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No.36290の一覧
[0] 【完結】アイビス×マサキ(スパロボOG)[マナティ](2017/01/17 08:41)
[1] 序章  星への翼、戦場に[マナティ](2012/12/26 22:03)
[2] 第二章 翼持つ二人[マナティ](2012/12/26 22:03)
[3] 第三章 一石二鳥の采配[マナティ](2012/12/27 19:57)
[4] 第四章 その名はフリューゲルス遊撃小隊[マナティ](2012/12/28 20:04)
[5] 幕間  フリューゲルス小隊の一日[マナティ](2013/01/03 19:41)
[6] 第五章 彼ら、竜に翼を得たるが如く[マナティ](2013/01/15 01:46)
[7] 第六章 最後の羽休め[マナティ](2013/06/04 03:49)
[8] 第七章 墜天の序曲[マナティ](2013/03/27 02:30)
[9] 第八章 もがれた翼[マナティ](2013/06/04 03:48)
[10] 第九章 崩壊、フリューゲルス遊撃小隊[マナティ](2013/06/08 23:26)
[11] 第十章 断たれた比翼[マナティ](2014/03/16 21:47)
[12] 第十一章 獄落鳥[マナティ](2014/03/18 21:40)
[13] 第十二章 瓦礫の海の天使たち[マナティ](2014/03/20 01:02)
[14] 第十三章 風は止み、流星は地に[マナティ](2014/03/22 15:28)
[15] 第十四章 されど疾風、そして流星の如く[マナティ](2014/03/23 07:50)
[16] 第十五章 眠り姫[マナティ](2015/02/22 21:47)
[17] 第十六章 戦わざる者、戦う者[マナティ](2015/03/16 08:07)
[18] 第十七章 星の少女は風の夢を[マナティ](2015/03/28 11:13)
[20] 第十八章 訪れた宿命[マナティ](2016/05/15 14:35)
[21] 第十九章 リューネという少女[マナティ](2016/08/23 22:59)
[22] 第二十章 今一度、暁の決戦を[マナティ](2016/08/28 15:28)
[23] 第二十一章 天と地と[マナティ](2016/09/04 21:27)
[24] 最終章 想い出の星空[マナティ](2017/01/17 12:51)
[25] 後書き[マナティ](2017/01/17 04:03)
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[36290] 第十一章 獄落鳥
Name: マナティ◆a41a30e8 ID:7708d456 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/03/18 21:40


   Ⅰ


「大佐、どこですか、大佐」

 崩落が収まった頃を見計らい、副官のレイチェル・スコット中尉はほうほうの体で物陰から這い出た。ほんの数分前まで、彼女はこの日最後の業務として、自らが仕える新しい基地司令官に明日のスケジュールを伝えていたところだった。そのさなかにほんの少しの揺れを感じ、電灯がパチパチと明滅するのを見上げた直後に、世界はさながら地獄へ突き落とされたかのように一変した。無骨ながら機能美を感じさせたラングレー基地の司令官室はもはや見る影無く、暗闇と土ぼこりに汚染された瓦礫の洞窟と化していた。

 レイチェルは上官の姿を探し求め、しきりに辺りを見回した。大量の瓦礫により室内はもはや歩くどころか、這って進む事すらままならなかった。片足が折れていては尚の事だ。また額の裂傷からは止めどなく血が流れており、拭っても拭っても視界を確保することができない。

「いるんでしょう大佐。どこですか。答えて下さい、大佐」

 それでもレイチェルは、捜索を続行した。先に脱出しようという考えなど、はなから浮かばないようだ。職務を越えた必死さがあった。

 ヒューイット大佐は妻帯者であるが、その相手は彼女ではない。壮年の域に達している彼と腕を組んで歩くには、レイチェルは些か若過ぎた。それでもレイチェルは許可さえ得られるのなら何時だって大佐と腕を組みたいと考えていたし、つい先ほどまで目の前にあった、ちびりちびりとコーヒーを飲む彼の呑気な横顔を愛しい夫のように脳裏に想い描くことができた。誰にも打ち明けた事の無い、小さな片恋の物語が彼女の胸の中だけにあった。

 しかし幸か不幸か、レイチェルが大佐の姿を見つけることは永劫無かった。すでに彼の肉体は崩れ落ちた天井に巻き込まれ、無惨に押しつぶされていたからだ。机の下にでも隠れられていれば望みもあっただろう。司令官用の大きなマホガニー製の机は、簡易シェルターとしては十分なほどの頑強さを有しており、事実レイチェルはヒューイットにそこに押し込められたことで一命を取り留めていた。

 彼の肉体は足下に敷き詰められた瓦礫の下に完全に押し隠されていた。肘から先、膝から先などの末端部分はいくつか断ち切られ、レイチェルが用意したマグカップと一緒にそこいらの瓦礫の隙間に小さく収まっていた。大量の血液がコーヒーと混ざり合いながら床からしみ出していたが、顔面の半分を真っ赤に染めるレイチェルがそれに気付くことはなかった。

「お願いです。返事をしてください、大佐ぁー!」

 どくどくと血が溢れ出すのにも構わず、レイチェルは叫び続けた。ヒューイットの機転の甲斐無く、彼女もまた無傷では済まなかったのだ。出血は明らかに致死量を超えつつあった。事実、彼女は間もなく出血多量によって昏睡状態に陥り、そのまま眠るように死を迎える運命にあった。小さな片恋劇は地の底で幕を下ろし、その主演者たちは同じ時・同じ場所にて共に永遠の眠りにつくのだろう。

