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No.36290の一覧
[0] 【完結】アイビス×マサキ(スパロボOG)[マナティ](2017/01/17 08:41)
[1] 序章  星への翼、戦場に[マナティ](2012/12/26 22:03)
[2] 第二章 翼持つ二人[マナティ](2012/12/26 22:03)
[3] 第三章 一石二鳥の采配[マナティ](2012/12/27 19:57)
[4] 第四章 その名はフリューゲルス遊撃小隊[マナティ](2012/12/28 20:04)
[5] 幕間  フリューゲルス小隊の一日[マナティ](2013/01/03 19:41)
[6] 第五章 彼ら、竜に翼を得たるが如く[マナティ](2013/01/15 01:46)
[7] 第六章 最後の羽休め[マナティ](2013/06/04 03:49)
[8] 第七章 墜天の序曲[マナティ](2013/03/27 02:30)
[9] 第八章 もがれた翼[マナティ](2013/06/04 03:48)
[10] 第九章 崩壊、フリューゲルス遊撃小隊[マナティ](2013/06/08 23:26)
[11] 第十章 断たれた比翼[マナティ](2014/03/16 21:47)
[12] 第十一章 獄落鳥[マナティ](2014/03/18 21:40)
[13] 第十二章 瓦礫の海の天使たち[マナティ](2014/03/20 01:02)
[14] 第十三章 風は止み、流星は地に[マナティ](2014/03/22 15:28)
[15] 第十四章 されど疾風、そして流星の如く[マナティ](2014/03/23 07:50)
[16] 第十五章 眠り姫[マナティ](2015/02/22 21:47)
[17] 第十六章 戦わざる者、戦う者[マナティ](2015/03/16 08:07)
[18] 第十七章 星の少女は風の夢を[マナティ](2015/03/28 11:13)
[20] 第十八章 訪れた宿命[マナティ](2016/05/15 14:35)
[21] 第十九章 リューネという少女[マナティ](2016/08/23 22:59)
[22] 第二十章 今一度、暁の決戦を[マナティ](2016/08/28 15:28)
[23] 第二十一章 天と地と[マナティ](2016/09/04 21:27)
[24] 最終章 想い出の星空[マナティ](2017/01/17 12:51)
[25] 後書き[マナティ](2017/01/17 04:03)
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[36290] 第二十章 今一度、暁の決戦を
Name: マナティ◆a41a30e8 ID:68bc7cd0 前を表示する / 次を表示する
Date: 2016/08/28 15:28

 
   Ⅰ


 暗闇のなかで、アイビスは目を覚ました。

 あたりはまだ薄暗い。カーテンを閉めただけの暗さではない。どうやらまだ夜は明けきっていないようだった。

 身を起こすと、暗がりのなかでもやけに広々とした空間が見て取れた。ここがどこかはわからないが、少なくともハガネの中でないことだけは確からしい。ここまで広い部屋は艦長クラスですら与えられないし、キングサイズのベッドなど戦艦ではなおさらあり得ない。しかもシーツ全体が妙に埃臭く痛んでいた。

「目、覚めた?」

 声は窓のあたりから聞こえた。女の声である。三人がけの大きなソファに、横向きになって腰掛ける人影があった。背筋が描く艶やかな曲線、立てられた片膝とその上に乗せられた肘。暗がりの中に影絵のように浮かぶそれらの輪郭は、女豹のごとくあまりにたおやかだった。わずかに差し込む月明かりは逆光となり、窓際の彼女の顔に一層深い影を落としていたが、その中にあって鮮やかな紫水の瞳だけが闇の中でも幽かに光を発し、アイビスを優しく見つめていた。

「リューネ……?」

「おはよう、でもないか。気分はどう?」

「頭が痛い」

 そうアイビスがつい子供のように言ってしまったのは、リューネの声色が母のように優しかったからだ。

「ごめんよ、きっと薬のせいだ」

「薬……?」

「ジュースを奢ったでしょ? その中にね」

 リューネが人差し指と親指でCの字を作る。カプセル薬を表しているのか、それとも分量のことを表しているのか判断に迷ったが、あまり意味のある質問でもないのでアイビスは別のことを尋ねた。

「ここ、どこ?」

「ん? ええと、なんて言ったかな」

 リューネはテーブルの上から、なにやらパンフレットのようなものを取り上げた。

「ホテル・フェアモントサウスハンプトン。あたしも初めて来たけど、結構豪勢なホテルみたいだね。ゴルフ場まである」

「ヴァージニアのホテル?」

「ううん。バミューダ諸島」

「は?」

 リューネは淡々の事の経緯を説明した。いま二人がいるのは北大西洋、北緯32度、西経64度のバミューダ諸島。一応はイギリスに属する諸島であるが、地理上はむしろアメリカに近く、ヴァージニアから旅客機でも二時間程度の距離である。アイビスを薬で眠らせたのち、機動兵器を使ってここまでやってきたという。

「なにせいラングレーが落ちたせいで、バミューダ全域はいま避難指示が出ていてね。ちょっとした無人島ってわけ。だからこのホテルにも、あたしたち以外は誰もいない」

「どうしてあたしを攫ったの? いったい何が目的?」

「言葉は悪いけど、本命をおびき出すための餌になってもらうため。さっきアイビスの無線機を借りたよ。もうすぐここにサイバスターがやってくる」

「マサキが?」

「どっちかっていうと、用があるのはそっちの方でさ。これ以上、アイビスに危害を加えるつもりはないよ。大人しくしてさえくれれば、好きにしてていい。でも、お願いだから無闇に逃げようとしないで。これから機動兵器戦が始まるから、脅しじゃなく外は危ないんだ」

 懇願とすら言えるほど、なんとも控えめな脅し文句であったが、アイビスにしてみれば断じて聞き捨てならないことであった。

「機動兵器戦ってどういうこと。なんでマサキと戦うの?」

「別に不思議なことじゃないでしょ。DC所縁の人間がハガネ隊の撃墜王を恨むなんてさ」

 リューネはゆっくりと身を起こし、テーブルの上に置いてあったポットを手にとって、カップに湯を注いだ。カップの中にはすでにティーバッグが入れられていて、紐をつまんで適当にくゆらせる。カップは二人分あった。

「飲む? こんどは何も入れてない」

「……」

 アイビスはすこしのあいだ考えて、ベッドから降りた。リューネの向かい側のアームチェアに腰を下ろし、とくに迷うそぶりもなく片方のカップを引き取った。

「ハガネ隊のトップエースといったら二人いるらしいね。一人はエクセレンとかいう人で、これは表向きのエース。それともう一人裏のエースがいて、これがマサキ・アンドー。アイビスの隊長だったね」

「いろいろ難しい出自の人だから。軍人でもないし」

「そのマサキ・アンドーさんの撃墜マークの中に、あたしの親父がいてね。要は父親の仇なんだよね、一応さ」

「なに、一応って」

 思わず眼差しを鋭くするアイビスに、リューネは頭を掻いた。

「そう噛みつかないでよ。自分でも整理がついてないんだ。あたしね、フルネームはリューネ・ゾルダークっていうの」

 ゾルダーク。地球圏に住まう者にその名を尋ねれば、誰もが同じ人物を思い浮かべるだろう。ビアン・ゾルダーク。アイビスにとっても、雲の上の住人でこそあれ赤の他人ではない。超一流の科学者にしてDCの創設者。不世出の天才。カリスマの化身。連邦打倒による地球圏支配を目論見、結果、ハガネ隊によって討たれた巨星である。

 彼に一人娘がいるという話はアイビスも聞いた事があった。同時に、なぜリューネがDCの者ら全員にプリンセスのごとく扱われていたのかも。世が世なら、彼女は本当に地球のプリンセスになっていたかもしれなかったのだ。

「それでどうしてマサキ一人を狙うの? ビアン総帥の仇というなら、ハガネ隊全員がそうでしょ?」

「そう、全員さ。本当だったら折を見てブリジッダのところを抜けて、ハガネ隊に殴り込むはずだったんだ」

「一人で?」

「うん」

 あっさりというリューネにアイビスは心底呆れきった。

「正気?」

「さぁ、自分でも怪しいね。なんにせよプランタジネットが一区切りついてから、ようはラングレーの奪還が終わってからにするつもりだった。そう思って待ち構えていたら、いつの間にかラングレーが潰れて、ハガネ隊は半壊状態で、誰もろくに戦えない有様になっちゃっててさ」

 その知らせを受けて、当時のリューネはそれこそ困り果てた。戦えない戦艦と戦ったところで意味は無い。かといって相手の修復を悠長に待てるほど時間に余裕もない。どうしたものかと思いながら、ひとまず自分の目で状況を確認しようと現地入りのメンバーに潜り込んだリューネだったが、事態のおおよそは事前情報とさほど乖離していなかった。SRXチームもグルンガストも、機体の方はボロ雑巾同然で、パイロットも雑用に感けてばかり。落胆するリューネだったが、しかしたったひとつだけ嬉しすぎる誤算があった。

「都合の良いことに、本当に運命みたいに、あいつだけが無事だった。よりにもよってあいつだけが。ヴァルシオンのコクピットに火の鳥をぶちこんで、その手で親父の息の根を止めてくれた、あいつだけが」

