慮外のトラブルを挟みながらもベスト仮装賞を終えた御崎高校清秋祭。しかし、その一日目はまだまだ終わらない。
地域ぐるみの一大イベントだけあって、この初日だけは学校への泊まり込みが認められている。夜通し馬鹿騒ぎが御崎高校生としてのマナーである。
無論、悠二達いつものメンバーも泊まる予定で行動していた。
……ただし、流石に何も無かったようにとは行かない。
「……つまり封絶を張った徒を倒しはしたものの、どんな姿でどんな力を使ったのかは憶えていない、と?」
「……はい」
学校から少し離れたマンションの屋上に、悠二、ヘカテー、平井、シャナは勿論、ヴィルヘルミナ、メリヒム、ラミーまでが集まっていた。
ヴィルヘルミナの無表情に問い詰められて平井が小さくなっている。
「“化かされた”と考えた方が自然だな。本物は今も何処かに隠れているだろう」
ちなみに、マージョリーはいない。清秋祭に顔を出していなかったものの、当然異変は感知していたが、連絡用の栞でラミーの名前を出した途端に丸投げしたのである。個人的に顔を合わせたくないのだろう。
「それでも気配を悟らせないんだから、かなりの自在師って事かな」
「……かなりの自在師が、わざわざ自分から姿を現して平井ゆかり一人に追い払われたりするかな」
メリヒムの断言に悠二が思い、シャナが唸る。昨今の情勢を考えると警戒心が強まるものの、今回の敵の襲撃は何とも不可解に過ぎた。
誰にも気付かれていなかった癖に、自分から姿を現した。姿を現した癖に何かを成し遂げたとも思えない。もし平井が本当に敵を倒していた場合、『やられに来た』としか思えない状態である。平井が化かされていた場合でも、無駄にこちらの警戒心を煽った事実に変わりない。
わざわざそんな事をする理由、
「挑戦状、でありますな」
「支持」
二人で一人の『万条の仕手』の言葉に、悠二が眉を上げる。
「そんな馬鹿な事、するのかな」
「珍しくはありません。外れた世界で力を振るう徒の中には、『自己顕示欲』を抗い難い欲求として持つ者も多いですから」
無謀としか思えない仮説を、ヘカテーが徒としての観点から支持した。
しかし、敵の思惑がどうであれ、今の悠二らに取れる選択肢は多くない。
「無謀な挑戦だとは思うけど、あんまり楽観も出来ないな。“そいつら”、普通なら封絶を使わずに暴れるような奴らなんだろ?」
気配察知の自在法を街中に広げながら、悠二はヴィルヘルミナに問う。
平井が遭遇した徒の事は解らないが、近い内に現れるだろうと予測していた徒については多少の事前情報があった。
───『革正団(レボルシオン)』。
十九世紀後半から二十世紀前半に掛けて存在したという集団。その掲げる思想は“紅世の徒の存在を人間に知らしめる事”であり、だからこそ真実を隠蔽してしまう封絶を好まない。人間に致命的な絶望と混乱を齎すだろう危険な思想ゆえにフレイムヘイズの軍団の手で滅ぼされた筈だった。
しかし今、各地で外界宿(アウトロー)を潰して回っているのが、その『革正団』である可能性があるという。襲撃犯と交戦し、生き延びた数少ないフレイムヘイズにしてヴィルヘルミナの友人、『輝爍の撒き手』レベッカ・リードからの情報である。
生き残りがいたのか、ずっと機を窺っていたのか、最近になって『革正団』の思想に共鳴したのか、いずれにしても、現実の脅威として存在する。それも、“狩人”と教授という極め付けに厄介な味方をつけて。
「いない……いや、見つけられない」
自在法の手応えの無さに嘆息して、悠二はヴィルヘルミナに目を向ける。
「結局、向こうから何かしてくるまで動けないって事かな」
「フレイムヘイズ……いえ、護る者はいつだって受け身なものであります。貴方も慣れておくべきでありましょう」
親切からの忠告を受けて、悠二は渋い顔をする。今回だけならまだしも、これからずっとと言われると思う所があるのだ。
……何より、先手を打たれて取り返しのつかない事にならないとは限らない。
