御崎高校清秋祭。
主催が学校側のみならず、高校に隣接する商店街によっても運営される関係で、御崎市に住む者ならば知らぬ者はいない程の一大イベントとなっている。
そしてこの清秋祭の火蓋を切るのは、御崎高校の一年生。即ち悠二らの学年による仮装パレードだった。クラスの代表として仮装して街中を歩くという行為だけでも、栄誉に見合ったプレッシャーを伴ったのだが、今、悠二ら一年二組はそれ以上の緊張を持って“開幕”の時を待っている。
「う~、うぅ~、ううぅ~……」
舞台裏の更に隅っこで、シンデレラこと吉田一美が、破裂しそうな心臓を押さえて蹲っている。紆余曲折あって主役の一端を担う事になった彼女だが、やはり恥ずかしがり屋の彼女には相当なプレッシャーだったようだ。
流石に心配になって声を掛けてみたらば、
「吉田さん、大丈夫?」
「はいぃ!? だ、だだだ大丈夫です王子様!!」
そんな事を口走り、クラス中からクスクスと笑われる始末。ある意味、早くも役に入り込んでると言えなくもない。
「大丈夫大丈夫、一美なら立派な灰被りになれるって!」
そのガチガチの肩を、シンデレラの姉こと平井ゆかりが励ますように叩く。こんな時でも解かないツーサイドアップが、無骨な鎧姿に奇妙な愛嬌を持たせている。
「灰被り……うぅ……」
「主演女優が何へこんでんだか」
「ゆかりちゃんに言われたくないよ!?」
そう、シンデレラと言っても、あくまで“平井が手掛けた脚本における”シンデレラである。
無論、脚本が出来上がった後に少なからず物議を醸しはしたのだが、その再考の結果が今の配役なのだから今さら文句も言えない。
笑い混じりに言い争う二人にフォローは不要と判断して、悠二は嘆息を吐いて離れる。
「(って言うか、人の心配してる余裕ないもんなぁ)」
カーテン越しに伝わってくる雑談の声に、悠二は生唾を飲み下す。仮装パレードの間中ずっと自信満々に劇のアピールをしていたソフィア様のせいか、それともヘカテーとシャナの常識外れな容姿のせいか、体育館は超満員である。
「(まあ、観客が何人いたって、やるしかないもんな)」
凄まじい緊張感を確かに肌身に覚えながらも、そんな感情を外からの理性で以て納得させる。自分が特殊な事をしているという自覚も無いまま開き直る悠二の鼓膜を……
(ビィィィーーー!!)
開幕を告げるブザーの音が、揺らした。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
【時は昔、とある国の王族に、一人の王子がおられました。王子は幼い頃から聡明で心優しく、親である国王や王妃だけでなく、家臣の誰もがその将来を期待する若者でした】
池速人の流暢で良く通るアナウンスの下、舞台は始まる。演目は言わずと知れた、シンデレラ。
物語は、外れた村の視察に赴いた王子が、怪我をした一匹の白い鳩を助ける所から始まる。この鳩が実物で、かつ完璧な演技を見せた時点で、体育館は声なき感嘆に包まれていた。
言うまでもなく悠二ではなく、ヘカテーの友達(名前はキグナス)に対してのものである。
【そんな王子の姿を、一人の少女が見ていた事に、鳩だけが気付いていました】
その一言を合図に一度カーテンが閉ざされ、頼もしき裏方がセットを入れ替える。
新たにカーテンが開いた時、舞台の中央に立っていたのは緒方、平井、そして吉田。古びた屋敷、一目で裕福ではないと解る衣装に身を包む三人の少女。その内、平井と吉田は無骨な鎧を身に着けている。
【それから一年後、町外れの一画で睨み合う家族がおりました】
僅かに目を伏せた緒方が、別人のように厳しい表情で顔を上げた。
「良いですね。勝負はただの一度きり、言い訳も再戦もなりません。両者……構え」
その言葉を受けて、平井と吉田が模造剣を構える。見る者にまで緊張が伝染してきそうな真剣な横顔である。
「始め!!」
二人同時に、床を蹴る。そして……二度目の歓声。
「どうしたシンデレラ! 今日こそは負けないと息巻いていたのはお前だろう!」
運動神経には全く自信が無い。それでも今日の為に練習を積んできた吉田が、“当てるつもりで”攻撃を繰り出している。