 本当に、心から神に感謝するように、リューネは一言一言を噛みしめながら口にした。

「そしてあいつが目にかけるたった一人の部下と、あたしは出会うことができた。つまらないことだけど、恩人という形で」

「感謝してたよ、本当に。友達になりたかった」

「ありがとう。昨晩はあたしも楽しかったよ。あんなにおしゃべりしたのは久しぶりだった」

 掛け値なしの本心だった。昨夜のリューネは本心を悟らせないための演技でも、アイビスに取り入るための方便でもなく、本当に心からアイビスとの語らいを楽しんでいた。

「でもね、アイビス。あんたがあいつのパートナーだって知って、それがあたしなんかに好意を寄せてくれて、頼んでもいないのに、わざわざ人気の無い真夜中に声をかけてくれて。そんな嘘くさいくらいお膳立てされた状況が一人でに出来ちゃったとき、あたし思ったんだ。やるしかない、今しかないって。あいつと思う存分に、これ以上ないってくらいの条件でやり合える日は、きっとこの先一生来ない」

「来なくて良いんだよ。あんたがマサキに勝てるわけない。仮に勝ったとしてどうなるの? どんな良いことが起こるっていうの?」

 リューネは何も言い返さず、困ったような笑みを浮かべるばかりだった。それをみてアイビスは、もはや彼女の中に説得の余地が何一つない事を悟ってしまった。仇討ちに何の利もない事を、眼前の相手は理解していた。自分に寄せられる批判が正論であると、彼女は分かっているのだ。

「ブリジッダも同じようなことを言ってたよ。あの人は頭のいい人でね。親父のことはあの人にとっても、小さなことじゃぁ無かったはずなのに、それでも大局を見失わないで損得の勘定を続けられる。あたしも金勘定には自信あったけど、でもやっぱり根っこのところでは駄目なんだよ。思った以上に駄目だった。親父の死を知ってからというもの、ずっとずっとあたしの中の何かが言うの。このままでいいはずがないって」

「リューネ……」

「あの世で親父がどう思ってるかはわからない。死んだ人の気持ちをこうだと決めつけるのは好きじゃないし、そもそも親父の気持ちなんて知ったこっちゃないしね」

 実はそんなに仲良くも無かったんだよ、とリューネは気恥ずかしげに付け加えた。

「大事なのは、あたしがあれに何をしてやりたいか、だと思う。ろくな父親じゃなかった。まっとうな死に方が出来るはずもなかった。でも親父だった。パパ……なんて昔はあたしも呼んでて、十六年間を一緒に生きてきた。だったらさ、だったらせめて……」

 消えゆくように少女の語り口は途絶えた。あるいはリューネ自身、その先の言葉を見つけられていないのかもしれない。アイビスもまた、彼女にかけるべき言葉を見出せずにいた。

 顔を洗ってくる。そう一声かけて、リューネは席を立っていった。残されたアイビスは、ひとり天井を見上げた。薄暗い壁の向こうに、在りし日の父の背中が浮かび上がった。酒に溺れ、母を殴る男。欠片も尊敬できない父のその姿を、それでもアイビスは今もなお忘れていない。父の訃報を知った時、父の不健全な暮らしぶりを良く知るアイビスはさして驚きはしなかった。さもありなんと思ったし、ともすればざまをみろと思うところすらあった。それでも、彼女自身不思議でならないことに、一切の寂寥と無縁ではいられなかった。悲しいかと問われれば、そのときアイビスはやはり悲しかったのだ。

 顔を洗うと言って出て行ったきり、10分ほど過ぎても、リューネは帰ってこなかった。アイビスはあわてて立ち上がり、彼女の後を追った。洗面所は無論の事、トイレにも風呂場にもリューネの姿はなかった。

 あたしの馬鹿、と自らを罵倒するのもそこそこに、アイビスは部屋を飛び出した。エレベーターか、もしくは階段を探して上品な内装の廊下を遮二無二駆け抜ける。リューネは外へ行ったのだ。仇敵を迎え撃つべく、愛機の元に一人で。

 止めなくては。ただその一心で、アイビスは無人のホテルの中を走った。



 バミューダ諸島はもとより風光明媚な観光名所として名を知られているが、旧暦の頃から続く伝統あるタックスヘイヴンでもあり、金融関係者や富裕層らにとっても関わりの多い島である。しかし異星軍によるラングレー基地占領を契機に、現在この常春の島は地球連邦軍より全面的に避難指示が出され、全くの無人地帯と化していた。バミューダ島にも海軍・空軍用の基地が置かれていたが、中継基地としての側面が強く、保有戦力はラングレー基地の足元にも及ばない。ましてや、そのラングレーを占領してのけた異星軍に対抗できるはずもなく、バミューダ基地司令部は即座に基地の放棄を決意。異星軍がラングレーの制圧にかまけている間に、住民をまるごと空母の腹に詰め込んでイギリスにまで撤退したのである。

 当然、無人となった基地はこれ幸いにと異星軍によってあっさりと制圧されたが、ラングレー攻略戦の際、東方からの侵攻を担っていたシードラゴン率いる揚陸連隊が再度奪還し返していた。しかし作戦の都合上、揚陸連隊はそのまま西進を続け、しかもそのすぐ後にラングレー陥没という前代未聞の事態となったため、今もなおバミューダ諸島は放置の憂き目を見たままであった。

 そんなバミューダ本島の南部に位置している、ホテル・フェアモントサウスハンプトン。その正門玄関前に、まるで主人に傅くように膝をついている一体の巨人の影があった。

 全長およそ25メートル。白を主体色とした装甲、天使を模したウィング、同じく翼のようなショルダーガード。右手に携えられた重厚なライフル。過剰なまでに細身な四肢と、あまりに異様な頭部。

 DCAM-002 アーマード・モジュール・ヴァルシオーネ。

 アイビスの予想の通り、一人とっととホテルの外に出てきていたリューネは、暗がりのなかで跪くその女巨人の胎内にするりと潜り込んだ。慣れた様子でコンソールを操作し、セットアップを開始する。エンジンが駆動し、モニターに機体情報が映し出される。全機能、異常なし。異星人の襲撃により受けた損傷は完璧に修復されていた。

 異星人の襲撃といっても、それはアギーハら一派のことではない。DC戦争終結直後、父の訃報を聞いて一路地球を目指していたリューネはその中途で、アギーハらとはまた別の文明を持ち、彼女らに先駆けて地球へ攻撃を仕掛けてきたエアロゲイターと呼ばれる異星人部隊と遭遇した。シャトルを飛び出して孤軍奮闘した末なんとか撃退したものの、その時の戦いでヴァルシオーネは深刻な損傷を負う羽目となった。この一件を思い返すと、リューネは今でも口惜しくなる。あれさえなければリューネはもっと早くに、それこそL5戦役の真っ只中にでもハガネ隊に挑むことができただろう。

 なんの伝手も資金も無い小娘が、独力で機動兵器の修理など行えるはずもない。リューネに残された手段はたった一つ、かつてさんざんに後ろ足で砂をかけた忌々しい古巣に、恥も外聞もなくのこのこと顔を出すことだけだった。

 ブリジッダ・アンサルディは宇宙開発局時代からビアンの下で働いていた女性で、リューネにとってもかねてより面識のある人物だった。突如舞い戻ってきた家出娘にブリジッダはひとつも嫌な顔をせず、ヴァルシオーネの修理についても快く引き受けた。ただブリジッダも人格者ではあったが、決して無私の奉仕者というわけでもなく、修理を引き受ける対価として、リューネに自らの私兵となることを要求した。

 当時DCはビアンという大黒柱を失ったことで内部分裂の危機にあった。ビアン・ゾルダークの並み外れた求心力により、人種、思想、業種の別なく優秀な人材が集ったDCであるが、それだけに個々の繋がりや組織そのものへの帰属意識は薄く、主柱を失った際の瓦解の速度もまた早かった。組織を抜けるだけならまだしも、利己的な目的のためにDCを汚染・変質させようとする者らが跳梁しだすようになり、ブリジッダはバン・バ・チュン大佐の命のもとそういった不穏分子たちの内偵任務を担っていた。そんなブリジッダにとって、DCに属さず、それでいて亡きビアンの威光を全身に纏うリューネの存在は相応に価値のあるものだった。不穏分子の中でも短絡的な者らは彼女を手中に収めようと次々と彼女の周辺に現れてきたし、それらを一掃することで今少ししたたかな者達への牽制にもなる。またその非凡な身体能力と機動兵器の操縦技術により、時にはリューネ自身が反乱分子の制裁役を負うこともあった。余談ではあるが、つい先日にアラド・バランガが自らのパートナーと平穏無事に再会できたことにも、間接的ながらリューネの働きが絡んでいる。

 なんにせよそうこうしているうちにL5戦役は終結し、さほど間をおかずしてアギーハたち別口の異星人が地球圏侵攻を開始した。分裂だけは避けたものの相次ぐ再編により弱体化したDCと、L5戦役の被害により疲弊著しかった連邦軍が協調体制を取るようになったのは、当事者達の心情は別にして自然な成り行きであったのかもしれない。

 味方が敵に、敵が味方に。

 目まぐるしい時勢のなか、あらゆるものが移ろっていた。そんな中で、絶えずリューネの中に在り続けたたった一つの熱源がある。自覚したのは父が死んでからだ。しかし、本当のところはもっとずっと前からあったのかもしれない。物心つくよりさらに以前、自分という生命が、初めて父という存在に気がついた、その時からきっと……。

