「ラクレット、調子はどう? 」
「ああ、義姉さん。忙しいですけど、順調です。報告書の通り」
結婚式会場でのリコの騒動が終わった後、ラクレットは様々なところに顔を出していた。その一つが今の直属の上司になっているノアの元だ。
彼女はすでに、ラクレットの義姉であり、そう呼ばれることに抵抗はない。一応家族になるのだから。自分より活動している時間で見れば年上の弟だが。それでも周囲の『白き月』の人間の中では素直で物わかりが良くからかう事もしない。それでいてエンジェル隊に比較すれば理解できる範疇に在るラクレットの事を、ノアは決して嫌いじゃないからだ。
そんな二人が話しているのは、現在のラクレットの仕事である、『次世代人造紋章機製造計画』についてだ。通称『HB計画』は、現在EDENとトランスバール皇国における共同の一大プロジェクトである。
なお、トランスバール皇国という名称は、今後より薄れていく。これは皇国民が自分たちはEDENの一員であるといった意識を持ち始めるといったことに起因する。政府の名前や軍の名前はこのままであるが、将来的には『EDEN』という一つの集まりになるのだ。それはこの人物たちが歴史上の人物として語られるようになってからなので省くが、今後EDENという表記には、そういった意味も込められてくることをご了承いただきたい。
話を戻そう。そんな、一大計画は少し前に、発令されたものである。ラクレットは、その時のことを思い出すのであった。
「ラクレット・ヴァルター中尉、到着しました!!」
「うむ、入るが良い」
その声に促されてラクレットが入室する。ここは白き月の奥にある、機密ドックだ。一般人はもちろん関係者ですら用事があるときしか立ち入ることはできない。そのドックを見下ろせる管制室のような部屋に、彼は今呼び出されていた。
室内にはシャトヤーン、シヴァ、カマンベール、ノアの4人がいた。ルフトは現在本星において政治活動を行っているので不在であった。
「ご苦労であった、ヴァルターよ」
「楽にしてください」
「はい」
とりあえず、促され、4人の目の前に立つ。ラクレットがここに来たのは、『エルシオール』を降りるように辞令が下りた直後であった。まだ荷物の整理は終わってないのだが、呼び出しをされたので急いでここに来たのである。現在彼の部屋では、クロミエおよびエンジェル隊の有志が彼の荷物を整理しているであろう。見られて困る疚しいものはないので特に心配はいていない。
「回りくどいのは嫌いよ、アンタに今日頼みたいこと、それはある計画の一員として動いてほしいってこと」
「計画ですか? 」
「Holy Blood計画 通称HB計画だ。簡単に説明するならば、現代の科学力で紋章機を量産する計画」
「そう、その紋章機は今まで見たいな、専用機じゃない。誰にでも操縦できるような、そういったものを作るつもりよ」
カマンベールとノアによって説明される言葉をかみ砕いて理解する。要するに現代人の手により量産型の紋章機を作る計画が動き出したということであろうと理解する。
「これはまだ極秘なのだがな、世界には銀河が複数あるということがわかったのだ」
「その為、手数が足りなくなってしまう可能性を危惧し、ノアさんとカマンベールさんが立案したのがHB計画です」
シヴァ女皇により、衝撃的過ぎる事実が開示されたのだが、今一理解できていないラクレット。GAⅡの知識はあまりないのだが、設定として平行世界と呼ばれる複数の銀河が発見されたことは知っている。
それと関連していることは察しがついたが、どうにも重要な情報を隠されているようだと彼は考えた。隠されているなら知るべきではないであろうと、無理矢理納得することにしたのだ。
「それで、自分はテストパイロットでもすればよろしいのですか? 」
「いいえ。というか、アンタ基準に作ったら結局ワンオフ機体しかできないわよ」
「ああ。それにH.A.L.Oシステムの代わりになるAIの理論はあるのだが、まだ実現には少し時間がかかる。そして完成予想とされているスペックはこれだ」
「……これは……汎用機でこれですか? 」
ラクレットが不正解したものの話は続く。彼の目の前に提示されているデータを見る限り、相当に高出力高性能高価格の3K揃った機体のようだ。ラクレットの総資産、全額投資して1機作れるかどうかといったところか。そして何より特筆すべきは、これを操縦するパイロットは、相当な技量を要求されるであろうといったことだ。
