リアです。
ユートの言葉に思わずカッとなって飛び出してきてしまいました。
……いいえ、嘘、ですね。
自分にまで嘘をつくのはやめましょう。
わたしはあの場から逃げ出してしまったんです。
ユートに言われるまでもなく、自分がおかしいことは自覚していました。
その原因もわかりすぎるほどにわかっています。
でも…。
でも、仕方ないじゃないですか。
子供の頃からの劣等感はそう簡単に捨てきれるものでもありません……。
抑えよう抑えよう、と思ってはいるのですが、いつの間にかイナカッペに噛み付いてしまうのです。
もちろんあの田舎者の言動が素直に我慢できない、というのが理由の半分は占めているのですが。
わたしの事を羽虫呼ばわりしたり、本当、嫌になりますよね、あの田舎者は。
やっぱり、理由の8割……いえ、9割がアイツのせいです。
羽虫だけでなく、この羽を人面蝶扱いした事にも我慢がなりません!
……なんだか思い出していたらまた腹が立ってきましたっ!
俺はここで生きていく
~ 序章 第十一話 ~
わたしは少し八つ当たり気味に速度をあげて木々の間を駆け抜けていた。
数百メートルは飛んだだろうか。
大分気が済んで、速度を少し落として心の中でつぶやく。
これだけ暗いと、人間には何も見えないのでしょうね。
あたりはすでに墨を落としたように暗く、たとえ熟練の冒険者でも火明かりなしには歩けないでしょう。
妖精のわたしには、木々の間から微かに差し込む月明かりで十分なんですけどね。
木々達もわたしに語りかけてきてくれますし。
しばらく無心で飛んでいると、突然視界が開ける。
わたしは思わずその場で立ち止まり、現れた光景に目を奪われてしまった。
「綺麗…ですね」
そこは小さいけれど、綺麗に澄んだ湖。
湖面は月明かりを反射していて、湖全体を淡く優しい光で包み込んでいる。
それはまるで妖精界を思い出させるような、幻想的な光景だった。
妖精界……ですか。
少しだけ気分が沈むのを感じます。
もう二度と戻らない、そう固く決意して人間界に来たというのに、こんな事で思い出すとは……。
我ながら情けないですね。
ゆっくりと湖の中心へ降りていく。
「あまりいい思い出はなかったのですけどね……」
湖面に手をそっとつけて、揺れる月を眺める。
冷たくて気持ちいいですね……。
パチャパチャと水面を波立たせていると、揺れていた月はいつしか消え、ふとユートの顔が思い浮かんだ。
短い黒髪にそろいの瞳。
お世辞にも美形とは言えないけど、どこか愛嬌のある顔だち。
抜けている所が多くて、まだこちらに来て一日もたってないというのに、すでに何回も命の危険を経験している、危なっかしい人間。
それでも、と考える。
可憐でせくしーな妖精を欲望のままにできるというのに、同情で契約をあっさりと破棄したり。
危険な状況で自分も怖くて震えているというのに強がってわたしを逃がしたり。
頼りないけど、でも、そんな優しい人間。
……やっぱりわたしがいないとユートはダメですよね。
一人にしていたらいつ死んでしまうかわからないくらいに弱いんですから。
まったく……、本当に、仕方のない人なんですから。
クスリと笑みをもらすとわたしは背筋を伸ばす。
落ち込んだ気分を、意識して思考の隅に追いやると、野営地の方を振り返った。
「そろそろ戻ってあげますか……」
あの、頼りなくも優しい人間の所へ。
『メラああぁっ!』
『まだ小さいっ!! もっとだ、もっと腹の底から力を込めて!!』
わたしが野営していた場所に戻ってくると、ユートとイナカッペの叫び声が聞こえてきた。
「……なにやってるんですか、あの二人は……」
そっと木の陰からのぞき込むと、並んで変なポーズを取って騒いでいる二人が見える。
ヘンテコな構えや、叫んでいる内容から、何がしたいのかは痛いほどわかるのですが……正直、苦笑しか浮かんできません。
第一、あんなことで魔法が使えるなら、わたしだって…。
『メラあああああぁっっ!』
『お前の思いはそんなものかっ!! 全身全霊をかけて叫ぶんだ!!』
無茶を言いますね、あの田舎者は……。
わたしはため息をついて目を別の方へと向ける。
キンパツとネクラローブは、少し離れたところで笑うだけで止める様子はなさそうだ。
仕方ないですね、わたしが止めてあげるとしますか。
まったく、ユートには困ったものです。
クスリ、と自分の口元が微笑むのが止められない。
そろそろ出て行ってあげますか、と木から顔を覗かせた瞬間。
ユートは大きく息を吸うと、思い切り声を張り上げた。
『こんちくしょをおおおおおお!! メラあああああああああああああああああああああああああぁっっ!!!!』
その叫びと共に、一瞬だけユートの身体が光ったかと思うと、右手にボンヤリと光が集中する。
「……っ!?」