 そうして、一つの物語が終わる。



「リック……リック……!」

 暗闇の中、名を呼ぶ声がする。男の声だった。彼もまた人を捜していた。そして彼の方はレイチェルとは異なり、すぐに求めた人物を探し当てることが出来ていた。

 トーマス・リンドバーグはメカニックとしてラングレー基地に配属された人物であり、妻と子供を連れて本日この地に降り立ったばかりであった。それまでの住居はここから相当に遠い場所にあり、トーマス自身は単身赴任も覚悟していたが、彼を取り巻く家族愛は彼が思う以上に強かったらしい。彼が5歳になったばかりの息子を格納庫へ連れて行き、機動兵器を見せてやろうと思ったのもそのことに浮かれての事だ。

「リック、起きてくれ。リック、ほら、お父さんだよ」

 突然の崩落に気を失い、目を覚ましてからトーマスは周囲の惨状に目を剥くのもそこそこに、息子の姿を探しはじめた。幸いすぐそばに倒れていたため、すぐに息子を見つけることができた。

 しかし息子は目を覚まさなかった。いや、目蓋は開いている。しかし瞳に光が宿らず動かない。呼吸もしてくれない。そしてどちらからも血を流していた。ほんの少し前までの愛らしさはもはや見る影もなく、リックは微動だにしない表情で虚空を見詰め続けていた。

「リック、リック、起きなさい。こんなところで寝ていてはいけないよ。ほら、見なさい。あれがゲシュペンストだよ。格好いいと、お前も言っていただろう?」

 トーマスが見もせずに指差す方向には、基地の機動兵器用格納庫が広がっていた。否、塞がっていたというべきか。この第三格納庫は本来半円柱の、ちょうど蒲鉾にも近い形をしていたのだが、とすれば今の有様は、さしづめ踏みつぶされた蒲鉾といったところだろう。四方の壁は崩壊し、屋根と床が熱い口づけを交わし、中に居た者達はそれに挟まれて一様に圧死していた。その唯一の生き残りがトーマスだった。

 トーマスが指し示す先には、すこし前まで壁と天井であった瓦礫群によって埋め尽くされており、その内側には無人の機動兵器と、その調整作業を行っていた何人もの同僚達の屍が埋もれていた。息子を連れてくることに渋い顔をしつつも、最後には笑って許してくれた彼の上司もその中に混じっている。

 火の手が上がり始めていた。

 機動兵器の格納庫は、火薬や油といった危険物の倉庫でもある。そこに引火したのか、辺りを埋め尽くす瓦礫の隙間と言う隙間から、オレンジ色の輝きが次々と立ち上ってきた。不謹慎ながらも、それは目を奪うほど美しく眩かった。

「リック、頼む、起きてくれ。なぁ、お願いだよ。リック、頼む、頼むから……」

 しかしそのことに気付く様子も無く、トーマスは息子の亡骸に声をかけ続けた。失っているのは冷静さではない。気付く為の機能をこそ失っているのだ。トーマスの頭蓋骨は、一体なにが当たればこのようになるのか、蹴飛ばされたバケツのように横側がべこりとへこんでおり、不気味なほど奇形的な輪郭を描いていた。

 それでも父は息子を呼び続けた。脳の一部を欠損させ、人としての機能の幾らかを失いながらも、未だ失われてない何かに従って、トーマスは息子の亡がらを揺すり続けた。炎にまかれ、衣服に火がつき始めてもそれは変わらなかった。

 そうして燃えていく。人々も、トーマスも、リックの死骸もまた刻一刻と炎に包まれていった。遠からずこの場から一切の命は燃えさって、屍は炭の塊となる。炎が収まったのち、そこには瓦礫と無人の機動兵器のみが位牌のように残るだろう。無情な鋼鉄の肌に、多くの悲哀と無念を焼き付けて。

 また一つ、物語が終わった……。


   Ⅱ


 ラングレー基地はバージニア州ハンプトンの東端海岸沿いに位置しており、その敷地面積はおよそ400ヘクタールに及ぶ。といってもその大半は滑走路と演習場に占められており、基地施設そのものは建造物としてさほど大層なものではない。似たような機能を持つ民間空港と比べても、外観は無機的かつ素っ気なく、見かけ上はむしろ工場などにも近い。

 無論、機能面から見ればラングレー基地が地球圏の中でも有数の能力と規模を持つ軍事施設であることは疑い得ない。大陸の約三分の一をカバーするレーダー施設、戦艦・潜水艦用ドック、ミサイル防衛システム、その他各種防衛機構など設備の充実具合は他の追随を許さず、地球防衛計画の要の一つとも目されてた。

 基地の元々の発祥は旧暦にまで遡る。当時はまだ一国家であったアメリカの空軍基地として1916年に開設され、以来幾度かの改装を施されながら今日まで歴史が続いている。名実共に由緒ある基地であり、それだけに何かと標的にもなりやすく、前大戦の頃も何度か大規模な襲撃に見舞われたが、基地そのものはそれでも生き残り続けた。非常に長命な基地として知られ、基地施設自体が一つの生ける軍事史そのものだった。

 今日という日を迎えるまでは。



 ――穴が空いている。

 実際のところは未だ収まらぬ大量の砂煙のため誰もそれを目にすることはできないが、しかし事実としてラングレー基地全土は一瞬にしてそれまでの威容の一切を陥没させ、いまや巨大な一つの大穴へと姿を変じていた。格納庫、レーダー施設、戦艦ドック、滑走路、基地施設、そして職員用居住区。敷地内に存在した全施設はあまねく瓦解し、ない交ぜになり、もみくちゃにされながら、地の底へと飲み干されていった。

 穴の直径はおよそ1.5キロ。形は楕円と長方形の中間といったところで、深さは800メートルほどもある。墓穴、と見るにはあまりに大きく、そして大ざっぱすぎた。

 天災としか思えぬ惨状は、全て人為的に引き起こされたものだ。異星軍の策略によってラングレー基地敷地内の地下三カ所に設置されたMAPWが同時に起爆し、意図的に地殻陥没を発生させた。爆発自体はさらなる地下深くで起こっており、その衝撃と熱によって周囲の地層が圧迫・液状化し、広大な空間が地下に発生した。この隙間によってより上部の地層が自重に耐えきれなくなり、地上の建造物もろとも崩落したという仕組みである。