 機体のコンディションチェックを終え、リューネは肺に溜まるものを吐き出すように、大きく息をついた。思えば随分回り道をしてきた。長く機会を待ち続け、そして今ようやくその時が訪れたのだ

「長かったな」

 図らず、唇からこぼれ落ちる。

 ふとリューネは、機体の足元にある動体反応に気づいた。アイビスかな。拡大映像を出す前からそう検討付け、果たして予想は裏切られなかった。帰りの遅い自分を不審に思い、追いかけてきたのだろう。集音マイクを切っているため声は聞こえないが、ヴァルシオーネに向けて何事かを叫んでいるのが見て取れた。

 リューネは考える。もしあたしがマサキ・アンドーを殺したら、この娘はどう思うだろう。あるいは、もしあたしがマサキ・アンドーに殺されたなら……。

 不意に生じた惑いを、リューネはかぶりを振ってかき消した。リューネは思う。正誤も善悪も関係無い。あたしはあたしの心に従う。やりたいことをやる。

「下がっててアイビス。怪我しても知らないから!」

 外部音声をオンにして、リューネは言い放った。同時に推進システムを起動させ、スラスターに火を入れる。ヴァルシオーネの翼より巻き散らされた、猛烈な風圧をまともに浴びて、アイビスはたまらず倒れこんだ。

「ごめんね、アイビス!」

「リューネっ!」

 モニター越しではあるが、リューネはアイビスの顔をじっと見つめた。気の合う娘だった。話をしていて楽しかった。きっと良い友人になれた。そんな相手と、これが今生の別れとなるかもしれないことはとても寂しいことだった。無論むざむざと敗れるつもりはない。しかし覚悟だけはリューネは決めていた。

「謝って済む問題じゃ無いけど、本当にごめん! あのときあんたを助けるんじゃ無かったよ。あんたのためにも、あたしのためにもさ!」

 そういって、なおも叫ぶアイビスの声を振り切って、リューネはヴァルシオーネを天高く飛び立たせた。



   Ⅱ



 バミューダ諸島の中に、ポーツ島と呼ばれる小島がある。森と浜辺しかない小さな島で、資産家の別荘が建っていた頃もあったようだが、今日では異星人が来る前から無人島となっている。せいぜいシーズン中に観光客やダイバーを乗せたクルーザーが近辺を通る程度であった。

 島のサイズは直径200メートルほど。機動兵器に換算すれば12~3歩程度で横断できる大きさである。決して広くはないが、困るほど狭くもないその微妙な間合いに、マサキ・アンドーは自身の経験と照らし合わせてボクシングのリングを思い出した。

 時刻は午前四時を回ろうとしていた。まだ朝と呼べる空の色ではないが、水平線の彼方がわずかに赤らみを帯び始めていた。夜明けは近い。

 サイバスターがポーツ島にたどり着いた時、そこにはすでに先客がいた。呼び出されたのだから迎えがいるのは当然の事であるし、その正体もマサキの予想に違わなかった。

 あの鎧を纏う女巨人。その巨人はヴァルシオーネと名付けられているが、マサキはその名を知らなかった。ただその異様な外観と、無駄とすら言えるほどの運動精度を知るのみだ。

 天然のリングの上で、サイバスターとヴァルシオーネは差し向かいに対峙した。かたや魔装機、かたやアーマード・モジュール。設計者も開発元も異なり、外観から内部構造に至るまで一切の技術的共通項を持たない二機。だというのになぜだろう、並び立つ二機の姿は、まるでそれがごく自然の情景であるかのように、一つの絵画として完成されていた。

「昼にも思ったけどよ。いい趣味してんな」

 挨拶がてら、外部音声でマサキは軽口を叩いた。無視されるかとも思ったが、返答はあっさりと返ってきた。

「そりゃどうも。でも、別にこの娘を自慢したくてあんたを呼んだんじゃない」

 この娘ときたか。気を滅入らせつつもマサキは、眼前の機体の唇が、パイロットの音声に連動して動いたりしなかったことに安堵した。

「まず先に言っておくけど、この件は完全にあたしの個人的な問題でね。DCが連邦と協調態勢を取っているのは本当。今回あんたらを助けに来たのも本当。あたし一人が、私怨にかまけてこうして馬鹿をやっているわけ。あとあと事情聴取の場があるだろうけど、犯人の供述内容として覚えておいてね。あんたが生きてればの話だけど」

「おめえさんの都合なんざ知らねえよ。俺はただ帰りの遅い不良娘を迎えに来ただけだ。どこにいる?」

 言葉の代わりに、地図が送られてきた。連邦とDCの機体で通常行えることではないが、有事の際の連携のため、現時点でハガネ隊唯一の戦力であるフリューゲルス小隊と、DC救援部隊の間では制限付きのネットワークが構築済みとなっていた。

 マサキから見て三時方向、本島南部に位置するリゾートホテル。地図だけを見ても、ゴルフ場、テニスコート、海水浴場と結構な設備と土地を有していることがわかる。

「こらまた豪勢なところだな」

「なにせい縛ってもいないから、大人しくしててくれてるかはわからないよ。案外、今もこっちに向かっているかもしれない。でもまぁ船なんかないだろうし、本島に撃ちこみさえしなければ問題ないってわけ。気をつけようね、お互いにさ」

「誤射が怖いなら、そもそも撃たないのが一番だぜ」

「悪いけどそうもいかないんだよ。なにせ、ずぅっと待っていた。今日、この日が来るのを」

 右手にぶら下げていたライフルを、ヴァルシオーネはゆったりと持ち上げた。銃口がサイバスターの下から上を舐め上げるように通り過ぎ、そのままヴァルシオーネの肩にどすんと乗せられる。あからさまな示威行動だった。

「怨みを買うにしても、心当たりが多すぎるぜ。聞かせろよ、お前いったい誰なんだ」

「あたしの名前はリューネ・ゾルダーク。これでわかってもらえる? 裏撃墜王」

「……親父さんの復讐ってわけか」

「そういうこと。さ、やろう」

 今度こそ、ヴァルシオーネの銃口がサイバスターに突きつけられた。それを前に、マサキはいまだサイバスターに戦闘態勢を取らせない。アイビスのことさえなければ、マサキにリューネと一戦を交えるメリットなどない。とりわけ両者は形の上のみであっても、ハガネ隊とDCにそれぞれ所属する身である。政治的な意味でも、あとあと面倒なことになることは火を見るよりも明らかだった。

「何の罪もねえ親父さんじゃぁなかったと思うがな」

「安心してよ。口が裂けてもそんなこと言わないから」

 苦し紛れに説得も、ほんの数言で斬って捨てられる。リューネにしてみれば、その手の話はすでに飽きるほど繰り返されてきた議論だった。時にはブリジッダと、多くは自らの中で、寝る時以外ずっと。いまさら蒸し返すものなど何もない。

 ヴァルシオーネの推進機関が呼吸を開始する。ウィングが左右に展開され、即座に女巨人の両足が風に舞う風船のようにふんわりと地を離れた。テスラドライブ……かどうかはわからないが、並みの飛行性能ではないとそれだけで見て取れる。

「よせっつってんだろ……!」

「聞けないね……!」

 放たれた荷電粒子を、マサキはすんでのところで躱した。それを合図に、サイバスターとヴァルシオーネは幾つか牽制を応酬しつつ、同時に天へと昇った。



 放浪時代に取った杵柄が、こんなところで役立つとは思わなかった。ホテルの事務室からドライバーなど幾つかの道具を拝借し、アイビスはホテルの駐輪場に移動して、駐車されっぱなしになっている一台の大型バイクに目をつけた。よし、とアイビスは胸の内で首肯する。大型二輪の免許などないが、幸い運転の経験には困らない。ついでに鍵を持たずしてエンジンをかける技についてもだ。バイクのすぐ横であぐらをかき、アイビスは懐からペンチとドライバーを取り出した。

(なんだか懐かしいな)

 そんな場合ではないとわかりつつも、ふと郷愁の念が湧いた。こうしてみると便利だとは思うのだが、他人にはとても自慢できるものではない。しかし、あの頃のアイビスの特技といえば、鍵なしでバイクを動かす方法、電車を無料で利用する方法、効率的な物乞いの仕方など、そういうものばかりだった。そんなことだから、学歴を手に入れるべくHiSETテストの願書を提出するとき、特技欄の記入に大いに苦慮したことを覚えている。

 数年のブランクにより腕が錆び付いていることもあれば、バイクの規格も微妙に変わっており、エンジンの掌握はやや難航した。あれこれと試行錯誤しながら、アイビスはすでに始まっているかもしれない二人の戦いのことに思いを巡らせた。

 アギーハとの戦いで砕かれてから、サイバスターの長剣はいまだ修復が完了していない。しかし、かといってやすやすと遅れをとるマサキでもない。自分という足手纏いさえいなければアギーハにだって負けることはなかった。リューネの腕前がいかほどのものであれ、マサキが勝つという一点においてはアイビスは全く不安を持っていなかった。しかしリューネの身に一切の危険を及ばさず、あの女巨人だけを確実に戦闘不能へ追い込められるほど、両者の実力に開きがあるようにも思えなかった。

 ならばやはり、二人を戦わせてはならない。思うと同時に作業が終わった。サイドスタンドを起こし、アイビスは威勢良くバイクにまたがった。スターターを押して、エンジン駆動。重々しく排気音が嘶く間に、ミラー調整。ギアをローに入れ発進、すぐにギアを最高速まで持っていく。

