ああ、やっぱり……異国の街を歩く彼の姿を目にしたわたしは、そう思わずにいられなかった。
だって、見覚えのある建物――あれは、写真で見た大英博物館だろうか――を背にした彼の髪が、白銀色に変っていたから……
でも、この前夢に見たあの事件からは、少し時間が経ってるみたい。
並んで歩く二人の女の子と比べても、ずいぶんと彼の背が伸びてるし、それに……どことなく表情が明るくなってもの。
異国――きっと倫敦ね――での暮らしの中で、あの女の子たちが彼を支えたのかな。なんとなく、そうであって欲しいと思う……
そう思っていると、不意に色々な場面が映画のように映し出されていく。
これは、彼ら三人が――時折、金髪縦ロールの女の子も混じってるけど――経験した物語なんだろうな。
大きな魔術の実験や、大変な事件、時には冒険譚のようなものまで、飽きることなく続いていく。
目が回りそうなほどの展開の中、わたしは彼について幾つか気付いたことがある。
やっぱり彼は魔術師で、どうやら投影魔術の使い手らしいということ。それもかなり強力な使い手だと思う。思うんだけど……
それ以外の魔術はてんでダメ! もうなんて言えばいいか……そう! "へっぽこ"よっ! うん、なんだか妙にしっくりくる表現よね。
そんな"へっぽこ"な彼だけど、あの赤い服の女の子がピンチの時には、誰よりも早く駆け付ける。
彼女のために必死になって走るその顔は、その……ちょっとだけ、かっこいいかも……まあ、そんなことはどうでもよくて!
もう一つは、彼がとんでもなくお人よしだってこと。ううん、これはお人よしなんてレベルじゃないわ。
だって、何の見返りも求めないで、困っている人がいたら片っ端から助けようとするんだもの。
それが彼の手に余るものかどうかなんて、考えもしないものだから、一緒にいる女の子たちはもう大変よ……
当然、そんなことばかりしていれば、彼が差し伸べた手から零れてしまう存在もでてくる。あたりまえよ、そんなことわたしにだってわかるもの。
で、結局救えなかった存在を、彼は自分の無力が原因だって考えちゃう。
ほんと、馬鹿じゃないかしら……でも、そんな彼の辛そうな顔を見たくないと思うのも、本心だったりするの……
そんな中――ある一つの場面で、その映像はさらに鮮明なものへと変わった。
お人形さんみたいな金髪碧眼の女の子と、黒髪に赤い服の女の子に、時々出てきたあの金髪縦ロールの女の子が、思いつめた顔で話しかけている。
でも、何故か三人の声だけが聞こえない……聞こえないんだけど、この先を聞くのが怖い気がしてるのは何故だろう……
もうこれ以上は見ないほうがいい、そう思った瞬間――
「リン、たった今協会からの連絡が入りましたわ。しっかりと落ち着いてお聞きになって。よろしいですか、日本の冬木において、第一級規模の神秘漏洩事件が発生。協会は直ちに執行部隊を派遣するそうです。そして、執行対象者の名前は、サクラ・マキリですわ」
金髪縦ロールの女の子の声が聞こえてしまった。
えっ?! わからない……これってどういうことなの? サクラ・マキリ? マキリって、あの間桐のことよね。けど、桜は……
それに、あの赤い服の女の子に向かって、"リン"って……あの子はわたしと同じ名前なの? それとも……
頭がまっしろになって、パンク寸前までいったその時――
「凛、おはよう。今日は終業式なのだろう? 早く起きないと、遅れてしまうぞ」
白銀の髪の"召使い"が、わたしを起こしに来た。
Fate / to the beginning ―召使いのサンタクロース―
大規模な霊脈を抱える冬木の土地は、それだけでも重要な意味を持つ。
加えて、60年周期で勃発する"聖杯戦争"と呼ばれる魔術儀式がこの土地に降臨させる願望器としての"聖杯"は、聖堂教会にとっても、とりわけ冬木という土地を、看過できないほど重要な土地へとしてしまった。
数年前、その60年周期を目前にして、聖堂教会はこの地に建つ教会へと、第八秘跡会に属する司祭の派遣を決定した。