「アンタには、この機体のテストパイロットを育成してほしいの。なるべく若い人間がいいわ、そして既存の機体を操縦したことがない人物。先入観が欲しくないの」
「ぼ、僕が教官ですか……? 」
「そうだ。ここに半期の基礎課程を修了した空軍のパイロット候補生の名簿がある。皇国とEDEN全ての空軍学校の前期課程首席に『新型機体のテストパイロット候補育成計画』を持ち掛けたところ、ほぼ全員からいい返事がもらえた。この中から5人前後を一期生として選べ」
ラクレットに要求されているのは、こういうことだ。現在空軍学校で半年間の基礎訓練を終えたものの中から、成績および適正の優秀なものをピックアップしたリストがあり。その中から5人ほどテストケースとして育てるといったものだ。
「いや、でも僕が教官って……」
「ラクレットよ、余はお前の実力をかっている」
「女皇陛下……」
「そうですよ、貴方は『エルシオール』で誰よりも努力を重ねて、自分で技術を身に着けていました。エンジェル隊と違い貴方は操縦の為の勉強もしています。きっと貴方ならばできるでしょう」
「シャトヤーン様……」
とりあえず、自分にできるかわからないので一歩引いてみるものの、どうにも逃げられないようだ。彼が昔から感じていたように、シャトヤーン様とシヴァ女皇陛下は彼のことを随分とかっているようだ。
ちなみにこの場にいる4人が期待しているのは、ラクレットという人間が育てたことによってできる『規格外』のエリートパイロットの誕生である。まともな腕利きではないものを期待しているのだ。白き月理論である。
かくして、この計画は始動したのであった。
通称HB計画
プロジェクト主任 ノア・ヴァルター
副主任 カマンベール・ヴァルター
技術部門総責任者 シャトヤーン
テストパイロット 未定
テストパイロット育成担当
特別訓練学校 校長 ウォルコット・O・ヒューイ
実技最高責任者 カトフェル
実技指導特別教官 ラクレット・ヴァルター
「今日から君たちの訓練の指導をする、ラクレット・ヴァルターだ。階級は中尉。所属はトランスバール皇国軍、白き月『エルシオール』所属の戦闘機クルーだ」
「ヴァルター中尉は忙しいお方だ、貴様らのすべてを見ることはできない、だが、彼の卓越した操縦技術を近くで見ることは、必ず貴様らの糧となるであろう」
EDEN近くのとある衛星。まるごと全て軍が管理する子の星は基地に訓練学校に演習場にと、軍事関連施設と彼らの為の歓楽街が一定ごとにあるという少々特殊な星だ。その中でも新しい訓練学校の区画の奥に彼は今いた。
訓練の初日、厳密には皇国やEDENの訓練学校から精鋭の選りすぐりの候補生が集められたので、彼等からすれば所属が変わっただけで、初日ではないのだが。ラクレット着任の日、彼が受けたのは、尊敬の眼差し……だけではなかった。
今この部屋には5人の訓練兵がいる。彼らはなんの偶然かすべて男だ。選抜段階では女性もいたのだが、くじを引いたり直感で選んだりした結果、男性しか残らなかったのだ。
最も次世代人造紋章機なので、女性のほうが適用しやすいという風潮を打壊すにはちょうど良いのも事実であった。ラクレットは名簿として渡されたデータに目を通す。
ジンジャー・エール 16歳 出身は皇国本星
ロゼル・マティウス 15歳 出身はEDEN
コーク・C 16歳 出身は皇国
ラムネ・マーブル 15歳 出身はEDEN辺境
ビオレ・ドーフィン 17歳 出身は辺境
半分は年上という事実に少し頭が痛くなってくる。ついでに自分が15歳だという事を思い出して驚く。自分の名前を知らない人物は恐らくいないであろう。仮にも空軍のパイロット志望の訓練兵だ。だが、この不遜な視線はどうやら歓迎されていない様子だ。
「それでは、あとは中尉の指示に従うように」
担当教官のその言葉と同時に全員が見事な皇国軍式の敬礼の姿勢をとる。ラクレットは既に反射的にそれをとれるようになっているが『エルシオール』に来て暫くはまともに敬礼すらできなかったのを思うと個々の人物は全員優秀のようだ。ラクレットは早速全員に向き直る。
