「あ゛ーー、やっと午前の授業が終わったー」
「何情けない声出してるのよ。しゃんとしなさいしゃんと」
「昨日の騒動で疲れてるんだから大目に見てー」
そんなやり取りをしながらいつものメンバーで屋上の一角に陣取る。
三人がけのベンチに、少し詰める形で座る。
端から、翔太、アリサ、なのは、すずかという順だ。まだ身体が小さいからそんなに狭い感じはしない。
「翔太くん午前中の授業ほとんど寝てたよね」
「んー。昨日は色々あったせいか体が重くてな」
すずかの言葉にうなずいて、弁当箱を開きながら昨日のことを振り返る。
午前中はサッカーの試合。昼から森の中で飛行訓練をして、そのあとすぐにアリサを迎えに行くために隣の町まで飛んで、とんぼ返りで帰ってきたと思ったら、地との追いかけっこやジュエルシードが生み出した大樹の枝葉から逃げるための高速飛行をしたり、そんでもって事件収束後もアリサを元の場所に送ったりと一日中体力も魔力も使い通しだった。疲労するのも当然と言える。
「ま、頑張った方だとは思うわよ」
『アリサが翔太を面と向かって褒めるんはめずらしいな』
「ほ、褒めてなんかないわよ! ただちょっと見なおしたってだけなんだから!」
僅かに頬を染めながら、勘違いしないでよね!と箸を向けてくる。わかったから行儀悪いので止めなさい。
「そんじゃ御褒美に膝枕でお昼寝を――」
「調子に乗るな!」
「でこぴんっ!?」
翔太が弁当を取り落とさない程度には手加減されていた。いつもよりほんの少しだけ翔太のボケに対するつっこみがソフトになっていた。
「でも昨日は本当にすごい騒ぎだったよね」
「うん、今朝のテレビでも取り上げられてたよ」
「謎の地震に、突如現れた大樹」
「そしてそれを消し去ったピンクの野太い破壊光線」
「そうそう…って、そこまでは言われてないよっ!?」
精々が不思議な光、程度な扱いだけど実際それで間違ってない気がする。発射するの横で見ていた翔太達は、そろって「あのディバインバスターは絶対まともに受けたくない」という認識を共有していた。
「それにしても、取材のためだと思うけど朝からバラララバラララとヘリがうるさいよな」
丁度見上げた先に、普段はこの辺りを通る事のないヘリが通り過ぎていった。いつもなら珍しいと思うものだが、今日に限って言えばもう見慣れた光景だった。
「そうね。まったく、あの気球みたいに静かに飛べないのかしら」
アリサの視線の先に、これまた珍しく気球が浮かんでいた。こちらはゆったりのんびりとヘリのようにやかましい音は立てない。
「でも本当にすごい騒ぎだったから仕方ないといえば仕方ないよね」
「ま、その割に怪我人とかは少ないみたいだけどな」
少なくとも報道されている範囲では、重傷を負った人はいないとされている。あれだけ岩が生えていたのに、ガス管とか水道管とかのライフラインには全く影響を及ぼしてないと言うのだから、地の奴がわざとやってたんじゃないかとも思う。
「ジュエルシードもクロウカードも回を増すごとに被害が大きくなっていってる気がするの」
なのはがこれまでに起こった事を指折りしながら振り返る。
神社では犬の飼い主、プールでは水着を盗まれた人がいたり、すずかに至っては溺れている。学校のジュエルシードは特に騒ぎと言うほどのものはなかった(むしろ片付けずに放置していた骸骨とかが学校中の噂になってはいた)が、昨日は町全体に被害が拡大している。
「封印するのも一筋縄じゃいかなくなってるよね」
「だよなぁ。昨日なんか空飛べてなかったらまともに地と対峙出来てなかったと思うぞ?」
地が活動している間、終始地面が揺れていたのだ。仮に空を飛べなかったとしたらどうなっていたか、想像がつかない。
「そうよ、それよ!」
「どれよ?」
「アリサちゃん?」
突然ベンチから立ち上がって俺たちに向き直るアリサ。
「私だけ飛べないのは不便よ! いつまでもおんぶにだっこじゃ役に立てないじゃない! 昨日だって私は地を封印しただけだし……。一体翔はどこにいるのよー!!」
最後の方は空に向かって叫んでいた。
最後の絶叫の所為で周囲の目がアリサに集まっていた。最近一番暴走気味なのは彼女なのかもしれない。
『空を飛ぶと言うのであれば翔以外にも手段はありますよ?』
「ホント!?」
珍しくスピネルが言葉を発し、アリサが勢いよく食いつく。
