「……ちゃん! お兄ちゃん! 早く起きて! もうお昼だよ!」
「……ん」
瞼を開ける。身体が重い。肉体が疲労を訴える。まだ意識がはっきりしないが、胸が酷く痛む。目の前には若干幼い姿の鈴がいて、横になっている俺を揺さぶっている。
俺は鈴の頬に手を伸ばし、軽く撫でた。ああ、鈴が生きている。目の前にいる。また会えた。これほど嬉しい事はない。
「鈴…、会いたかった…」
「なっ、ちょっ、お兄ちゃん!?」
「ん…?」
鈴が顔を真っ赤にして俺を突き飛ばした。耳の先まで赤い。俺は身体を起こし、軽い頭痛に顔をしかめて右手でこめかみのあたりを押さえる。
ここはどこか? 研究室でない事は確かだ。身体が若干縮んでいるようにも思える。ああ、そうか。ここは元の、本来いるべき世界だ。
それならば鈴のこの反応も、彼女が若い少女であることも理解できる。記憶を辿れば高齢になった自分を思い出す。最後まで研究者として生きた。
移民船団が向かったバーナード星系に対して何度も試行された行われた通信実験が成果をもたらさず、失意に陥った事を覚えている。
最後は心筋梗塞かなにかで死んだのだろうか。胸の痛みはひいたが、それが心臓由来の幻の痛みであることは推論出来た。
夢の世界であれだけ長く生きたのは初めてかもしれない。カレンダーを確認すると7月12日木曜日とある。
あまりにも長い期間を向こうの世界で過ごしたため、こちらに関する多くの記憶が擦りきれ、今まで以上に適応が困難になっているようだった。
鈴が心配そうに俺の顔を覗き込む。
「お兄ちゃん大丈夫?」
「…大丈夫だ。心配かけたな」
「べ、別に心配なんかしてないんだからね(棒読み」
「なんだそれ?」
「ツンデレ?」
「………どうリアクションを取ればいいのか分からないんだが」
「笑えばいいと思うよ」
鈴とのこういった軽妙なやり取りに新鮮さを…懐かしさ感じると共に、どこかこそばゆくなる。そして同時に、戻って来たのだという実感を覚えた。
妹には向こうの話をいくらかしている。始めの頃、誰もが俺の言葉を妄言と断定していた頃、俺の話をちゃんと聞いてくれていたのは彼女だけだった。
具体的な夢の世界の内容を伝えているのは岡本…じゃなくて岡崎先生以外では鈴ぐらいだろう。先生に会うまで、摩耗する精神の中で彼女だけが現実における俺にとっての灯だった。
鈴がいなかったら、とっくの昔に心が折れていたかもしれない。
「今日は木曜か…」
「うん。でもさ、昨日はズル休みして何やってたの?」
「ん、ああ、ちょっと待て」
俺は頭痛に頭を抱えながら日記を読み返す。『Muv-Luv』『Muv-Luv Alternative』という2本のゲーム作品についての情報がまとめられていた。
因果律量子論、因果導体、オルタネイティヴ4、オルタネイティヴ5、香月夕呼、白銀武、鑑純夏。さらに、日記に目を通して7月11日までのこちらの世界に関する情報を頭に入れていく。
「なんとも、荒唐無稽の話なんだが…、この《Muv-Luv》っていうゲームの世界観が俺の夢の世界と極めてよく似ているらしいというのをネットで見てな。それを検証していた」
パソコンの電源を入れ、インターネットから《Muv-Luv》に関する事柄を扱うサイトを開いて鈴に見せた。
成人向けゲームにしてはコアなファンが多いのか、概要に留まらず、世界観や作品内の歴史についてもこと細かく書かれ、考察などを述べるサイトがいくつもある。
そして、その内容のほとんどの部分が、俺が8年前から鈴に語っていた夢の世界の話と一致する。戦術機、BETA、日本帝国、征夷大将軍。鈴はそれらを読んで目を見開いた。
「え、BETA…って?」
「そのゲームは…まあ、成人向けの…音声のある漫画みたいな形式のゲームなんだが、そこに出てくる地球外起源の化け物、それの名前がBETAなんだ」
「え、でも、ゲームなんだよね?」
「ああ、このゲームには戦車級やら要塞級やら光線級やらのBETAが登場する。CGで多少アニメチックな表現になっているが、出てくる怪物の姿は俺の夢に出てくるそれとほとんど同じだ」
「このゲームの発売日…は?」
「2006年2月24日。それの前作になるのがコイツは2003年2月28日に発売されたそうだ」
