綺羅姫さんは清楚でしっかりと着物を着こなした天王寺と違って、下着一枚で堂々と俺の前に現れた。
俺といえば、だらしなく鼻血をダラダラと流しながら相手の目をろくに見ることが出来ていない。主に胸の部分を凝視してしまっている。
もしかして、これは皇の盾の試験の一環なのだろうか? 俺の忍耐力というか、変態力というか……を見定める為の。
「お義母様……そんな格好でまた…やめてください。恥ずかしいですよ」
天王寺頭を抱えながら母親を咎めているが、母親の方が全く気にしないで俺に微笑みかけた。
「別に見せて恥ずかしいような体じゃないからいいじゃない。ねぇ?」
と俺に同意を促してきた。
はい、と言ったらいいのか、どうしようか迷っていたが俺が何か言葉を発する前に控えていた例の皇の盾のリーダーが困ったように主を叱責する。
「恐れながら当主様。霧島殿の体に差し障りますゆえ」
「あらあら…うふふ…初心なのねぇ…わかったわ、ちょっと待っててちょうだい」
そう言って、その場で近くにいた女中に着物を持ってこさせてあれよこれよという間に立派な着物を着た、天王寺が気後れするくらいの存在感を発する当主へと変身していった。
「さて、霧島切無さん…織姫から話は聞いています。どうやら我娘の専属の護衛に推薦されたとのことですが……」
「ああはい、まぁ成り行きで…」
そう言うとクスリと笑いながら我娘に顔を向ける。
「この子ったら、いつまでたっても護衛をつけないで外を出歩くから、親としては心配だったのよねぇ…でもその気がないってわけじゃなかったということよね。どういう風の吹き回し?」
相変わらず無表情なまま、天王寺は言葉を発する。
「別にこれといった理由はありません」
「そう…まぁいいわ。瑠璃さんの弟となれば、無下にも出来ないしねぇ…」
今度は俺に向き直り、さっきとは違う、鋭い目で俺を見据える。
「率直に聞くけれど、あなたはこの子が守られるに値する子だと思っているの?」
「はい?」
思わず聞き直してしまった。失礼だと思いながらも、別に気にした風でもなく話を続ける綺羅姫さん。
「この子って私から見ても、本当にダメな子でねぇ…私とは血が繋がっていないから私の娘っていうわけでもないのだけど…まぁ親権を持っている身としては、本当に情けない娘だと思っているの」
初耳である。天王寺家は少し複雑な事情が関わっているようだ。
「失礼ながら、血が繋がっていない、ということは天王寺家の血筋を持つのは…?」
「ああ、それは安心して頂戴。しっかり織姫に受け継がれているわ」
少し面白くなさそうにそうに言う綺羅姫さんに若干の違和感を抱いたが、それを顔に出すのは流石に気が引けたので黙っていた。
「私は旦那の本妻なのだけど、子供を産める体ではなくてねぇ…側室? なんて今時古い例えだけど、まぁもう一人女を娶ったの…ああ、こんな話つまらないわよね、ゴメンなさいね?」
「い、いえ、こちらこそすいません。何だか変なことを聞いてしまったようで…」
俺たちがぎこちない会話を(主に俺だけが)しているのに見かねたのか、天王寺が言葉を発する。
「お義母様、そろそろ本題に入っていただけませんか?」
母親は億劫そうに娘に顔を向けて「せっかちねぇ…」と言いながらも、どうやら娘の意見を取り入れたようだった。
「もう一度聞きます。あなたはこの子が守るに値する子だと思っているの?」
「……私は半年前に編入したばかりで織姫さんのことについては右も左も分かりません。生徒会長であり、天王寺家の跡取りである人、という認識以外では私には判断しかねることです」
天王寺は、無表情だが、どこか不安そうにしているような気がした。
「――ですが、この一週間、彼女の生き方、というものを目にする機会が多くあり、その少ない機関を視野に入れさせていただくなら」
「――この人は、素晴らしい方だと思います」
俺は迷いなくそういった。
輝かしいのだ、天王寺は。
汚れを知らず、世間を知らず。一見ただの箱入り娘と叩かれても仕方のない女だと思う。
だが、その実、自らの信念に基づき、人の為に自分を犠牲にして働く彼女を俺は誰よりも素晴らしい女性だと思った。
――否、俺は多分憧れているのだ。
――そして、嫉妬しているのだ。
