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No.35651の一覧
[0] PERSONA4 THE TRANSLATION(ペルソナ4再構成)[些事風](2014/11/03 16:25)
[1] 序章 PERSONA FERREA[些事風](2014/11/03 16:25)
[2] 一章 REM TALEM MINIME COGITO[些事風](2012/10/27 23:54)
[3] 国を去り家を離れて白雲を見る[些事風](2012/10/27 23:57)
[4] マヨナカテレビって知ってる?[些事風](2012/10/28 00:00)
[5] ピエルナデボラシーボラ![些事風](2012/10/28 00:03)
[6] 出れそうなトコ、ない? ひょっとして[些事風](2012/10/28 00:07)
[8] 死体が載ってた……っぽい[些事風](2012/10/28 00:27)
[9] ペルソナなんぞない[些事風](2013/03/05 00:17)
[10] でも可能性あるだろ?[些事風](2012/10/28 00:34)
[11] バカにつける薬[些事風](2012/10/28 00:36)
[12] シャドウじゃなさそうクマ[些事風](2012/10/28 00:41)
[13] 吾、は、汝[些事風](2012/10/28 00:46)
[14] 俺はお前だ。ぜんぶ知ってる[些事風](2012/10/28 00:53)
[15] ノープランってわけだ[些事風](2012/10/28 00:56)
[16] 旅は始まっております[些事風](2012/10/28 01:05)
[19] 二章 NULLUS VALUS HABEO[些事風](2014/11/03 16:26)
[20] あたしも行く[些事風](2013/01/15 10:26)
[21] それ、ウソでしょ[些事風](2013/03/05 21:51)
[22] 映像倫理完っ全ムシ![些事風](2013/05/12 23:51)
[23] 命名、ポスギル城[些事風](2013/05/12 23:56)
[24] あたしは影か[些事風](2013/06/23 11:12)
[25] シャドウ里中だから、シャドナカ?[些事風](2013/07/24 00:02)
[26] 脱がしてみればはっきりすんだろ[些事風](2013/10/07 10:58)
[27] 鳴上くんて結構めんどくさいひと?[些事風](2013/10/14 17:36)
[28] セクハラクマー[些事風](2013/12/01 15:10)
[30] アギィーッ![些事風](2014/01/31 21:58)
[31] かかってこい、あたしが相手だ![些事風](2014/03/04 21:58)
[32] クソクラエ[些事風](2014/04/16 20:30)
[33] あなたは、わたしだね[些事風](2014/06/15 15:36)
[34] とくに言動が十八禁[些事風](2014/07/26 21:59)
[35] コードレスサイクロンユキコ[些事風](2014/09/13 19:52)
[36] 自称特別捜査隊カッコ笑い[些事風](2014/09/24 19:31)
[37] ッス[些事風](2014/11/03 16:29)
[38] oneirus_0d01[些事風](2014/12/14 18:47)
[39] 三章 QUID EST VIRILITAS?[些事風](2015/03/01 16:16)
[40] ええお控えなすって[些事風](2015/05/17 00:33)
[41] キュアムーミンだっけ[些事風](2015/10/18 13:01)
[42] おれ、弱くなった[些事風](2015/11/20 10:00)
[43] 中東かっ[些事風](2016/03/02 00:50)
[44] バカおやじだよ俺ァ[些事風](2016/05/15 16:02)
[45] ここがしもねた?[些事風](2016/08/16 15:11)
[46] 腕時計でしょうね[些事風](2016/11/15 13:03)
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[35651] 出れそうなトコ、ない? ひょっとして
Name: 些事風◆8507efb8 ID:f9bea2dd 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/10/28 00:07



 まるで朝からずっと夢を見ているようだ――それもとびきりの悪夢を。放課を報せるチャイムがこれほど待ち遠しく聞かれたことがあっただろうか?
(ぜんぜん授業に集中できなかったな……)
 ノートになにを書いたのかもよく思い出せない。おまけになんと書いてあるのかも判別し難い。肘に敷いている世界史の大学ノートにはミミズののたくったような字が綴られている。両手が笑って力が入らず、それでもまだマシな左手のほうで書いた結果だ。
(メソポタミア。ギルガメシュ。深淵を覗き見た人について、わたしはわが国人に知らしめよう……歴史というより文学の範疇じゃないか、世界史は脱線教師か……!)
 是非ともおおいに知らしめて欲しいものだ。そんなものを覗き見たおかげで、彼は朝からずっと全身が痛くて、驚き悩んで気が揉めて、味噌汁にワカメを入れるのを忘れたのだ。パンもクルンヌ・ビールも喉を通らないし、杉を守る怪物をやっつける元気なんかないし、今は不死の秘密よりもう少し控えめな謎を知りたいのだ。
(花村も里中も顛末を知りたがるだろう。言うべきか――馬鹿、信じるわけがない! 狂人あつかいならまだいい方、あからさまな嘘で気を引こうとしている虚仮だなんて思われるのは御免だ)
「――逆さにぶら下がってたってなんなの? ヤバくない?」
「処刑とかそういうアピール? 怖すぎ……」
「死体見つけたのってさ――」
(処刑だって? やめてくれ……)
 一昨日からの例の事件は、この田舎の善良な高校生たちに程よい刺激を提供し続けている。帰り支度の賑わいを縫って聞こえてくるのは、あのアナウンサー逆さ吊り殺人の話ばかりだ。悠のほうはそれどころではなかったのだが。
(……一本、吸おうかな、どこか人気のないところで)
 疲れと悩みと寝不足のせいか、悠はあまり覚えない類の欲求を感じた。ポケットのシガレットケースには確か三、四本は入っていたはず。――ここで出したらどんな眼で見られるだろう?