鈴はこのゲームの影響で俺があの夢を見るようになったと思いたかったのだろう。だが、それは不可能だ。
俺が夢をみ出したのは1999年8月6日から。ゲームの発売日と俺が夢をみ出した日時は全く合わない。このゲームは俺とは関係ないところで作られ、そして販売されたのだ。
いままでこの手の娯楽には縁遠かったため、俺は今までこの事を知る事は無かったが。
「これって、どういうことなの?」
「分からない。そのゲームのストーリーを考えた奴が俺と同じ夢をみているという可能性もあるんじゃないか? とはいっても、俺もこの事を知ったのは一昨日だから、本当の所は全く分からないんだけどな」
どちらにせよ、部屋の中では何も分からない。学校については休みを取り、このゲームを手に入れなければならない。
成人向けとはいえ全年齢版が発売されているらしく、未成年の俺でも問題なく購入は可能だ。俺は立ち上がり、鈴の頭にポンと手を乗せる。
「とりあえず、俺は着替えるから、部屋から出ていけ」
「分かった分かった」
俺はそのまま妹を追い出して身支度を行い、洗面台で顔を洗う。そしてそのままリビングへ行くと母さんがいた。母さんは呆れた顔で俺を見るなり近づいてきて、俺にお盆チョップをかましてきた。
お盆の平らな面じゃなくて、縦というのがミソだ。少しばかり涙ぐんで睨むが、母さんは一切動じず、そればかりか溜息をついた。
「まったく、困った子ね。昨日からずっと徹夜して…。いつもみたいに論文書いてたんでしょうけど、ちゃんと睡眠はとりなさい」
「ごめん。でも、どうしても手放せなかったんだ。眠ると、アレだから…」
「そう…ね。朝ごはん出来てるわよ」
「うん」
そうして俺は父さんが卵焼きをつつくのを横目にテーブルにつく。挨拶をすると、気のない返事が返ってきて、ここが日常の延長線上にある事を認識する。
テレビ画面にはいつも通りニュース番組が流れているが、芸能人の話題ばかりで興味は湧かない。日本でもかなり有名な俳優の話がされているようだが、俺はそれを聞き流す。
そもそも芸能人のことを話されても、名前も知らないし、誰かも分からない。まあ、鈴に付き合ってお笑い芸人の漫才を見る時に、使い古されたネタでも笑えるというのは、彼女曰く得らしい。
この世界において、俺の人間関係は酷く希薄だ。事実上、現実の俺の世界において意味のある存在なんて五本の指で数える程度しかない。仕方がない事だが、それはとても寂しいことだとも思う。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
母親の作る料理など何年振りだろう。まあ料理といっても、単純に熱を加えただけの簡単な朝食でしかないのだけれども。それでも家族と食卓を囲むというのは特別な事のように感じる。
今回は初めて能動的に世界に干渉した。
いままでは向こうの世界の技術を吸収したり、蓄積にものを言わせて研究成果をあげたりしていただけだが、明確に世界の趨勢に関わる位置についたのは初めてだろう。
まあ、結局は敗北したのだけれども。とはいえ、人類は種として存続することに成功した。単純にBETAが進出しない資源帯や海域、小惑星帯に逃げただけともいえるが。
最終的には恐れていたBETAの海への進出がなされ、海底資源の奪い合いが起きたが、砲もまともに機能しない海底ではBETAの物量作戦に勝てるはずもなく、人類は海底すらもBETAに奪われた。
ただし、奪われたのは海底だけで済んだのは、まあ幸運だったのだろう。ギガフロートは修復を重ねながらも存続した。
とはいえ、BETAは炭素系生命体であり、その身体の材料には炭素が用いられている。石油や石炭を原料にしている可能性もあるが、最悪、二酸化炭素を素材にする可能性があった。
そうなれば、将来、人間とBETAの間で炭素の奪い合いが起きるかもしれない。それは、炭素資源を求めてBETAがメガフロートを襲うという悪夢を人類に想起させた。
遠い将来の話だったが、水中を泳ぐBETAなんてものが生まれたら、メガフロートなぞなんなく破壊されるだろう。
よって、人類はさらなる生存圏を目指して小惑星を目指すこととなったが、さて、どの程度の人類が宇宙へと逃げる事に成功しただろうか?
