「チカちゃんチカちゃん、お客さん、た~っくさん、入ってるよ!」
ひびきが、楽屋のドアを開けるなり、興奮した声で報告してくる。
『探検』と称して、客席の方を覗きに行ったと思ったら、これだ。
「あー……まあ、そりゃ客も入るだろ。
こんなバカでっかいホールでやるくらいのイベントなんだから」
感心無さそうな声音で、私は雑誌のページをめくる。
――さっき、トイレと称して自分も覗きに行ったことは、秘密だ。
「はあ~。まだ信じられないよねー。私たちが、こんなに大勢の人たちの前で歌うなんて」
「信じられない、っつーか、信じたくないけどな、私は」
我ながら、苦虫を噛みつぶしたような顔だったろう。
そう。
私、桂木千鍵と、その友人日比乃ひびきは、何の因果か、五千の観客の前でこれから踊り、歌わなければならないのだ。
まほうつかいのコンサート(1)
発端は……もう思い出したくもない。
とにかく、私たちがアルバイトをしている喫茶店の店長が、
「店のイメージソングを作ろう!」
と、のたまったことが始まりだった。
まさかこっちに被害が及ぶことなど考えもせずに
「いいんじゃないですかー」
と投げやりに返事していた自分を、呪いたい。
割と正体不明な上、謎の人脈を誇る店長は、たちまちすべての難関をクリア。
一流の専門家による作詞作曲、アレンジ、スタジオの予約、ミュージシャンの確保。
で、録音の一週間前になって、私とひびきに、満面の笑みでデモテープを手渡したのだ。
「当日までに、歌えるようになってきて」
「「 はい? 」」
私たちが、ハモって間抜けな声を出したとしても、責められる筋合いは無いだろう。
その後に起こった騒動は、省略。
一週間後、私とひびきは録音スタジオへと拉致され、マイクの前に立たされた。
……まあ、となりのアホ毛は「うわぁ~、すっごーい!」とか言って、目を輝かせていたのだが。
悪夢のような一日が終わり、さっさと忘れようと努めている、その帰り道。
「あ、7月にライブあるから、振り付け憶えておいてね」
「「 ほい? 」」
普段、相方が発しているような間抜けな返事を、私もしてしまったとしても、誰も責められまい。
なんでも、店長の知り合いのゲーム制作会社が、何周年だかのイベントをやるそうで、そのうちの一枠に私たちを紛れ込ませたらしい。
このときばかりは、私も頑強に抵抗した。
面倒だ。私たちは学生だ。そんな暇はない。親だって学校だって、許してくれるはずがない。
で、反対してもらおうと思って保護者たちに告げたときの反応が、
親・学校 『 いいよー 』
子どものこと、どう考えてんだ保護者ぁ~~~っ!!
周りから、聞き分けのない駄々っ子扱いされながらも、最後まで拒否し続けた私が、結局、承諾してしまったのは、
予想外のギャラの多さと(これなら、夏休みにネズミの遊園地に行けるかも……いや、誰と、とかいった意味ではなく)、
「わーい!チカちゃんとデュエットで、でびゅーだぁーっ!!」
天真爛漫の笑顔で跳び上がって喜ぶ、オレンジなヤツのせいだった。
……いつものパターン、ってゆーな。
「……ったく。もう愚痴るのも飽きたけど。
カラオケですら苦手だってのに、なんで私らがこんなこと」
「でもでも。せっかくあんなに練習したんだもん。やっぱり成功させたいよね」
「あー。確かに練習したわな。
バイト終わってから店の中で机椅子片づけて、夜遅くまで。日曜日まで返上して。
期末試験で赤点喰らわなかったのが、不思議なくらいだぞ」
「そうだよねー。曲もいいけど、振り付けもすっごく可愛いし。
何回やっても、楽しかったな」
「……ほんとに前向きだな、お前。
まあ、曲と振り付けが良いのは認めるけど、その振り付けを―――」
(お褒めいただき、ありがとうございます。ミス・ひびき。
わたくしも、額に液晶を流しつつ指導した甲斐がございましたYO!)
「おわぁっ!!