いくら拙かろうと、下手な演技では出せない“本気”がそこにはあった。何せこの打ち合い、実は演技ではない。
「勝ちたい気持ちが強すぎる。そんな大振りが当たると思うのか!」
練習の時から、吉田には『本当に当てるつもりで攻撃するよう』言い含めてある。普通ならば、素人だろうと危ないものは危ない。だが平井は吉田の剣を易々と捌き、いとも簡単に弾き飛ばした。
「そこまで! 勝負あり!!」
喝と、緒方が決着を告げた。平井が悠然と剣を鞘に納め、吉田が絶望の表情で両膝を落とす。
「では、我が家を代表してパーティーに出るのはソフィアです。良いですね? シンデレラ」
ギリッと奥歯を軋ませて吉田が悔しがった所で、再び舞台は暗転する。
次に照明が光ると、舞台は夜。窓際で悲しそうに月を見上げるシンデレラがいた。
【シンデレラの家は代々王家に仕える武門の家柄。しかし二代前の当主が王の怒りを買って以来、徐々に中央から遠ざけられ、更にはシンデレラの父が先の戦で戦死した事で家の存続も危ぶまれておりました。そう、シンデレラの家には、男子が生まれなかったのです】
本来の『シンデレラ』とは異なる設定を、池がやはり淀みなく説明する。
【そんな折、城から一枚の手紙が届きます。それは王子の花嫁を探す為のパーティーの招待状でした。王子の成長に伴い、城内の意識にも大きな変化が起こり始めていたのです。シンデレラの母は王家に仕える者として、妻として王子を支える使命を娘達に求めました。しかし……城から招待されたのは一名のみ。一つしかない椅子を賭けた姉との勝負に、シンデレラは負けてしまいました】
ガックリと、窓際に頭をつけて項垂れるシンデレラ。
【武門の家に生まれた者として、シンデレラはこれまでも日常的に剣を抜き、そして幾度となく姉に敗北してきました。しかし……今回だけは負ける訳にはいかなかったのです】
「王子様……」
微熱に浮かされたような表情で、吉田が呟いた。
【一年ほど前、シンデレラは偶然、怪我をした鳩を助けた優しい少年の姿を目にしていました。それが一目惚れだったと気付いたのは二週間後、その時の少年が王子だと気付いたのはつい最近の事です】
窓から飛び出し、城の方角を見つめるシンデレラ。しかし彼女には招待状も無ければドレスも無い。憧れの王子様に一目会う事も叶わない。
【悲しみに暮れるシンデレラ。その時、不意に空が光りました】
カッ! と青い照明が体育館を照らし、吉田も観客も視界を灼かれる。次の瞬間、舞台には新たな役者が現れていた。
黒い外套と三角帽子に身を包み、不気味な形の杖を握る少女である。いつもなら後頭で結ばれている緑の髪が、黒衣の背中に広がって伸びている。
「はじめまして、シンデレラ。月の綺麗な夜ですね」
魔女である事を隠しもしない菅野の姿に、吉田は恐れ戦いて後退る。
「ま、魔法使いの、方ですか……?」
「はい、シンデレラ。貴女を助けに来ました。お城のパーティーに、出たいのでしょう?」
いきなり現れて不可解な提案をしてくる魔法使い。シンデレラは当然、警戒する。
しかし、有り得ない筈のチャンス。愛しい王子を想う気持ちを巧みに刺激されて、シンデレラは徐々に説き伏せられていく。
「大丈夫よ。ドレスも馬車も招待状も私が用意してあげる。ただし、十二時までに戻るのよ? 私の魔法は午前零時にリセットされてしまうのだから」
「で、でも我が家からは一人しかパーティーに招かれていないんだよ? いくら招待状があっても、簡単にバレてしまうわ」
「ええ、そうよ。だから今宵の貴女は、シンデレラではいられない」
シンデレラの気持ちがこちらに傾いていると悟った魔法使いは、杖を仰々しく一振りし、呪文を口にする。
「ビビディ・バビディ・ブウ!」
途端、白煙が吉田の周囲を包み込む。その煙が不自然に横の動きを見せて晴れたかと思えば……
「……これが、私?」
そこには純白のドレスに包まれた少女が立っていた。
まるで人形のように美しい、“小柄で、水色の髪と瞳を持つ少女”である。平たく言えば、ヘカテーだった。
「今宵の貴女は『サンドリヨン』。この招待状を持って、王子に逢いにお行きなさい」