食事をとり始めると鈴がリビングに入って来た。女子はなんだかんだで身だしなみに時間がかかるものらしく、俺よりも早く用意を始めた彼女が最後にリビングに到着する。
「それで、お兄ちゃんはどうするの?」
「とりあえず、手に入れるしかないだろう」
「ふうん。じゃあ、私も一緒に…」
「お前は大人しく学校に行け」
「なんでよー!」
「俺様は優等生だからな。社会的信用が違うのだよ」
「ぐぬぬ…。おかーさーん、お兄ちゃんが学校サボってゲーム買いに行くんだって!」
「鈴っ、お前なっ!」
子供っぽい鈴の物言いに呆れるが、母さんはというと少し驚いたようにこちらを振り向く。
「ゲーム? 京平がゲームだなんて、珍しいわね」
「そういう反応なんだ…」
「京平が普通の男の子みたいなことに興味を持つなんて、今日は雨かしら。でも、ダメよ京平。ゲームはいいけれど、学校をサボってまでは許しません。ねえ、お父さん」
「ああ」
「…分かった」
母さんの言う事に逆らう気もなく、不愛想に相槌を打つ父親を横目に、しぶしぶ了解する。向かいには鈴が勝ち誇ったように笑みを浮かべていた。
俺はそんな鈴に呆れつつも、なんだかんだで内心苦笑してそれを受け入れる。こんな非効率で馬鹿げた遣り取りも、今ではとても大切な事のように感じた。
◆
授業が終わり、放課後になった瞬間に携帯電話が鳴る。鈴からで、待ち合わせを要求される。どうやら、本当に買い物に付き合う気でいるらしい。
まあ、なんというか、向こうの世界で女性との逢瀬は何度か重ねたが、こういった健全?な妹とのデートというのは数十年ぶりで、少しばかり気恥ずかしい感じがしないわけではない。
「ヘイッ、待っていたかね青少年!」
「言っていて恥ずかしくないか少女よ」
「……じゃ、じゃあ、行こうかお兄ちゃん。出発進行だ野郎ども!」
「野郎は俺しかいないがな」
妙なテンションでタックルと共に現れた鈴を、冷静な一言を告げて黙らせると、鈴は顔を赤くしてそそくさと俺の隣に並んだ。
そのまま俺たちは駅の方角へと向かう。この街にはコンピューターゲームを取り扱う店はない。ネットで購入してしまっても良いのだが、今回はてっとり早く店舗で購入することとする。
「で、どこに売ってるの? 玩具屋さん?」
「玩具屋には売ってないと思うな。まあ、そのあたりはチェックしてるから」
「2本買おう2本。私もするっ」
「余計な出費になるな」
「いいじゃん。お兄ちゃん、お金持ちだし」
「お前が自腹を切れ」
「無理だよ。今月ピンチだし」
「おい待て、今日はまだ12日だぞ」
「女子はお金がかかるのだよ」
「とりあえず母さんに一報入れておくか…」
「やめて! すみませんごめんなさい私が悪かったです反省しています!」
電車に乗り込み最寄りの繁華街へ。電気街のゲームショップやキャラクターグッズなどの販売店を回ると、運よく中古のソフトを手に入れることが出来た。1本だけだが。
「お、おっきいね…」
「予想以上にかさばるな」
パソコンゲームのパッケージの大きさに若干顔を引きつらせる。DVDなのだから、家庭用ゲーム機のソフト程度の大きさと思っていたのだけれど。
「さて、じゃあ何か飲み物でも…」
「あ、お兄ちゃん、あれカワイイ。やっていい?」
ソフトドリンクでも奢ってやろうと思った瞬間、鈴に腕を引っ張られてUFOキャッチャーの前へと連行される。やれやれと思いつつ、俺は鈴に硬貨を手渡した。
「よっしゃっ! 猫ちゃん、私のおウチにおいで!」
「鈴、そこはダメだと思うんだが…」
「ギャー! なんで引っかからないの!?」
「いや、もっとアームの動きと位置を良く見てだな」
「もう一回!! この仔が私に助けて! ここから僕を出して! って訴えかけているの!」
「だから、そこはダメだと……。話を聞け、この馬鹿娘」
