俺の眼前では、ほんの1分前までは無表情だったはずのNPCが、嬉しげに顔を綻ばせている。
脳みそはストライキを起こしたようでまったく回転していないが、なにか取り繕わねばと反射的に返答する。
「お、おう、久しぶりで……久しぶりだな、アルベド」
「ヘロヘロ様が姿をお隠しになられてから数十年。私たちは今日この日をずっと心待ちにしておりました!」
「数十年? あ、ゲームじか……いや、なんでもないで……ゴホン、なんでもない。しかしモモ……ギルド長は、アルベド達と共にずっと歩まれてきたのだろう?」
「もちろんです。至高の41人のうち、最後まで残って下さったモモンガ様だけが、私達の唯一の希望でございました。
しかし至らぬしもべを導いて下さるモモンガ様への負担を考えると、至高の皆様方が戻って来られて、モモンガ様を支えて下さるのが最良ですから」
リアルの仕事で大きいトラブルを起こした直後に、即興で作った穴だらけの技術説明を顧客にしている時よりも必死だ。
場の空気に合わせてセリフをアジャストしながら、俺はチラチラとモモンガさんに視線を送る。
モモンガさんの方はといえば、こちらからのアイコンタクトを避けるように俯いて、「どうなって……最善は……情報が……」など、1人でブツブツと考え込んでいる。
役に立たない骸骨である。
とにかく会話が破綻せぬよう、不審がられぬよう、俺は目先のことだけに集中する。
「し、しもべ達に、変わりはないか?」
「はい。皆に変わりはありません。でもきっとヘロヘロ様にお言葉を掛けて頂きたいと思っているはずです。
特にセバスとプレアデスの皆は……モモンガ様、もし宜しければ――モモンガ様? どうかなされましたか?」
「なんだアルベドよ、何か言い掛けていたな」
「はい、もし宜しければ、セバスとプレアデスを玉座の間に参上させたく思います。ヘロヘロ様のご帰還ともなれば、ナザリックの総力を挙げて祝いをしなくてはなりませんし。
ああ、守護者達にも連絡をして、すぐに参上させなければ――」
途中からテンションだだ上がりだったアルベドの言葉を、手を翳して遮るモモンガさん。
少し思考してから、口を開いた。
「アルベドよ、それは待て。今、ナザリック地下大墳墓には異変が起こっている。まずはセバスとプレアデスのみを呼んで来るのだ。緊急事態だと伝えろ。
ヘロヘロさんの帰還も伝達してよいが、まずは異変の対処が先だと念押ししておけ」
「はっ、承知いたしました!」
アルベドはそう言って立ち上がり、早足で玉座の間を出て行った。
「モ、モモンガさん……」
「ヘロヘロさん、今は相談の時間もありません。とにかく早急にしなければならないことを片付けましょう。私を信じて任せて下さい」
「は、はい、お願いします」
モモンガさんは半ばパニック状態の俺と違い、まるでアインズ・ウール・ゴウンの諸葛孔明と呼ばれたぷにっと萌えさんを彷彿させるような冷静さだ。
頼りになる骸骨である。
俺がモモンガさんに尊敬の眼差しを送っていると、アルベドがセバス達を連れて帰ってきた。
セバスにはナザリックの外を探らせ、プレアデスには9階層の入り口を見張らせ、と矢継ぎ早に指示を出したモモンガさんは、アルベドを傍に呼んで手を撫で回しながら思案に耽っている。
まるで息をするかのように自然なセクハラを行うモモンガさんに向ける俺の視線がどんどん冷えていくのだが、そのことに全く気づかない発情期の骸骨はこう言った。
「アルベド……ス、スカートをまくれ」
空気が凍るというのは、こういう状態のことを言うのだと実感できた。
手をにぎにぎするくらいならまだしも、こんな状況だというのにそれはない。
エロスケな骸骨である。
俺もびっくりしたが、アルベドも同じくらい驚いたようで、目をパチクリさせている。
どうしようもない空気の中、更に追い討ちが掛かる。
「構わにゃ……ないな」
噛んだ。
というか、もう死ねば良いのに。
ああ、でも骸骨だからもともと死んでるのか。
などと考えているうちに、いつの間にかドヤ顔のアルベドがパンモロ万歳みたいな感じでドレスをめくり上げていた。
「ヘロヘロさん、これは……」
などと、やたら真剣な表情でパンティを見つめながら、エロスケさんが俺に耳打ちしてきた。
その様子に、本当にセクハラ以外で何かあるのではと、改めてアルベドの方を見やる。
「ふわぁ……」
頬を真っ赤に染め上げたアルベドの荒い息だけが玉座の間に響いている。
モモンガさんの言いたいことが、ようやく俺にも分かった。
アルベドに聞こえないよう、俺もモモンガさんの耳元――っぽい所へ口を寄せる。
「なるほど、清純そうな外見ですが、中身はビッチですね」
「……いえ、そういうことではなく」
「しかしモモンガさん、アルベドのパンティ、どんどん変色していってますよ」