「紹介に会った通り、私がラクレット・ヴァルターだ。今後君たちの訓練を担当する。多忙のためいくつかは先程の担当教官が見ることになるが、私も全力で指導していくつもりだ。よろしく頼む」
「よろしくお願いします!! 教官!!」
ラクレットのその言葉にそう返したのは、右から2番目に座る、ロゼル・マティウスだけであった。他の4人はどこか微妙な態度を示している。まあ、当然かともラクレットは思う。
彼らはまだ訓練兵だ。基礎課程とはいえ首席であったためプライドも高い。上官である自分に対して敬意は払っているものの、年下であるということから教官になることに対して抵抗があるのであろう。自分だって、年下の上司が突然できたら狼狽してしまうであろう。ヴァニラさんは別だが。天使だし。
「まあ、色々思うところはあるだろう。何らかの罰則にはしないから、本音を言ってくれたほうが良い。初日の内に納得してもらわないと長引くからな」
ラクレットは、用意してきたセリフを言う。規律に厳しい軍において、このやり方はどうなのかと疑問視されるであろう手法だが、尊敬する上官のやり方なのだ。マイヤーズ流である。
「それじゃあ言わせてもらっていいですか? 中尉殿」
「どうぞ、コーク」
「教官は、本物なんですか? あんなバカみたいなコト全部やったとか、冗談かプロパガンダか何かじゃないんすか?」
ラクレットの言葉に真っ先に反応したのは、コーク・Cであった。全員についての細かいデータについては既に熟読しているので、人間性も過去の担当教官からの主観ではあるが把握してある。彼はやや単純馬鹿なきらいがあるが、命令には素直に従う青年であったらしい。
「……私も同意です。とても人間だと信じられない。この単純馬鹿と同じなのは尺ですが」
「人間じゃないみたいだがな」
同調してきたのはジンジャー・エールとビオレ・ドーフィンであった。ジンジャーは冷静沈着だが、皮肉屋のためトラブルを起こしたこともあるそうだ。ビオレは辺境出身で言語が異なる地方であったそうで、敬語が苦手との記載があった。
また、今の会話から察するに、訓練兵同士の顔合わせは済んでいるようだ。ジンジャーとコークの相性が悪そうだと心のメモに加えつつ口を開く。
「そうだ。人間でないという事については同意しよう。ラムネ、君はないのか? 」
「……実力を見るまでは信じられない」
ラムネ・マーブル。成績は良いのだが、協調性に欠ける。コミュニケーション能力に欠陥あり。どこか昔の自分を思い出す評価だが、その通りのようで、とりあえず資料の情報を信用しつつ、ラクレットは考えてあったセリフを口にする。
「まあ、だろうね。正直自分でも、自分の噂が酷いくらい流れているのは知っているからね」
「そんな!! 教官はあれだけの偉業を成し遂げたと伺っています!!」
ロゼル・マティウス。成績人柄交友関係すべてに関して満点の評価がされている。彼とは少しだけ面識があった。だが、どうにも自分を盲信しているように見える。このままではほかの4人と対立なり孤立してしまいかねない。ラクレットは続ける。
「まあ、噂は各自が何を知っているのかによって真偽が違うだろうけど、僕が今の君たちよりも優秀なのは事実だ」
その瞬間、信用できないようなものを見るような4つの視線が、敵意を現してくる。こんな簡単な挑発に乗るようじゃだめだな。あとで進言をしておこうと決めた。
だが、彼らからすれば信じられないとも当然であろう。ラクレットが達成した伝説は正直人間業ではないのだ。信じられないのも当然である。
全盛期のラクレット伝説
・14歳にして戦闘空域に突然単騎で乱入、劣勢の状況で旗艦を落とすことによってひっくり返した。
・戦闘機にリミッターをかけたまま、紋章機と同等の戦闘をこなし、撃墜数こそ劣るものの数多の艦を沈める。
・旗艦のみで計算すれば、皇国の歴史上最も多くの旗艦を撃沈している。
・全長数十キロメートルの剣で敵の艦を切り裂いた。
・常人ならば3日で根を上げる、カトフェル式ブートキャンプを2週間やって生き生きしていた。
・味方の機体が敵の手に落ちたとき、迷わず斬撃で沈める。しかも操縦士は無傷で。
・実は亡命して来た敵対種族の末裔であり、限定的ながらその能力を使用できる。
・上の兄は皇国でも有数の商会のトップ、下の兄は月の管理者クラスの科学者。実家は代々総督の家系。
