高層マンションの最上階に位置するとある一室に、ぺらり、ぺらりと紙が捲られる音だけが広い部屋に響いている。
部屋にいるのは二人。一人は長いオレンジ色の髪にオオカミの耳を生やした女性。名をアルフ。殺風景な部屋の中、フローリングに胡坐をかいて座り、一心不乱に紙の束を読みふけっていた。
もう一人は黒髪のショートボブの少年。殺風景は部屋の中で唯一存在感を示しているソファーに、片方の肘掛けに頭を、もう片方の肘掛けに足を乗せるように寝かされている。誰あろう翔太である。その身体は酷い外傷を負っている。
「ぉしっ、いっけぇぇぇ!」
静かだった部屋に熱のこもった、それでいて楽しげな声が響き、同時にそれが翔太の意識を揺り起こした。
(ん…… ここは……?)
うっすらと開いた視界の中で、翔太は見覚えのない部屋をぼんやりと眺める。
はて?ここはどこだろう、と僅かに身体を動かそうとした時、今まで感じた事のない激痛が左肩から脳に突き抜けた。
「――――っっ゛~~~~~!!?」
悲鳴をあげようとすることで、悲鳴をあげそうな痛みを感じるという地獄の連鎖が続く。
と、そんな風に翔太が生きてる証に悶えている横で、アルフは未だに紙の束に夢中で翔太の様子には気付かない。
開かれた頁にはちょうど挿絵が描かれている。中学生の美術レベル以下、小学生の図画工作レベルではあるが、舞い落ちる白い羽の中を駆けるボロボロの少年の姿だとわかるものだ。つまりは翔太が書き出した小説、とある魔術の禁書目録の終盤である。当然挿絵も翔太が描いたものである。生憎翔太は美術スキルに乏しいようで、この辺りは鋭意努力中である。そんな下手な挿絵でも気にせず、アルフは小説の内容に引き込まれ、片手をグッと強く握りながら、時折声を上げつつ読み進めていっている。
対する翔太の方はといえば、強張った身体からほんの少しばかり力が抜け、なんとか細く呼吸が出来る程度に痛みが落ち着いた。その頃には額と云わず背中と云わず、全身に脂汗がびっしりと浮かんでいた。
(一番痛いのは左肩か?)
痛いと言えば四肢の全てが痛いが、なかでも一番ジンジンと痛むのは左肩らしい。首を動かす事そのものが痛みを発してしまうため、視線だけをそちらに向ける。
(うわぉ……)
鉄の棒、おそらくはコンクリートを補強するための筋金だったものが突き刺さっていた。否、刺さるだけではない。貫通している事にも気付く。
(見なきゃよかった…… 視覚効果だけで十分痛い)
視線を天井へ向けて小さく溜息をつく。左肩以外にも右腕と右足が骨折している事にも気付いた。左足は足首から膝まで切り裂かれたような痛みがある。工場の屋根を突き抜けたときに突起かなにかに引っかかれたのだろう。
(さて、状況はなんとなくわかったけど、どうしよ……? これ攫われてるよな)
意識が途絶える直前、少女が追いかけて降りてきたことは覚えている。その関係者であろうたたき落とした張本人が同じ一室にいるのだ。良い状況ではないことは確かだ。
(しかし、声をかけようにも、なんか熱中してて話しかけ辛い)
今アルフは目に涙を浮かべて287頁を読み進めている。インデックスと透明な少年の場面。そして288頁をめくり、インデックスと同じく「はえ…………?」と動きを止め、更に続きを読み進めていく。
「なんだいなんだい、結局大丈夫だってことかい。いやー、よかったねぇ! ……て、あれ?」
だが、291頁にさしかかり再び顔が強張る。そしてそのまま一気に最後まで読み上げ、ゆっくりと紙の束を綴じた。
「うっ、うっ、良い奴だよっ! こいつは本当に良い奴だよっ! インデックスの心を守るための嘘を貫き通すなんて見上げた根性じゃないかっ」
もう涙腺が決壊したんじゃないかというくらいわんわんと泣き出した。
(これ、話しかけるの勇気いるな……)
読者が増えれば増えるほど、その読者が感情を揺り動かされればされるほど、翔太が使った時の威力は高まる。期せずしてとはいえ、助力してくれたアルフに対して余韻を乱す事をするのはなんとなく憚られる。
どうしたものかとしばらく様子を見ていると、鼻をぐずぐずと啜りながらも涙は止まり少し落ち着いたらし――
「さて、続きの奴がもう一冊あったはず」
「それは書きかけだ、っていうかいい加減気付けぇ!? っづ~~~っ!?」
――ほっとくとまた長くなりそうなのでとっさに口を出したが、声を張り上げたせいで再び痛覚信号が脳にビンビンと送信されることとなった。
「~~~~」
「なんだい、起きてたのかい」
