少女の朝は、格闘訓練から始まる。
「はっ!」
育ての親の一人たる銀髪の青年との勝負。以前は不意打ちが当たり前、四六時中いつ襲って来るか判らない骸骨を警戒していたシャナにとって、この程度は全く苦にはならない。……ただし、相変わらず勝てもしないが。
「(シロは、どう思ってるんだろ)」
以前の……フレイムヘイズになる前からの習慣だ。今さら不満など無い……いや、何もかも変わってしまった現在に於いて、変わらず続くものがある事には僅かな安堵すら覚える。だが……それはあくまで自分にとっての話でしかない事もシャナには解っていた。
「(私はもう、『炎髪灼眼』にはなれない)」
元々この鍛錬は、『炎髪灼眼の討ち手』となる人間を鍛える為に行われていたものだ。アラストールが死んだ今、メリヒムがどういうつもりで稽古相手を勤めてくれているのか、シャナには察する事が出来ないし、訊けない。
「(悠二達の、ついでなのかな)」
殆ど初めて、少女は自分の進むべき道を見失っていた。これまではずっと、『炎髪灼眼の討ち手』となるべく己を磨いてきた。疑う事はあっても、決して立ち止まる事は無かった。納得出来なければ選べない、とは考えたが、拒んだ場合に進む道を考えた事は無かった。……正確には、他の道を知らなかった。
何より、主観では、迷いを払って覚悟を決めてアラストールと契約した瞬間の出来事なのだ。情けない話だが、今は喪失感ばかりが胸中を占めている。
「ぼーっとするな」
「うあっ!」
そんな集中力の不足を見抜かれ、メリヒムの竹刀がシャナの脳天を打つ。全く同時、
「見切ったぁ-!」
バチィイン!! と派手な音が響いた。見れば、平井ゆかりが竹刀を逆袈裟に振り切った姿で一時停止している。僅かに遅れて、宙を舞っていた坂井悠二がグシャリと地面に落ちた。
「ふっふっふっ、思い知ったか。『吸血鬼(ブルートザオガー)』使えば勝率は更に上がるゼ」
「……言っとくけど、僕だってまだ『莫夜凱』使ってないからね」
鞘も無いのに竹刀を腰に納める仕草をする平井に、悠二が倒れたまま負け惜しみを言っている。そのやり取りが何だかんだ楽しそうで、見ていたシャナもクスリと笑う。その険の無い笑顔に少し驚きつつ、悠二は仰向けに空を見上げたまま腕を組む。
「(契約前のシャナどころか、ゆかりにまで勝てなくなってきた)」
実際、人間にもこういう事は普通にあるのだ。中学三年間部活に打ち込んできた者が、高校から始めたばかりの運動神経抜群の者にあっさりレギュラーの座を奪われるような、理不尽なまでのセンスの差。自在法なら悠二の方が得意なのだが、この先の事を考えると『接近戦に持ち込まれたら負ける』などという“必敗パターン”があっては話にならない。
「体術、苦手なの?」
悩む……というより頭を捻る悠二の頭上にして眼前に、シャナが躊躇いもなく顔を出す。長い黒髪が、目の前で揺れている。
「(多分、これが素なんだろうな)」
今のシャナは、悠二や平井に対して殆ど隔意を感じさせない。何度も一緒に戦ってきた事。メリヒムの存在を繋ぎ止めている事。シャナを復元させた事。それらをヴィルヘルミナから、シャナならば判る程度には好意的に語られた、というのも大きいのだろうが、悠二は何となく思う。
フレイムヘイズだった時から、根は素直な良い子だった。あの自他に厳しく少し高圧的な態度は、おそらく討ち手になってから意識的に身に付けたものだったのだろう。
誰より強く、誰にも縋らず、余分は排して使命にのみ生きる。そう己を戒め続けて来た結果が、あの姿だったのではないだろうか。
「短所は長所で補うさ。実はアイディアも無い訳じゃないんだ」
「どんなの?」
「今は内緒。夜になったら試してみるから、その時にね」
出会いが違っていれば もう少しマシな関係になれるのでは、と思っていた時期を思い出して、悠二は小さく苦笑する。
そんな悠二を見て、シャナは不思議そうに首を傾げた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「いい匂いがする」
「ほらシャナちゃん、動かないの」
風呂上がりの濡れた黒髪に、坂井千草がドライヤーで風を送る。『天道宮』では『清めの炎』で済ませていた行為だが、温かな湯で汚れを流す感覚は気持ち良く、身体に残る石鹸やシャンプーの匂いも悪くない。フレイムヘイズだった時に経験した感嘆を、シャナは今また新鮮な気持ちで抱いていた。
