『大地の四神』。
古来より長きに渡って南北アメリカを守護してきた四人の強大なネイティブ・アメリカンのフレイムヘイズである。
しかし十九世紀後半、白人による大陸侵略に対して決起した四神は、それを止めようとしたフレイムヘイズとの間に『内乱』を勃発させた。外れた存在が表舞台に介入しようとする愚行を止めようとする者、逆に四神に呼応して力を貸す者。十数年にも渡る名前を付ける事さえ憚られる闘争は、最終的には四神が矛を納める形で幕を引いた。
フレイムヘイズの混乱に乗じた徒の放埒が、もはや看過できない域にまで達したからである。つまりは妥協と懊悩の末の決断であり、考えを改めた訳では無い。同胞の犠牲の上に発展を続ける世界を守る意欲を失くした彼らは、とある調律師の進言を受け、『外界宿(アウトロー)から動かない』という鉄の掟を自らに課した。
のだが───
「“伊達とはいえ”神を名乗るだけはある。思った以上に楽しめたぞ」
その四神の管理する外界宿の一つが今、見るも無惨に壊滅していた。遥か彼方から円形に広がる魔物の軍勢……は、“何もしていない”。ニューヨークの街並みを更地に変えたのは一人の神の眷属……“千変”シュドナイと、
「……この尋常ならざる悪霊の数、厄災が始まるのか。神の眷属」
唇を最低限震わすように喋る、岩の如く頑健な男……『星河の喚び手』イーストエッジの二人である。彼こそが、『大地の四神』に名を連ねる討ち手の一人なのだった。
しかし……その額からは鮮血が滴り、右腕は千切れ落ち、削ぎ落とされた脇腹からは肋骨が覗いている。外界宿とその周辺にいた彼以外のフレイムヘイズに至っては、とっくに絶命してしまっていた。
「昔も今も、厄災なぞ起こす気は無いんだがな。まぁ理解して貰う必要もない」
大地の四神、と名乗ってはいるものの、彼らは“祭礼の蛇”や“天壌の劫火”のような紅世真正の神とは何の関係も無い。
彼らは天賦の才を厳しい修行で磨き上げた古代の神官であり、彼らと契約した王を“御憑神”と称えているが故にそう呼ばれているに過ぎない。だが、神ではなくとも その実力は本物。世界中のフレイムヘイズの中でも間違いなく最強クラスの使い手である。
そんな彼でさえ、“千変”シュドナイには届かない。
「雄々しい地の獣として」
「猛烈に駆け抜け、戦う」
イーストエッジが、彼と契約するケツァルコアトルが、唇を震わせて歌う。
「また我ら、この日に鳥として」
「生の艱難を前に、強く羽撃く」
その歌声に合わせて、炎に照らされた封絶内の光が凝縮、青磁色の光弾となって、美しい銀河を広げた。
「我ら住まう星の、いかに小さきかを」
「星々の世界より眺め、心に確かめる」
一定空間の光を凝縮して破壊の力へと変える自在法『夜の問い』。
「かくして我ら、星の大空で高らかに笑い」
「恋しい大地へと、再び馳せ下りて、立つ」
その圧倒的な青磁色の流星雨が、一斉にシュドナイへと殺到し、そして……
「ぬぅん!!」
突き上げられた剛槍、尖塔ほどに巨大で、数十にも及ぼうかという量の刺突が、濁った紫の炎を撒いて星空を撃ち落とした。
「星空を降らす自在法。なるほど、美しい」
これこそが自由自在に姿を変化させる“千変”シュドナイ。そして使い手に合わせて姿を変える剛槍『神鉄如意』の力。
「だが、ヘカテーの光には遠く及ばん」
肩から背中から、あり得ない大きさと量の腕を生やすシュドナイが、咥えていた煙草を吐き捨てる。同時に全身が様々な獣の特徴を備えたデーモンへと変貌し、
「武骨な炎ですまんな」
天空へ伸びた槍の全てが、途轍もない圧力と熱量を以て振り下ろされた。大地を揺らす程の衝撃に一拍遅れて、弾けた炎が、危うく彼方の味方まで巻き込みかねないほど膨れ上がる。溢れ返った紫に、青磁色の炎が吞まれて消えた。
───時を同じくして、
「う、うぅ……」
同じく四神たる『滄波の振り手』ウェストショアの外界宿もまた、壊滅の危機に瀕していた。こちらはまだ開戦したばかり、ウェストショア以外のフレイムヘイズも“今はまだ”生きている。