そうして機械に硬貨を放り込むだけのお仕事を繰り返した後、涙目になった中学生女子を哀れに思った店員さんが猫のぬいぐるみを取り出して手渡すまでおおよそ30分の時間が費やされた。
その後、腹が減っただの喉が渇いただの駄々をこねる妹をなだめすかし、アイスクリームを奢ってかぶりつきながら電気街を抜けて、古着などを扱う店を連れまわされる。
ゲームを早くプレイしてみたいという気持ちもあるが、そもそも時間はいくらでもある。夢のことは何年も付き合ってきた今更の事で、それよりは今の家族との時間、鈴に付き合う時間を大切にしたかった。
「で、お兄ちゃん、どっちが似合うと思う?」
「女子が男に服を選ばせる時って、だいたい本人の中では決まってるよな。パンツの方だろ?」
「当たり。お兄ちゃん、デリカシー無いよね。モテないよ」
デニムのスカートとパンツを比べるように手に持つ鈴を眺めつつ、なんとなく鈴が気に入ってそうな方を指さす。鈴の方はちょっと不満そうだが、スカートの方を元のラックに戻す。
「金と権力によって来る女はいくらでもいたんだけどな」
「生臭い話だねぇ。心はお金じゃ買えないよ」
「きっかけにはなるがな。歓心は買える」
「大人の世界は汚れてるねぇ」
「必要なもの以外にも色々と余計な物を背負い込んでいくからな」
「お金だけじゃ幸福に離れないよ」
「まあ、宇宙人には賄賂は通じないからな。不幸を寄せ付けないためには幾らか必要なんだが」
愛を育むのに財は必要なくても、愛を維持するのには財が必要なのである。現実はいささか陰惨なので、カタチのないモノなど簡単に押し潰してしまう。おお、生臭い生臭い。
「幾らか? たくさんあればあるだけ良いと思うけど?」
「いっぱいあり過ぎると、逆に余計な厄介事を呼び込むからな。過ぎたるは猶及ばざるが如しってやつだ」
「やっぱり世界を救うのは愛だよ!」
「そういうのを大声で主張するにはお兄さんは歳をとりすぎた」
「何!? 私が痛い子みたいじゃない!」
「微笑ましいのは事実だな」
それでも、現実に立ち向かう為にはカタチあるモノだけでは少しばかり足りないのは事実で、正義とか愛とか友情とか理想とか神様とか、そういうのがないと何のために立ち向かうのかが分からなくなる。
復讐とか憎しみは燃料が必要だし、引火性なので△で。
「世界を救えるかは分からないが、人間を救うのは人間だな」
「愛は偉大だねー」
「忍耐が必要だがな」
「えー」
「愛と平和の維持には不断の努力が必要なのだと日本国憲法にも書いてるだろ?」
「マジ?」
「じっくり読み込んでみろ」
「うん、わかった」
そうしたら、少しだけテストの成績が良くなるかもな。ちなみに憲法には似たような文言があるが、そんな事は一切書いてない。
それはそれとして、お金がなくともコネがあると生きて行けたりする。人脈というのはお金よりも価値のある財産かもしれない。まあ、厄介事もたくさん運んでくるのはこちらも一緒なのだけれど。
「お兄ちゃんは服に拘らないよねー」
「そういうのには、いまいち興味が湧かん」
「素材は良いと思うのに」
「どうだか」
服装にはあまり拘らない性質だ。というより、向こうの世界は事情が事情なので、衣服に関しての贅沢はあまり推奨されておらず、自然と俺もそういった風潮に染まってしまったというのもあるが。
「でもさあ、お兄ちゃんの夢の世界ってこのゲームの世界なんだよね?」
「おそらく…と言うしかないけどな」
衣服を物色しつつ、話題はそちらの方へと移る。この3日ほどの急展開のおかげで、夢の世界に関わる状況は一変した。
今までは変化の乏しいループの繰り返しで、新しい話題など無かったのだが、この作品のおかげで新たな変化が生まれたのだ。
「ゲームの中の登場人物っていうの? 会った?」
「ああ。というか、一緒に仕事をしたな」
