ヴィルヘルミナがゾフィーと共に御崎市を発ってから四日。変わらず熾烈な鍛錬を続ける封絶の中は……現在、三人しかいない。
「っりゃあ!」
大剣『吸血鬼(ブルートザオガー)』を振り下ろす平井。
「はっ!」
その斬撃を真っ向からは受け止めず、大太刀『贄殿』で横から叩くシャナ。
「………………」
そんな二人を見守りつつ、自在式を弄り続ける悠二、の三人である。
剣技そのものはシャナが上だが、平井の『吸血鬼』は鍔迫り合うだけで斬り刻まれる危険を伴う魔剣だ。自在法の干渉を受けないシャナの体質も、宝具の能力までは防げない。『アズュール』を持っている事もあり、平井は紛れもなくシャナの天敵だ。
実際、このまま続けていれば遅かれ早かれ平井が勝つだろう。昼夜問わず組み合わせを変えて戦い続けてはいるが、シャナが平井に勝った事は一度もない……ものの、マージョリーやメリヒムには勝った事がある。
「(やれば出来る子だ。ホンットやれば出来る子だ)」
人間ならば不可能な恐ろしくスパルタなトレーニング方法だったが、まさかたったの四日でここまで伸びるとは、提案した悠二にも予想外だった。本当に、シャナはいつも予想を越えてきてくれる。
それは喜ばしい、のだが……
「(このタイミングでメリヒムと“弔詞の詠み手”が欠席か)」
ここにいない二人……連絡も寄越さず電話にも出ず、“ただ来ない”二人の動向が気に掛かる。マージョリーだけでなく、メリヒムもいないというのは むしろ安心する要素ではあるのだが。
「(状況の変化は望むところ、なんだけどな)」
虹野邸のみを覆う陽炎の異界。修復可能な上に人間に異変を悟らせない便利な戦場ではあるが、これは同時に“目隠し”にもなってしまっている。
内外の因果を断絶する結界を、こんな狭い範囲に長時間張り続けていれば、もし敵が接近して来ても気付けない。奇襲を仕掛けて下さいと言っているようなものだ。そして、現在は午後11時ちょうど。『零時迷子』の特性を知る者ならば、回復直前の最も消耗が大きい時間帯を狙う。
「(もし僕なら───)」
思う間に、“それ”は来た。
封絶を突き抜けて飛来する、メリヒムの虹と似て非なる、鮮やかな極光の矢雨が。
「「っ!!」」
勝負に夢中になっていた平井とシャナが目を見開いた。その周囲を半透明の鱗壁が覆い、極光を弾いた。
「来たか」
球状に自身を守っていた竜尾を解いて、悠二は封絶の範囲を一気に御崎市全域にまで広げて空を見た。
数は四人、その全員がフレイムヘイズ。
「おー、反応いいねぇ! 封絶の外から不意打ちされて全員無傷だぜ」
「というか、バレてたんじゃないかな。あの少年、驚いてもないみたいだし」
その美貌を獰猛に歪め、桃色の光球を巡らせる黒髪ショートカットの女。
「ったく、不毛だな。この非常事態に何でこんな面倒な真似を」
「その愚痴はもう聞き飽きたよ。緊張感を殺ぐだけの軽口は閉じたまえ」
カウボーイハットに分厚い外套……時代遅れのガンマンスタイルの男。
「気を抜いちゃ駄目ですよサーレさん。あの平井って娘、物凄い気配を感じます!」
「そういうアンタは気負い過ぎ」
「いつも通り、思い切り歌いなさいな、私たちのキアラ」
頑丈な旅装に身を包み、オーロラの弓を引き絞るブラウンの髪の少女。
そして……
「ああ、暫くぶりです。出来ればもっと、違う形で再会したかったものですが」
「ふむ、これが我らの因果の交叉路というなら、何とも皮肉な因果じゃて」
パーカーのフードを目深に被った、ヘカテー以上に幼い外見の少年───『儀装の駆り手』カムシン。
「ずいぶん手荒な挨拶だな。びっくりして封絶解いちゃうトコだったじゃないか」
心にも無い言葉で戯ける悠二、そして平井やシャナの前に、カムシンがゆっくりと降りて来た。傷だらけの顔には何の感情も浮かんでいない。闘志も、敵意も、苦悩も。