しかし、魔法は失敗に終わり、ぽんっという間抜けな音をさせて光は消える。
そして、後に残ったのは手のひらからわずかに立ち登る二筋の煙だけ。
ユート以外の三人はその様子を見て、程度の差はあれ笑っている。
……でも。
わたしの目にはもう、彼らの様子は映っていなかった。
たった今見た光景が到底信じられずに、ただ呆然と、未だに煙の出ているユートの手を見つめていることしかできなかった。
確かに魔法は失敗でした。
でも、一瞬でも魔法が発動しかけたのは、身体が光ったことや手のひらから煙が出たことからも明らかです。
それは、完全な成功を100とした時に、せいぜい1程度の成功かもしれない。
人は、そんなの失敗と変わらないじゃないか、と笑うでしょう。
それでも、その1と0の間には果てしない高さの壁が存在するのです。
絶望的な程の高さの壁が……。
その事は、他ならぬわたしが一番よく知っています。
……恐らくユートには、魔法を構成するイメージが致命的に足りていなかったのでしょう。
それは、言い換えれば、構成するイメージをなんとかすれば、きちんとした魔法を使うことができる、という事に他なりません。
そんな冷静な思考とは裏腹に、心は乱れて、身体は震えが止まらない。
「な、なんで……っ!」
呻くような言葉が洩れる。
「なんでそんなに簡単に使えてしまうんですか……っ」
搾り出したように掠れた声が、まるで自分の物ではないように耳に入ってくる。
わたしは……わたしはっ!
すがるように掴んだ右手が左腕に食い込み、血が少し滲んでいたが、そんなささいな事は全く気にならなかった。
『……俺の右手が真っ赤に燃える』
いつの間にかユートの雰囲気が変わっていて、いつもと違う抑揚のない声が聞こえてきた。
小さく呟いているだけのはずなのに、なぜかはっきりとここまで聞こえる。
どうやらイナカッペもユートの様子に気づいたようで、必死に何かを話しかけているが、その声はわたしに全くと言っていい程届いてこなかった。
『コイツを燃やせと蠢き叫ぶ』
静かに、そしてただ静かに。
不気味な程静かな声でつぶやくユートと、慌てて後ろずさるイナカッペ。
ユートの右腕は魔力を帯びて、ぼんやりと光を放っている。
その光は先程よりもずっと強く、一目で魔力の収束具合の違いが見て取れた。
『うおおおおおおおぁあああああああああっっっ!!』
突然のユートの雄たけびに腰を抜かしたイナカッペが、こちらに背を向けてずるずると下がってくるのが見えた。
ユートはゆっくりと右手をあげ、狙いを定める。
そして、無慈悲に最後の言葉を呟いた。
『……メラ』
呪文に力が与えられた瞬間、ユートが先程よりも強く光り、その光る右腕から大きな炎の塊が放たれる。
……わたしに向かって。
「って! わきゃっ!!?」
間一髪で目の前の木から離れることで、メラに燃やされるのをなんとか回避する。
そのメラはかなりの威力で、さっきまで隠れていた木を一瞬で燃やし尽くしてしまった。
あ、危なく巻き込まれるところでした……。
まだ心臓がバクバク言っています。
突然の出来事にしばらく頭が真っ白になっていたが、我を取り戻すと、巻き込まれそうになった事以上の衝撃がわたしを襲った。
わたしは呆然としたままフラフラと森の奥に向かって飛んで行く。
そして、ちょうどいい位置にあった枝に腰掛けた。
来た方向を振り返ると、ここからでも焚き火の明かりが少しだけ見える。
その火は少し滲んで見えた。
「なんでですか」
わたしはポツリと呟く。
今見た光景が信じられなかった。
一度目は失敗したとはいえ、ユートはたった二回目であれ程のメラを唱えてみせた。
「……なんでですかっ!」
あんな指導方法では、魔法の応用は当然の事、基礎だって使えるようにはならない。
なるはずがない。
―― 才能。
そんな言葉で片付けたくはなかった。
その言葉を受け入れてしまえば、わたしはもう、先に進めないのだから。
「なんでなんですかっ!!」
素直に賞賛しているのは、わたしのほんの一部分。
心の大部分を占めているのは醜い嫉妬だった。
そればかりか、憎しみまで……。
この気持ちがただの八つ当たりに過ぎないことはよくわかっている。
頭の隅で冷静な自分が、そんなわたしを諌めているのがわかるけど、それが報われることはなさそうだった。
「なんであんなに簡単に使えるようになるんですかっ!? わたしはあれだけ……あれだけ…っ!」
悔しくて涙が滲むのが抑えられない。
イナカッペに対してあったわずかな嫉妬心が、ユートに対して盛大に燃え上がる。
心を許していただけに、裏切られたという気持ちが大きかった。
それは全て自分の勝手な思い込みに過ぎないということはわかっていたけれど……。
なんで……。
なんで…、なんでなんでなんでっ!?
