二人の王と対峙し、三人の味方と合流した時、シャナが真っ先にしようと思ったのは、マージョリーに対する頼み事。
一度はヘカテーに任せたものの、乗っ取られた平井への対処はやはり自在師の方が適任である。マージョリーが来たのなら彼女に任せた方が良い。
だが、シャナが何か口にするよりも早く、
「『弔詞の詠み手』」
サラカエルが、マージョリーに話し掛けた。教授ならともかく、初対面の徒と話す事など無いと考えるマージョリーは、
「同志ダンタリオンから伝え聞いた“銀”の正体、望み通りお教えしましょう」
続く言葉を聞いて、息を呑んだ。それと同時に、閃虹がサラカエルに向かって飛ぶ。メリヒムの『虹天剣』だ。爆発的な光輝の塊が、回避したサラカエルの法服を掠めた。
「ちょっと! 余計な事すんじゃないわよ!」
「他人のお喋りを待つほど気長じゃないんでね」
烈火の如く怒るマージョリーを鼻で笑って、メリヒムが飛翔する。それを迎え討たんとフリアグネの燐子が数体、立ちはだかり───ハンドベルが鳴り響いた。
「──────」
メリヒムが斬り倒そうとしていた燐子が、至近で大爆発を巻き起こす……瞬間、ヴィルヘルミナのリボンがメリヒムを引っ張った。
燐子を爆発させるハンドベル。悠二の報告通りである。
「あの“銀”という鎧は、徒ではありません。ある目的の為に同志ダンタリオンが造った『我学の結晶』です」
その間も、サラカエルの言葉は続いている。その声音に混じる色に“時間稼ぎ以上の”不吉な予感を覚えたシャナは、大太刀を強く握ってサラカエルへと襲い掛かった。
「むっ……!」
その瞬間を待っていたかのように、フリアグネの手にした拳銃がシャナへと向けられる。しかし引き金を引く瞬間、シャナは高速で弾道から逃れていた。
「(あれだけは貰えない)」
東京外界宿(アウトロー)総本部が壊滅させられた時、『骸躯の換え手』アーネスト・フリーダーは“狩人”の弾丸を受け、“鳶色の炎を弾けさせて”消滅した。それが、生き残ったレベッカ・リードからの報告だった。
フリアグネの炎の色は薄い白。鳶色は、フリーダーの炎の色だ。この事から、シャナ達は一つの仮説を立てた。即ち……“フリアグネの銃弾を受けた相手は自爆する”。
もちろん確証など無いが、実際に爆殺された前例がいるのだ。当たれば終わり、そう考えて臨むしかない。
「あれは強烈な感情の持ち主の元に、ただ現象として現れる。現れて、その心を写し取る。そんな、鏡のような只の道具だ」
フリアグネを無視出来ない。その間に、サラカエルの言葉は核心へと迫っていた。
「(感情を写す、只の……道具……?)」
マージョリーは、動かない。ただ呆然と、サラカエルの話を聞いている。
脳裏に蘇るのは、数ヶ月前の死闘。自らの炎を『反射』された時に幻視した……一つの光景。
「聞くな! マージョリー!」
群青色の炎の中、剥がれ落ちた鎧の下で狂ったように笑う、“マージョリー・ドーの姿”。
「貴女の復讐は、とっくの昔に終わっていたんですよ」
メリヒムの『虹天剣』がサラカエルを襲い、シャナの紅蓮の大太刀がフリアグネへと奔り、ヴィルヘルミナのリボンがマージョリーに伸びる。
「『“銀”という道具』を使った、貴女自身の手でね」
虹は躱され、炎は燐子の爆発で相殺される。動かないマージョリーをフリアグネの銃弾が狙うが、ヴィルヘルミナのリボンがマージョリーを弾道から逃がす。
必殺の一撃から逃れたマージョリーの胸に───碧玉の瞳が縦に開いた。
「だからもう、休みなさい」
その瞳が、サラカエルの言霊に応えて『爆破』した。『トーガ』すら纏っていないマージョリーの全身が、碧玉の爆炎に蝕まれる。
「ぐ……あっ……」