「『万条の仕手』は、フレイムヘイズ兵団の説得に失敗したんですよ」
前置きもなく、いきなり本題に入るカムシン。その全身が褐色の心臓に包まれ、そこから伸びた炎の鎖が壊れた虹野邸の瓦礫へと繋がった。
「“頂の座”と懇意にしていた貴方達を、兵団は脅威と見做しました。野放しにしておくには危険すぎる、いつ牙を剥くか判らない不確定要因だと」
それらの瓦礫が全てカムシンへと集約、変質し、巨大な人型を形作る。
「ま、そう思われても仕方ないか」
突然の敵対宣言を受けても、悠二は特に衝撃を受けた様子は無い。
腰の黒刀を抜き放ち、銀の炎を迸らせ、燃え立つような喜悦を浮かべて受けて立つ。
「見せてやるよ、フレイムヘイズ。僕たちの力と覚悟をな」
唐突に、或いは必然に、人ならざる者達の炎が入り乱れる。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
三対四の集団戦。数の不利は連携で覆す、という悠二の目論見は───いきなり崩れた。
『っ』
瓦礫の鞭『メケスト』による超重量の一撃。それを悠二らは全員、跳躍で躱した。間髪入れず、桃色の光球が数多飛来し、連鎖的な大爆発で以て戦場を爆炎で呑み込んだ。
爆発によって引き離された平井を、
「うわっ、うわわわわ!!!」
極光の弾幕を張りながら、巨大な鏃に乗った少女が追い立て、
「ああ、では彼は任せました」
瓦礫を操るカムシンが、大質量の攻撃でシャナを追撃して行った。
あっという間に、この場には悠二と二人のフレイムヘイズしかいない。
「……なるほど、下調べも万全ってわけね」
カムシンの自在法は この世の瓦礫を利用する。自在法の干渉を受けないシャナにも通用するだろう。
そして『吸血鬼』と『アズュール』を持つ平井には、遠距離タイプの光使い。
それぞれに相性の良い相手をぶつけて、応用力の高い悠二には二人掛かり。能力を事前に把握していなければ出来ない対応だ。カムシンに平井やシャナの能力を説明した憶えは無いのに、的確に隙を突いてくる。
「大人気ないとは思うんだが、悪いな坊主」
両手に十字操具を持つガンマンが、何ともノンビリと、しかし隙を見せず歩いてくる。
「遠慮しねーで掛かって来な。俺の期待を裏切るなよ?」
対称的に、やたら好戦的に笑う女傑も降りて来る。
……どちらも、強い。多分、ヴィルヘルミナやマージョリーにも引けを取らないだろう。フレイムヘイズ陣営も、それだけ本気だという事か。
「わかった。そっちこそ、簡単に死ぬなよ」
悠二の全身から銀炎が溢れ、数多の火球となって放たれる。
「上等!」
それに匹敵する桃色の光球が正面から激突し、双方の爆炎が一瞬で周囲を焼き尽くした。
女……『輝爍の撒き手』レベッカ・リードは上空へと逃れ、悠二は離れた家屋の屋根に着地する。桃に銀に燃える破片が幾つも飛び交う中でレベッカを見上げる悠二……の周囲で、飛来する破片が唐突に菫色に燃え上がった。
「(これは───)」
気付いた時には、乱れ飛ぶ破片を芯材とした炎の人形が悠二を取り囲んでいた。菫色の人形は炎の海から次から次へと這い出し、襲い掛かって来る。
「(色が違う。もう一人の自在法か)」
数多の傀儡はまるで……否、事実 一つの意思に束ねられた無数の手足となって攻めて来る。一体一体の力はフリアグネの燐子に及ばぬものの、完璧に統一された波状攻撃は厄介だ……が、悠二とて以前とは違う。
全周から迫る攻撃の全てを『草薙』の剣は捉え、黒い斬撃が容易く人形を斬り散らしていく。傀儡では敵し得ない神速の舞踏。その黒い嵐に一条、桃色の光が差し込み───
「くっ……」
それが照射された足下に、瞳の自在式が浮かび上がった。桃色の眼は一瞬にして極限まで光量を増し、一帯を吹き飛ばす程の大爆発を巻き起こす。
