大盛況の内に幕を閉じた一年二組の『シンデレラ』。しかしまだまだ清秋祭は終わらない。学生、一般客問わず賑わう校庭の真ん中を……
「(え……あれ? え……?)」
緒方真竹と田中栄太は、二人きりで歩いていた。
「(何これ! 何これ! 何これ!?)」
ほんの少し前まで、吉田、佐藤、池、ヘカテー、も一緒だった。だがわざとらしい言い訳と連携であれよあれよと散っていき、あっという間に二人きりにされてしまった。
心のどこかで臨んでいて、しかし難しいだろうと諦めていた状況が、訳の分からない内に目の前にある。
「(えっと……もしかしなくても、バレてる?)」
緒方は田中の事が好きなのだ。高校に入ってから危機感を覚え、悠二達のイベントに紛れ込んで地道なアプローチを重ねながら今日に到る。
そこまで露骨だったとは思えないのだが、この不自然な展開は明らかに作為的に作り出されたものだ。……恐らく池か佐藤、或いはその両方に気付かれている。つまり気を遣われたのだ。
「……何なんだろうな、一体」
そんな事とは露知らず、不思議そうに頬を掻く田中を見て、緒方はガックリと落ち込む。気を遣ってくれたのは有り難いが、肝心の田中が唐変木では意味が無い。
……と、思っていたのだが、
「まぁ……その、何だ。せっかくだから、二人で回るか?」
などと、田中はやや固い表情で視線を逸らしながら宣った。
……おかしい。明らかに、以前の田中とは違う。思い返せば、新学期が明けた辺りから微妙に態度はおかしかった。どことなく悩んでいるような雰囲気もあるのだが、少なからず“意識されている”。
「うん!」
気にならない、と言えば嘘になる。しかし今はどうしても喜びが先に立つ緒方だった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「アウトロー?」
「ああ、フレイムヘイズの情報提供とか、支援したりする人間の組織、らしい」
前方、わたあめの列に並ぶヘカテーと吉田を眺めながら、池と佐藤がジュースを啜る。
「フレイムヘイズになれなくても、人間のままマージョリーさんを手助けする事は出来るってわけか」
「……いや、それもちょっと微妙でな。最近その外界宿(アウトロー)がガンガン落とされてるんだと」
佐藤は憧れのマージョリーを追い掛けるべく、自分に出来る事を模索していた。池はその相談を受け、熱意を持って平井から情報を聞き出せとアドバイスしたのだ。
佐藤はそのアドバイスを実践し、先日見事に成功した……かに見えたのだが、タイミングが悪かった。
「今から外界宿も入っても今おきてる事件の助けにはならないし、リスクしかないから暫く様子見ろってさ」
「うっわ……やっぱり相当危ないんだな」
直接戦うフレイムヘイズでなくとも、支援に徹する人間も命懸け。壮絶な世界である事を再認識して、池の表情が強張る。佐藤はもっと深刻だ。覚悟を決めた矢先だというのに、大人しく引き下がってしまった事が情けない。
「……で、田中は一緒じゃないんだな?」
「……まぁ、な」
その一連の行動は、佐藤一人でやった事。同じくマージョリーに憧れている筈の田中は同行していない。
こんな風に二人の行動が分かれだしたのは……“平井ゆかりという友人を忘れた”、と明確に思い知らされてからだ。
恐らく……あの宣告が、それぞれの本当に望むモノを浮き彫りにした。佐藤にとっては、憧れへの更なる執着を。田中にとっては……憧れに呑まれて見えなかった、本当に失いたくない存在を。
明確に言葉にした事こそないが、共に過ごす日常に生まれた微かな相違が、それまで重なっていた二人の道を少しずつズレさせていくのを感じる。
佐藤が、田中が、気付いていながら認めずに目を逸らし続けていた事実を、池がアッサリと指摘した。佐藤はただ、曖昧に相槌を打つ。
そうこうしている内に、ヘカテーと吉田が戻って来た。ヘカテーはともかく吉田に聞かれるとマズいので、この話はここまでだ。
ライバルを綿アメで手懐けながら戻って来る吉田を見ながら、池は思う。
「(僕は……どうするかなぁ)」
田中と違って、親友と一緒に憧れのフレイムヘイズを追い掛けたいと思った事などない。大切なモノが日常の側に在ると断言できるし、その事に引け目など微塵も無い。
ただ、好きな少女が外れた親友に惚れている事は気掛かりだし、“知らない間に喰われるかも知れない”という現実は変わらない。外界宿やフレイムヘイズと関わらなければ良いという問題ではないのだ。
