2012年、人類は一人の天才の力により世界で最初のVR(ヴァーチャルリアル)MMOの開発に成功した。
――セブン・フォートレス・オンライン。ゲームの新時代の幕開けだ。
何も知らない雑誌記者はそう囃し立てた。
既存のありとあらゆるゲームにはない圧倒的な現実感に、剣と魔法が存在するという最高のファンタジー。
ありとあらゆるゲーマーは酔いしれ、製作者『神狩 武尊』を称賛していた。
――そう、正式サービスが開始される11月4日、その日までは――
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「とうとう、始まるな……」
緑馬 星斗(リョクマセイト)はその日、生まれて以来最高の興奮に包まれていた。
学校の成績は中の中、「乱数調整を行わないことこそ愛」を公言してはばからず、足の指で某モンスターをボールで捕まえて育成して対戦させるゲームのタマゴ孵化作業を行いながらネトゲすることが特技というちょっとアレなゲーマーの彼は、自分の幼馴染に感謝していた。
――ゲームの世界に入ってみたい。
それは、テレビゲームで遊んだことのある人間なら誰しもが考えたことのある共通の願望だと言ってもいい。
本来ならば絶対に手に入らないような高い倍率の専用(現在ほかに対応するゲームがない!)ゲームハードとセブンフォートレスオンライン(SFO)のソフトを、親のコネやら何やらを使って2つも手に入れてきてみせた幼馴染には感謝してもし足りないというものだ。
ぴんぽーん。
正式サービス開始まで残り十数分、わくわくしていてもたってもいられずにパソコンの電源をつけ、関連サイトを覗きながら待っていた星斗の家のチャイムが鳴る。
もはやこのゲームハード『オルタゲーター』を置いた自室から離れるのももどかしいと窓を開いて首だけ出して玄関を見やると、そこには華のある美少女がいた。
道行く男が見たら10人中9人は振り向いてガン見するほどの美貌をした少女――振り向かなかった1人はホモで間違いない――であるが、星斗にとっては見慣れた姿。
「星斗ー、いますのー?」
「おう、いいから上がっとけ!」
上から見ても実に判別の楽な幼馴染の姿に、ほとんど反射的に部屋まで呼んだ。
とん、とん、とんと足音もしとやかにやってきた、赤みがかった金髪を縦ロールにした幼馴染、赤里 光理(セキサトヒカリ)。生粋のお嬢様といった品のある風貌をしているが実際に裕福な家の生まれだ。さすがに財閥令嬢だとかいうことはないようだが、彼女の実家のことは星斗にもよくわかっていない。
「あ、ちなみにこの縦ロールってモーターが仕込んであるので回るんですの」
「マジかよ!? 金髪ドリルだからってなんでそんなことに!」
「わたくし、実は脳髄液の循環に問題を抱えておりまして……このドリルを回して定期的に循環を補佐しないと死んでしまいますの」
「それって髪の先についたドリルくらいでどうにかなるレベルの問題じゃないよな!? なんで頭に付けないで髪の先なんかにつけたの!」
「これ、髪のように見えて根本が頭蓋骨に刺さったチューブですのよ?」
「改造人間かよお前、怖いわ!」
なにそれこわい。星斗は戦慄した。
というか今まで生きてて幼馴染がそんなことになってるとかまったく知らなかった!
