得体の知れない力が時計塔から溢れ出している頃、
「あー……何か派手な事になってるわねぇ」
その異常な気配を感じて、マージョリー・ドーは気怠げにぼやいていた。傍ら、画板ほどもある分厚い本からマルコシアスが火の粉を漏らしている。
「これが敵の奥の手っつーならいよいよヤベーな。こっちで残ってんのは三人か?」
「私がこうして無事なんだから、“頂の座”だってそのうち起き上がって来んでしょ」
マージョリーがサラカエルから受けた傷は、決して浅いものではなかった。しかし今の彼女の身体に傷は無く、こうして待機しているのは消耗した力を少しでも回復させる為である。
まったく、紅世最高の自在師とはよく言ったものだ。
「きっちりブチ殺すだけの力を溜め込むつもりだったってのに、これじゃ全快でもギリギリでも大差ないわね。これ以上“貴重な戦力”削られる前に戻ろうかしら」
「そこまで判ってんなら、無理に戦う必要も無ーんじゃねえか? シッポ巻いて逃げるっつーなら止めやしねーぜ」
冗談めかした口調の中に本気の色を感じ取って、マージョリーは『グリモア』を優しく撫でた。
マルコシアスの言いたい事は、マージョリーにも解っている。
サラカエルの語った“銀”の正体は、おそらく出任せではない。そう感じて、確信してしまったからこそ、こうして無様に転がっているのだ。
「あのミステス……ユージと戦ってからずっと、私は心のどこかで怯えてた。あいつをブチ殺そうとする私自身の炎の中に、“銀”がいたような気がして」
何百年も追ってきた仇敵が、只の道具でしかなかった。
「本当は“銀”なんていなかったんじゃないかって。私はとっくに復讐を遂げてて、あれは狂気に酔った私が見た夢だったんじゃないかって」
“銀”は心を写す鏡。西洋鎧に姿を変えたマージョリー・ドーは、壊したい全てを自らの手で壊し、討ち手として生きた数百年は全て無意味だった。もはや戦う意味も無い。フレイムヘイズとしての存在意義すら、残ってはいない。
「だけど───違った」
そう思われても仕方ない。だからこそサラカエルは真実を告げて、マルコシアスは杞憂を抱いている。
しかしマージョリーは、そうは思わなかった。
「私が望んでいたのは、あんなモノじゃない」
自分を利用してきた奴ら全てを、ブチ殺し、踏みにじり、嘲笑ってやる筈だった。
「だって私は誰も殺してない。だって私は何も壊してない。あの時の私は、ただ瓦礫の中に転がって、“横取りした奴”を見上げている事しか出来なかった」
『我学の結晶』? 心を写す鏡? そんなもの知った事か。マージョリー・ドーは“銀”を使って復讐を遂げたのではない。手前勝手な理由で行われた模倣によって、文字通り復讐を奪われたのだ。
「やっとスッキリしたわ。これで心置きなく、慎重に、確実に、徹底的にブチ殺してやれる!!」
腹の底から湧き上がる殺意。消える事なき憎悪を思う存分ぶち撒けられる事への歓喜。
「ヒヒッ」
漲る戦意に当てられるように、マルコシアスまでもが堪えきれないように笑っていた。
「さあ行くわよマルコシアス! 殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺して、ブチッ殺すわよ!!」
「ここが女の正念場だぜ! 我が麗しのゴブレット、マージョリー・ドー!!!」
殺戮の雄叫びが群青の気炎を撒き散らす。獲物は白緑の科学者───“探耽求究”ダンタリオン。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
時計塔だった物体が、銀色の炎を噴き上げながらグニャグニャと蠢き、形を変えていく。未だそれを形容する言葉は見つからないが、不揃いに伸びた四つの突起は、人間の手足のようにも見えた。
「何、あれ……生きてるの?」
「そのようだ。しかも、この気配は……」
唐突に生まれた莫大な存在感が、みるみる内に“ここに在る事がおかしい”という違和感に変わっていく。紛れもなく、紅世の徒の持つ気配。
硬いようにも柔らかいようにも見える肉の隙間から、桜色の炎が飛び出てきた。
「ヴィルヘルミナ!」
「間に合わなかったようであります」
「無念」
