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No.36696の一覧
[0] 真・恋姫†無双~宦官ルート~[主城](2013/02/18 11:16)
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[36696] 真・恋姫†無双~宦官ルート~
Name: 主城◆ce8e3040 ID:daa81b96
Date: 2013/02/18 11:16
真・恋姫†無双~宦官ルート~


第1話 俺がきゃん玉を無くした事情~悲喜交々~


人の歴史を動かしてきた数多の存在の中に『宦官』と呼ばれる人々がいる。

日本において一般的には『宦官』は中国というイメージが強いが、実際は古代オリエントの時代にはすでに存在し、かのエジプトの女王クレオパトラの近衛隊長も去勢された所謂『宦官』であったそうだ。

イスラム文明においてはハーレム(後宮)の管理者として多数の宦官達が働き、そのハーレムの統制を軸に裏はもちろん、表の政治にすら多大な影響力を有していた。

しかし、それでもやはり『宦官』といえば中国である。
そして、そのイメージは最悪と言っていいだろう。
それは『漢』、『唐』、『明』の3王朝は揃いも揃って宦官達に権力を牛耳られ衰退し滅んでいったからである。

ちなみに、中国の歴史は異民族との戦いであり、その敗北の歴史である。

中国が国家として成立して以来、己の力のみで切り取った領土は近代のチベットとウイグルのみと言えばどれほど酷い有様であったかわかると思う。

現代の中国では自国の歴史を子供達に殆ど教えず、反日教育に力を割くのは、正しい歴史を教えようとすればするほど、ただただ漢民族の『敗北』の歴史しかないからだ。

悲しいことに現代中国の若者は自国の歴史を殆ど知らず、歴史を顧みて反省することもしないから、あのような愚かな有様に成り果てているのである。
例えるなら『清』という王朝が近代に自国に存在していたことを知っている若者が殆どいない(数パーセント)と言えば驚くと思うが事実である。大学生も知らなかったりする。
これは日本において『江戸時代』を知らないと言っているようなものである。
(まあ、そう言う奴も日本にちらほらいたりするのも情けない話であるが・・・)

唯一知っている歴史は三国志(演義)くらいで、TVの人形劇で覚えた程度のものだ。
しかし、そもそも人気のある三国志にしても外から見ればただの内乱話である。

これらの無知はもちろん共産党政権が指導していることであり、子供達に罪は無い。共産党に限らず中国に存在したどの政権もやっていることは同じであり、実は共産党政権も中国の常識から考えれば『まとも』な国家運営をしていると言ってもいいだろう。

これからそれを題材としたSSを書こうというのに文句をつけるのはおこがましいが、あれだけの大騒ぎをしたあげく、漸く統一した『晋』はあっさりと30年ほどで異民族に破れ分裂してしまうし、その後の数百年を五胡十六国時代、南北朝時代と異民族に領土を占領され続けることになるのだからため息しか出ない。

その後、隋が再び統一するも2代で滅び、ようやく『唐』が誕生し漢民族による王朝が成立するのだが、先述した通り宦官によって弱体化し異民族の侵入で滅ぶことになる。

そうして五大十国時代を経て、『宋』が誕生するも異民族の脅威は拭えず、というか宋は周辺諸国になんの影響力の無い弱小国家であり、モンゴル帝国が滅ぼす前に甘い蜜を吸い取ったほうが良いと判断されて細々と生きながらえていた国に過ぎない。

そんな可愛そうな宋もモンゴルがヨーロッパに行き着くと、お疲れちゃんとばかりに滅ぼされ『元』が成立する。まあ、元は神国日本が一蹴して弱体化させてあげたところを、洪武帝がそれに乗っかり頑張って滅ぼして『明』が成立した。

まあ、その頃にはモンゴル帝国は崩壊しており、誰が立っても勝てたと言われている。
というか単に元の人たちは故郷に帰っただけなんじゃないかと総ツッコミである。
まあ、それは冗談だとしても、そんな明も結局は宦官の台頭で衰退し滅び、異民族の王朝である『清』が建つわけである。