「一撃」
無数に聳えるは剣。燃え盛る炎は茜。何の前触れもなく瓦礫の上に現れたのは、外套を靡かせ硬い髪を逆立てた男。殺し屋……“壊刃”サブラク。
「そう、奴が俺の生存を知らぬままなら、初撃はこうして通るだろう。だが、その後はどうなる」
倒れた討ち手を見下ろしながら、常のようにサブラクはブツブツと訊いてもいない言葉を並べる。
「この炎……貴方は、『鞘持たぬ剣』」
「以前のように俺の特性を逆手に取る事など、奴にとって難しくもあるまい。弱点を無防備に晒したまま再戦に臨むほど、俺も酔狂ではない」
その瞳に悲嘆を浮かべる麗容な女……ウェストショアの言葉も、サブラクは聞いていない。彼の垂れ流す言葉は他者に向けるものではなく、どこまでも自分の所感を述べているだけなのだ。
「何より、この身体では逃げる敵を追うには向かん。秘密を知られた以上、殊更に隠す事で選択の幅を狭めるのは愚者のする事だ」
「……『波涛の先に踊る女』、どうやら説得は無意味である以上に危険なようです。速やかに屠りなさい」
サブラクの自在法『スティグマ』は、付けた傷を時と共に拡げる力。既にウェストショアを含めたフレイムヘイズ全員が初撃で傷を受けている。長期戦になれば勝ち目は無いと判断して、ウェストショアは全身から珊瑚色の炎を噴出させた。
立ち上る炎が近隣の海に伸び、珊瑚色に燃える海水が津波のように押し寄せて来た。水を操る自在法『セドナの舞』である。
「ならば俺も、覚悟を決める必要があろう。まずは貴様だ、『滄波の振り手』」
茜色の怒濤が、無数の剣を踊らせて燃え上がる。
───この戦いの後、『大地の四神』はその半数を失い、残る二神は執拗な追撃から逃れた後、何処かへと姿を消す。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
秋から冬へと動き始める十月の御崎高校。実力テストも清秋祭も終わり、特にイベントもなく冬休みまで中途半端に長い、何とも気が抜ける時期であるという事以上に、
「おはよー、一美」
ここ、一年二組の教室は常の活気を失っていた。ほんの五日前、清秋祭の初日の頃には、校内のどのクラスよりも盛り上がっていたというのに。
「おはよう、緒方さん」
理由は明白、ベスト仮装賞にまで選ばれたクラスの顔が“三人”、初日の後夜祭の途中からいつの間にかいなくなってしまったからである。
以降、清秋祭の二日目にも姿を見せず、振替休日を終えた後も一度として登校して来ていない。普段から何処か謎めいた雰囲気を見せる三人が揃って休み続けている事実は、場合によっては無責任な邪推の的にもなりそうなものだが、そうさせない者がいる。
「田中も、おはよっ」
登校してはいるものの、明らかに他とは違う態度を見せる佐藤と田中である。別に彼らが無神経な噂を諫めたりしている訳ではない。その重苦しい、悲壮感すら漂わせる雰囲気に、誰もが不吉な結果を予感して閉口してしまっているのである。
実際に休んでいる悠二らより、むしろ彼らの態度こそが空気の重さの原因であるとさえ言えた。実は池にも少なからず変化があるのだが、その異変に気付ける者は少ない。
「……あ? あぁ、おはよう」
特に、田中が酷い。親でも殺されたのではないかという情緒の不安定さに、質問すら憚られる有様だった。そのあまりに露骨な様子に、
「いで!?」
佐藤が無言で、座っている田中の脳天に肘を落とした。田中が激痛から回復して顔を上げる頃には、もう佐藤は後ろ手に手を振って自分の席に向かっている。
「(……そりゃ、見てて苛つきもするよな)」
頭の痛みを実感として味わいながら、田中は虚しく自嘲する。佐藤も池も立場は同じなのに、こんな無様を晒しているのは田中一人だ。
事実として、クラスメイトが考えている三人……悠二、ヘカテー、平井の三人は、“無事ではないが健在”である。だが、“他の皆が忘れている四人目”に関しては、殆ど推測されている通りの事が起きた。