 かくして一台の大型バイクは風となり疾走し、猛烈な勢いでホテルの駐輪場を飛び出していった。



 朝と夜のちょうど境目となる藍色の空を、二筋の流星が飛び交っていた。

 開戦から今に至るまで、状況は射撃戦の様相を呈していた。

 女巨人ヴァルシオーネは、ヴァルシオンの流れを汲みつつもはっきりとその運用目的を異ならせている。ヴァルシオンが典型的な重砲戦型特機であったのに対し、ヴァルシオーネは軽快さとスピードをこそ本領とし、最高速度こそサイバスターには及ばずとも、それでも藍色の空を自在に駆けるサイバスターを見失うことなく、隙を見つけては間断なき射撃を浴びせかけていく。

 やりやがる。

 マサキはそう素直に感じた。エクセレンのような嫌らしさはないが、外連味のない率直な戦い方をする。かといってマニュアル通りというわけでもないし、所々で勘も冴えている。

 しかし火力不足は歴然であった。携えているビーム砲はそれなりの出力のようであったが、サイバスターの結界装甲の前では涼風に等しい。その特機とは思えぬ非力さは、逆にマサキの判断を迷わせる。普通の相手ならば隠し球を警戒するところだが、相手は見ての通り普通ではない。外見しか見所のない趣味機が、申し訳程度の武器を持っただけ……という可能性も今ひとつ捨てきれない。

 関係ねえ。マサキは断じた。隠し球を持とうと持つまいと、とにかく機体とパイロットが得意とするのは射撃と見た。ならば、やることは決まっている。

 慣性を蹴り飛ばして急速反転、まさしく迅雷のような勢いでマサキは敵手との距離を詰めた。徒手空拳であるが、接近速度が迅雷であるのなら、そこから繰り出される拳もまた稲妻である。ましてや敵の痩身を思えば、撃退するにあたりなんの不足もない。かくして放たれたサイバスターの右拳は、寸分たがわず相手の顔面にまで伸びきって、そして空を切った。

「……!?」

 尋常でない衝撃音と共に、サイバスターのコクピットが上下に跳ね上がった。メインスクリーンに罅が入り、そこかしこで砂嵐が巻き起こる。なんだ、なにをされた。躱されたことだけは確かなようだが、そのことは全くマサキの理解の外にあった。

 マサキはリューネの反撃をくらったのである。サイバスターの右腕を内側に躱しざま、ヴァルシオーネはそのまま半身になって、右肘をサイバスターの顔面に鉄杭のごとく突き刺していた。角度、タイミングともに完璧すぎる激烈なカウンター。彼我の相対速度による合力をまともに喰らい、サイバスターの顔面は見るも無惨に粉砕された。

 マサキの理解が追いつくよりも早く、すでにヴァルシオーネは次の一手に動いていた。ためらいなくライフルを投げ捨てたかと思うと、ウィングを吹かせて身を翻し、弓のようにのけぞるサイバスターの背後へと鮮やかに回りこんだ。ついでサイバスターの腰を蝶番のごとくクラッチ、そのまま後方へ一気に反り上げる。あっという間に天地を逆転させ、頭上のポーツ島目掛け、あろうことかサイバスターを抱えたまま全速急降下した。

 空中ジャーマン・スープレックス、とでも名付けるべきか。それを他人事として目撃したのなら、マサキは驚きを通り越して呆れ返っただろう。機動兵器でプロレスをやるなど正気の発想ではない。しかしその異常発想の持ち主はこうして存在していて、他でもない自分にそれを仕掛けていた。

(違った。射撃屋なんかじゃぁなかった、こいつは)

 全くの未体験な戦法になす術なく、マサキと彼の乗るサイバスターは猛烈なスピードでポーツ島の大地に追突した。



  Ⅲ



 隕石が落下したかのような尋常ならざる衝撃音と、アイビスが本島北の海岸道路にたどり着いたのはほぼ同時のことだった。ポーツ島とアイビスのいる本島は、幅800メートルほどの内海に隔たれているが、それでも決して小さくない振動が届き、アイビスは危うくバイクを転倒させるところだった。

 なんとか無事にバイクを路肩へ停車させ、海の向こうの震源地へとアイビスが目を向けたとき、そこには目を疑う光景が広がっていた。

 天地逆転して地面へ突き刺さる二体の機動兵器。どこか漫画じみた滑稽ささえ思わせる、奇怪なオブジェが島の中央に厳然とそびえ立っていた。

「マサキ……」

 アイビスが呆然と呟く間にも、そのオブジェの片割れにして仕手のヴァルシオーネが、するりと風に舞うようにサイバスターの背中から離脱し、改めて両の足で地面を踏み直した。支えを失ったサイバスターは後頭部と後ろ首のあたりから火花を散らしながら、そのまま地響きを立てて地面に倒れこんだ。さしものサイバスターもかような荒技をまともに受けては悶絶を免れない。俎上の鯉も同然なその姿に、リューネは躊躇なく止めを刺そうとした。ヴァルシオーネの両腕が、まるで気功でも放たんとするかのように前に伸ばされる。

「やめて、リューネっ!」

「……」

 本島海岸のアイビスが何を叫ぼうと、操縦席のリューネには届かない。それでなくとも彼女の心は今、彼女自身が戸惑うほど絶対的な静けさの中にいた。勝利を確定させた今に至って、なんの情動も湧かぬこの心はなんなのか。

 考えるのは後だ。いまは止めをくれてやるのみ。腕相撲のときと同様、まるで真冬の湖水のように暗く澄み切った眼差しで、リューネは死に体のサイバスターへと向けてシーカーをロックした。

 しかし止めの一撃が充填されきる前に、サイバスターの周囲で小さな閃光が二つ弾けた。サイバスター擁する浮遊砲台ハイ・ファミリアが、動けぬ主人に代わって敵を牽制すべく出撃したのである。

 反射的にリューネはヴァルシオーネを後退させた。あらぬ方向から幾筋ものビームが降り注ぐ。さほど威力はないように見えるが、ヴァルシオンと異なりなんら防御バリアを持たないヴァルシーネにとっては好んで浴びたいシャワーではない。

 その間隙を縫って、サイバスターはやや覚束なさそうにしながらも立ち上がっていた。リューネは相も変わらず凍てついた眼差しのまま、しかしにやりと大きく口の端を釣り上げた。後退、即、前進。ヴァルシオーネが大地を蹴る。隼のごとく地を這うように疾走し、ハイファミリアの掃射をくぐり抜けつつ、サイバスターの間合いの内へ一息に肉薄する。

 まずい。そう思いながらも、マサキは顔面に繰り出された拳をなんとか躱す。ご丁寧にも竜頭の形に組まれていた拳に形にぞっとしながらも、続いて繰り出された左のボディーブロー。右腕で防ぐ。さらに続くまたもや顔面狙いの三撃目。これも躱す。

 三連のコンビネーションを防がれ、リューネは即座に間合いを取り直し、油断なく相手を見据えた。対して、見据えられるマサキは疲れたように息を吐いた。上下に散らされたお手本のような連打に対し、視界が効かない中こうも鮮やかに防げたのは、それがマサキとっても慣れ親しんだ動きであったからだ。

 レスリングの次はボクシング。ついでに拳の形には空手の要素も入っていた。

(なんつー、おっかねえ女だ)

 修復はすでに始まっているが、顔面の損傷は未だ激しく、今のサイバスターは視界が6割ほどしか効いていない。格闘戦において極めて不利な状態であるが、むしろマサキは同じ状態で空中戦へ移行するよりはまだましという見方をした。サイバスターに止めを刺そうとした時の仕草から、敵は銃以外の、おそらくは内蔵式の火砲を切り札として隠し持っている。空中で、モニターの視界外からそれを使われてはたまったものではない。そして当然ながらそれは地上でも同じことが言え、その危惧の通りに、ヴァルシオーネはさらに後方へと身を滑らせ、先刻と同じように両掌を前に突き出す構えをとった。

 そうはさせじと今度はマサキの方から間合いを詰める。まんまと誘いに乗った敵手に向けて、リューネは即座に構えを切り替えた。足を踏み出し、半身の体勢をとる。初手と同様に肘鉄のカウンターを狙ってのことだが、その痛みを体で知るマサキにしてみれば二番煎じでしかない。 

 慣性を無視した急ブレーキに、必殺の肘はあえなく空を切った。よもや一度で見切られるとは思わなかったのか、どこか驚愕に歪んでいるように見えるヴァルシオーネの表情を薄気味悪く思いつつ、マサキは今度こそその顔面めがけて渾身の左拳を打ち込んだ。

 果たして左拳は狙い違うことなくヴァルシオーネの右頬に突き刺さった。ようやく成し遂げられた会心の反撃に喝采をあげるマサキであったが、しかしマサキが眼前の敵の恐ろしさを思い知ったのは、まさにこのときであった。

 先刻のサイバスターの写し絵のように、弓のごとく上体を仰け反らせるヴァルシオーネ。それに追従するように彼女の両足も宙高く持ち上がり、その不自然な挙動にマサキが疑念を持つのと同時に、あろうことかサイバスターの左肩から顎にかけてをがっちりと咥え込んだ。