こうしてみると、漢民族による中国の王朝は『漢(前漢・後漢)』『唐』『明』のたった3王朝しか歴史には存在していないのである。

それ以外は異民族が王朝を作る(元・清)かどこか一部を支配している(南北朝・宋など)有様なのである。

ちなみに秦だの晋だの新(笑)だの隋(爆)だの1~2代で滅んだ短期政権を王朝に入れるのは恥と知って欲しい。世界的には王朝=長期政権であり、かのアレキサンダー大王も実績はともかくとして、その帝国の評価は著しく低く、王朝とはあまり言われていない。

とにもかくにもこの『漢』『唐』『明』の3王朝を滅ぼした元凶こそ『宦官』なのだ。

漢が滅んだのが西暦220年、明が滅んだのが西暦1644年・・・。
他国のこととはいえお前らは1200年も一体何を学んでいたのか!!と言いたい。
あまりの酷さに日本の大奥のシステムの素晴らしさに不覚にも涙してしまう位だ。
春日局は偉大やったんや!


さて話は変わるが中国史を勉強すると不思議なことがわかる。
実は中国は『文化のピークが紀元前』なのである。

皆さんは中国の書物と聞かれ何を思い浮かべるだろうか?

『孔子(論語)』『老子』『荀子』『孟子』『墨子』『荘子』・・・。
そして私が大好きな『韓非子』、少し時代が違うが歴史書としての『史記』を上げてもいいだろう。

その他は娯楽としての三国志、水滸伝、紅樓夢、金瓶梅、西遊記くらいではないだろうか。これら全てが紀元前というわけではないが、たったこれくらいしか有名な物語が存在しないのである。一番新しい西遊記でさえ唐の時代である。日本では平安時代だ。

自分としては近代中国では魯迅の『阿Q正伝』くらいしか読むべきものは無いと思っている。この作品だって100年前のものだし作者は日本で勉強してさらには中華民国に在籍しているなど、当時かなり開明的だったからこそ書けた名著だと思うのである。

もちろん、これには様々な理由がある。中国でも優れた書籍はおそらく様々な時代で数多く書かれており当時は話題になった作品もあったのだろう・・・。
しかし、そのほとんどが悪しき風習である『焚書』によって消えてしまっているのだ。

始皇帝の焚書が有名だが、中国の王朝では度々この焚書が繰り返し行われている。
現在だって共産党政権は出版を制限したり、ブログや掲示板の書き込みを消して回っているが、これも発想としては似た様なものだと思っていい。
さらに共産党政権下では『文化大革命』という偉大な愚行により、数多くの作家、書物が灰となって消えている。これにより現代中国では読むべき作品が無いのである。
(さらに国民党が故宮の宝物を台湾へ全て持っていったことも留意すべきであろう)


さらに中国の文化を衰退させるに至ったのは、異民族の侵入という歴史である。

特に清などは漢字ではなく独自の『満州語』を使っており、現代中国でもピンインなどでその影響が残っているわけだが、この満州語が酷く難解で中国人でさえさっぱり読めない。逆を言えば満州族の支配層たちも漢字なんかさっぱり読めないのである。

北京の紫禁城に観光に行けばわかるが、書かれている文字の大半が満州語であり、現在は中国語で上書きしたり看板を付けたりしているが、あれを見るに清の支配層達は漢字をあまり勉強していなかったのではないかと推察できるのである。

ぶっちゃけ朝鮮のハングル文字の看板を見て皆さんは内容がわかるだろうか??
ハングルで書かれた書物をもらって読むだろうか??普通読まないですよね。

つまりは読めない書物なんぞ清の支配層にとってどうでも良いものだった。
かえって何が書かれているのやら不気味であるし、古い書物だったらともかくも、反政府的な内容が書かれているかも知れぬ新たな本の出版など、おいそれと認めることなんかできなかったのである。
といったわけでとくに清の時代は漢民族の人たちの文化を衰退、破壊していったというわけである。


まあ、そんなこんなで現代中国には先に述べたような古代の書物、物語、歴史書と糞くだらない恋愛小説とか毛沢東語録だとかしか存在していないというわけなのである。
大学で中国文学を専攻すると結局中国古典しか勉強しないのはこういった訳なのだ。

もちろん昨年ノーベル文学賞を受賞した人の代表作『紅いコーリャン』も読みましたけどね、まったくもってくだらない内容です。はっきり言って妄想乙レベル。

今の中国で放映されている反日ドラマの先駆けみたいなあらすじで、ぶっちゃけ日本兵が紅いコーリャン畑を焼き払い日本は酷い国だねーってだけの物語です(おい)。
映画もあり興味を持ったら観てみてください。コン・リーのエロだけは満足ですよ!

