改行を増やして読みやすくしてみましたが、どうでしょうか?ご意見、ご感想、お待ちしておりますm(_ _)m
【序章】そして私は決意をした
恭平‐弟
「お、お母さん……」
少年の母親の周囲には、胸を貫かれたり、体の一部を食いちぎられたりした屍たちが広がっていた。六歳の少年の嗅覚は、慣れない血生臭さに反応し混乱している。
いつもは凛々しい母親の表情が歪んでいた。口が裂けたように開き、白目を向いていた。髪の毛も右半分が抜け落ちており、胸元は自分で引っ掻いて肉が抉れている。
あまりにも日常から、かけ離れている光景を受け入れることができなかった少年は、その小さな身体で血だらけの友人を抱き上げて、
「動かなくなったよ? ひろしくん……血が出てる。救急車呼ばなきゃ……ねぇ、お母さん!」
涙を流すこともできないほどの絶望。六歳の子供が背負うには重すぎる。その幼い顔が、恐怖に塗れてしまうのは必至だった。
「ゴメンネ……キョウヘイ……ゴメ―――サクセンヲゾッコウセヨ……ゾッコウセヨ」
母親の声調が有機的なものから、無機的な狂気に染まったものへと切り替わる。そんな彼女のことなど察することもできず、恭平は死んだ友人の切断された右腕を拾い上げて、
「どうしちゃったの……お母さん。怖いよ……。腕、くっつけないといけないよ、ね?」
「ゾッコウセヨ! ゾッコウセヨ……ウッ――――ニゲテ、キョウヘイ……ニゲテ! ニゲ―――ゾッコウセヨ」
母親、いや〝異形の怪物〟がそう言うものの、少年は聞き入れずに近づいていく。
そして―――。
―――恭平、生きて、ね……。
「グギギィッ!」
母親の上半身が、爆ぜた。同時に何者かによって、恭平の体は弾き飛ばされてしまう。そこには日本刀を構えた父親の姿があったが、恭平はそこまで意識が及ばなかった。
―――早く殺して、私を殺して!
ただ、耳を両手で塞ぎ。
―――痛い……痛い……華音(かのん)、恭平……あなた……ッ!
目を閉じ。
―――はぁッ……はぁッ……死にたい、早く死なせて! どうして! どうして、いやぁあぁあああああああぁあああああああああぁぁぁぁぁぁ―――――――――――――…………。
それでも母親の断末魔は、恭平の脳内に入ってくる。
断末魔が止む頃には、恭平の眼前には、永久に動かなくなった父親と母親の姿があった。
華音‐姉
少女が駆けつけた時に生きていたのは、父親だけだった。
右手には白いチョークが、足元にあった母親の綺麗な亡骸の下には、六芒星のマークが描かれていた。少女の可愛らしい白のワンピースには、微かに返り血がこびり付いている。
周囲に蔓延る血の臭いも、凄惨な死体も無視して、少女は刀を持ったまま倒れている父親に歩み寄る。凛々しい顔立ちで短髪の背の高い男であった。その黒髪は華音にも引き継がれている。血に染まった胸を抑えながら、父親は言う。
「か、のん、か……ごめんな、……お前に、辛い思いをさせ、て……ッ」
「知っているよ……知っているのよ、禍者のことぐらい……。だから仕方がないっていうのも分かる!」
それでも当然のことながら、九歳の子供に母親の死に対して冷静でいられるわけがない。唇は震え、大粒の涙が頬を伝う。そんな華音の隣では、弟の恭平が顔を伏せて絶望に暮れていた。
「俺はもう、ダメだ……それよりも……」
「そんなことないよ! だって、お父さんは……」
浄化師として、異形の怪物を退治する父親の背中を華音は知っている。そして物心つく前から自分を大切に育ててくれたことも、覚えていた。だからこそ、彼の死を受け入れられずに華音は錯乱した。
「……禍者を殺せなかった、臆病者の浄化師」
