サーベルの切っ先に意識を集中し、全霊の力を叩きつけるように『虹天剣』を放つ。渾身の虹が鉄壁の嵐を一息に貫き、中空の悪魔に迫った。
「む……っ!」
即座にフェコルーは防御する。粒子の嵐ではなく、凝結させた分厚い壁状の『マグネシア』を翳し、“貫かれる前に退避する”。
「(やはり、簡単には当てられんか)」
不満な結果にメリヒムは小さく舌打ちする。全力の『虹天剣』なら『マグネシア』を破れるが、いつものように一瞬で貫通できる訳ではない。数秒『マグネシア』で防ぐ間に軌道から逃げるだけで、フェコルーは最強の虹を悉く避けていた。
「(もう一度、やってみるか……!)」
意を決して、メリヒムは飛翔する。七色の翼を広げて猛然と嵐の領域を突き進み、
「くっ……」
その中に吹き荒れる臙脂色の粒子に打たれ、全身を鑢掛けされるような痛みに呻いた。
呻いて、しかし、並外れた集中力で虹を練り上げ、突き出した。多少なりとも距離を縮めて放たれた一撃は、容易く防御、回避される。
「(なるほど、確かに鉄壁だ)」
防御出来ない距離から撃てば、という戦法も通じない。
粒子の『マグネシア』では『虹天剣』を止められない。にも係わらずフェコルーが嵐を展開し続ける理由がこれだ。接近を許さない事で敵の攻撃を遠距離に絞らせ、確実に対処している。
部下を全て屋内に引き揚げさせたのも当然だ。これだけ大規模の自在法なら、下手な増援は逆効果になる。味方を『マグネシア』に巻き込まないよう注意しながら戦うなど、有り得ない愚策だろう。
何せ他の禁衛員全てを合わせた戦力よりも───フェコルー一人の方が強いのだから。
「(仮に『空軍(アエリア)』があっても、あれの突破は難しいか)」
粒子のこびり付いた重たい身体を、それでも高速で飛翔させながら、メリヒムは飛び来る立方体から逃げ回る。
強力だが単発の一撃を、盾で防いで危なげなく避けるフェコルーと、数多の立方体を必死に躱すメリヒム。どちらが優勢かなど考えるまでもない。
メリヒムが歯噛みする一方で、
「(不味い、不味い、不味い、不味い……!)」
その何倍もの焦燥に、フェコルーは駆られていた。
元々フェコルーは『星黎殿』を任されるほどの重臣だ。『秘匿の聖室(クリュプタ)』を守る『マグネシア』に手加減などしていた筈がない。……だからこそ、こうして交戦に臨んだところで、『虹天剣』を防ぎ切れないのも必然だった。
そして『虹天剣』を防げない以上、メリヒムが健在である以上、『神門』の破壊というリスクは絶えず付きまとうのだ。
「(早く、早く、早く倒さねば……!)」
嵐を広げ、鉄壁を翳して、堅実な護りを続けながらも、フェコルーは立方体を飛ばしてメリヒムをしつこく攻撃し続けていた。
一つは勿論、一刻も早くメリヒムを討つ為。もう一つは、攻撃によって自分の脅威をメリヒムにアピールし、『“神門”に攻撃する』という選択肢から少しでも遠ざける為。
メリヒムは渾身の『虹天剣』で『マグネシア』を破れる。言い換えれば、研ぎ澄ました一撃でなければ貫けない。攻撃の回転ならばフェコルーに分がある。それでも捉えられないのは、焦りによる所が少なくはないだろう。
「(使うか?)」
その焦りが、フェコルーを衝き動かす。だが、裏腹に、司令官としての理性が安易な軽挙を諌めてもいた。
既に、プルソンともウアルとも連絡が着かない。もし彼らが討たれたとすれば、“虹の翼”と同等以上の使い手が複数残っている事になる。そんな状況で、不用意に手の内を晒して良いものか。
焦燥と抑制が鬩ぎ合いながら、メリヒムが『神門』を狙う気配を見せない事も重なって、二人は決着の見えない射撃戦を続けていた。
だが、その均衡も長くは続かない。
「──────」
不意に強烈な気配を感じて、フェコルーが振り返る。その視線の先に───燦然と燃える銀の大蛇の姿があった。