「それほど心配なら、君が護ってやると良い。君も以前のままではないだろう?」
そんな悠二の心中を見透かしたようなタイミングで、ラミーがそう告げる。それを聞いて不満そうに膨れるのは平井だ。
「あたし、もう自分で戦えるよ?」
「阿呆が。少しは身の程を弁えろ」
そして、間髪を入れずメリヒムに呆れられる。すかさずヴィルヘルミナが続いた。
「現に今も、戦った敵の姿すら思い出せない。戦場に出すにはあまりに危険であります」
「う……でも、せっかく戦えるようになったのに」
「今のお前は“戦える”ようになってない。もし戦ってる時に邪魔になったら、お前から斬る」
シャナにまで釘を刺されて、平井がガックリと項垂れる。
シャナはともかく、メリヒムやヴィルヘルミナは平井がどれだけ強さを求めていたかを知っている。それでも、当然、そんな理由で参戦を認めはしない。
「……はーい」
その理由も解ってしまう平井は、渋々ながらも引き下がる。
人間だった時は言われなくても割り切れていた事も、今では酷く焦れったい。そんな自分の心を危険だと自覚して戒める。
「(……僕が、護る)」
そんな平井の背中を見ながら、悠二もまたラミーの言葉を噛み締めていた。
「(今度こそ、護る)」
癒えない傷が、消せない過去が、胸の奥を軋ませる。後悔に裏打ちされた恐怖は四肢を竦ませる事なく、理性によって強靭な意志へと結実される。
(クイクイ)
覚悟を固める悠二の袖を、ヘカテーが軽く引っ張った。
「……そろそろ、ファイアーストームが始まります」
上目遣いに訴えながら、落ち着きなく身体を揺らしている。
ヘカテーにとっては、いつ現れるかも判らない敵よりも初めての文化祭の方が優先順位が高いようだ。
場に、解散の空気が流れる。
「まあ、敵の狙いが判らん以上、どこに居ても同じだからな」
「警戒だけは怠らぬように。有事の際には何を措いてもまず封絶を」
メリヒムとヴィルヘルミナが、そう言い付けて去って行く。ラミーもまた、帽子の鍔を抓んで軽く会釈してから何処かに消えた。
「よっし! 気を取り直して踊るか悠ちゃん」
「ったく、自分が襲われたって解ってる?」
「次は返り討ちにします」
平井も、悠二も、ヘカテーも、束の間の日常に戻っていく。
夕焼けに照らされて伸びる影が、黄昏に呑まれて薄れていった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
手を繋ぎ、肩を抱いて、悠二は慣れないステップで炎の周りを踊る。
「(……見られてる。ものすっごい見られてる)」
自分に好意を寄せてくれている少女と、夜闇の中で炎に照らされた雰囲気の下、身体を寄せ合ってフォークダンス。この状況に対する緊張や動悸も尋常ではないが、周囲からの好奇の視線も羞恥心を掻き立てる。
見世物じゃない、と言ってやりたい所だが、これは見るなという方が無理だろう。
ベスト仮装賞に選ばれた男子が、同じくベスト仮装賞の候補に挙がった女子と……“代わる代わる”踊っているのだから。
「(開き直れ坂井悠二。これは僕と彼女たちの問題であって、外野は関係ない)」
どんな風に見られているかを察しながらも、悠二は執念で無視する。彼女らが向けてくれる気持ちの真摯さに比べれば、悠二のちっぽけな世間体など塵芥に等しい。
などと考えている時点でダンスに集中できていない、という事実の証明のように……
「痛っ!?」
三人目のダンスパートナー……ヘカテーに足を踏まれた。
「……すいません」
「いや、今のは僕が悪い」
普段は日常であってもキビキビチョロチョロとしているヘカテーが、今は酷くぎこちない。真っ赤な顔でカクカクと動くヘカテーは、言い方は悪いが吉田のようだ。
「(……あーもう、可愛い)」
その仕草があまりにも可愛らしく、直視できなくなって悠二は顔を逸らした。