それは、気配を消して時計塔内部に侵入していたヴィルヘルミナ。加速度的に変化を始めた時計塔の様子に、これ以上の捜索は不可能と判断して離脱したのである。実際、その判断は正しかった。
「敗北を装って気配を消し、時計塔の内部に侵入していたのですか。やはり侮れませんね」
ヴィルヘルミナの登場に目を見張りつつも、サラカエルは余裕を見せつけるかのように笑った。
今まで敵を過小評価せず、徹底して弱点を突いてきた王が見せる、初めての余裕。それは、既に勝利が確定したのだと告げているかのように見えた。
【んーん、驚いて喜んで騒いで魂消てくれるのは大っ変結構なんですが、予定した数値のじゅーっパーセントのエネルギーも出ていないのは非常に不本意なんですがねぇ~】
拡声機から教授の不満そうな愚痴が聞こえてくる。それらを耳にしながら、シャナは視線を外さずにゆっくりと下降、適当な建物の屋上に瀕死の平井を横たえた。
放っておくだけで死にかねない程の深手だが、シャナに傷を治す手立ては無い。何より、あの巨大な存在を放置できない。
「“敖の立像”。それが彼の真名です」
ハイテンションで要領の得ない自慢だか説明だかを続ける教授を尻目に、サラカエルが語り出す。
「真名、だと?」
浮上してきたシャナの胸元から、アラストールが訊き返す。不快そうに疑問を呈する魔神に、サラカエルはニッコリと微笑んだ。
「“銀”が強烈な感情を持つ人間の元に転移するのは、その人間の持つ感情を模倣、収集する為だったんですよ。そうして数百年に渡って蓄積された無数の感情を元にして、生まれ出る存在の意思総体を形成する」
四肢を備えた“敖の立像”の口が、裂けるように開いた。真っ黒な肉のみで構成された身体が、隆起と鳴動を繰り返す。
「その上で、『零時迷子』から得た莫大な力を使い、紅世でしか生まれ得ない徒をこの世で生み出す。不可能の壁を超えた存在です」
その全身を、歪な鈍色の鎧が覆った。異形の徒が、立ち上がる。
「まあ偉そうに語りはしましたが、これは以前から同志ダンタリオンが温めていた実験で、私は後から便乗させて頂いただけなのですが」
サラカエルの背後に、圧倒的な違和感を撒き散らす巨人が聳え立つ。
ポツリ、と、
「坂井、悠二は……」
零れるように、シャナは訊いていた。『零時迷子』は本来、失った力を毎夜零時に回復させる事しか出来ない。こんな風に、今まで持っていなかった力を捻り出す機能など無い筈なのだ。
だが、それより何より、
「坂井悠二は、どうなったの?」
その言葉が、口を突いて出た。頭で考えての事ではない、衝動にも似た焦りから思わず、である。
主犯であるサラカエルは、僅かに眼を伏せて、
「彼の『零時迷子』は“彩飄”の『戒禁』と『大命詩篇』が複雑に作用し合った結果、同志ダンタリオンでさえ取り出せない状態にありました。我々は彼の身体ごと『零時迷子』を立像に組み込みましたが……あれだけの存在の力に彼が耐えられたとは思えません。『零時迷子』ごと、“彼”に取り込まれたでしょうね」
憐れむでもなく、嗤うでもなく、彼自身が惜しむように、告げた。
「………………」
シャナの中で、何かが煮え滾るような感覚があった。
『戒禁』をどうにか出来るなら、メアに捕まった時点で悠二は殺されている。『零時迷子』があれだけの力を放出したなら、悠二の器は許容限界を超えて消滅する。
頭のどこかで予感していた事実を告げられただけで、目の前が真っ赤になった。
「………さない」
仇を討ちたいと思うような関係だったか? 『零時迷子』さえ残っていれば問題ない。怒りに身を任せるな。
常ならば当たり前に出て来る言葉が、欠片ほども浮かんで来ない。感情が抑えきれない……否、抑えようとさえ思えない。
「許さない!!!」
『贄殿遮那』から、未だかつてない熱量の劫火が迸る。紅蓮に輝く炎が、灼熱の奔流となって放たれた。
「(疾い!)」
避けられる大きさでも、正面から受け止められる威力でもない。だがシャナの激昂の予兆に気付いていたサラカエルは、既に『呪眼(エンチャント)』を直下の家屋の屋根に移していた。
直撃の寸前の『転移』、その中途半端な避け方が仇となる。
(ドォオオオオォォン!!)