鮮血を撒き散らし、煙を燻らせ、マージョリーが墜ちていく。少し離れた所で、ヘカテーまでもが同様に落下していた。
上に視線を向ければ、異形の姿となった平井ゆかりが笑っている。
「こんな……」
ヴィルヘルミナの口から、思わず擦れるような声が零れた。
数はこちらが上、質だって決して負けていない。そう自負していた、事実間違っていなかった戦力差が、ものの数分でひっくり返されてしまった。
「……なるほど、巧いな」
メリヒムが素直に賞賛する。
未熟な平井ゆかりを乗っ取り、騙し討ちで坂井悠二を仕留める。
大切な友人の身体を盾にヘカテーをも倒す。
フレイムヘイズの存在理由を揺さ振る事でマージョリーを自失させ、狩る。
情報収集と事前対策に裏打ちされた、鮮やかな手際だった。
「(となると次は……)」
冷静に敵を評価するメリヒムは、だからこそ敵の次の狙いを看破し、
「はあっ!」
それにいち早く気付いたサラカエルから、碧玉の瞳を飛ばされた。サーベルから奔る虹の刃が、迫る自在式を一つ残らず両断する。
その連弾の最中、サラカエルの光背に浮かぶ瞳の一つに一際強く力が集まり、
「ふっ……!」
広げたメリヒムの外套に“転移”した。すかさず脱ぎ捨てた外套が碧玉の杭に貫かれる。
「便利な自在法だな」
「『呪眼(エンチャント)』。睨んだ対象に自在法を転移させる私の能力です。『弔詞の詠み手』を確実に仕留める為とはいえ、一度見せたのは失敗でしたね」
言葉ほどには、サラカエルが焦った様子が無い。“やはり”、彼自らメリヒムを全力で足止めするのが狙いらしい。
───頭上で、二つの赤が衝突を開始した。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
封説の空を、仮面の討ち手が踊るように舞う。数多の純白の花嫁がそれを追う様は、幻想の舞踏会を思わせた。
「(これも奴らの狙い通りでありましょうか)」
「(狡猾)」
睨むだけで自在法を転移させるサラカエル。必殺の銃弾を放つフリアグネ。一瞬たりとも目を離せない強敵に徹底マークされる事で、メリヒムもヴィルヘルミナも他者の戦いに介入できない。
その間にメアがシャナを倒す、というのが『革正団(レボルシオン)』の狙いなのだろうが……
「(随分と甘く見られたものでありますな)」
「(憤慨)」
ヴィルヘルミナは、敢えて乗る。間違っても、焦って隙を見せるような間抜けは晒さない。
対するフリアグネも、“狩人”の真名そのままの鋭い眼光でヴィルヘルミナを睨んでいた。
「(流石は戦技無双の舞踏姫。これだけの燐子で囲んでも隙を見せないか)」
いくら数で押しても接近戦でヴィルヘルミナを捉えられるとは思っていない。フリアグネは包囲した燐子に炎弾を撃たせたり、接近されたらハンドベル型宝具『ダンスパーティ』で破壊される前に自爆させたりしながら、拳銃型宝具『トリガーハッピー』を撃ち込む隙を窺っている。
だが、ヴィルヘルミナは隙を見せない。絶えず舞い続け、時には燐子を隠れ蓑にして銃口から逃れ続けていた。敵の武器を警戒するのは当たり前だが、それにしても些か過敏に過ぎる空気を感じる。
「(やはり、『トリガーハッピー』の事がバレている。能力まで知られているとは思えないが、獲り逃がしたフレイムヘイズでもいたか)」
それでも、フリアグネが動じる事は無い。『トリガーハッピー』が警戒されているなら、それはそれでやりようはある。この膠着状態が続くなら願ったり叶ったりだ。
「(もうすぐだ、マリアンヌ)」
大切な燐子、銀炎の中に消えた愛しい存在を、今も鮮明に思い出せる。
「(必ず君を、取り戻す……!)」