ちなみに中国では女優の枕営業は当たり前だという・・・。
ということはチャン・イーモウ監督はコン・リーや初恋がきた道の頃のチャン・ツィイーともチョメチョメしてた訳である・・・。なんてうらやま・・・。
というか、そもそもコン・リーは恋人だったんだっけ??畜生、ふざけやがって!!


・・・と、話が大幅に逸れてしまった。申し訳ない。
無論、今まで述べたことは私見であり反論・異論大いにあるであろう。
ぜひ顔真っ赤で感想板に意見を書き込んで頂きPV稼ぎに貢献していただければ幸いである。はは。


さて、そろそろ現実逃避を止めてなぜに俺が『去勢』されなければならぬのか語ろう。

ああ、今回の去勢は所謂『宮刑』といった処罰で陰茎と睾丸を切除するものではなく、『自宮』といって自ら望んで睾丸を切除する手術であるから、俺が何か犯罪を犯したんではないかという心配はいらない。

俺は別にこんな事を望んでいるわけなかったのだが、叔母さんが政治的な思惑で俺を後宮に送るため自宮を願い出たのである。全くもって迷惑であり最悪である。

思い返せば馬鹿なことをしたものである。


俺の名は袁(エン)陽(ヨウ)、字は至庚(シコウ)、真名を峻(シュン)という。
これでもあの名家『袁家』の一員である。

前世では外国語大学に通っていて中国語専攻していた大学2年生(一浪)であった。
夏休みに中国を旅行中、西安で反日デモに巻き込まれ、デモ隊の男達にタクシーから引きずり降ろされると頭をコンクリートブロックでかち割られ・・・多分死んだのだろう。

そして気がついたら何故か三国史?の時代に転生していたのである。
というかタイムスリップまで同時に経験したわけで『魂』って偉大だなぁと思う。
輪廻転生を経験したわけだし、今世では仏教を厚く信仰したいと思っている。

さてなぜ三国史?とクエッションマークをつけたかというと、俺の腹違いの袁術が女だからである。宿敵である教育係?の張勲も女であり、俺と同じ妾の子の袁紹も女である。

正直、転生当初はわけがわからなかった。

前世の記憶を思い出したのが3歳の頃で、その時頭には大きなたんこぶができていた。
一緒に暮らしていた父に事情を聞くと、俺は何者かに階段から落とされたらしい。恐すぎである。
後に俺が調べたところ犯人は張勲だと判明するが、コイツにはのらりくらりと言い逃れられてしまった。

張勲は未だ会ったことの無い妹である袁術の乳姉妹(乳母の子供ね)であり、袁術を激愛していた。庶子である俺が将来袁術の邪魔になるやもしれんと考え殺そうとしたらしい。

いや、お前まだ6歳くらいだよな・・・腹黒とかいうレベルじゃねーぞ!!

しかも当時俺は袁家ではなかった。
名前も呂(ロ)陽(ヨウ)であり、『呂家』の子供だったのである。

将来はともかく、現時点では庶子として認められてもいない存在であり、また俺が父親達に張勲に殺されかけたと主張しても3歳の子供が何言ってんの?状態であり、結局この件は有耶無耶になってしまった。アイツいつか泣かす!!

さて、俺がなぜ袁家ではなく呂家の子供ということになっているかを説明しよう。
俺の母親は袁家の当主で三公を務める袁逢という人物である。

俺の父親が母親の袁逢の愛人で、俺は当主の庶子なのであるが、男ということもあり『袁』の性を名乗ることを許されていなかったのである。
この世界では何故か女優先であり、男の地位は著しく低い。ゴミのようなものだ。