 実際問題、地上で爆破するのに比べて地形への影響が不必要なまでに莫大であり、確実性も劣る。爆弾がきちんと作動するか、作動したとして狙い通りの地形操作を正確に行えるかについては、異星軍側にとっても賭けであった。しかし地球軍調査隊の目から逃れつつ、有り合わせの道具で一撃必殺のブービー・トラップを仕込むには他に方法が無く、そして結果論ながらその策はこうして見事に成功していた。

 当然の事だが、本来ここまでの暴挙は異星軍側にとっても望むところではなかった。地上における最大規模の軍事基地は、彼らの占領計画においても大きな価値を持っていた。破壊せず占領し続けられれば最良であり、逆に言えばそれが叶わぬと判断されたからこそ、地球軍の力を削ぐためにも完全破壊の道を選択したのだ。そのため今宵の惨事は、たとえどれほどの規模であるにしろ、本質的には「手に入らぬなら壊してしまえ」という子供じみた論理の産物に他ならなかった。

 無論、だからといって起こった事実は変わらない。今回の作戦が戦略上どのような意味を持とうと、砕かれたもの、消えて行くものは果てしない。

 今宵一晩で、いったいどれほどの損害が生じるのか。また幾つの命が失われるのか。先に答えを述べると、金額はおよそ八兆円。人数については軍人、軍関係者、その家族、あわせて約1700人といったところである。基地駐在員がまだ揃いきってない頃であったため、同規模の災害が別の基地で起こった場合に比べれば、死者の数はまだ少ない方であった。無論、そんな統計上の事実で慰めを得られるのは、書類と数字ででしか今夜の事件に関わらない幸運な者達だけだろう。

 今朝までは確かに存在した1700もの人生と、1700もの物語が、ただの一撃で、一瞬にして潰えるのだ。神の不在を立証するがごとく、それはあまりに途方も無く、かつ無情すぎるものだった。



 アギーハの駆るシルベルヴィントは、ゆっくりと下界を観察するように、基地上空を旋回していた。起爆からおよそ半刻が経過していたが、基地一帯をドームのように覆う大量の砂煙はいまだ収まる気配はなく、またその中から飛び出してくる機影も見当たらない。地殻変動についてもとりあえず一段落したようで、墓穴がこれ以上広がって行く様子はなかった。事態はひとまず落ち着いたと見て良かった。

「やっぱり海岸までは届かなかったか……」

 無念そうにアギーハは呻いた。

 人為的な地殻陥没を引き起こすにあたって、MAPWの威力と数の問題から、その面積は円にして300ヘクタール程度が限界と見られていた。その通りものを作り出せたとしても、陥没が東方海岸にまで届くかは微妙なところであったというのに、実際に作り出せたのは200にも届かない。結果、陥没は海岸より遥か手前で止り、水害を引き起こすには至らなかった。

 またトロニウム爆発の兆しも無かった。ハガネ隊に所属する一部の機体……R-2やハガネそのものなどに搭載されている稀少鉱石トロニウムは、扱いを誤れば半径数十キロにも及ぶ大爆発を引き起こすと言われている。とはいえそれはエンジン出力を臨界近くまで上げて初めて起こりうることであり、平時の状態で破壊されるだけでは通常そのような事態にはならない。現に今も爆発は起こらず、その前兆すら見られないでいる。

 トロニウム自体は銀河レベルでのレアメタルであるため、アギーハらにとっても失わずに済むのは有り難いことであったが、そういった事態も想定した上での作戦でもあったため、肩すかし感は否めない。

 総じて、理想的とは言えなかった。だめ押しにさらなるMAPWでも投下できれば申し分ないのだが、そもそもが地球軍側から鹵獲したものであるため余分な備蓄もない。なにぶん急ごしらえの作戦であったので、こういった部分に杜撰さがあった。

 しかし望外の益もあり、上手い具合に増援部隊まで巻き込めたことがそれであった。当初はハガネ隊のみを対象にしていた作戦であったが、こうも早くに新たな基地運営要員を派遣してくるとはアギーハらにとっても予想外だったのだ。堅牢な戦艦ならばまだ望みもあろうが、基地施設内部の惨状はもはや約束されている。恐らくは千人単位であろう補充員はもとより、基地司令官を預かるほどの階級を有する者を一人潰すことができれば、それは時に見かけ以上の効果を発揮する。

 目の前の結果について満足と不満足を行き来しながら、アギーハは考える。肝心のハガネ隊はいったいどうなったのか。無事なのか、一部のみ無事なのか、それとも全滅したのか。

 異星軍にとっても先の戦闘で受けた傷は大きく、メギボスら三人の機体も未だ修理の目処が立っていない。そんな状態のまま戦いの場を宇宙へ移しても、またもやハガネ隊に押し切られてしまいかねない。ゆえに起爆を終えた後もアギーハはここに残っているのであり、旗下のバイオロイド兵も即時転移可能な状態で別の場所に待機させている。仮に楽観的に考えて、ハガネ隊の人員が一人残らず瓦礫の底で一網打尽になっていたとしても、その証拠を得なくてはならなかった。

「仕方ない。どれ、行きますか」

 アギーハは操縦桿を倒し、シルベルヴィントをゆっくりと降下させた。相手が動きを見せない以上、こちらから動くしか無い。しかし捜索を行うにせよ、あの砂煙の中では思うように行かないのは火を見るよりも明らかだ。