「ふざけろ、こいつっ……!」
 
 跳び付き腕拉ぎ逆十字固め。技としては知っていても、機動兵器戦でなどお目にかかったことはない。ましてや殴られると同時に反撃として繰り出すなど、生身の格闘技においても前代未聞である。両腕と両足でまんまとサイバスターの左腕を絡め取ったヴァルシオーネは、そのままスラスターの力も借りてぐるりと左右に身をひねった。重心を崩されるがままサイバスターは転ぶように一回転し、再度背中から地面に倒れこんでしまう。その轟音と衝撃に一切たじろぐことなく、ヴァルシオーネはサイバスターの左肩関節を完全に極めきり、その上でさらに左腕を引き続けた。機械とはいえ人型である以上、サイバスターの関節にもまた可動領域限界はある。装甲と比してのその脆弱さについてもまた、残念ながら人体のそれを踏襲せざるをえない。

 マサキが意を決するまで、数秒の間があった。白兵を主戦法とするサイバスターが片腕を失うことは、戦力の半減につながる。しかし敵が内蔵式の火器を切り札として持つのなら、片腕を犠牲にしてでも一秒でも早く今の状態から離脱しなくてはならない。

 逡巡はほんのひと時に抑え、マサキはサイバスターのエーテルスラスターを全開にした。飛び上がろうとする五体と地に押し付けられる左腕。相反する作用がサイバスターの左肩一点に集約される。彼の騎士が何よりも誇る絶大な加速力が、そのまま致命的な応力となって彼自身の肩関節を瞬く間に粉砕した。その激しくも生々しい破壊音を克明に聞き捕らえながらも、戒めをほどいたマサキはそのまま遮二無二にサイバスターを空中へと退避させた。

(そんな馬鹿な……)

 対岸にて一部始終を観戦していたアイビスは、信じられない思いだった。痛々しくも片腕を引きちぎられたサイバスター。彼の騎士がこれほど強かに傷つけられる様を、アイビスはこれまで一度として見たことがなかった。

 戦慄するアイビスをよそに、まんまと獲物を取り逃がしたはずのヴァルシオーネは、どこか悠然と立ち上がった。小脇に抱えていたサイバスターの左腕を、これみよがしに放り捨てる。

「ようやくここまでこれた」

 コクピットの中で、どこか満足げにリューネは呟いた。

「やっと親父に追いつけた……」

 リューネの言葉はマサキには届いていないが、届いたところでその言葉の意味など少年には分かるまい。かつてアイドネウス島でビアン・ゾルダークと対峙した時、いまと同様に左腕を奪われていたことなど、マサキは覚えてすらいなかった。

(正直油断はあった。敵の戦法の予備知識もなかった。けどそれにしたって……ええい!)

 モニターの各所に視線を走らせ、機体の破損状況を確認しながらも、マサキは内心で盛大に地団駄を踏んだ。左腕は完全に脱落。視界の回復はまだ7割といったところ。端的に言って散々な状況だった。ここまで苦戦するのはいつ以来か。敵の格闘性能は異常なまでに多彩すぎた。

 PTにせよAMにせよ、武器として剣や槍を持つ機体は珍しくない。中には拳をもって戦う機体だってあるだろう。だが機動兵器はあくまで機動兵器であって、所詮人間そのものではない。たとえどれほど白兵に長けた機体であろうと例外なく、そのモーションは常に一定のパターンしかないはずだった。剣を例にするのならば唐竹から刺突までの九つの斬撃方向があり、そこから彼我の距離、方向、高低差、また自機の体勢によっていくつものパターンに枝分かれしていく。そこからパイロットの手で、あるいはコンピューターによる自動制御によって、状況に応じた最適のモーションを選択していくのが、地上製機動兵器における格闘戦の要諦だった。

 だがヴァルシオーネの動きは類型の蓄積でどうにかなるような域では到底ない。ここまでの一連の攻防、もはや一切の冗談抜きに、生身の巨人と戦っているようにしかマサキには思えなかった。

 思考制御か、あるいは身体連動か。マサキは相手の操縦系統についてそう見当付けた。操縦者の思考もしくは運動、どちらかにダイレクトに直結する操縦方式でなければ、あの格闘性能は叶わない。

 地上において思考制御や脳波コントロールは存在しないわけではないが、まだまだサブシステムの域を出ない。しかし身体連動においては話は別で、マサキが直に知る中では、ビアン・ゾルダークの遺作の一つであるダイゼンガーがその方式を採用していた。あの女巨人が同じくビアンの作によるものなら、同様のシステムを使っていてもおかしくはない。

 そう考えれば、あの女巨人が不自然なまでに人体を忠実に模しているのにも納得がいく。この女巨人の運動性能は、すべて搭乗者の運動能力を忠実に再現するためのものなのだ。結果、同じ操縦方式を採っていても、女巨人の格闘能力は膂力こそダイゼンガーに劣るだろうが、柔軟性と精度においては比べ物にならないレベルに達していた。

「要するに、だ」

 自らに言い聞かせるように、マサキはあえて口に出した。

「地上のマシンと戦うつもりじゃぁ、駄目ってこったな。お前さんとやるときは」

 そうして不敵に笑う。半ば意図しての強がりであるが、それだけというわけでもない。不意打たれ、深刻に痛めつけられはしたが、それと引き換えに敵戦力のおおよそを把握することができた。ならばあとはやりようである。

 確かに敵の白兵戦能力は脅威に値する。人の武を武装とする機体など、地上においては滅多にお目にかかれるものではない。しかし、あくまでそれは地上に限っての話だ。

 マサキはサイバスターに地上に降ろし、構えを取らせた。残る右腕を腰溜めにし、左半身を前にして若干半身の姿勢をとる。地上の空手道における正拳突きの準備姿勢に近い。片腕を失っておきながら、なお白兵を挑もうとする敵手の姿に、リューネは眉を顰めた。

(勝てると思ってるの? 片腕で)

(勝ってみせるさ。片腕でな)

 視界が回復するのを待って、魔術戦・射撃戦に移行する手もあるが、マサキはそれを選ばなかった。眼前のこの敵であれば、必ず乗ってくるという確信……というよりは奇妙な信頼があった。ほんの僅かな攻防の中、機体越しに発せられる彼女のプラーナと触れ合うことで、マサキもまたアイビス同様に彼女の内からなにかを感じ取ったのかもしれない。

 そしてなにより、いつだって彼の胸の奥に宿る掛け替えない日々の記憶がそうさせる。忘れ得ぬ日々、第二の故郷、師にして義父たる剣豪からの手ほどき、中国拳法を操る同士、ムエタイを極めた不良坊主、反目し合いながらも互いに切磋琢磨しあった寡黙な剣士。彼らと来る日も来る日も訓練に明け暮れたあの日々にかけて、この一戦、断じて撃ち合いに逃げるわけにはいかない。

 マサキは思う。さぁ来い。そして思い知らせてやる。

 機動兵器で武を競うなら、一日の長は俺たちにあるのだと。



   Ⅳ



 フリューゲルス小隊が結成されてから、まだ間もない頃の話である。「ハガネ隊、全小隊全撃破」という向こう見ずな目標を掲げて、来る日も来る日もひたすらシミュレーター訓練に明け暮れる日々。その目標を完遂するにあたって最後の砦となったのは、ハガネ隊最強、つまりは「地球圏最強」の呼び名も高きかのSRXチームだった。
 その日の模擬戦の推移をアイビスはよく覚えている。サイバスターとSRX。互いに戦略級の火力を持つ機体同士、彼らのぶつかり合いはそれこそ天を裂き、地を砕く勢いで熾烈を極めた。そんな死闘の末、ついにSRXを下すに至ったサイバスターであるが、二機の最後の攻防はそれまでにさんざん繰り広げられた大規模エネルギーの応酬に比すれば、実に地味なものだった。

 模擬戦が終わった後、明らかに格上であるヴィレッタ機の抑えを担わされたことで心底くたびれきっていたアイビスに、マサキはしたり顔で言ったものだった。

「火力をぶつけるだけが機動兵器戦じゃねえってことさ。お前もやれとは言わねえが、知っとくだけはしときな。いよいよというときは、本当にこいつが最後の手段だ」

 そして現在、アイビスの眼前には奇妙な光景が広がっていた。西方より銀騎士サイバスター。右拳を脇下まで引き、甲部を下向きにした姿勢。膝は深めに曲げられており、まるで翼の存在を忘れたかのように、ずっしりと構えている。空手道における正拳突きの準備姿勢に似る。

 東方より女巨人ヴァルシオーネ。両拳を目の高さに、手の平側をやや相手に向けて開く。膝の位置は高く、前足の踵がやや浮く。ムエタイ、または米式軍隊格闘術の構えに似る。

 どちらもおよそ機動兵器の定石からはかけ離れた、あまりにも人間染みた立ち姿だった。模擬戦闘訓練でも白兵主体のシチュエーションはいくらでもあったが、ここまで生身の格闘技に酷似した形になったことはない。機動兵器での肉弾戦など、本来あってはならない。しかしいつだって、肉弾戦こそ真に最後の手段。現にそうやってマサキは、あの三位一体の巨人を間一髪の差ながら打倒し得たのだから。

(次で決まる)

 理解の及ばぬ戦況を前にしながら、それでもアイビスはそう察した。

 構えから予想の付く通り、先手を取ったのはヴァルシオーネの方だった。左足一足で間合いを整え、そのまま腰を切っての、全体重を乗せた渾身のテッ・クワー(右回し蹴り)。左腕を失い、がら空きとなったサイバスターの左脇腹に、鞭の如くしなりながら襲いかかる。