若干ばつの悪そうな表情を浮かべながら痛みに悶える翔太に顔を向ける。数秒その表情のまま翔太を見つめていたが、少しして頭をグシグシとかきながら「仕方ないか」と呟いて翔太が横になっているソファーまで近づいていく。
「やったアタシが言うのも何だけど…… 大丈夫かい?」
そばに置いてあったタオルで額や首に浮かんでいた脂汗をそっと拭いながら翔太に声を掛けるアルフ。
「これが、大丈夫に、見えんのかい」
左肩に視線を一旦向けた後、少し恨みがましい目をアルフに向ける。
鬼気迫る表情で叩き落とされた張本人なので本来なら睨みつけるところだが、表情に浮かぶ罪悪感と、汗をぬぐうときの優しい手つきにほんの僅かだけ警戒心が下がっていた。
「……まぁ、世間一般でアンタの状態を軽傷とはいわないだろうね」
そう口にしながら、翔太の左肩へそっと両手を近づけていくアルフ。髪の色と似た魔力光が淡く翔太の肩を包んでいく。
「麻酔みたいなもんだよ。でも傷が治ったわけじゃないから動かそうとするんじゃないよ?」
「あ、あぁ」
そのまま沈黙してしまう。アルフは気まずげに視線を逸らすばかりで何か言うわけでもない。
翔太としては色々と聞いてみたい事がある。何故ここまで連れてきたのか、お前は誰なのか、あの娘は誰なのか、何故ジュエルシードを奪ったのか。どれから訊くべきが迷っている間に、突然トタトタと足音が聞こえてきたかと思うと、部屋の扉が大きな音を立てて開かれた。
「アルフ! っはぁ、はぁ、薬とか、包帯とか、いっぱい買ってきたよ!」
そこから薬局の袋を両手いっぱいに抱えた金髪の女の子が、息を切らせて駆け込んできた。猫を攻撃し、ジュエルシードを奪っていった娘、フェイトだった。今はバリアジャケットではなく黒いワンピースに身を包んでる
そしてそのまま翔太が寝かされているソファーの横までかけてきて、アルフの横で袋をひっくり返して中身を床に放りだす。その様子は随分慌てていて、翔太が見ていることにも気付いている様子はない。
「えとえと、どうすればいいかな?」
消毒液、包帯、傷薬、頭痛薬に熱さまし。湿布に絆創膏に栄養ドリンク。慌てた様子で次々と手に取り、右往左往してる。……介護用オムツとかが紛れているのは気のせいだろうか。
「落ち着きなよフェイト。少なくともそのコン…… と、とにかくそれとか絶対いらないから。むしろそれが必要な場面になったらアタシがこいつ殺してるから」
「そんなものまでっ!? って、いたたた」
「え?」
声を上げたことでようやく翔太が起きている事に気付いたフェイト。
ビクッと大きく身体を震わせて振り返る。ほんの少しだけ上体を起こそうとしている翔太を見て、慌てて両手を動かして翔太の方に突進していく。
「う、動いちゃダメ! 安静にしないと!」
「ぎゃああああっ!??」
ソファーに寝かしつけるようにしたかったのだろうが、その手が翔太の肩に置かれていたのは天然か狙ってやったのか。
「ああああああ!? ごめんなさいごめんなさい!」
目端に涙を浮かべてうろたえるフェイト。もしかしなくても天然だった。
「フェイト、ちょっと深呼吸しよう」
少しだけ嘆息した様子のアルフに連れられて部屋の隅に移動するフェイト。そこで落ち着かせようとやり取りをしている間、翔太は肩から来るズンガズンガ響く痛みに耐えながら窓の外に視線を向けた。
翔太が寝かされているソファーの後ろにベランダへと繋がる窓が存在する。その窓にはカーテンはかかっていない。窓の先にある空は、すっかると夕暮れの色に染まっていた。それもあと少しで沈んでいくだろう。翔太が気絶してから少なくとも三、四時間は経過していた。
「話しても大丈夫かい?」
「お、おう」
「うぅ、ごめんなさい……」
そんな風に辺りの様子を探っていると、フェイトを宥めてアルフが翔太が寝かされているソファー脇に戻ってきた。
フェイトの顔は泣きはらしたかのように目元は赤くはれていて、今も若干涙目で翔太の表情を伺ってる。最初に月村家の庭(森?)で襲撃してきたときの冷徹さは伺う事が出来ない。これが彼女の素なのかと翔太は思った。
それとは逆にアルフの方は冷静だった。表情も硬く、翔太に対する警戒心を失ってない。
「まず、なんでアンタをここに連れてきたのかって話なんだけど、これは完全にただの成り行きさ。アンタの惨状を見たフェイトが、慌てて思わず連れ帰っちまっただけでアンタに対する害意はない。これは理解しておくれ」
開き直ったように言うアルフ。ようするに変に深読みして下手な騒動を起こすなということだろう。なりゆきで誘拐された翔太にとってはたまったものではないが。