かつてない決意と覚悟を胸に、白の狩人は引き金を引く。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「はあっ!!」
紅蓮の炎が迸り、金髪の少女を一息に呑み込む。大気すら焼き尽くす灼熱の業火の中から無傷のメアが飛び出し、お返しとばかりに特大の炎弾を放った。
初見の相手なら生まれただろう隙は、『アズュール』を知るシャナには生まれない。血色の火球は紅蓮の双翼を捉えられず、眼下のビルを粉々に吹き飛ばす。
「流石は悪名高き魔神の契約者。ですが使う力が炎である限り、私には通じませんよ」
大剣を握るメアが、微笑すら浮かべて飛んで来る。余裕……というより舞い上がっているメアを冷たく見返して、シャナは再び紅蓮の大太刀を振り下ろす。
「だから、効かないんですよ!」
しかし、メアには届かない。『アズュール』の生み出す火除けの結界に阻まれ、髪の毛一本焦がせない。
避けようともせず反撃の力を練るメアは、炎の晴れた先にいるはずの敵を……見失った。
「(いない……いやっ!)」
頭上からの斬撃を直感で察知したメアが大剣を振り上げる。刃と刃は衝突し、しかしぶつかった反動ですぐに離れる。
「惜しかった……ですね!」
『吸血鬼(ブルートザオガー)』の力を警戒して離れたところを、メアの炎弾が追撃する。避けられる距離ではない。咄嗟に盾にした『夜笠』ごと爆炎がシャナを焼いた。
「勝てる! 今の私は、『炎髪灼眼』にだって勝てる!」
この一撃で勝ったと思える程の手応えではなかったが、それでも、戦いを有利に進めているという確かな実感がメアを高揚させる。
この身体を奪えさえすれば、坂井悠二は油断する。精神的にムラのあるヘカテーも倒せる。そして『炎髪灼眼の討ち手』にも勝てる。彼女の武器は大太刀と炎のみ、『アズュール』を持つ『吸血鬼』のミステス……平井ゆかりとは、絶望的なまでに相性が悪いからだ。
『順調に事が運べば、同志メア、貴女がこの計画の鍵となります』
何もかも、サラカエルの作戦通りだった。
最高の器を見つけてくれた事、得た力を振るう機会を与えてくれた事、そして何より、矮小な“戯睡郷”メアを信じ、頼り、大事な役目を任せてくれた事に感謝の念が尽きない。
「(恩には報いなければ。邪魔者を殺して、計画を成就させる事で)」
感謝の気持ちと力への陶酔が混ざり合い、歪んだ笑みが浮かび上がる。炎を払って現れたシャナの、あちこちを焦がした姿が、メアの自尊心を潤す。
ただ、一つだけ、
「……はぁ」
痛みに歪むでもなく、敵意に燃えるでもなく、変わらず涼しげなままの灼眼が目についた。呆れにも似た溜息が、厭に神経を逆撫でする。
「お前の炎、何で血色なの?」
シャナは大太刀を構えない。無防備に片手にぶら下げる。
「平井ゆかりの力を喰らって取り込んだなら、炎は持ち主の色に染め変えられる。それが変わってないって事は、まだ平井ゆかりの意思総体は残っていて、今も力を統御してる」
その切っ先をメアに突きつけて、シャナは愚者を見下すように挑発的な笑みを浮かべて見せた。
「理由を、当ててあげましょうか?」
言葉によって心を揺さ振るのは、『革正団』の専売特許ではない。シャナは力に陶酔するメアの様子から彼女のコンプレックスを察して、抉りに来ているのだ。判っていても、メアはシャナの言葉を無視できない。
「それは“お前が弱いから”。平井ゆかりの意思を消したら、小さいお前はそいつの力を統御できなくなる。いや、今だって統御できてる訳じゃない」
それはメアがずっと否定し続けていた、戦う理由そのものなのだから。強さを求めて、強さを手にして、今なお弱いと呼ばれる。そんな事は、断固として認める訳にはいかない。
