“六波羅”この時代の大和を生きる者達にとって決していい印象を与えることの無い名である。先の大戦では大和の国を売り、つい先日まで国の長として甘い汁を啜っていた。とはいえそれも、銀星号事件と呼ばれる一連の動乱により頭を失ったことで、緊迫した締め付けは無くなりつつある。
霧島の村では進駐軍が常駐していたために、彼らの力は及んでこなかったが、それでも進駐軍と手を組んだ大和人と言えば憎しみの対象となるのも無理はない。否、彼らとつながりを持っていた大和人と言う点では、他の物よりも憎しみを抱くべき存在かもしれない。加えて、先日、あの名もなき島を襲撃した三機の剱冑。守道にとって良い印象など在る筈も無い。
家へと向かうべく一歩目を踏み出す東野に、一瞬の警戒をするが、一条が後を追ったことで、その背を追うこととなった。先程と変わらない足取りで歩くのは東野ただ一人。連れ立って屋敷へと招かれた店の主も、うつむいたまま話をしようとはしない。一条は黙ってしまい、その眼つきは出会った時とはまるで別人だ。道端の小石を蹴っては、苦々しげに舌打ちを繰り返している。普段心情を表に出さない陽炎ですら、その表情に陰りが見える。自分も今どんな顔をしているのか想像できなかった。
暫くして一軒の大屋敷が目に映る。説明なくこの村一と分かるその大屋敷の主は、東野に違いなかった。門を開くと大きな庭が目に入った。
玄関には町の入り口同様に鳥の彫像。霧島の屋敷をも凌ぐ長い廊下。その内装は和風であるが、近代的な趣も携えている。磨き上げられた床は、陽を反射し白く輝いた。
「此方の部屋で待ってもらって良いかい?」
陽炎と一条、守道の三人を一部屋の客室に通すと、東野と店主は姿を襖の向こうへと消した。訪れるのは数瞬の沈黙。その後に、一条が先に口を開いた。
「あんたは、今のを黙って見ていられるんですか! ?」
たかが中学生に睨まれただけというのに、委縮する自分を感じる。この空気は一介の学生が発して良い物ではない。覚悟を決めた者の目。自身を定めた者の気配。
此方に向けられたのは、明らかな非難。それは、間違いなく正しい。常識を超える額の接収。民を苦しめるだろう其れを憎むのは正しく正義。
だが、世は正しいものが道を貫き通せるわけでは無いことを、嫌というほど知っている。
それは、GHQも然り、六波羅も然りだ。加えて、村の掟“山に蝦夷あり、不要に近づくな”。陽炎の一族を否定した掟が、その世の摂理を物語っている。
口を紡ぐほかない。此れまでの人生、その全てに目を瞑って生きてきた。村人を脅かしたGHQは、野放しにした。戦争屋を雇ったのは父だ。陽炎との関係も家には伝えなかった。否定されるからだ。
「いや…………」
だから、口から出るのは正義感が吐かせた弱々しい否定のみ。一条の純粋さに、己の根本が導いた答えを否定できず、かといって肯定しきることもできない。まだ子供だから分からぬのだと切って捨てることもできる。だが、この子の眼は其れを許さない。
尚もその視線を外さない一条に対し、守道もまた視線を外す事が出来なかった。
襖の向こうを幾つかの足音が通り過ぎる。小さな音がやけに大きく聞こえる中、最も大きな音は自身の心音だった。自身の内から、まるで自分を戒めるかのように鳴り響く規則正しい音は、次第にその間隔を縮めていく。
その終わりを告げたのは第三者の出す音だった。
何人目かの足音が襖の前で止まった。一瞬の間を置いて、襖の擦れる音。その音を追って、二人の視線は其方を向いた。
開いた襖の向こうには三人の男。一人は東野。二人目は、店主。もう一人は、見知らぬ男だった。