横でフェイトが申し訳なさげに翔太を見つめていた。表情を見る限り悪気はないのだと思われる。だからといって許せるわけではないが、少なくともさっきの慌てようを見る限り翔太のことを心配していたのは本当のようだ。
「アタシも多少やり過ぎたとは思ったから出来る限りの応急処置はさせてもらったけど……、悪いけどアタシらに肩に刺さったそれを引っこ抜いて治してやれるほど医療や治療魔法に精通してないんだ。だからアンタをさっさと仲間のところに戻したいとアタシは思ってる」
「そうしてくれると助かる」
「あ……、そっか、そうだよね」
要するに怪我人という荷物を抱えたくないということだ。しかもフェイト達にとって翔太はジュエルシードを巡って敵対している相手だ。そばに置く利点はない。
フェイトはアルフに言われてようやくそのことに気付いたようで、どこか消沈したような表情を浮かべた。その様子は、このまま翔太を看病していたかったように見える。怪我を負わせた事に責任を感じてるがゆえだろう。敵対はしてるが、悪人ではなさそうだと翔太は思った。
「だけどその前に聞きたいことがある」
翔太がフェイトに視線を向けているとそれを遮るようにアルフが続きを口にした。
「アンタらこれまでに何個のジュエルシードを回収した? 残数はあと何個だい?」
「……なんでそんなことが知りたい。そもそもお前達はなんでジュエルシードを集めてるんだよ。アレはかなり危険な代物だぞ?」
最低でも人が直接願えば街中を木の根が覆い尽くすくらいの力を持っている。
残数を聞くということは、複数個必要としているのは間違いない。けど一個であの有様だったのだ。そんな危険物を複数集めて一体何に使うというのだろうか。
「アンタに教えてやる義理はないね」
「ならこっちも答えてやる義理はないな」
そのまま数秒睨みあう翔太とアルフ。フェイトが間でおろおろしてる。
「え、えっと、あなた達ってクロウカードも集めてるんだよね?」
場の空気を変えようと別の質問を投げかけるフェイト。
「お前らもクロウカードを? って、クロウカードは太陽の杖か月の杖じゃないと封印できないから欲しがったところで意味はないぞ」
「集めてる癖によく知らないんだね。必ずしもそうじゃないんだよ。フェイト、こいつに見せておやりよ」
「うん。これ」
「え?」
そう言ってフェイトがポケットから取り出したのは紛れもなくクロウカードだった。
「嘘、なんで?」
翔太が疑問の表情を浮かべていると、フェイトがそれに答えた。
「この錠のカードは特殊カード。これはそのままじゃ太陽の杖でも月の杖でも封印はできないんだ。方法は一つ。カードがかけたロックを開けること」
「どっかの扉にとりついていたこいつを、アタシがこじ開けたらカードの姿に戻ったのさ」
開けるって、こじ開けるでも有効らしい。たしかに錠の持つ以上の力を示したってことになるから、あながちおかしなことではない。クロウカードは、己の主にふさわしい人物か選定するために騒ぎを起こしている。力を上回られて、主と認めたならありえることだった。
カードキャプターさくらの原作でも特殊カードは存在する。名前を当てないと力を奪えない鏡みたいに、"杖で封印"ってルールに縛られないカードも存在する。
「でも大半のカードはやっぱり杖がないと封印できないはずだ。それに例え封印できたとしても杖がないと使えないだろ」
「だからそうでもないんだよ」
「どういうことだよ」
「えっと、それは―」
翔太の言葉をまたしても否定するアルフ。
フェイトがその理由を説明する。
「クロウカードの歴史はとても古いんだ。それこそいろんな時代のいろんな世界の中でいくつも文献が残っているくらいに。中には詳しく研究した人もいたらしいんだ。その研究の成果もあって、ある条件が整えば太陽の杖や月の杖じゃなくてもクロウカードを使うことが出来る方法が印された魔道書も存在してる」
「条件? ……魔力光か?」
こくんと頷くフェイト。
クロウカードを扱うには、太陽の選定者ケルベロスか月の選定者スピネルに認められる必要がある。その絶対条件に魔力光の色があると本人が口にしている。金、もしくは銀でなければクロウカードの力は引き出せないように作られている。
だが、それは逆を言えばその魔力光であればクロウカードの力を引き出せる可能性があると言うことになる。歴史が長ければ、中にはそれを解明しようとした人がいてもおかしくはない。
「フェイトの魔力光は金色。カードを手にしさえすれば使うことが出来るってわけさ」
