「やぁ、はじめまして。石杖 所在君と静希 草十郎君だね」
ことの始まりは、些細なことだった。
● ● ● ●
石杖 所在の場合。
かちゃ、かちゃと音を立てながら、洗面台しかないキッチン(笑)で所在はコップを洗っていた。
彼がいる場所は、支倉市郊外にあるカリョウ邸跡地の貯水槽だ。周りは木々に囲まれ、太陽が沈むと公共移動手段はおろか人の影も見当たらなくなるような辺境。
そんな場所で、なぜコップなど洗っているかといえば。単にここが所在の職場だからだ。
「アリカー。喉渇いたーー何かない?」
天蓋付きのベットから声をかけるのは、四肢がないまるで人形のようなものだった。そしてこの人形は、この辺境に位置する貯水層の持ち主でもあり、所在の雇用主でもある。
あれの形は四肢がないことで完成している。ただの人間がみたならその姿を憐れで、目を背けたくなるほどだ。
「ん、ちょいまち。―――――グレープジュースなら」
「えーーそんな気分じゃないな――――でも、まぁそれでもいいや」
はいはいと、嘆息しながら所在は、洗面台横の小さな冷蔵庫からグレープジュースを取り出した。コップに移したそれを片手で持ち、海江の待つベットに向かう。
この場所は四方を壁で囲み、それぞれの壁には扉が一つずつあった。ベットは部屋の中心近くにあり、他にはガラクタが積まれているだけだった。
「ほら、こっち向け」
コップを置き、体だけの海江の抱き上げる。壊れ物を扱うように丁寧に、首筋に腕を回し一度抱きかけるような体勢を作る。海江の頭を自分の胸の辺りにそっと留め。空いた手でコップを取りあげる。
端から見れば背徳的な絵に見えるだろうが、これが彼らの日常の風景だった。
口元にコップの端を添わせ、飲みやすいように角度を調整していく。
ごくごくと鳴る喉の音を間近で聞きながら、海江は嬉しそうに上目遣いで微笑んだ。
”っつ!”
「ほら、もういいだろう」
「うん、ありがとうアリカ」
にこりと笑う悪魔は、別の意味でも悪魔だと思う所在だった。不思議なことに最近海江は飲み物を飲むとき義肢をつけなくなった。理由は検討もつかないが、所在以外なら皆知っていることだった。
「はいよ、これも仕事ですからね」
「むー。なんかそれ仕方なくやってるみたいだね」
「そりゃそうだろう、仕事だ仕事」
「つまんないなの」
ぷいっと顔を背けた海江を所在は可愛いと思ってしまった。だがしかし、いかに海江が小悪魔的で可愛いくとも、超絶美少女に見えても彼らは結ばれることはない。
なぜなら。
”こいつは男、こいつは男、こいつは男、こいつ男、男、男、男男男男!!”
悲しいかな、気まぐれな神様は、海江から四肢を奪ったどころか性別すらも間違えてしまったようだ。。
仕事を終えた所在はお気に入りのソファに深く腰掛ける。ゆっくりと沈んでいくそれはいくらするのか考えただけでもぞっとする。
そもそも四肢がない海江がなぜここまで生きてこれたかというと、それは人生を遊んで暮らせるほどの資金が彼にはあったからだ。
もとは大豪邸に住んでいたらしいし、使用人みたいな人たちもたくさんいたようだ。
「そうだ、アリカ。お使い頼まれてくれない?」
唐突に、そう海江が言った。だが、海江が頼む物事の全ては嫌な予感しかない。はじめてのお使いで、二回目のお使いで何度も何度も死に掛けた。そのことを連想してか顔をゆがめながら所在は、
「いやだ、絶対いやだ」
今だ彼の中の期待値が労働値を上回ることはない。いかに魅力的な話だったとしても、面倒ごとはごめんだ。
「そんなこと言わずに、今回のお使いは危なくないと思うよ――――それに支倉から出られるんだよ?」
「――――は?」
所在は、この町支倉から出られない。面倒なので理由は割愛。
「ちょっと待て、俺たちは町から出られないだろう。それにもし出れたとしても的さんが黙ってないぜ?」
「そんなの関係ないよ、今回の依頼主はちょっと変わってるからね」
「なにそれ。お前が変わってるっていうことは相当なやつってことか?」
がっちゃと、不穏な音がした。扉の開く音だ。でもどうして扉が開く。それも西側の扉が。
ぎ、っと開かれた扉から望むのは深遠を思わせる闇。黒一色で染まった空間だけが広がっていた。
脅威を感じなくなってしまった所在ではあったが、これには度肝を抜かれた。
扉の中から発生している気配に久しく忘れていたものを思い出した。
脳ではなく、体が自然と反応している。
別次元の恐怖が、
圧倒的な空気が扉から漂ってくる。
「――――いやぁ、久しぶりだな」
「そうだね、”万華鏡”」
ことの起こりは、突然で。そして些細なことから始まる。