある攻撃は通用しない。さっきまで立方体から逃げ回っていたのは、こういうタイミングで最硬の攻撃に頼るよう仕向ける為の布石だったのだ。
悲鳴を上げる身体を奮わせ、強引に飛翔するフェコルー。
……その残った片翼が、不意の斬撃に切り落とされる。
「ッッ~~~、やはり、甘くはありませんね」
縦横無尽の飛翔を止めず、フェコルーは再び現れた敵を見る。
脇腹を裂かれ、『マグネシア』に叩き落とされ、血まみれの身体で空へと昇る、坂井悠二。その手に在るのは、フェコルーの宝具『オレイカルコス』。
「終わりだ、“嵐蹄”フェコルー」
空間を超える曲刀。あの宝具の前では、『マグネシア』の防御は意味を為さない。……いや、感知能力に長けた自在師が相手では、使わない方がマシだろう。
「はあっ!!」
万条の刃が襲い掛かる。
「往生際が悪いわよ!」
群青の自在式が追い縋る。
「くたばれ」
虹の閃光が迫り来る。
「ヘカテーに会うんだ。邪魔するな!」
そうして逃げ回る先に、空間を越えた斬撃が待っている。
「(今の私に、出来る、事……)」
みるみる内にボロボロにされていく。惨めな最期を頭の片隅に過ぎらせながら、フェコルーは今も『マグネシア』に覆われている『神門』を見た。
「(結局一度も、彼らは『神門』を攻撃しようとはしなかった)」
得体の知れないモノに対する軽挙を躊躇っているだけ、という可能性も十分にある。
だが、『神門』の姿は客観的に見ても非常に怪しい。多少なりとも事情を察している者ならば、『神へと続く道』と察しても全くおかしくない。真っ先に集中砲火を受けても驚きはしない。
しかし結果として、『神門』は今もそこに在る。
「坂井悠二!!」
もう、自分の力で『神門』は守れない。そう悟って、フェコルーは叫んだ。
「あの鏡の名は『神門』! 創造神“祭礼の蛇”へと続く狭間の道!」
あの言葉に、
『ヘカテーに会うんだ。邪魔するな!』
巫女の想いと絆に、懸けた。
「大御巫に会いたいなら、決して『神門』を破壊するな! その中へと進め!!」
命懸けで叫ぶその肩に、虚空から伸びた切っ先が埋まる。
「(申し訳ありません。参謀閣下、将軍閣下、大御巫、そして……我らが盟主“祭礼の蛇”)」
その切っ先から銀炎が溢れ、巨大な蛇となって嵐の守護者の胴体に喰らい付く。
「『仮装舞踏会(バル・マスケ)』に、栄光あれ!!」
銀炎の大蛇が、星の宮殿に墜ちた。溢れた業火が煉獄となり、燦然と輝く炎光に照らされる中で……嵐の盾は消え去った。
その中から姿を現したのは、銀に縁取られた黒き鏡。神へと続く狭間の入り口。
「前哨戦でこれか。やっぱり、簡単には……」
言葉の途中でフラつく悠二。その肩を、横から平井が寄り添い、支えた。
彼女も、彼女が守っていたシャナも、『星黎殿』にいたにも係わらず火傷一つ無い。平井には炎が、シャナには自在法そのものが効かないからだ。
「二人とも、平気?」
「あたしはダイジョブ。ラッパに撃たれるギリギリで網タイツ間に合ってたし」
「私も、もう平気。少なくとも今の悠二よりは動ける」
心強い二人の少女に微笑して、悠二は自身の脇腹に自在法を掛けて癒す。まだまだ、弱音を吐いてなどいられない。
「『三柱臣(トリニティ)』がいつ狭間に向かったのか、神の帰還にどれだけの時を要するのか、全く判らない状態であります」
「拙速推奨」
「大金星あげたって言っても、目的は何も達成できてないのよね」
「バケモン片っ端から食い千切れるなんざ、二度と来ねぇ大舞台だろうぜ。せーぜー死ぬ気で励むとしようや」
「ほぉ、お前とは気が合いそうだな“蹂躙の爪牙”」
ヴィルヘルミナが、マージョリーが、メリヒムが、こちらも問題なさそうに先を促す。あれだけ『虹天剣』を連発したメリヒムの消耗は決して軽くはないだろうに、それをおくびにも出さない。
「(何か、いつの間にかチームっぽくなってるな)」
利害の一致、という側面は今も厳然とある。本当の意味で悠二の味方と呼べるのは平井だけだろう。
それでも、弾むような心強さがあるのも確かだった。この六人にして八人……否、“九人”ならば、相手が神でも怖くない。
「よし、行こう。『神門』へ」
決意を固めて、狭間を目指す。
まるで───新たに生まれた迷いを振り払うかのように。