「えっ!? 本当にいたんだ?」
「そうだな。というか、ゲーム内の登場人物となら今までのループでも会った事はあるんだけどな」
パーティーなどの催し物に呼ばれ、国連事務次官の珠瀬玄丞齋と顔を合わせた事はある。もちろん親しくはしていないし、知人と呼ぶような間柄にはなっていない。顔を合わせただけだ。
他にも神宮司まりもや白銀武と戦場で出会ったこともある。バビロン作戦後の荒廃した世界で、彼らは人類に残された生存圏を守るために戦っていた。
そして前回のループでは香月夕呼と社霞と行動を共にし、因果律量子論という俺の今おかれている状況に密接にかかわる知識体系に触れる事が出来た。
「ふうん。あ、このジャケット似あうんじゃないかな?」
「若すぎないか?」
「お兄ちゃん、自分の年齢分かってるよね?」
「おお、そうだったな」
「いやだよ。お兄ちゃんがモモヒキとかはき出したら」
「はっはっは。タンスになかったからな」
「はく気あったんだ…。これは修正しないと。妹として、いえ、一人の人間として」
「壮大な展開だな」
「使命感に燃えています」
「そんなことより勉強しろ」
「女子中学生の一分一秒は貴重なんだよ! 青春という名の宝物なんだよ! 勉強なんてつまらないものに消費されてちゃだめなんだよ!」
「それこそ駄目だろ」
「と言う訳で、次は水着見に行こう!」
「話を聞け馬鹿娘」
そうして日が落ちるまで鈴に街を連れまわされ、家への帰宅は結構遅くなってしまう。財布もずいぶん軽くなり、俺の物ではない手荷物はずいぶん重くなったことを追記しておく。
◆
「ねえ、まだー?」
「お前は待つと言う事が出来ないのか?
「女子中学生の一分一秒は貴重なんだよ!」
「はいはい」
ゲームを自室のパソコンにインストールする。何故か部屋には鈴がいて、俺のベッドの上を占拠して、クッションを抱えながらうつ伏せになり、足をバタつかせている。アザラシか何かかお前は。
ゲームがインストールするのは続編である『Muv-Luv Alternative』の方で、『Unlimited』の方はプレイしない。
サイトによれば『Unlimited』編は個人個人の事情や訓練兵の生活に焦点が当てられ、作品世界全体の詳細に触れる部分が少ないからだ。
「というか、このゲーム、相当長いぞ」
「どのくらいかかるの? 6時間ぐらい?」
「ネットには50時間とか書いてたな」
「嘘っ? 普通のRPGでも20時間ぐらいだよ?」
「そうなのか?」
「うわぁ。うーん、それじゃあさ、私、こっちやっていい?」
「それ、最初は学園ラブコメディーらしいぞ?」
「へぇー、オタクのヒトがやるんだよね?」
鈴はそう言うと『extra』『Unlimited』のパッケージを手にして、仰向けになってパッケージを眺め出す。
「思ってたんだけど、カクカクした髪形だよね。実際こんな髪形の人が多いの?」
「いや、基本的には普通だが…」
「赤い髪の人とか、青い髪の人とかは?」
「……」
「いるんだ。すごいね異世界」
「鳥の遺伝子でも交ってるんじゃないかと思った事はある」
「オウムみたいな?」
「生命の神秘だな。すごいね、人体」
「でも、皆、この事知ったら驚くかもね。ゲームの世界に行ってるなんて」
「いや、その事は隠すつもりだ」
「え、なんで?」
「あの世界は軍事技術が異様に発達しているし、何より余計な混乱を呼びたくない」
実は平行世界があって、夢でその世界に行けるんだ。しかも、そこはゲームの中の世界とそっくりなんだよとか言ったら、信用を失うか混乱を呼ぶかどちらかだ。
それに、事実だと理解してもらえたとしても、軍事に突出した向こうの世界の技術に欲を出す者が現れるかもしれない。
「この分だと夢の中の世界についてはそのまま話すわけにはいかない。虚偽を騙るとしても、…綿密な設定が必要だな」