ずるい………ずるいずるいずるいずるいずるいずるいっ!!
…………………ずるいです……っ。
「…っく……ぐすっ……うぅっ」
意識せずに洩れ出てしまう声は、どうしても止められそうになかった。
せめて……。
辺りを覆いつくす暗闇が、わたしの声も消してくれることを。
そして、わたしの醜い感情をも消し去ってくれることを。
身勝手にも、わたしは泣きながら、ただそれだけを願っていた。
どれだけ枝の上にいたのだろう。
まだほんの数分しかたっていない気もするし、もう何時間もここでこうしているような気もする。
「これから……、どう……しま…しょうか…」
わたしは力なく呟いた。
身体に力が入らなかった。
まるで気力が……、全て枯れ果ててしまったようだった。
「あれ、おチビさん、そんな所でどうしたんだい?」
―― っ!?
キンパツがいつの間にかわたしを見上げていた。
手には小枝がいくつか握られている。
「なっ! ……な、なんでもありませんっ!」
顔を見られないように顔を背けながら、自然な動作に見えるように注意して涙を拭う。
キンパツそんなわたしを少しの間見つめていたが、何も言わずに目線をきると、薪を拾う作業に戻った。
「……」
「……」
黙々とわたしの下で薪を拾い続ける。
辺りに響くのは、薪を拾う音と、虫の音だけ。
あれだけざわついていたのが嘘のように穏やかな世界だった。
沈黙に耐えかねていると、キンパツが息を吸うのが感じられて思わず身構える。
「頭は冷えたかい?」
こちらを見上げながらクスリと笑う。
……まさか、見られていたのでしょうか!?
もしそうなら、なんとか口止めしないと……っ!
わたしは少し青ざめていたかもしれない。
キンパツに見られただけならまだしも、あんな醜い自分をユートにだけは知られたくなかった。
「突然飛んで行っちゃったから驚いたよ」
そう話すキンパツの顔には、他に含みは全く見えなかった。
飛び出してきてしまった時のことを話し始めたキンパツに、思い過ごしだったかと少しだけホッとする。
「ユートがさ、すごく心配してたよ。こんな暗い危険な森の中でリアを一人にしておけないっ! ってね」
ユート……。
心配そうに暗闇を見つめるユートが目に浮かぶようだった。
そして、さっきまでの激昂していた自分を思い返す。
……わたしは、自分が酷く惨めになった気がした。
心配してくれて嬉しい気持ちと、未だに燻ったままの醜い嫉妬の炎。
そんな自分を情けないと冷静に批判する思考と、ユートに対する申し訳なさ。
様々な感情が渦巻いていて、言葉にする事ができない。
「………」
キンパツは、そんな黙ったままのわたしを見ながらも、構わずに続ける。
「僕が抑えなかったら、一人で飛び出して行きかねない勢いだったよ。自分だって今日は色々あって疲れているはずなのにね」
そこで初めて言葉を切ると、真っ直ぐにわたしの目を見つめてくる。
気のせい…でしょうか。
なぜか責められている気がします…。
「……大事にされてるね、おチビさん。ちょっと羨ましいよ」
「ふ、ふんっ、心配性なんですよ、ユートは。弱いのに、人の心配ばかりしてっ」
乱れた感情とは裏腹に、思わずキンパツの言葉に反応してしまう。
そんなわたしを、キンパツは何も言わずに穏やかに見つめていた。
その様子は横目に入ってきてはいるけれど、口から出る言葉は止まらない。
「わ、わたしは別に一人だって大丈夫なんですっ! 一人じゃダメなのは、ユートの方じゃないですか」
そうです。
魔法が使えるようになったといっても、ユートは所詮ユートですっ。
一人にしておいたら、どうせすぐにまた危険な目に合うに決まってます!