 そうしてアギーハは下界を目指す。己の手で起こした惨状を前にして尚、風に乗るかのような気楽さがある。失われた命の数々についても、とりたてて気にしている様子はない。徹底した酷薄さだった。あるいは自分をも含め、人間とは死ぬときはいくらでもあっけなく死んで行く生き物だと、アギーハは知っていたのだ。


   Ⅲ


 故郷の夢を見た。

 懐かしくも悲しい夢だった。



 彼女の生まれ故郷であるニューヨーク・チェルシーは、貧しい街であった。ニューヨークといえば20世紀頃は世界でも有数の大都市であり、その南西部に位置するチェルシーも現代アートの中心地と称され脚光を浴びていた。明日の芸術を担わんとする頼もしい野心家達が、競って彩りあげるような、そんな鮮やかな街であったのだ。

 しかし2012年に落下したメテオ2により、全てが変わった。ニューヨークは壊滅の憂き目にあい、チェルシーもまた運命を同じくした。

 芸術の街は一転して瓦礫の街へと化した。

 復興作業は遅々として進まず、財産のある人々は次々と街を見捨て、行くところの無い貧困層だけが残った。街はスラム化し、治安は右肩下がりとなり、盗みや暴行が常態化した。観光地として、芸術の街として華やいだ日々は遥か遠くに、色とりどりのアートは灰一色に染まった。そうして、女の一人歩きなど到底考えられないような薄暗く垂れ込めた街が出来上がった。アイビスの家族は、そんな街の隙間を縫うようにして生活していた。

 母は酒場を営んでいた。ならず者が屯するような街であったが、彼らもまた人間なのだから商売は成り立つ。彼らの機嫌を損ねない程度に美味い酒を、やはり機嫌を損ねない程度の値段で振る舞って、なおかつみかじめをきちんと払っていれば、そうそう波風は立たない。アイビスの母はその点、優秀なバランス感覚を有しており、なおかつ美貌という最大の武器を持っていた。美しさは誰からも尊ばれる。そうして母は、自らを武器にして家族を守っていた。

 アイビスの父はただ酒を飲むばかりの男だった。昔は芸術家であったらしいが、彼が一銭でも稼ぐところをアイビスは見た事が無い。日々の暮らしを妻に頼り、困った事があれば妻に泣きつき、嫌な事があれば妻で憂さ晴らしをする、そういう人物だった。

 実のところ、アイビスは父の顔をよく覚えていない。アイビスが父を思い出そうとするとき、いつも脳裏に浮かぶのは小汚いリビングで酒を飲んでいる父の後ろ姿だった。生地のめくれたソファにどっかと座り、とうに中身の無くなったボトルを延々と煽り続けるその背中。尊大で、神経質で、人を寄せ付けない、それでいてどこか寂しげな後ろ姿。それがアイビスにとっての父親像である。

 まだ子供だったアイビスは、そんな両親を子供なりに軽蔑し、しかし子供ゆえに軽蔑しきることはできなかった。夫以外の男と連れ添う母は薄気味悪く、そんな母を殴る父は恐ろしかったが、両者ともに哀れと言えば哀れであり、最後の最後で愛しさを禁じ得なかった。アイビスが両親のことを思い出すときは、きまってそんな何とも言えない気持ちが湧きあがる。

 いくらでも逃避できる心の遊び場を秘めていた事も、要因の一つと言えるのかもしれない。当時からアイビスは星が好きだった。自室の窓から、街の路地裏から、ときには酒場の屋根の上から、暇があれば夜空を見上げていた。昼間、星の見えない間は目を閉じて目蓋の裏に焼き付いたそれを見上げた。奇矯な行いだったが、見たくないものを見ずに済む点でも都合が良かったのだろう。店の前や電信柱の影で目を瞑りぼんやりとしているアイビスの姿は、街中でもちょっとした名物になっており、親しくない人々の中には彼女を盲目と勘違いする者もいたほどだ。

 星が好きといっても、このころのアイビスは星座も神話も基礎的な天文学も知らない。街には学校も図書館もなく、何人かの有志者が子供を預かり面倒を見てもいたが、アイビスは通わせてもらえなかった。しかし、ある意味では必要なかったとも言える。知識に欠けていても、想像力は余りある子供だった。星にまつわる物語を一つも知らないアイビスは、いつしか自らの手でそれらを作り出して行くようになった。

「お月様は神様の目。まんまるなときは起きていて、ほっそりしているときは笑っており、逆向きに細いときは眠っている。神様はきっと夜空のうんと向こうで、ほおづえをつきながら寝転んでいて。そうしてあたしたちを見守っているんだろう」

 そんな他愛のない一人遊びに耽る毎日だった。眠気を堪えきれなくなると、明日の夜を迎えるためにベッドへ入り、今度は目蓋の裏の星空を眺め始める。階下から怒鳴り声や悲鳴が聞こえても気にすまい。怯える事だってない。だってお星様はこんなにもきれいなんだから。小さなアイビスは、そうして夜空に心を溶かして行く……。




 ふと、アイビスは目を覚ました。

 なにか懐かしい夢を見ていた気がする。内容は思い出せないが、悪いものではないように思えた。



 アイビスが倒れていたのは、穴の北側外縁部付近。基地人員のための居住区があった場所であり、アイビスとツグミが宛てがわれた部屋もその区画内にあった。

 これほどの災害にあって、外にいたアイビスが一命を取り留めたのはいくつかの要因による。外縁部のため落下距離が他より小さく、且つ傾斜も緩やかだったこと。そして林の近くにいて、陥没時も樹木にしがみついていたことも功を奏したのだろう。建造物が軒並み瓦解したなかでも、樹々の繊維質は驚くほどの剛性を発揮して、かろうじて原型を保ち続けた。崩落の際にもアイビスを下敷きにすることなく、むしろ周囲の瓦礫から身を守る盾となって、彼女の命を救った。

 結果、アイビスは無事だった。さすがに無傷では済まず、全身が擦り傷だらけになっており、右足首に重度の打撲を負っている。左肩も外れているようだったが、しかし、どうあれアイビスは生きていた。

 ここは、地獄?