 胴体まるごと両断せんとするかのような、その脚の形をしたギロチンそのものに、マサキは図らず、懐かしい知己と思わぬ再会を果たしたかのような暖かみを覚えた。

(覚えてるぜ、ティアン)

 ヴァルシオーネが踏み出すと同時に、サイバスターもまた初動を開始していた。こちらは脚を踏み出すことなく、しかし力の行き先を変えるべく、わずかに踵の位置をずらす。今はないにしても気持ちの上で左腕を引きよせ、腰を回す。体幹を芯とした、小さな竜巻をイメージする。

(さんざんサンドバッグにされたもんな。訓練でよ)

 肉体は機械の如く合理に、

 心はあくまで敬虔に、天地万物への祈りを込めて。

(でも、一度だけ勝てたよな。こうやってさ)

 サイバスターの右拳が唸りを上げた。本来、敵の胸元へ突き刺さるはずの一撃は、わずかにずらされた踵により方向を違える。剛健たる正拳は、そのまま渾身の右フックへと転じ、迫り来るヴァルシオーネの右脚部を真正面から迎え撃った。通常であれば愚挙以外の何者でもない。蹴りに打ち勝つ拳などありえない。しかし彼の機体は魔装機神、常識などいとも簡単に覆す。

 我、天神地祇に願い奉る。

 幸えたまえ、護りたまえ。

 拳と脚が激突するその寸前、サイバスターの右拳が神秘なる光を発した。文字通りにそれは「神を秘める」光であった。武を武たらしめるは身体各所の連動が生み出す運動エネルギー。そこに魔力を加えるのがラ・ギアス流。そして、さらにそこに精霊の霊子エネルギーをも加わえ、究極の一撃とせしむるのが神祇無窮流。

 ムエタイ王者の経歴を持ち、ゆえに格闘を主体とする超接近戦では隊内無敗を誇ったかつての戦友。彼との訓練で負け続きなことに業を煮やし、意趣返しを果たすべく剣皇ゼオルートから突貫作業で仕込まれた、その空拳術初伝の一。

 名付けて天罡星拳。武術と魔術、そして精霊エネルギーが三位一体となって織りなす正拳にして魔拳。その一撃は彗星の如く尾を引きながらまっすぐにヴァルシオーネの右脚部にぶちあたり、そして物の見事に粉砕してみせた。



 あるいはマサキ以上に格闘技に精通するがゆえに、リューネの混乱は甚大なものだった。なにが起こったのか分からない。蹴りに打ち勝つ拳など、本来あり得ない。だというのになぜヴァルシオーネの足の方が砕けているのか。

 混乱に打ちのめされながらも、リューネはそのまま機体を無様に倒れ伏させるようなことはさせず、反射的にではあるがヴァルシオーネの翼を吹かせて離脱の動きを取らせた。十分すぎるほど迅速な対応であり、並の相手であれば仕切り直しの状態にまで難なく持っていくことができただろう。

 しかし相手は風の魔装機神。翼を競わせて、敵う道理がない。後退するヴァルシオーネに電光石火に追いついたサイバスターは、捕らえた彼女の左足を勢い良く振り回し、先のお返しと言わんばかりに、そのまま地面へと叩きつけた。

 かろうじて後ろ受け身を取るも、それでも尋常でない衝撃の威力がヴァルシオーネの背中から全身を駆け巡った。上下に揺さぶられるコクピット内で、モニターの一角が真っ赤になってけたたましく警報を鳴らす。後部各所の損傷、なかでも背部ウィングの破損を知らせるアナウンスに、リューネは仁王もかくやという形相で歯を食いしばった。

 瞬く間に大勢は決した。飛行能力を失い、片足を破損させたヴァルシオーネにもはや勝ち目はない。リューネの理性は冷静にその事実を認めたが、しかし理性に従うのなら、正しさを求めるのなら、そもそも彼女は初めからこんな場所に来ていない。

「負けない」

 リューネは呻くようにいった。

「負けられない……」

 理性の訴えになど耳を貸さず、感情が求めるまま、心が迸るまま、なおもヴァルシオーネを立ち上がらせようとする。たとえ片足を砕かれようと、リューネにとってそれは戦いをやめるに値することではなかった。破損した箇所はいくらでも修理できる。しかし、太陽が西から昇ろうが、もはや元には戻らぬものがあった。

 ここまでのダメージと慣れぬ技を使ったことで、マサキの疲労も小さいものではない。マサキはうんざりするようにリューネを諌めた。

「いい加減にしとけよ。もう決着はついただろ」

 構わず、リューネはヴァルシオーネを起き上がらせた。翼を失い、片足を失ってはもう立つこともできない。機体は尻餅をついたままであるが、それでも身を起こし、上半身のみで戦闘態勢を取らせる。

「ふざけるなよ。そんなざまで何ができるってんだ!」

 声を荒げるマサキに、リューネは答えるのも愚かと口を開きすらしなかった。代わりに、あるいは少女の執念が乗り移ったかのように、女巨人の双眸がなお挑むようにサイバスターを睨みつける。

 その眼差しが、マサキのなかでふと沸き起こった過去の情景と重なりを見せた。あの忌まわしい記憶。一人の少女の精神を徹底的に追い詰め、結果、小隊の破滅にまで至ったあの試験飛行の日。親の仇のように浴びせられる怨嗟の声、射抜くように真っ直ぐな瞳、一心に注がれる怒りという怒り。いまリューネが発するものと全く同じものが、そこにはあった。

 サイバスターに乗っていればこそ、マサキの動揺は外には表れなかった。しかしこれが生身であれば、あるいはマサキは気圧されるように一歩後ずさっていたかもしれない。いま彼は、忌まわしい過去と対峙していた。

(親父……)

 対してリューネの精神は、動揺とは全く真逆の状態にあった。

(親父、親父、親父……!)

 胸中には、ただその二語だけがあった。

 いまは亡き父は、力に溺れた人間だった。革命家としての自分の力に気づき、自らの正義、自らの理想を世に拡散しようとした。しかし悲しいことに、世に暮らす人々の内にある同じものは信じなかった。自らが立たねばならぬと、自分が世界を導かなくてはならないものと思い込み、多くの人を巻き込み、より多くの人々を不幸にして行った。そうしてついに、自分よりももっと大きな力に敗れた。

 その死に顔をリューネは知らない。シュウ・シラワカの残したデータにもなかった。しかし想像することはできる。きっと、あの親父は嘆いたりなどしなかったのだ。自分を凌駕する存在が現れたことに対して、さぞ満足そうに、役目を果たしたような顔をして死んでいったに違いないのだ。人々は彼を悪と貶し、また別のところで不世出の天才とも称するが、リューネはあれほど馬鹿な男を他に知らない。

「復讐のためなら死んでもいいってか。はっ、親思いなこったな」

「……」

「けどそんなことじゃてめえは……ええい、誰のセリフだこれはっ!」

「……」

「おい、もうやめろっつってんだろ! なんだったら再戦だって受け付けてやるから、とにかくいまはもうやめろ! 仇の言うことなんて聞く耳持たないかもしれねえがな、復讐だのなんだのに拘ったって間違いなくてめえに良いことなんざ一つも無えんだ!」

「良いことをしたくてやってんじゃない!」

 こらえきれず決壊したかのように、それこをリューネは張り裂けるように叫び返した。

「正しいと思ってなんかいない! でも、やらずにはいられないんだよ! 仕方ないじゃないか! 戦わずにいる方が、もっともっと苦しいんだ!」

 でまかせで無しに、父の死を知ってからというもの、リューネは己の身に巣食うものに苦しみ続けてきた。

 彼女は父を奪われた。しかし父もまた多くを奪ってきた側の人間だった。地球圏の支配を完了すべく各所に勢力図を伸ばしていく過程のなかで、きっと数え切れないほどの犠牲を生み、悲しみと憎しみを生んできた。ビアン・ゾルダークの名は、おそらく未来永劫一大テロリストの首魁として歴史に名を残すだろう。

「あんたらが正しかったのさ! きっと親父自身、地獄でそう思っている! でも、だから何さ! あれはあたしの親父だ! なら、あたしが怒ってやらないでどうするの!」

 父の悪を理解しながら、それでもリューネは納得しきることはできなかった。だって奪われたのだ。なら怒らなくては。父とDCによって奪われてきた人々と同様に、家族を、肉親を、一人の男、ひとつの生命が失われたことを悲しみ、怒らなくては。

 ビアンの死後もDCは続いている。ブリジッダやバン大佐をはじめとする、父の跡を継ぎ理想を叶えようとする者たちがいる。テロリズムは抜きにして、科学者としての実力と実績を純粋に讃える声もまた、今でもそこかしこから聞こえる。しかし、リューネは思う。そうではない。そうではないのだ。

 なぜなら彼女は知っている。おそらく今となっては彼女だけが知っている。稀代のテロリスト、超一流の科学者、そんな大層な肩書きとは一切かけ離れた、肉親だけが見ることのできたビアン・ゾルダークの本当の姿を知っている。美しく聡明な妻に頭が上がらず、それだけに彼女を失ったことに意気消沈とし、反動で一人娘を溺愛し、その一人娘が反抗期を迎えた際には、そのわがままぶりに頭を悩ませるばかりで……。そんなどこにでもいそうな一人の平凡な男の姿が、いまとなっては彼女の思い出の中だけにある。