「なるほどな。ジュエルシードだけじゃなくクロウカードも集めて一体何をしようってんだお前ら」
ジュエルシードだけじゃなくクロウカードも取り合いになると言うのなら、翔太達とフェイト達は完全に敵対することになる。翔太は気を許してなるものかと、キッとフェイトのことを強く睨みつける。
「あ、えっとクロウカードに関しては違うんだ。そもそも使えるだけで封印はできないし、使えても本来の力までは引き出せないし。欲しいのも戻のカードだけで……。これだって念のための保険用らしいから、別にもってないならなくてもかまわなくて」
「ちょ、フェイト!?」
しどろもどろになって口を滑らせるフェイト。よほど翔太を傷つけたことに堪えているらしく、未だに平静ではないようだ。
(慌ててる様子が可愛いが、労せずして色々と情報が手に入ったような気がする。保険用らしい、ね。どうやらこいつ自身使い道のことを知らないと考えた方がよさそうだな)
フェイトの言葉から推測をしていく翔太。より確信を深めるために、探りを入れてみることにする。
「おいアルフとやら、戻なんて一度行った事がある場所に移動できる程度のカードを何に使うんだよ」
「あ、あんたに答えてやる義理はないね!」
(ビンゴ。こいつも知らない。戻の効果はそんなものじゃない。こりゃ背後に黒幕がいるのは間違いないな。問題はそれが誰かってことと、何が目的かってことだな)
翔太は戻の正しい効力を前世のおかげで知っている。そしてその効果が、ユーノの語るミッドチルダ式の魔法では実現不可能なものであることも。しかしそれは保険だという。ジュエルシードが本命で、戻が保険。黒幕とやらの目的の方向性はなんとなく掴めそうだな、と思考を巡らせる。
翔太のその様子に気付いたアルフは、やはりここに長く置いておくのはマズイと再認識する。
「フェイト、とにかくこいつはさっさと解放しようよ」
「え、でも」
「いいからちょっとこっちに」
そう言ってフェイトの手を引いて部屋から出ていくアルフ。フェイトは扉が閉まるぎりぎりまで翔太のことを振り返って気にしていた。
「さて、どうするか」
パタン、とドアがしまる音を聞いて翔太は呟く。
部屋から出たということは翔太には聞かせたくない話をするということだ。僅かに音だけは漏れ聞こえるが、扉とソファーに距離があるせいで内容までは聞き取れない。
片足骨折、片足裂傷のため歩いて移動することはできない。
「ま、歩けないなら飛べばいいってな。"フィアフルフィン"」
身体は動かすことはできないが、魔法は問題なく使える。飛行魔法を発動させて身体をゆっくりと浮き上がらせた。足首、膝、腰、手首、肘、肩、背中、両側頭部に生み出した羽を羽ばたかせる。かけられていた布団がずり落ちるが、かまわずドアの方へ移動した。
フィンを羽ばたかせることでその付け根に僅かな振動が伝わっている。いつもなら気にならない程度の本当にごくごく僅かな振動が傷に響いて表情をゆがめるが、今は我慢してそのまま音をたてないようにそっとドアに聞き耳を立てる。
『――でも、それは』
『だってフェイトにはジュエルシードが必要なんだろ?なりふりかまってなんかいられないじゃないか』
『それは、そうだけど……』
『だからアイツの身柄とアイツらがもってるジュエルシード全部と交換するように持ちかけるんだよ。あっちは仲間が帰ってくる、アタシ達は余計な荷物がなくなるしジュエルシードも手に入る。良いコトづくめじゃないか』
『私はそんなつもりで連れてきたわけじゃ……』
『それはわかってるよ。でもそうしないとフェイトがプレシアにまた』
『母さんを悪く言わないで』
『……とにかくジュエルシードを集めることが専決だよ。フェイトが言い辛いならアタシがそいつらに交渉を持ちかけてやるからさ』
『……ううん、やるなら私がやる。全部私の行動が招いた事だから、ちゃんと私自身で責任をとるよ』
話している内容のまずさに、冷や汗が浮かぶ。
黒幕の名がプレシアでフェイトの母親だとわかったのは収穫ではあるが、今この瞬間において気にするべきことではない。このままではジュエルシードが奪われてしまう。
とにかく早く脱出しようとベランダの方に目を向ける。体勢は辛いが、このまま飛んでいくしかないだろう。そう決断してできるだけ急いでベランダの窓の元へ向かう。外はいつの間にか日が完全に沈んで夜になっていた。
「っくっと」
手を使う事が出来ないので、口で鍵を開けていくが――
「待ちなっ! チェーンバインド!」
「うわっ!? いだだだだだだだ!!!」