 横たわる幹の上でアイビスが朦朧と目を開いたとき、まず思った事はそれであった。それほどまでに途方も無い光景であった。

 瓦礫の海。そうとしか言いようがない。それまで確かに存在していた文明のすべてが、引っくり返されたジグゾーパズルのように砕け散り、真実一面の、視界の端から端までを覆い尽くす、海のような広さの瓦礫群を形成していた。それらはかつて数えて27の建物であり、十七機の輸送船団であり、それらも含め幾千もの離着陸を見送った長大な滑走路であり、100機もの機動兵器、そして2000人近くにも昇る人々であったものだ。その海のそこかしこからは、航空燃料に引火したのか灼熱色の輝きが鬼火のように立ち上っている。そしてギザギザとした水平線の向こうには高さ数百メートルにも届く切り立った崖が、音に聞く万里の長城のように雄大に、そして監獄を覆う外壁のように冷厳とそびえ立ち、此処を外界から隔絶させている。

 大地が怒った。

 アイビスはそのように思った。あまりに無惨な崩壊の有様に、途方も無く巨大な誰かの怒りを感じた。一帯を覆い尽くし立ち上る砂煙は、さながら活火山の噴火口のようで、その噴煙にまぎれるように頭上からこなたを見下ろす月の姿が見え隠れした。

 満月であった。真円なるそれは、だれかの眼差しにも見えた。

 ――お月様は神様の目。

 穴に堆積する屍たちをじっと見届けるそれは、どこまでも冷ややかで、無限に凍てついている。

 ああ、ちがう。

 アイビスは印象を撤回した。

 ここは地獄じゃない。

 地獄ですらない。永続する責め苦も、それを為す拷問吏もここにはいない。そんなものは不要と思えるほどに、此処にはもう何も無かった。寒々しいほど、全てが終わってしまっていた。

 此処の静けさ、薄暗さ、そして虚しさは、ゴミ捨て場のそれだ。大地か、あるいは神か、なんにせよ途轍もなく巨大な誰かが、ラングレー基地はまるごと見放し、廃棄したのだ。

 アイビスは笑った。含むような、籠るような、そんなか細い笑い声だった。声を漏らすたびに肋骨が痛んだが、痛みに勝る衝動が彼女の肺を震わせ続ける。

 舞い降りるような理解があった。胸に落ちて来たそれは絶望的なまでに重く、それでいてどこか安らかな暖かさがあった。

 その時が来たのだ。

 いま自分は旅の終着地に辿り着いたのだとアイビスは悟った。砂塵まみれの世界、冷え冷えとした夜、その全てがやけに懐かしくに感じられる。なぜならこここにあるのは、彼女の故郷と同じ匂いだったから。

 ここが死に場所なのだというのなら、なんと自分に相応しいことか。ひどく懐かしい気持ちが五体に染みいっていくなか、アイビスは再び瞳を閉じて、また笑った。

 何かが無性に可笑しくて、そして悲しかった。


   Ⅳ


「ほら、やっと出れたぞ。もう少しだからな」

「……」

 デイビッド・ブルーノ中尉は北欧出身の鮮やかな金髪が印象的な人物である。表情に気をつければそれなりのハンサムで通るであろうし、本人も平時はそれを売りに思っているのだが、さすがにこの状況下では気取る余裕もないようだ。汗を吸収した砂埃が泥のように固まって顔中に張り付いており、軍服を除けばどこかの古代部族の戦士のような風体と成り果てていた。

「おい、しっかりしろよ。外に出れたんだよ、なぁ」

「……」

 彼もまたラングレーの軍人である。三十代前半という年齢や、中尉という階級を見ても、兵士としてはまさに一番脂が乗っている頃であるが、しかし彼はパイロットではない。基地の資材調達を担当する事務要員であり、武器は銃ではなくペンとパソコン、敵は異星人というよりも詰み上がる書類と聞き分けの無い現場の人間といったところだった。

 それでも職務上の敵とプライベートはまた別であるらしい。現にいま彼が肩を担ぎ、励ましの声をかけているのは日頃から衝突の多かった整備士の人間なのだが、今となってはもはや関係のないことのようだった。

 彼ら二人もまた、この地盤沈下を生き延びた軍人達だった。その理由については、もはや言及すまい。ただ、何かが働いたというだけだ。

 崩落直後、二人は倒壊した第十五棟の中にいたのだが、今の今までずっとその中に閉じ込められていた。エントランスは完全に崩潰しており、その他の勝手口や窓も外を埋め尽くす土砂や瓦礫によって塞がれていたため、脱出は容易な事ではなかった。それでもなんとか出口を求めて、上下の狂った建造物の中を探索し、その果てにようやく外からの光が差し込む小さな縦穴を見つけたのだ。そうして二人は、やっとのことで瓦礫の海から這い出ることができたという訳だった。

「おい、しっかりしろよ。俺たち助かるぞ。なぁ、助かるんだってば」

「……」

 デイビッドは揺すっても、整備士はうんともすんとも言わなかった。建物の中で見つけてからというもの、ずっとこうだった。まだ死んではいない。体温は残っているし、脈もある。だがかろうじてのことで、もはや時間の問題だというのは明らかだ。

 到底見捨てることはできず、探索の間ずっとこうして担いで来た。決して親しい間柄ではなかったが、これも一つの吊り橋効果なのか、今宵デイビッドは彼を決して放さないと決めていた。必ず安全なところまで運んでやると決意し、そうして全てが落ち着いた後、また職場で彼と資材の納期について喧々諤々にやりあうのを夢見ていた。