「相変わらず見事だな。有り難い限りだ」
「そりゃどうも」
坂井千草は、いつもと変わらない。
ヘカテーが消えた あの日から、学校にも行かず部屋に籠もっていた悠二に対しても何も言わなかった。こうしていきなり“見知らぬ美少女”を連れて来ても、何も訊かずに誇り高い母としてそこにある。ヘカテーがいなくなった、只その事実を伝えられただけで。
「(……本当、有り難い)」
メリヒムの率直な感想を、心の中だけで悠二もなぞる。悠二らの抱える非常識な事情など欠片も知らない筈なのに、間違いなく坂井千草は坂井悠二の理解者だった。
一方で、シャナは少し戸惑う。
「………………」
千草に乾かしてもらった髪を平井にツーサイドアップにされつつ、テーブルの上の朝食を見つめる。
「(温かい)」
今ここにあるものを在るがままに感じて、しかしそこに自分という異物がある事を素直に受け入れられない。
人間を捨ててフレイムヘイズになり、フレイムヘイズを失って人間として甦った自分が、何故ここにいて、何をしたいのか。そんな自問が頭から離れない。
「………………」
手を合わせて、いただきますを言って、ヴィルヘルミナの用意する物よりも美味しいご飯を食べる。
自分の知らなかった、それでも確かに人としての暮らしは、朝食だけに止まらない。
「よしっ、次はあっちのお店 行ってみよ!」
平井ゆかりに引っ張り回され、何とも動きにくそうな物も含めた様々な服を着せられ、
「メロン果汁入りのメロンパンは邪道、だったっけ?」
「うん、邪道」
午後を回ると、“本物のメロンパン”なる物を御馳走されて新たな境地に至り、
「今、入ったのに……」
「そっちのラインはダブルス用。シングルスの範囲はこっちの線までなの」
午後になったらテニスなるスポーツを実践。不慣れゆえの連敗を喫し、悔しいからと勝つまで続けていたら、あっという間に日が暮れ始めていた。
「(一日がこんなに早く終わるの、初めて)」
そして今、生涯三度目の夕焼けの美しさを目に焼き付けながら、シャナは真南川の河川敷をスキップしている。その後ろを、悠二が薄く苦笑しながら続いていた。
平井は、いない。“悠二とシャナは遅くなる”という旨を千草に伝える為に、一足先に坂井家に帰ったのだ。
「どうだった? 今日」
「楽しかった」
目を細めて訊ねる悠二に、花が咲くような笑顔を見せてシャナは答える。無邪気に今を謳歌する人間の少女の姿を見て、悠二は僅かに躊躇する。躊躇して……すぐに、その侮辱に近い感慨を振り払う。
「こんなもんじゃないよ。人間にはもっともっと楽しい事があるし、嬉しい事も、寂しい事も、虚しい事も、沢山ある」
たかだか十六年生きてきただけの坂井悠二は、自分の見知に余る人間の可能性の大きさを、それでも少女に伝える。
明らかに空気が変わったと気付いたシャナが、真剣な顔で振り返った。
「シャナは、フレイムヘイズになる為に育てられた。“天壌の劫火”も、『万条の仕手』も、“夢幻の冠帯”も、君が別の道に惹かれないよう、一つの道のみを示した」
今さらの確認、とっくに判っていた事実を突き付けられて、シャナは固く頷く。仲間だろうと恩人だろうと、アラストールやヴィルヘルミナの事をとやかく言われたくない。
「僕は、そういうやり方はしない。あの人達みたいに確実にシャナをフレイムヘイズにしたい訳でもないし、選ぶなら全部を知った上で選ぶ方が正しいと思うから」
だが悠二は、同情も義憤もしてはいなかった。他の相手ならともかく、シャナには、しない。
「だから“こっち”も、見せたいと思う」
スッと伸ばした指先に、蛍火のような淡い銀炎が点った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
夕日の差し込む虹野邸の一室に、種々雑多な書類が堆く積まれている。それら全てが外界宿(アウトロー)から送られてきた郵便物である……が、その殆どが役に立たない情報や苦情、そして応じる気も無い出頭要請。
その全てに一応 目を通したヴィルヘルミナ・カルメルは、薄い溜め息と共に眉根を微かに寄せた。御崎市で起きた出来事を告げる為にカムシンが旅立った筈なのに未だにこれとは、呆れるほど出足が鈍い。
「不意の強襲でどこもかしこも混乱状態。“天壌の劫火”を討つ前に、打てる手は打っていたという事でありますな」