『太陽属性の浮というカードなら浮力を得られます。単体ではゆっくりとしか移動できませんが、マスターがやるように跳と併用すればそれなりの空中移動はできるはずです』
跳だけなら跳躍の勢いを失ったら落ちる。浮だけならゆっくりとしか飛べない。でもこの二つ合わせれば"空を飛ぶ"ことはできずとも"空を跳ぶ"ことはできるというわけだ。ただ――
「その浮はどこにいるのよぉ!!」
アリサ、大噴火。同じく屋上で食事中の上級生や下級生も楽しげにアリサのリアクションを眺めている。
「まあまあ、アリサちゃん。焦らず探してみよう?」
「そうだぞアリサ。例え翔が最後まで出てこなくても、浮がいれば疑似的に飛べるって分かっただけ収穫じゃん」
「……浮が最後から二番目だったらどーするのよ」
「いや……、うん……。その、そこまではフォローしきれん」
「うがぁあ!」
「りふじんっ!?」
肩パンをくらう翔太。口は災いのもとである。
『……何を言っていますか、あなた達は』
そんな風にじゃれあっていると、スピネルが呆れたように言った。
『浮ならさっきからそこにいるではありませんか』
「「「「え?」」」」
呆ける皆を余所に、すずかの胸元でこっそり動いた月の鍵が指し示す先、屋上の向こう側に、ゆったりのんびりと空をたゆたう気球の姿が。
「……っえ!?あれがクロウカード!?」
「そ、そういえば気球にしてはちょっと小さいかも」
『まさかこんな近くに……』
「……ちょっと待ちなさいケルベロス』
『はっ!?』
アリサの口から久しぶりに発せられた太陽の鍵の選定者の正式名称は、どこか地の底から響いてきたかのような、ほの暗い雰囲気を含んでいた。
『き、気付いとった! ちゃんと気付いとったで! ただちょっと言うのがおそうなっただけで!』
「嘘つきなさい! さっき私たちと一緒に驚いてたじゃないの! アンタホントにやる気あんの!?」
『いや、その、浮はゆっくりな分隠密性の高いカードやさかい、見つけにくいんやって!?』
「気球を話題に出したのは私が一番最初よ!私の首からぶら下がってるなら絶対見てるはずでしょうが!」
ぷっつんいったアリサと必死に誤魔化しに走るケルベロス。
怒りで我を忘れたかと思いきや、携帯電話を耳に当てて"ひとりで叫ぶ変な人"に見えないように対策してる辺りちゃっかりしてる。
大声なせいで目立ってるのは変わらないところはもうどうしようもない。
「そういやさっき気球がどうのとか言ってたなー」
「あれが浮だったんだねー」
「今日もいい天気だねー」
「――!――!?」
『――!!――?』
あっちの方でやり取りは続いてるけど、へたにフォローするとアリサの怒りが飛び火するので翔太達はのんびりご飯を食べることにする。
「あ、すずか、俺の卵焼きとその佃煮交換して?」
「うん、いいよ」
他人のふり他人のふり。
「ぜぇ…はぁ…」
三人そろってごちそうさまをする頃に、アリサがポケットに携帯電話をしまいながらベンチに戻る。
胸元にまだ太陽の鍵がぶら下がってるところを見るに、とりあえずトイレに流される刑にはならなかったようである。仮に流してしまったらどこ行ったかわからなくなる上、仮に見つかったとしてもそれを使うのはアリサ自身なんだからやるわけはないんだけど。
「アリサちゃん、終わったの?」
「とりあえず薪にくべる刑で許してあげることにしたわ」
『それ許してるっていわへんっ!?』
「世は並べて事もなしだな」
『大事やでっ!?』
「それで、どうやって浮を捕まえようか?」
『無視かっ!?』
「にゃ、にゃはは」
だから関わるとこっちに飛び火するんだって、と翔太は内心で言い訳をする。すずかもケルベロスの扱いを心得てきたのかナチュラルにスルーをしている。なのははどうすればいいのかわからなくて苦笑いを浮かべるだけだ。
ともあれ、肝心の浮はどうしよう、と頭を悩ませる。相変わらず空にふわふわ漂ったまま逃げる気配はないのが幸いだが。
「えっと、飛べば捕まえられるよね?」
なのはが何が問題なのかわからないと言うように素朴な疑問をぶつけてくる。
「ほほう、人がいっぱいいる屋上で飛べるならどうぞ」
「あ」
「さあ、飛ぶんだ!」
「と、飛べません!」
「キミなら(ホントに)できる!」
「で、できないよ!」
「ゆーきゃんふらい!」
「だからできないもん!」
「ぷげら!?」
なのはががむしゃらに突き出した手が翔太の頬に直撃。
