「『ツンデレ』
現在、日本の若者において、この単語を知らないものは少ないであろう。
マンガ、アニメ、ゲーム等様々な分野においてツンデレは溢れ返っている。
ツンデレとはなんぞやと聞かれれば、それは人によって解釈が異なるため一概には言えないが、あえて言うのであれば、『兵器』であろうか?
ツンデレは我々の心をたやすく射貫き、全てを萌やし尽くす兵器だ。
○○の(空欄に入るものはお任せしよう)ツンデレを見たもの全て見た者は皆、顔をだらしなく緩ませ、身悶えしながらのたうち回るだろう。
その最強兵器を前にし、人々は萌やし尽くされてしまうのだろうか?
断じて否!
乱世に救世主は必ず現れる。
あったのだ『耐ツンデレ用兵器』が!
『ツンデレ』に対抗する力をその身に生まれ持った一人の少年が。
彼の名は金野剛史――またの名を『ツンデレ殺し《キラー》。』
自称志津谷高校ツンデレ愛好家 高橋くん談
◇◆◇
「ふああっ」
春眠暁を覚えず。
春の心地よい日差しを浴び、大口を開けて間の抜けたあくびをしながら歩く大男が一人いた。
190以上はある身長に、詰め襟の学生服の上からでも分かる筋肉のふくらみ。丸太のような手足。太い首にちょこんと乗った不細工では無いがイケメンともいいがたい、太眉のしょうゆ顔。
でかい。太い。暑苦しいといった形容詞が最も合う彼の名は金野剛史。志津谷高校に通う一生徒である。
「ちゃーっす! 金野クン」
「はようっす」
「ん? ああ、おはよう」
横から声を掛けられ、ややゆっくりとした動作で振り向き、挨拶を返す。
挨拶をしてきたのは、短ランにボンタンといった今となっては化石のようなヤンキーファッションをした二人組だった。
金野の通う志津谷高校はいわゆるレベルの低い高校であった。
通う生徒の種類もまちまちで、マジメな優等生もいれば二人のような化石くんも存在する。
しかも、どちらかと言えば彼らのような絶滅危惧種の方が多い、自然保護区なのである。
ちなみに金野はどちらに属しているかといえばマジメ側の、体格以外はごく普通の生徒なのだが……。
「おっはよー! コンゴー」
そんな威勢の良い声と共に3人の前に駆け寄って来たのは、化石くん達と同じようなファッションの、地元の草野球チームのロゴが入った野球帽を目深にかぶった男。名は後藤靖史。
金野とは幼なじみの関係である。
「おはよう、ヤックン」
「オハヨウゴザイマス! ヤスシさん!」
「ざいあっす! やっさん!」
「おう、アキオにジュン。最近どーよ?」
「それがっすね……」
ちなみに金野は化石3人とは違い、どちらに属しているかといえばマジメ側の、体格以外はごく普通の生徒なのだが、なぜつるんでいるかと言えば……。
「石倉工の奴らが、駅前の自販機んトコで、うちの“シャバ僧くん”ら相手にチョーシこいてるみたいなんすわ」
「……ああ!?」
――――!?