悠二にとってヘカテーは外れた世界の師であり、頼もしい戦友であり、手の掛かる妹だった。今でこそ彼女の気持ちに気付いているが、未だに戸惑いが大きくて気持ちの整理がつかない。
……いや、整理がつけば解るという自信も無いのだが。
「(……ごめん、色々)」
己の愚鈍な心を本気で呪いながら、悠二は口の中だけでヘカテーに謝る。
拙くも懸命なダンスはあっという間に時間を迎え、二人は並んで炎の傍から離れて……
「せいっ!」
「ぐはぁ!?」
佐藤の一撃を皮切りに、悠二は複数のクラスメイトから袋叩きに遭った。
「うわぁ、気持ち解るけど酷いねアリャ」
その様を、当事者たる悠二、ヘカテー、佐藤を除く『いつものメンバー』が、少し離れた校庭の階段から眺めていた。
「一美、助けなくて良いの? 坂井君の被害の三分の一は一美のせいだと思うけど」
「え、えぇ!?」
緒方から意地悪く無茶ぶりされて、吉田が可哀想なくらいに狼狽する。その横から、
「男子の社交辞令みたいなものだから、放っときなよ。大体、いま吉田さんが出て行っても敵が増えるだけだと思うし」
メガネマンがさり気なくフォローする。その言葉に、緒方はなるほどと納得して、ドロップキックされている悠二を見る。確かに、本気で抵抗している様には見えない。甘んじて制裁を受けているようにも見受けられた。
「でも、坂井君があんなに強かったなんて知らなかったよ。田中達は知ってたわけ?」
演劇の最中、達人的な技量でシャナと戦う悠二の姿を思い出して緒方は呟く。
「それ、もう何度目だよ」
もちろん、ぶっつけ本番でやったわけもない。緒方が悠二のバトルシーンを拝むのも一度や二度ではなかったのだが、よほど衝撃の事実だったらしい。
「あれは演劇に合わせて手加減しただけ。私や近衛史菜に比べたら、あいつもまだまだ弱い」
「ほぇ~、世界は広い……いや、狭い? ねぇ」
「何だそりゃ」
よく分からない表現で緒方が小さな笑いを呼ぶ。その反面、吉田は少し複雑そうだった。
「(私って、坂井君の事なにも知らないなぁ)」
一緒に住んでいるヘカテー、意味深な絆を匂わせる平井、親友である池は勿論、佐藤や田中、そして少なくとも表面上はそれほど仲良く見えないシャナまでもが、自分より悠二に近いような気がする。
これは恐らく、以前から度々感じている『壁』……何らかの秘密の共有だろうと吉田は直感する。
少し前なら、『簡単に話せない事情があるのだろう』と自分を納得させる事も出来たのだが、『壁』の内側に池達が入ったとなると心中穏やかではいられない。
「(……そういえば、ゆかりちゃんも強かったんだよね)」
思って目を向ければ、階段に座って俯いたまま動かない平井の姿があった。どうしたのかと近付いてみると、小さな寝息が聞こえてくる。
「ゆかりちゃん?」
「ん……あれ? あ、ごめん、寝てた?」
「うん、多分」
浅い眠りだったのか、少し声を掛けたら薄い反応で目を覚ます。
「大丈夫? ジュースでも持って来ようか?」
「んー……じゃあ、コーヒーお願いしてい? この夜をオールで駆け抜けられそうなヤツ」
「あはは……うん、ブラック買って来る」
「ブラックはやめて!」
「冗談だよ」
微笑を残して、吉田は駆けて行く。恋敵相手でも普通に優しく接する事が出来るのは、吉田の長所であり強さだ。
「んー! っよし!」
平井は立ち上がり、グッと伸びをして気合いを入れる。日常でも、非日常でも……
「これからが本番、ですからね」
───知らず、少女の口元が微かに歪んだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
清秋祭初日の夜は徹夜で騒ぐのがマナー。と言っても、学生の屋台や喫茶店では備蓄にも限界があるし、楽しい夜にずっと出し物を続けたいなどというクラスは稀有だ。
故に、こういう場合は学生ではなく隣接した商店街の屋台に頼るべきであり、校内で騒ぐなら必然的に買い出し組が必要になってくる。
「っ~~♪ ♪♪~~」