な、なんだお前!いつからそこにいた!?」
背後の棚から突然声をかけられ、私は椅子から跳ね上がる。
そこに鎮座していたのは、一個の青い携帯電話。
「あ、ケータイさん、こんにちはー。
もしかして応援に来てくれたの?」
(とーうぜんでございますよ。
今日はあなたと、ついでにオプションのミドリアタマがステージデビューする記念すべき日。
ダンス指導役のわたくしが、そこにいない事など、八百万の神もSo-BAD!!許すはずがありません)
「ミドリって言うな!あと、オプションってなんだ、オプションって!!」
そう。
悪夢のような話だが、店長がもったいぶって連れてきた『ダンスのプロ』というのは、この携帯電話っぽい何か。
勝手にしゃべり、跳ね回り、いくら破壊しても瞬時に復活する、謎の物体Xだったのだ。
「店だけならいざ知らず、女子の控え室にまで無断進入しやがって!
出てけ!出てかないとヒンジへし折るぞ!!」
「チカちゃん、あんまり興奮すると、本番までに疲れちゃうよ?」
(まったくですねえ。
今日のミドリさんってば、普段にも増して怒りっぽくって。
外はあんなにいいお天気なのに、もしかして光合成が足りなかったとか?)
「おのれが、興奮させてるんだろうがあっ!!」
(さて、ミトコンドリア過多っぽい人は放っておきまして。
体調はいかがですか、ミス・ひびき?振り付けは完璧ですかな?)
「うん。さっきもチカちゃんとおさらいしたんだけど、ちゃんと踊れたよ。
ありがとう。ケータイさんのおかげだよ」
(それは良かった。わたくしも、客席から精一杯応援してますよ。
んで、一応聞くけどそこのツンデレは?パートナーの足を引っ張らないくらいには動けるんでしょうね?)
「お前が見てなけりゃ、絶好調だろうよ!!」
「大丈夫だよ。チカちゃんも、とーってもかわいく踊れてたから。
でも、すごいんだねケータイさんって。あんなにダンスが上手だとは思わなかったよ」
……悔しいが、ひびきの言っていることは正しい。
こいつは、私たちの歌う曲を数回聞いただけで、カラフルかつ初心者でも無理なく踊れるような振り付けを考案してしまったのだ。
さらに、教え方もスパルタながら懇切丁寧。
ダンスなんかやったこともない私が、曲がりなりにも踊れるようになったのは、こいつのおかげだ。
意地でも、礼なんか言ってやらないが。
ちなみに、そのレッスン風景がどんな風だったかというと……
聞くな。
踊り狂う電話にしごかれる自分なんて、思い出したくもない。
ていうか、こいつ、どうやって踊ってたんだ、どうやって教えたんだ?
(ではでは、本番まで時間も無いでしょうから、わたしくはこれにて。
ミス・スナオたちといっしょに声援をお送りしますよ)
「ま、待て。お前、今、なんて言った?
スナオって……須方のことか?」
自称・私たちの親友、須方スナオ。実はただのクラスメイト。
外見はそこそこ美少女だが、中身はまるっきりセクハラ変態オヤジそのもの。
あいつにはもちろん、学校の連中には今日のこと、極秘にしていたはずなのに。
(あら?彼女だけじゃないですよ。
ミス・まゆ子、ミス・クララ、あとあなたのお姉様の千鳥さんまで、勢揃いして、最前列中央に陣取ってます)
「なっ……」
クラスの友だちプラス、よりによってうちの姉貴?
どこから情報が漏れたのかも大問題だが、そもそもあいつら、どうやってチケット取ったんだ?
このイベントは、10年に一度とかいう盛大なもので、ものすごく厳しい抽選を通らないと、席が取れないって聞いた。
それも、最前列中央って―――
(まー、そのへんはホラ、やったらにコネと顔の広い、ジョージっぽい人が知り合いにいるじゃないっすか。
あと、可愛い顔並べて最前列の人に頼み込んで、あなた達の枠の間だけ、席替わってもらったらしいですよ?