招待状を手渡した魔女が、パチリと指を鳴らす。すると舞台脇から、荷車をダンボールで飾ったカボチャの馬車が進み出た。流石に馬はハリボテに入った人間だが、御者として本物のハツカネズミがヒモを咥えている辺り芸が細かい。
(コクッ)
何故かシンデレラの時と違ってやる気満々に頷くサンドリヨンを乗せて、馬車が舞台脇に去っていく。
一人きりになった舞台で、
「……頼みましたよ、シンデレラ」
魔女が小さく、しかし観客にしっかり届くように呟いた。
【その頃、城ではパーティーの真っ最中。数多くの貴婦人が王子に自分の魅力を見せ付けますが、花嫁が決まる気配はありません】
再び舞台は移り変わり、今度は城のパーティー会場。
中央に座る王子の両脇に二人の兵士。その周囲にドレスアップした十数人の女子。悠二の引き攣った顔が、劇中の王子の心情と見事にマッチしている。
「いきなり結婚とか言われても、なぁ」
心の底から気乗りしない、そんな渋面で王子は愚痴る。
【何せこの王子、生まれてこの方 誰かに好意を持った事がありません。人として好感を持つ事はあっても、それが恋愛感情かどうか判断できず適当にその場を濁すのが常というタチの悪い悪癖を持っているのです】
練習の時には無かったはずの、悪意の垣間見えるナレーションが流れる。ギクリとする悠二の顔が、体育館に小さな含み笑いを呼んだ。
【国中から評判の気立ての良い娘を集めれば違う結果になると思ったのですが、そう上手くはいきません。今日も王子の愛想笑いが冴え渡ります】
まるで池と口裏を合わせていたかのように面白そうな顔でダンスの誘いをしてくる女子達を、言われた通りの愛想笑いでやんわりと断ってから、王子はテラスへと逃れた。
「集まってくれた皆や父上母上には悪いけど、とても決められる気がしないよ」
仮にも王家に生まれた者、恋愛結婚に拘っているわけではない。しかし結婚する以上は大事にするし、そう思わせてくれる相手が良いに決まっている。
しかし、大臣の手腕で集められた娘達でさえ、王子の心は動かない。
と、その時、
「ん?」
会場がざわめき、王子は振り返る。紛れもない貴婦人らが、まるで何かに気圧されるように道を開け……
「あ───」
それら好奇と羨望の視線を意にも介さぬ堂々とした姿勢で、一人の少女が歩いていた。
星を思わせる水色の髪と瞳。翼かと見紛う純白のドレス。比喩でも何でも無く、女神か天使に見えた。
【その時、王子の全身に雷が走りました】
ピシャーン! と激しい効果音が響き渡る。今が演劇の最中だという事も忘れて、悠二は見惚れた。
「綺麗、だ……」
意図せずして、台本と同じ台詞が零れ出る。その微かな呟きを聞き取ったのか、シンデレラの顔がみるみる朱に染まっていく。
その反応で自分の呟きを聞かれたと悟った王子もまた、赤くなった顔を背けた。
【一目惚れ。そんな言葉が王子の脳裏を過ぎります。憧れの王子との対面に、シンデレラもまた緊張を隠せません】
微妙にアドリブを織り交ぜる池のナレーションに背中を押され、シンデレラがぎこちない足取りで王子の前までやってくる。
「……はじめまして、王子様。この度ご招待に預かりました、サンドリヨンと申します。どうぞよしなに」
ここは本来、魔法を受けたシンデレラが王子を一瞬で魅了するシーン。ヘカテーはもっと毅然と振る舞う予定だったのだが、今の彼女はとても固い。セリフを間違えなかったのは幸いか。
冷静沈着を地で行くヘカテーの貴重な姿を、むしろ興味津々で見ている気配が舞台脇からする。
だが、舞台に立っている悠二にはそんな余裕は無い。
「こ、こちらこそよろしく、サンドリヨン殿」
抗い難い動揺を敢えて抑え込まず、シンデレラの美しさに狼狽する王子の姿へと転換させる。
「こうしてお逢い出来る日を、ずっと待っておりました」
「? どこかでお会いしたのでしょうか。貴女のような方を、一度会ったら忘れる筈が無いのですが……」
「王子の前に姿を見せるのは初めてに御座います。一年前、ディングの町の視察に来た事を憶えておられますか?」
夢の中にいるかのようなフワフワとした気分で歓談に花を咲かせる王子とシンデレラ。