大昔から存在する怪物―――禍者。それを殺す職、それが浄化師だ。その怪物になってしまった、愛する妻を簡単に殺せと言うほうがおかしい。しかし殺さなければ、浄化師としておかしいと父親は言った。
「違う! お父さんは最強の浄化師だよ! だから、こんなことで死なないもん!」
「いや、死ぬんだ。俺も、お母さんもな……早すぎた。本当にすまない……」
しかし、出血は既に致死量にまで達している。意識を保つのがやっとだろう。
「いいか、恭平……よく聞くんだ」
父親は顔を伏せたままの恭平のほうに視線を向けて、血だらけの右手を出した。そこには紅蓮に燃え盛る火の玉があった。
「浄化師の契約はまだだが、これを……お前に、託す」
「………………………」
うつ伏せた顔を上げた恭平の瞳は、色彩を失っていた。目の前で人々が惨殺され、母親が苦しみながら死ぬ様を目の前にしてしまえば、こうもなる。まして、恭平はまだこの世の全てを知らぬ、
一般人であるのだから。九歳になり契約を結んだ華音とはわけが違う。
もう恭平はこんな醜い世界に関わってはいけない。このままだと、恭平は壊れてしまうだろう。弟である恭平を想うならば、華音が取るべき選択は一つしかなかった。
「私が……私が、それを受け継ぐ」
「華音……お前……」
華音は父親の右手を小さな両手で握り締め、その火の玉を見つめた。その瞳は決意に満ち溢れていた。何もかもを受け入れ、そして戦い続けることへの覚悟をする。
「〝鬼神〟になるのは私でいいよ。浄化師の契約もしているし」
「ぐふッ!」
父親が吐いた血だまりが、華音に飛び散る。だが、彼女は臆することはなかった。そのまま火の玉を両手で掴み、胸元に寄せた。
「それに、もう恭くんに辛い思いをさせたくないんだ……お父さん。恭くんは浄化師にならず、禍者のことも全て忘れて、普通の男の子として生きてほしいの……。そうしないと、あの子はいつまでたっても、この出来事を忘れられないでいるよ。そんなの、悲しすぎるわ……」
六歳の子供にとっては辛すぎる経験。さらに〝禍者の声〟を訓練していない状態で聞かされてしまえば、後遺症が残ってしまう可能性もあった。いや、もはや彼の精神は悲鳴を上げているはず。
いつ精神が崩壊して廃人になってもおかしくない状況だ。
どちらにせよ、このまま恭平を浄化師の世界に縛り付けるわけにもいかない。彼のことを想うのならば、姉である華音が父親を継ぐべきだ。そういう自覚があったからこそ、華音は駆けつけたのかもしれない。
「お姉ちゃん……」
恭平が虚ろな瞳で華音を見つめる。どうしょうもないほど心を潰された少年は、全てを忘れることでしか幸せにはなれない。
「どうして……何をする気、な、の?」
「大丈夫。お姉ちゃんに任せなさい。大好きな恭くんのためなら、私は頑張れるから」
その笑みは、たった一人になろうとしている家族を守るために、華音が作った最大限のものであった。
「それで、いい、のか?」
「覚悟はできているよ」
胸元にするりと入り込んでいった火の玉は、華音の体の中心部にまで達すると落ち着く。焼けるような痛みも、息苦しさも、感じない。見届けると、父親は静かに息を引き取った。
その瞬間、抑え込んでいた感情が爆発した。大好きだった両親が理不尽な形で死んでいったのだ。泣きじゃくるのが当然だった。
それでも今まで涙と感情を堪えていた華音は、強いと言えよう。
「えぐっ、えっ……お父さん、お母さん……うっ、えっえっ……私、強くなるから……強くならなくちゃ、泣かないよ、絶対、に、泣かな、うっ。う、う、うぁああぁあああぁあああぁああぁあああぁあぁ――――――――――――――――――――――」
それから八年間、華音はその時にした選択を後悔したり、涙を流したりしたことは、一度もなかった。
この時が最後、そう決めていたから。