「(態度の割に、器用な人だな)」
その炎を『グランマティカ』で、爆圧を竜尾で退けて、黒い球に包まれた悠二が山なりに空高く飛ばされた。
「喰らえ」
更なる追撃が来るより先に、悠二の掌が男に向けられた。溢れた炎が銀の大蛇となり、特有の曲線を描いて眼下の男へと伸びる。
が、その動きが不自然に止まる。軋むように大蛇の全身が震え、直後に銀炎が菫に塗り変わった。
「げ……」
制御を奪われた大蛇が反転、術者へと襲い掛かる。悠二は何とか蛇鱗を構築するが、咄嗟に張ったそれは単なる障壁でしかなかった。
菫色の大蛇が障壁を突き破り、弾けた業火が今度こそ悠二を捉えた。
「流石に……甘くないか!」
身を焙る高熱の菫が芯まで届く前に、悠二は全身から爆火を生んで炎を押し返す。
二対一とはいえ、まるでペースを握らせてくれない敵を悠二は見据える。
強い。このまま続けても勝てない……“事はないが”、長引きそうだ。消耗を恐れて勝負を長引かせ、結果的により多くの力を浪費するのも馬鹿馬鹿しい。
となれば……
「終わらせるか」
星の無い陽炎の天空を───銀蛇の鱗が覆い尽くした。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
光の刃を両翼と広げる巨大な鏃が、極光を棚引いて旋回する。幾度となく繰り返される、迫り来る極光の刃を、
「ふんが!」
平井は、魔剣で受け止め……切れずに、いちいち撥ね飛ばされていた。渾身の斬撃で迎え撃ったりもしたが、結果は同じ。わざわざ正面から挑まなければと思わないではないのだが、背中を追い掛けても追いつけない。側面を狙っても当たらない。
パワーもスピードも、あちらが上という事だ。
「ちょっとショック……飛行速度なら負けた事なかったんだけど、世界は広いね」
突進しては弾き飛ばし、弾き飛ばした隙を突いてまた突進する。この嫌な構図を断ち切るべく、平井は左拳を腰溜めに引いて、迫り来る少女に突き出した。
その拳撃の先から血色に燃える特大の炎弾が放たれて、
「『グリペンの咆』!」
少女の両翼の光が極限まで圧縮され、
「『ドラケンの哮』!」
二条の流星として放たれた。奔る極光は血色の火球を一瞬で突き破り、
「ひゃっ!?」
咄嗟に逃げた平井の、さっきまでいた空間を走り抜けた。その速度と圧力に、平井の顔が見事に引き攣る。
だが、驚いている暇など無い。流星の後を追って、少女自身を乗せた鏃が飛んで来る。
「ふぎ……!」
騎馬に蹴り飛ばされる歩兵のように、またも蹴散らされる平井。剣もダメ炎弾もダメでは、もはや平井には打つ手が無い。残念ながら、悠二のように器用ではないのだ。
「結局、こうなっちゃうか」
まともに戦っても勝てない。屈辱と共にそれを悟って、平井は大剣を横一文字に構える。
その刀身に血色の波紋が浮かび上がり、
「あたしの奥の手、見せたげる」
その両脚を───銀の蛇鱗が覆った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
瓦礫の鞭が、縦横無尽に暴れ回る。ほんの少し前までなら躱す事など到底不可能だった破壊の嵐を、
「(あいつ知ってる。悠二の記憶で見た、“儀装の駆り手”)」
シャナは、“空を飛ぶ事で”何とか逃げ回っていた。上下左右正面背後、全てが自由な空ならば、巨大な瓦礫の鞭が相手でも辛うじて逃げ道を見つけられる。紅蓮の羽衣を引いて舞う優美な姿は、赤い天女を思わせた。
「(とんでもない破壊力……だけど、たぶん私の方が速い)」
カムシンは重厚な動きを広大な攻撃範囲で補っている。事実、自分の方が速いと分析するシャナも逃げるのに必死であり、別に破壊を目的としている訳でもないのに辺りは巻き添えを受けて廃墟と化している。