・1対100は当然、多いときは1対150も。
・皇国の決戦兵器クロノブレイクキャノンを一人で撃つことができる。
・これだけすごいのに彼女がいたことがない
15歳の少年の経歴といっても誰も信じないであろう、そんなものの羅列なのだから。だからラクレットは、一つ提案、いや挑発をした。
「それじゃあ、証明してあげよう。ひよっこ共」
場所は変わって、グラウンド。ここでは屋外で行われる走り込みなどの訓練のための場所である。もう少し離れた場所まで行くと、射撃訓練用の場所まである。この軍学校はできたばかりであり、前述の通り星の半分ほどは軍事施設である。なので土地は非常に多く余っているのだ。
もちろんこの学校には5人しか訓練兵がいないわけではない。新設したエリート軍学校のテストパイロット育成コースがこの5人なのである。他にも多くのエリートがこの星で訓練している。
ラクレットはその場に訓練兵たちを移動させて、自分は装備を取りに行っていた。既に形式上だけになっているものの、軍人たるものの、重たい荷物を持って走れなければだめなのだ。正式に任官さえすれば、前線に出る兵士でも軽量化小型化に成功した最新装備になるのだが、訓練兵には古き良き十数キロのものである。
彼等も流石エリートなのか、そのわずかな時間で準備運動は各自終わらせていたようだ。
「まずは、君たちの体力が見たい。だが時間がもったいないのでグラウンド一周のタイムを計るだけだ。各自装備を装着した後開始する」
ラクレットはさらっと言ったが。このグラウンドは一般人が歩くと1周で30分近くかかる距離である。おおよそ2kmといったところか。軍人的には速く走るよりも長く走るほうが重要なのだ。だからタイムを計るというのは、気絶するまでのタイムのほうが実戦向けであろう。
しかし彼らは優秀な既に基礎課程を終えたものたちだ。初日で意地も張るであろうし、そうそう終わらないであろう。そのためのこのやり方なのだ。整備したグラウンドであるし、まあ、10分前後で走り終えるであろう、そうラクレットは予想し、各自を走らせたのだ。
結果、ラクレットの予想通りであった、順位は意地を張ったのか、全員がまるで短距離走のような団子状態でゴール。さすがは首席生たちであろう。ラクレットは満足げに頷く。
「それで、実力差を、見せて、くれるんじゃ、ないのか」
息切れしながら、コークがこちらに向かってそういう。まあこれで各自自分の全力というものを認識したであろう。手を抜いていたならそれでも良いのだが。
「ああ。それじゃあ各自装備を外してここで見ていろ」
ラクレットはそういうと、余分に持ってきていた、二人分の装備を無理矢理担ぐ。当然抱えきれないので、手で無理矢理抱きかかえるようにする。そして各自のウィンドウの前にタイマーを出す。
「計測は各自がやれ。その必要もないであろうが」
ラクレットは、そう言って走り出す。慌てて5人はタイムを測定し始める。ラクレットは何も背負っていないかのごとく自然なフォームで走りだし、どんどん加速する。トップスピードになるであろう距離に差し掛かった辺りで、訓練兵たちも少し見直した。
なにせそのフォームは完璧であり、速度も申し分なく、このままのペースで走っていれば、自分達たちよりも確かに早いであろうことが優秀な彼らにはすぐに分かったからだ。
しかしそこで訓練兵たちは違和感に気づく、加速が止まらないのだ。中距離を走る適正速度を超え、短距離走のようなフォームに切り替わる。そしてぐんぐんと速度を伸ばし続ける。
グラウンドを半周した辺りには、すでに人間が出せる速度の限界であろうと思われる速度に達していたが、さらに加速は続く。そして瞬く間にこちらに戻ってきた。
「タイムは?」
「え……?」
「あ、あ?」
完全に信じられないものを見たような目でラクレットを見ている、コークとジンジャー。ラムネと、ビオレも同様だが、声に出してはいない。
「1分45秒です」
「ありがとう、ロゼル」
まともにタイムを計れた、というより、停止ボタンを押すタイミングで、集中力を切らさないでいたのは、ロゼルだけの様だった。まあ、こんなもんかとラクレットは納得する。やろうと思えば、2秒で最高速まで加速できるのだが、今回は自然な加速を行ったのだ。