その余人の立ち入れぬ空気に、他の令嬢らも遠巻きに見守る事しか出来ない。
「………………」
ただ、シンデレラの姉ソフィアだけが、訝しげな目でサンドリヨンを見つめていた。
【時を忘れて王子と語らうシンデレラ。いつしか二人は、静かな場所を求めて裏庭に語らいの場を移していました】
またも舞台は移り変わる。この多彩なセットを作った裏方こそが真の功労者と言っても過言ではない。
【実際に会って、言葉を交わして、シンデレラはますます王子への想いを募らせます。弾む気持ちとは裏腹に、シンデレラの表情は少しずつ翳っていく。何故ならサンドリヨンは本来の彼女ではなく、十二時の鐘が鳴れば元のシンデレラに戻ってしまうからです】
躊躇いがちに、というよりも憮然としながら、シンデレラは王子の傍を離れる。
十二時まで少し時間はあるが、不慣れな状況では余裕を持って行動しなければならない。
【王子への気持ちが膨らむにつれて、シンデレラの心境に変化が起こります。王子と話していたい気持ちよりも、自分の正体を知られたくない気持ちが大きくなっていたのです】
という流れなのだが、ヘカテーの演技は決して巧くない。さっきまでのは王子を想うシンデレラと悠二を想うヘカテーの心情が一致していたからこそのもの。生憎いまのシンデレラの心は、とっくに悠二に正体を知られているヘカテーには共感出来ない感情である。
「貴方様といつまでも一緒に居たい。ですが、私は行かなければならないのです」
「何故です! 共に居たいならここに残れば良い! 私も気持ちは同じです」
「此度の逢瀬は束の間の夢。私の事は、忘れて下さい」
哀しげな顔(をしているつもり)で立ち去ろうとするシンデレラを、王子は手を握って引き留める。
常ならば相手の都合を無視して強制などする性格ではない王子も、二度と逢えなくなると言われて黙って見送る訳にはいかない。
放して下さい。いや放さない。互いに退かず、埒の明かない説得を続ける二人の前に、
「あら、何を言い争ってらっしゃいますの?」
照らされた新たなスポットライトの下、紅いドレスの少女が声を掛けた。
シンデレラに負けず劣らずの美貌と、背中まで伸びた長い黒髪を持つ少女……シャナである。
「……君は?」
「可笑しな事を訊かれますのね。貴方の花嫁候補に決まっているではありませんか」
意味もなくクスクスと笑う謎の美少女……のシーンなのに、真顔で悠二を睨むシャナ。
「今宵の宴に招かれた娘は皆、王子の心を射止める為に来た者ばかり。それなのに、肝心の貴方が彼女一人を連れて出て行ってしまうなんて、酷いとは思いませんか?」
【言葉とは裏腹に、少女の瞳に非難の色はありません。それどころか、不可解な愉悦の笑みを崩そうともしません】
ナレーションとシャナの演技が致命的なまでに噛み合っていない。シャナ自身、別にふざけているわけではないのだが、どうにも大根役者である事は否めなかった。
それでも一年二組はシャナを起用した。無論、ルックスだけが理由ではない。
「そんな自分勝手な王子様には……」
瞬間、シャナの手が動いた。恐ろしく切れた一振りの先から、銀光が矢の様に奔り───
「っ!?」
気付けば、王子の手には銀の短剣が握られていた。シャナが投擲した短剣を、王子が直撃する前に受け止めたのだ。
隠し持っていた血のり袋が割れて、赤い液体が掌中からポタポタと零れ落ちる。体育館に歓声と響めきが広がる。
「……何者だ?」
王子の表情が、別人のように鋭くなった。軽く宙に放り投げた短剣を逆手に掴み、黒髪の少女を睨む。
「不届き者、とだけ名乗らせて頂きましょう。助けを呼ばれても構いませんが、パーティー会場を手薄にするのはお勧めしません。偽りの貴婦人は、私一人ではありませんので」
静かな脅迫を口にしながら、シャナは更に二振り、背中に隠していた短剣を抜く。王子は退く事なく、シンデレラを庇うように前に出た。
「サンドリヨン殿、確かに今宵はこれまでのようです。振り返らず、逃げて下さい」
有無を言わさぬ王子の言葉、それにシンデレラが何かを言い返すより速く、二人は同時に床を蹴った。
そして、これまでで最大の歓声が湧き上がる。
(キキキキキキキィン!!)
