「ジル、相手をしてやれ」
「御意……」
スカイスタンの見せた剣技に愕然とする二人へ、主人の命を受けたジル・ド・レエが突進を仕掛けた。
巨体を震わせ、剣を掲げて暴風の速さで突っ込んでくる。
「ボサッとすんな、逃げるぞ!!」
「言われなくても!!」
志郎は右へ。琴美は左へ。
申し合わせたように散開する。
背後で破砕音が響き、二人の立っていた位置へ、振り下ろされた剣が深々とめり込んだ。
西洋の刀剣は棍棒や戦槌等の、撲殺武器の延長線にある場合が多い。
つまり、日本刀のように鋭い斬れ味で引き裂くよりも、重量で相手を砕き潰す事に特化しているのだ。
まともに食らえば肉体は熟したトマトのように潰れ、無数の肉片となって弾け飛ぶのは容易に想像できる。
「長谷川、俺が前に出る。お前は隙を見つけて援護な」
「お、オッケー」
戦慄と同時、敵の剣士としての強さに感嘆を覚えながら、志郎が相棒に素早く指示を出し、反撃に出る。
「うおおっ!!」
気合いを放ち、地を蹴った。
そこから一息に間合いを詰め、鞘から刃を抜き放つ。
田宮流居合い術“稲妻”だ。
兜と鎧の隙間を狙い、名前通り稲光のような剣閃がジルの首筋へ走る。
だが、その一撃はジルが軽く首を傾げるような仕草をしただけで、宙を裂いて空振りしてしまう。
まさしく紙一重。
薄皮すら切らせず、最小限の動作でジルは“稲妻”を見切ったのだ。
だが、ここで攻撃を停滞させない。
手首を細かく揺るがせて、更に打ち込む。
「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ!!」
短い呼吸に合わせ、剣尖を細かく操作し、四方八方から刃を走らせた。
連なる銀の残像が、闇の中で躍り狂う。
散々苦しめられた岡田以蔵の剣を元に編み出した、自分なりの技である。自分にとって厄介な技は、敵にとっても厄介に違いない。
それに対してジルも大剣を振るって応戦する。
手数こそ少ないものの、長大な刃を軽々と操り、鎧を着込んでいるとは思えないような、素早く柔軟な動きで、多数の斬撃を迎え撃つ。
志郎の剣は殆どが回避され、壁のように立ち塞がる大剣と鎧に弾かれてしまうが、それでも正確に動く切っ先が数ヵ所の継ぎ目を裂いて、装甲へ微かな隙間を作った。
まずは相手の守りへ穴を開けるのが先決だ。
「それは、イゾーの物真似か。小賢しい!!」
意図に気付いたジルが一声吠え、剣を中段から振りかぶった。
大重量の鉄塊が、木の枝でも振るうような速度で斬り下げられる。
日本剣術の一刀流を思わせる、細かい技法を廃した故に実直で隙のない、極めて正統派の剣である。
後方に退いてかわす。立て続けに次が来た。
剣尖が地面に触れるギリギリの位置で、垂直に跳ね上がる。上下からの二段斬りだ。
両刃の剣なので、日本刀等の片刃剣のように手首を返す必要がないぶん、太刀捌きも迅速となる。
叩き付けるように強烈な剣風が鼻先を掠めていく。再び飛び退くと、背中へ冷たい壁が触れる。
壁際に追いやられたのだ。
ジルが大きく身体を横へ振った。
遠心力を乗せた逆胴が、志郎の横腹へ迫る。
彼も防戦一方ではない。
鏡写しのようにジルと同じ斬線を描いて、刀を薙ぎ払う。宙空で二つの刃が激突し、噛み合った。
「ぬぐ……!!」
「どうした、足が竦むか?」
西洋剣と日本刀が、ギリリと軋みながら互いに鍔迫り合う。
力比べはジルが優勢だ。たった数回の打ち合いで、志郎の腕は早くも痺れ、圧され始めている。
単純な腕力や体格の差だけではない。ジルの太刀筋は動きに一切の無駄がなく、更に一手一手が必殺の威力を備えているのだ。
まともに殺り合えば簡単に力負けし、あっという間に斬り殺される事を実感する。