紅蓮の大太刀は“敖の立像”に炸裂し、大輪の華が一帯を呑み込んだ。直下へと転移したサラカエルも、同様に。
何物をも焼き尽くす煉獄の向こうから───無傷の右腕が伸びて来る。シャナの身体など容易く握り潰せる掌が迫り……虚空を掴んだ。
「ぇやあ!!」
双翼を燃やして旋回したシャナは、火焔を纏った大太刀を立像の腕に突き立てる。
渾身の力を込めた刺突は、しかし切っ先すらも埋まらない。シャナは注いだ力を残らず切っ先に集め、一気に『爆破』。その反動で離脱する。
「(私の炎が、効かない!?)」
爆発を受けた跡にも、傷一つ付いてはいない。驚愕を胸の内に留めて距離を取ろうとするシャナに……今度は左拳が迫っていた。
「(避け───)」
られない。そう思うシャナの身体が、不可解な方向に加速する。巨人の拳の風圧にも負けない吸引力に引っ張られて、シャナは“半透明の鱗壁”に吸着した。
「(! この自在法……!)」
状況把握と呼ぶのも憚られる、反射的な感情。それより速く、次の自在法が放たれていた。
遠方より飛来する銀炎の大蛇が、まだ動きの覚束ない“敖の立像”に絡み付き、
「喰らえ」
膝裏に噛み付いた瞬間、全ての力を牙に流動させて炸裂した。範囲こそ狭いが凝縮された爆炎が巨体のバランスを崩し、
「“緑の芝に雨よ降れ”」
「“木にも屋根にも雨よ降れ”」
「“私の上だけ避けて降れ”!!」
群青の豪雨が“敖の立像”に降り注いだ。膨張した炎が渦となって巨体の全身に纏わり付く。
メリヒムでもヴィルヘルミナでもない援護射撃に、シャナが目を向ける。
「ふふーん? 良い感じに露払いも済んでて悪くないタイミングじゃない」
「ヒャッハッハッ! まだデッケー露が丸々残ってやがるがなぁ!」
かつてシャナらと戦った時とは比較にならないほど濃密な炎を纏う、『弔詞の詠み手』マージョリー・ドー。
そして───
「むっ」
「ほう」
「これは……」
緋色の衣と凱甲を鎧い、後頭から漆黒の竜尾を伸ばす、少年。
「あー……これ、僕が捕まったせいなんだよな、やっぱり」
莫大な存在の力に呑み込まれた筈の『零時迷子』のミステス、坂井悠二。
殆ど封絶の端という遠距離から、豆のような銀炎が超速で接近してきていた。
「(生き、てた……)」
普通にあっさり生還してきた少年の姿に、シャナは身体全体で脱力する。猛り狂う激情が水泡の如く一瞬で消え去り、どこまでも無心の空白が頭を支配し、
「(あ、れ……あれ……?)」
次の瞬間、理由の判然としない羞恥心に埋め尽くされた。炎も出してないのに顔が滅茶苦茶に熱い。自分の顔が炎髪にも負けないほど赤くなっていると自覚して、シャナは全身を燃やしてカモフラージュした。
「『弔詞の詠み手』、何か絶好調みたいなのは良いけど、あれ倒すの手伝って貰える?」
「あんな化け物、一人じゃ手に負えないしね。その代わり、イカレ教授は私が殺るわよ」
恐らく『グランマティカ』で『加速』の自在法を使っているのだろう。とんでもないスピードであっという間に近付いて来る。
「ゆかりとヘカテーは?」
【心配ないわよ。コソコソ手助けしてるヒゲがいるから】
「……そっか」
マージョリーが悠二にだけ聞こえる声で師の活躍を伝える頃にはもう、悠二はすぐ傍にまで接近し、
「あ痛っ!?」
『贄殿遮那』による峰打ちをお見舞いされていた。
「何するんだよ。さっきシャナ助けたの僕だぞ」