「ぬお!?」
バチバチと粒子を焼きながら嵐を突き抜けて来る大蛇を、咄嗟に張った壁で防いだ。銀蛇の牙は臙脂色の盾にぶつかって爆炎を撒き散らすも、『虹天剣』のように壁を突き破りはしない。円形の防壁は表面を焦がしながらも健在だった。
「悪いけど、横槍を入れさせて貰う」
緋色の鎧と凱甲を纏い、長い竜尾を後頭から伸ばした少年が、嵐の向こうで黒刀を向けている。
「(坂井悠二、ですか……)」
新たな難敵の出現に───フェコルーは刀の柄を握った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「出し惜しみ出来る相手じゃないしな」
剣を持たない左の掌を、悠二は天に向けて振り上げる。途端、フェコルーを中心に展開された粒子の嵐、それを更に『グランマティカ』が覆った。
連なった半透明の蛇鱗が、内に燃える自在式を星座のように繋ぎ合わせて、
「喰らい尽くせ」
全方位から、八岐の銀蛇がフェコルーに襲い掛かった。生半可な自在法なら粒子だけで削り落としてしまう暴嵐の渦を、灼熱の蛇は一息に突き抜けて───
「はあっ!」
内側から爆発的に膨れ上がった球状の『マグネシア』に遮られて、弾けた。空を丸ごと照らす銀炎の坩堝に呑み込まれてなお、鉄壁の塊は小揺るぎもしない。
「(大御巫の想い人。出来る事なら傷付けたくはありませんが……)」
『マグネシア』の中、鉄壁に守られた安全地帯で、フェコルーはほんの僅か気を抜いた。その無自覚な油断は、
「(っ!? いや、マズい!)」
間一髪の所で、醒めた。
激しい擦過音に僅か遅れて、後方の『マグネシア』を解いて飛び退る。
その片翼を───鉄壁を貫いた破壊の閃虹が消し飛ばす。
「ぐ……うっ……!」
怯むフェコルーを、再び銀炎の大蛇が襲う。今度は一匹、しかしフェコルーの周囲を取り囲むように蛇身を踊らせ、爆ぜた。
「(また、これか……!)」
激痛を押し殺して『マグネシア』で爆炎を防ぐフェコルーは、またしても鉄壁を貫いて来た『虹天剣』から必死で逃れる。
「(……癪だけど、メリヒム様々だな)」
用意していた作戦の予想以上の効果に、悠二は内心で感嘆する。
フェコルーの『マグネシア』は強力無比な防御陣だ。周り全てを鉄壁で守れば一切の攻撃は通らない。だが、いざ『マグネシア』を貫ける攻撃を受けた時、全方位に張った防壁は術者を閉じ込める檻になってしまう。
だから悠二は全方位に『マグネシア』を張る防御を誘発し、メリヒムはそのタイミングに合わせて『虹天剣』を撃つ。『虹天剣』が『マグネシア』を貫けたからこそ成り立つ戦法である。
「(このまま押し切る……!)」
一気に畳み掛けようと銀炎を燃やす悠二。その狙う先に、立方体の塊が顕現した。
「え……」
悠二は一瞬、こちらが攻撃するまでもなく防御を張ったのかと思った。というよりも、攻撃なのか防御なのか判別できなかった。
それほど巨大な───ビル程もある臙脂色の立方体。
「(デカい! しかも速い!)」
力負けしてしまうメリヒムに対しては使われなかった攻撃。それが功を奏してか、悠二の反応が微かに遅れた。
そして自在式の連結を発動工程に含む悠二の『グランマティカ』にとって、その微かな遅延は致命的だった。
「はあっ!!」
苦し紛れに渾身の炎弾を叩きつける。銀の炎が溢れかえり、熱を帯びた大気が肌に突き刺さる。
その炎の向こうから、巨大な塊が降って来る。
「──────」
『星黎殿』を揺るがせる程の大打撃が要塞を叩き、粉塵と瓦礫が巻き上がった。
その瓦礫の雨を、小さい影が跳ねていく。
「…………?」
逆撃に備えていた筈のフェコルーは、その影を数秒、捉え損ねた。より正確には、瓦礫の上を跳ねる何かを敵だと認識できなかった。
