「今日がサービス終了の日ですし、お疲れなのは理解できますが、せっかくですから最後まで残っていかれませんか――」
アインズ・ウール・ゴウンのギルド長であるモモンガさんの言葉に、俺は耳を疑った。
DMMO-RPGのユグドラシルから離れて2年が経つ自分――ヘロヘロを含めたギルドメンバー達に、ゲーム最後の日だから共に過ごしたいと声を掛けて回ったモモンガさん。
彼の性格を思えば、今日は自分の我侭でギルメンに来て貰ったと考えるはずだ。
だからこそ、明らかに疲れていると分かる自分を引き止めようとするのは意外だった。
「あ、いえ、ご無理を言って申し訳ない。私は何を言っているんだか……」
あたふたと慌てるような雰囲気を醸し出す死の支配者。
白骨化した頭蓋全体が赤面する如くうろたえている様に、日頃のストレスが癒されてほっこりとする。
「いえ、いいんですよ。おっしゃる通り、最終日ですからね。わかりました。今日は最後まで残ります」
「そんな、ヘロヘロさんもご迷惑でしょう! 私は来て頂いただけで十分なんです。遠慮なく落ちて下さい」
「大丈夫ですよ、モモンガさん。思えば最終日だというのに、リアルの愚痴しか話してませんしね」
「ほ、本当によろしいのですか?」
「ええ。残り時間はゆっくり思い出話でもしましょうか」
途中で寝落ちしてしまったら申し訳ありませんが、と付け加えながら感情アイコンの一つ、笑顔マークを頭上にピョコンと表示させる。
ユグドラシルではアバターの表情は動かないので、感情を表現したい時にはこれを操作するのだ。
だから先ほどのモモンガさんのうろたえる様子などは、無表情の骸骨がする仕草なので、冷静に考えるとちょっと怖い。
同じく笑顔マークを頭上に表示させたモモンガさんは、席を立ちながら口を開いた。
「本当にありがとうございます、ヘロヘロさん。ではもしよろしければ、場所を移しませんか?」
「あれ? でも誰かが戻って来るのを待つのであれば、ここがいいんじゃないですか?」
「いえ、確かに先ほどはそう言いましたが……、正直、もう誰も来ないでしょう」
寂しそうに首を振るモモンガさん。
自分やギルメン達がゲームから離れた後も、単独でナザリック地下大墳墓を維持してくれていただけに、ユグドラシルやギルメン達への思いは良くも悪くも人一倍なのだろう。
正直に言えばモモンガさんから連絡を貰うまで、自分にとってユグドラシルは懐かしい思い出の一つに過ぎなかった。
だからこそ今日は当時お世話になったギルド長に、満足してゲームを終えて欲しいと思う。
「そうですね、俺は構いませんよ。どこに行くのですか?」
「玉座の間へ。私はあそこで最後の時を迎えようと思うのです」
「わかりました。では、移動しましょうか」
俺はナザリック地下大墳墓の鍵アイテム、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを発動させようとし、なぜか失敗した。
「あれ? ああ、そうだった、そうだった。玉座の間は転移禁止でしたね」
「ええ。ですから、申し訳ないのですが歩いて移動しましょう。それとこれもお忘れかもしれませんが、ヘロヘロさんがその状態で動くと
強化している玉座の間やこの円卓はともかく、廊下や階段が腐食にやられてしまいますから、出来れば擬態もお願いしたいのですが……」
確かに自分の種族であるエルダー・ブラック・ウーズは、スライム種の中でも最強に近い酸能力を持っている。
周囲に迷惑を振りまいてしまうため、プレイヤー側のウーズ族はほぼ擬態状態で行動していた。
しかし俺は、とある理由から擬態を使いたくなかった。
本当は今日で終わりなのだから廊下や階段が腐食してもいいのではと思わないでもないが、さすがに2年近くもログインしていない俺が言ってよいセリフではない。
「了解です、モモンガさん」
そう言って、エルダー・ブラック・ウーズの擬態能力アイコンをタッチする。
擬態用のアバターは登録枠が3つ、そのうちの2つが埋まっている。
その内のどちらかと言えばマシな、常時使っていた方のアバターを選択した。
コールタールを思わせる黒色のどろどろした塊だったアバターの表面がブルブルと動き、だんだんと人型へ変化していった。
赤いコートと白い手袋、テンガロンハットに丸眼鏡のようなゴーグルを掛けた、ひょろっとした青年が形成されていく。
不意にモモンガさんから声が掛かった。
「なんだ、お前は?」
「殺し屋だ」
反射的にそう答え、羞恥のあまり自己嫌悪の海に沈みこむように両膝をついてしまう。
確かに当時の俺は、擬態したら問いかけをしてくれと言っていた。