「うるさいうるさいうるさい! 無事なら無事って早く言いなさいよ! 大体、お前が捕まらなかったら最初からこんな事になってないの!」
「う……そこ突かれたら痛いけど、これでも全速力で戻って来たんだけどなぁ」
照れ隠しで喚くシャナの姿も、炎を纏うだけで鬼の形相に早変わりである。怒鳴るシャナにしどろもどろに言い訳する悠二───の背中に、碧玉の瞳が開いた。即座に『爆破』の自在式が発動する。
「わっ!?」
「うあああぁぁーーっ!!」
急な攻撃で前に吹っ飛ぶ悠二の小さな驚愕と、その悠二に飛び付かれる形になったシャナの悲鳴が同時に上がる。
悠二の背中、とはつまり、動かさなくても竜尾がある場所でもある。頑丈な悠二の身体の中でも最大の硬度を誇る竜尾で受ければ、この程度の攻撃はダメージに繋がらない。
それでも、攻撃されたという事実は変わらない。奇襲の失敗を見届けたからか、敵は堂々と紅炎の中から姿を現す。
「幻という訳でもなさそうですね。一体どうやって抜け出したのですか?」
ボロボロに焦げた豪奢な法服を脱ぎ捨てる、サラカエル。シャナの渾身の炎を、直撃はせずとも確実に受けていた。少なからず消耗しているようだが、それでも確かに生きている。
「あんた達の脱出口を使わせて貰ったんだよ。思ったより遠くに出ちゃって焦ったけどね」
「それは力が回復した後の事でしょう。“敖の立像”が起動したなら、貴方は消滅している筈なのですが」
だが、同じ疑惑をより強く抱いているのはサラカエルの方だった。
『零時迷子』が発動しなければ“敖の立像”は起動しない。起動した以上、悠二は許容限界を超えた力に呑み込まれて消滅、既に“敖の立像”に取り込まれている『零時迷子』は『無作為転移』を起こさず、そのまま彼の心臓となる筈だった。
だが、現に悠二は完全回復した姿でここにいる。
「自在式の形式から、あんた達の狙いはある程度推測出来てたからな。準備万端で待ち構えてれば、回復直後に抜け出すのは大して難しくなかった」
「……直後? 『零時迷子』は零時になると同時に全ての力を瞬間的に放出する。割り込む隙などありませんよ」
群青の渦が吹き散らされ、立像がノロノロと立ち上がる。あれだけの攻撃を受けて、特に堪えた様子は無い。
「確かに『零時迷子』の発動には割り込めなかったよ。でも“僕が力に呑み込まれてから消滅するまでには”、ほんの少しだけ猶予があった」
憶えてなさいという顔で悠二を睨むシャナが、ヴィルヘルミナが、マージョリーが、またお前が美味しい所を取るのかという顔で悠二を睨むメリヒムが立像に向き直る中で、悠二だけがサラカエルを睨み続ける。
「とても信じられません……が、こうして貴方が生きている以上、信じるしかないですね」
恐らくサラカエルは、“敖の立像”が負ける事は無いと考えている。
「つまり、『零時迷子』は貴方の中に在る、と」
「そういう事だ」
『炎髪灼眼の討ち手』、『万条の仕手』、“虹の翼”、『弔詞の詠み手』。これだけの使い手……いや、更にヘカテーや平井が加わったとしても負けない自信があるのだろう。
だが……
「やれやれ、“敖の立像”の力を確かめる為に、後は観戦するつもりだったのですが」
悠二だけは、“敖の立像”に任せる訳にはいかない。この莫大な力を維持する為にも、悠二の破壊による『零時迷子』の無作為転移だけは避けなければならない。
悠二もそれが判っているから、サラカエルから眼を離さないのだ。
「良かったな。話の続き、出来そうだぞ」
「ええ、本当に」