魔法が使えるようになったくらいで、変わりなんてあるはずがありません。
そう、変わりなんてあるはずが……。
「そ、それよりもっ! アナタは一体何を考えているんですか?」
「何……って、どうしたんだい? いきなり」
また乱れそうな感情を無理やり奥へと押し込めて、気分を変えようと話題をかえると、キンパツが不思議そうになる。
自分でも少し強引な気はしますが、いい機会です。
この機会に聞きたかったことを聞き出してみましょう。
「決まってるでしょう。アナタの目的です。一体何が目的なんですか?」
「目的……って言われてもね」
頬をかきながら苦笑する。
「僕がユートが異世界の人間だとわかった理由はもう話したと思ったけど?」
「確かに、さっきの話で、その理由には納得がいきました。でも、わたしが今聞いてるのは“アナタが言い伝えの勇者を探しにきた目的”です。わかった理由じゃありません」
昼間にユートに話した解剖云々の話は、何もまるっきり嘘というわけではありません。
人よりも力を持つ存在や、優れた存在、特別な存在というものはそれだけで狙われる理由に十分なのです。
特に、異世界の人間、なんて、その手の者達にとっては格好の獲物でしょう。
そういう者達にとって、『本当は何の力もない』と口にすることは、全く意味を持たない事もわかりきっています。
まぁ、そうは言っても、わたしもキンパツがその手の人間だと本気で思っているわけではありませんが。
それでも、一応確認だけはしておかないといけません。
わたしが意識して警戒心を目に込めて見返すと、キンパツは一瞬だけ目を大きく開いて、そしてすぐに笑顔になった。
「あぁ、そういうこと。簡単だよ、実は僕は、子供の頃から勇者に憧れててね」
「嘘くさいです」
できるだけ冷たく言い捨てる。
「ず、ずいぶんとキッパリ断言するね…」
キンパツは少し怯みながら苦笑をもらす。
キッパリと言い捨ててはみたものの、わたしは言葉ほどキンパツの言葉を疑ってはいませんでした。
嘘くさい理由ではありますが……キンパツの表情に偽ってる様子はありません。
それに、これまでの対応を見る限り、ある程度は信頼に値する人間でしょうし。
「もちろん、言い伝えの真偽を確かめたいっていう目的はあったけどね。でも、少し前から勇者だって騒いでいたカッペ君がちょうど参加するみたいだったから、彼がどんな人物か見てみたいと思って僕も参加したんだ。……まぁ、彼は僕の望む勇者とはちょっと違ったみたいだけど」
「まぁ、アレですからねぇ……」
あんなヤツが本物の勇者だなんて、魔王が復活するよりも性質が悪いです。
「……嘘は言っていないようですし、一応は信用しますね。本当の事はまたそのうち聞くことにします」
「はは、するどいね」
キンパツは本当に楽しそうに笑う。
が、すぐに笑いをおさめると、真面目な表情でわたしを見つめた。
「でもね、これだけは信じてほしいんだ。僕は君の、そしてユートの敵なんかじゃないってことを」
その真っ直ぐな目はとても真摯で……。
わたしは思わず言葉につまってしまい、顔を背けてしまう。
「べ、別に、アナタがわたしやユートに危害を加えるような人だとは思ってません。もう何度もユートの事を救っているわけですし……」
相変わらず、キンパツに対する敵意……、いえ、警戒心と言うべきですか。
それは小さくささった棘のようにほんの少しだけ残っていて、一向に消えないのですが……、それでも、わたしはこの人間の事を嫌いではないようです。
「信じてくれて嬉しいよ」
そう笑うと、キンパツは少し考え込む。
わたしが不思議に思ってその様子を見つめていると、唐突に顔を上げて微笑んだ。
「僕はセドリックって言うんだ。おチビさんの名前を教えてくれないかい?」
「な、なにを……」
いまさら?、と続けようとすると、キンパツはかぶせる様に言葉をつなげる。
「ユートがさ」
キンパツは大事なものをかみ締めるように言う。
というか、ユート?