重責を担った彼は、表向きこの冬木教会を取り仕切る司祭として着任したのだが、その裏には全く別の貌を持ち合わせている。
一つには、聖杯戦争における魔術師たちの抗争を監督し、参加者たちに神秘の秘匿を順守させるとともに、表社会への影響を隠蔽する監督者としての貌。
そして更にもう一つ――あまりに強大な願望器たる"聖杯"を、彼ら聖堂教会の教義に反するような輩が手に入れることの無きよう取り計らうという、教会側の都合にのみ特化した裁定者としての貌を……
非常に難易度の高いこれらの条件を成し得るだろう適任者として、言峰璃正が選ばれたのだ。
八十をむかえる高齢ではあるものの、強い自推の意志と、何よりも前回の監督者であるという実績が、その要因だったという。
もっとも……当の本人である璃正には、当人のみが知る都合というものがあるのだが……
「時臣君、これは?」
冬木教会の地下礼拝堂に会した三名の男たちの一人――言峰璃正は、時臣が持ち込んだモノを見つめながら問いかけた。
一見すると、年代物の蓄音機のようなソレを、台座へと設置した時臣が講釈を始める。
「先を見越しての布石、と言ったところでしょうか。今はまだしも、いざ聖杯戦争が始まってしまえば、表面上、私と綺礼君はお互いに聖杯を狙う敵同士ということに。そして、監督役である神父とマスターである私が、表だって席を同じくすることは、好ましくないでしょう。そういった状況下において、我々が勝利すべく必要な情報共有を可能にするのが、この魔具なのです」
両手を広げて語る時臣自身が持ち込んだ蓄音機モドキの素晴らしさを、言峰親子はただ呆然とした表情で聞いていた。
魔術師たることに誇りをもち、またそれが自身のアイデンティティーでもある時臣に――何故、電話を使わないのか――とは、言えなかった。
「な、なるほど……良いモノのようですな、コレは。ところで、先日綺礼に御依頼された件ですが……」
微妙な感想とともに璃正が口にした言葉が、時臣の表情を鋭いものへと変えていく。
「ご息女たちが召喚なされた、かのサーヴァントは……イレギュラークラスとして現界を果たしておりますな」
生来の温和な顔立ちを、幾分曇らせて告げられた璃正の言葉が、重く地下礼拝堂に響いた。
「何と! 前回に続きまたしてもイレギュラークラスが呼び出されるとは……で、そのクラス名とは何なのです?」
璃正の宣告に驚きの表情を持って答えた時臣の言葉は、璃正の顔を更に曇らせていく。
「それは……」
「それは?」
どこか言い淀むような璃正に、時臣は焦れたように先を促す。
「サーヴァント……ですな」
「は?」
一際重々しく答えられた璃正の言葉に、時臣の理解が追いつかなかった。
「あ、いや……これは私の言葉が足りませんでしたな」
そう言って一つ咳ばらいをした璃正が、自身の言葉に説明を加える。
「つまり……クラス名が"サーヴァント"であるイレギュラークラスのサーヴァント、ということになります。まあ、ありていに申し上げれば、"召使いのサーヴァント"ですな」
「有り得んっ! 有り得んだろう、そんな馬鹿げたクラスなどっ!!」
璃正の端的な説明に、ただ驚愕の叫びをあげるしかない時臣を、璃正は痛ましいものをみるように見つめていた。
会合の終結とともに、地下礼拝堂から一人自室へと歩く綺礼は、先ほど実父が告げた言葉を繰り返し反芻していた。
曰く――かの者は、"召使い"のクラスであると……
何だ、ソレは? 確かに聖杯戦争には、時としてイレギュラークラスのサーヴァントが発生すると、師から教えられてはいた。
だがよりにもよって、"召使いのサーヴァント"などと……もはや滑稽を通り越して、哀れですらある。
そもそも、サーヴァントのクラス選別とは、召喚に応じた英霊の特性によって、最も適合する器へ振り分けられると聞いた。
だとすれば、奴はその生前において、召使いとしてひたすら主人に仕えながら、それでもなお、英雄足りえたというのか?