なお今のところ出してみた最高速度は120km/hなのだが、あまり気にしてはいけない。何せそのうち水の上を走れるようになるし。
呆然としている4人を見てラクレットは追い打ちをかけるように言う。
「それじゃあ、今度はもっと大事な、戦闘機の操縦のほうで君たちの実力を見ようか」
シミュレーター室。紋章機のような特殊なもの、通常の戦闘機用のもの、皇国にあるすべての戦闘機のデータがあるこの部屋は、マニアからすれば天国であろう。ここにいれば、シミュレーターとはいえ、再現率99.9998%であらゆる機体に乗れるのだから。
「それじゃあ各自乗り込んでくれ、機体は今度ロールアウトするステルス戦闘機だ。汎用機で一番高スペックのやつ」
容赦ない指示を出しているラクレット。彼らはまだ適性検査と、簡単な操縦訓練しか受けていないのだ。まあ、それでも皇国軍においてパイロットの腕は問題ないのであるが。
この時代、既に戦闘機は半場時代遅れとなっていた兵種である。艦隊よりも装甲は薄く、火力に乏しい戦闘機は、偵察や陽動、妨害といった要素にしか使えないとされてきた。
なにより状況支援システムが優秀なので、空間把握能力と基礎的な操縦知識があり、一般的な体力があればパイロットとしては十分といった、エリート意識の薄い兵種であった。
現に訓練兵たちも基礎課程の後、適正が高かったものは3か月から半年ほどの教習を受ければ、すぐに任官してしまうのだ。現代における大型車両の運転位のハードルだ。努力すれば、よっぽど不向きでない限り無理じゃないといったレベルである。
しかし、それをこの度のエンジェル隊の活躍が大きく変えた。いや厳密にはエンジェル隊だけであったら、そこまで大きな意識の変革は起きなかったであろう。紋章機はそれだけオーバースペックなのだ。駆逐艦1隻よりお金がかかるとされている位の代物である。
そう、この流れを作り出したのは、ラクレットのエタニティ━ソードだ。彼の機体はクロノストリング搭載機体であり、Vチップによる管制が可能ではあるが、使っている材料のコスト的には、かなり安いものである。戦闘機としての範疇に入るのだ。
そんな機体が大活躍し、戦闘機は足の遅い旗艦や母艦といった敵に対して相性が良い、そういった風潮が生まれたのだ。事実ここ1年の飛躍的な技術の進歩により、戦闘機にも火力が出るようになってきており、その風潮は決して誤りではなかった。
基本的に艦隊を用い闘いにおいて重要なのはシールドを破ることである。同性能の艦であったら現状砲撃よりもシールドの方が強い。継続して当てれば無効化できるものの、一瞬で破壊できるわけではない為に撃ち合いになる。つまり攻撃をシールドがあれば耐える事ができるのだ。
戦闘機もシールドを張れる以上、一定以上の装甲を持つわけで、それがシールドを破壊する火力を内包できるのならば、それはすなわち脅威となるのだ。
話を戻そう。要するに、戦闘機は再評価されている、そしていまだに一般的な戦闘機乗りは、簡単な適性検査と操縦訓練だけで動かせている。故にマニュアルを読み込んでいるであろう訓練兵たちも操縦できなくはないという事だ。
普通であれば、基礎課程を終えただけの訓練兵など、それこそ動かせるだけで戦闘などできないであろう。しかし彼らは、各学校の首席であったのだ。しかもテストパイロットの話が出るくらいだ。自主トレは当然欠かさなかったし、マニュアルもすでに暗記しきっている位だ。
現にテスト飛行をしている仮想空間において、見事に指示通り隊列を組み障害物を華麗にかわして飛行している。なお彼らが操縦しているのは、今度ロールアウトするステルス戦闘機というのは大ウソである。
彼らがテストパイロットになるであろう『人造紋章機』の予定スペックをそのままギリギリ今の科学力の水準まで落とし込んだ仮想機体である。
「それじゃあ、はじめようか」
ラクレットはその言葉と共に、機体を選択し仮想空間に入る。周囲の景色がすぐさま宇宙空間に切り替わる。彼が登場しているのは、愛機エタニティーソードではない。既に型遅れとなってしまった、シルス戦闘機である。
「作戦を説明する。各員には2機ずつの自動操縦の随伴機を伴い目標を撃破せよ。成功条件は、敵シルス戦闘機の撃破。失敗条件は、全有人機の戦闘続行が不可能になった場合だ。作戦開始は300秒後、それまで作戦を立てるように」
────了解!