見るからに屈強。年齢はその見た目からは測れないがまだ若い。纏った六波羅の赤い制服の下からのぞく腕が、彼の腕っ節の強さを物語る。顔も強面。深いしわが刻まれた顔からは、いつもしかめ面をしているのではないかという印象を受ける。まるで石像。阿修羅の石像。
その男が部屋を見渡す。ぐるりと一周、遠慮することもなく視線を動かした彼は、ある一点で視線を止め怪訝な表情を浮かべた。視線の先には陽炎。この村に入ってから、彼女に向けられる視線は感じていたが、此れほどまでにはっきりと表情に出したのは、彼が初めてだ。
「おう、了。なんだって、また、御一行に蝦夷なんかが居るんだ?」
瞬間、彼を睨んでいた。見た目と同じく、ドスの効いた低い声。腹の奥に響く声が部屋に木霊する。其れを聞いた陽炎がピクリと反応を見せる。首をやや右に傾け、座っている状態から、彼を見上げている。そんな彼女を庇う様に数センチ、そちらへ身を移す。
「ああ、彼女も今日のお客さんの一人だよ、武(たける)。
丁重に御持て成ししないと」
そうあっけらかんと言う東野の言葉に今度は一条が反応を見せる。“丁重な御持て成し”の意味するところを計れない以上、警戒するほかにない。一条は、座り込んだ状態から、足を組み換え膝をついた姿勢を作る。明らかな臨戦態勢を示している。守道も知らず、左足を半歩下げ、右手が左腰の刀に伸びる。場の気温が急激に冷える。天井を落として圧迫したかのように空気が重さを増す。
正に一触即発。
「ああ、待って、待って。
ちゃんと説明するために此処に来てもらったんだから。
武。君もちゃんと借用書を見せて彼らに説明しておくれよ」
此方の警戒をいち早く見抜いた東野がそう口にする。武と呼ばれた男はなにやら不満げな表情を作った。少しの間を置いて彼は手にしていた筒から一枚の紙を取り出した。
「此れが、我ら東野一族が彼に貸したお金の借用書だ。
今月の支払いを貰ったところを、お前たちが食って掛かったそうだが、それが正規な額であることを示していることを確認してみろ」
部屋の中に入り此方の前で座り込んだ武は、そう言ってその紙を広げた。そこに記された額と先ほど目にした封筒。成程、金額に間違いは無さそうではある。
店主へと目を向ける。気付いた店主は、自身の借金が恥ずかしいのか、照れ笑いを浮かべながら、後頭部を掻いた。
「あっしは、この村への流れ者でして………
店を開くのが夢でしたんで、東野さんに貸して頂いたんです」
今まで言えなくて申し訳ありませんでした。
力の無い息が口から洩れた。一条はポカンと口を開いている。自分の早とちりだったとここまではっきりと見せつけられては無理もない。
その様子を見た東野が満足げに笑みを見せた。
「それならそうと………」
「この借用書を見せるのが一番手っ取り早いと思ったからね」
視線を逸らし、恥ずかしげに呟く一条の言葉をつなぐように、東野が言葉を発する。その表情に疑われたことに対する怒りは見て取れず、その笑顔は次第に深まっていく。
むしろ其れを許さないと表情で口にするのは武。此方に向いた視線が外れない。
「それは……大変申し訳ありませんでした」
守道は東野に、と言うよりも武に向けて頭を深々と下げた。武からの返答は無い。代わりに東野が“気にしないで下さいよ”と笑った。
一条の謝罪はもっと大げさな物だった。勘違いという事で笑って済ませたい東野に対し、一方的に頭を下げ続けた。それは東野が頼むから止めてくれと懇願するまで続いた。
◇
「先刻は本当に申し訳ありませんでした」