「ならば……」
教会の中庭から、空を見上げた綺礼はその足を止め、誰に聞かせるでもなく問いを投げた。
「問わねばなるまい。私心を殺し、主に仕えた無我の人生のその果てに……いったい何を求め、何を、得たのかを……」
その口の端が、歪にゆがんでいることに、綺礼自身が気づくこともなく……
落ち着きを取り戻した時臣を、人気のない礼拝堂まで送り届けた璃正は、扉を背にした時臣へと諭すように声をかけた。
「時臣君……聖職者とはいえ、私もまた子を持つ親です。我が子がマスターとして選ばれた親の気持ちは理解できる。ましてや君の場合、まだ幼すぎるご息女だ。その心痛、いかほどのものか……」
慈愛に満ちた璃正の言葉に、時臣は軽く笑みを浮かべながら答える。
「お心遣い、痛み入ります。ですが、神父……私はこう思うのです。娘たちに与えられた聖杯戦争への参加資格、これはいわば我が遠坂に与えられた保険のようなものであると。何も、娘たちまで危険を背負う必要などない。あの子たちは、全てが終わるその時まで、ただじっとしていればいい。完璧な計画と準備、そして最強のサーヴァントを呼び出し、他のマスター達を狩る役目は私が担えばよいのです。その結果、根源の渦へ到達したという栄誉が、遠坂の次代を担う娘の頭上に輝けば、私はそれで十分なのですから」
「……今宵は降誕祭、親愛なる遠坂の家族にも、すべからく主のご加護がございますでしょう……」
晴れ晴れとした表情で告げる時臣に、璃正もまた、微笑みをもって十字を切った。
十二月二十四日、終業式を終えた凛は藤村邸へ早々に帰宅すると、桜とともに厨房へと籠っていた。
「お、おかしいわね……お手伝いのおばさんに、教えてもらったとおりに作ったはずなのに……」
「ほんとに、不思議です……でも、姉さん。もう作り直してる時間が……」
踏み台代わりの椅子の上、凛は納得がいかぬという表情で、桜は困惑の表情で考え込んでいる。
「そうね、もう三時半だし、もう一度作り直すのは厳しいわ。でも、ブッシュ・ド・ノエルって、作るの難しかったのね……」
そう言って、腕を組む凛の目の前には、こげ茶色のよくわからない物体が、必要以上にその存在感をアピールしている。
もっとも、人生初のお菓子作りがブッシュ・ド・ノエルでは、彼女達でなくとも結果は火を見るより明らかであるのだが……
「そうですね……って、姉さん! このままじゃ、シロウさんに渡すプレゼントが……」
作業台の上のよくわからない物体から、あえて視線をそらしたまま、桜は凛に代替案を問いかける。
この二ヶ月の間、何よりも最優先に自分たちを守ってくれたシロウに、心ばかりの贈り物を――凛と桜が、数日前から計画していたことである。
「落ち着きなさい、桜。魔術師たるもの、必要ならば他所からちょっぱってくるのが基本よ!」
「……」
ビシッと指をさしながら胸を張る姉の言葉に、桜はどこかちがう的な感情を覚えたが、そんなことを言ってる場合ではないと頭を振る。
「そうねぇ……桜、今月のお小遣いって、いくら残ってる?」
親指と人差し指で円を形作りながらたずねてくる姉に、それはどうなんだろう的な感情を覚えたが、桜は状況を優先させた。
「あぅ……にひゃくごじゅうえんです……あの、姉さんは?」
「え? うん、まあ……だいじょうぶよ! なんとかなるわ!」
妹の問いかけに視線をそらしながらごにょごにょと答えた凛は、すぐさま自信満々に自室へと駆けて行った。
手をひかれながらついていく桜には、当然、何が大丈夫なのか、これっぽっちもわからなかったのではあるが……
桜が差し出した100円玉2枚と50円玉1枚に、自分が提供した10円玉5枚を可愛い財布に入れた凛は、シロウが自室にいることを確認した上で、彼が普段買い出し時に使用するお買い物袋を手に取ると、桜とともにこっそり藤村邸を抜け出した。