数少ない例外は、『輝爍の撒き手』レベッカ・リードからの手紙。殆どの者が正体すら掴めず、ヴィルヘルミナでさえ『革正団(レボルシオン)』の仕業と考えていた外界宿襲撃の実態に、彼女だけは疑念を持っていた。その真実が『革正団』の犯行に隠れた『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の仕業だと掴んだ……が、一歩 遅かった。
数の優位も完璧な布陣も問答無用で焼き尽くす最強の魔神、おそらくベルペオルが唯一 恐れていた“天壌の劫火”アラストールは、もういない。
「いつまで そんな紙の山と睨み合っている。どうせ数では勝負にならんぞ。あの大戦の時点で奴らは相当な兵力を備えていた。逆にフレイムヘイズは、封絶の普及で“生産率”が落ちたんだろう?」
そんなヴィルヘルミナを横目に眺めて、長椅子に寝転がったメリヒムが興味なさそうに口を挟む。危機感の欠片も無い無責任な発言だが、内容そのものは的外れでもない。
「そんな事より、シャナを坂井悠二に預けたままで良いのか? あいつはフレイムヘイズの味方って訳でもないだろう」
「………………」
『そんな事』呼ばわりは敢えて流して、ヴィルヘルミナは返す言葉を模索する。シャナは、可愛い娘だ。こんな情勢下であっても、最優先したくなるほどに。
「……あの子にどう接すれば良いのか、判らなくなったのであります」
「大義喪失」
だが、ヴィルヘルミナはその愛情以上に、先に逝った戦友との誓いを果たす為にシャナと接していた。
即ち、天罰神と契約するに相応しい完全無欠のフレイムヘイズとする為に。しかし……肝心要のアラストールが死んだ今、そんな手前勝手な信念を少女に押し付ける意味は無い。さりとて今更どんな態度を取れば良いかも判らず、苦し紛れに書類と向き合っている。
つまり、彼女をそう育てた親の一人として、使命に忠実なフレイムヘイズとしての姿を見せんと努めているのだった。
「良いも悪いもあるか。好きに接すればいいだろう。相変わらず不器用な奴だ」
まるで他人事のように馬鹿にしてくる嫌な奴に、ムッとなったヴィルヘルミナは身体ごと振り返る。
「そういう貴方は、どうなのでありますか」
メリヒムとて、ヴィルヘルミナと立場は変わらない。『炎髪灼眼』の後継者を可能な限り鍛える事こそがメリヒムの誓い。よもや“可能ではなくなったから”と容易く放り出せる訳が無い……という確信に反して、
「そうだな……『俺はもう、新しい時を生きている』、とでも返せば良いのか?」
嫌味たらしく、メリヒムは言い切った。無表情が常のヴィルヘルミナの両目が、見て判る程に見開かれる。
信じられない。どこまでも一直線に彼女を……マティルダ・サントメールを想い続け、その誓いを果たす為だけに生き延びてきたと断言した男とは思えない。
この変化を、ヴィルヘルミナは知らない。他でもない、その誓いの果ての戦いを見ていない彼女には解る筈もなかった。当のシャナも記憶を失ってしまったが、メリヒムの胸には確かに残っている。
「それに……今はあいつに任せてみるのも面白いと思ってな」
呆気に取られるヴィルヘルミナに、メリヒムは一方的に続ける。
「今のシャナは、使命も期待も持たない真っ白な状態だ。家族、徒、フレイムヘイズ……俺達の言葉は余計な偏りに繋がりかねないが、あいつらは違う」
口の端を薄く歪めて、メリヒムはヴィルヘルミナに笑い掛ける。
その姿は、娘の行く末に思いを馳せる父親そのものだった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
額に点った火が、消える。それに僅か遅れて、シャナは閉じていた眼を開いた。もうすっかり夜になっている。いつの間にか肩に掛けられていた茶色のジャケットが、夜の外気を遮ってくれていた。
「どうだった?」
こちらもいつの間にか薄着になっている坂井悠二が、真剣な顔で訊いてくる。
『シャナの記憶は戻せない。だけど、僕の記憶を映像として見せるのは簡単なんだ。“弔詞の詠み手”の過去を視た時の逆ってだけだからね』
とは、彼の弁。
口頭では伝えきれない映像や細かい会話まで、失った過去の一部を鮮明に見せつけられたシャナは、
「……うん」
何だか気恥ずかしくなって、曖昧に答えて顔を背けた。