一条と武、陽炎と共に客室に留まることになった。あまりにも頭を下げる一条に、東野が申し訳なさを感じ、食事に誘ったのだ。一条は、仕事があると部屋を去った東野の代わりに、部屋に残った武にも頭を下げた。
「いや、別に俺もあんたがたにいやな思いさせてやろうと思ったわけじゃないんだ。
ただ、了が慌てて誤解を解いてほしいなんて言うもんだから、どんな難癖つけられたのかと思って………」
此方こそ済まない。と言う武からは、出会った時の見た目通りの威圧感は消えていた。足を組みながら目を伏せる武に、そんなことは無いと皆が首を振る。
「そちらの女性、陽炎さんと言ったか……。
貴女にも不快な思いをさせてしまって、申し訳ない」
相手は世で忌み嫌われる蝦夷であるというのに、なんでもないように頭を下げた武は顔を上げるとニカッと笑って見せた。その笑顔は如何にも豪快。
「別に蝦夷をどうこう言うつもりなんてねえんだ。
この村の住人も多くは他の村で生活に苦しんだり、村八分にされた人が多くてね。
そんな難民を、了が引き受けているってわけよ。
実は俺も昔、他の村を追われた身でね。
俺もそんな人間の一人だから、むしろ仲間だと思ってくれよ」
過去をそう笑って語れるのは、今の自分に満足し、感謝しているからだろうことは、その表情から見て取れた。彼が怒っていたのは、東野を疑われたからであることを漠然と感じた。
「そんなことは無いですよ、御気に為さらないで下さい
………武さんは、優しいのですね」
陽炎は、薄く口を開き、優しげに微笑んだ。儚い花を連想させるような清楚な笑み。其れを見た武が口を開けて固まった。と、数瞬の内にみるみると顔を赤く染めてゆく。
厳格な大男という印象は消え去り、途端にあたふたしだす大男に、その場に居合わせた者が笑いを零した。
◇
「守道さん方は如何してこの村に?」
陽も沈み食事を終えた後、最初に通された部屋で、一条と陽炎、東野と武を交えて、座り込む。目の前には湯呑が一つ。輪になって座った一同に最初の質問を投げかけたのは東野だ。
「いえ、自分たちは旅をしていまして。
その途中で立ち寄ったまでですよ」
「そうなんですか!?
どこか目的地でもあるのかい?」
その話にいち早く食いついたのも、また東野だった。もちろん目的地などない。これからのことも分からない。
彼らに嘘をつくことは躊躇われたが、本当のことを言うわけにもいかない。
「行く宛の無い旅でして………」
その言葉に東野は更に目を輝かせる。その眼からは羨望の感情が読み取れた。この若さでこの村の頭領としての役職を果たしている。それには、多くの努力と、労力を費やしたのだろう。自由奔放な旅に憧れるのは、そんな中で、息をつく暇が無かったからであろうか。
「東野さんは何時からこの村の長で?」
そう感じたからこその何気ない問いだった。
瞬間、東野と武の表情が曇る。
しまった、何か拙いことでも聞いてしまっただろうか。
「……いえ、先代………僕の父なんだけど。
父さんがずいぶん前に戦で命を落として………
最近までは代わりの人に任せてたんだけど、3年前に僕が受け継いだんだ」
もう自分の中では消化した話だ。此方に気を遣わせないよう、そう口にした。場の空気が重くなる。だが事実としてこの村の活気は昼に見たとおりだ。この村を三年もの間守る彼の手腕がいかほどかは、今更問うまでも無い。彼は良き先導者であることに間違いはない。
「それで、一条ちゃんはどこから此処に来たんだい?」
その様子を見かねた東野がそう言う。きっと此方に気を遣って話題を変えたのだろう。それは誰が見ても明らかで、しかし、その配慮に甘えることにした。
「あたしですか………。
………そうだっ!