「ふふ、冗談ですわ……」
「だ、だよな……」
「そういうことにしておきましょう、今は……」
今はって何だよ、今はって。星斗はそんなことを思ったが胸に秘めておくことにした。余計なことを言うと藪蛇になるような気がしたからである。
君子危うきに近寄らず。そもそもこの幼馴染に近づいてはいけない気がしたがもう10年の付き合いなので無理だ。
「それで、下調べでもしていましたの?」
光理がベータテストの頃の情報をまとめたwikiが開かれたデスクトップパソコンを覗きこんだ。
ベータテスト段階ではボス攻略まで行かなかったらしいSFOの情報というものは微々たるものだ。
「ああ、何をしようか考えててね」
クラス構成などの基本情報程度ならば、いくら攻略が進んでいなかったとはいえwikiにも載っている。
プレイヤーはヘヴィウォーリア、イリュージョニスト、プリーストなど職業を示すシーカークラスと、パーティ内での果たすべき役割を示すアタッカー・キャスター・ヒーラー・ディフェンダーのスタイルクラスのそれぞれ一つを選択してキャラを作成する。
各職業などで手に入る特殊能力などを調べ、既に星斗は一つの結論を出していた。
「俺はやっぱりナイト/ディフェンダーで行こうと思う」
問答無用でMP消費ゼロでカバーリングを行うことのできるスキル『庇護の誓い』に防御を増幅することのできるスキルの豊富さ、成長してゆく内に覚える防御力を攻撃力に変換するスキル『シールドスラム』など、強力なスキルを数多く習得できることが強みだ。
だが――
「本当にいきなりナイトディフェンダーでいいんですの? パーティを組んだら強そうですけれど、正直なところ初期じゃソロでザコを殴ってレベルを上げることすら厳しい選択ですわよ……?」
パーティを組めば支援を受けてのカバーリングで無類の壁役として活躍できるものの、まだパーティを組む必要性が薄く募集もしていないであろう初期状態ではあまりに必要性が薄い職業だ。
下手をすればしばらくはお荷物扱いされてパーティに入れない可能性すらある。
でも、星斗には関係なかった。
「だって、お前がいるだろ?」
異常なまでの入手難度より普通はリアルの知り合いなんぞいない状態で始めるのだが、その点星斗は恵まれていた。
絶対にパーティを組んでくれるであろう幼馴染がいるなんて俺も幸せだなーなどと頷く星斗に、光理は頬を赤らめた。
「それにしても意外だよなー。お前にこんな高倍率のゲームを2つ手に入れるほどゲーム欲があったとは……、そんなにSFOをやりたかったのか?」
「……別に、ゲームをやりたかったわけではありませんのに」
ぼそり、と恨めしそうに小さな声で囁く。
「今聞こえなかったわ。なんだって?」
「別になんでもありませんわ! そんなに電子世界に入りたいなら早く入ればいいじゃありませんの!」
「痛てえ!? やめろ落ち着け光理、人間はモニタに押し付けても電脳世界に入れねえぞ!」
ブラウザイン! ブラウザイン! と狂ったような叫び声を上げながらモニタを顔面に押し付けてくる幼馴染の姿に、星斗はやはりコイツはとびきりの危険人物であると認識を新たにしたのであった。
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晴れ渡る空の下、草の匂いすらする圧倒的な現実感を持った世界を星斗は駆ける。
「そっちいきましたわよ、ラディソール!」
「おう、了解だクァーレ!」
確認するようにお互いのキャラネームを呼び合いながら、星斗ことラディソールは両手に1つずつ持った盾で強引にぽこぽこ殴って敵の軌道を修正した。相手はよくわからないが乳牛だ。
そこらへんのフィールドに出現するスライム相当のザコMOBであるが、防御が若干高めで攻撃力が低めだ。
最初から防御特化でキャラを作成したラディソールではいきなり千日手となる厳しい相手でもある。
「七光刃!」
特殊能力が発動し、クァーレのアバターの持つレイピアが蒼く輝く。
物理防御が固い相手には魔法が有効、という定石から魔法属性に変更された細剣が閃き、モーモーと平和な声を上げながらラディソールを襲っていた牛は塵に還った。
スキルによる一撃を繰り出し、ドロップ品を確認した彼女が一度、二度と血を払うように剣を振り払って鞘に収める。意外と様になっている自分自身に彼女は苦笑してみせた。
――それにしても、リアルだ。
製作者神狩武尊の言葉通り、まさに異世界だと言っても良い。風の流れに地を踏みしめる感触、体重を移動して攻撃を受け止める感覚、何から何まで現実としか思えない五感全てに訴えかけるこの世界。
超人的な腕力を発揮するファンタジーなこのアバターの方が不自然に思えてくるほどだ。