「お前は今も、平井ゆかりに“力を使ってもらう”事で戦ってる。お前自身は何も変わってない。弱いままよ」
「……可愛らしい挑発ですね」
完全に図星を刺されて、それでもメアは「それがどうした」と笑う。言い返さずには、いられなかった。
「私が彼女の力を使える事には変わりありません。それに、借り物の力を振るっているのは貴女も同じでしょう? 天罰神を身に宿しただけの、“人間ですらないお嬢さん”」
無論、言い返すだけでは終わらない。シャナが借り物と揶揄した平井の力でシャナを葬る事こそ何よりの報復となる。血色の炎が全身から燃え上がり、
「「弱い私に殺されるのは、さぞ屈辱的な事でしょうね」」
“声が二つ、重なった”。
シャナの灼眼が丸くなる。メア自身も、思わず自分の口を押さえた。今のはメアと……そして“平井の声だった”。
異変はそこで終わらない。
「お前、眼の色が戻ってるわよ」
「「何を……っ!?」」
金色の瞳が本来の紫色に戻っていた。それを指摘したシャナに言い返そうとして、また声が重なる。
そして何より……夢の世界に異変が起き始めていた。
「(平井ゆかりの意識が、目覚め出している……!)」
あり得ない事だった。メアの『ゲマインデ』は確かに脆い。意思総体の強い者には通じないし、それが夢だと気付かれるだけで崩されてしまう。しかし、一度完全に夢の底に沈んだ意識が戻って来た事など無い。
「「そんなッ……馬鹿な! 私に身体を奪われたミステスが、どうして……!?」」
何故なら、メアは一度平井の意思総体に勝っているからだ。負けた意識は、そのまま夢の世界に沈んで眠り続ける。眠りの中にある者が成長して、メアの支配を破るなど考えられない。
混乱するメアと違い、一つの可能性に気付いたシャナが告げる。それは、死に逝く者への餞別にも似ていた。
「お前、“頂の座”に触ったでしょ」
触った。確かに、ヘカテーは敗北の寸前、未練がましく縋り付いて来た。だが、今のメアにはその意味が解らない。既に平井の記憶を読む事さえ出来なくなっていた。
「あいつは触れた相手に自分の感覚を共有させる事が出来るのよ。触った瞬間に、平井ゆかりに伝えたんでしょ。精神支配の破り方を、ね」
「「嘘よ! あんな一瞬で、こんな簡単に……!」」
「だから、コツを掴むのに今まで掛かったんでしょ」
事も無げに言ってのけるシャナに、メアは言葉を失う。メアにとって信じられない事を平然と受け入れるシャナの姿に……そのあまりの違いに愕然とする。
「「認めない……認めてたまるか!!」」
抵抗の意思を剥き出しにして広げた掌から、“朱鷺色の炎弾”が放たれる。脆弱な炎はシャナを呑み込み、しかし黒衣に阻まれて容易く払われた。
「「そんな……何でッ……!?」」
全身から噴き出す血色の炎。さっきまであれだけメアの心を充たしていた力が、今はメアという存在そのものをギリギリと締め付けている。
「嫌……いやぁ……せっかく強くなれたのに! あの人の隣に立てるようになったのに!!」
もはや声は重ならない。メアだけの悲痛な絶叫は平井の唇からは出ずに、何処か深く暗い所で叫ばれている。
「貴女は、強くなんてなってないよ」
平井の口から、平井の声が言の葉を紡ぐ。金色の髪が、本来の焦げ茶色に戻っていく。
「うぁああああァァァーーーー!!!」
遠ざかっていく悲鳴を最後に、羊の角が砕け散った。その中から、馴染みの触角がフリフリと現れる。
「よくも……よくも、よくも……」
その全身から、先程までとは比較にならない存在感を伴った炎が溢れる。かつてない激情を煮え滾らせて、
「百倍にして返してやる!!!」
───平井ゆかり、完全復活。