全財産の入った財布をお買い物袋に入れ、一路二人が目指したのは、クリスマス・イブに賑わうマウント深山商店街だった。
家族や友人、または恋人との楽しいひと時を過ごすために、商店街は普段以上の人出に溢れていた。
凛と桜は、その中ほどに店をかまえる一軒の洋菓子店へとたどり着くや、満面の笑みで顔を見合わせる。
その店は、昔ながらの"ケーキ屋さん"といった店構えで、良心的な価格設定が売りであると、凛は藤村邸のお手伝いさんから聞き及んでいた。
店内の陳列ケースに並べられた、色とりどりのケーキ達を、店の中に足を踏み入れた凛と桜は、目を輝かせて眺めていく。
思わず目的を忘れそうになっていた凛が、重要な事に思い当った。
「桜、ケーキに見とれてる場合じゃないわ! わたしたちのお小遣いで買えるケーキを探さなきゃ!」
「はい!」
凛と桜は気合を入れなおし、目を皿のようにして値段の書かれた札を眺めていく。
そんな幼い二人の姿とやり取りを、まるで自分たちの子を見るような優しい表情で、この店の店主とその妻が見守っていた。
「あっ!! ねえ、桜。これなら買えるわよ、ほらっ!」
凛が声を上げて指差した陳列ケースの先には、300円と表示されたケーキがあった。
この店で最も安価なショートケーキであるイチゴショートを、二人は満面の笑みで見つめ、元気いっぱい声をそろえて注文する。
「「これ、一つください!」」
二人の注文に応じる店主の妻は、優しい笑顔のまま二人が指差したイチゴショートを可愛い箱へと梱包し、商品を渡しながらその値段を二人に告げる。
「はいどうぞ……300円ですよ、お譲ちゃん」
凛は受け取ったケーキを大切にお買い物袋にしまうと、財布を取り出し、自分たちの全財産である300円を支払う。
「どうもありがとう。また来てね、お譲ちゃんたち」
そう言って、店主の妻は二人を見送った後、店主と目を合わせ、笑顔で頷き合った。
二人で一つのショートケーキを買いに来た子供が考えること、それは――恐らく、大切な誰かへのプレゼントなのだろう。
店主と妻はお互いに同じことを考えていたのだ――この子たちから消費税を取るような、無粋なマネはできないと。
目的のケーキを手に入れた凛は、お買い物袋を肩にかけ、桜と手をつなぎながら意気揚々と帰宅の途に就いた。
ブッシュ・ド・ノエルでは無くなったけれど、それでもおいしそうなイチゴショートだったのだ。
さて、これを手渡したら、シロウは驚くだろうか、喜んでくれるだろうかと、二人は楽しい想像を膨らませながら、商店街の出口へと近づいていく。
その背後から、ゆっくりと近づく二人乗りのスクーターの存在に気付かないままに……
「……思ったより、手間取ってしまったな」
宛がわれた自室で、何やらこまごまとした作業をしていたシロウは、その終了とともに一息つき、壁にかかった時計へと視線を向ける。
時刻は午後四時を過ぎていた。
「む……いかんな、今日は早めに料理に取りかからんと、間に合わなくなるぞ」
小さなマスターたちのため、降誕祭を祝う御馳走を用意するつもりだったシロウは、居間へと急いだ。
ふと見れば、居間には葵の姿しか見えず、凛と桜の声も聞こえない。
とはいうものの、彼女たちと繋がれたラインからは、危険を知らせるようなものは何も送られてはいない。
困ったものだと思いながら、シロウは厨房へと行く前に、より深くラインに意識を集中させ、二人の居場所を探り始める。
そして、判明したその場所は……マウント深山商店街。
「何やってんだ、あいつら……」
脱力感とともに思わず飛び出した生前の口調での小言に、ため息をつきながらも、シロウはちいさな笑みを零す。
「しょうがない、迎えに行ってやるか……」
少々甘すぎるかなと、自戒の苦笑いを浮かべながら、シロウは藤村邸の門を出た。