「…そんなに慎重になる必要あるの?」
「お前がさらわれたら、俺は逆らえなくなる」
「え?」
「家族の身にも危険が及ぶかもしれない。慎重にならざるをえない」
「あ、うん…」
なんだか鈴が俯いているが、まあ自分の身にも危険が及ぶ可能性を考えているのだろう。自分の身にこの手の危険が降りかかるなんて想像したこともないだろうから。
しかし、この世界での鈴は変わらない。もう思春期なのだから、俺に嫌悪感を抱いてもおかしくないのに。俺はふっと笑ってしまう。
向こうの、夢の世界での彼女は、ほとんどのループにおいて俺を嫌う。衛士にもならず帝国でその才能を活かさず、裏切り者の米国に渡る俺は売国奴なのだそうだ。
前のループでは帝国で高い評価を受けていたから尊敬のまなざしを向けられていたが、あれはあれで居心地が悪い。
国連の第四計画に属しているのも機密だったので、一族からは帝国を救った英雄とか持ちあげられていた。ていうか、鈴にお兄様とか呼ばれるとかすごい変な気分になる。
「ん? 何?」
「いや、別に。向こうの世界の鈴と今ここにいるお前を比べると、なんだか変な気分になってな」
「向こうの私って、どんなの?」
「ん…。そうだな、基本的には変わらないんだが…。いや、その、前回はお兄様とか呼ばれてた」
「お、お兄様!?」
「すごい変な気分になったぞ。キラキラした目でお兄様とか呼ぶお前とか、違和感しかない」
「何でそうなったのよ?」
「BETAが日本の関東まで侵攻するって話してただろ。あれが俺の影響で歴史が変わってな。俺は救国の英雄様だそうだ。まあ、最終的な結果は変わらなかったがな」
移民船団に乗った鈴の消息は最後まで分からなかった。何らかの通信システムの異常か、あるいは移民船団に何らかのトラブルが起こったのか、真相は分からない。
ただ、メガフロートがある程度において安全と分かったから言えることだが、鈴も地球に残った方が良かったかもしれない。
「難しいんだねー。っていうか、お兄ちゃんが英雄だって。なんかおかしー」
「柄じゃないんだけどな。それでも肩書ってのは馬鹿にできないし」
「それで、『お兄様』、次はどうするの?」
「さあ、どうしようか。前回やって分かったんだが、結局のところ最低でも一度は主人公君に登場してもらわなければならない。数千万人の命を引き換えに。まあ、どうせあの世界を救わなければ億単位の人間がさらに死ぬんだが」
全世界でメガフロートの製造が加速されたが、それでも数億の人間を詰め込むのは不可能だった。人間が住むにはインフラが必要で、ただ浮かぶ筏を作るだけでは意味がないからだ。
公権力が強く、個の権利が比較的小さな日本帝国ではまだ混乱は少なかったが、南北アメリカ大陸やオーストラリア、アフリカでは熾烈な生存権の奪い合いが起きたそうだ。
そのせいで何千万ものヒトが無為に死に、そして生き延びる事を許されなかった大多数の人々はBETAに最後まで抗って、そして滅びた。
「まあ、俺は夢から解放されて、向こうでも家族さえ助けられれば文句は無いんだが…」
「お兄ちゃんは消極的だよー」
「そうか?」
正直、人類の危機を救うとか俺の分を超えている。世界を救う俺とか想像もできない。そういうのは香月夕呼とか白銀武とか、ああいう本当の本物がやるべきで、偽物でしかない俺の仕事じゃない。
第一、俺には謀略の才はないし、英雄の器もない。あるのは研究者としての積み重ねだけだ。そして研究者としての才能も特に高いわけではない。
「夢の世界も救ってさ、そんでもって夢を終わらせようよ。ずばーってさ」
「簡単に言うけどな…。っと、インストールが終わったか」
鈴とのお喋りの合間に、ゲームのインストールが完了する。鈴は興味深げに画面を覗き込んでくる。そして俺はアプリケーションを起動した。