「……確かにビッチのようですが、そうではなくてですね」
なぜか溜息を吐いたモモンガさんは、アルベドにスカートを降ろさせると、彼女が所持していたワールドアイテム――ギンヌンガガブを返却させ、
1時間後に階層守護者を6階層のアンフィテアトルムに招集するよう指示を出した。
ちなみにその際、興奮したアルベドは「私の初めては玉座で3pなのですね」とかほざいていた。
やはりビッチは確定である。
玉座の間には、俺とモモンガさんの姿しかない。
無意識に一息つき、そこでようやく自分が落ち着きを取り戻したことに気づいた。
「ヘロヘロさん、まずは謝らせて下さい。私が無理に引き止めさえしなければ……」
「何を言ってるんですか。モモンガさんだって被害者じゃないですか。とにかく、今は何が起きたのかを把握しなければ」
「そのことですが、私の方でいくつか予測を立てましたので、聞いて頂けますか?」
「……すごいですね、モモンガさんは。俺なんか、慌てふためくだけだったのに」
「いえいえ、ヘロヘロさんが最初にアルベドとの会話を受け持ってくれたおかげです。もし私1人であったなら、きっと醜態を晒していましたよ。
アルベド達の忠誠の拠り所がはっきりしていない現状で上位者としての威厳を損ねるのは、致命傷になっていたかもしれませんからね」
ヘロヘロさんには不本意だったでしょうが本当に感謝です、と白骨化した頭を下げるモモンガさんの言葉に胸が熱くなる。
「俺も今度こそモモンガさんを1人残さずに済んで、良かったと思ってますよ」
「……ヘロヘロさん」
モモンガさんと見つめあうこと数秒。
急に気恥ずかしくなった俺は、しんみりな空気を払拭すべく、おちゃらけて言った。
「でも、もしモモンガさんがお1人だったら、さっきのアルベドへのセクハラはもっとやりたい放題だったんじゃないですか? 手を撫で回すだけじゃなく、胸を揉んだりとか」
「な、な、なにを言ってるんですか、ヘロヘロさん! あれは脈を確認していたんです! スカートめくりも、垢バンされるか確かめるために――!」
必死に言い訳を重ねるモモンガさんだったが、その内容はなるほど確かに一理ある。
口や表情を動かして会話をし、コマンド外の婉曲な指示を理解し、匂いや脈まであるNPC達。
データ容量的にも技術的にもありえないし、万に一つの可能性――ユグドラシルⅡへの移行という線も、モモンガさんの確認したとおりの結果だ。
最初から俺はモモンガさんがセクハラなんてするわけがないと信じていた。
それ以外にもネガティブ・タッチがアルベドに有効だったことから、フレンドリファイア解禁の可能性があることや、そのオンオフが自然に行えること。
セバスや階層守護者達が敵対した時に備えて、自分達の力を早急に把握する必要があることなどをモモンガさんから伝えられた。
「ああ、それでアルベドからギンヌンガガブを取り上げたんですね」
「私とヘロヘロさんの力がゲームどおりだったとしても、全ての守護者を敵に回せば2人だけでは危ないですしね。ワールドアイテムさえなければ、なんとでもなりますから」
モモンガさんの種族であるオーバーロードも、俺の種族であるエルダー・ブラック・ウーズも、どちらもかなりピーキーで扱いにくい種族だ。
弱点がはっきりしているため、ソロで孤立するのはカモに等しい。
しかし2人で組めば互いの弱点を補完し合えるため、むしろそのピーキーさが強さに繋がる。
ギンヌンガガブなどの反則アイテムがない限り、階層守護者が束になって襲ってきても、最悪でも引き分けには持ち込めるだろう。
「でもそれでしたら念のため、モモンガさんも完全武装した方がいいんじゃないですか?」
「一応ワールドアイテムを1つ、身につけていますが……」
「いえ、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンのことです。モモンガさんのお気持ちは先ほど伺いましたが、今は非常事態です。かつての友人達も、きっと許してくれますよ」
あれはモモンガさん専用に作られた、ワールドアイテムに匹敵する杖だ。
モモンガさんの身の安全を第一に考えるのであれば、あれを装備するのがベストということになる。
少し考えたモモンガさんは、諦めたように溜息をついた。
「わかりましたよ、ヘロヘロさん。その代わり、貴方にもワールドアイテムを装備して貰いますからね。ただでさえエルダー・ブラック・ウーズは防具が装備出来ないのですから」
「ああ、それはこちらからもお願いしようと思っていました。なにせ命は惜しいですからね。ヨルムンガンドあたりを貸して頂ければありがたいです」
そう、エルダー・ブラック・ウーズのもっとも尖った所は、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンのような特殊アクセサリを除く全防具が装備不可な部分なのだ。