母は父の他にももう1人愛人を抱えており、この愛人との間にも娘である袁紹が俺より先に生まれていて、後継問題を複雑化させることを避けたとも言える。

結局数年後に正妻ならぬ正夫との間に袁術が生まれたことでややこしくなったが。
年齢が上だが庶子の袁紹、年齢が下だが正夫の娘である袁術という構図である。

普通であれば後継は袁術で決まりだが、袁紹の父親の家がかなりの実力を持ち資産家で袁家にとって無視できない勢力であったことが、無下に袁紹を切れない要因だった。

ちなみに俺の父親はこの汝南地方の豪族の出身で袁家配下の家門の息子である。
それなりの力を有しているが地方止まりで、後継に口が出せるような家柄では無い。

そんなややこしくした母だが、俺には優しかった。

俺が文字を習いたい、書物を読みたいと我が儘を言えばいくらでも用意してくれた。
もともと中国語を専攻していたのですぐに文字は覚え、書物が読めた。
歴史に消えたこの時代の書物も今であれば読み放題である。
俺はそのことに興奮し、洛陽にいる母にもっともっとと手紙を書いたものである。
おかげで袁家が所有する書物の大半が我が家にやってくることになり、袁紹や袁術達の教育に支障が出る始末であった。

五歳で論語を諳んじると、八歳で好きだった韓非子を母の前で諳んじた。
たまたま一緒に来ていた袁隗叔母さんも大いに俺を褒めてくれ、母に袁家の性を許しても良いのでは無いかとまで言ってくれたのである。

今思えば恐らくこの頃から叔母さんは俺の使い道をいろいろ考えていたようである。

翌年俺はめでたく袁家の姓を許され、庶子とはいえお坊ちゃまに成り上がった。
もちろん今までも贅沢な暮らしをさせてもらっていたが、認知されていない立場とされている立場では立ち位置が全く違う。

歴史を知る俺は袁家の将来が暗いことを知っていたが、調子に乗っていたその頃の俺は「歴史を俺が変えてやんよ!袁家を背負って立つのは俺だ!!」と意気軒昂だったのである。まあ、すぐにそんな夢は潰えたわけだが。

袁家の姓を許されてからすぐ結婚の話が舞い込んだ。
相手は名門荀家のお嬢様である。
昨年宦官の息子と結婚が決まりそうだったらしいが、本人が拒絶しご破算になったそうだ。まあ、宦官の息子なんて嫌ですよねー。

俺は筍家に意気揚々と乗り込むと、転生チート全開で論語や老子を諳んじ、もちろん荀子も全て諳んじて見せた。ちゃっかり孟子の悪口を付け加えるのも忘れない。
さらには大好き過ぎる韓非子(韓非は荀子の弟子)の自分なりの考察を添えて熱弁を振るったのである。

そんな俺に当主の筍コン様は大いに感動し気に入ってくれ、ぜひ結婚して欲しいと頭を下げてくれたほどである。

・・・結論から言えば破談しました。

お相手である筍イクちゃんが部屋から一回も出てこず、俺がいくら扉の前で呼びかけても「死ね」とか「消えろ」とか「近づくな!妊娠する!」とか酷い罵声を浴びせてくるのである。

一週間ほど粘ったのだが、結局一回も顔を見ることが出来ずこの話は無しということになったのである。いや、あれはちょっと酷すぎないだろうか・・・精神病みすぎ。

俺ががっくりと肩を落として帰郷してる最中、母が死んだという手紙が届いた。

急ぎ洛陽に来いとのことだったので、帰郷を中止し俺は初めて洛陽に行くことになった。
前世では西安(長安)を観光した後、洛陽に行く予定だったので母が死んだというのに不謹慎ながら少し感動してしまったのは内緒だ。

洛陽の袁家の屋敷ではすでに母の葬儀は終わっており、墓に納められていた。
まあ、洛陽で暮らしている袁紹や袁術はともかく、汝南で暮らしている俺を待ってくれるほど優しくものんびりもしていない。

屋敷で俺を待っていた袁隗叔母さんは俺が部屋に入るなり、他の人を人払いして近くに来るように言った。

そして、開口一番こう言ったのである。

『峻よ、あなたは宦官になりなさい』

と。

あ・・・ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

俺は母が死んだので洛陽に呼ばれたかと思ったら、いつのまにか宦官になることになった。
な・・・何を言っているのか、わからねーと思うが、俺も何を言われたのかわからなかった・・・。
頭がどうにかなりそうだった・・・。催眠術だとか転生チート乙だとかそんなチャチなもんじゃあ、断じてねえ!
もっと恐ろしいものの片鱗を 味わったぜ・・・