さすがに戦闘機のテストパイロット志望だけあって、よどみない返事だ。先ほどの狼狽は鳴りを潜め、ラクレットの教官機として表示されている、各員のバイタルはすべて正常値の範囲内だ。
ラクレットは、こちらには聞こえないことになっている、訓練兵たちの通信にこっそり耳を傾ける。シミュレーターだからできることだ。
「とりあえず、隊長機を決めよう、だれか立候補は? 」
「オレがやろう。指揮官適正の値は僅差だがオレが一番高かった。もちろんこの作戦のみだ、今後はまた時間のある時に考えよう」
ロゼルの提案に、同意したのはジンジャーだった。時間が惜しいので、全員とりあえず納得する、データがあるなら反対の理由はないのだ。隊長は点数が高いであろう故、なりたいのは山々だが限られた時間で作戦を立てる能力もまた、重要であろうとの判断である。
「作戦を決める前に状況の整理だ。こちらの戦力は各有人機が5機、それぞれに随伴機が2機ずつ計10機で15機だ。対して敵戦力、これはシルス戦闘機1機しか線上には確認されていない。以上のことから考えて、向こうには教官が搭乗している、または伏兵の用意がある可能性が高い」
「まあ、前者だろうよ。教官の実力を証明するっていう口実なんだからよ」
「同意するぜ、それと今調べたけどよ、随伴機は自動操縦だが、こちらから指示した場合その通りに動くようだ。後方で各随伴機のコントロールを移して指揮に専念する奴がいてもいいかもしれないな」
コークが同意すると同時に、ビオレは意見を提案してきた。随伴機は何もしなければ、対象の護衛と支援をするだけだが、こちらから指示をすれば、大まかな行動ながらその通りに行動できるのだ。それならば戦力を有効活用するために、一人が後方で全体の指揮をとるべきではないか、そう彼は提案したのだ。
「……賛成だ」
無口なラムネも声に出すほどに、この作戦の有用性は理解したのか、同意を示す。隊長であるジンジャーも首肯することで同意を示し、ロゼルもそれに倣う。
「それなら、隊長であるオレがやるべきだな、次は陣形を決める、敵は一機という前提だが、伏兵に気を付けるとすれば……」
「単純な敵とこっちのスペック差は、相当にある。それに数も上だ、無人機で押し込みつつ削れば……」
ラクレットは、訓練兵たちがかなり優秀であることを認識すると、通信を聞くのをやめた。シルス戦闘機のチェックをすることにしたのだ。スペックの差はかなりある。 それは事実だ。だが型遅れのシルス戦闘機とはいえ、Vチップを搭載してある、彼専用のこのシミュレーターにかかれば、化け物になる。
チートということなかれ、それでも機体スペックは同等にすら並べないのだ。何せ、武装は物理的なもののみの為、いくら底上げしても火力が上がらないのだ。その分機動に全て集中できるというのは、ある意味で最も凶悪なのだが。
「まあ、とりあえず現実をわからせますか……本当にこれでよかったのかな」
決意してからなんだが、弱音が出てしまうラクレット。彼がこれまで行って来た実力を見せて強制的に黙らせるといったのは、元々この計画でどうしても同年代の少年たち、下手したら年上を指導することを懸念したカトフェルからのアドバイスであるのだ。
既に銀河人類最強というレベルの彼の力を存分に生かして、立場をわからせる。同時に首席生たちのちっぽけなプライドは一度砕いておけ。そんなもの戦場では毛ほどに役に立たない。
との言葉である。ラクレットも若干乗り気ではなかったが、ロゼル以外の4人の態度を見て決めた。こいつらは下に出ればつけあがると、そう強く感じ取ったのである。
「今更引けないし、仕方ない。徹底的にやろう。『戦力差があると、どんな作戦も無意味になるんだ作戦』開始」
設定していたタイマーが0になり状況が開始される。敵は先ほどの話のように、ジンジャー機が最後尾に位置し、残りの4人が錨のような陣形を汲んでいる。無人機は全く同じ陣形でその上下に展開しており、1層に5機の3層の立体的な陣形をとってきた。
これにはラクレットも舌を巻く。簡易戦略マップは基本的に2Dの表示であり、それを基本として隊列を組むものだ。上下方向への整列は、戦闘中の詳細マップでの確認が困難なため、なかなかに難易度が高い。足りない実力を埋めるために、各自が機体に自機のトレースをさせているのであろう。彼らの適性は決してまがい物ではないとそう確信できたのだ。今日の共同はそれだけでも有意義であろう。