擬態時の服装はすべて本体であり、魔法が服を掠めただけでも普通にダメージが入る。
RPGの醍醐味に喧嘩を売っているとしか思えないこの仕様は、今まで幾人ものプレイヤーの心を折ってきた。
ちなみに武器も劇酸無効を付けられるような神器級――ゴッズ・アーティファクトしか装備出来ないという、マニア御用達の種族だったことを付け加えておく。
そんなエルダー・ブラック・ウーズが装備できる数少ないアイテムの1つが、ワールドアイテムでもある世界蛇の名を冠した特殊アクセサリである。
ワールドアイテムは全てギルド全体の物なので、普段は宝物殿の守りとして周囲に猛毒を撒き散らしているが、俺はギルド戦の時には大体これを体内に吸収していた。
吸血種やスライム種など吸収能力を持つものしか装備出来ないという欠点はあるものの、その効果は猛毒属性ⅴ、猛毒吸収、HP10倍、オートリジェネである。
劇酸属性ⅴや完全物理無効、劇酸吸収、上位魔法耐性ⅴ、炎・冷気・電気属性攻撃耐性ⅴなどを持っている俺と相性抜群の、ワールドアイテムの名に相応しい壊れ装備だ。
まぁ相性抜群というより、防具装備不可で職業に魔法系のない俺はアイテム使用でしか時間対策が出来ないため、
これがないとギルド戦ではタイムストップ&ホーリーメテオ連打によってあっさり死ぬのだが。
やまいこさんに「ホーリーメテオなんかで死んだの、ヘロヘロさんだけでしたね(要約)」とか言われたときには転げまわってくやしがったりしたものだ。
「……ところでヘロヘロさん。考えてみれば、今でも防具は装備出来ないのでしょうか?」
「確かにこれがもうゲームではないのだとしたら、普通に身に着ければそれで済むかもしれませんね」
「これも早急に確認した方がいいですね。アンフィテアトルムの前に、宝物殿に寄りましょう。ああ、その前にレメゲトンのゴーレム達も確認しておかないと」
守護者召集のタイムリミットまでに、どれだけ確認出来るかの勝負である。
俺とモモンガさんは目を合わせて1つ頷き、行動に移った。
「駄目ですモモンガさん、ほとんど身動きが取れません……」
「私のほうも、ロングソードを振ったら手からすっぽ抜けてしまいました」
宝物殿の領域守護者を追い出して検証したところ、どう考えてもゲーム設定が活きているという結論に達した。
先ほどモモンガさんが魔法――メッセージを俺に使ったが問題なく発動したし、リングによる転移も確認済なので、これもゲームに準拠した状況なのだろう。
なぜ、を考えている時間はない。
「後は一度円卓に戻ってから、アンフィテアトルムで体の性能を試しましょう」
「6階層守護者の、なんでしたっけ、名前は忘れましたけど。あの姉弟の目があるのでは? 別の場所で試した方がいいんじゃないですかね」
「私の魔法やヘロヘロさんの攻撃確認なんですから、コロッセウムのような広い場所じゃないと無理ですよ。今から集合場所を変えるのも、
アウラとマーレ――6階層守護者を追い出すのも問題ありますし、ここは上手くやって実力を見せ付けるしかないです」
上手くやれる可能性は、かなり高いと思う。
ゲームだった時と比べて嗅覚や触覚がリアルに近くなった程度で、体に違和感はないからだ。
2年振りだが、おそらく戦闘は体が覚えている……と信じたい。
強いて異常を挙げるなら、普段よりパニック度合いが低いし落ち着くのも早いことだ。
しかしこの状況下でマイナス要因には決してならないのだから、問題ないだろう。
「ああ、もう、別の場所に召集するか、2時間後って指示しておけば、もっと余裕を持てたのに!」
「まぁまぁ、とっさだったのですから仕方ないですよ、モモンガさん。ころころ指示を変えて忠誠度が落ちたら面倒ですし」
モモンガさんの愚痴を聞きながらも、なんだかとても楽しくなってきた。
DMMO-RPGは端的に言えば、同じ目的を持った仲間と冒険をするのが醍醐味である。
要するに会社の同僚や仕事先の顧客などと話す時に必要な、薄っぺらの話題など必要ないのだ。
「そろそろ転移しましょう、ヘロヘロさん」
「わかりました、ではリングを使いますね」
俺とモモンガさんのように2年ぶりに会った旧友とでも、あっさりと会話を弾ませながらお互いに協力して行動出来る。
これこそがまさにDMMO-RPGであると言い切れる。
「うわ、本当に久しぶりに見ましたけど、邪悪エフェクトが凄いですね」
「……作りこみ、こだわりすぎですよ、まったく」
もし本当に、これがゲームの不具合などではなかったとしたら。
もし本当に、ここで生きていかなければならなかったとしたら。
「モモンガさん、後20分です!」
「急ぎましょう、ヘロヘロさん!」
この世界をモモンガさんと2人で遊び尽くすのも、面白いかもしれない。