いやー、いつの時代になっても、JKヂカラってマニアにはクリティカルヒットっすねぇ!はっはっは)
「はっはっは、じゃねえ~~っ!!」
頭を抱える。
こんな大人数の前で歌って踊るだけでも、さらし者級の大恥なのに、なんでそんな知り合いの集団まで……
「―――そ、そっか。
スナオちゃんやクララちゃん、まゆちゃんも、来てるんだ……」
さすがにひびきも驚いたのか、声が少し小さくなっている。
(それでは、ツインテールに程よくプレッシャーを与えたところで、ケータイさん退場です。
あ、ミス・ひびき。それからミドリさん。
おさらいですが、ダンスの基本はターン!これですよ。
早く、するどく!
お召しになっているウェイトレス服のスカートが持ち上がって、中の、何とは申しませんがお約束なピンクとか意外な白とかが自然に拝見できるくらい……)
「空、を、飛べえぇ~~~っっ!!!」
私は窓を開け放つと、さえずる携帯電話を鷲掴みにし、大きく振りかぶって雲の彼方に遠投した。
(すか~~~あい・は~~いっ!!?)
「あ、ケータイさん、ありがとう!
応援よろしくねーっ!」
ドップラー効果を発しつつ夕空の星となった電話に、ひびきは律儀に手を振る。
「……疲れた。もう帰ろう」
「だ、だめだよう。これから始まるのに」
「ったく。
あいつが、このウェイトレス服に固執してた理由が、ようやく分かったぞ。
着替えようにも、あとは私服しか無いし……」
「でも私、この服好きだよ?
チカちゃんとの、初めてのおそろいの服なんだもん」
「お。おそろい、って……
が、学校の制服だって一緒だろうが。
とにかく!本番のステージで鋭いターンは禁止!!ダメ、絶対!!」
「うん。かわいく廻るね」
「……全っ然分かってねえ、コイツ」
私はため息をつきながら、椅子に座り直す。
「でも、ケータイさんのおかげで、だいぶリラックスできたよね。
チカちゃんも、いつもどおり落ち着いて見えるし」
「落ち着いて、って言うより、脱力してるんだけどな。
それに、ここまで来て、変に力んでも無駄だろ。
だいたい、リラックスも何も、お前は始めっから……」
そこまで話して、私はようやく違和感に気付いた。
目の前の相棒。
いつもは、うっとうしいくらいテンションの高いひびきが、妙に声に張りが無い。
「そ、そうだよね。
もうすぐ始まるんだもん、気にしたら負けだよね……」
「おい、ひびき」
やっぱり気のせいなんかじゃない。
顔は笑っているけれど、さっきまでの明るさが嘘のようだ。視線も、おどおどおと定まらない。
「お前、どっか体調おかしいんじゃないか?
顔色悪いぞ」
「え?
そ、そんなこと、ないよ?元気げんき。
ただ、なんかちょっと寒いなあ、って」
「さむい!?」
今は7月だ。
控え室はさすがに空調が効いているが、昨今の省エネのため、暑く感じることこそあれ、寒いなんてことは絶対にない。
慌てて駆け寄り、おでこに手を当てる。
熱は、無い。むしろ冷たいくらいだ。
見れば、顔色どころか唇まで紫色になって、体が細かく震えている。
「さ、寒いくらい平気だよ。
みんなが見に来て、くれてるんだもん。がんばって、歌って。みんな、が見ている前、で……」
震えが、大きくなる。
視線はますます揺らぎ、自分で自分の両腕を抱くような仕草をする。
「……ひびき。
ひょっとしてお前、緊張してるのか?」
「―――きんちょう?」
ぼんやりと、私の顔を見る、ひびき。
「そ、そうか、な?
自分では、よく分からないんだけど……
さっき、お客さんがいっぱいいるところ見て、スナオちゃんたちが来てくれてるって知って。
そうしたら――なんか、急にさむく、なって……」
がくがく、と震えていた膝が折れ、その場にうずくまる。
「お、おい、ひびき!」
思わず私もしゃがみ込み、その両肩を掴む。
「さむい――ううん、こわい、のかな?
これって、……怖いの?