一瞬、金野は春のぽかぽかした陽気が真冬の底冷えする寒さへと変わった様な気がした。
嫌な感じがして見やると、靖史は口に弧を作り笑っていた。
だが、目はぎょろりと見開かれ、かすかに血走っている。
「――ふうん。マジかよ。だっせえ事してんのな、奴ら。んにしても今日は天気がいいなあ、おい!」
くつくつと笑うと、靖史は帽子のつばを後ろに回して青空を見上げ、
「まあ、午後からは“血の雨”だけどな」
そう、剣呑な事を言い放った。
金野が彼らとつるむ理由。
それは幼馴染みの大親友が不良の頭《トップ》に君臨しているからであった。
◇◆◇
4時限目の授業が終わり、昼休みに入るという事で教室内がざわめき出す。
優等生である金野は当然真面目に受けているが、靖史はそうではない。
授業をフケてどこかに行っているか、あるいは机に突っ伏して熟睡しているかのどちらかである。
今日の場合は後者で、それを起こすのは、金野のすぐ後ろの席に居る金野の日課のようなものであった。
靖史がただでさえ学内不良共の頂点という声を掛けづらいポジションの上、寝起きの悪さも相まって、靖史を起こせるのは金野かあるいは――、
「起きろ! 馬鹿ヤス!」
「――――!?」
ご、という鈍い音が鳴り、言葉にならないうめき声が靖史の口から出た。
靖史の周りが騒然となる中、分厚い国語辞典を片手に仁王立ちする少女。
彼女の名は西城美希。
金野と共に靖史を起こす事が出来る数少ない内の一人である。
「ってーな。ちったあ手加減しろよ、馬鹿!」
頭をさすり、悪態を吐く靖史に対し、美希はフンと鼻を鳴らして両手の平を机に打ち下ろす。
後ろで結んだ髪の毛が尻尾の様に揺れ、ばん、という音と共に机が周りの野次馬達の耳を打ち、
「――――!」
美希は掌を真っ赤にして悶絶した。
美希は馬鹿だった。
「ざまぁ」
「うっさいぼけ!」
泣きっ面に蜂。
靖史の嘲笑と手の平の痛みで美希の目に涙の粒が浮かぶ。
「だ、大丈夫か? 美希」
どう慰めて良いか分からず、あたふたしながらも心配そうに金野が声を掛ける。
「うう、こんごぉ、馬鹿ヤスがチョーシに乗ってるぅ」
「美希をいじめるのはその辺にしとけよ、ヤックン」
よしよしと美希の頭を撫でつつ、ジト目で抗議する金野に、靖史はやれやれといった感じに両手を挙げ、
「ヒューッ! 相変わらず夫婦仲良いご様子で」
「なっ!」
靖史の冷やかしに美希はハッとなり、幼児退行していた脳が動き出して今の状況を分析する。
目の前の大男=金野剛史が、自分の頭を撫でている。
その事実に気付いた瞬間、顔をゆでたこの様に真っ赤にし、
「な、なに馴れ馴れしく触ってるのよ! エッチ! 馬鹿! 変態!」
罵詈雑言と共に放たれた渾身の右ストレートが、金野の腹へと伸びていく
勢いと伸びのある美しいストレート。
少し格闘技をかじった経験のあるものがこのストレートを見れば、美希が素人だとは信じられないだろう。
だが――
◇◆◇
「やっちまったな」
「えっ?」
その様子を遠巻きに見ていた野次馬の一人、自称ツンデレ愛好家の高橋の口から出た一言に、同じく野次馬の一人小林が反応する。
「そっか、小林は去年違うクラスだったな。まあ、見りゃあ分かるさ」
何か含みのある言葉に疑問符を浮かべる小林。
一体どういう意味か? そう尋ねるより先に小林は悲鳴を聞いた。
金野の? いや、違う。金野の声はこんなに可愛らしくあるはずがない。そうだったらきもい。
では誰か? 簡単な答えだ。そう今まさに拳を押さえて悶絶する美希のものだ。
だがなぜ――?
思った瞬間、小林は高橋の声を聞いた。
「不思議そうな顔してなぁ、こばヤン」
自分の愛称を勝手に付けられている事にムカついたが、黙って耳を傾ける。
「なぁ、こばヤン。全力で壁に生卵ぶつけりゃあどうなるか、わかるか?」
黙考する。そして気付く!
「そうか! そういう事か!」
「当然。卵は潰れちまうわな……。んでもって壁は当然無傷。知ってるか? 小林。俺ぁ一度、金野の喧嘩を見たことあんだけどよ。そん時に木刀持ってたやつが、木刀を金野に思いっきり振り下ろしたわけよぉ。そしたらどうなったと思う?」
小林はごくり、と唾を飲み込んだ。
小林はその続きにある確信を持っていた。
それに気付いた高橋がくつくつと笑いながら言葉を継ぎ、
「折れたのは木刀の方だったよ。ありゃあマジびびったね。ホント人間の身体じゃねえよ。絶対サイボーグか何かだぜ、金野はよぉ……」
その話が事実であるならば、いくらキレのあるストレートでも、小枝のような美希の腕では、金野の鋼の如き腹筋に耐えられるはずもない。
下手をすれば怪我をしている可能性もある。
そう思案する小林に高橋はさらに言葉を続ける
「だが、金野の場合、こういうタイプの相手に与えるダメージはそれだけじゃないんだよな」
◇◆◇
「うう、痛い」
「す、スマン。意外とキレがあったから避けられなかった。 美希、腕を見せて」
そう言って、優しくゆっくりと金野が美希の腕に掴もうとした瞬間だった。
「さわんな!」
ぱちん、という音が教室に響いた。
伸ばされた手を美希が平手で払ったのだ。
「あ」
そんな言葉が美希の口から漏れた。
金野と美希の視線が重なる。
金野目はまるで怯える子犬のようだった。
大の男がこんな表情をしていることに驚くと共に、そうさせてたのは自分だという後悔と自責の念が、美希の中でぐるぐると渦巻いていた。
「ごめん、美希」
力のない、だけどこちらを心配しているということは十分に伝わってくる。
「たけ、し……」
声が上手く出ない。
今すぐにでも謝りたいのに、頭の中が真っ白になって何も出てこない。
それに美希の天の邪鬼な心が、素直な心を押さえ付けて邪魔している。
「……」
顔を横にする。
見られない。
金野の顔を見ると自分の醜さに押し潰されそうになる。
「どっかいけ、馬鹿タケシ」
痛いから、苦しいから。
自分を守るために、ハリネズミのように針を出して自衛する。
金野を傷付けたくないと思っても、本能が美希の心を守るため、伸ばされた手に針を刺す。
けれども――、
「ゴメン、美希」
――手を伸ばす。
針が刺されば痛いのに。それでも金野は手を伸ばす。
針を手の平に突き刺したまま、美希の腕をそっと掴む。
「放せ、馬鹿!」
無理矢理捕まれた手を解こうとするが、出来ない。
金野の力が強いのか?