ソレは一瞬の出来事で――何かに引っ張られるような衝撃と、天地がひっくりかえるような平衡感覚の喪失に襲われた直後、体のあちこちを襲う痛みのせいで、我に返った。
凛は自分が道路に倒れていることに気がつくと同時に、すぐさま立ち上がろうとし、膝小僧の痛みに顔をしかめる。
それでも歯を食いしばって痛みを押し殺しながら、手をつないでいたため一緒になって転倒してしまった妹を抱き起こそうとした。
「桜! 大丈夫? ねえ、桜!」
前のめりに倒れてしまった桜がむくりと顔を起こすと、おでこをすりむき、目には大粒の涙をためている。
「ごめんね、桜。おでこ、痛いよね。他に痛いところ、ない?」
妹を必死に気遣う凛にしても、膝小僧は大きくすりむき、肘と手のひらからも血が流れている。
痛くないわけがないのだが、わたしが桜を守るのだという気概がソレを上回っていた。
「わたしは、大丈夫です、姉さんこそ……」
一方桜も、涙目ではあるが、必死に我慢をしながら姉を気遣っている。
その桜の様子に、安堵の息をもらした凛は、ようやく一連の事態を理解したのだ。
「あっ!! バッグが!!」
気付いた時には、遥か前方をスクーターに乗った男達が、お買い物袋を手に走り去ろうとしていた。
そんなとても容認しがたい現実を前に、幼い姉妹はただ声を限りに、懇願するしか成す術を持たない。
「返して――――っ!! お願いだから、返してよ――――っ!!」
「返してください――――っ!! ソレは大切な贈り物なの――――っ!!」
ただシロウの喜ぶ顔が見たかった、それだけを楽しみにしていた凛と桜の叫び声は、走り去る追剥犯には届かない。
だが、しかし――
藤村邸を出たシロウは、凛と桜を出迎えにマウント深山商店街への道行を、およそ半ばほどまで進んでいた。
――さて、いったい何を買い食いしているのやら……と、幼い二人の愉快な姿を想像していたまさにその時。
召使いのクラスが持つスキル――"従者の疾走"が発動する。
それは能動的に主人の危機的状況を察知すると同時に、半強制的に主人のもとへの移動を優先させる。
その際、目的地到着までの極短時間ではあるが、ステータスの敏捷項目を二段階上昇させ、超高速の移動を可能とする。
反面、自身の脚には、それ相応の負荷がかかるわけだが……
今、"従者の疾走"が発動したということは、凛と桜の身に何らかの危機的状況が差し迫っているということだ。
そう理解したシロウは、スキルによる恩恵を最大限に発揮し、本来の彼が持つ限界速度を遥かに超えた速さで、主人の元へと疾走する。
――すまない、オレが目を離したばかりに。すぐに駆け付けるから、どうか今少しの間耐えてくれ!
無意識のうちに紅い外套を纏ったシロウの視界には、既にマウント深山商店街が映り始めていた。
いつもいつも、自分たちのことを最優先に考えてくれる。
時々、口うるさくもあり、ちょっぴり意地悪なところもある。でも、それだって、自分達を思ってのことだとわかってる。
そんな彼が、喜ぶ顔が見たい。ただそれだけを想い、必死で叫ぶ幼い少女を嘲笑うかのように、スクーターは走り去っていく。
シロウの喜ぶ顔がみれなくなる――凛がそう思った瞬間、目に映る風景は一変した。
まるで空から舞い降りた大鷲のように紅い外套を翻し、彼女達のサーヴァントが現れた。
瞬間、シロウはその眼に凛と桜の痛々しい姿を捉え、自分の方へと走り来るスクーターに乗った若者の手に、愛用のお買い物袋が握られていることから、主人の身に何が起こったのかという、全ての状況を見て取った。
震えるほどに握りしめた拳、目に見える程に隆起する上腕二頭筋、シロウの怒りを如実に表すその左腕を、何食わぬ顔で通り過ぎようとするスクーターの進路上へと差し出し――
「フンッ!!」
踏み込んだ勢いそのままに、左腕を振りぬいた。つまり、走行するスクーター相手のウエスタン・ラリアットである……