綺羅姫さんは、何かを思案しているように俺を見ている。
しばらくするとニヤリと笑い、「いいわね…あなた」と一言だけ言った。
「私を前にして、恐縮しているようで、実は見下しているような目線」
――――――。
「それに、その目……そう、あなた」
「――人を殺しているわね、それも何千…何万」
「…ご冗談を、私は病弱で弱い男でございます。その点では皇の盾に不適格な者ということは承知の上です」
「…まぁそういうことにしておきましょうか。――採用します」
「当主様!?」
控えていた女が、しばらく黙っていたが、今の発言にとうとう声を荒げた。
「文目(あやめ)、何か不満が?」
従者の突然の発言に少し不機嫌そうに口を尖らせる綺羅姫さん。しかし、文目と名乗った従者もここは引けんとばかりに発言する。
「恐れながら当主様。皇の盾への採用試験を受けていないにも関わらず、このような馬の骨ともわからない…男? を採用させるなど…」
「馬の骨ではないわ、霧島家の長男よ」
「私は存じません。そのような魔術師など」
「まぁ、そうよねぇ…で、あなたはどうしたいの?」
文目(あやめ)と名乗る女は、俺を敵か何かを見つけたような目で睨みつけてくる。
俺は何が怒っているのか把握しきれずに天王寺を見る。
――まんじゅう食ってるし。
お前! 人がヤバそうな時に何してんだよ!
そんな目で俺が見ていると、グッとサムズアップして何がグットなのかさっぱりわからない俺を見放した。
「私と、決闘してもらいます」
そう文目さんが言った。
「はぁ…ちょ、ちょっと、俺はその、戦いとか、争いとかとは…」
――避けておきたい。
なにより、勝てる算段も、用意もない。
「貴様、その程度の覚悟で織姫様の護衛を務めるなどと、ふざけたことを抜かしているのか?」
「天、織姫様は俺に魔術師としての能力は必要しないとおっしゃって下さいました。心の在り方が肝心であるとも」
綺羅姫さんは、楽しそうに俺たちの会話を見つめ、そして天王寺に目を向ける。
天王寺は恥ずかしいのか、まんじゅうに食らいつきながら目を逸らしている。
「…皇の盾が慈悲なき鉄血部隊であるという噂も聞いております。…何でも、中東の方の異民弾圧に大変尽力したのだとか……」
「へぇ…随分と詳しいじゃないのぉ、ねぇ文目」
文目さんは居心地の悪そうな顔で俺をにらみ続ける。どうやら、あまり聞いて欲しくない話だったかな……。
「文目、もういいでしょう。私の判断で決めたのですから。切無には私の秘書として働いてもらうのです。そもそも護衛など私には不要なのです。…お義母様のように家を空けることが多いわけではありませんから」
「あらぁ? あなた昨日の通り魔事件、かなり気にしてたじゃない? そういう慢心が死というものに直結するということを、少しは身を持って学んだ方がいいのかしら、ねぇ?」
「……さぁ」
俺に同意を促されても困るのだが……。
「貴様、本当にやる気があるのか? さっきから聞いていれば、はぁだとさぁだの。男ならはっきりとモノを申すがいい!」
文目さんは俺にビシッと指し、不満全開の顔で文句を言う。
「そういう男女差別が魔術師と一般人の中で溝を生んでいるって知ってましたか?」
「なんだと貴様? 私に対して意見をするというのか?」
……はっきり言ったら言ったで文句言われんのか! どうすりゃいんだよ。
「あらぁ……でも男なんて所詮女の体が目当ての生き物でしょう?」
綺羅姫さん……そりゃ曲解ですよ。でもまぁ、
「否定は出来ませんね」
「うふふ……あなただってさっき私の体を見て、鼻血を出すほど興奮していたものね」
……先ほどの失態を今掘り返された。やべ……思い出したらまた……。
そこで天王寺は「はぁ」と溜息をつきながら文目さんの説得に入る。
随分メンドくさい従者である。天王寺の苦労が目に見えるぞ…。
「では、どうすればいいのです文目さん?」
「ですから、私と決闘を」
「あなたは自分の得意分野で決着をつけるというのですか? 病弱な、しかも学生という身分の彼に対して、あまりにもな仕打ちではないですか? そういう極論めいた行動をするから、あなたたちは鉄血だの、鮮血だのという汚名を被るのです。恥を知りなさい」
「し…失礼しました」
……ぷぷぷっ! 怒られてやんの!