俺がポルナレフ状態で硬直していると、叔母さんは静かにその理由を語り出した。

袁家には親戚に宦官で中常侍である袁赦という人物がいて、母や叔母さんの栄達に内援してくれていたらしい。しかし、彼は数年前に暗殺されてしまい現在後宮において袁家の影響力はかなり小さくなっているそうだ。

袁家は表向きは宦官勢力とは友好的で無く、彼らとは距離を取っており、宦官の汚職摘発に協力したりもしていて、反宦官派に属しているとも言える。
しかし、裏では密接に情報を交換し、お互いの権益に干渉しないように調整し巧みに政治を行っているのである。

まあ、そうでなければ三公の地位などに就けるわけもないし、政務の行えない。
現代において与党と野党が激しく罵り合っていても、消費税を上げる時は協力するようなものである。裏では根回しが行われ庶民の知らぬ所でいろいろ決まっていくのである。
そういうことをしなかったかのルーピーや空き缶はそういう意味では偉大だった。

「つまり、俺・・・いや私に宦官となって後宮に入り、裏から袁家を支援せよと・・・」
「そういうことだ。未だ袁紹、袁術のどちらを後継とするかは定めていないが、男であるお前の居場所は残念ながら袁家には無い。筍家の娘と結婚が決まっていればそれでも良かったのだが、破談となってはな・・・。袁家を預かる身としてはお前を宦官にすることがもっとも益となると判断したのだ。未だ10にならぬお前にはツライことだが、これは当主代理として決定を伝えているのだ。できればこのまま頷いて欲しい」

おいおい・・・退路無しかよ・・・。

恐らく、ここで頷かないと多分殺される。多分毒でも飲まされて病死かな・・・。
糞!あの筍イクの糞女め!!アイツのせいで宦官にされてしまうとは!!
いつか!いつかこの恨みはらしてやる!!

俺は憤怒を無理矢理抑えて叔母さんに是と答え頭を垂れたのである。


その後、袁紹や袁術たちが呼ばれ俺が皆に紹介された。
袁紹、袁術の二人を見るのは初めてだが、「ナニこの美少女」な袁紹と「ナニこの美幼女」な袁術にあっけにとられてしまった。いや、俺もまあ美少年だよなーとは思っていたのだが。

まあ、性格は二人とも最悪だったがな。袁紹は偉そうだし、袁術は興味無く無視だった。その後俺がこの後去勢され宦官になること、後宮の工作を俺に任せることが発表された。それには流石に二人とも少しは驚いたようだった。

翌日、再び叔母さんに呼ばれた俺は2人の女の子を紹介される。

その子の名は顔良と言い、袁紹の遊び友達のようなことをやっているらしい。
もう1人は張勲であり、こいつは袁術の教育係?である。
どちらも年は俺より三つ四つ上だ。

「この2人が今後の袁家の要になる。一応後宮に行く前に顔合わせだ。まあ、後宮に入っても別に外には出られるし、官位をもらえば官庁で働くことにもなるからこれからもたびたび会う機会があるだろう。お前がこの屋敷に頻繁に来るのはマズイから別の場所で会うようにするように・・・それと、どっちでもいいが今晩のお前の相手をさせる」

「・・・それはどういうことですか?」

「明日、お前の手術を行う。その前に一回くらい女を味わいたいだろう・・・。まあ、今のお前では性行は無理だろうが、せめてもの餞別だと思ってくれ」

「・・・・・・」

「別に他に好みの女がいれば用意するぞ、なんなら私が相手をしてやってもいい」

「ええと、それは流石に恐れ多いので・・・では・・・顔良どのをお願いします」

俺がそういうと顔良ちゃんはびっくりしたように目を見開いていた。
いや・・・普通この2人で選ぶならあんたを選ぶだろ。張勲は胡散臭いし。

「そうかい。なら斗詩、今日の夜はたっぷり可愛がってあげなさい」

「はっ・・・はいー・・・頑張ります・・・」

「・・・あとそれと、失礼ですが叔母様の旦那様のお父上?様は馬融様だと記憶しているのですが・・・」

「ああ、そうだ。それが?」

「馬融様は優れた書物を数多く世に出されてお出でですので、その書物を写させて頂けますとありがたいです」

「ふむ・・・わかった」

この馬融という人物、所謂濁流派に属し清流派の者達からは軽蔑されていたが、実際は清廉な人物であり、学者としての評価は当代随一である。その人生も波瀾万丈で現時点で死んでいるのかどうか不明なのだが、三国志的に繋がりを書くとあの盧植先生の師匠であり、その孫弟子が劉備、公孫サンであったりするわけでなかなかに面白い。