何故ならその影からは、人間ほどの気配すらも感じ取れなかったから。
その特性を最大限に利用して、
「ッはあああぁ!!」
“シャナ”は、吼えた。
振り上げた大太刀から紅蓮の奔流が迸り、灼熱の顎門が頭上のフェコルーに向かって伸びる。
全く気配を持たない少女から放たれた強力な自在法。静から動への急激な変化。そして何より、失われた筈の紅蓮の炎。
それら、動揺を誘うには十分な要素を前にして……フェコルーは見事に反応する。下方への障壁を即座に展開し、劫火を阻んだ。同時に、タイミングを合わせて撃たれた『虹天剣』にも広大な『マグネシア』を張る。
悠二のような全方位攻撃でなければ、同時に対処する事は可能なのだ。
が、
「(紅蓮のミステス!? “天壌の劫火”は死んだ筈では!?)」
直感のみで反応したものの、内心では大いに大いに動揺していた。
下方に展開した『マグネシア』を足場に、一足跳びに『虹天剣』の軌道から逃れて、
「え──────」
ふくらはぎから盛大に火花を噴いて、転倒した。真下から、『マグネシア』の下から伸びて来た大太刀の切っ先に触れて。
「次は、斬る」
大太刀と共に、オッドアイの戦巫女も『マグネシア』から生えて来る。破壊どころではない。少女は完全に『マグネシア』を無視していた。
「(て、てて、『天目一個』……!?)」
『マグネシア』を解いて、フェコルーが逃げる。その頼りない背中を、紅蓮の羽衣を広げてシャナが追う。
「(逃がさない)」
ウアルを追い詰め、プルソンを倒し、シャナは自身の特性をより強く実感していた。自在法を無視して距離を詰め、斬る。恐ろしく単純な戦法が、この上なく有効であると。
先ほどは『マグネシア』に隠れたせいで逆に視界を塞がれ、急所を外してしまったが、今度こそは仕留める。
「(私の方が、速い)」
片翼の背中に炎弾を投げ放つ。フェコルーも即座に障壁を張ってこれを防ぐが、すぐさま横合いから『虹天剣』を狙い撃たれて飛び退った。
不安定な体勢のフェコルーに向かって、シャナは一気に加速、肉薄する。
「ぇやあ!」
「うわぁ!」
鋭い斬撃の切っ先を、フェコルーの曲刀が辛うじて弾く。しかしシャナは止まらない。必死に距離を取ろうとする悪魔に、途切れる事なき斬撃の嵐を繰り出し続ける。
「「ッ!?」」
不意に、切り結ぶ二人を虹の一撃が狙い撃った。『マグネシア』さえ貫く破壊の光線に射抜かれても、シャナには傷一つ無い。
逆にフェコルーは……今度は“左腕を失った”。
「(やっぱり、強い)」
シャナには自在法が効かない。敵のものも、味方のものも。それは即ち、高速の近接戦闘の最中でも、何の遠慮もなく援護射撃が出来るという事だ。
シャナの神速の剣を捌きながら不意の『虹天剣』を躱すなど尋常ではない。片腕で済んだだけでも、フェコルーは大したものである。
「終われる……ものか!」
『虹天剣』を恐れてか、フェコルーが『マグネシア』の壁を張る。だがやはりダメージが大きいのか、それは人間大程度の大きさしかなかった。
シャナは能力に驕って突っ込んだりはしない。彼女にとって『マグネシア』は障害にこそならないが、通り抜ける瞬間視界は塞がれる。既にシャナの特性を理解したであろうフェコルーに対して、その一瞬はあまりにも危険だ。『マグネシア』を抜けた直後を待ち構えられたら、確実に防げる自信など無い。
「(あれくらいの大きさなら)」
全速力で回り込む、その為に加速したシャナは、
「ッ──────」
その背中に───鮮血の花を咲かせた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
弱々しい滑空から、完全な落下を始めたシャナの身体を、
「シャナ!」