今のところ そういう事に対する恐怖が無いのは、悠二やヘカテーが御崎市にいるからだ。遠くない未来、抗う術の無い怪物にいつ喰われるかも判らない日常が待っている。
「(……こっちはこっちで大変そうだぞ、坂井)」
絶望とも達観とも違う、奇妙な感情が胸の奥に広がっていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「はむっ♪」
幸せそうにタイ焼きを頬張りながら、シャナが校舎を練り歩く。その後ろに、ヴィルヘルミナとメリヒムが続いている。異様に目立つ光景だった。
「納得いかないのであります。なぜ彼女が名も無き刺客などという意味の解らない役をさせられるのか。脚本を手掛けた平井ゆかり嬢の真意を問い質す必要がありましょうな」
勿論この二人……いや三人、開幕のパレードも先ほどの演劇もきっちり見ている。しかもビデオカメラに納めている。
「ふん、あれで良かったんだよ。あの演劇では魔女の出番の方が少なかったし、シャナがシンデレラになって坂井悠二に口説かれるなど演技でも不愉快だ」
「しかしあれでは……いや、そもそも王子役を坂井悠二が担っていた事自体が誤り。現代では女性が男装して行われる演劇も少なくないと聞くのであります」
「男、装……? なるほど、確かにそれならば……」
普段は会話も満足に交わせない癖に、熱が入って饒舌になっている。
何とも言えない気恥ずかしさを感じるシャナだが、何故かいつもぎこちない二人がいっぱい喋っている事の方が嬉しくて静観していた。実はアラストールとティアマトーも口を挟みたがっているのだが、ここは流石に人の目がありすぎる。
「(……気付かれてない)」
そんな親バカ共を一瞥して、シャナは密かに安堵の吐息を漏らす。演劇の最中にやらかしたミスの事を多少なりとも気にしていたのだが、どうやら上手く誤魔化せていたようだ。
もちろん、シャナは誤魔化せたからそれで良しなどとは考えていない。曲がりなりにもクラスの一員として今日まで頑張ってきたのだ。自分以外の人間の練習や苦労も目の当たりにしてきた。それを『演劇なんてどうでも良い』と切り捨てられはしない。そう……今では思えるようになっていた。
なのに、ミスした。責任感はあっても気負いは無かった。練習通りにやれば問題ないと本気で思っていたし、事実、殆どはその通りに出来た。
だが、あの時、
「(……どうして、言えなかったんだろ)」
台詞を忘れた訳では無い。緊張していた訳でもない。なのに、あの時、躊躇した。
───貴方とは、もっと違う形で出逢いたかった。
只それだけの、何でもない台詞を。
「………………」
そんな事を考えながら歩いていると、いつしか校舎から外に出ていた。半ば本能的に嗅覚を働かせて甘い物をサーチする。その結果として、甘い物……あくまでも甘い物に反応して、自分のクラスのクレープ屋を切り盛りしている坂井悠二に目が向いた。
丁度、彼の母・千草がクレープを買いに来ている所らしい。
「……クレープ、買いに行く」
後ろの二人に意思表明して、やや小走りでシャナが行く。準備期間中、悠二には『シャナに任せたら摘まみ食いで全部なくなる』などとからかわれた。もししょっぱいクレープを出したら思う存分ワーワー言ってやる、という心待ちで近付こうとしていると……
何やら、千草がカメラを取り出した。それを見て、悠二の隣に居た平井が彼の腕に自分の腕を絡ませ、心底楽しそうにピッタリとくっついてピースマークを出す。真っ赤になって慌てる悠二に構わず、千草はシャッターを切った。
「ッ……」
何故か、猛烈に面白くない。
如何ともし難い衝動に駆られて、シャナは動いた。提げたビニール袋から素早くメロンパンを取り出し、包装を破って投擲する。放たれたメロンパンは怪獣の如く回転しながら人混みをすり抜け、抜群のコントロールで悠二の口に直撃した。
もちろんメロンパンは地面に落ちたりはしない。口に納まり切らないまでも絶妙に押し込まれたように咥えさせられている。
「……い、今の行動は、一体?」
平井、千草、メリヒム、のみならず周囲一帯の何事かという視線を代表して、ヴィルヘルミナが疑問を口に出した。
「別に」
シャナは、説明するまでもないという風に返した。坂井悠二が自分を不機嫌にさせた事が許せない、だから制裁を加える。自分たちの関係性を考えれば妥当と思われる結論に納得して、それ以上深くは考えない。悠二の何が自分を不機嫌にさせたのか、という事も。
「……何なんだ」