物音に気付いたのか、アルフが部屋から飛び出して翔太をオレンジ色の鎖を巻いていく。怪我している場所も容赦なく縛られたせいで、痛みで視界がかすむ。
「油断も隙もないね」
そのままソファーまで運び、ソファーごと縛りあげる。怪我人相手に容赦がない。
「ごめんね……」
アルフと一緒に部屋に入っていたのか、縛られた翔太を見下ろしてフェイトが呟く。なのはとアリサを切った時のように、悲痛な表情を浮かべていた。
「そんな顔すんなら解放してほしいんだがな」
「……そういうわけにはいかないんだ。アルフ、この子をお願い。私はあの白い魔導師達のところに行ってくるよ」
そう言って一瞬でバリアジャケットを纏うフェイト。翔太が開けた窓からベランダに出て、飛び立とうとした。
「待ったフェイト。ド素人っていっても相手はこいつの他に3人いたんだろ?心配だからアタシもついて行くよ」
「でも……」
「ここに転送魔法陣を敷けば向こうでこいつを転送することができる。こいつはここで縛り上げておくし、それでも不安ならあのカードを使えばいいじゃないか」
「……わかった、そうしよう」
アルフの言葉に少し考えて頷くフェイト。そうと決まってからアルフの行動は速かった。
部屋の中央に大きな魔法陣を展開し、その上に翔太が寝ているソファーごと置く。その上逃げ出さないようにチェーンバインドをさらにぐるぐる巻きに固定した。
「容赦ないなお前ら」
「悪いね、こっちも必死なんだよ。あとは……、これはアンタのもんだったね。行こう、フェイト」
「それは……」
最後に翔太のお腹の上に紙束を置くアルフ。先ほどまで熱心に読んでいたとる魔術の禁書目録の小説だった。それに気付いた翔太は、一瞬瞳を輝かせるが、すぐに思いなおしたのか悔しげな表情を浮かべた。……若干演技くさいが。
「待て!この野郎!」
「……ごめん」
ベランダに出て窓を閉めたフェイトとアルフに向かって罵倒を吐く。そんな翔太の様子を見ないように顔を伏せながらカードを取り出すフェイト。
『かの部屋の扉を縛れ!錠!』
黒い斧のような杖を振りかざし、錠の力が部屋を包んでいく。これで扉や窓に物理的にも魔力的にも鍵がかけられた。これを開けるにはフェイト自身が解除するか、それとも錠以上の力で内からこじ開けるかのどちらかだ。
そしてそのまま飛び去る二人。アリサ達のところへ向かったのだろう。目的地は最初に会った月村邸だ。
「行った、か?」
そのまま数十秒様子を伺っても戻ってくる気配はない。
時間は無駄にできない。フェイト達が取引を成立させる前に翔太自身の無事をアリサ達に伝えないといけないのだから。
翔太はふう、小さく息を吐く。首をほんの少し傾けて枕元に置かれた紙束、"とある魔術の禁書目録"に視線を移し、召喚対象を宣言する。
『召喚:自動書記、及び月詠小萌が引き起こした現象 治療の魔術・神殿形成』
その瞬間、小説の132頁から139頁が輝きだし、端から徐々に光の粒に分解されていった。そして部屋の様子が上書きされていき、やがてとある魔術の禁書目録の中で記されたアパートの一室が再現された。
月詠先生はちゃぶ台の向こう側に現れ、翔太はインデックスが居た位置に。翔太の意識は自動書記によって薄れていく。翔太はそのままインデックスの立ち位置で役目を果たすだけの存在になる。
本来一度の召喚で呼び出すことが出来る能力は一つだけ。一人ではなく一つなのだ。これもそのルールから外れているわけではない。
とある魔術の禁書目録上で、能力者や魔術師が個人で使っている能力であれば呼び出せるのは一人だけだが、この怪我を治すための神殿の形成には自動書記状態と化したインデックスと月詠小萌の二人が行っている。
その場合は一人に限らない。しかも今回は神殿となった部屋そのものを霊装ということにして召喚している。
最初に翔太の能力のことを説明した時に、ユーノ達が危惧していた現実世界への浸食。それが今ここで行われていた。もちろん効力が消えたらこの部屋は元に戻る。それでもやはりこの力は規格外の能力といえる。
「……よし、治った」
それと同時に幻想交差の発現を切る。若干急いでいたので139頁の切れ端が余って部屋に転がったが、翔太は気にすることなく四肢の動きを確認していく。この部屋の状態を上書きした時に、アルフのバインドからはすでに抜け出していた。
右足、OK。
左足、大丈夫。
右肩、問題ない。
左肩、幻痛あり。しかし問題なし。
治療の過程ではじき出された鉄の棒を拾いながら、手足が動くことを再確認。
「こんなもんが刺さってたのか……」