断続的な衝突音を奏でながら、悠二とシャナの短剣が光の軌跡を描き続ける。
吉田と平井が見せたリアリティなど比ではない。本物の演劇でも剣道の世界大会でも拝めない、前代未聞のバトルアクションがそこにあった。
異能の力を使っているわけではない。しかし、人間レベルの身体能力に落としても、日頃から磨き続けた戦闘技術はそのまま活きる。力の使い方、力の読み方が超人的なのだ。
「早く!」
シンデレラに怒鳴りながら、王子は少女への攻撃を更に苛烈にする。
速さを増した王子の剣を嫌がる様に、少女は後退る。激しく雄々しく切り結びながら、そのまま二人は舞台脇へと消えて行った。
「………………」
遠ざかる背中を、シンデレラは呆然と見送る。王子を助けもせず、王子に言われるまま逃げる事もせず、
ただその場に座り込んでいた。
魔法に飾られただけの無力なシンデレラが、見せ付けられた現実に竦んでしまう……という気持ちを表現するヘカテーだが、その無表情を見分けられる人間は少ない。
「そ、そうだ助けを……」
ややの自失から立ち直り、立ち上がろうとするシンデレラ。その彼女の視界に、不意に影が差し込んだ。
「ぬぅん!」
背後から振り下ろされる戦斧を、妙に機敏な動きでシンデレラは避ける。見ればそこには、武骨な鎧に身を包んだ二人の騎士……佐藤と田中がいた。
【その姿にシンデレラは驚きます。先ほどの少女は、残りの刺客は令嬢の中に紛れているような事を言っていたからです。よもや王国の騎士に襲われるとは夢にも思っていませんでした】
佐藤が剣を構えて笑う。
「悪いな お嬢さん。あんな所を見られたら、すんなり帰す訳にもいかなくてね」
田中が戦斧を振り上げる。
「恨むなら、あんたをこんな場所に連れて来た王子を恨むんだなぁ!」
迫り来る凶刃。今度こそ死を覚悟して眼を瞑るシンデレラの耳に、
(ガキィッ!!)
耳障りな金属音が届いた。恐る恐る眼を開けると、
「何を怯えている、シンデレラ」
そこには、手にした直剣で戦斧を受け止めるシンデレラの姉……ソフィアの姿があった。
足下まで伸びていた青いドレスは半端に破れ、所々が返り血に染まっている。
「敵を自分で大きくするな。こんな連中、我ら姉妹の敵ではない」
「何だ貴様はぁ!!」
ソフィアの威圧的な態度に神経を逆撫でされて、二人の騎士が同時に襲い掛かって来る。剣が突き出され、斧が振り下ろされ───虚しく空を切った。
標的たるソフィアは、既に彼らの背後。
「鈍い」
斬られた事にも気付かぬまま、二人の騎士が崩れ落ちる。
倒した敵には一瞥もくれる事なく、ソフィアは真っ直ぐにシンデレラを見る。
「どうして……」
そんな姉の姿に、シンデレラは疑問を抱かずにはいられない。
今の彼女は姿も声も完全に違うサンドリヨン。なのに何故、彼女を助け、彼女をシンデレラと呼ぶのか。
「私はお前の姉だぞ。気付かれないとでも思ったのか?」
事もなげにそう言って、ソフィアは手にした直剣をシンデレラに投げ渡す。それから先ほど倒した敵の剣を拾い上げてヒュンヒュンと振って具合を確かめる。
「どうやら隣国の内通者が紛れていたらしい。王族や貴族には既に近衛隊が護衛に付いたが、まだどこに敵が紛れているか……」
油断なく辺りを睨みながらシンデレラに状況を説明するソフィアは、そこでふと気付いて言葉を切った。
「シンデレラ、殿下はどこだ」
シンデレラと二人でいなくなった王子がいない。当然一緒にいるものと思っていたソフィアは、微かに目を見開いて妹を見た。
……そして、その表情だけで事態の深刻さを悟った。
「どこにいる?」
「え、あの……」
「どっちに行った!?」
怒鳴る姉の剣幕に圧されて、シンデレラは頼りなく王子が向かった方を指差す。その先に向かって、ソフィアは矢の如く駆け出した。
「付いて来い! 殿下を御守りする!」
その行動力と迷いのなさに、シンデレラは付いて行く事が出来ない。すぐ追い掛けて来ない妹を、ソフィアは待たない。振り返る事もなく駆け去ってしまう。
「私、は……」