いや違う。
美希の力が弱いのだ。抵抗する力がないのだ。
「馬鹿……」
そう呟き、顔を上げる。
また二人の視線が重なる。
金野の視線はどこまでも真っ直ぐだった。
真っ直ぐ美希だけを見つめていた。
「素人がパンチするとさ、色々と怪我しやすいんだ。だから見せてくれる?」
黙ってこくり、と首だけで返事をする。
もう、美希に抵抗する心は残っていなかった。
「拳は大丈夫そう。手首、曲げるよ」
「――痛っ!」
手首が曲がった瞬間、痛みを感じたのか美希の顔が歪んだ。
「捻挫してるかもしれない。保健室、行こうか?」
そう促し、金野が美希の手を引く。
「……ゴメン」
気付けばそう口にしていた。
堰を切ったように素直な心が流れだしていた。
「ゴメンね、こんごぉ……」
金野は何も言わなかった。
しゅんと項垂れる美希の口からあふれ出る謝罪の言葉を、ただ黙って聞きながら、美希の手を引いていた。
ただその表情はとてもいい笑顔だった。
◇◆◇
「オラ! さっさと飯食え、後15分しか昼休みねえぞ!」
靖史の鶴の一声に、周りの野次馬達がいそいそと解散し始める。
小林が席に着いた時、とん、と後ろから肩を叩かれた。
振り返ると後ろの席に高橋が座っていた。ちなみに後ろの席は金野のものである。
「見ただろう、あれが第2のダメージ。最初のが物理ダメージだとすりゃあ、今度のは精神ダメージだ。金野の奴は、なんつうか純粋っつうか傷つきやすいっていうか、そんな感じの性格でよう。ああいう時、まるでこの世の終わり表情すんだわ。だもんだから、美希のは特別にしても、こっちが居たたまれない気分になまっちまうんだわ」
饒舌に語る高橋の言葉を聞き流そうと小林は思い始めるが、高橋の口は止まらない。
「んでだ。それに優しいんだわ、金野は。どっかネジが飛んでんじゃねえくらいにな。聞いて驚け、さっきの話に戻るけど、木刀叩きつけられても、金野は反撃しなかったんだぜ。そいつを半殺しにしたのは靖史の方だ。むしろ金野はミンチにされかかってる木刀男をかばったんだぜ。『俺はそんなにひどい怪我してないから許してやれ』ってな」
まさか、と小林は思ったが、先ほどの光景を思い出して改める。
金野ならそうするかもしれない、と。
「だから金野にはこんな二つ名がついてんだ」
「二つ名?」
「ああ、『照れ隠しの一撃を物ともしない鋼の身体』。『相手を居たたまれなくさせる純粋な心』。おかしいんじゃねえってくらいな『無駄に広い包容力』を持った、『対ツンデレ用最終兵器』。通称『ツンデレ殺し』って二つ名がな」
「…………そうか」
どっと疲れが来た。
そう感じつつ、さらに小林は思う。
美希の『アレ』はうまく『ツンデレ』とは違う気がする。
美希のアレは――、
と、そこまで思い、小林は気付く。
「昼休み、あと5分しかねえ」