俺が笑いそうになっているところを文目さんはギロリと睨み一喝した。こぇ……!
「ハ…ハレンチな男です! 信用にたるとはとても思えません!」
「それは私が判断することであって、あなたにとやかく言われる筋合いはありません」
売り言葉に買い言葉。文目さんは次第に天王寺に追い詰められて言う言葉を失い、口を閉じた。しかし、その目にはまだ納得していないと言わんばかりに闘志を宿しているかのように思える。
「じゃあこうしましょう!」
平行線を辿っていた俺たちの会話に、綺羅姫さんが一手投じる。
「世間を騒がしている通り魔さんを切無さんには捕まえてもらいます! 期限はクリスマスまで。もし捕まれられなかったら」
我娘を、見下すかのように、ニヤリと凍りつくような笑みを浮かべていた。
――初めて、この人を恐いと感じた。おそらく、油断していたら、何かおぞましいものにとって喰われてしまいそうな、得体のしれない何かが、この女傑から感じる。
「不採用ってことで、いいわよね織姫?」
織姫はいつものことなのか、至って普通に、無表情な顔を母親に向ける。
――いや、少し手が震えている。
恐いのか。
こいつも、恐いことがあるのか。
母親に対して、俺と同じくあるいはそれ以上の恐怖を、抱いているのか。
「――はい」
そう言うしかないのであろう。有無を言わぬ雰囲気をまとった魔術師の頂点である女傑。
確かに、覚悟をしておけと釘を刺されたことに納得がいった。
「私は異論はございません」
文目さんは賛成のようだ。
そこまでして俺を蹴落としたいのか……。
俺は天王寺をチラリと横目で見た。未だに震えが止まっていない彼女を。
「――私も異論はありません」
そう言うしか、選択肢が見つからなかった。
「はい、じゃあ決まりねぇ。何か質問はある?」
最初からこうなることがわかっていたかのように、話を進める綺羅姫さん。
「捕まえるというのは、どんなことをして捕まえてもいいのですか?」
「構いせんよ。ですが、あなたが捕まえたという証拠を見せてください」
証拠……ね。首でももってこいってことか?
いや、それだと殺すことになるな。まぁなんでもいいか。
「誰かと協力して調査をしても構いませんよ」
「はい、友達百人くらい顎で使いますから」
……わかってるよ。どうせ協力してくれる奴なんて一人もいねぇよくそ。
それを見かねたのか、天王寺が助け舟を出そうとする。
「お義母様、切無には私が」
「いけませんよ織姫? これは試験なんですから、身内が手を出すなんてことはルール違反です」
意見も却下されて、引き下がる織姫。
……まぁこうなることは目に見えていた。予想通り、「簡単にはいかない」ってことだな。
「では、これにて謁見を終了します。私はこれから仕事ですから、積もる話もあるでしょうしいてもらっても構いません。では、行くわよ文目」
そう言って綺羅姫さんとの謁見は終わった。
「あ……あの」
「? まだ何か?」
これを言わずには帰れなかった。いや、そもそもの目的がこれだったのだ。綺羅姫さんは訝しげに俺を見る。
「咲耶……という名前に心当たりはございませんか?」
「…さぁ、存じません」
……嘘を言っているのか、本音を言っているのか、判断しかねるな。
「あ……あの」
「おい、いい加減にしろ、当主様は忙しいんだ」
「構いません。なんですか?」
そして俺は懐から用紙を出して、
「サインください」
綺羅姫さんは快く応じてくれた。
だから、大ファンなんだよ。