ひっくり返った悠二が、モグモグとメロンパンを咀嚼する。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
清秋祭初日、午後四時半を少し回った頃、
【レディース&ジェントルメン! 今年もこの時がやって来ました! 御崎高校ベスト仮装賞!】
御崎高校の校庭は、地面が見えない程の観客で埋め尽くされていた。御崎高校一年生による開幕仮装パレード、それに選ばれたメンバーから更に男女の上位三人を投票で選抜、発表、表彰する儀式の始まりだ。
【さあ御覧下さい! ここに集まったのが群雄割拠の仮装パレードの中から選りすぐられた十人の勇者! まずは一年一組、『赤ずきん』猟師役───】
司会の少女が言うところの“勇者”が、まずは男子から紹介を始める。あくまでも紹介であり、この順番と順位は必ずしも一致しない。
ちなみに、この紹介も順位の発表も男子からである。まるっきり前座扱いだが、毎年やっていて文句が出た試しが無い。
そして、その選ばれし男子五人の中に……
【一年二組『シンデレラ』の王子役、坂井悠二君!】
ちゃっかりと、この男も紛れ込んでいた。完全に、演劇で無駄なバトルアクション盛り込んだせいだと悠二は見ている。
───そして、女子。
【さぁさぁさぁこれは前代未聞! なんと入賞した五人のうち四人が同じクラス! “ヤツ”を含めたら全入賞者の半分が同じクラス! こんな花園が存在して良いのか!? 一年二組『シンデレラ』───】
一年一組の女子が一人呼ばれた後、彼女らは同時に前へ出た。
【シンデレラ役、吉田一美!】
【サンドリヨン役、近衛史菜!】
【シンデレラの姉役、平井ゆかり!】
【他国の刺客役、大上準子!】
ワッ!! と、爆発的な歓声が地鳴りのように響いた。狙い澄ました、それでいて予想以上の結果に、平井のドヤ顔が止まらない。
途中から演劇そのものが本命になっていたが、最初の狙いは演劇によるアピールで以て仮装パレードの票数を稼ぐ事にあった。ヘカテーとシャナのどちらかが優勝すれば十分だったのだが、これは嬉しい誤算である。
【ではいよいよ、ベストスリーの発表です! まずは男性三位!】
猛る観客に静寂を齎さんと、司会が発表を急ぐ。結果発表のこの瞬間だけは、校庭に沈黙が下りる。
そのまま男性三位、二位と発表されて……
「(四位と五位、どっちだったのかな)」
もはや完全に他人事のスタンスで拍手製造マシーンと化していた悠二の名前が、
【そして第一位! 男子生徒の憎しみを一身に受ける優柔不断な地味モテ男! シンデレラの王子役、坂井悠二君!!】
「…………は?」
優勝者として、読み上げられた。
「っしゃあぁぁーー!!」
悠二が、観客が反応するよりも早く、人目も憚らずステージ上で平井が拳を突き上げた。一拍遅れて、歓声やら怒声やら呪詛やらが一斉に悠二に降り注ぐ。
全く予想だにしていなかったが為に目を白黒させる悠二が、近くにいた同じく入賞者の男子らにバシバシと叩かれた。
そして進行は女子へと続く。
【さぁさぁここからが本番ですよ! 女性三位! 一年二組『シンデレラ』───】
グッと、四人の間に生まれる緊張。そして……
【サンドリヨン役、ヘカテーちゃんこと近衛史菜さん!!】
「っ!」
ヘカテーが、ピクッと跳ねた。三位……人によっては喜んでも良い結果だが、実のところヘカテーは見知らぬ不特定多数の評価には興味が無い。
ただ、何となく、“悠二とお揃いじゃない事”を素直に喜べない。
【続いて、二位! またまた一年二組『シンデレラ』他国の刺客役、シャナちゃんこと大上準子さん!!】
「っ……!」
続く二位は、シャナ。こちらも当然、満面の笑みとはいかない。何かにつけて悠二をライバル視するシャナにとって、男女別とはいえ悠二より下の順位は屈辱でしかなかった。
「(……あり?)」
そして当事者達とは別に、この流れに首を傾げる少女が一人。そう、平井ゆかりである。
「(ヘカテーが三位で、シャナが二位?)」
悠二の一位は思い切り狙った。本来のシンデレラには無いバトルシーンで悠二の見せ場を作り、日常生活ではお目に掛かれないハイスペックぶりを観客に見せ付けてやった。
しかし女子の方は……ヘカテーとシャナでワンツーフィニッシュの予定だったのだ。
【そして栄えある女性一位、一年二組『シンデレラ』───】
釈然としない平井に構わずに式は進行して、
【シンデレラの姉役、平井ゆかりさん!!】
疑わしげに一組の『不思議の国のアリス』アリス役の黒田寿子をジロジロ見ている平井の名前が、呼ばれた。
故に平井は数瞬気付かず、
ワアッ───!!