護る為に、変える為に、二人の自在師が向かい合う。
どこかで、少しでも歯車が違えば、別の運命もあったのだろうか。それを知る術は、二人には無い。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
迫る炎弾を碧玉の瞳が受け止める。広がる髪に開く『呪眼』が悠二を睨み付け、咄嗟に振るった竜尾に移った。
また爆発かと警戒する悠二の身体が、宙に縫い止められたように動きを止めた。
「睨むだけで、どんな自在法も転移できるのか」
「小狡い自在法ですよ。貴方の『グランマティカ』のように、不可能を可能にする力はありません」
苦笑して、サラカエルは悠二に右掌を差し向けた。そこに生まれた『呪眼』に『強化』の自在法が宿り、放つ炎弾を二回り膨れ上がらせる。
碧玉の火球が動けない悠二へと一直線に迫り……半透明の鱗壁に『反射』された。
「くっ……!」
反射された炎弾を躱すには距離が近すぎる。咄嗟に『呪眼』の盾を展開するも、自ら『強化』した炎を防ぎ切れずに貫かれる。
全身を焼かれて怯むサラカエルを、頭上から振り下ろされた竜尾の一閃が叩き落とした。
小学校のグラウンドにサラカエルが墜落するよりも早く、既に特大の炎弾が彼を追っている。
「(さすがに“壊刃”を撃退したというだけはありますね。私が万全であっても勝てたかどうか)」
飛ぶ事も出来ない衝撃の中、サラカエルは力を振り絞って『呪眼』を上空に放ち、その瞳に自らを転移させる事で墜落と爆発から逃れた。
その眼前に、既に悠二が迫っている。
「何であんな怪物を創った? 『革正団(レボルシオン)』の目的は、徒の存在を人間に知らしめる事じゃなかったのか?」
その右手から銀炎が溢れる。気体は液体に、液体は固体に変質し、硝子細工のように銀の直刀へと姿を変えた。
「だからこそ、ですよ。坂井悠二」
尋常ならざる膂力から繰り出される重く鋭い斬撃を、サラカエルは両掌に生んだ瞳で懸命に受け流す。
「先駆者は数多くいました。ある者は言葉によって訴えかけ、ある者は破壊によって見せつけ、一番新しい前例だと、インターネットに動画を流す者もいましたね」
一際強く、振り下ろした刃をサラカエルが頭上で受け止める。ギリギリと軋む両手で競り合うが、腕力が違い過ぎる。
「ですが、その全てが志半ばで潰えました。我々紅世の徒が死ねば、その痕跡は消滅し、人々の記憶にも残らない。人間の同志もいましたが、そういった者も存在ごと分解されてしまいました」
振り切った直刀が、サラカエルの左腕を肩口から切り落とした。想像を絶する激痛の中でも、変わらずサラカエルは語り続ける。
「我らの夢には敵が多い。だからこそ必要だったのです。何者にも壊せず、己の力のみで立ち続け、その身を以てこの世の真実を体現する最強の存在が」
足裏に爆発を生んで、サラカエルは悠二から距離を取る。その光背に浮かぶ数多の『呪眼』が一斉に悠二を睨み付け……るより僅かに速く、漆黒の竜尾が球状に悠二を包んだ。
「超常の存在が知れ渡り、世界の仕組みを多くの人間が理解した時、この世の真実は“あり得ない事”ではなく、真に“この世の真理”として定着するでしょう。力の素養が無い者でも、ありのままの世界を感じ取れるようになる」
全ての『呪眼』が竜尾の表面に『転移』し、『爆破』する。連鎖的な大爆発が校舎を丸ごと吹き飛ばす。
燃え盛る爆炎を、悠二は竜尾を解く際の風圧で払い除けた。衣と凱甲が所々焦げているものの、ダメージらしいダメージは無い。