数年経った今でも律儀にそれを実行するモモンガさんが悪いのではない。
悪いのではないんだけど――
「あれ? 本当にいい夜だ、とか続けないのですか? 確か120年ちょっと前のアニメでしたっけ?」
「す、すいません、それはもう卒業したんです」
「ええー、私はあれ、好きでしたよ。なんでしたっけ、拘束制御術式?」
「ほんとに、もう勘弁して下さい……」
打ちひしがれる俺の様子に、きょとんとしているモモンガさん。
その剥き出しになった延髄を捻じ切りたくてたまらない。
俺の殺意には全く気づかないまま、モモンガさんは溜息をつくようにして言葉を吐き出した。
「でもそれも、私にとっては大切な思い出です。私がヘロヘロさんと初めて出会った時のこと、まだ覚えていますか?」
「……ええ、もちろんです。たっちさんがモモンガさんを連れて来た時ですよね。あの頃の俺は、暗殺者どころか擬態も出来ないグリーン・スライムでしたっけ」
「ええ、ええ。それなのに自己紹介で殺し屋だっておっしゃるものですから、ずいぶんと面白いロールをする方だと思いました」
いずれ擬態が出来るという一点で異形種のスライムを選んだ俺は、付けたかったアニメキャラの名前を先に取られていたこともあり、
ならばよりいっそう気合の入ったロールプレイをせねばと思い詰めていたため、割とDQNプレイヤーだった。
たっち・みーさんに誘って貰えなければ、かなり寂しい思いをしたあげく、早々にゲームを辞めていただろう。
「それからは6人で、ほとんど毎日レベリングでしたね。当時は異形種狩りが流行ってましたから、人気のない狩場を探して」
「そうそう、でもたっちさんが異形種狩りPKをPKKするものだから、我々も粘着されたり」
「助けた人までPKに粘着されたって聞いた時のたっちさんは、本当に怖かった……」
「それで皆と相談して、助けた3人と合わせて最初は9人でギルドを作ったんですよね」
今でこそ悪名轟くPKギルドのアインズ・ウール・ゴウンだが、設立の目的は迫害される異形種の相互扶助だった。
そしてギルドを設立してからも、さまざまな冒険を繰り広げた。
同じく迫害されていた異形種に声を掛けて回ったこと。
苦戦の末にナザリック地下大墳墓を占拠したこと。
ギルド武器を作るために睡眠時間を削って奔走したこと。
モモンガさんと語り合いながら、かつての冒険に思いを馳せる。
輝いていたあの頃を思い返すと、今でも心が弾んだ。
ギルドの黄金時代とも呼べる記憶の残滓は、日々の疲れでささくれ立った心の清涼剤だった。
「何もかもが懐かしいです。今日はログイン出来て本当に良かった。モモンガさん、お誘いありがとうございました」
「いえ、私の方こそ、来て頂いて本当に嬉しかったです。さて、そろそろ移動しましょうか」
歩き出したモモンガさんは、出口に向かって行く足を、不意に別の方へと曲げた。
その先の壁にはギルド武器、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが飾られてあった。
しばらくスタッフを見つめて首を振ると、モモンガさんは俺を出口に促そうとする。
「最後くらい、持って行かれてもいいのでは?」
「いえ、やはり置いて行きましょう。ギルド長としての権力の象徴を手にしたいという思いもありましたが、アインズ・ウール・ゴウンは多数決を重んじるギルドです。
それを最後の時まで全うしたい気持ちの方が強いですから」
ひとつ溜息を付いたモモンガさんの、最後にポツリと呟く声が聞こえた。
「さらば、我がギルドの証よ……」
円卓と名付けられた部屋を出てからも、モモンガさんとの会話は全く止まらなかった。
ふかふかの絨毯が敷かれた通路、装飾品の飾り付けられた壁、向こうから歩いて来るメイド、そのどれもがギルド繁栄の証であり輝かしい記憶なのだから、話のネタには困らない。
メイドの基本動作プログラムは俺と5人の仲間が担当したのだが、お辞儀の際にスカートを摘むか摘まないかで激論を交わした話などは、どうやらモモンガさんも知らなかったらしい。
話しながら笑いながら、時々立ち止まっては語り合いながら、俺とモモンガさんは10階層に降り立った。
出迎えるのは1人の執事と6人のメイド達だ。
「ふむ、執事の名前は何だったか……」
「セバス・チャンですよ、モモンガさん。たっちさんが作った執事です」
「よく覚えてますね、ヘロヘロさん」
「たっちさんと、名前や外見で非常に揉めましたので……」
俺は執事と戦闘メイド達――プレアデスのAIプログラムをメインで担当していたので、それぞれの設定は穴が開くほどに読み込んだものだ。