 だからこそリューネは立たねばならなかった。幾千幾万の良識ある人々がハガネ隊の正義を訴え、思うところある者ですら大局と時勢を鑑みそれを飲み下そうとしていても、しかし彼女だけはその思い出に報いるためにも、どちらにも習うわけにはいかなかった。

「怒らなきゃ……! 戦わなきゃ……! この先あいつの名前は、きっとテロリストの大ボスとしてしか残らない。そんなあいつのために、せめてあたしだけでも怒ってやらなきゃ……。それをあたしがやらないで、誰がやるっていうんだ。あたしの他に誰が、あの男のために心から怒ってやれるっていうんだ!」

 少女の叫びの前に、マサキは二の句を継げなかった。脳裏に映る過去の情景が、より一層色濃いものとなる。リューネの言葉は、怒声の形をとった悲鳴そのものだ。憎悪を、それと全く相反する想いのあまりに滾らせていくその姿に、マサキは嫌になるほど見覚えがあった。

「だから敵わなくったって戦うんだ! でなきゃ……でなきゃ、あたしたちの十六年間は一体なんだったの? 何の意味も無くなっちゃうじゃないかぁ!」

 瞳からは涙が。そのことに自分でも気づいていない様子で、リューネはなおも吼えたてる。自らの心、その中でいまもなお燃え盛るたったひとつの熱源を吐き出すように。理屈もなにもない。父を、ただ父を……。誤っていると、間違っていると理解する上でなお、その想いだけがリューネの胎内で灼熱していた。

 そんなリューネの姿に、マサキは戦闘者としてあり得ないことだが、目を背けてしまいたい衝動に駆られた。あの試験飛行の日。絶えぬ雨の中で行き場のない感情にひたすら苦しむ少女の姿あった。その少女と、マサキはいま再び向き合っている。あのとき、マサキは少女から逃げはしなかったが、しかしそれ以外のこともできなかった。ならば今度はどうする。どうすればいい。リューネを殺したくない。政治的な意味でも殺すわけにはいかない。

 いっそずらかるか、マサキはそのように思った。およそ彼に似つかわしくない発想だが、そう悪くないアイディアに思えた。どうせこのざまでは追撃の恐れはない。本島へ逃げ込んでアイビスを回収し、ラングレーまでまっすぐに帰還。リューネのことはDCに任せ、あとは我関せずでいれば……。

 まとまりかけた思考は、つん裂くような電子音によって水を差された。サイバスターからの報せではない。マサキはいまだジャケットに捜索作業用の無線機を入れっぱなしにしていたことに気づいた。ふと予感が湧いてポケットから取り出し、表示を確認する。来るときにもあった見慣れた番号がそこに表示されていた。



   Ⅴ



 ホテルの部屋に通信機を残したのは、はたしてリューネのミスなのか、それとも故意によるものなのか。いずれにせよテーブルの上に置かれていたそれを見逃さず回収できていたことは、きっと今回の件でアイビスが為すことのできた唯一の大殊勲だった。

「マサキ、聞こえる?」

「アイビスか? いまどこにいる?」

 通信は滞りなく繋がった。

「あたしは大丈夫。本島の海岸で二人を見ている。それよりマサキ、お願いがあるんだ」

 アイビスは一つ息を吸い込んだ。いまから彼女は馬鹿なことを言おうとしている。何の益もない、ただ彼の身を危険にさらすことを口にしようとしている。だがアイビスはそれを口にした。それこそが、いま自分がすべきことなのだという、奇妙な確信があった。

「あの人と戦ってあげて欲しい。本気で」

 当然ながら、マサキは戸惑った。それを承知で、アイビスは拙くも言葉を重ねた。

「マサキ。マサキだって分かってるでしょ。あの娘、いい子なんだよ。とっても優しい子なんだと思う。だから、多分マサキのことだって本当は恨んでなんかいないんだよ。ただ、愛してただけなんだ」

「……」

 アイビスにはそうとわかった。だってあの娘はあたしだ。あの雨の日のあたしなんだ。だからこそ、いまのリューネの姿を見ると、アイビスは自分のことのように苦しかった。

「何も首を差し出せって言うんじゃない。でもね、あの娘の声を聞いてやって。逃げないであげて。体全部で受け止めてあげて欲しい。あの娘が、心の膿を全部を吐き出して、また歩き出せるように……」

 受け止める。その言葉を聞いて、マサキは目が醒めるような思いにもなった。あの雨の日、マサキは怒りのあまりにアイビスに向けて手を振り上げた。アイビスは歯向かわず、むしろ殴られることを望んでいるかのようだった。結局振り上げられた拳は彼女に触れることなく、ただ地面に叩きつけられるだけに終わった。

 もしあのときマサキが、いまアイビスが言うようなことをできていたら。拳を握るのではなく、胸ぐらを掴みあげるのでもなく、ただ彼女の嘆きを受け止めるべく、もっと別のことが出来ていたなら……。

「くだらねえこと言ってんじゃねえよ」

 手の中の通信機に向けて、そうマサキは告げた。

「マサキ……」

「誰が相手だろうと、俺が逃げるわけないだろ。いいからてめえはどっかに隠れてな」

 自分でも出自不明な気恥ずかしさを打ち消すように、ことらさぶっきらぼうにそう言って、マサキは通信を切った。その間にも、ヴァルシオーネは両腕を構え、まっすぐにサイバスターの方へと向けてきていた。これまでにも何度か放ちかけた、おそらくは彼女最大の火器をいまこそ繰り出そうと言うのだろう。しかし両者の間合いは、すでに目と鼻の先と言って良い。加えて相手は動けない。止めることはあまりにも容易だった。

 果たして、マサキはリューネを止めなかった。そして逃げもしなかった。

「いいだろう。来やがれ」

 迷いは断たれていた。政治や駆け引きは地平線の彼方に、マサキはあくまでマサキ・アンドーとして、彼自身の心が赴くままにサイバスターを構えさせた。ついで、これこそが真に自らが欲していたことなのだとマサキは理解した。そうだ、逃げたりなどするものか。無念と後悔に塗れるあの日の写し絵とこうして再会しておきながら、なぜ逃げたりなどできるものか。

 つかえが取れたように、一意専心に研ぎ澄まされていくマサキの闘志に呼応して、サイバスターの双眸がいつになく、どこか喜ばしげに輝いた。恐れ、迷い、その他小賢しい雑音の一切を捨て去って、内側から聞こえるたったひとつの声に少年が従ったとき、その時こそサイバスターは最大の力を発揮する。

 エネルギー充填完了。ヴァルシオーネの両腕が蒼紅に輝く。サイバスターは動かない。

 リューネが吠える。

 マサキは待つ。

 そしてついに、最後の一撃が繰り出された。ヴァルシオンから受け継いだ最大火力。そこにあらん限りの想いを込めて、リューネは撃った。本来の相手に届けることは、もはや永劫叶わない。しかし届けるべき想いだけは確かにここにある。

 クロスマッシャー。全てを砕く蒼紅の二重螺旋。どこかDNA構造を彷彿とさせるそのエネルギーの渦は、あるいはまさしく、一組の父と娘を結ぶものそのものであったかもしれない。

 アイビスの言と、自らの心に従って、マサキはそれを避けたりなどはしなかった。地・水・火・風、その他二つ。森羅万象の六芒星が空中に描かれ、不動の盾となってエネルギーの竜巻を真正面から受け止める。光が華のごとく八方に歪曲した。ねじ曲げられた破壊のエネルギーは、無秩序な乱気流となって大地をえぐり、大気を焼いていく。

「……っ!」

 威力に耐え切れず、ヴァルシオーネの両腕が次々と火を吹いていく。損傷はクロスマッシャーのエネルギーバイパスにまで及んでいた。このまま続ければ、機体が爆散する可能性もある。

 それでもリューネは撃ち続けた。死が恐ろしくないわけではない。しかし父が見ている。死の国から彼女を見下ろす父の残影に、背を向けることこそリューネは恐ろしかった。死者に縛られて、生きている自分を見失う哀れな少女の姿に、対岸のアイビスはたまらず目を伏せ、対するマサキは文字通りにそれを真正面から受け止めた。

「手強かったぜ、お前」

 掛け値なしの本心で、マサキは言う。エネルギーの乱流を押し返しながら、サイバスターは一歩、また一歩と歩を進めていった。

「戦っているうちに分かった。ビアンのおっさんの最高傑作はヴァルシオンじゃぁなかった。もちろんゼンガーのおっさんのでも、レーツェルの機体でも、お前のその機体でもねえ」

 徐々に徐々に押し込まれながらも、リューネは必死にヴァルシオーネを踏みとどまらせた。退けない、退くものか。この敵にだけは死んでも負けられない。

「確信するぜ。おっさんの最高傑作はお前だった。やつが一番心血と愛情を注ぎ込んでいたのは、機械人形なんかじゃぁなく、リューネっていう名前の一人の人間だった」

「知ったようなことをっ!」

「どこぞの陰険野郎と違って俺は逃げも隠れもしねえ。まだ文句を言い足りないなら、いつでもかかってきな。けど今日のところは……」

 父を想い、流るる涙に報いあれ。

 そして彼女を奈落へ追い込む悲痛な運命に引導を渡すべく、盾とされていた魔方陣がそのまま終わりの始まりとなる。夕暮れよりもなお朱く、世の一切を破戒する魔界の巨鳥が現れ出でる。愛憎に狂う蒼紅の竜巻に胸を穿たれながら、なおのこと命を謳うがごとく高らかに産声をあげる。