改めてぞっとする。あと数センチずれていたら心臓に刺さっていた可能性もある。翔太は自分に対する戒めとしてポケットにねじ込んだ。
「さて、どうやって出るかだけど」
扉や窓を開けようとしてみてもビクともしない。クロウカードの魔力を感じることから普通の方法では無理。かといって翔太の魔法が出来ることは基本的に空を飛ぶことだけでこじ開けるなどできない。
「そんじゃ、それが出来る人を召喚しますかね」
いつもなら能力召喚をして自分でやろうとするところだが、怪我の影響で身体が万全ではない。怪我そのものは治ったが、失われた血が戻ってるわけではないのだ。
そこまで気になるほどではないが、若干足元がふらついているので、今回は普通の召喚を行うことにした。
『召喚:神裂火織』
手にした頁がかき消えると同時、目の前にTシャツに片足だけ大胆に切ったジーンズを履いた女性が姿を現した。
神裂火織を召喚することにしたのは消去法だった。竜王の殺息は威力が強すぎて錠を殺してしまう可能性があるし、建物内で火の魔術を扱うステイルを召ぶのは火事の危険がある。御坂美琴も場合によっては火種になることが考えられるので、一応物理攻撃の彼女を選んだというわけだ。
正規の使用者じゃないフェイトでは、錠の本来の力を引き出せないと漏らしていたので、おそらく破ることはできるはずだった。
「そんなわけで、よろしく」
『……七閃!』
ヒュン、という小さな音と、それに遅れて轟、っと風が唸る。
翔太の予想は正しく、神裂火織が振るった一振りで錠による結界を破壊した。破壊したのは魔力的な結界だけで、物理的には窓ガラスすら割れていなかった。
役目を果たした神裂火織はそのまま姿を消し、それと同時にパサ、と力を失ったカードが翔太の足元に舞い落ちてくる。
「錠のカードゲット。お土産で今回の独断専行許してくれないかなー、アリサ達。……無理だろうな」
おそらく、帰った時に烈火のごとく怒られるだろうと思うと気が重かった。
だが、ここで気をもんでいる時間はない。
「フィアフルフィン!」
飛行魔法を展開し、部屋から飛び出した。辺りはすっかり夜になっているから、例え空を見上げてる人が居ても翔太の姿は見えることはないだろう。とりあえずは脱出成功。
「問題は、ここがどこかってことなんだよな。……海鳴市はどっちだ?」
夜の闇に覆われた街の風景を見下ろしながら頭を悩ます翔太だった。
あれから十数分、道路標識でここが隣の遠見市であることに気付いた翔太は、全力で海鳴市のある方向へ速度を上げて飛行していた。
場所の特定に時間を結構くったせいで多分時間的な余裕はない。アリサ達がジュエルシードを渡す前に戻らないといけない。
「間に合え!」
速度を維持しつつ、望遠と暗視の魔法を発動させる。どちらも飛行時には無いと不便な魔法だということでユーノに教わっていたものだった。どちらも簡単な魔法なので飛行と併用しても大した負担にならない。飛行時に一番必要な、墜落した時のためのバリアジャケット生成は習得できなかったというのが問題だが今さら言っても仕方がない。
望遠と暗視は翔太にとって別の利点もある。実のところ翔太は相手を視認しないと念話が飛ばせないのだ。一度視認して念話の回線がつながった状態であれば距離をとっても大丈夫だが、最初は視認しないといけない。その辺りデバイスがあれば相手の位置を自動特定して繋ぐ事が出来るが、生憎翔太はデバイスを持っていない。
連絡の手段がないのだ。携帯電話も落しているうえ、電話帳頼みで番号も覚えていない。
とにかく今できることは全力で戻る事。フィンを羽ばたかせて、ようやく月村邸をギリギリ視認できるところまで到達した。
望遠魔法の感度を上げて、月村邸の敷地に視線を走らせる。夜とはいえ、見つかるリスクを減らすために上空高くを飛んでいたため、上から見下ろす形だ。
「いた! フェイトとアルフ! それと、すずかとなのはも!」
月村邸の広い敷地、森があった位置の上空で対峙している四人の姿が見えた。よく見るとなのはの肩にユーノもいるので五人だ。
「あれ、アリサの姿がない? ……あっ!?」
視線の先でなのはのレイジングハートから青い宝石が排出されて、フェイトの方に――
『ちょおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっっっっっと待ったああああああああああああああああああああああ!!!!!』
『『『『『!?』』』』』