ならば、引き倒される前に脱出する。
手首を内側に捻り、腰は低く落とし、刀を倒して敵の刃を制する。
そこから手首を解いて相手の懐へと潜り、力を受け流す。
「おう……!!」
以蔵の時ほどの効果はなかったが、巨躯が一瞬大きく揺さぶられた。
隙を逃さず鍔迫り合いから逃れ、回転しながら片手打ちに左脇へ斬りつける。
鎧のプレートを巻き込みながら、その下の肉を引き裂く感触が刀身を伝った。
鹿島神道流“不動剣”と“虎乱”の複合技だ。
更に追い討ちをかけるように、連続で斬りつけまくる。
「ゴオオァッ!!」
小癪な、と言わんばかりにジルが吼え、壁に左手を廻す。
スカイスタンが用意していたのか、そこには盾が飾られていたのだ。
ホームベースを連想させる、五角形の大盾である。
右手に剣。左手に盾。攻防にバランスの取れた武装だ。
使い手の体躯に見劣りしない大型の盾であるが、ジルはやはり、それを紙細工のように軽々と操る。
牙をむいた竜のモールドが彫られた盾の表面は、滑らかな曲線を描いている。
持ち主の巧みな操作により、その丸みが斬撃の悉くを阻み、切っ先の狙いを出鱈目な方向へ分散させるのだ。
盾の表面で幾度となく擦過音が鳴り、火花が散るたび、志郎の焦燥感が増していく。
(不味い、付け入る隙がない……!!)
その焦りを見抜くように、ジルが前へ出た。
力強い踏み込みに、老朽化の進んだ足場が抜けるかと思えるほど、フロア一帯がびりびりと震える。
竜のモールドが猛烈な勢いで迫った。志郎の視界を、鋼鉄の影が埋め尽くす。
盾を鈍器とした打撃だ。
巨岩のように重くのしかかる威容に精神が呑まれ、隙を生む。
一瞬の硬直。
されど、命を奪り合う戦場においてはその一瞬こそ致命的だった。
ごぉんっ、と重い響きが脳内に反響した。
派手に吹き飛び、坂道に投げ棄てられた空き缶のように横転する。
「ぅぐわ!!」
思わず苦鳴が漏れた。
刀でとっさに直撃を防ぎ、受け身を取ろうとしたものの、悪魔を宿したジルの力は想像を遥かに越える。
気分はシェイカーの中のカクテルだった。
うわんうわんと、耳の奥で銅鑼のような反響が激しく波立っている。
衝撃が内臓と三半規管を容赦なく揺さぶり、朦朧とした。
それでも、ふらつきながら立ち上がる。
「オオオオォーーッ!!」
咆哮じみた声を放ち、ジルが再度、志郎に向かって肉薄した。
選んだ技は刺突。
彗星のように鈍色の尾を引いて、巨大な切っ先が凄まじい速度で接近する。
反撃の機会を与えず、一気に勝負を決めるつもりだ。
「なぁめんなあぁぁ!!」
自らを鼓舞する気迫と同時、刀を握る志郎の手がかすんだ。
神速の突きを、下段からかち上げる。とっさの判断だが、これがギリギリで彼の命を救った。
鋼が激突する音が響き、両者が飛び退いた。
火花と赤い飛沫が散り、転々と床へ貼り付いた血痕が、刹那に展開した死闘を物語る。
双方ともに、手傷を負った。
「い、痛えぇッ……この野郎!!」
「これが本来の君の剣か。やはり、いい太刀筋だ」
志郎は右肩、鎖骨のやや上辺りが抉れ、血が流れている。
軌道を反らされた切っ先は、肩をかすめて肉を削いだ。
ジルも鎧の継ぎ目を狙い、飛び退き様に下腹部を刺されている。
脇腹の傷とあわせ、どくどくと溢れる血河が、腰から爪先までをその流動で朱に彩った。
傷の深さはジルの受けたものが上回るだろうが、彼は既に悪魔の力を宿している。
膝をつき、顔をしかめて灼熱の激痛に耐える志郎に対し、ジルは再生能力を打ち消す鬼切丸に刺された痛みをものともせず、大上段に大剣を構え直した。
そして、猛烈な勢いで地を蹴る。
志郎は見た。
暗闇の中、頭上に留めた剣の先が、天井に届きそうなほどに高く跳躍する黒い人影を。