この2人と袁家はこの後激しく対立するわけであるのだから歴史は面白いのだ。
三国志の登場人物達は余程の田舎者を除くとだいたい皆どこかで繋がりがあるのでぜひ調べてみて欲しい。


その夜、顔良ちゃん・・・いや真名を交換したので斗詩と呼ぶが、俺の部屋で一緒に寝るというイベントを行いました。
えっ?それだけかって?当たり前だろ。俺数えで10歳だぞ。薬味と同い年だぞ。
斗詩は14歳だそうでなんかそのままネ○魔と同じだな。

斗詩はなかなかに勉強していて、某三国志ゲームの知力とは違うようである。
まあ、一軍の将を任される人物においそれ馬鹿がいるわけ無いのであるのだが、はは。

斗詩も俺の博学に驚き、大いに尊敬してくれた。
ひとしきりお話しした後、俺は彼女に宦官になりたくないと弱音を吐いて泣くと、彼女は俺を抱きしめて慰めてくれ、そのまま添い寝してくれたのである。斗詩マジ天使だ。

こんな彼女を官渡の戦いで関羽に殺させてしまうのは容認できない。
俺は袁家にたいして忠誠心もなかったが、この世界に袁家の一員として転生してしまった以上、袁家が滅んでもらっては困るのである。

というか、宦官になって何もしなかったら、大将軍何進を十常侍が暗殺した後袁紹と袁術によって俺もろとも宦官皆殺しになってしまう・・・。
さすがに殺されないよね・・・と思うのだが、あの2人がそんな先まで俺のことを覚えているだろうか??絶対忘れていると思う。間違いない。

その頃はまだ叔母さんは生きているだろうが・・・あれ?生きてたっけ??
というか叔母さんの子供達はどこにいるんだ?確か反董卓連合の盟主に袁紹がなったことで、董卓に子供もろとも殺されたんだよな・・・。

この世界は三国史の世界であるが、まったく違う世界だ。
男女が逆転しているのも大きな違いだが、三国史と三国志演義の二つの世界がごっちゃまぜになっていて、さらにまったくもって年表がむちゃくちゃなのである。
袁紹達の年齢も無茶苦茶だし、何度も確かめたが従兄弟の袁基もいないのである。

生きている人が死んでいいたり、生きている人が死んでいたりする。
俺が調べられた限りのことだし、正確ではないと思うがおかしすぎるのである。

この世界は三国志を舞台にしたパラレルワールドと考えた方がいい。
とはいえ、そんなトンデモ世界でも無慈悲な現実はやってくるわけである。


翌朝、俺は朝食を取る事も無く部屋で大人しく座っていた。
すると、医者が数人の弟子を引き連れ部屋に入ってきた。

麻酔も無しに切られるのか・・・と絶望していたが、なんとなんと氷を用意していてくれていた。叔母さんが大金を払ってはるばる洛陽まで取り寄せてくれていたのである。
これには叔母さんに感謝感涙であるが、そもそも叔母さんが俺を宦官にするのであったのですぐに冷めた。

局部を氷で冷やして感覚をマヒさせる。まだ子供であるので、睾丸も小さく、もちろんきゃん玉袋も小さいので切り口は小さくて済むんだそうだ。
俺としてはああそうですかと言う他ないが、それ以外にもいろいろ話しかけてくる。
恐らく医者は俺と会話することで俺の緊張を解こうとしているのだろう。
どうやら医者も名医と言ってよい人を選んでくれているようだ。
ちゃんと熱湯で器具の消毒もしているし、一安心である。もししていなかったら言うつもりだった。

手術自体は意外とあっけなく終わった。時間とすれば30分くらいだろうか・・・。
処置も終わり患部はジンジンと痛むが、氷のおかげかそれほどでもない。
と思ったが、氷が無くなるとすぐに激痛が俺を襲った。素でウギャーと叫んでしまった。
ほんまめっちゃいたいですねん。しんでまうわー。