こいつ、いいもん持ってやがる、とさらにボケる翔太をアリサは笑う。
「窮鼠猫を噛むってやつかしら」
『わいを助けんかったバチが当たったんや』
『……いいかげん浮を捕まえないのですか?』
「楽しそうだからいいんじゃないかな?」
そんな彼らのいつも通りの日常。
「さあみんな! 準備は良いわね!」
「おー!」
「結界の準備もOKだよ」
「楽しそうだねアリサちゃん」
「今まで一人だけ飛べなかったからな」
放課後になってユーノを加えた五人は、海鳴臨海公園に集まっていた。
アリサの手には浮のカードとすずかから預かった跳のカード。アリサ悲願の飛行魔法の実演と言うわけだ。
ちなみに浮のカードは、予鈴が鳴ってアリサたち以外の生徒が屋上から去ってから、翔太がアリサを背負って浮のところまで飛んで、無事封印したのだった。
「海の上で広域結界を張って練習ね。考えたな」
「ユーノくん、魔力は大丈夫なの?」
「うん。魔力素の適合不良も大分改善されてきたから大した負担じゃないよ」
「それじゃ、お願いねユーノ!」
「まかせて。広域結界展開!」
最近では定位置と化したなのはの肩の上で、ユーノが起動ワードを唱えると共に世界の色が僅かに色褪せていく。
通常空間から特定の空間を切り取る結界魔法。主な効果として、術者が許可した者をその空間内に取り込み、基本的には外部からは観測できない状態にすることが出来る。
魔法文明が全盛のミッドチルダでは特に隠す必要もないので使われることも少なく、習得難易度も高い魔法であるためあまり覚えている人はいないらしい。だがいろんな世界で遺跡発掘作業を行うスクライア一族は、時に魔法文明のない管理外世界を訪れることもあり、そこで魔法のことが露見しないようにするために使うことが多いのだそうだ。
「正常展開確認。僕たち以外に結界内に入っている人はいないよ」
「ありがとユーノ。それじゃ、封印解除!」
「封印解除」
「レイジングハート、セットアップ!」
周囲に人影がないことを確認して、少女三人はバリアジャケットを纏う。
それを羨ましげに眺める翔太。バリアジャケットどころかデバイスすら持っていないことに落胆している。
「無い物ねだりはみっともないわよ」
「うっせ」
「アリサちゃん、翔太くんの考えてることがわかるんだねっ」
「ち、ちがっ!? こいつが物欲しそうな顔してたから!」
「そうなんだよ。俺たちはツーと言えばカーという――」
「調子に乗るな!」
「ぃつーっ!?」
耳たぶ引っ張られて涙目になる翔太。
「……かー」
『……マスター? それは私こそが翔太とツーカーの関係だと言いたいがための主張でしょうか』
「ち、ちがうから! なんでもないから!」
その隣でスピネルにからかわれるすずかの姿があったとかなかったとか。
「さーて!それじゃいっちょやってみましょう!」
アリサの掛け声と共に気を取り直す。
ユーノの魔力が回復したからと言っても時間制限はやっぱりあるので、じゃれあってばかりもいられない。
「そんじゃ俺たちは先に空にあがっとくぞ」
うなずくアリサを残し、既に空を飛べる翔太たちは飛行魔法を使って空で待つことにした。
「いくわよ!」
右手に持った人差し指と中指の間の浮と、中指と薬指の間の跳を勢いよく中空に放る。
カードはアリサの目の前の空間でくるくる回りながら魔力の輝きを宿していく。
「浮跳!!」
アリサの魔力のこもった言葉と共にカードに向かって振り降ろされた太陽の杖。足元には太陽と月などが描かれた丸い魔法陣が浮かび上がる。
カードは淡い金色の光に包まれて形をなくし、そのままアリサの身体に宿って、足首の部分に金色の羽を生やす。
『クロウカードの二重起動って結構難しいはずなんやけど、さらっとやったな』
アリサの魔法のセンスに関心の声を上げるケルベロス。
「これで……、いいの?」
「浮いてるよ!」
「浮いてるな」
アリサの身体はふわりと宙に浮いていた。
『浮の効果は正常に効いとる。そのままジャンプしてみ』
「うん。ジャンプ―って、きゃあああああぁぁぁぁぁ.....!!!?」
「おー、ドップラー効果」
翔太たちを追い越して、声だけ残して空へ跳んでいくアリサ。
そう。浮と跳のそれぞれの能力をよく考えればわかる。その二つに、"空中で止まる"機能は存在していない。
「って、眺めてる場合じゃないよ! っアリサちゃ~~ん!」