どう見ても余裕など無いのに語るのを止めないサラカエルの姿を見て、悠二は思う。
「……どうして、そこまでしてこの世の真実を人間に伝えたいんだ」
この王は、戦う前から自分の敗北を悟っていたのではないか、と。
ヘカテーが倒れ、マージョリーが倒れ、ヴィルヘルミナが倒れ、メアが倒れ、フリアグネが倒れても、その間中ずっとサラカエルは、あのメリヒムと戦い続けていた。それも、彼が他者の戦いに介入出来ないよう徹底して。
決定的だったのは、激昂したシャナの紅蓮の大太刀。直撃こそしなかったものの、あの埒外の炎を防ぐ為に残った力をゴッソリと削らされてしまった。
捕まっていた悠二にそこまでの事情は解っていないが、この王がなけなしの力で戦っている事は判る。
「貴方は、今の世界の在り方が正しいと思いますか?」
それでも悠二は容赦しない。今も仲間達が、サラカエルより遙かに危険な怪物と戦っているのだ。
「徒が人間を喰らい、人間は喰われた事にも気付かず、家族も恋人も友人も、奪われた者を忘れる。この歪んだ世界の在り方が、本当に正しいと思いますか?」
問い掛けると共に、サラカエルは炎弾を悠二に放つ。それに向かって悠二も炎弾を撃ち返し、銀と碧玉が鬩ぎ合うのも数瞬、あっさりと銀が押し勝った。
「全ては徒が悪いと、貴方は思うかも知れません。だが、嘆いても憎んでも何も変わらない。この世から徒がいなくなる事はありません。だったら、ありのままを受け入れて新たな道を捜すしかない」
迫る火球を横っ跳びに躱して、なおもサラカエルは訴える。
「真実を知れば、混乱と恐慌が世界中に広がるでしょう。無為な闘争で何百人何千人が死ぬでしょう。それでも私は、人間はその絶望すらも越えて行けると信じている!」
悠二は直刀を片手に走り出す。サラカエルの言葉は、確かに悠二の胸に響いている。それでも、今は、大切なものを護る為に、迷ってなどいられない。
「“敖の立像”には心があります。教えを説いて導けば、必ず共に革正を成し遂げてくれる!」
何の保障も無い夢に、それでも命を懸けて臨む男が、炎弾で悠二を迎撃する。銀の斬撃が一振りで切り払い、悠二は足裏を爆発させて突進した。
サラカエルは特大の『呪眼』を広げて盾を張り、そして……
「貴方なら───」
瞳の盾ごと、銀の一撃がサラカエルを貫いた。大の字にひっくり返った王の口から、吐血のように碧玉の炎が漏れる。
「殺すだけでは、護るだけでは、何一つ、変えられ、ない……」
もはや立ち上がる力も無い男の傍に近づいて、悠二は片膝を下ろした。時間が無いのは判っている。それでも、最期だけは、と。
「徒が死ねば、痕跡すら、消える……。でも、暗号化して、因果の結びつきに穴を見つければ……遺る事も、あるんです……」
弱々しい力で、サラカエルが手を伸ばす。そこに碧玉の炎が燃えて、一冊の本が現れた。
「貴方なら、解る筈だ」
その全身が碧玉の炎に包まれて、薄れていく。
「人に生まれ、徒に喰われ、それでも狭間で道に迷う事が出来る、貴方なら───」
その一言を最期に、サラカエルは炎と共に消え去った。その手にあった本は消えず、瓦礫の上に落ちる。
「……サラカエル」
その本を手に、悠二は言いようの無い悔しさに奥歯を噛み締める。
勝てないと判っていたなら、どうせ『零時迷子』を回収できないと理解していたなら、何故戦いを挑んだのか。
その答えが、最期の言葉に込められていた気がした。