「こいつでお終いだ!」

 アカシックバスター。かつてひとつの戦史を終わらせた終焉の一撃が、今ふたたび全てに幕を降ろすべく光り輝いた。アカシックバスターはその名の通り、森羅万象を刻む因果の理を断つ。ならばここで断つのはヴァルシオーネの五体でも、搭乗者の命でもない。それを証し立てるかのように、鳳の翼は雄々しく開かれ、ヴァルシオーネの全身を、彼女が放つエネルギーごと穏やかに包み込んでゆく。

 さながら傷ついた雛鳥を守り慈しもうとするかのようなその抱擁を、リューネはその目で見た。アイビスもまた。そして全くの偶然に、両者の脳裏を似たような情景が走馬灯のごとく通り過ぎた。

 父の姿があった。

 各々の記憶に刻まれた、思い出の住人。

 愚かな父、横暴な父。尊敬などしてやるものか。挙句そうして、自業自得のまま死んでいった。

 それでも父であった。紛れもなく、血を分かつ者。

 なればこそ、想わずにはいられない。

 理屈も理由もない。父は父。

 肉親ゆえに、ただ愛していた。

 破戒の巨鳥は何もかもを飲み込んでいく。光は収斂し、収縮し、まるで卵に還ろうとするかのように小さな塊へと凝縮していった。鳥は卵となり、卵は点となり、やがて全てが消え去ったとき、後に残るのは片足と両腕を吹き飛ばされ、さらには全身を焼け焦げさせた見るも無惨なヴァルシオーネの姿のみだった。女巨人はそのまま大地に倒れ伏し、リューネもまたその胎内で精も根も尽き果てたかのように気を失った。

 戦いは終わり、マサキは息を吐き、アイビスは天を仰いだ。

 いつの間にか、陽の光が水平線より顔を出している。

 暁が終わり、朝が始まろうとしてた。



   Ⅵ



 リューネが目を覚ましたとき、そこはもうヴァルシオーネのコクピットではなかった。気絶している間に運び込まれたのか、どこのとも知れぬ小さなベッドの中で毛布に包まれている。バミューダ本島のホテルではないようだが、かといってブルーストークに置かれている彼女の私室でもない。

「目、覚めた?」

 よく知る顔が枕元からリューネの顔を覗き込んでいた。

「アイビス……」

「おはよう、でもないね。気分はどう?」

 まるで意趣返しのように、アイビスの言葉はだれかのものをそのままなぞっており、リューネは苦笑しようとして上手くいかなかった。表情を動かすことすらままならないほど、体が疲れきっていた。眠気もひどく、遠からずまた眠りに落ちてしまうだろう。

「ここ、どこ?」

「ハガネの中。あの後、連れてきちゃった」

「助けてくれたの?」

「一応、このまえのお礼のつもり」

「人が好いね。ひどいことしたのにさ……」

「そうだね。でも、自分でも不思議だけど、あまり怒っていないんだ。なんだかんだで、あたしも怪我一つないし。まぁ、サイバスターはちょっと重症だけど」

 マサキがぶつくさうるさかったよ、とアイビスが思い出すように笑うと、リューネは霞むような目で天井を見上げた。

「そっか。あたし、勝てなかったか……」

「気を落とすことないよ。惜しかったと思う」

 アイビスの呑気な言い草に、リューネは笑った。

「一体、どっちの味方なの?」

「事実を言ってるだけだよ。それより気分はどう? 痛かったり、気持ち悪かったりしない?」

 いまの状態では正確には判断できないが、すくなくともいまだけはどちらの症状も感じず、リューネは首を振った。

「なんともない、ただ、なんか、静かだ……」

 今日まで絶えずリューネの胸の内で灼熱していたはずの熱源が、嘘のように鎮まり返っていた。身に巣食う狂おしい感情も和らいでいる。父の顔、マサキ・アンドーの顔、そのどちらを思い浮かべても、なにも沸き立つものがない。波一つ立たぬ凪の日のように、いま彼女の心はなにもかもが平らかだった。

 すっきりした……と言えるのだろうか。ただ単に、いろいろなものが燃え尽きて、空っぽになっただけというような気もする。どちらが正しいのか考える気すらおきず、いまはとにかく、リューネは眠ってしまいたかった。とにかく、身も心もくたびれていた。

「分かってたんだ」

「ん?」

「仇だの恨みだの、言えた義理じゃないって分かってた。でもね……」

 でも苦しくて。理屈と論理が是と捉えても、それら以外のせいで胸が苦しくて。

 その苦しみに対処する方法はきっと幾つかあった。抱えたまま閉じ込めることを選ぶ者だっている。自分の中で消化し、忘れてしまえる者だっているかもしれない。そのどれをも為し得ず、リューネはもっとも直接的な方法を選んだ。

 そんなリューネのことを、アイビスは、思うところはあれ到底嫌いになれそうになかった。なるほど逆恨みである。加えてアイビスにとっては自身の誘拐犯であり、想い人に害をなそうとした暴徒である。

 しかしそれでもアイビスは、父の人生にたった一人報いを捧げるべく、誰の手も借りず単身サイバスターに、そしてハガネ隊に挑もうとしたこのリューネという少女の中に、あの少年とも重なる真っ直ぐで衒えなき魂の輝きを見た。

「こういうとなんだけどさ。リューネとマサキって、結構気が合うと思うよ。似てる気がする、なんと無く」

 一拍の沈黙を挟み、「バカ言わないでよ」とリューネは弱々しくも吐き捨てた。

 そうしてやがて、話し疲れたのかリューネの瞼が重力に押し負けるように徐々に閉じられていく。

「眠い?」

「少し」

「そう。じゃぁ眠るといいよ。起きてから、また色々大変だろうから。今回のことで、いま外は大騒ぎになってるよ。こっちとそっちの艦長があれこれと言い合ってて、マサキも引っ張りだこになってるみたい」

「だろうね……ごめん、次に目が覚めたら、すぐに出頭するよ」

 言をごまかすつもりなどリューネにはなかった。自分がビアンの娘であること。その仇討ちのために、独断で誘拐と戦闘を行ったこと。DCが連邦との同盟を崩すつもりはなく、ブリジッダは自分を止めようとしていたこと。すべて正直に話すつもりだった。

 そのあたりの事情まではアイビスの知るところではなかったが、それでも、おそらくこの少女は自分を守るようなことは何一つ言わないのだろうと、それだけは察することができた。ことは組織と組織の問題であり、アイビスが口出しできる範囲は限られている。

 リューネしかり、アイビスしかり、人の感情というものはこんなにも度し難い。間違っている、叶えてはならない、頭でそう分かっていても、どうにもならない心というものが人間にはある。その処理の仕方は様々で、アイビスはこれまで抱えたまま閉じ込める方法を選ぼうとしており、リューネは全く正反対を選択した。

 リューネとマサキ。二人の戦いを止めるべくアイビスはホテルを飛び出し、一心不乱にバイクを走らせた。マサキと連絡がつけられたのだから、マサキに自分の身を回収してもらい、そのままリューネを置いてバミューダ諸島から全速離脱するという手だってあっただろう。しかしどうしてか、最後の最後でアイビスはマサキに全てを託し、二人の戦いを見守ることを選んだ。

 最後の攻防によりヴァルシオーネは中破し、サイバスターは依然として左腕を失ったままだ。結局此度の決闘はハガネ隊とDCの戦力をそれぞれ削り合うだけに終わり、大局的に見れば何の益もなく、ただ遺恨だけを残して終わった。

 それでも、アイビスはマサキをけしかけたことを後悔する気にはなれなかった。世の物事は、必ずしも損得ばかりで計れるものでもない。一見何の利益もなくとも、それでもあの戦いには、きっとなにか大きな意味があったとアイビスは思う。あるいは当事者たちのこの先の運命に関わるほど、きっとなにか、大きな意味が。そう信じたいのでも、願うのでもなく、ごく自然にアイビスはそう捉えていた。現にアイビス自身、あの戦いを目にした今だからこそ胸に秘め得た、ある一つの、ほんのささやかな決意があった。

 明日以降、リューネの処遇がどうなるかは、現時点では誰にも判断できないことだ。なのでアイビスは、いまのうちに伝えたいことを伝えておこうと思った。

「ありがとね、リューネ」

 いったいどこからそんな言葉が出てくるのか。そう言いたげに、眠りに落ちかけていたリューネの瞼が、かすかに開いた。

「嘘じゃないよ。リューネを見てて、ふんぎりのついたことがあるんだ。あたしもね、挑んでみることにするよ。リューネを見習ってさ。相手は……まぁ、言わなくても分かるよね。リューネにとってもそうだったように、あたしにとってもきっと一番の、最大の敵なんだ」

 彼にとってはきっと災難続きにちがいない。しかしそれもやむを得ないことだと、アイビスは身勝手にも彼に代わって匙を投げ捨てた。これもある意味で「女の敵」ということになるのだろうか。だとすれば次に起こることも、きっと彼の逃れえぬ宿命であるのだろう。

 なんにせよアイビスは、決意を新たに席を立ち、まどろむリューネに別れを告げた。リューネはしばしの間アイビスの顔を見つめていたが、やがてほんのすこしだけ笑みを浮かべて、そのまま沈み込むように眠りの国へと旅立っていった。

「おやすみリューネ」

「おやすみ、アイビス……」

 そうして二人は別れた。






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