玉が無くなった喪失感とかよりもこの痛みが治まってくれないと立つこともできない。
というか実際立って歩けるようになるのは早くて2週間、遅くて一ヶ月後らしい。
えっじゃぁこの間俺の世話は誰がしてくれるの?と思ったら斗詩がしてくれました。
どうやら、あの時の選択は俺が後宮に上がる前までの世話係を決めることでもあったようなのだ。よかった張勲を選ばなくて、あいつを選んでいたら絶対放置されてた。

叔母さんは見舞いに度々来てくれたが、袁紹、袁術の2人は一回だけチラッと顔だけ出した後は二度と顔を見せることは無かった。というかこの2人と次に会うのがまさか数年先になるとはこの時は思いも寄らなかったが・・・。

文醜、猪々子は斗詩にくっついてよく見舞いに来てくれる。
「玉ナシになったのかー、じゃあ団子食べるか?」と苛つくことしばしばであるが、性格は悪い奴では無いようである。

自分のことは姉御と呼べとしつこいが、コイツは俺が前当主の息子で現当主の甥だとわかっているのだろうか?確かに宦官だが、後宮に上がればまだ正式には決まっていないが、即官位がもらえるし、並の官僚達よりもいきなり上位の存在になるのである。
無官である袁紹や袁術よりはるかに高位に位置するということを理解していない。

まあ・・・。宦官になったらどんな無能でも高位になるんだから、そりゃ国も滅ぶよなとは正直思う。俺がどれだけできるかわからないが漢が滅ぶのは止めれないだろう。


リハビリを含め2ヶ月、俺は屋敷で静養しながら馬融様(生きてた)より借りた書物の写本をやっていた。まぁとにかく千金の価値のある書ばかりである。
この殆どが消失してしまうのかと思うと残念でならない。
この写本も歴史通りなら董卓あたりに燃やされてしまうことだろう・・・。
日本にいるかもしれない卑弥呼に送っても無駄だろうなぁ・・・。邪馬台国自体消えてしまうのだし。

こうして静かな日々を過ごし、とうとう俺が後宮に上がる日がやって来た。
叔母さんはこの日のために仕立てた立派な官服を俺に与えてくれた。

・・・いやちょっと待て、何で官服が金色なんだよ!!趣味悪すぎだろ!!
というか金地に白黒の昇り龍の模様って天子様に喧嘩うってんのかよ!!

俺がそう指摘すると「これぐらいじゃないと舐められる」と一蹴された。

俺がコレ大丈夫なのかとドキドキしながら叔母さんと馬車に乗り宮殿へと上がった。
そういやこの時代なら牛車じゃなかったっけとか今更そんな疑問が浮かぶが、すぐにそんな疑問は捨てた。
サラブレッドな馬がそこら中走り回っているんだから本当に今更である。

現代では洛陽の宮殿は焼失して無くなっており、隋の時代の宮殿ですら野山に変わっている。それが今こうして現実に中を見ることが出来るのだがら、嬉しくもありニコニコしてしまう。

「おや。親元を離され宦官になって後宮に上がろうかという子供が笑うとは。なかなかの胆力を持っているようですね。司徒(三公の一つ)様」

俺がうれしさのあまり笑みを浮かべキョロキョロしていたのを1人の男性が声をかけてきた。

「おお、これは張譲殿。峻、この方は張譲殿、今年中常侍に任じられた宦官のお方だ。私と同年代でなかなかの知恵者だ。天使様の信認も厚い。お前もこの方と仲良くするようにな」

「はっ・・・はい・・・。袁陽と申します・・・」

「はい、よろしく袁陽殿。陽君と呼んでもいいかな?私のことは譲と読んでくれればいい」

「えっと。はい譲様」

「陽君、宦官は等しく天使様にお仕えするんだ。官位の差、年の差はあれど平等に呼び合うのが風習なのさ。僕のことは君付けでかまわないよ」

「・・・・・・えー・・・譲君・・・」

「うんうん、そうだ。これはどの宦官でも同じだからね。若いからと言って遠慮はいらないよ。宦官同士みんな仲が良いしね。後で忠君も紹介してあげるよ」

・・・多分、趙忠のことなんだろうなー。ってここはいったいどこのジャ○ーズだよ。
というか張譲ってこの時代だったらもうじじいだろうが!なんでこんなに若いんだよ。
叔母さんと同年代なら50代?だよな・・・20代後半くらいにしか見えん。
まあ、叔母さんも30代後半の女性にしか見えないくらい若作りだけど・・・。