そのジャンケンに負けた平井と悠二が、両手に大量の食糧を持って夜道を歩いていた。厳密には負けたのは平井一人で、悠二はボディガード兼お手伝いとして同行を申し出た形だ。
夕方にあんな事があった以上、平井を一人には出来ない。同様に、人間の付き添いも無意味だった。
「いやはや少年、このシチュエーションはなかなか悪くないと思わないかね?」
「……何が少年だ」
機嫌良さそうに回って見せる平井の言葉が照れ臭くて、悠二はぶっきらぼうに視線を外す。
二人は今、買い物を終えて騒がしい通りから少し離れた路地を歩いている。せっかくだから遠回りしよ、という平井の提案に付き合わされた末の今だった。
「(そりゃ僕だって、意識しないワケじゃないけど)」
高一の文化祭、どうしたって気持ちが浮かれる夜に、気になる女の子と二人きり。祭り囃子が耳を擽る静かな空間は、否が応にも鼓動を高鳴らせる。
……が、悠二はその衝動に身を任せられない。自分は本当に平井を好きなのか? もし違ったら自分も、彼女も、別の少女も傷つけてしまうのではないか? そんな懸念が先に来て、あと一歩を踏み出せない。
……いくら“考えても”、自分の気持ちが解る事はないと判っているというのに。
「しつこいようだけど、妙な徒と戦ったの ゆかりだよ? ちょっとくらい緊張感ってもんを……」
半ば誤魔化すようにシリアスな話題を出した悠二は……
「だけど───悠二が守ってくれるんでしょ?」
「っ」
思わぬカウンターを受けて、絶句した。……いや、少し正確ではない。
別人のように穏やかな笑顔で柔らかく微笑む彼女に、思わず見惚れたのだ。暗くて良かったと、ちっぽけな安心感を抱く悠二……の顔を見て、平井はニンマリと笑った。完全にバレている。
「んしょ」
不意に、スキップよろしく平井が先行した。然る後に反転し、何故にか両手の荷物を地面に置く。
何? と訊く暇も無かった。
「えぃや♪」
「!!?」
荷物を置いた低い姿勢からそのまま、平井が胸に飛び込んで来たからだ。
「ゆ、ゆかり……!?」
甘い香りと柔らかい感触に、今度こそ悠二は耳まで真っ赤になった。いつもの気安さとは違う大胆さに、悠二は掛ける言葉すら忘れて、次の瞬間……
「─────え?」
“脇腹に焼けるような痛みを感じて”、間の抜けた声を洩らした。
現実感の無い痛みは瞬く間に形容し難い激痛へと変化し、その半分くらいが麻痺してぼやける。
「何……ぐぶっ!?」
何が起きたのか理解しようとする頭が、横っ面に受けた衝撃で揺さ振られる。次いで、痛む脇腹に更なる衝撃が深々と突き刺さった。
「ッ……か……」
堪らず膝を着いた悠二が真っ先に目にしたのは、自分の血で出来た水溜まり。次に目にしたのは、脇腹に触れた手をベッタリと汚す鮮血。
そして、顔を上げて……漸く理解した。いや、信じたくなかったモノを見せ付けられた。
「ふふ、ふふ、あはは……」
その手に握る粗末な短剣を血に染めて、歪んだ笑みを浮かべる───平井ゆかり。
“平井ゆかりが、坂井悠二を刺した”のだ。
「アハハハハハハッ!!!」
歪んだ口元が裂けるように広がり、酷薄な笑声が弾ける。
「こんなにアッサリやられるなんて、まだ“人間が抜けきってない”って話は本当だったんですね」
深緑の制服が霞み、揺らめき、深紅のドレスとなって少女を飾る。
「だけど、私はやった! 彼を退けた貴方を、私がこの手で!」
噛み締めるように粗末な短剣を見つめる紫の瞳が、金色に輝く。立ち上る存在感に靡く髪もまた、金色に染まる。自慢の触角が、羊のような角へと変貌する。
「お、前……誰だ……!?」
不安定な肉体も、振り撒く気配も、胸に燃える灯火も、間違いなく平井ゆかり。だが、こんな存在が彼女である筈が無い。
「ああ、そうでした。貴方にはまだ名乗っていませんでしたね」
憤る悠二に誇らしげな表情を向けて、平井の姿をした何かが掌を広げ……
「“戯睡郷”メア。この名を、胸に刻んでおいて下さいな」
───鮮やかな血色の炎が、少年を呑み込んだ。