黒い斬撃が、激しい嵐となって絶え間なく襲って来る。その一つ一つが常識外れに重い剛撃。太刀筋が見えていても、下手に受ければ防御ごと潰されかねない。
「(凄い! これが……)」
剣技そのものが向上した訳ではない。だが剣速が段違いに上がったせいで、隙を見つけても迂闊に攻められない。
「(これが、外れた世界の戦い!)」
眼前の少年・坂井悠二の手に握られているのは、一振りの直刀。彼の記憶に見た物とは異なる、蛇鱗に被われた銀の柄と、刃も峰も真っ黒な黒刀。その刀身には、複雑怪奇な銀の自在式が灯っていた。
彼が“創った”新たな武器であり、銘は『草薙』。能力自体は自在式による『強化』と『加速』を、存在の力を込めるだけで発動できるというシンプルなものだが、元々の怪力と相まって恐ろしい威力になっている。
明らかな劣勢に立たされて、
「(でも、見える!)」
それでも少女は、堪えきれないように笑っていた。目指し続けた戦場に立ち、その場所で通用する自分自身が堪らなく誇らしい。
「初めて会った時、シャナはいきなり襲い掛かって来たんだ」
上段から振り下ろされる刃を躱す。更に踏み込んで横薙ぎに払われる一撃から、バックステップで逃げて……すかさず伸びて来た竜尾に弾き飛ばされた。
「強い相手を宛がいたかったってメリヒムの悪巧みでさ。僕らにとっては迷惑な話だったけど、アイディアそのものは悪くなかったって、今ならそう思うよ」
宙を舞う小柄な身体を銀炎が捉え、しかしすり抜ける。『贄殿』のミステスとなった今のシャナは気配を持たず、そして自在法の干渉を受けないのだ。
「シャナ、君は強すぎたんだ。それこそ、並の王なら剣一本で倒せてしまう程に」
この現象に僅か目を見開いた悠二は、しかし大太刀の性質から今のシャナの体質を察して、即座に炎弾を遠隔操作、封絶で止まった虹野邸に着弾させた。
「今の君を見て確信した。自分と同等以上の相手と戦わないと、限界なんて超えられない」
爆砕された屋敷の破片、それら全てがジェット噴射のように銀炎を噴いてシャナへと飛んで行く。いくら自在法が効かなくても、形質強化された瓦礫までは防げない。
身動きが取れない中空で、自分の体躯など優に上回る弾岩に曝されて、
「はああああぁぁーーーっ!!」
シャナはそれらを、次から次に両断していく。タイミングのズレる着地のタイミングを狙われても、問題なく切り払う。
そんなシャナの至近に、
「───だから、僕が教える」
いつの間にか、悠二が踏み込んでいた。『草薙』の能力と『グランマティカ』の併用による、瞬間移動としか思えない神速で。
「ッ──────」
黒刃一閃、悠二の直刀がシャナを弾き飛ばす。間一髪 『贄殿』で刃を受けたシャナは、しかし止める事は適わず、地にも着かず空にも上がらず、一直線に飛ばされて敷地の壁をブチ破った。
「今の限界を超えなきゃ勝てない程の、力を」
もはや鍛錬の域など軽く超えている。なおも悠二は構えを解かず、黒刀の切っ先を巻き上がる粉塵へと向けた。
───直後、紅蓮が爆ぜる。額から流血したシャナが、足裏に爆発を起こした超速の弾丸となって飛んで来たのだ。とんでもない加速をつけて身体ごと叩きつける、シャナ渾身の一撃を、
「“よし”」
悠二はその場に踏み止まり、肉体と剣の力のみで受け止めた。噛み合う刃の向こうに、悠二とシャナは互いの顔を見る。
「私は誰よりも強くなる。『炎髪灼眼の討ち手』よりも強くなる……!」
「知ってるよ。だからこうして協力してるんだ」
交わす刃の下で、顔に血さえも流して、二人は楽しそうに笑っている。
この……壮絶なのに愉快な、傍から見ていると理解不能な“模擬戦もどき”を、
「……何あれ、ボコボコにやられて笑ってるわよ」
「悠二が本気で相手してくれてるのが嬉しいんですよ」