ナザリックを占拠した頃は、まだ自身のロールに張り切っていた時でもあり、執事は黒髪オールバックで片眼鏡の糸使いかつ英国紳士の老人でないと認めない。
セバス・チャンなんて名前には美意識の欠片もない、とゴネにゴネた挙句の多数決で、圧倒的な敗北を喫した苦い思い出があった。
「でもね、モモンガさん。俺はたっちさんのおかげで、目が覚めたんです。セバス・チャンは確かにありふれた名前ですが、しかしそこには様式美があるとっ!」
「そ、そうですか……」
「おっと、すみません。ついつい話し込んでしまいましたが、もう時間がないですね」
「楽しい時は、あっという間に過ぎてしまいますね」
行きましょうと促す俺に、思案顔で動きを止めるモモンガさん。
「思えば彼らは、結局1度も出番がなかったのですよね」
「10階層まで辿り着いた侵略者を迎撃する役目でしたから」
「ならば今日くらい、彼らと共に最後の時を迎えたいと思うのですが……」
「いい考えだと思いますよ。確か追従のコマンドがありましたし」
「……うーん、やっぱり止めておきます。ここを守れとギルドの皆で定めたのですから」
そう言って奥に歩き出すモモンガさんの背中を追いながら、入れ込んでるなぁと思う。
だがそういうのは嫌いじゃない。
最後の時になっても、ただ1人になっても、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長として多数決の結果を重んじるモモンガさんだからこそ、俺たちは最後まで楽しく遊べたんだろう。
それだけに、そんなモモンガさんを1人残して去ってしまった罪悪感が激しい。
2年前の転職を切欠に、現地出張や残業で家に帰れない日(と体重)が圧倒的に増え、休日も疲れて寝ている日が多くなり、やがてゲームを忘れていった。
その間もモモンガさんは、ナザリック地下大墳墓を維持するために1人で頑張っていたのかと思うと、せめて月に1度くらいはINすべきだったと悔やまれる。
「気にしないで下さい、ヘロヘロさん。私は本当に、今日来て頂けただけで満足ですから」
「……俺、口に出しちゃってましたか?」
「いえ、雰囲気で。いきなり無言になりましたし、ヘロヘロさんのことだから、きっと私を気遣ってくれているのだと」
「さすがはギルド長、あの個性あふれる41人をまとめていたのは伊達じゃないですね」
「ふふ、実際に口論の仲裁には、いつも借り出されてましたからね」
モモンガさんは嬉しそうに笑うと、今度こそ奥へと向かった。
サービス終了のタイムリミットまで、もう幾許もない。
俺も慌ててモモンガさんの後に続き、玉座の間へと足を踏み入れた。
「む、なぜアルベドがワールドアイテムを……」
「モモンガさん、本当に時間がないです。最後は玉座にいないと!」
「あれ、もうこんなに時間が経って! ああ、もうアルベドはそのままでいいか」
小走りに玉座へ登る骸骨の姿は、とてもシュールである。
ゆっくりと歩を進め、色々な感慨に浸りながら、重々しく玉座に腰を下ろした、と脳内の思い出フォルダーを書き換えている俺に、モモンガさんは語り掛ける。
「ヘロヘロさん、本当にありがとうございました。今日だけのことではなく、今までのこと全部です」
「それはこちらのセリフですよ、モモンガさん。次にお会いするときは、ユグドラシルⅡとかだと良いですね」
「Ⅱの噂は聞いたためしがないですが……でもおっしゃるとおり、そうだと良いですね」
「そのときはまたぜひ! そろそろサーバー停止ですね。最後にお会いできて嬉しかったです。お疲れ様です」
「こちらもお会いできて嬉しかったです。お疲れ様でした」
「またどこかでお会いしましょう」
そう言って、俺は視界の隅に映る時計を確認する。
後30秒でサーバー停止になる。
明日は5時起きなので睡眠時間は足りないが、心は爽やかさで一杯だ。
きっといい仕事が出来るだろう。
軽く目を閉じ、強制ログアウトによるブラックアウトを――
「……ん?」
「……え?」
モモンガさんと顔を見合わせる。
視界の隅に映る時計は、とっくに0時を回っている。
「サーバーダウンが延期になりましたかね? 通話回線を切ってたんでわからないですが」
「私もです。いま通話回線を……あれ?」
「モ、モモンガさん、俺のほう、コ、コンソールが」
ない、と言おうとした俺の耳に、初めて聞く女性の声がした。
「ああ、よくぞお戻りになられました、ヘロヘロ様! 本当にお久しぶりでございます!」
度重なる不測自体に半ば呆然としながら辺りを見回すと、そこにはさっきまで玉座の階下で棒立ちだったはずのアルベドが、臣下の礼をとっていた。