平井がミステスとなって以降、心の奥底で『この世の本当の事』に恐怖を抱いていた田中は、シャナの消滅を今度こそ正確に認識した事で心が折れてしまったのである。田中の動揺は、友人の消滅と更なる喪失への恐怖の二つによるものだった。
無理もない。普通の学生はこんな現実を受け入れられない。……そんな言い訳を、田中は自分に使えない。何故なら、佐藤と池が懊悩しつつも前を向いているからだ。平井に至っては、元はクラスメイトだったというのに自ら戦う気満々で特訓に明け暮れていると聞く。あまりの違いに泣けもしない。
「(何でお前らは、そんな風に出来るんだよ)」
佐藤や池に悔しさを持っていられる。それ自体が、まだ本当の意味で心が折れてはいない証なのだと、田中はまだ気づかない。
一方で、当然、見守る者らは知らないなりに、心を痛める。
「(……もう、そろそろ、限界だよ)」
元来 竹を割ったような性格の緒方には、何も訊かずに黙って見守るような気の遣い方は向いていない。
「(こんな田中、もう見てられない)」
緒方真竹は選ぶ。傷付ける事を怖れるよりも、たとえ傷を剔ってでも共に傷付き、悩もうと。
そして、もう一人。
「………………」
吉田一美は、ただ俯いて机を見ていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
───こんな事に、何の意味があるのか。
ヘカテーは自分の意思で街を去った。魔神の消滅も、創造神の復活も、それがどんな意味を持つのか……本当の意味で理解してはいない。そんな小さな坂井悠二に、巫女としてのヘカテーの決断に口を挟む資格があるのか?
解の出ない自問自答に悩みながら、とりあえずやるべき事には取り組んでしまえる自分が恐ろしくドライな感じがして、悠二は何とも嫌な気分だった。
「(田中とか、思いっきり凹んでそうだよな)」
いっそ彼らも呼ぶべきだろうか、と少しだけ考えて、すぐに却下する。発動直後の状態次第では、男の目は少ない方が良いだろう。
いつの間にか殴り書きのルーズリーフだらけになっていた部屋を軽く整理して、毛布を一枚持って、千草を起こさないよう物音に気をつけて窓を開ける。
「行くか」
ベランダに一歩を踏み出すと同時、悠二の姿は変わっていた。緋色の凱甲と衣を纏い、後頭から漆黒の竜尾を伸ばした異形の姿へと。
「(もしかしたら今じゃない方が良いのかも知れないけど……何でだろうな)」
不思議なくらい、迷いは無かった。やろうとしている事自体は間違っていないのだが、タイミングには大いに疑問が……いや、迷いが無い時点で疑問は無いのだろうか。
「(でも この先どうなるか判らないし、“前半”の事は言わない方が良いな)」
フワリと宙に浮いた悠二は、そのまま空を泳いで一飛び、御崎大橋のA字主塔の頂に立つ。そのまま気分を落ち着けながら五分ほど待機してから、右の拳を前に伸ばし、上に向ける。
瞑目して集中する悠二の周囲を半透明の鱗壁が取り巻き、そこから伸びる光の帯が鎧の胸へと吸い込まれ、そして───零時。
「むっ……!」
光の帯と鱗壁が花火のように弾け、確かな手応えが悠二の全身を充たす。握り締めた拳を開くと、溢れた火の粉が銀の水晶玉へと結実した。
“あの時ほどではない”、が、
「これだけあれば、充分だな」
さっきの自在法も思っていたより派手になってしまった、という反省も込めて、適当な大きさの封絶で一帯を覆う。
異変に呼ばれて、
「悠二! 完成!?」
まずは平井が、
「ユージ? 何よアンタ、久しぶりに特訓? 引き籠もりは治ったわけ?」
次いでマージョリーが、姿を見せた。この封絶には、彼女らを呼ぶ目的もあったのだが、肝心の二人がまだ姿を見せていない。
「引き籠もってたのは事実だけど、病気みたいに言うなよ。ちょっとやる事があっただけだ」
「あっそ。別に心配しちゃいないけどね」
「あたしもあたしも!」
「いや、ゆかりには最初に話したでしょ」
ので、他愛ない会話を交わしながら待つこと数分、
『っ』