俺がうがーと俺が頭を抱えている内に、どうやら譲君は俺たちを迎えに来てくれたらしく、叔母さんを連れてどんどんと奥へ進んでいく。
いつの間にやら後宮と呼ばれる宮殿の入り口に到達していたようだ。

「では私はこれ以上中に入ることは許されていない。峻よがんばるのだぞ」

叔母さんはそういうと譲君に一礼し踵を返してあっさりと去って行った。

「では天使様・・・宏様に会いに行こうか」

「・・・はい・・・」

「ふふ、緊張しなくても君の容姿なら大丈夫さ。最近は『幼去勢』した子がいなくて寂しがっていたからきっと君は寵愛されると思うよ。

幼去勢とは2次性徴を迎える前に去勢した男の子のことである。男性ホルモンを出す睾丸を2次性徴前に摘出することで所謂男らしさを無くし、男の娘にするものである。

この時代には無いが、心の病で性同一性障害を持った場合、できるだけ早く処置をすればその後女性ホルモンを注射やパッチで吸収し女の子の体を得ることが出来るのである。
体に丸みを持ち、胸も膨らんでくるのである。
2次性徴を迎えた後であると女性化するのは大変な苦労を必要とすることになる。

ちなみに後宮では女性ホルモンを増やす食べ物というものが研究されており、すでに何百年も前に例えばザクロであるとか大豆であるとかが発見されており食べられていた。
人間の欲望と探求心はこんなことにも発揮されているのである。恐ろしいものだ。
そのおかげで後に俺は男の娘化してしまうのだが、この時はもちろんそんなことは知らない。

「寵愛ですか・・・」

寵愛って「アー」なことだよな・・・。まあ、衆道って日本でも明治の初めまで行われていたし、もちろん現代でも盛ん?に行われている。
別にこの時代であれば当たり前のことであるし、否定は出来ないのだが、実際自分がヤルとなるとかなりの覚悟が必要である。

「最初は恐いだろうけど、宏様は優しいから大丈夫さ。なんなら僕が一緒にいてあげてもいいよ」

初っぱなから3Pかよ。心強いような、嫌なような複雑な心境である。

「ええと・・・天使様のご意向に従います」

俺はとりあえずそう言って言葉を濁したのだった。

件の天使様との謁見はあっさり終わった。

天使様の私室に直接通され(さすが宦官!)挨拶したのだが、天使様は俺の容姿に大いに満足したのか、しばらく空位だった『侍童頭』に任命してくれた。侍童は俺1人だけだけどね。

しかし、後でこの官職の官位が『五品』であることが判明し大いに焦った。
ちょっと待て『五品』と言うことは軍職では校尉にあたる位になる。
校尉とは高級指揮官であり有名な西園八校尉もその一つに挙げられる。
つまり、現時点で数年後の袁紹や曹操達の官位になっているのである。

譲君は「出世できてよかったねー」とのんきに頭を撫でてくれたが、俺としては生きた心地がしなかった。
たしかに、天使様の小姓を務めるのである。これからは毎日天使様の側でお仕えするのだし、本殿に後宮にとうろちょろする。時にはお后様の所にも行くし、時には後宮に仕える者達や(宦官を除く)、官僚達を叱責することもあるんだとか。

なにその森蘭丸。でも確かにそれくらいの高い地位を便宜上与えておかないとマズイのも話としてはわかる。
ちなみに宦官の人たちにはえらそうに出来ません。平等だからね☆

それにしても譲君に一通り宦官の人たちと挨拶させてもらったんだが、みんないい人達ばかり何ですよ。ようこそ、いらっしゃい、困ったら何でも相談してねとか優しすぎる。

もちろんこれは俺が宦官の一員だからだ。そうでない者達にはこの人達は容赦しないし、いくらでも汚い手を打っている。この辺りのことは朧気ながらいろいろ理解してきているが、なんせ俺の宦官ライフは始まったばかりなのだ。

とりあえず、今夜天使様に呼ばれているので、人生初の「アー」をするためその覚悟を決めねばならない・・・。なんともしまらない話である。ケツだけに。うるせぇ。


第二話へと続く・・・。


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