だが───それは敵の間合いで戦っているからこその話だ。
「(──斬る──)」
鞭の間隙を縫って、シャナが一気に加速する。的を絞らせぬよう稲妻状の軌道を描いて接近してくる少女を、瓦礫の巨人が鞭を持たぬ左拳で狙い……空転した。二撃三撃と連なる打撃を全て掻い潜り、シャナは大太刀を『儀装』の背中に突き立てた。
「(硬い……けど!)」
突き刺した刃は瓦礫に埋まるも……それは切っ先だけ。『儀装の駆り手』の存在の力に統御された巨人の強度は並ではない。
故にシャナは、突き刺した切っ先から爆発を起こした。
紅蓮が爆ぜ、普通ならばシャナ自身をも炙るだろう熱気が広がり、そして……
「くっ……!」
瓦礫の背中は大きく剔られた、だけ。中のカムシンには届いていない。逆に背中から炎が噴出し、視界を妨げられる事を嫌ってシャナは離れた。
しかし、大きくは離れない。膂力があろうと速さが伴おうと、巨体では小回りが利かない。常に腕より短い距離を飛び回り、死角から何度も斬り付けるも、通らない。今度は刃先も入らない。
「(硬度が、上がってる)」
さっきの一撃を警戒されたのかと訝しむシャナ……だが、死角を取られ続けて単に防御を固めるほどカムシンは受け身ではない。
「『ラーの礫』」
敵が近すぎて役に立たなかった瓦礫の鞭。それを構成する岩塊の全てが、褐色の火を噴いて飛散した。
隕石じみた燃える弾岩の向かう先は、カムシンを内に取り込む瓦礫の巨人。───シャナが至近に張り付いた、『儀装』の鎧。
「(マズい!)」
咄嗟にシャナは巨人から離れた。瓦礫の着弾が凄まじい轟音を響かせ、破裂した岩の欠片がシャナの額を裂く。
顔を濡らす鮮血を拭いもせず、眼下の敵を左の灼眼が睨み……
「ッアアアアアアーーー!!!」
振り抜いた切っ先から、特大の炎弾が迸った。一拍遅れて、
「『アテンの拳』」
『ラーの礫』を自らに受けて小揺るぎもしない巨人の右手、その肘から先が褐色の火を噴いて放たれた。
炎弾と拳が正面から激突、紅蓮の炎が膨れ上がり───その爆炎を、『アテンの拳』が突き抜ける。
「──────」
必殺のつもりで放った炎弾の直後、回避も迎撃もままならない。反射的に避けたくなる本能を抑え込んだシャナは、自ら飛翔を解除する。落下と共に大太刀を縦に構えて、
「ッッ!!!」
下半身のみを下方に逃がし、上半身は刀で受け流し、縦に高速回転しながら吹き飛ばされた。
途轍もない衝撃に軋む身体、揺れる意識の中で歯を食い縛り、ただ身体に存在の力を巡らせる事だけに意識を集中させ……
「ぷあ!?」
運良く、真南川に墜落した。
「………………」
冬を控える冷たい水の中、少女は大太刀の柄を一層 強く握り締める。
恐怖は無い。諦観も無い。ただ、悔しさだけがあった。
「(私の炎が、突き破られた……)」
死闘という名の鍛錬の中で、『炎弾』と『飛翔』を習得した。
紅蓮の炎を己が身から生み出した時の気持ちは、今でも胸に焼きついている。
悠二が、平井が、メリヒムが褒めてくれた。こんなに早く覚えるとは思わなかったと。
「(でも、押し負けた)」
同じ紅蓮の炎でも、この炎は天罰神の炎ではない。だから……負けたのだろうか。
「(でも、私しかいない)」
アラストールは、もういない。『炎髪灼眼の討ち手』は、もういない。だから負けても仕方ない……“訳が無い”。
「(違う、“私がいる”)」
天罰神がいなくとも、炎髪灼眼がいなくとも、その炎を背負った器は残っている。
ヴィルヘルミナが見つけ、アラストールが認め、メリヒムが鍛え、悠二が受け入れた、一人の少女が。
「(私が戦う。私が勝つ。この世に唯一残った、この紅蓮の炎を背負って)」
紅蓮の輝きを増す少女の灼眼に……
「? ………あれは」
───水面を埋め尽くす程の、燦然と輝く銀が映った。