目まぐるしく移り変わる非現実的な光景に頭が付いて行かない。自分が今、どんな感情でここに立っているのかさえ解らない。その一方で、これが夢だと思わせてはくれない生々しい実感も常にあった。
目の前に倒れている二人の騎士など、その最たるものだ。
「……怖い」
斬られて死ねば、こうなってしまう。もう立てない、歩けない、聞こえない、喋れない、何を感じる事も出来ない無へと消える。
抗い難い絶望を予感して、
「“王子様が死ぬのが怖い”」
より以上の恐怖が、シンデレラを目覚めさせた。そのやる気を示すように剣を高々と掲げると、その気持ちに応える様に剣が輝き出した。
不可解な現象に目を瞬かすシンデレラの頭上で、白い鳩が円を描いて飛び回っている。
【それは貴女から光の加護を受けた魔法の剣。きっと貴女を助けてくれる】
スピーカーから聞こえてくるのは、池の声ではなく、菅野の声。観客にとっても、聞き覚えのある声だった。
「貴女はまさか、魔法使いさん?」
【お願いします、シンデレラ。あの人を助けてあげて……】
力強く頷いて、シンデレラは走り出す。
【その時、シンデレラの頭の中には一つの光景が蘇っていました。町外れの湖畔で、優しい王子に助けられている美しい鳩の姿が】
池のナレーションと共に舞台は移る。その幕が開き切る前から、既に激しい剣戟の音が響いていた。
王子と、刺客たる少女の対決シーンである。
(キィン!)
硬い音を立てて、短剣が宙へと弾かれる。痛む右手を押さえて後退るのは……王子。
「流石は国の将来を期待される王子様。私のダンスにここまで付いて来て頂けるとは思いませんでしたわ」
「それはどうも。これだけ時間を掛けてしまったら、もう君の仲間も無事ではないだろう。逃げ場が無くなる前に去った方が良いんじゃないかな?」
「せっかくのご忠告ですが、聞けません。元より、私に逃げ道なんて不要なんですよ。貴方の命さえ頂ければ、ね」
無論、少女は止まらない。両手に握られた二振りの短剣が、武器を失った王子を容赦なく襲う。
どう見ても本気で斬り付けているようにしか見えない双剣の連撃を、王子が軽やかに、しかし必死に躱し続ける。素早い剣舞の、微かな間隙、
「ふっ!」
そこを逃さず、王子は懐から懐中時計を取り出し、少女に向けて投げ放った。
至近距離から顔面に飛んで来る時計を……少女は身を斜めに仰け反らせて避け、そのままクルリと一回転して王子の腹に回し蹴りをブチ込み、吹き飛ばす。
王子が倒れるのと同時に、パリィンと硝子の割れる音がした。
それは、投げた時計が窓ガラスを割った音。音はざわめきを呼び、ざわめきは近付いて来る数多の足音へと変わる。
「最初から、パーティー会場から距離を稼いで、あそこの離れに助けを求めるおつもりでしたか」
「……私一人で何とか出来れば、それが一番だったのだけどね」
増援が来る前に任務を果たそうとしてか、少女が起き上がったばかりの王子に斬り掛かる。
だが、大きい。焦りで微かに直線的になった太刀筋は王子の体技に躱されて空を切る。
「っ!?」
振り上げた短剣を王子のハイキックが捉え、弾いた。撥ね上げられた短剣を王子が掴み、二人の間に得物の優劣が無くなった。
「残念だよ。出来れば君とは、王子でも刺客でもなく、只の剣士として決着を着けたかった」
その間に、鎧で武装した兵士が舞台脇からやって来ていた。
「…………ええ、本当に」
「……?」
その少女の……シャナの台詞に、悠二は内心で戸惑った。台詞が違う……いや、足りない。
シャナは確かに大根役者だが、性格そのものは不器用なまでに勤勉だ。ここまでの演技も決して自然ではなかったが、セリフそのものは一文字たりとも間違えていない。それは前日のリハーサルでも同じだった。
想定外の事態に一瞬、演技の前後を忘れる悠二……いや、“王子”の胸に、
「……え?」
一本の矢が、突き刺さった。先を丸めた矢は見事に王子の右胸、衣装の下の血ノリ袋を貫いた。
「ぐ……っ」
片膝を着いて敵を睨む王子。その目の前で、少女の後ろからやって来た兵士達は……少女の脇を素通りした。