とんでもない殺意の塊が、猛スピードで封絶の中に飛び込んで来た。見る間に虹色の炎が接近、悠二らの目の前に落下する。
「うわー………」
七色の炎を不気味に揺らめかせたメリヒムが、そこに立っていた。いつもの不敵な余裕面は見る影も無く、見開かれた双眸には狂気にも似た危険な殺意が充ち満ちている。
「おい」
やたら低くて無闇に威圧的な一言が、悠二を凄む。殆ど脅迫か恫喝かという勢いである。
「『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の徒は、どこだ?」
知らない、と言った瞬間に斬り殺されそうなほど殺気立っている。何だか自分の狂態を再現でもされている気がして、マージョリーは居心地悪そうに顔を顰める。
「(酷ぇなオイ、自暴自棄で酒浸りじゃなかったのかよ)」
「(封絶に過剰反応したんでしょ。うわ、酒くさ)」
そんなマージョリーとは裏腹に、悠二は溜め息一つ。『清めの炎』をメリヒムにぶつけて酔いを醒まさせる。
「今さら何かしてくる位なら、あの時とっくに全滅させてるだろ。しっかりしろよ、らしくもない」
「……何だと」
酔いが醒めても、シャナを失った悲しみは消えない。そんな事は百も承知で、悠二はメリヒムを真っ直ぐに見る。
「僕があんたを呼んだんだ。力を貸せ、“虹の翼”メリヒム」
得体の知れない確信の宿る眼光が、危うく揺れる瞳を射貫いた。
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深夜の、暗い部屋の中。部屋の主は眠っていない。ベッドに横たわらず、椅子に座らず、壁際に背中を預けて、ヴィルヘルミナ・カルメルは虚空を眺めていた。
彼女は食べない。彼女は眠らない。彼女は動かない。その瞳は光彩を失い、何も見てはいない。まるで……心を失った人形のようになってしまっていた。
『この人は“こんな事”じゃ絶対に挫けないし、諦めない。そんないい男に相応しい、完全無欠のフレイムヘイズを見つけてあげて。男を残して死ぬ女の……これが最後のお願い』
彼女の瞳は今を見ない。
『だから……貴女は生きて、ヴィルヘルミナ。ヨーハンが生まれ、私が愛した……この世界で』
彼女の瞳は過去を見ていた。
『解ってる。ヴィルヘルミナは今、自分と私を誇りに思ってる』
失ってしまった、もう二度と戻らない、過去を。
「(私はもう、戦えない)」
いつも、いつでも、全てを守ろうとして何も守れない。友達も、戦友も、約束も、娘も、何も……。
「(戦いたく、ない……)」
それでもガムシャラに使命を果たす事で、使命に逃げる事で、彼女は自分を仮面で偽って前に進んで来た。
だが、それも遂に限界らしい。ヘッドドレスに意識を宿して頭上に鎮座するティアマトーも、もはや何も言わない。既に幾度か試して、何の効果も得られなかった為である。彼女もまた、決定的な喪失を受けた一人。絶望に沈んだ他者を引っ張り上げる気力など残ってはいない。
「封絶」
そのティアマトーが、暫くぶりに口を開いた。……が、やはりヴィルヘルミナは動かない。この街では零時前後の封絶は日常茶飯事、という事もあるが、そうでなくとも彼女が動いたかは疑わしい。
幾つかの気配が封絶に集まって暫くして、封絶が解け、中に在ったらしい気配が近付いて来る。空虚ばかりが広がるヴィルヘルミナの心に、僅かな波紋が広がる。だがそれは決して前向きなものではない。つまりは、放っておいて欲しい気持ちである。
「いつまで待っても来ないと思ったら……立ってくれ、“万条の仕手”」
「時間要求」
誰かが目の前に立っている。そうと気付いても、反応する気さえ起きない。こんな虚ろな顔を他者に見せるなど以前なら考えられなかったが、今は心の底からどうでもいいと感じていた。ティアマトーの擁護だけが、少しだけ有り難い。
「まったく……どけ、坂井悠二」
聞こえてきた声、こんな時でも聞こえてしまう嫌な奴の声が届いて、僅かに残った理性が顔を俯けさせ……るより早く、抱え上げられた。