にぎにぎと手を握ったり開いたりをしていると、腹具合でそろそろ昼時であることを思い出してきた。
「そろそろお昼だし、一回落ちるか」
「そうですわね。なんだったらわたくしが何か作りますわ」
「時間かかりそうだからカップ麺でいいや」
つれない男である。ちょっと落ち込んだ様子のクァーレをいつものことだとスルーしてメニュー画面を開き、ログアウトの項目を探し……
「ない……」
ない。ログアウトボタンが、ない。
端から端まで確認したもののどこにも見当たらなかった。
「おい光理、ログアウトボタンが……」
口を開いたときには既に、周囲が光に包まれていた。
******
光とともに数々のアバターが姿を表し、はじまりの街『ノースガンビエンゼ』の中央広場の人口密度がどんどん上がってゆく。
どんどん……どんどん……どんどん……
「って多いよ!?」
人が溢れてラディソールは潰れた。
しかもまだ転移が続き、既に満員電車状態の人混みをかき分けて増える。
「うわーだめだー圧力で建物が倒壊するー!」
「どんな人口密度だよソレ!?」
悪夢だ。人の圧力で街に一件しかない道具屋の壁が今まさに音を立てて崩れた。
それでも転移は止まらず、いよいよもって狂気じみた密集状態になり、横だけでなく上にまで人が折り重なる。
「路地の近いヤツは注意しろ! 押し出されたら上から将棋倒しにのしかかられてHPがゼロになるぞ!」
「ねえこれデスゲームなんだよね!? 命超軽いんだけど!」
まだ彼はデスゲームであると説明されていない。
「任せるッスよー。こういうときは路地にダムを作って人波をせき止めるッス」
「待ってそれ根本的に解決してないよ!」
どこからか湧いてきたよくわからないメイドが広場の出入り口に水門を設置していた。
そのせいでなおさら密集してもはや人のダムだ。
「私の名前は神狩武尊、セブンフォートレスオンラインの開発者だ。
諸君はこれからログアウト不可となり、この『ラースフェリア』での死は現実の死となる。そして――なあ諸君、話、聞いているか?」
無理です。死んでしまいます。いつの間にか宙に浮いていたGMアバターを前にプレイヤー全員が意見を一致させた。
そもそも宙に浮遊するゲームマスターのアバターにはわからない阿鼻叫喚の状況が下でいつのまにか説明が始まっていたのである。話を聞く余裕なぞあるわけない。
「あー、うん。諸君のアバターは現実の世界そっくりに変更しておいた。とりあえずクリアしなければ現実世界には帰れないのでそのつもりでいてくれ。あー、後でシステムメール送っておくから確認するように」
GMアバター……といっても現実世界での神狩武尊そのものだが、ややくたびれた青年の姿が宙に浮いてこめかみを指で揉みほぐしている姿はどこか滑稽だった。
『神狩、例の件で使えそうな人間はいたのですか?』
神狩の背後にすうと、音もなく一人の女が降り立った。
銀髪に闇色の瞳をした酷薄な雰囲気の美少女が、くすりとも笑わずにGMの背後に浮いている。その立ち昇る禍々しいオーラが周囲の空間を歪めて見えるのは、何も目が霞んだというわけではない。
実際に発せられた常人なら一瞬で発狂するような邪悪な波動が、このゲームのような現実のような妙な世界を崩壊させているのである。
――あれは、この世のものじゃない!
おもわずラディソールは背筋を震わせた。
ゲームでもない、現実でもない、何か別の法則に従って存在するバケモノこそがあの少女だ! 直感でわかる。あれは”ゲームでも現実でもない”のだと!
――だからきっと、その少女めがけて放たれた漆黒の槍も”すべての法則に縛られぬモノ”であるに違いない。
ラディソールの遥か上――建物の遥か上から飛んできたそれは少女の目の前で力を失いボロボロと崩れ落ちはしたが、確実に少女の放つ邪悪な何かを断ち割っていた。
『神格持ちの一撃……一体何者なのです?』
無邪気かつ邪なる少女の誰何に、上空に陣取った、神々しい雰囲気をまとった少女を傍らに侍らせた男が自信満々に己の肩書きを名乗る。
魔法とは明らかに異なった超科学のシロモノと思しきブースターのついたガジェットに跨って空を飛び、誇らしげに、傲慢に、自分がそうであると名乗りを上げる。
「ラノベ作家だッ!」
いろいろな意味でスレスレかつ危険な男、神を殺して力を得て魔王と呼ばれるようになったラノベ作家こと『日野イズル』であった。
「いいからそこはウィザードって言っとけよッ!」
何も知らないイノセントのはずラディソール、何故かツッコむときだけ知識が湧いて出る。ふしぎ!
※『ナイトウィザード2nd edition』及び『セブン=フォートレス メビウス』は有限会社ファーイースト・アミューズメント・リサーチの著作物です。
また、この作品はフィクションであり実在の人物、団体、事件とは一切関係ありません。