「うわっ!?」
校庭中の途轍もない歓声を受けて、我に帰った。
「スゴい……ゆかりちゃん、優勝だよ!」
「え……は……あたし?」
場の空気に引きずられるように興奮した吉田に肩を揺すられて、今更ながらに事態を理解する。
平井は吉田ほど弱気ではないが、ヘカテーやシャナを押さえて一位になれるなどと思い上がってはいない。ベスト5に入れただけでも大喜びだったのだ。
しかし実際に、彼女はこうして一位に選ばれている。
【今回のベスト仮装賞はホンット~に大接戦でした! 一位の平井さんと三位の近衛さんの間には十票差もありません! 許されるなら三人とも優勝にして差し上げたい!】
おそらく、単に容姿だけを競えば平井の目論見通りになっただろう。だが、平井が脚本を手掛けた演劇こそが結果を左右した。
あの演劇で最も優れていたのは、ストーリーでも女優でもなく、アクションだ。そのアクションの差でヘカテーはシャナに敗れた。今回の『シンデレラ』に於いて、シンデレラは王子や刺客どころか姉よりも弱い設定だったからだ。
そして、平井。彼女には一人で王子やシンデレラを追い詰める刺客役ほどのアクションは無かったものの、全体的な演技力はヘカテーやシャナとは比較にならなかった。
役者としての総合力で平井はヘカテーらに競り勝ったのだ。
【では平井さん、優勝者インタビューをどうぞ!】
「……おおぅ」
差し出されたマイクを受け取る段になって、ようやっと平井にも実感が湧いてくる。やや分不相応な気もしているが、ここで退くほど空気の読めない少女ではない。
ただ、こんな事態は想定していなかったから何を言ったものか……と考えた時、ふと思い付いた。
「(……“言っちゃおうかな”)」
もはや隠す気も偽る気も無い。まだ明確な言葉にしていないのは、お楽しみを取っておいているに過ぎない。
奇しくも男女のベスト仮装賞。おそらく全校生徒+αが集まっている状況。カードを切るのは今ではないだろうか? 何より、言われた少年が大衆の前で、可愛い少女らに囲まれた状況で慌てふためく姿を想像したら……堪らない。思わず頬が緩んでしまう。
「っ………!?」
イタズラ心に満ち溢れた流し目を受けて、悠二が露骨に怯える。ならば期待に応えようとマイクを受け取った平井が、大きく一歩前へ出る。
その、視線の先で───
「?」
溢れる人混み、歩くのも儘ならないの中で……唐突に派手な日傘が咲いた。
まるで吸い寄せられるようにその持ち主に視線を下ろすと……微笑する金色の髪の少女と───目が合った。
瞬間、
「んなぁっ!?」
少女を中心に広がった朱鷺色の世界が、驚く平井を取り込んだ。
「ふ、封絶!?」
あまりにも突然の出来事にパニックに陥る平井の前で、少女が人混みの中からフワリと浮き上がり、何もない中空に降り立った。
「フフ、はじめまして、ミステスのお嬢さん」
深紅のドレスに身を包んだ、肩に届かない柔らかい金髪の少女。間違いなく美少女と断言出来る容姿だが、後頭から羊の様な角が生えている。
その姿、展開された自在法、何より目に映る違和感が紛れもない事実を示していた。
「紅世の徒……!」
「はい、“戯睡郷”メアと申します。以後お見知り置きを」
メアと名乗った少女が、柔らかく頬笑む。余裕とも見える態度に必要以上のプレッシャーを感じた平井が後退……ろうとして、陽炎の壁に背中をぶつけた。
「無駄ですよ。私の『ゲマインデ』からは、出る事も入る事も叶いません」
そこで平井は、漸く今の正確な状況を知った。この封絶……否、『ゲマインデ』というらしい自在法は、メアを中心に平井を取り込む形で展開されている。しかし範囲は校庭どころか公園程度、そして結界の壁は平井の真後ろ。……つまり、すぐ近くにいた悠二、ヘカテー、シャナすら取り込んでいない。
出入りが不可能、という言葉が真実だとするならば……
「(分断された……!?)」
