妹が犯されている様をただただ見ていた。
何が起きているのか分からないわけでは無かった。
目の前で最愛の妹が犯されている。それは別世界の様に感じられた。
やけに目と口の中が乾いたが、その光景から一瞬たりとも目を離せなかった。
そして、西森が果てた瞬間、ダムが決壊するかのようにドス黒い怒りが湧き上がる。風呂敷を解き、中の刀を取った。
…………クソッ!!
鞘から抜き放とうと柄に手を掛けるが身体が思う様に動かない。怒りに震えた指先を押さえつけ、高い風切り音と共に抜き放った。
振り返るように戸へと目を向ける。心に在るのは憎悪。
………殺す、何が在ってもコロス。
殺す殺す殺す殺す殺す殺す
激昂する自分を冷ややかに見つめるもう一人の自分が、決意をしたように心の内でそう漏らした。
そして意を決し、戸へと手を掛けるべく、手を差し出した。
その数瞬前。コンマ以下の差。武の手よりも先にとの間をはしる物があった。
僅かに空いた戸の隙間。その間を縫うようにして現れた其れは直線軌道を描き向かいの家へと突き刺さった。見覚えのある刃。両刃の造りにやや大きめの刀身。西森の愛用する刃だった。
「武。盗み聞きとは趣味が悪いぞ。
………それと、刀を取るのに手間取りすぎだ」
角度の為に家の中は見えない。だが、中でもう一方の愛刀を構える西森は容易に想像できた。もう一瞬でも刀を取るのが早ければ、確実に第一の刃は自分を貫いていたことだろう。
怯むな!
自分に言い聞かせる。一瞬引いた手をもう一度差し伸ばし、戸を開け放った。
ぐったりとした様子で、虚ろな目を此方に向ける妹。その前に袴の身を身に纏って立つ西森。
その風貌、まさに鬼神が如し。
相対すことで分かる実力差。同じ武術を学んだ者として、また時には師として仰いだ彼との圧倒的なまでの力の差。だが、関係は無い。今、討つ。この手で必ずこの男を殺すッ
互いに手に持つは抜き放たれた一本の刃のみ。必然、投擲・抜刀は共に不可能。得物を失う事になれば、敗北は必至。唯一、使う事が出来るとすれば、必殺のタイミング。その一点に己が命を張れるその一瞬のみ。
床が軋みを上げるほどに強く踏み切る。一歩の歩幅で急激に詰め寄る。西森に動揺は無し。左から小さく、鋭い横なぎ。脇抉るようにして放つ一撃。
此れを止めるのは至難。
が、西森は切っ先を下ろすことで受け流す。しかし、それも予想通り。下がった切っ先。上がった手首。これでは細かい操作は叶わない。
瞬時に刃を放棄。西森の刃は受けに回り、振るわれることが無いのは明らか。
その場に刃が自由落下。と同時に左回転の回し蹴り。刃に守られた右脇をあざ笑うかのように、左わきに向けて蹴りを放つ。
手ごたえあり。蹴りが肉に沈む感覚。西森の巨体が右に二歩、三歩とよろめく。
勝機っ!
蹴りとは逆回転。先程放棄した刃を拾い上げる。狙うは投擲。身体の回転を加えた至近距離からの投擲。正に必殺のタイミング。
獲った! !