 ゆえに、デイビッドは彼を放さなかった。押しつぶすような風圧を感じて頭上を見上げ、その先から銀色の機影が寓話の中の死神のようにゆらりと舞い降りてくる姿を見ても。冷徹なるシルベルヴィントが、さながら獲物を見つけた猛禽のようにその双眸を輝かせてもなお、デイビッドは喉をならし、全身を恐怖に振るわせはしが、それでも彼の腕を放さなかった。

「運の良い奴はどこにでもいるもんだね。よくもまぁ蟻みたいに」

 外部音声によって周囲へと発散されたアギーハの声は、さながら神のお告げのようだった。そして死の宣告でもあったかもしれない。

「ふん……? よくよく見れば、あちらこちらに反応があるね。まったく人間っていうのは、死ぬ時はいくらでも呆気なく死ぬくせに、しぶとい時には本当にしぶといもんだ。あんたもそう思わないかい?」

 デイビッドらには伺い知れないことだが、彼ら以外にも、そこかしこで人の形をした熱源反応が地面の下で蠢いているのをアギーハは補足していた。爆発と地震の直後であるため、さしものシルベルヴィントでもセンサー機能に支障をきたさずにはいられないが、逆に言えば火の手が収まりセンサーが回復すれば、より多くの生存者を見つける事になるだろう。

 対熱源とはまた別のセンサーが、上空に機動兵器出現の知らせを届けて来た。敵ではない。彼女が探索支援のために呼び寄せた援軍であり、バイオロイド兵によるガーリオン五機が空間転移を果たして来たのである。

 アギーハは眼下に視線を戻した。デイビッドは相も変わらず、蛇に睨まれた蛙のような表情で呆然と立ち尽くしている。

「安心しなよ。地球人がいくら死のうが知ったこっちゃないが、さすがに生身の男をどうこうしようって気はないから」

 その小指で顎をくすぐるような声音に、デイビッドはなぜだろう、舌舐めずりする肉食獣の姿を思い起こした。

「とはいえ、わざわざ助ける気もなくてね」

 アギーハはシルベルヴィントを浮上させた。降下して来たがガーリオン小隊と合流し、一斉に銃口を地上へと指し向けた。すでに拡大モニターは閉じていたため、デイビッドがどれだけ顔を絶望に青ざめさせたかアギーハには分からない。分かったところで止める彼女でもない。

「さっさと逃げれば? あたしゃ知らないよ。巻き込まれて死ぬのも、生き延びるのも、どうぞご自由に」

 そうして、シルベルヴィントとガーリオンは、一斉に砲撃を開始した。

 死が降り注ぐ。

 実際には光子と荷電粒子の砲弾である。グレイターキン用の予備を借用したガーリオンのメガビームバスターが、それこそ雨霰のように撃ち出され、その合間を縫ってシルベルヴィントの光子砲が落雷のように大地へ突き刺さる。繰り返すこと幾十、幾百。もはや弾丸の豪雨であった。

 無論のことハガネとヒリュウ改を狙っての事である。二艦のおおよその位置は掴めていたが、悠長に瓦礫の撤去作業を行うつもりなどアギーハにはなかった。地下とはいえ数百メートル程度であれば、十分に射程内である。高火力かつ質量を持たない光学兵器であれば瓦礫を焼き払いつつ、やがてはその隙間を縫って地底まで威力を届かせることも可能であった。そうして、やがてハガネの潜む地層にまで辿り着ければ全てが終わる。

「やめろぉ!」

 整備士を地面に横たえ、その上に覆いかぶさるようにしながらデイビッドは悲鳴を上げていた。砲弾の着弾圏からはかろうじて外れているが、それでも至近距離である。これほどの砲火と衝撃の中では、もはや逃げる事は愚か立つ事すらできない。デイビッドは歯を食いしばって震動と目眩を堪え続けた。

「ちくしょう、やめろ! やめろってんだ! もう十分だろ! 気が済んだだろ!」

 そんなわけがあるかと、もし聞こえていたのならアギーハはそう返しただろう。爆撃は無慈悲に続けられた。瓦礫を、土砂を、生き埋めとなった人々の亡骸を焼き付くしながら、着実に地下への道が掘り進められていく。

 アギーハは笑っていた。哄笑していた。

 烈火の如く苛烈であり、毒蛇のように執拗な彼女の気性が、その姿にこれでもかというほど濃縮されていた。有り余るほどの悪意と執念の混合体に両目を爛々と燃え上がらせ、一種の美すら見る者に感じさせるほどだった。

「こちらブリッジ。ウヅキです。各クルー、応答願います!」

 一方、いままさに上空より蹂躙の飛礫がその身に届こうとしているハガネ隊では、悲鳴まじりの艦内放送が鳴り響いていた。

「誰か応答して下さい。医療班! ブリッジで何名かが負傷しています。艦長もです。扉が開かないんです。誰か、誰かいませんか!」

 艦内はさながら火が消えたような静けさに支配されていた。電気系統は八割方途絶えており、通信システムも同様である。艦内全域に行き届くよう設定されているはずの彼女の声も、実のところはほんの一部にしか届いていない。平時には延々と壁や床の内部を反響していくメインエンジンの駆動音も立ち消えている。

「震動が起こっています。余震ではありません。敵の攻撃を受けているんです! 迎撃しなければ! お願いです、誰か、誰かいませんか!」

 誰も居いない。少なくとも、即座に彼女の差し迫った悲鳴に応じられる者は一人も。

 本来誰よりも先んじて行動を起こすべき戦闘指揮官は、他の多くの者らと同様に艦の通路に倒れており、彼の恋人もまた、そんな彼の胸にかき抱かれたままぴくりとも動かない。壁にでも打ち付けたのか、彼女の額から決して少なくない量の血が流れていた。