チカちゃん、私―――こわい。怖いよ。あは、どうし、よう……」
真っ青になってガタガタ震えているくせに、眼に涙までためているくせに、顔だけは笑ったままだ。
……なんでお前は、こんな時にまで―――
「だ、大丈夫だ、ひびき!
私が……わたしが、ついてる!!」
「……チカちゃん?」
自分自身を、ぶん殴りたかった。
いつも明るく笑っていたから、つい私も勘違いしていたけれど。
ひびきは、普通の女の子なんだ。
私と同じ、まだまだ人生経験の足りない、16歳の高校生なんだ。
「普通の人間が、いきなり五千人の観客の前で歌うなんて、怖くなって当たり前だ。
私だって、怖い。
当然のことなんだ」
「―――チカちゃんも、こわいの?」
「もちろんだ。
その証拠にほら、触ってみろ」
ひびきの右手首を掴んで、自分の左胸に掌を当てさせる。
「……ほんとだ。
どっきんどっきん、鳴ってるね。
私も、おんなじだよ。ほら」
ひびきも私の掌をとって、胸にあてがう。
なるほど、私の鼓動と同じくらい早くて……
……でもコイツ、また成長したか?私より背低いくせに――って、今はそんなこと考えてる場合じゃない !!
「だ、だろ?
だから、その……二人とも、怖いんだ。
怖い同士で、舞台に立てば、きっと怖くない!」
我ながらメチャクチャな論理だが、筋より勢いだ。ひびきも、真剣な目をして私を見つめている。
「――でも。
ひとりで歌うときも、あるんだよ?」
そう。
何の因果か、私たちが歌うのはデュエット一曲きりではなく、ソロがもう一曲ずつ用意されているのだ。
「その時は、私が舞台袖にいて、応援してやる!
お前の目に入るように、ずっと見守っててやるから!
だから――だから、そんなしょぼくれた目つきすんな!!」
右肩を掴んだ手を、揺さぶる。
不安に曇っていた、ひびきの瞳が、だんだんと明るさを取り戻してきて―――
「……うん!
そのかわり、チカちゃんが歌ってるときは、私が舞台袖で手を振ってるね!
チカちゃんがんばれ~っ!って、ずっと応援してるから!!」
いつもの、眩しすぎるくらいの笑顔に、私の体温はなぜか上昇する。
「あ、ああ。頼む。
と……とにかく!私がお前を支えてやるから、その―――お前は、わ、わたしを、ささえ、ろ……」
頭に血が上って、もはや自分が何を口走っているのか、把握できない。
ただ、目の前にある笑顔を、見つめるだけだ。
「わかったよ!
すっごく支えるから!もう、ぎゅーっっ、っていうくらい、チカちゃんを支えるから!!」
「……ひ、ひび、き」
「チカちゃん……」
なんか、我知らず、すっごく濃密な雰囲気。
それを打ち破ったのは、
「ひびちかさーん。
前の組がそろそろ終わりそうなんで、スタンバイお願いしまーす。
お客さんのノリ、いいですよ。これなら上々のデビュー、が…………」
控え室の扉を開け、笑顔で入ってくる、私たち担当の女性アシスタント・ディレクター。
ドアのノブを握ったまま、笑顔とともに凍りついている。
はて?と私は一瞬首を傾げ、続いて自分たちの状況を顧みる。
そこには、
床に膝をついて、互いの胸に掌を当てて、肩を抱き合って見つめ合う、女子高生がふたり。
「あ、あはは。いえ、前の組は、まだ終わるまで時間かかりそうですし。
終わったって、客なんて待たしておけばいいんですよ。
そんなことより、もっと大事なことって、ありますよね。
……その、そういうのも、アリだって、私、思います。
えっと、ごゆっくり―――」
「お、おい待て、女性A.D!
勘違いしたまま、愛想笑い浮かべて、後ずさりしながらドア閉めるなあぁっ!!」
「さ、チカちゃん、行こう!
お客さんを待たせるなんて、プロ失格だよ?」
「お、お前も、復活早すぎだろ!
あと、いつ私たちがプロになったあ~~っ!?」
〈 つづく 〉