そういえば、いつの間に呼び捨てになってたのでしょうか…?
思い返してみると、ここで会ってからずっとユートと呼んでいたような……。
夕方は確かにユート君と呼んでいたはずですが……。
「僕の事を友達だって言ってくれたんだ」
その声はとても嬉しそうで…。
呟くキンパツの表情を見た瞬間、わたしは気になっていた何かがわかったような気がしました。
なぜキンパツを見るたびにわずかに違和感を感じていたのか。
なぜ敵ではないと確信しながらも、警戒心が消えなかったのか。
「もしかして、あなたは……」
わたしの小さな呟きが、キンパツには届かずに風に乗って消えていく。
そんなことには気づかずに、キンパツは話し続ける。
「そのユートと仲の良い君とも、できたら友達になりたいんだけど…」
だめかな?と、少し不安そうな表情で首を傾げる。
その表情は普段の様子とは違い、とても幼く見えた。
……その、なんでしょうか、この気持ちは。
こう真っ直ぐ言われると照れますね。
わたしは枝の上から降りてキンパツの頭の高さで目を合わせる。
「わたしはリア・ビュセールです。……その、リアでいいです」
「……っ! 僕もセディでいいよ。よろしくね、リア!」
そう言うセディの顔は笑顔で溢れていて、気づくとわたしもつられて笑顔になっていた。
その事に気づいて、思わず顔が熱くなる。
気恥ずかしくなって枝の上に戻ると、下からクスクスという笑い声が聞こえてきた。
うぅ……ユートのたまに見せていたバツの悪そうな表情がすごく納得できました…。
その笑い声はしばらく途切れることがなかった。
「さて、と。それじゃ薪も大分集まったし、戻ろうか」
ようやく笑いを止めると、セディは膝についた土を払う。
その背中には大量の薪が背負われている。
いつの間にあんなに集めていたのでしょうか…。
って、そうじゃありません。
「ま、待ってください!」
わたしが呼び止めると、セディは不思議そうに振り返る。
「どうしたんだい? 何か忘れ物?」
荷物も持たずに飛び出したのに、忘れ物ができるわけ……ってそうじゃありませんね。
……正直な所、ユートとどういう顔をして会えばいいのか、わからなかった。
さっき感じていたユートに対する嫉妬心や憎しみは紛れもなく本物で……。
ただの八つ当たりだということは痛いほどわかっているし、ユート自身が嫌いだ、ということもないのだけど……。
だからこそ、どんな顔をして会えばいいか、何を話していいのかわからなかった。
「え……っと、……その…」
この感情をどうやって伝えたらいいのでしょうか。
言いたいことは沢山あるのに、私の口から出る言葉はどれもまるで意味を成さないものばかり。
「その……ですね」
そんなわたしの様子を見ていたセディは、しばらくして納得した表情になると、軽く微笑んだ。
「謝ればいいと思うよ」
「えっ」
一瞬心を読まれたのかと、セディの顔を凝視してしまう。
「さっきも言ったけど、ユートはすごく心配してたからね。少しは怒られるかもしれないけどさ、……心配かけてごめん、って。そう言えばいいと思うよ」
「……そうですよね」
わたしは、正しいようでいて、ほんの少しだけずれているセディの言葉にわずかに悲しさを感じながら頷く。
「ユートはそんなに小さいことには拘らないだろうしね。それはリアがよくわかっているんじゃないかな? 本心から謝れば、許してくれないことはないと思うよ。―― それが例えば、理不尽な恨みとかだったとしても、ね」
「えっ!?」
驚いて顔をあげるわたしに、最後にウィンクを一つすると、それきり何も言わずに踵を返して野営地に行ってしまう。
わたしは呆然としてその後姿を見つめる。
セディ……アナタは……。
紐で縛られた薪が、セディの背で歩みにあわせて揺れている。
それを見ながらセディの言葉を反芻していると、だんだん勇気がわいてくる。
そうですよね、まずは素直に謝らないと!
(………ありがとうです)
わたしは口に出さずに呟くと、セディの後を追って風を切った。
―― いつの間にか心が軽くなっている事に嬉しく思いながら。
――くちゅんっ!