実はあたしは西森って人に会いに来たんですが……」
彼女は自分の目的を思い出したかのように口早にそう言った。
途端、再び、東野の目が変わった。もともと細い目がさらに細められ、眉間には皺が寄った。武の表情の変化はもっと明らかだ。奥歯を噛み締めながら眉を寄せる。
「………如何して、彼に会いたいの?」
「実は、武術の心得のある人を探してまして。西森っていう人は剱冑の扱いも心得ていると窺ったので」
「あいつは止めておいた方がいい」
呟くように武が言った。その視線は変わらず下を向いたままだ。その言葉に続けるように東野が口を開いた。
「この村は東町って言ったよね。この島塚村の山の向こうには西町が続いてるんだ。
西森ってのは、其処を取り仕切ってる六波羅の一族だよ」
西町という言葉に、向こうの村の村長の姿が思い浮かぶ。まさか、あの老人に武術の心得があるとは思えない。
「昔は、この村のことを島塚村って言ったんだけどね。
大和が大戦に負けた時に隣町と合併することになっただ。
西町の現状は知ってる?この町に比べたら生活も極貧なんだよ。
民は土地を離れたがらない老人ばかり。それをいいことに重い税で甘い汁を啜ってるのが西森の一族だね。村長をはじめとして、村人も抵抗してるんだけど、彼らはその噂通り、武術に長けているものだから………。
なかなか上手くいかないんだ」
そう聞いて納得がいく。村人たちの仕事ぶり。道の脇に連なった田畑の数々。そこに植えられた農作物。不作どころか、豊作を感じさせるその光景にも関わらず、彼らの暮らしは貧しさをのぞかせていた。それもその西森の一族の押収の所為だとすればすべてに納得がいった。
話を聞き終えた一条が再び怒りの表情を露わにする。東野の徴収に勘違いしていた時と同じ。悪を憎む瞳。犬歯を出し、のどを鳴らす狂犬を連想させる。
「それって、何とかならないんですか?」
出来れば、村人たちを救いたい。そんな心情から彼女はそう口にした。しかし、それにも東野はゆっくりと首を横に振るだけだった。
「彼らと争えば、此方の村のみんなにも被害が出るから。
この村の長として、それは出来ない」
申し訳なさそうな物言いも、確固たる意志を含むものだった。この村の村人を守る、と。
その後もいくつかの話題が出たが、一条は終始表情を曇らせていた。何度か笑ってはいたが、そのことへの憂いが表情から消えることは無かった。
東野の取り計らいで、この家に泊まることの許可が下りた。東野は挨拶ひとつを残して襖の向こうに姿を消し、武も守道たちを部屋へと案内すると自室へ戻った。
辺りはもうすっかり暗く、最初、西町へと戻ると主張した守道たちだったが、東野に甘えることにしたのだ。部屋には一条と陽炎が取り残される。一条の部屋は隣の客室だ。
二人きりですべき話などない。武が姿を消すのを見送った後、一条も襖へと歩きだす。
何の気もない。強いて理由を挙げるならなんとなく気になったからだ。
守道は一条を呼び止めていた。陽炎が怪訝な表情を見せる。
一条は西森を探しているといった。武術の心得がある者を探していると。自分では力になれないだろうか?この正義感の強い少女の目的の為に、この守道の武道は力になれるのではないか?
「一条さん、貴女は何故、武術の心得がある者を探しているのですか?」
だから、此れは必然の問いだった。自分が手を貸すことの出来る事なのか否か。手を貸すにせよ貸さぬにせよ、それは確認しておかなくてはなるまい。
その問いに一条は手を止めた。いや、手だけでない。時間が止まったように体が動かない。何か思案を巡らすよう数瞬の硬直をとった後、此方を見ることもなく、背を向けたままで口にした。
「ある男を………湊斗景明と言う名の悪鬼を殺すために」
◇
「ああ、此れだから森ってのは嫌いなのよ
………こんの、鬱陶しいツタね。打ち抜いてあげましょうか! ?」
「まあまあ、御嬢様。もう少しの辛抱ですよ。
それにしても………ツタに絡まれているという殿方が興奮するシチュエーションだというのに、御嬢様の場合、全く“萌え”がございませんね」
「ああ、さよ!!!それは私に魅力がないと言っているんですの! ?」
「そういう、粗暴な物言いが殿方に受けないのを、そろそろ自覚なさっては如何でしょう?」
静まり返る森の中、二人の主従が村へと向けて迫っていた。その先の島塚村へと。