「………惜しいな。少し急ぎ過ぎたか」
放たれるはずの刃。しかしそれはリリースの直前に西森の刃に阻まれる。瞬時に身を起こし刃をせき止める為に接近されていた。
まさか、よろけたのも蹴りを受けたのも…………
「………罠かッ! !」
しかし、刃は最早手をすり抜けた。行く手を阻まれ、しかし、其の手から放たれた刃はあらぬ方向へと飛んでいき、回転を止め床に転がった。
最早為す術無し。
正面からの蹴りを何の手立ても取ることが出来ずに受ける。たまらずよろけ、後ろへと後ずさる。
「………惜しかったな。だが、其れを教えてやったのは誰だったか、忘れてやしないか?」
余裕の表情。構えられた刃。対する此方に刃は無し。
勝機………皆無。
背筋に寒気。死ぬのだという漠然とした感覚。
残りしは、飛鳥への申し訳なさのみ。
一歩にじり寄る西森。
刃がゆったりと上がり―――――細い腕が西森の巨体を抱き留めた。
「兄様、逃げてくださいッ! !」
瞬時、思考回路が再構成される。妹への謝罪の代わりに脳内を埋め尽くすもの。
“生き残りたい”
瞬間、踵を返し、走った。
闇雲に、どこまでも。
走り、走り、気づけば、西町と東町を隔てる山道へと入っていた。幸い追っ手は無い。
随分長い間走っていた。
木にもたれ掛ると肩で大きく息を吐く。
一つ、二つ。
気持ちが静まり、理性が感情に追いつく。
そして―――――――――
「ああああああああああああぁァァぁああああぁァァあッ!!!」
慟哭。
顔からあらゆる粘液が溢れだす。だらしなく歪んだ顔で雄叫びを上げ続けた。
やがて日が落ち、夜が来る。重い足取り。行く先は無し。いっそ死のう。そう思った。
山をさ迷い歩き、歩き、歩き、気づけば家の前に立っていた。
何時もと変わらぬその光景。中からは物音も無い。恐る恐る戸を開けた。中は闇に包まれ、明かりも音も無い。
火打ちの石を出し、震える手で明かりを灯す。
映し出されたその先。
横たわる裸体。切り裂かれた着物。
数々の傷跡。ところどころに残る粘液。其の手には指は無く。
顔は腫れ上がり。嘗て妹だった肉塊が横たわっていた。
何もせずに家を出た。何かを感じてしまえば自分が壊れてしまいそうで。否、壊れたからこそ何も感じないのかもしれない。
ただ歩き、歩き。
「おい、大丈夫か! ?」
その男と出会った。偶然にも西町での用事を済ませた東野 京だった。
その先の記憶は定かで無い。ただ泣き散らす自分を支え、東町へと帰り。何も話さない俺を黙って面倒を見てもらった。
それが数年前。東町へと初めて足を踏み入れた時のことだった。
◇
ひとしきりの話を終えるまで、香奈枝は黙って聞いていた。そして話が終わると同時に口を開いた。
「復讐と言う物は果たされてしかるべきもの。奪われたならば奪わなければならず、殺されたならば殺さなければならない。
貴方がしたことは正しいことだと私は思いますわ」
その一言に救われた気がした。恩人を裏切ったことで沈んだ気持ちが少し戻る。
思わず振り返った。この共犯者がいてくれたことに感謝を示したかった。
振り返った先。長身の彼女は優しげに微笑みかけていた。まるで自分が全て許すというかのように。
「………そして、殺したのだから殺されなくてはなりませんの」
え?
浮かび上がる無数の銃。操るのは弦。彼女の笑みが一層深まり、乾いた銃声が鳴り響いた。
鉛玉を受けた武が崩れ落ちる。
「此れで、この町の事件も片付きますかね?」
それまで一歩引いた位置からただ話を聞いていたさよが、そう問いかける。
「ええ、綾弥 一条に加え、守道様、東野様。戦力として西に勝ちはないでしょう」
その場に転がる死体にはまるで興味が無いという様に、会話を進める。
「今回は、楽な仕事でしたわね」
自分の手を使う必要が無かった。これであとは見守るだけ。勝手に事態は収拾を迎え、問題視されていた六波羅の一派は滅び、全ては内輪揉めの戦争によるものとして処理されるだろう。
「それじゃあ、さよ、お茶にでもしましょうか」
「畏まりました、御嬢様」
そうして彼女たちの優雅なお茶会(ティータイム)は、島塚村の戦争の開幕と時を同じくして始まるのだった。