意識を取り戻した平井ゆかりが、受け止める。背中に回した掌に、ベットリと温かい血が付いた。
「(止まったらヤバい!)」
シャナを抱えたまま、平井はジグザグに飛びながら要塞の死角に逃げ込む。シャナが何をされたのか、下にいた彼女にはハッキリ見えていたのだ。
「(あの時、刀身が消えてた)」
シャナと自分の間に壁を張ったフェコルーは、誰もいない空間に向かって曲刀を振り下ろしていた。その瞬間、曲刀の刃は姿を消し、直後にシャナが血を噴いた。
宝具なのか自在法なのかは判らないが、
「(空間を超えて斬撃を放つ能力……!)」
『マグネシア』だけでも厄介極まりないのに、とんでもない隠し球である。あんな能力の前では何処に逃げても無駄……とは、思わない。
何故なら、今シャナが生きているからだ。
「(ここなら多分、大丈夫)」
空間を超えた斬撃。どれだけ離れていても死角から急所を斬り放題とも見える能力を使ったにも係わらず、シャナは生きている。背中の傷は確かに深いが、致命傷という程ではない。
つまり、恐らく、あの斬撃の操作は“目分量”なのだ。こうして要塞の中に隠れてしまえば、フェコルーの視界から消えてしまえば、あの斬撃は来ない。
シャナの急所を外したのも、能力を使う瞬間を隠す為に『マグネシア』で互いの視界を遮った事が一因だろう。
「(とりあえずシャナの止血を……)」
周囲に敵がいない事を確認してから白衣を脱がせる平井。
その頭上から、
「んべ!?」
「……むむ?」
唐突に壁から現れたヴィルヘルミナが降ってきた。
「ここは……なるほど、あれは転移に属する自在法だったのでありますか」
「複雑」
「……でありますな。やはり彼女も、本心で我々と争いたい訳では」
「いーから下りろ-!」
ヴィルヘルミナの体重などモノともせず、平井が立ち上がる。空中でクルリと回って着地したヴィルヘルミナは、そこで漸く血まみれで倒れるシャナに気付いた。
事情を訊くよりまず先に、伸ばしたリボンを包帯のように巻き付けて止血する。
「“嵐蹄”の剣です。何か、好きな場所に刃を転移できるみたいで」
それを見守りながら、平井が横から説明する。ヴィルヘルミナも空を見上げて、未だ渦巻く嵐に眉根を微かに顰めた。
そこから離れた瓦礫の山の影で、
「自在法じゃないな。あの曲刀、宝具か」
間一髪で助けられた悠二と、
「みたいね。チビジャリが動けないんじゃ、私たちでやるしかないか」
間一髪で助けたマージョリーが、見上げていた。
「兄ちゃんも次はもーちっと気ぃつけな。我が怠惰なる横槍マージョリー・ドーはいつでもどこでも助けてくれるほど優しくねーぜ?」
「うん、今度は油断しない」
マージョリーにも、『マグネシア』の塊は壊せない。だが、その下の『星黎殿』は別だ。マージョリーは悠二の落下地点を予測して岩盤を事前に砕き、悠二が押し潰されるのを防いだのである。
「じゃ、行くわよ」
「ああ」
悠二とマージョリーが、虹と嵐がぶつかり合う天を目指す。
その先で、満身創痍の嵐の守護者が、それを感じさせない毅然とした態度で構えていた。
「(これで『天目一個』は暫くは動けないでしょう)」
悠二とマージョリーは、傷を塞ぐ自在法も使える。以前のシャナならば短期間で復活させる事も出来た。だが……今のシャナは自在法を無効化してしまう。例えそれが、自身に有益なものであってもだ。
それを、フェコルーは既に見抜いていた。
「(何という恐ろしい使い手達だ。こんな者共を、『神門』の奥には向かわせられん)」
命には届かなかったが、それでも十分な深手だ。天敵を排除した安堵が、反撃の余裕を生む。
依然として『神門』の破壊という事態への焦りはあるが、ならばこそ、グズグズしてはいられない。
「『天目一個』が蘇る前に、決着をつけましょう」
気弱な王の容貌が───悪魔の如く歪んだ。