視認できた五人に向かって、大音量の念話を叩きつける。頭中で響いたであろう声に、大きく意識削がれて頭を抱えこむ様子が見える。念話の叩きつけはミッドチルダの首都クラナガンでは迷惑防止条例にひっかかるらしく、それなりの罰金が科せられるそうだがこの際それは無視する。日本にそんな法律ないし。
とにかく気を取られているうちに最加速に最加速を重ねて、すずか達とフェイト達の間を移動していたジュエルシード六個をしっかりと胸に抱える形で飛び込んだ。
急制動のGによる身体の痛みを感じつつも、安堵の息を漏らす翔太。タイミングとしてはギリギリだった。
「翔太くん!」「翔太!」「キミは!?」「アンタ!?」
驚愕の声が同時に四人分響いた。
「な、なんとか間に合、ってうわ!?……すずか?」
「―――っ!」
翔太が言葉を紡ぐ前に、声を上げなかった一人が翔太の胸に飛び込んだ。すずかは驚きを口にするよりも先に身体が翔太の元へ飛び出していたのだ。
背中にまわした手が翔太の服をぎゅっと握り、顔は翔太の胸にうずめていた。
「て、痛い痛い!? ちょっ、すずかさん!?」
物凄い力で締め付けられ、サバ折りでもかまされているのかと翔太は勘違いしかけたが、続くすずかの反応でそれが誤解だと知る。
「うぅ…… う… ぅああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
「えっ? えっ? えぇっ!??」
「す、すずかちゃん?」
そのまま大声で泣き始めるすずかに、翔太は三個ずつジュエルシードを持った両手をバンザイした状態で硬直する。なのはとユーノもすずかの突然の行動にかたまったままだ。
「えええっと、何かよくわからないけどとにかくごめん!? ほら、俺ならピンピンしてるから!」
本当なら戻ってきたときかっこよく「お前らの思い通りにさせないぜ!」とか言ってキメるつもりだった翔太は何が何だか分からない。男というのは女の涙にすべからく弱い。
「ア、アンタ肩貫いてた大怪我はどうしたんだい!? それに骨折も!」
当然の疑問だが、翔太の事が心配で心配でたまらなかったすずかがいる場面でそれを言えば、事態の混乱は加速していくだけだった。
「っ!?見せて!」
「ちょっ、おま!?」
アルフの言葉にガバッと顔を上げるすずか。そのままシャツの首元を引っ張って肩を露出させて翔太を慌てさせる。
「こんなに血が!?」
「治した!もう治したから!大丈夫だから!?」
暗かったせいで先ほどまですずかは気付いていなかったが、傷を治してもそこから血が流れ出ていたという事実は変わらず、翔太の来ていたシャツの左肩の穴は空いたままで、そこから流れ出た血がシャツや身体にこびり付いて赤黒く染まったままだ。見た目的に結構な怪我を負った事は簡単に予想できる。
「治したって…? あんな重傷この短期間で治せるなんてアンタいったいどんな魔法使ったんだい!?」
「重傷!? 翔太くん痛くない? 痛くないの!?」
あっちもこっちも絶賛大混乱中だった。傷の確認がしたいのか、翔太の服をひんむこうとしているすずかと、慌てた様子で捲し立てるアルフ。
「あーもうっ!」
「っ!」
左手は背中にまわし、右手はすずかの後頭部に添えて血がついてない右肩側へ頭を押しつける形ですずかをぎゅっと抱きしめる翔太。
「あ……」
「大丈夫、大丈夫だから。怪我をしたのは本当だけどもう大丈夫だから。…………心配かけてごめんな?」
左手は背中を軽くぽんぽんと叩き、右手は優しく頭を撫でる。
「う…… う、ぐすっ……」
「よしよし」
「うぁぁぁぁぁぁ!」
そしてまた泣き出すすずか。
どんなに大人びていても結局のところ小学三年生の女の子。親しい友達がいなくなったり怪我したりしたら涙するのは当たり前。張りつめていた糸が切れたように、くぐもった泣き声を漏らすすずかの様子に、すずかたちは女の子なのだと翔太は再認識する。
「二人とも、今日のところはもう引いて欲しい」
すずかを撫でながらフェイト達の方に視線を向ける。本当なら睨みつけてやりたいところだが、今の状況で攻撃されたら完全に翔太側が不利なので、懇願するように見つめる。
「そういうわけには――フェイト?」
「やめよう、アルフ。今日はもう帰ろう」
「でもっ、アイツもしかしたらわざとアタシらのところにもぐりこんだんじゃ!」
「アルフ」
「っ…………、わかったよ」
そう言って二人して踵を返して飛んでいく。
とりあえずなんとかなった、と翔太は息をつく。これから先もジュエルシードを巡って争うことになりそうが、今回はフェイトの優しさだか慎重さだかに救われた形になった。