暖かな焚き火にゆらゆらと照らされながら気持ちよく眠っていると、そんな小さな声が聞こえた。
「…ん……んんっ」
横たわっていた地面の温もりが少し恋しかったが、意識を覚醒させる。
眠気を堪えて欠伸交じりにあたりを見渡すと、まだ辺りは暗く、頭上には綺麗な星空が広がっていた。
「……へぇ」
子供の頃に何度か家族でキャンプに行った時の星空も綺麗だったが、それとは一線を画していた。
すごいな……まるで星が今にも降ってきそうだ。
「降るような星空、だよね」
俺が星をぼけっと眺めていると、すぐ右手からそんな声がした。
はは、コイツも同じ様に考えてたか。
少し嬉しくなる。
俺が声の方に視線を向けると、セディが飲み物を手に、座ってこちらを見ていた。
「おはよう。もしかして起こしちゃったかい?」
そう言うと、足元に置いてあった薪を火に突っ込む。
パチパチッ! と少し大きい音を立てて焚き火は火の勢いを若干増す。
ん~、こんな音じゃなかったような……?
俺はセディに挨拶を返しながら考える。
それに、音なら絶対アッチの方がうるさいし。
俺は火の向こう側を半眼で見つめる。
視線の先では、カッペががぁがぁとうるさい鼾をかきながら、大の字で寝転がっていた。
「いや、たぶん違うから気にすんなって。まぁ、あんな時間から寝れば、夜中に目が覚めるのもしゃーないさ」
気を失う直前を思い返す。
あれは日が沈んだ少し後くらいだったから、多分7時前後といったところだ。
そんな時間から寝ていれば、いくら疲れていても真夜中に目が覚めてしまうのは仕方ないだろう。
「まだ夜明けまでは少し時間があるし、もう少し寝てたらどうだい?」
と、そう言うセディの表情は疲れている。
周りを見渡してみても、見つかるのは相変わらずがぁがぁとうるさいカッペだけで、ラマダの姿が見えない。
「なぁ、ラマダはどうしたんだ?」
「彼ならアッチ」
俺が聞くとため息をつきながら森の奥を指差す。
「何でも宗教の戒律らしくて、他人に寝顔を見られたくないんだって」
「戒律って……。そうは言っても、一人で森で寝るなんて危険じゃないか??」
思わず森を見つめるが、相変わらずの暗闇でラマダを見つけることは到底無理そうだ。
「僕もそう言ったんだけどね、慣れてるから大丈夫です、だってさ。まぁ、彼はレベルも高いし心配ないと思うよ」
セディは肩を竦めて火に目を移す。
少し心配だったが、慣れているというなら大丈夫だろう。
――と。
そこでようやくそれに思い至った。
ラマダがいなく、カッペもあの調子だとしたら、必然的に火の見張りはセディ一人で行っていたことにならないか?
「って、それじゃ、お前寝てないんじゃないか? 火の見張りは俺に任せて朝まで休んでろって」
「いや、一日くらいの徹夜は慣れてるから大丈夫。しん……「いいから!」……そうかい?」
遠慮しようとするセディを制す。
「火が消えないように見てればいいんだろ? それくらいなら俺にも出来るからさ。これくらい手伝わせろって」
セディの足元にあった薪を自分の足元に持ってくると、観念したのか苦笑をもらす。
「それじゃお言葉に甘えようかな。ここら辺のモンスターなら、火があれば怖がって寄ってこないと思うけど、もし敵が着たら大声で起こしてね」
「おう、まかせとけって!」
ようやくほんの少し役に立てるな。
少し嬉しくなって気が高ぶっていたのか、ちょっとした悪戯心が出た。
「そうだ! 膝枕してやろうか?」
くくく、昼の仕返しだ。
俺が悪戯っぽく言うと、セディは少しキョトンとした表情をした後、ニヤリと笑って……ってあれ?