「追いかけよう」
「そだな」
一足先に飛び出したなのはを追って、翔太とすずかもアリサの後を追い掛ける。
「こ、これは随分コツがいりそうね……」
「だ、大丈夫?アリサちゃん」
なのはに肩を支えてもらいながら空に浮いているアリサに並ぶ翔太。
あれから十数分。アリサは、ジャンプの加減を間違えては制御不能になって翔太たちに助けられるということを繰り返していた。
ちなみに、すずかも飛行時の推進力の補助として跳を使っていたが、減速や停止は飛行魔法のそれを使っていたので今回のアリサの参考にはならなかった。
「と、とりあえず進んでる方向と反対の方向にもう一度同じ力で蹴れば止まれることはわかったわ」
「その力加減がすごく難しそうだけど……」
「やると言ったらやるの!」
「後はまあ、空で停止することは諦めて、常に移動しっぱなしとかな。とりあえずそれで一応空は飛べることにはなるんじゃないか?」
「いやよ! ちゃんと飛べるようになりたいの!」
ちょっと涙目になっている。あまり表には出してなかったが、自分だけ飛べないことが実は結構堪えていたアリサだった。
「わかった。飛べるようになるまでちゃんとフォローするから」
「……ありがと」
「もちろん私たちも。ね、すずかちゃん」
「うん」
「僕もできる限り協力するよ」
それから五人はユーノの魔力が続くまで、アリサの訓練を手伝った。
「もうちょっとでコツは掴めそうなんだけど……」
数時間の練習で支えがなくてもそれなりに跳べるようにはなった。たださすがに自由自在とはいかず、やはり止まるのに難儀している。真っ直ぐ進むだけなら最初の時点から問題はなかったのだが。
「ごめん、そろそろ僕の魔力も心許なくなってきた」
少しだけ辛そうな顔を浮かべるユーノ。誤魔化しているがそろそろタイムアップの様子だ。
海上を中心に、周囲数百メートル四方のスペースを囲っている遮断結界。大規模と言ってさしつかえない広範囲を包み込むその魔法は、まだ完全に地球の魔力素に適応していないユーノにとって大きな負担となっていた。
「そういえばさっきから結界の感じが変わってきた気がする」
『ほう、わかりますか、マスター』
「うん、なんとなくだけど」
結界を構成する魔力の質に関する感応の才が高い様子にスピネルが感心する。この才を持つ者は感知系の魔法に対して高い素養がある場合が多い。
「あれ? 何だろうこの感じ」
「どうしたのユーノくん?」
時間としても頃合いなのでそろそろ訓練を切り上げて戻ろうかと話をしていると、ユーノがきょろきょろと首を振る。
「結界の中に何かが入り込もうとしてるみたい」
「え、そんなことできるの?」
「魔力のない人にはそんなことできないけど、今は結界の構成がちょっと崩れてきてるから魔力のある人には感知できてしまうかもしれない」
「ちょっと、それはまずいんじゃないの!?」
『いえ、管理外世界で魔力ある存在など限られています』
『そんな中で魔力ある存在ゆーたら……』
――ぴるるるるるる!――
「……ジュエルシードで巨大化した鳥、じゃなけりゃ」
『翔のカード、やな』
アリサが空を飛ぶために探し求めていたカード。
それが見つからない代わりに、代用として浮と跳の二重使用の訓練を今日1日ずっと続けていたわけで。翔が出てきたことで、今日の特訓が水の泡と言うことに……。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
なのは、ユーノ、すずか、そして翔太はゆっくりとアリサに視線を向ける。
「……きょ、」
両手をぎゅっと握り、わなわな震えてるアリサ。
俯いて目が見えないのがより怖い。
「今日の苦労はなんだったのよぉぉぉっっっ!!!!!」
――ぴるっ!?――
「逃げるなぁーーー!!!!」
驚いて逃げる翔を、空中を水平に跳躍しながら追い掛けるアリサ。
それを翔太たちは何とも言えない疲れた顔で見送る。
「……と、とりあえず今翔を追い掛けることが出来るのは今日の成果だよな、うん」
「そ、そうだね!全部が全部無駄じゃないよね!」
「妙な癖が残らなければいいんだけど……」
「……ままならないね」
「汝のっ!あるべきぃ!姿に戻れぇっ!!ク・ロ・ウ、カーーーーッド!!!!」
夕暮れに染まりかけた空の中で響いたその叫びは、やけに怨嗟に満ちたものだった。