「理解不能。って言うか、あんたよくそんなの解るわね」
マージョリーと平井が、
「……ミステスになった事よりも、こちらの方が事件であります」
「破壊推奨」
「記憶を失ったならと思ったが……結局こうなるのか」
ヴィルヘルミナとメリヒムが、離れた所から眺めている。
シャナがミステスとなった事は主にヴィルヘルミナに凄まじい衝撃を与えはしたのだが、大して騒ぎにはならなかった。無論、シャナの異変に気付いたヴィルヘルミナは真っ先に悠二に詰め寄ったのだが、
『これはシャナが選んだ道だ。文句なら受け付けるけど、それは彼女の覚悟に対する侮辱だよ』
と、胸を張って告げられた上、
『うん』
シャナがそれを淀みなく肯定した事で、いとも簡単に黙らされてしまった。
そもそもシャナをフレイムヘイズにしようと育てていた手前、ヴィルヘルミナには娘の未来を案じる類の感情論は口にし辛い。
逆に、メリヒムはシャナが再び戦う事を予期していたのか、予想以上の壮絶な覚悟を聞いて悠二同様に大笑いしていた。
ただ、シャナが妙に……いや、明らかに悠二を信頼している様子が、実に奇妙に映っている。
……もっとも、別に奇妙になど感じていない者もいた。
「(う~ん、妬ける)」
触角をピンと伸ばした平井ゆかりが、率直に思う。
シャナが悠二を信頼しているのは、特異に過ぎる彼女の覚悟と生き様を受け止め、応えてくれたからだ。悠二がシャナをミステスにした、という事実だけで、平井はそれを確信できる。
そして悠二がシャナ相手に全く容赦しないのは、彼女の強さに絶対の信頼を置いているからだ。むしろ、今という状況で半端な課題を与える事を侮辱とすら考えている。
互いが互いを信頼しているからこそ、あの二人は刃を交えながら笑い合う事が出来るのだ。
「(あたしじゃ、あれは無理だよね)」
悠二にとって平井ゆかりという少女は、『守るべき存在』という側面が強い。あんな対応は、頼んだってしてはくれないだろう。それに……求められている強さもまるで違う。
実のところ、シャナは今のままでも十分強い。人間だった時から体術を磨き、存在の力の繰り方も学んできた。自在法への対応は完全なド素人だが、そもそも今のシャナには殆ど自在法が効かない。もしかしたら、今の時点で既に『炎髪灼眼のシャナ』よりも恐ろしい使い手かも知れない。
しかし悠二は、そこで満足しない。“最も強くなる可能性が高い人物”として、シャナを自ら鍛えている。
この期待値の違いが、平井は面白くない。相手が悪いと判ってはいても、こればかりは妥協したくない。……次の戦いだけは、なおさら。
「マージョリーさん! あたし達もあれ、やりましょう!」
「はぁ~……言うと思った。物好きの相手も楽じゃないわ」
「ん~なこと言いつつ付き合ってやるオメーも物好きだと思うけどなぁ、我が律儀なブッ!?」
やる気を炎に変えて物理的に燃える平井に、呆れながらマージョリーが『トーガ』を纏った。
───その時、
『っ!?』
封絶の中にいる全員が、不意の存在感に上空を見上げた。陽炎の壁、その天頂部を潜って、存在感の塊が降って来る。徒ではなく……フレイムヘイズだ。
「やっぱり来たか」
「敵!?」
「………………」
悠二の掌上に『グランマティカ』が浮かぶ、平井の大剣に波紋が揺れる、シャナの灼眼が輝きを増す。
対称的に、
「これは……」
「ほう」
「あれま、引っ張り出されちゃったわけね」
ヴィルヘルミナ、メリヒム、マージョリーの三人は臨戦態勢に入らない。マージョリーに至っては、纏ったばかりの『トーガ』を解除までしていた。
「久しぶり、そしてはじめましてですね」
穏和な顔で挨拶してくる、四十過ぎの修道女。悠二の知る限り初めての、愛想が良いフレイムヘイズである。