「それじゃ、お願いしようかな」
そう言うと、横になろうとしていた身を起こしてこちらへと近づいてくる。
「バ、バカ、冗談に決まってるだろっ! さっさと寝ろっ!」
「あはは、残念」
慌てて俺が言うと、セディはクスリと笑って元の位置で横になる。
くそっ、なんか負けた気分だ…。
不貞腐れて炎の調子を見ていると、すぐに静かな寝息が聞こえてきた。
……やっぱし疲れるよな。
いくら高レベルとはいえ、僅かな油断が命取りになるのに変わりない。
そんな危険な状況に身を置いているんだ、慣れてるからといって精神的な疲れが全くたまらないなんてことはないだろう。
朝まで後どれくらいあるかはわからないが、ゆっくり休んでくれ、セディ。
また一本薪を追加すると、すぐ後ろにあった木に背を持たれかけた。
一息つくとあたりの音が鮮明になってくる。
一番大きいのはカッペの鼾……ってかうるせぇ、鼻つまんでやろうか、まったく。
そして次に焚き木のはぜる音、セディの寝息、風の音、遠くから聞こえる鳥の音、草むらから聞こえる虫の声……。
そして、自分自身の呼吸の音と鼓動の音。
それらが鮮明になってくると、すぐ傍に人がいるにもかかわらず、まるでこの世界に自分しかいないような、そして全てに取り残されたような、心細い感覚が胸を支配する。
ぶるっ
寒くもないのに身体が震える。
そして思い出されるのは今日の出来事。
自分の死を意識した瞬間、そしてモンスターのリアルすぎる死。
自分のミスでセディを危険に晒したこと、わけのわからない感覚のせいで陥った危機、そしてカッペを殺しかけた事……。
様々な事柄が頭の中を巡り、気づかないうちに身体の震えが大きくなる。
俺はその震えを止めようと、両腕を強く握る。
痛いくらいに、強く強く。
その痛みが心細さを消してくれると訳もなく考えて――
「へくちっ!」
突然聞こえた聞き覚えのある声に我に返る。
左、誰もいない。
右、セディが寝ている。
前、火とカッペ。
後、木。
どこにも誰もいない。
……上か?
何故かそんな予感がして座ったまま上を見上げる。
すると、もたれていた木の一番下の幹の左右から見覚えのある羽が顔を覗かせていた。
……ははっ、いつの間にか戻ってきてたのか。
俺は少し嬉しくなって、立ち上がるとそっと覗きこむ。
そこには想像通り、スヤスヤと眠るリアの姿があった。
こうして静かにしてると可愛いのにな。
寝顔を見ていると、理由もなく顔がにやけて来る。
ハムスターとか見てるとこんな気分なのかな。
いや、ちょっと違うか?
脈絡なく考えていると、少し寒そうに震えているのに気がついた。
火から遠いから寒かったのだろうか。
もっと火の傍で寝てれば良かったのに。
俺は上着のチャックを音を立てないようにそっと下ろして、脱ぎ始める。
「な、なにをやってるんですかっ?」
音を立てないよう気をつけたつもりだったけど起こしちまったか。
慌てた声に目をやると、リアがいつの間にか目を覚まして俺の手元を見つめていた。
自分の身体を抱きしめて、少し後ろずさっている。
寒そうに震える、肩を抱きしめる少女に、上着を脱ぎかけてる俺。
……っておい。
お前、今いったい何考えた?
「寒そうだったから上着かけてやろうかなって思っただけなんだけどな。な~に考えちゃったのかな? リアちゃんは」
「な、なんでもありませんっ!!」
俺がニヤリと笑って言ってやると、身体中を真っ赤にさせてリアが叫ぶ。
「お、おいおい、セディは今寝たばっかりなんだから静かにしてやれって!」
カッペ?
んなやつどーでもいいよ。
「す、すいません……って、なんでわたしが怒られてるんですかっ!?」
小声で注意すると、今度は小声で怒鳴る。
器用なことするな、コイツ。
さっきのも期待通りの反応でよかったが、ちょっと仕掛けるタイミングが悪かったな、反省反省。
「まぁ、そんなことよりも。……おかえり、リア」
やっぱりこれは言わなくてはならないだろう。
大丈夫だろうとは思ってはいたけど、元気そうな姿が見られて安心した。
「そ…その、ただいま……です」
そんな表情が顔に表れていたのだろう。
俺の顔を見ると照れたようにそっぽを向いてしまった。
「まったく、何があったか知らないけどさ。あんまり心配させるなよ、相棒」
「あい……ぼ…う…」
俺が軽く言うと、リアは一瞬驚いた表情をした後、俯いて肩を震わせる。
小さいが嗚咽も聞こえる気がする。
な、何か失敗したか、俺!?