愕然とする平井の前で、少女は日傘を消し、代わりに神楽鈴を握り、鳴らした。
「お行きなさい、『パパゲーナ』」
それに応えるように、朱鷺色の炎弾が数発、一斉に平井を襲う。
「(挨拶してすぐ攻撃ですか……!)」
初の実戦、味方はいない。気負いはある、恐怖はある、だが……人の身で燐子を欺いた時ほどのものではない。
「(女は度胸!!)」
意気込む平井ごと、連鎖的な爆発がステージの前半分と、ステージ近くにいた生徒を呑み込む。
広がり燃える爆炎の中から、
「っりゃあぁーー!!」
火傷一つ負っていない平井が、大剣を片手に飛び出した。悠二から譲り受けた火除けの指輪『アズュール』の力である。
そして、悠二から引き継いだもう一つの宝具が血色の波紋を浮かび上がらせる。
「『吸血鬼(ブルートザオガー)』!!」
平井の核を為す魔剣が、唸りを上げて振り下ろされた。メアは神楽鈴で刃を受け止めようとするが、それこそが平井の狙い。
『吸血鬼』には、注いだ力で刃に触れた相手を斬り刻む能力がある。即ち、防御は無意味。
しかし───
「えっ」
その力が発現される事は、無かった。何故ならば、大剣は止められる事なく振り抜かれたからだ。
───構えた神楽鈴ごと、メアを真っ二つに両断して。断ち切られた二つの身体が、火の粉となって散っていく。
「これで、終わり……?」
あまりにも呆気ない決着に、平井は逆に困惑する。散っていく朱鷺色の炎……その残滓に漂う気配を感じて、漸く気付いた。
「気配が、小さすぎるんだ」
そもそも、こんな距離に徒が居たのに誰も気付けなかったというのが不自然なのだ。
その理由が、この“弱さ”。直接視認しなければ気付けないほどの、人混みに紛れるだけで隠れてしまえるほどに小さな、トーチ程度の力しかない徒だったのである。
「そんな奴が何で正面から……ってヤバ!」
そんな事を考えている間に、術者を失った結界が揺らぎ始めた。平井は今の自分に使える数少ない自在法・封絶で塗り潰す形でこれを維持する。
それと同時に、悠二、ヘカテー、シャナが飛び込んで来た。
「ゆかり、敵は……!?」
真剣そのものといった風な悠二に、平井は誇らしげに親指を立てる。
「楽勝!」
後れ馳せながら実感する。只の人間でしかなかった自分が、紅世の徒を倒したのだと。彼の隣を歩くに足る力を得たのだと。
しかし、肝心の悠二は怪訝そうな顔をする。
「楽勝って……封絶が張られてから“まだ一秒も経ってないぞ”?」
「……はい?」
どれだけ速く倒したんだ、と訝しがる悠二だが、平井の方こそ意味が解らない。
確かに呆気なかったが、いくら何でも一秒などという事は有り得ない。だが、
「信じられんな。貴様、本当に敵と戦ったのか?」
「大体お前、どうしてそんなに急いで敵を倒したの?」
証人は悠二だけではなかった。二人で一人の『炎髪灼眼の討ち手』までが疑わしげに平井を見てくる。
「……外にも気配はありません」
ヘカテーに至っては、平井に何か訊く前に、一度封絶の外に出て気配を確認してきたりしていた。
一秒未満というなら確かに、倒したのではなく、封絶を張って、悠二らが侵入すると同時に逃げたと思うのが自然だろう。
しかし当然、それで平井が納得できる筈がない。
「あたし嘘ついてないよ!?」
「いや、僕も嘘ついたとは思ってないよ。とにかく、話は後にして封絶解こう」
「あ、だったらまず壊したトコ直さないと……」
と、言い掛けた平井はふと気付く。封絶の中に、“破壊された痕跡など微塵も無かった”。
「どんな徒だったのですか?」
クイクイと袖を引っ張って、ヘカテーが訊いてくる。平井はごくごく普通に答えようとして、
「ん? えっとね……あれ?」
答えようとして……
「………………何だっけ?」
───答える事が、出来なかった。
『フフ、フフフ』
どこかで、誰かが、
『さあ───覚めない夢に微睡みなさい』
───昏く笑った、気がした。