勿論、それだけで警戒を解く理由にはならないが、ヴィルヘルミナらの反応が気に掛かる。
「知り合いか?」
「『震威の結い手』ゾフィー・サバリッシュ。心配しなくても、私の十倍 人の話を聞く奴よ」
それは謙遜し過ぎなのでは、と最近のマージョリーのコーチっぷりを思い出す悠二。しかしまぁ、確かにこの面子に正面から挑むような化け物にも愚か者にも見えない。
「貴方が坂井悠二、そして貴女が平井ゆかりね。……話には聞いていたけど、本当に“虹の翼”まで」
人の良いおばさんそのものといった態度で、悠二を見て、平井を見て、メリヒムを見て……
「…………?」
そして、シャナを見て固まった。
「? 何?」
明らかに不自然な態度を訝しむシャナには答えず、ぎこちない動きでヴィルヘルミナに向き直る修道女……ゾフィー。
「どういう、事かしら?」
「……何から話すべきでありましょうな」
『肝っ玉母さん(ムッタークラージュ)』と呼ばれる彼女が混乱する様を見て、ヴィルヘルミナは諦めたように溜息を吐いた。
観念して語るヴィルヘルミナの言葉から、またゾフィーの言葉から、様々な真実が明らかになる。
ゾフィーが、かつてシャナに師事したフレイムヘイズである事。この非常事態に際して編成された『フレイムヘイズ兵団』の総司令官に推薦されてしまった事。シャナの消滅は知っていても、復活とミステス化は知らなかったという事。そして……ヴィルヘルミナがそれらの情報を外界宿(アウトロー)に話すつもりが無かった事。
「あんた……他のフレイムヘイズと協力する気なかったのか」
「“頂の座”の一件で、既に私は外界宿の信頼を失っているのであります。この上、ミステスを三人も連れて従軍など到底叶う筈もないでありましょう」
「想像力皆無」
「…………あぁ、そう」
事もなげに開き直るヴィルヘルミナ。その当たり前のように告げた言葉が、悠二は少し……いや、素直に認めて、かなり嬉しかった。
正直なところ、動向を把握した上で利用する事は考えていたが、まさか普通に共闘してくれるとは思ってもみなかった。何せ……悠二にはヘカテーを殺す気も殺させる気も無いのだから。
……いや、むしろ、だからこそ、彼女は他のフレイムヘイズの協力を最初から視野にすら入れなかったのではないだろうか。使命一筋に見えて、その実 情に厚い女性である事は知っていたが、まさかその情がヘカテーや自分たちに向けられるとは夢にも思っていなかった。それに、客観的に見て今の自分が物凄く胡散臭いという自覚もあった。
ぶっきらぼうに視線を逸らす悠二、小さく拍手する平井、咽を鳴らして笑うメリヒムとは真逆に、
「はぁ……まったく、貴女は」
「無謀にも程がありますぞ、『万条の仕手』、“夢幻の冠帯”」
ゾフィーは頭を抱えて嘆息した。そのベールに描かれた五芒星から声を出すのは、“払の雷剣”タケミカヅチだ。
「一緒に来なさい、ヴィルヘルミナ・カルメル。これは既に、貴女達だけの戦いではないのですよ」
「なに、悪いようにはしない。話を聞くだけでも、足を運ぶ価値はある。いかがかな?」
早く……本当に早く動き続ける事態に、シャナは知らず下唇を噛んだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「それで、カルメルさんは外界宿の総本部に行ったのか?」
「正確には、潰された東京総本部の近くの第二支部らしいけどな」
明くる土曜日の昼食時。虹野邸の食卓に、佐藤啓作の姿があった。今の実戦訓練は見物だけでも危険が伴うので、彼は今、封絶内への侵入を禁じられている。殆ど一日中戦い続けている事もあって、こういうタイミングにしか顔を出せないのだ。
「あー……シャナちゃんがまたフレイムヘイズになるんなら、絶対その瞬間を見届けようと思ってたのになぁ」