「えっと、翔太くん本当に大丈夫なの?」
「骨折したとも言ってたけど……」
泣いてるすずかの様子を気にしながら、心配そうな表情を浮かべてなのはとユーノがゆっくりと翔太のそばに移動する。
「治療の魔術を召喚したんだ。あれは生命力の補充も行うからホントにピンピンしてる。正直に言うなら出血のせいで貧血気味だけど、それだって大したことじゃない。本当に大丈夫だから」
ここで変にごまかしたりすると逆に心配をかけることになりそうなので正直に告げる。
「アリサは? 姿が見えないけど」
「実は翔太がいなくなった後にクロウカードが出てきてね」
「それを封印する時にちょっと無茶しちゃって……。あ、でも怪我したとかじゃなくて魔力の使い過ぎで寝てるだけだよ」
「寝込む程って、何したんだか……」
「あ、あはは……」
アリサが召喚した超巨大な岩の塊を思い出して、乾いた笑いを返すしかないユーノ。
「そろそろ降りてきなさーい!」
その時、下から声がかかる。
その声に翔太は驚いて下を見ると、そこには三人の人影が見えた。
「はーい! 降りよう、翔太くん」
「へ? 忍さんと恭也さん!? え、白鳥姉ぇもいるっっ!? ど、どういうことぉっ!?」
「翔太が居ない間にちょっとね」
複雑な表情を浮かべるなのはとユーノと共に翔太は地上に降りたつ。すべては行方不明になった翔太が原因で、子供だけで収拾できる事態ではなかったので大人達に相談せざるを得なかったのだろうと予想をつける。
ちなみにすずかは離れる様子がないので抱きかかえたままだった。
「……おかえり」
「えっと、ただいま?」
無表情な白鳥に迎えられ、少したじろぐ翔太。目がほんの少し怒っているようにも見える。
「おかえりなさい翔太くん。よくもうちのすずかを泣かせてくれたわね~」
その間に割り込むように忍が顔を出す。
言ってることはアレだが、表情は喜色に満ちてる。悪魔の尻尾が見えそうなほどにニヤニヤと笑ってて、当分ネタにしようと目論んでいるように見えた。
「えっと、すずかさん? そろそろ…」
「ぅ~~」
泣き声は聞こえなくなったが、未だに翔太の胸にしがみついたままのすずかは、顔を翔太の胸にぐりぐりと押しつけるように首を振る。
見た目はただのだだっ子になっている。
「諦めなさい。すずか、すごく心配してたんだから男ならしっかり受け止めてやりなさい」
「……女の子を泣かせたらダメ」
「はぁ…… 了解」
「もちろんうちのなのはも、今は寝てるアリサも心配してたんだからな。二度と無茶はするなよ」
「身に染みました。……むしろ身を貫いた?」
「それ笑えないから」
「とにかくここで話してても仕方ないし、屋敷に戻りましょ。今日はうちに泊まって行きなさい。白鳥ちゃんはどうする?」
「……翔ちゃんと同じ部屋なら」
夜も更けた森の中で長く話すのもあまりいただけないので、忍の案内に従って皆歩き出す。翔太だけはすずかを抱きかかえてて歩くのは難しいため飛行したままだった。
「……翔ちゃん、屋敷に着いたらお説教」
「うぅ…… わかりました」
色々あった一日だったが、この日だけでクロウカード三枚封印と結構な成果だった。ジュエルシードは1個持っていかれたが、相手の事情もある程度把握できたのでそちらに関しても±0といったところだろうか。
だが、忍達に魔法の事がばれたのは良い方に転がるかどうかわからないし、独断専行で怪我を負って危うく死にかけたりと反省すべきところが多い一日でもあった。
…………ちなみにすずかは泣き疲れて眠るまで翔太に抱きついたままだった。
「アイツ、一体どうやって傷の治療をしたんだろう?」
拠点に帰ったアルフはひとり呟いた。
フェイトは別室で既に休んでいる。色々あったせいで疲れたのだろう。アルフはといえば、ソファーについていた翔太の血を拭きとっていた。
アルフは翔太をこの拠点に連れてくる時にみた怪我の様子を思い出す。右足、右腕の骨折に、左足の裂傷。そして左肩を貫通した筋金。アルフ達が部屋を出て月村邸にたどり着くまでの時間で、そのすべてを治す事が出来るような治療魔法が翔太に使えるとはとても思えなかった。
「結局部屋を汚して、フェイトの心をかき乱すだけの奴だったね。まったく…… あれ、これは?」
フローリングに落ちていた紙の切れ端を拾い上げる。アルフはそれが、インデックスの背中の傷を治療していたシーンであることに気付く。
「まさか天使を呼んで治療したとか…… まさか、ね」
一瞬浮かんだ荒唐無稽な予想を振り払って、頁の切れ端と共にゴミ箱に投げ捨てて掃除を続けるアルフだった。