「いいね、でも正面から近づいてくるだけなのは減点かな」
そういってラクレットは、戦闘可能距離になっても散会しない彼らに照準を定める。陣形を維持することを第一としていて、そこまでできていないのであろう。確かに陣形は大事であろう、だが戦闘時にはそれよりも臨機応変な対応が求められる時が多い。あくまで陣形と言うのは初期対応を有利にするためのものだ。
特に紋章機という個人戦に特化した戦闘機に乗る予定なのだから。などと考えるが、それはおいおい訓練で正していけばよいか。そう思いつつラクレットは『今まで通り30%の出力で』接敵する。
壁のように迫ってくる戦闘機たちに射程の外から軽く牽制の攻撃を入れる。すると向こうは浮足立ったのか、コーク機が隊列から乱れた挙動をとってしまう。それにつられたのか、他の機体も少しずつ陣形から外れてくる。通信は聞こえないのだが、おそらく言い争いをしていることは考えるにたやすい。このまま距離を詰めようとすると、敵の動きの質が変わったのをラクレットは肌で感じ取った。
まるで流れている曲が変わったようなそんな感覚なのだが、これはやはり実地で経験を積まないと見に付かないものだ。その感覚は正しかったのか、無人機10機のうち半数の5機が速度を上げ強襲してくる。その間に回り込むつもりなのか、ジンジャー機を守るように、ラクレットから見て右に方向転換し時計回りに動き始める。
「うーむ、60点。陣形をそこまで維持したなら数にものを言わせて突っ込むべきだった。わずかな望みにかけてね」
ラクレットはそのまま、囮であろう無人機5機に突っ込む。散発的な攻撃が加えられるが、すべて難なく躱し。そのまま単調な動きしかしてこない無人機に攻撃を加える。機銃の火力は低いものの、今回は弾薬数、制限時間は共に無限である。
確実に1機2機と数を減らしていき、あと2機となったところで、ようやく訓練生たちが仕掛けてきた。
「ふむ、囲んできたか。教えてないのに、わかるものなんだね戦闘の中で」
彼らは────ラクレットを中心として────来た方向を時計の12とすると、2,4,6,8,10の位置でそれぞれ1機ずつ随伴機をつけて待機していたようだ。シルス戦闘機の制度の低いレーダーだと戦闘中にはさすがに追いきれない。
その気になればシミュレーター筐体自体につないで常に全域マップを頭に入れながら行動できるのだが、今回は自ら禁止にしているラクレットである。さすがにそこまでやると、お話にならないのだ。
10機はラクレットが止めを刺そうと、大きく旋回したタイミングで、こちらがしたように射程より遠距離から実弾兵装を使用して牽制してきた。悪くない手だ、だがラクレットにとってはもはやその程度の攻撃、止まって見える。戦闘機程度の火力での5方向からの牽制射撃程度では、気にすら留める必要はないのだ。
「はい、無人機5機撃破。次は指揮官機からだな」
ラクレットは、通信で聞いていたから知っているものの、今までの戦闘で一番後ろについていた機体を目標と定めた。仮に通信を知らなくとも、そうしたであろう位、バレバレであったのだから。
「んじゃ、仕掛けるか」
相手にするのは訓練兵とはいえ、有人機。遠隔操作と簡易AIのみの無人機とはわけが違う。ラクレットは抑えていた出力を大幅に引き上げる。
『3割に抑えていた』とはいえ、シルス戦闘機のスペックとしては、7,8割程度の速度を出していたのだから、彼等からすれば戦闘速度を出していたように見え、不審には見えなかったであろう。
それこそが油断につながった。Vチップを通じて無理矢理出力を上げたシルス戦闘機は今までの倍以上の速度で4時方向のジャンジャー機に接近。機銃やミサイルをばら撒き一瞬でシールドを削りきった。一瞬のテンポミスがすべての敗因につながる、それが戦闘機にて行われるドッグファイトの基本である。
ジンジャーが沈んだことにより浮足立っている様子の訓練兵たち。そのまま時計回りで6時方向のビオレ機を沈めにかかる。
「落ちろ!!」
ラクレットは、すれ違う瞬間にそう呟いた。シルス戦闘機の火力は低いものの、至近距離で先ほどと同じように一斉照射(フルバースト)すれば、問題なく沈められる。弾薬が無限だからできる技だ。