「……見て解るもんでもないと思うけど」
なお、池はいない。シャナの復活を経て持ち直した田中と一緒に、訳も解らず心配させてしまっている友人のフォローを務めてくれている。池は能力ゆえに、田中は代わりがいないゆえに、である。
「また馬鹿な事を……。言っとくけど、万が一契約できたって こんなタイミングで契約したフレイムヘイズなんてロクな死に方しないわよ」
何やら不穏な流れになりそうな会話を、マージョリーが強引に打ち切る。
実のところ───今こそが“佐藤がフレイムヘイズに成り得る千載一遇のチャンス”なのである。
『仮装舞踏会』の連続襲撃事件で多くのフレイムヘイズが命を落とした。しかし……契約した王は死なない。器を破壊された王は紅世に帰り、新たな契約者を探す。
つまり、“事の深刻さを痛感した王が”、“手遅れになる前に再契約しようとしている”。それが、大戦を目前に控えた今の状況なのだ。契約さえ出来るなら、動機にも才能にも頓着しない……そう考えている者は、きっと少なくない筈だ。事実、数百年前の大戦でも『ゾフィーの子供たち』と呼ばれる即席のフレイムヘイズが乱造された。
少年の無邪気な憧れが“使い捨て”という極めて非情な現実に肯定されかねない今の状況に、マージョリー顔を顰める。
「でも実際、手掛かり0でヘカテー見つけるのは厳しいよね。カルメルさんが上手くやってくれると良いんだけど」
幸いにも、すぐに話題は逸れた。サンドイッチを頬張りながら平井がぼやく。
「はむっ、悠二は元々、どうするつもりだったの?」
幸せそうに“五個目の”メロンパンを齧りつつ、あちこち包帯だらけのシャナが悠二を見た。普通なら痛ましい姿なのだろうが、表情だけは清々しいほど充実している。
「『仮装舞踏会(バルマスケ)』の本拠地の『星黎殿』は、『天道宮』と同じ『秘匿の聖室(クリュプタ)』に守られてるって聞いてる。たとえ大勢のフレイムヘイズの協力があっても、簡単に見つかるとは思えない」
ただただ闇雲に鍛錬を続ける、ある意味悠長とも思える対応を続けてきた悠二が、その心中を語り出した。
「だけど、『秘匿の聖室』で何もかも隠せるなら、そもそも外界宿を潰す必要だって無い筈だ。神の復活でも謎の計画でも、『秘匿の聖室』の中でコッソリやってしまえばいい。なのにここまであちこち外界宿を潰して回ったのは、それが出来ないからだ。……いや、色んな国の外界宿が落とされた事を考えると、神の復活には全世界規模の違和感が伴う可能性が高い」
悠二は敢えて、その違和感の発生する可能性を“神の復活”に限定した。大いなる企みのみに違和感が生じるなら、やはり外界宿を潰す意味は無いからだ。何せ、気付いた時にはもう手遅れなのだから。
おそらく、神の復活は誰にも隠せず、そこから計画を遂行するまでにも時間を要する、という事だろう。
「結局向こうのアクション待ちかぁ。焦れったいなぁ」
「無い物ねだりしても仕方ない。私たちは、戦いが始まる前に出来る事をすればいい」
平井が唸り、シャナが開き直る。ただ、悠二は少し違った。
「(“無い物”ねだり、か……)」
ほんの半日前までは二人と同じ意見だったのだが、昨夜のヴィルヘルミナの様子が少し引っ掛かっている。
ヴィルヘルミナは、後にも先にも他のフレイムヘイズと組む気が無かった。悠二でさえ、フレイムヘイズの軍団を『仮装舞踏会』に嗾ける、くらいの事は考えていたのに、である。
もしかしたら彼女は、何か『星黎殿』を見つける手段を持っているのではないだろうか。それも……少数精鋭でなければ都合が悪い類の。
「(いっそ、僕も行くべきだったかな。余計ややこしくなるかも知れないけど、何か嫌な予感がするし)」
動きにくくなる事を恐れての失踪を、悠二はヴィルヘルミナの秘策への期待で押さえ込む。