説明する間も惜しいと言わんばかりに窓から飛び出し、そのまま屋根の上に着地するメリヒムを、悠二が、平井が、マージョリーが、ゾロゾロと追って来る。
「相変わらず無茶苦茶だな」
「さっさと始める事がこいつの為でもあるだろう。いいから始めろ」
しつこく急かしてくるメリヒムに肩を竦めて、悠二は『グランマティカ』を展開する。どちらにしても説明は不可欠なのだが、こうしておかないとメリヒムがうるさそうだ。
「厳密に言うと、“シャナは死んだ訳じゃない”」
「不審」
この一言に、ヴィルヘルミナの瞳が光を取り戻す。取り戻して……困惑した。“天壌の劫火”顕現の最中に行われた殺害だ。幻である筈が無い。写真からも姿は消えている。
その困惑を肯定するように、悠二は続ける。
「シャナは死んでない。正確には、死ぬ事も出来ずに消滅した。人間を捨てて、フレイムヘイズになった時に」
「詭弁」
途端、ヴィルヘルミナの瞳は失望に染まる。そんな言葉遊びをする為に呼び出したのかと、怒りすら湧いてくる。
しかし勿論、悠二とてそんな悪趣味な真似をする気は無い。死なずに消滅した、という事実が重要なのだ。
「師匠……“螺旋の風琴”が、失った物を復元させようとしてるのは、知ってるよな?」
コクりと、ヴィルヘルミナが首肯する。ティアマトーではなくヴィルヘルミナと意思疎通が成立しているという事実を確認して、悠二は左手に古めかしい巻物を顕した。
「僕の部屋に、その自在法の構築式が残してあった。師匠みたいに零から編み出すのは無理でも、再現するだけなら そう難しくない」
揺れていた瞳が、限界まで見開かれる。希望と、失望に怯える恐怖が鬩ぎ合う。
「死という普遍的な現象は払えない。だけど“存在の力”の喪失なら、この自在法で復元できる。その為に元の型……人間だった頃のシャナを知ってる二人に協力して貰う」
言って、悠二は膨大な数の蛇鱗を連結させる。全く同時に、自在法にイメージを投写する為の鳥籠がヴィルヘルミナとメリヒムを内に取り込んだ。
「準備は、いいな?」
銀の水晶玉を手に、笑みさえ浮かべて訊ねる悠二に……
「当然で、あります」
ヴィルヘルミナはハッキリと、答えた。迷いはもう、無かった。
「───起動───」
水晶玉が砕け散り、膨大な量の存在の力が溢れ出す。それに食らい付く蛇のように、『グランマティカ』の壁から無数の自在式が這い出て、絡み合う。
「この自在法には喪失の断面を鮮明に再現する事が不可欠になる! シャナの姿を思い出せ! “フレイムヘイズになろうとしていた少女の姿を”! その昇華と喪失を!」
視界全てを埋め尽くす程の自在式が……否、自在式を含む空間そのものが、異常なまでの力の発露に歪み始める。軋み震える空間とは対称的に、銀の自在式は極限にまで凝縮を続け、そして───
『っ……!!』
物理的な力の余波まで撒き散らして、銀炎が爆ぜた。揺らめく銀が輝きの中で綻び、解れ、
「あ、あぁ……」
艶やかな黒髪が流れ、白い肢体が露わになり、
「うわぁあああぁぁん!!」
悠二が毛布を投げ渡すよりも早く、少女の華奢な身体を、ヴィルヘルミナが抱き締めていた。
「ヴィルヘル、ミナ……?」
寝ぼけたようなシャナの声に、ヴィルヘルミナはただ何度も首を縦に振る。まともに喋れない事は、自分が誰より良く判っていたから。泣き顔を見られないように、もう二度と失わないように、力の限り抱き締める。
「っ……ッ……」
背中を向けたメリヒムは、決して振り返らない。恐らく、今日はもう顔を合わせる事も無いだろう。小刻みに震える肩が、その理由を言葉よりも雄弁に物語っている。
そんな三人の家族を見て、
「復活したー! マージョリーさん! シャナが復活したぁー!」
「見りゃ解るわよそんなもん! ちょっ、やめなさいってば!」
泣き笑いの平井と、無理矢理ダンスに付き合わされているマージョリーを見て、悠二は口元を緩めて深く息を吐く。
「───やっぱり、そうだよな」
かけがえのない今を、失った少女を取り戻した結果を見て、思う。
───このままでは、終われないと。