剣士ジル・ド・レエの体重と、その身に纏う数十キロを越える金属量。それに落下の加速度をプラスした鋼の刃が、凄惨なまでの破壊力を秘めて打ち下ろされる。
既に防御体勢を取る暇はない。いや、例え取れたとしても、果たして渾身の一撃を受け止められるか否か。
鈍くかがやく刀身が、死を覚悟した志郎の顔を映し出していた。
そのままジルの剣は、一切の容赦なく彼の肉体を脳天から爪先まで、二つに両断するかと思われた。
「アグニ=ラータ!!」
だが、それを現実の光景とする間一髪、円盤のように回転する杖が、ジルの左側面からうなりをたてて撃ち込まれる。
琴美の投擲した杖だ。
アグニ=ラータ。
サンクスリット語でアグネヤストラとも呼ばれる。
インドラの初期叙事詩において、古代アトランティス文明の優れた種族が開発したという「火の車」と呼ばれる飛行機関。
あるいは、火の玉や魔力の込められた武器を意味する言葉である。
その言葉に相応しく、杖は炎を纏い、次の瞬間、目が痛むほどの光が爆ぜた。
杖が小爆発を起こし、ジルの巨体が木偶人形のように投げ出される。重苦しい音を伴い、重力に引かれるままに、甲冑騎士が床へ激突した。
そして、杖は意思を持つように再び回転しながら飛行し、持ち主の掌中へ帰って来る。
「大丈夫!?」
「悪い、助かった……」
「悪いのはこっちだよ。もっと早く手助けできれば良かったのに」
杖をキャッチすると同時、慌てたように走り寄り、血に染まった肩口を目にし、悔しげに唇を噛む。
「いや、上出来だ。お前のお陰であれを壊せたんだからな」
脂汗の滲む顔で、薄く笑って指差した先には、熱で損壊した鉄屑がある。
ジルが左手に構えていた盾だ。
全体が激しく焦げ付き、複数の鉄片となって砕けている。もはや武具としての使用は不可能だろう。
「ぬ、うぅ……」
そして視線の先では、横転したジルが頭を抱えて呻いている。
これ以上はない好機だ。
「テーローケーハー・アーバーイー・マーレーペーレーゲー・テーローネーハー・アーバーイー・マーレーペーレーゲー……」
琴美が杖を眼前にかざし、エノク語の呪文を繰り返し唱え始める。
エノク語とは、16世紀イギリスのエリザベス朝時代を代表する天才的な数学者・哲学者であり、魔術研究家でもあるジョン・ディー博士と、その助手の霊媒師エドワード・ケリーが、降霊術の際に天使ウリエルから授かったとされる言語だ。
この奇妙な言語を用いたエノキアン・マジックは、正しく発音すれば精霊を呼び出し、山をも動かすとされるため、一言一句、ゆっくりと、正確な発音を心がける。
使用するのは訓練を積んだ魔術師が、自らの精神を死に接触させ、それを乗り越えることで強大な力を引き出す、TELOKHの呪文。
転じて、他者の精神を死に落とす呪殺法にも使用される、強力な真言(マントラ)である。
「よし、一緒にいくぞ」
志郎も刀を蜻蛉に構え、すっと腰を据えた。乱れた息が自然と整う。
「キェエエエエエーーーー!!」
猿叫を迸らせ、直線的に走る。
「くっ!!」
ジルが慌てて立ち上がり、片手殴りに剣を振るい応戦する。だが、未だ動きは鈍い。
横薙ぎに払われた剣が何もない空間を裂き、志郎は既にそれを避けて飛んでいる。上を取った。
「チェストオォッ!!」
乱れ波紋の刀身が甲高く鳴き、空気を裂く。敵を鎧甲もろともに叩き割る、示現流の太刀が炸裂した。
白い火花が散り、兜の頂点へ振り下ろされた切っ先が、ガキリと音をたてて食い込む。
金属質の轟音が鳴り響き、兜が弾き飛ばされた。
頭のてっぺんから半ばまでを斬り下げられた鉄塊が、ジルの足下でボウリング玉のように転げている。
顕になったのは、やはり毛皮に覆われた猛虎の顔である。
(手応えが浅い!!)