目指し続けた『炎髪灼眼の討ち手』の姿には、僅かな安堵と強烈な喪失感を覚えた……のだが、それは戦闘中の限定的な場面の話。数年の旅による変化なのか、それとも坂井悠二の視点で見たせいなのか……些細な事で悠二に突っ掛かる『炎髪灼眼の討ち手』の姿は、今のシャナから見ても非常に子供っぽい。
……というより、悠二の視点から見たシャナにも、なぜ“彼女”がああも悠二を目の敵にしていたのか理解できない。自分の態度というのは、存外に読み取り辛いものだったらしい。
しかし、“悠二から見てどんな風に見えていたか”は、余す所なく伝わった。
「コホン」
わざとらしく咳払いして、自分の過去ばかりが気になってしまう頭を切り替える。切り替えて、真っ直ぐに悠二を見つめる。
「どうして私に、これを見せようと思ったの?」
全部を知った上で選ぶ事が正しい。その考えはさっき訊いたが、「なぜ自分にここまでするのか」という気持ちが拭えない。……もう、アラストールはいないのに。
「僕は、さ」
そんなシャナの“弱気”までも正確に読み取って、悠二は真南川へと視線を移し、シャナも倣う。やってみると、なるほど、向かい合うより話しやすい感じがした。
「シャナの生き方に、憧れてた」
「っ」
澄んだ声で言われて、心臓がドキリと跳ねる。軽い響きなど欠片も無い本音に、思わず横顔を盗み見ると……眩しいものを見るように目を細めていた。
「この世の真実を知っても、『万条の仕手』達に求められても、自分の意思だけで生き方を決める君の姿が、僕には眩しかったんだ」
どこまでも真剣で、どこまでも隠さない。慣れない賛辞に顔を赤くしてしまう自分の方が、不謹慎だと思える程に。
「だから、気付いてた。たとえ人間を取り戻しても、“天壌の劫火”を失っても、“それでも君は、何度だってこの道を選ぶ”って」
───いつかの言葉が、
『私は、それでも、自分で選ぶの、この道を』
別の口から、紡がれる。
より開けた世界で、より先の見えない、今という時に。
「(この人は、私を……)」
理解して、くれている。或いは、ヴィルヘルミナやメリヒム以上に。その事が、何故か仄かな熱さを生んだ。今まで感じていた温かさとは違う、内側から勝手に身体を衝き動かしてくるような、初めての熱さを。
「だから、見せたいと思ったんだ」
「っ!?」
いつしか釘付けになっていた横顔がこちらを向いた事で、シャナは慌てて川を向いた。見つめていた、という何でもない事実を、何故だか知られたくなかった。
「これからも君が守る世界を、ほんの一部だけでも」
それだけ言って、悠二は黙って星空を見上げた。次の言葉が来ない事を訝しむシャナは、たっぷり十秒ほど経った後に、さっきまでの言葉が自分の質問に対する答えである事を、まったく今さら思い出した。
何か返さなければと必要以上に慌てて、柄にも無く悠二の顔色を窺って……落ち着いたままの少年の姿に引かれるように平静を取り戻す。
「私は……本当は、ずっと疑って来たの。世界のバランスの為に紅世の徒を討つっていう、フレイムヘイズの大義を」
落ち着きを取り戻して、熱さはそのまま、彼の本音に、自分も本音で応える。
「“あの時”、初めて紅世の徒を見て、その違和感を肌に感じて、『あれはこの世を歪める存在だ』って確信した。その瞬間に迷いは消えた……筈だった」
あの時の本音と、そして……今の本音を。
「だけど今、貴方の記憶を見て、また判らなくなった。紅世の徒にも色んな奴がいて、色んな想いを抱えて生きてる」
確かに感じた、偽らざる本音。だが、その最後には必ず“それでも”が付く。
「それでも私は、この道を選ぶ。アラストールがいなくても、色んな徒がいても、世界のバランスを守るフレイムヘイズの使命は、間違っていないと思うから」
「っ……く」
フレイムヘイズを失った人間の少女。その変わらず誇り高い宣言に、悠二は笑声すらも忘れた。やはり、シャナはこうでなければと。
「………………」
シャナもまた、言葉にする事で確かな形となった己が信念を自覚して、抑えようもなく笑っていた。
「悠二」
「うん」
複雑怪奇な火線が河川敷に広がり、銀炎の踊る封絶が世界から二人を隔絶する。のみならず、悠二が変貌を遂げていた。緋色の凱甲と衣を鎧い、後頭から竜尾を伸ばした異形異装へと。
「礼装って訳じゃないけど、フレイムヘイズの門出にあの格好はないかなって」
訊いてもいない理由を話して、悠二は鼻の頭を掻く。