どうしていいかわからず、慌てて話を変える。
「ま、まぁ、まだ朝まで結構時間あるみたいだからさ、もう少し寝てたらどうだ? …そうだ! 俺の上着貸してやるよ。お前なら布団代わりになるだろ」
「……いえ、そのままで良いです」
そう言うとリアが顔を上げる。
その目に少し涙が浮かんでいるような気がして更に焦る。
リアは俺が戸惑っているうちに急に近づいてきて、脱ぎかけていた上着の中にするりと入り込んできた。
「お、おいっ、リア!?」
ちょうど上着の首元から顔だけを出す格好になる。
俺は思わずどもりながら、胸のあたりにあるリアの頭に向かって声をかける。
「ど、どうし……」
「う、上着を取ってしまうと、ユートが風邪を引いてしまいますからね。し、仕方なくですからね、仕方なく! そこの所、勘違いしないでくださいっ!」
リアはまくし立てるように言う。
い、いや、そうは言っても…なぁ。
かなり恥ずかしい。
そっとカッペとセディの様子を盗み見る。
二人ともグッスリ眠っているようだけど……。
「な、なぁ、俺なら大丈夫だからさ、やっぱり………」
「こっちを見ないで下さいっ!」
「は、はい!」
俺が上から覗き込もうとすると、リアに一喝されて思わず頭を上に向ける。
あー、星が綺麗だ……。
どうしようもなくなってそのまま座って木に体重を預ける。
もちろん上は向いたまま。
……だって、リア、何か異様な迫力があるし……。
「………なさい」
仕方なしに星の数を数えていると、声が聞こえた気がした。
『ん、何か言ったか?』
そう聞き返そうとした俺の声は、消えそうに儚いリアの声に止められる。
「ごめん……なさい…ごめんなさい…、ごめんなさい……」
リアは俺の服を両手に握り締めながら、搾り出すように言葉をつむぎ続ける。
ところどころ嗚咽が混じっていて、今度ははっきりと泣いているようだった。
正直わけがわからなかった。
わからなかったが、そうしてやらなきゃならないような気がして、昔、泣いた妹にしてやっていたように、震えるリアの頭をゆっくりと撫でてやる。
そうするとまたいっそう泣き声が強くなるのだが、俺は星空を見上げながらそっと撫で続けてやった。
しばらく撫でていると、泣き声は消え、そして次第に小さな寝息が聞こえてくる。
どうやら泣きつかれて眠ってしまったようだ。
そんな反応まで妹そっくりだった。
……なにがあったんだろうな、コイツ。
頭の後ろで手を組んで星空を眺めながら考える。
この小さな身体で一体何を抱え込んでいるのか。
考えてはみてもそう簡単に人の悩みなどわかるはずもない。
自分の不甲斐なさがやり切れない。
なんとかしてやりたいな……。
胸元で眠る小さな温かさを感じながら、俺の異世界での最初の夜は更けていった。
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――― 人面蝶 ―――
・生息地
湿った環境を好む。
霧の立ち込めた森や洞窟などに住む。
昼夜問わず活動するが、夜には他のモンスターと同様に凶暴化するので注意が必要だ。
・外見
見る者に嫌悪感を与える毒々しい羽を持ち、本来胴体があるはずの部分に醜悪な顔を持つモンスター。
初めて見た者はそのあまりの禍々しさに思わず顔を顰めてしまうことだろう。
・能力
どの能力も特筆する程高くない。
駆け出しの冒険者でも簡単に倒すことが出来るだろう。
しかし、一つだけ注意点をあげておこう。
このモンスターと戦った冒険者から、戦っている最中に幻覚を見た、という事例が多数報告されている。
冒険者諸氏は人面蝶と対峙する際は、この事実を念頭に置いたほうが良いだろう。
この人面蝶自体は弱くとも、他のモンスターもいる場合には幻覚が命取りとなる場合もあるのだから。
幻覚の発生条件は現在調査中となっている。
恐らく羽から零れ落ちる鱗粉に軽い幻覚作用があり、それを吸い込んでしまったのであろうが、確かなことはわかってはいない。
もしもこの幻覚について何か新しい事実が発見された場合、冒険者協会まで連絡をして欲しい。
・備考
グリーンワーム(大地の章 樹の項 8ページ参照)が成長して人面蝶になったのではないか、という報告があるが、これは未だ確認できていない。
・著者 ジャギウ・ドーキュア
・参考文献 『モンスターの謎』、多数の冒険者達からの報告より
――― 冒険者の友 大地の章 樹の項 10ページより抜粋