「残念です、王子。もう少しだけ、貴方と踊っていたかったのに」
シャナにしては気の利いたアドリブで軌道を修正する。
そんな少女の前で、兵士達は構えた槍を王子へと向けた。
「……残る刺客が紛れていたのは、ご婦人方ではなく兵士の方だったという事か」
「ええ、正解には紛れていたのではなく、敵と内通した“元”王国軍の兵士です。運が無かったですわね」
淡々と語る少女の言葉に、王子は奥歯を軋ませる。立ち上がる事も出来ない少年に向けて、槍が一斉に突き出される。
その、寸前───
「殿下ァアアーー!!」
獣染みた咆哮と共に、剣を担いだソフィアが割って入った。
接近と同時にまずは一人、そのまま流れる様な連続斬りが次々と敵を薙ぎ倒し、あっという間に全滅させる。
剣速自体はそのまま、皮にすら触れずに鎧だけを切る様は十二分な迫力を生み出していた。
「遅れて申し訳ありません。……立ち上がれますか?」
王子を背中に庇いながら、少女を睨むソフィア。この平井が舞台脇から悠二を射たと知っているクラスメイト達が、舞台脇の奥で笑いを堪えている。
「私の事は良いから、今すぐ逃げるんだ。君の腕前は今見たが、それでも彼女には勝てない。君まで殺されてしまう」
「なおさら退けません。貴方が立ち上がれないというなら、私は増援が来るまで僅かでも長く時を稼ぎます」
無駄にカッコいいポーズで、ソフィアが剣を構える。少女もまた、倒れた兵士の槍を拾って無駄にクルクル回して見せた。
「王子様の言葉に従った方が良いのではなくて? 貴女が逃げても、私は追ったりしませんわよ」
「黙れ女郎。殿下の命を狙った罪、その死を以て償わせてやる」
剥き出しの憤怒を剣に乗せて、ソフィアが猛然と斬り掛かる。戦いが、始まった。
短剣同士の戦いとはまた違う趣きのある打ち合いを、観客が興奮の眼差しで見守る。
時間にして凡そ一分、絶え間なく続く激しい攻防の果てに……
「なっ!?」
渾身の一撃によってソフィアの剣は砕け散った。勢いそのまま回転した槍の柄に腹を殴られてソフィアが地面に転がる。
「勝てない、と言われたでしょう? それとも、まだみっともなく足掻いてみますか?」
「───その必要はありません」
嘲笑う少女の言葉に、全く別の所から冷厳な声が答えた。暗い影の中から姿を現し、その身を月光の下に晒すのは……天使の如き異彩を放つ一人の少女。
先程までの狼狽ぶりが嘘のように凛々しく歩くシンデレラだった。
「サンドリヨン、殿……」
逃がした筈のシンデレラが戻って来た事を責める事を、王子は出来なかった。
「これはまた、面妖ですわね」
さっきは腰を抜かしていた癖にノコノコ戻って来た小娘を嗤う事を、少女は出来なかった。
何故ならば、少女の剣が月光に負けない程に皓々と光り輝いていたからだ。
「……美しいな」
ただ、妹の姿が変わるという不思議な体験を既にしていたソフィアだけが、満足そうに妹を見ていた。
剣を優雅に突きつけて、シンデレラは宣誓する。
「我が名はサンドリヨン。恩義を果たさんとする少女の使いとして、借り受けた剣を振るう者。王子の身命を護る為、貴女をここで討ち果たします」
覚悟を決めたシンデレラの気迫に、しかし少女は怯まない。低く槍を構えて攻撃の体勢に入る。
「ごめんなさいね。これ以上時間を取られる訳にはいかないの」
軽やかに地を蹴り、身体ごと突き出す槍の刺突。それが……
「はあっ!」
下から振り上げた剣の一振りで、中途から切り飛ばされた。予想外の反撃に、少女は槍を手放して距離を取る。
「……これは、流石に予想外でしたわね」
ヘカテーは異能を使ってはいないし、そもそも剣には刃が付いていない。光る仕掛けを中に仕込んでいる分、むしろ構造は他の模造剣より脆いと言える。
それでもこんな真似が出来るのは、彼女が紛れもない達人だからだ。
「覚悟」
シンデレラに最早迷いは無い。槍を切られた少女に容赦なく斬り掛かる。
だが、ソフィアに倒された兵士は一人や二人ではない。当然、まだまだ槍は転がっている。少女はそれを足だけで器用に拾い、迫る光の刃を……
(スパンッ!)