封絶が普及して以降、徒に大切なモノを奪われた事に“憎しみを抱く事が出来る者”さえ激減した。近代のフレイムヘイズは、フレイムヘイズや外界宿と関わりを持った人間が適正を高め、自発的に王と契約してフレイムヘイズとなるのだ。シャナならば、復讐心など無くとも その意志一つで王を喚べるだろう。
しかし……
「悠二、私の大太刀、持ってる?」
シャナは、悠二の予期せぬ事を言い出した。元々シャナの物なのだからと、悠二は深く考えもせず大太刀を出す。
銀の炎が揺らめいて、一振りの刃が地に突き刺さった。
どこまでも優美な反りを持つ、細くも分厚い刀身。切っ先は刃の広い大帽子。どんな材料を使ったのか、刀身の皮鉄と刃の刃鉄は刃紋も見えない程に溶け合う銀色。刃渡りに比して異常に短い柄。一個の芸術品とすら映る神通無比の大太刀、『贄殿遮那』。
討ち手となってからずっと一緒に戦ってきた戦友を、シャナは手に……取らない。
「シャナ?」
「貴方は……私がフレイムヘイズじゃなくなっても、無力な人間になっても、私の意思を理解してくれた」
強く、穏やかに、シャナは頰笑む。
「おかげで、気付いた。私が私の道を進むのに、“フレイムヘイズである必要なんて無い”って。必要なのは私の意思と、それを実現できる力」
ゾクリと、悠二の背筋を寒気が撫でる。この少女は……
「自分が何物かなんて関係ない。ただ、やる。絶対にやる」
悠二の憧れに、見事に応えただけではない。それを容易く、越えてきた。
「それに、貴方の記憶を見て思ったの。アラストール以外で私と一体になって戦うとしたら、お前しかいないって」
言葉の最初は悠二に、終わりは……『贄殿遮那』に向けられていた。
そう、彼女はこう言っている。フレイムヘイズではなく、“ミステスになる”と。
「解ってない……訳ないよな。ミステスはフレイムヘイズとは違う。僕みたいな例外を除けば、失った力は回復しないんだぞ」
「解ってる。でも、構わない」
『零時迷子』の無いミステスは、徒と大して変わらない。フレイムヘイズのように力は回復せず、人を喰わねば存在を保てない。普通なら自殺としか思えない選択を、それでも少女は不敵に笑って選ぶ。
「どうせ死ぬまで戦い続ける運命なら、討滅した徒を喰らって戦い続けるだけよ」
「っ……!」
フレイムヘイズすら生温いと思える凄絶な選択に、悠二は今度こそ絶句した。……『仮装舞踏会』は、標的を誤ったのではないだろうか、この少女こそ、天罰神すら凌駕する怪物なのではないだろうか。そんな風にさえ思えてしまう。
「く……くくっ、ははは……! 君は本当に、まったく、ははは!!」
圧倒されて、痛快に笑って、だからこそ躊躇など微塵もなく、悠二は大太刀を引き抜いた。
「誰でもない君の選択だ。責任を取るなんて言わない。だけど、君が燃え尽きそうになったら、必ず僕が繋いでみせる」
「うん!」
もはや、言葉は要らない。腰溜めに構えた悠二の大太刀が、僅かな迷いすら見せずに少女の身体を貫いた。
「(燃える……私の全てが、過去に未来に広がり続けていた、私の運命が)」
膨大な炎が巨大な柱となって天を衝く。少女を失った世界の穴に、それに見合うだけの力が流れ込み、埋めていく。
「(私は、刀)」
胸を貫く凶悪な刃が、己と溶け合う感覚があった。
「(折れず、曲がらず、道阻むモノを斬り裂く、一振りの大太刀)」
かつて、己が存在全てを 懸けて この大太刀を打った刀匠がいた。
かつて、己が使い手を求めて世界を彷徨った鎧武者がいた。
その残留思念のような炎の鼓動に、少女は応える。
「一緒に行こう、お前も」
剣と一体になって戦う。或いは剣士の究極型とも呼べる解によって、彼らの剣の主となる。
「っああああああぁぁーーー!!」
咆哮と共に、火柱が爆ぜる。風のように たゆたう炎を払って、一人の少女が姿を見せる。
その身は黒衣を纏わない。その髪は紅蓮に煌めかない。その双眸の左にだけ、幾度となく炎を注がれてきた名残を受けて、灼眼が光っていた。
「ようこそ、誇り高く偉大な、何者でもない女の子」
冗談めかして、悠二が笑う。“こんな事”、彼女の覚悟の前では笑い話にしかならない。
だから少女もまた、冗談めかして笑う。
「強者よ」
かつて剣を元に名を貰った少女は、今また剣と共に歩み始めた。剣そのものとなった少女は、その名を世界に轟かせる。
その銘───『贄殿』のシャナ。