 指揮官の補佐として各々に部隊をまとめあげるカイ・キタムラやイルムらも、それぞれ別の場所にて大同小異の状況に陥っている。彼らの手足となるべき他のパイロット、そしてその他の乗組員たちもまた同様である。失神では済まない者も中にはいることだろう。

 乗組員という乗組員が死屍累々とばかりに物言わず倒れ伏し、全てが静まり返る中、ただ一つ助けを求める切実な女の声だけが震えるのである。これまで地球圏最強の名をほしいままにしてきたハガネ隊は、いまやそんな救いの無い魔窟と化していた。

 ハガネもヒリュウ改も、こうなってはもはや戦艦ではなく土中の棺も同然であった。その棺に対して、上空より嬉々として殺意の飛礫を流星のように降り注がせる存在がある。災厄に災厄を重ねようとする悪意がある。いまはまだ遥か頭上のことだが、そうでなくなるまでは半刻と要すまい。ハガネ隊全てを丸ごとに飲み干そうとする死出の道が、いまこじ開けられようとしていた。


   Ⅴ


「ぐ……うぅ……」

 呻くように、唸るように、アイビスは声を発した。

 倒木の上で、アイビスは腕を動かしていた。外れた左肩を庇いながら身を起こし、そのまま膝を突き立ち上がろうとする。満身創痍の身ではひどく困難なことだったが、それでも試み続けた。痛みよりも眼前の光景と、それにより胸中を急き立てる一つの衝動がそれに勝っていた。

「うぅ……ううぅぅぅっ!」

 唸り声はいよいよ獣のそれに近くなった。いや猛禽というべきか。高まり沸騰していく感情が、小心のヴェールに隠れた彼女の本性を露にしようとしていた。

 声の向く先は一つではない。暴虐の権化たるかの銀影は無論のこと、依然としてどこまでも冷たくそれを見守る月の眼差しに対しても、彼女の唸り声は注がれていた。

 地獄ではない。アイビスはつい先ほどに、周囲の光景をそう評した。しかしそれは誤りであった。まさしく地獄の宴はこれより始まっていた。全てが砕けた瓦礫の海、炎と砂煙が渦を巻くなか降り注がれる殺戮の雨。これが地獄でなくてなんなのか。

 終わってなどいなかった。何も無い、などという事も無かったのだ。アギーハが方々に捉えた動体反応。いままさにシルベルヴィントの下から聞こえる男の悲鳴。地下のハガネ隊。そして自分。この瓦礫の海には、まだこんなにも命が。

「やめろ………!」

 血を吐くように、アイビスはそう言った。それは過去からの叫びでもあった。横暴な父、傷ついていく母。そんなありふれた不幸が、世界の全てであった頃があったのだ。

 ようやく、息も絶え絶えになりながらアイビスは立ち上がった。立ち上がり、そして叫んだ。

「やめろ、アギーハァ!」

 やめろ、父さん。

 生まれて初めて、そう叫んだときのことが脳裏に閃光となって弾けていた。切っ掛けはなんだっただろう。酒場に通いつめていた飲んだくれの一人が、宇宙の話をしてくれた時のことだろうか。それとも生まれて初めて盗みを犯し、手に入れたニール・アームストロングの本を夢中になって読み耽った時のことだろうか。いずれにせよ幼いアイビスはそのときに、星の海とは見上げるものではなく、心を逃避させる場所でもなく、己の足で往くことができる場所なのだと知ったのだ。そしてこの世のあらゆる困難や苦痛、悲運といったものは、耐えるものではなく立ち向かうものなのだともまた知ったのだ。

 街角でひたすら目を閉じていた幼子は、そのとき初めて目を開き、世界というものを見渡した。今のアイビスと同じように。

「卑劣な真似はもうやめろ! こっちを向け。あたしが相手になってやる!」

 無論相手に聞こえるはずも無い。聞こえたところで、鼻で笑うのが関の山であっただろう。それでもアイビスは構わずに叫び続けた。戦争に正義なく、殺し合いに美醜はない。そんな理屈を越えた、遥か根源的な、ただただ理不尽を、悪たるものを憎む衝動が体内より沸き上がって止まなかった。

「おい、聞こえないのか、ちきしょう!」

 倒木の上になんとか立ち上がり、左肩を抑えながらアイビスは悪態の限りをついた。誰かが乗り移ったかのように口汚く、猛々しかった。

 そうして災厄の地に近づこうと、一歩足を踏み出す。ずきずきと疼く足を堪えて傾斜を下ろうとするも、力が入らず無惨に転倒した。瓦礫が胸を打ち、アイビスは息をのんだ。

 痛む。体もだが、それよりも心が。己の無力に体する悔しさが、アイビスの目元を濡らした。

 こんなにも自分は弱い。戦うどころか、かの銀影に近づく事すらできないほど、あまりにも。

 一人では、こんなにも。

「助けて……」

 もはや恥も外聞も無く、アイビスは泣いた。泣いて、彼女の知る中で最も強き少年の名を呼んだ。

「助けて、マサキ……」



 ちょうどこのとき、レイチェル・スコット中尉は愛する男性の肉片に囲まれながら永遠の眠りについた。

 ちょうどこのとき、トーマス・リンドバーグは息子の亡がらを抱えながら炎の中でその生涯を終えた。

 デイビッド・ブルーノは、まだぎりぎりのところで命運を尽きさせてはいない。しかし彼に庇われている整備士の男は、決して仲睦まじかったとは言えない同僚の温もりの中で、いままさに息絶えようとしていた。