進行方向とは真逆のベクトルを持つ力を加えられた男たちは、何が起こったのかも理解出来ぬまま、乗っていたスクーターとともに宙を反回転する。
昏倒した男達をよそに、お買い物袋を拾い上げたシロウは、周囲で固まる群衆の一人へと声をかけた。
「失礼――ここに倒れている男たちは、追剥の犯人だ。お手数だが、警察に連絡をお願いしたい」
驚愕のまま頷き、近くの公衆電話へと走る姿を確認したシロウは、ゆっくりと二人のもとへ歩み寄る。
いまだ道路に座り込み、小さな体のあちこちに傷をつくった少女達の目の前に膝をついたシロウは、優しく二人を抱きしめた。
「遅くなってすまない――もう、大丈夫だ」
温かく大きな手と、絶対の安心を与えてくれるその言葉が、二人の緊張の糸を断ったのだろう。
「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……」
「わたしたち……シロウさんへのプレゼントを買おうと……でも、ごめんなさい……」
声をあげて泣き出しだした凛と桜は、心配をかけてしまった庇護者へと嗚咽混じりに謝罪を口にする。
――なるほど、そうだったのか。まったく、オレなんかのために……と、シロウは二人の体を力強く抱き上げた。
「何を謝る。君達が私に謝ることなど、何もありはしない。さあ、家へ帰ろう」
優しい顔で告げられたシロウの言葉に、凛と桜は思わずシロウの逞しい首筋へと抱きついた。
「あ、あんたいったい……それに、その格好は……」
その場を立ち去ろうとするシロウに、唐突に投げかけられた問いは、先ほど警察への通報を依頼された男が、驚愕の表情のまま発したものだった。
「私はこの子たちの従者でね。この格好は、まあ……アレだ。降誕祭の今宵、どこぞの有名な聖人を真似てみただけだよ。そら、白い髪に紅い衣装。世の子供たちに幸あれというアレだ」
呆然と固まる周囲の人々を後に、凛と桜を抱きかかえたシロウは、足早に藤村邸への途に就いた。
すっかり日が暮れた今、さて、今夜の料理は如何したものかと、内心頭を抱えながら……
結果的に、シロウの心配は杞憂に終わった。
藤村邸の離れへと帰りついた三人を居間で待っていたのは、豪華なクリスマス料理と見事なケーキ、そして心温かな人たちであった。
雷画はあらかじめ、実の孫娘のように可愛がる凛や桜のために、料理とケーキを準備していたらしいのだ。
葵に傷の手当てを受けた凛と桜は、大喜びでケーキのロウソクを吹き消し、大河と一緒になってじんぐるを大合唱した。
そんな楽しげな様子を、目を細めて見守る雷画が、同じように、居間に併設されたミニキッチンのカウンターに背を預けて見つめるシロウに声をかける。
「お前さんも、甘いものはダメなくちかい?」
大はしゃぎでケーキを頬張る凛と桜の様子に、微笑みを浮かべながら、シロウは静かに答える。
「いえ、そういうわけではないのですが……私は既に、この世で一番貴重なケーキを頂きましたので」
そう言ったシロウの背後、キッチンカウンターの上には――空になったケーキ皿とフォークが置かれていた。
その夜、日付が変わる直前に、シロウは凛と桜がすぴすぴと眠る枕元へと、小さな紙包みを置いた。
――美味いケーキだった。感謝する――と書かれたメッセージカードとともに贈られたその紙包みの中には、シロウが投影した掌サイズの干将と莫耶が一振りづつ、銀のチェーンに通された首飾りとして入れられていた。
その昔、彼が生前に最愛の彼女へと贈ったものと、同じものを……
【あとがき】
ちょうど季節的に良いかなと思い、クリスマスをネタにしてみました。
第四次開始まであと十カ月くらいでしょうか。それまでは、こんな雰囲気です。
また、このお話から掲載をTYPE-MOON板へと移動いたしました。
ご了承くださいませ。
・12/21:修正加えました 時代考証の結果”エコバッグ”→”お買い物袋”と改定しました。