“防げない”。槍は再び真っ二つになり、少女の赤いドレスのスカートに一筋の切れ目が入った。
シンデレラは止まらない。返す刀で二度三度と剣を振るって少女を狙う。少女は曲芸染みた動きでそれを紙一重で躱して再び距離を取った。
その口元が不敵に歪む。
「なるほど、理解しました。掛かって来なさいな」
言われるまでもない、と言わんばかりにシンデレラが挑む。高速の剣が間断なく少女を襲い、
「ナニィ」
その全てが、一つ残らず擦りもせずに空転した。あろう事か、少女は武器も持たずにシンデレラの斬撃を全て避けているのだ。
「怖いのは剣だけですわね」
シンデレラの横薙ぎを、少女は身を沈めて避ける。そのままシンデレラの片脚を払って、脇腹に右拳を叩き込む。
動きの止まったシンデレラの頭に渾身の回し蹴りが炸裂……するより速く、
「させるかぁー!」
復活したソフィアが、拾った槍で少女に刺突を繰り出した。
あまりにも不安定な体勢、今度こそ決まったかと思われた刹那……少女は蹴りの軌道を無理矢理に変えて槍の穂先を弾く。
しかし、そこに……
「くっ!」
更なる槍が飛んで来た。速さも力強さもない、子供が投げた様な非力な槍。
手負いの王子が、絞り出す様な力で投げた物だ。それでも……少女のバランスを崩す事だけは出来た。
「終わりです」
今度こそシンデレラの剣が捉える。超至近距離で体勢を崩した状態、いくらこの少女でも避けきれなかった。
「勝っ、た……」
死闘の決着を見て、張り詰めていた糸が切れたかのように王子が倒れる。
そこで舞台は移り、セットがマッハで交換される。
【王子を襲ったのは、王位継承権を握らんとする叔父の手の者でした。叔父は隣国の高官と手を組んで王子を抹殺しようとしたのです】
ここまでで、ヘカテーの出番は終わりである。
【王子暗殺を企てた者達は囚われ、王子自身も命に別状はありませんでした。しかし、王子を救い救援を呼んだ二人の少女は、いつの間にか姿を消していました】
サンドリヨンは十二時になる前に姿を消し、シンデレラに戻ってしまう。ここから先のシンデレラは吉田一美の役だからだ。
【王子は手を尽くしてシンデレラを探しましたが、何日経っても見つかりません。“サンドリヨン”という名前の少女は存在せず、姉のソフィアも王子に名乗らなかったからです】
無駄にバトルアクションを盛り込んだシンデレラだが、ここから先は大した変化は無い。
王子が探しているのは偽りの自分だからと引き篭もるシンデレラ。王子に名乗りを上げろと説得する母。最終的には、結果はどうあれ自分の想いを告げて来いというソフィアの叱咤を受けてシンデレラは城へと向かい、本当のシンデレラを受け入れた王子と結ばれる。
「………………」
そのシーンを、ヘカテーは舞台脇から憮然とした気持ちで眺めていた。
王子が一目惚れしたのはサンドリヨン。王子が護ろうとしたのも、王子を救ったのもサンドリヨン。なのに何故……最後に王子から愛を囁かれるのはシンデレラなのか。
物語の上では同一人物であろうと、役を演じるヘカテーには関係ない。美味しい所だけ吉田に持って行かれた気分だった。
……解っていた。吉田がシンデレラになりたがっていた時から、こうなる事は解っていた。ジャンケンに負けた自分が悪いのだ。
「むくれないむくれない。一美だって、ホントは全部ヒロインしたかったんだしさ」
むすっとしているヘカテーの頭を、後ろから平井が撫でる。もっとも、不機嫌だと気付けるのは悠二と平井……後はヴィルヘルミナを見慣れているシャナくらいだ。
「ヘカテーはまだ良いよ。あたしはサブだし、シャナなんて名無しだよ?」
「……解っています」
結局のところ、平井が脚本を作る前の段階で役が決まったのは吉田と平井、緒方と菅野のみ。
その後に作られた脚本でヘカテーがサンドリヨンになれたのは平井の采配のお陰だ。それは解っているのだが……今のセリフは、少し引っ掛かる。
「ゆかりは……」
「ん?」
何が“良い”のか、そんな素朴で他愛ない筈の疑問は……
「……何でもありません」
───最後まで言い切られる事は、無かった。