 これらは今宵に生み出された被害者の、まだほんの一部である。多くの者が死んだ。これからも死んで行くだろう。死したのち何かを為す術を人間は持たない。死者はただ死者として、以降何を果たすこともなくただ土に還っていく。

 ただ人類という種は個々で成立してきた生物ではない。どのような天災、どのような暴虐のなかでも、あえなく倒れる者もいれば、かろうじて生き残る者もいた。種の発生から今日に至るまでの数万年間、如何なる災厄の中でも人々は、己の命運が尽きようとも己以外の何かしらを未来に残してきた。あるいはそれは、掴まれた尾を切り離してなお進む蜥蜴やミミズなどとなんら変わる事のない、生物としての一つの仕組みなのかもしれない。

 その証明であるかのように、多くの誰かが多くの何かを抱えて潰えたこの日に、それらを受け継ぎ、先へと繋ごうとする人物がいた。

 そうして、まるで誰かに呼びかけられるように、少年は目を覚ました。



 すこし気を失っていたらしい。マサキはずきずきとする頭痛を堪えながら、仰向けに寝そべるアウセンザイターの影からまるでトカゲのようにひょこひょこと這い出てきた。

「あー、死ぬかと思った」

 その呟きも、周囲の惨状を見渡せば決して大げさではない。ハガネの格納庫は文字通りに天地がひっくり返ったような様相を呈していた。艦全体が横倒しになったことにより、ダイゼンガーを初めとする天井側に位置することとなった機体群が軒並み床側に落下したのだ。互い違いに仰向けと俯せになった機動兵器たちが、見渡す限りの床を埋め尽くしており、題するなら「巨人たちの雑魚寝」といったところだろうか。暢気な発想だが、ここに至るまでさぞ盛大な地響きと騒音を巻き起こしただろう。かろうじてフェアリオンなどサイズと重量に恵まれた機体だけが、いまだ固定具に支えられながら天井から釣り下がっているが、それにしても油断は禁物だった。

「まったく、特機ってのも考えもんだな」

 悪態を付きながら、マサキは仰向けになっているアウセンザイターの愛想の無い横顔をよじ登った。すでに床は巨人達の体躯によって塞がれている。とても進んで行ける状態ではないので、機体の上を歩くしかなかった。

 アウセンザイターの鼻先に辿り着き、マサキは辺りを見渡した。見る限り九十度ほど横倒しになっているものの、なんとかハガネは形を保ち続けているようだ。艦内の明かりは消えており、非常用電源に切り替わる様子もない。切り替わったのち、それもまた破損したのだろう。内装のダメージはかなり大きいようだが、足場が崩れないだけありがたい。

 落下はひとまず収まったようだ。アイビスではあるまいし、どれほどの天変地異でもまさか無限に落ち続けるわけもない。とりあえず下限には到着したらしく、ならばあとは昇るだけだとマサキはごく簡単に考えた。さきほどからごく微量に感じる断続的な揺れと音のこともある。

「さーて、こうしちゃいられねえ」

 マサキはアウセンザイターの右肩まで走って、その上にラリアットをするように乗っかっているダイゼンガーの右腕に飛び移った。ダイゼンガーの後頭部を通るときは殊更ズカズカと踏みにじるようにしてやった。

(覚えてろよ、この!)

 そうして飛び石のように機体から機体を移動して行き、やがて仰向けに倒れふす白銀の機体に辿り着いた。

 全長三十メートルにも届く銀巨人。力強い五体。白と銀の鎧。三層一対の翼。猛禽の爪。

 風の魔装機神。言うまでもなき彼の半身。しかし、なにやら邪魔者がいる。天井側から落ちて来たのであろうアステリオンが、不届きにも押し倒すような形で上に乗っかっているのだ。サイバスター側にとくに損傷はないようで、見ようによってはサイバスターが彼女の機体を受け止めたように見えないこともない。

(まぁ、勘弁してやるか)

 こちらには、あまり腹は立たなかった。

 マサキは当たり前のように、サイバスターに乗り込んだ。ただちに出撃するつもりだった。こんな事態が天然自然に発生したとは思えない。おそらくは何者かが攻撃を仕掛けたのだろう。おそろくは今もなお。

 先ほど見た限り、格納庫の出入り口は幸いにもとくに塞がっていないようだ。にもかかわらず、人が集まってくる気配はない。通信を試みても、案の定、誰からも答えは返らない。まさか最も危険地帯にいたマサキを差し置いて全滅はしていないだろうが、機敏に動ける状態でないのは確かなようだった。

 なにも待っておくことはない。先に外の様子を見ておくべきだろう。おそらく今は艦全体が土の中なのだろうが、問題は無い。突き抜けるまでのことだ。外に出れば敵の大軍が待ち受けているやもしれなかったが、多対一こそ魔装機神の本領なれば恐れるに値しない。

 シートに腰をおさめ、コネクタに手を当てようとして、マサキはふと思った。ハガネはなんとか形を留めた。おそらくヒリュウ改も無事だろう。ならば基地施設はどうなったのか。その中にいた人々は、そして彼女は……。

 アイビスの現状も、次々と幕を閉じていった物語の数々も、今のマサキには知る由もない。無念のまま死んでいった誰かが、もう戦えない誰かが、死の国から何を訴えかけようとマサキの耳には届かない。かろうじて生き延びるアイビスの声にしても同様だった。

 それでも少年は立ち上がっていた。声が聞こえずとも、声が望む通りに立ち上がり、願いが聞こえずともその通りに剣を抜いた。本人には全く自覚がなくとも、それでも確かに、その背に何かを背負ってマサキは行く。

「覚悟しときな」

 誰に言うのでも、誰に答えるのでもなく、マサキはただ独り言として呟いた。

「誰だか知らねえが、ただじゃ帰さねえ」

 マサキの闘志を感じ取り、サイバスターの双眸に翠の光が灯った。




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