爆発四散したビオレ機を尻目に、しめやかにコーク機、ラムネ機と素早く仕留めにかかる。このくらいになると向こうも適応して来たのか、二人ともラクレットのほうに逆に向って来た。
Vチップでブーストをかけてもスペックは向こうの機体の方が上、それを生かすために、接近戦で二方向からしとめることにしたのであろう。無人機は別の方向に向かっていることから、無鉄砲というわけでもないようだ。
「だけど、甘い。性能を生かすなら、一撃離脱がベストだ。速度と火力、そしてステルス性能まであるんだ。そもそも、ここじゃなくて初期位置近くのアステロイド帯で待つ戦法をとればよかったんだよ」
ラクレットは無慈悲にそういいつつ、攻撃を回避しながら、じりじり削っていく。2対1という状況だが、シールドの減りは有意に早いことに焦れたのか、一機がうまい具合に組んでいた連携を自ら崩し突撃を仕掛けてくる。
コーク機のようだ。単純馬鹿で突撃嗜好有というのは本当の様であると、心中で評価しつつ、ひらりと回避しつつ180度回頭。後ろのスラスターに打ち込みクリティカル判定で沈める。ビオレ機も意を決して1っ気のまま先ほどと同じ攻撃を続けるが、消耗戦には勝てず、そのままラクレットは沈めた。
この時点でシルス戦闘機のシールドは7割ほど残っている。これははっきり言って、一般的な観点からすれば、異常なまでの事実なのだが、エンジェル隊やエルシオールクルーなどのラクレットをよく知る人物からすれば、こう評価するであろう。
『訓練兵がラクレット相手に3割も削れた』
考えても見てほしい、いくらハイスペックの機体とはいえ、彼が行っていたことは常に先陣を切り敵を仕留めるという事だ。装甲は標準以上、回避性能はトップクラスで、旋回速度共に秀でている、冷静に考えれば頭のおかしい機体なのだが、一番火力の集中するところで敵のヘイトを稼ぐ盾役をやっていたのだ。
火力を削ぎ、足の遅い相手を沈めながらである。そんな彼は現在エンジェル隊の全ての機体と1VS1では引き分けることに成功している。ノアたちの手によって修理(という名の魔改造)されている愛機は、この前彼が考案した、フル出力のエネルギー運用に耐えうるものになってしまった、その結果がこれだ。
ちなみに現在機体は月において、HB計画の資料として用いられているので実機は手元にない。
ラクレットは残るロゼル機に接近する。しかしどうやら先ほどの二機は、無駄死にではなかったようだ。彼らが向かわせていた無人機は既にロゼル機の指揮下に合流している。最後の鍔迫り合いになるであろうことを感じ取ったのか、ロゼル機は突撃に躊躇があるようだ。
待つ義理もないので、果敢に仕掛けるラクレット。対するロゼルもようやく迎撃行動をとる、前方に転回させた、3機の無人機を盾に接近するつもりであろう。ラクレットはそう『誤認したふり』をして突っ込む。
そしてお互いの火器を交差させながら、あわや接触といったところで、ロゼルの無人機達はある行動をとる。その瞬間、眩い閃光が走り、衝撃を空間が襲った。
無人機全てが爆発四散したのである。彼が先ほど躊躇っていたのは速度と時間の計算をしていたのであろう。なにせ自爆までは時間がかかるのだ、起動即爆破とはいかない。彼我の距離、敵のスピード、無人機の速度、それを計算して交差するタイミングで爆発するように仕掛けたのだ。
もちろん賭けの要素も大きい、敵が正面から突っ込んでくることが絶対条件だし、最後に回避行動をとらないことも重要だ。故にロゼルは、盾に見せかけた無人機の隊列にスペースを作ったのだ。そう『シルス戦闘機が、ギリギリ通り抜けられるような大きさの穴』をだ。
ロゼルはラクレットの実力を信頼しているため、彼がその穴を通り抜けて自分を破壊に来るであろうことにかけたのだ。
そして彼は賭けに勝った。
「チェックメイト」
勝負には負けたが。
ラクレットは爆発する寸前、スラスターを超過駆動『オーバーロード』させた。それにより、一時的に爆発的な推進力を得たのだ。勿論そんな事をすれば直ぐに壊れる。しかし、それまでに勝てば問題ない。
ロゼルの計算を上回る速度で、隊列の盾を抜け、爆発の衝撃でさらに加速、一瞬レーダーからすら誤認されるような速度で、ロゼル機の背後に回り、旋回。こちらの機影を爆風から探している、足を止めてしまっていたロゼル機を撃破したのだ。
そう、5対1の戦いはラクレットの完勝に終わったのであった。