着地し、内心で舌打ちする。
顔面を真っ二つにしてやるつもりだったが、志郎の一刀はジルの額から鼻まで、赤い溝のような線を引くに留めている。
両断される刹那、上体を反らして刃を避けていたのだ。
猛獣の筋肉とジル本人の備える武芸の才能が合わされば、驚くほどの機敏さを生む。
しかし、頭部を負傷した故に、大量の血がジルの顔面を彩り、視界を阻害している。
隙を作るにはこれで十分だ。
「行けぇ、長谷川ぁ!!」
志郎の脇を抜けて、杖を携えた琴美が、マントの裾を翼のように広げて躍り出た。
「“ミョルニル”!!」
そして、声高に雷神トールの槌の名を唱える。
壁や床を余波で砕きながら、かつて殺人鬼の一番手ハリー・ハワード・ホームズを倒した時よりも、更に威力を向上させた雷が、龍のように宙を走った。
ジルが牙の生えた口を目一杯に開き、なにかを叫ぼうとする。
声は聞こえなかった。
避雷針のように剣の尖端へ落ちた紫電が全身に伝播し、絶叫もろともジルを閃光の中へ飲み込む。
数舜の間を置いて、耳をつんざく爆発音が鳴り響いた。
「……長谷川、生きてるか?」
「うん、なんとかね。死ぬかと思ったけど」
粉塵を浴びて、マントや帽子が白っぽく汚れた琴美が、志郎の腕の中で呟く。
至近距離からジルへ稲妻を放った琴美も、自身の放った術の衝撃に煽られて、派手に吹き飛ばされていたのだ。
壁に激突する間一髪で、相棒は彼女の身体を受け止め、激突から救った。
抱き合いながら床を転がり、お互い傷だらけになったが、お陰で乱れ飛ぶ瓦礫から逃れられ、二人とも生きている。
「ん?」
「どうした」
ふと、琴美が怪訝な顔で首をかしげた。志郎も気付く。粉塵の幕で覆われた視界の端で、動くものがあった。
ずる、ずる、びちゃ。
濡れたシーツを引きずるような、水を含んだ音が聞こえる。
なにかがモゾモゾと芋虫のように地を這いずり、二人へ近付いてくきた。
「やば……!!」
血の臭いを察知し、這いずる者の正体にいち早く気付いた志郎が刀を振るった。
飛びかかってきた相手を、首の切断面から千切れた腹部まで、魚の開きのように切り離す。
スカイスタンに殺された首領の屍が、上半身だけで襲ってきたのである。
「すばらしい。これはまた大物が現れたものだ」
闇の向こうで、スカイスタンが拍手と共に感嘆の声を挙げた。
粉塵が晴れる。ジルは雷に撃たれて鎧が半壊し、露わになった毛皮の至る所が黒焦げになっていた。
だが、それでも死なずに立っている。
「ウ、ウ、ウウ。イ、痛イ、痒イ……」
焦げて真っ黒になった顔の右半分を掻き毟る。炭化した体毛ごと、皮がべろりと剥げた。
続いて、赤黒い肉が乾いた泥のようにボロボロと剥がれ落ちていく。
同様の現象は全身に及び、虎の毛皮の下にひび割れのような筋が走り、毒々しい光沢を放つ碧玉色の鱗が現れ始めた
手足の先からは、鎧を突き破って銀色の鉤爪が伸びる。
そして最後に、ジルの両肩の肉がラクダのコブのように盛り上がった。それはまるで、ひとつの胴体に三つの首が生えたようだ。
その姿を認識した琴美の顔から、血の気が引いていく。
「緑色の鱗に、銀の爪。死体を操る力。それに三つ首……まさか、『竜公』ブネ!?」
『竜公』ブネ。
ソロモン72柱の第26柱に位置する、30の悪霊軍団を従える地獄の大公爵である。
タタール人達が特に恐れた“ブニ”という悪魔達を統べる存在でもあり、魔術師によって喚起された際にはエメラルドの鱗と銀の爪を備え、人間と犬とグリフォンの頭部を持った、異形の三つ首竜の姿をとる強大な魔神だ。
その能力は呼び出した者に与えられる富や叡知に加えて、もうひとつ特筆すべきは、屍体や死者の魂を操り、支配下に置く事に長けているという点にある。
まさか、ここまで強力な悪魔を喚起されるとは思っていなかったのだ。
放っておけば、自分たちの住む町が一晩で死者の国へ変わりかねない。
状況は、最悪だ。