「よ、よう」
「なっ……なに?」
 悠はあわてて出しかけたケースをポケットに戻した。後ろの陽介が席を立って、畏まって目の前までやってきたのである。
「あのさ……」
「んん……」
(あの話だろう? くそ、なんて切り返そう……浮かばないな)
「や、その、大したことじゃないんだけど……」
「……そう?」
「実は俺、昨日、テレビで……」
「テ……テレビで?」
「あ、やっぱその……」
「……その?」
「……今度でいいや」
「……そう」
「あはは……」
「……はは」
「…………」
「…………」
 非常に気まずい。どうやら屈託があるのは向こうも同じらしい。――ひょっとして彼も同じような体験をしたのだろうか? 大いにあり得る、そして悠と同じに狂人や虚仮あつかいを恐れている、ということも。
「……花村」悠はポケットのシガレットケースを握りしめた。
「え、おう、なに?」
「その、おれも昨日」
「うん」
「……アレだよ、テレビ」
「おお、テレビ」
「…………」
「……テレビ?」
「実はおれ――」
「花村ー、ウワサ聞いた?」 
 ここで千枝が割り込んで来たおかげで――乃至は、せいで――彼の勇気ある告白は遮られた。
「なに、ウワサ?」
「事件の第一発見者って、小西先輩らしいって」
 心当たりがあったのか、陽介の貌が曇った。
「だから元気なかったのかな……きょう学校きてないっぽいし」
(おれも学校やすめばよかったな……)
「あ、そーそー鳴上くん、おつり返すの忘れてたんだ」
 千枝がスカートのポケットをごそごそやり出した。
「おつり?」
「五千円の。はいコレ」皺くちゃの札がらみに小銭を掴み出す。「ごちになりました」
「ああ……いいよ、とっといて」
「ええ? よくないよ、ほら」
(律儀だな、言われなきゃ忘れてたくらいなのに)
「じゃあ、天城のぶんもそこから出そう。里中、天城さそって代わりにお礼してくれないかな」
「へえ? 自分で誘いなよォ」ちょっと声を潜めて、「狙ってんでしょ? 雪子のこと」
「お前、天城越え狙ってんだ、チャレンジャーだな」陽介はげんなりしている。「天城峠でコケるといてーぞー……大怪我すんなよ」
「天城越え……って言うのか」齢十六、七にして険難踏破に喩えられるとは、本人はどう思っているのだろう。「言い得て妙だな」
「険しいよー、標高ラブレター六十通ぶんくらい?」
「あははとても無理だ、足を踏み出すのも畏れおおい。だから代わりに頼みたいんだ、こういうことをひとにやってもらうのは、ちょっと失礼かもしれないけど」
「うーん、じゃ、わかった。それでも余ったら返すよ――あ、雪子」
 ちょうど雪子が教室に入って来たところを、千枝が呼び止めた。
「雪子、今日ジュネス行かない? 軍資金が入ったぞよ」
「軍資金?――いま、ちょっと大変だから」
「あー……雪子、今日も家の手伝い?」
「んん」
 眼の赤く充血しているのは寝不足によるものだろうか。顔色も悪く、雪子は有体に言ってくたびれ果てているように見えた。二、三日ほど水やりを絶った薔薇のしおたれた眺め、とでも言えようか。いささか不謹慎ではあるが、こういう拉がれた薄倖そうな佇まいがまた、彼女には誂えたようによく似合うのである。 
「ごめんね」
「ううん、いいよ、また今度いこ!」と、千枝が笑った。雪子が薔薇ならこちらはチューリップか。「これは預かっておきまする」
「天城、あんまり遅いとコイツぜんぶ使っちまうぞ」
 陽介は右のすねを蹴られて押し黙った。
「……軍資金って?」
「殿からの頂きものでござる」悠を示して、「お礼だってさ、一昨日の」
「菜々子ちゃん迎えに行くの、案内してもらったからさ」
「ああ……」
「これだけあればヨコヅナハンバーグ二人前いけるね、あっ、ステーキたべれるじゃんこれなら!」
「肉女……」
 陽介は左のすねを蹴られて押し黙った。
「うん、じゃあ、近いうち」
 ひとつあいまいに微笑むと、雪子はこころなし背を丸めてとぼとぼと教室を後にした。
「……なんか天城、今日とっくべつテンション低くね?」
「忙しいんだ、雪子。今に始まったことじゃないけど……」
(叔父さん、事情聴取に行ったりしてるのかな)遼太郎は雪子を知っている様子だった。(それとも単に泊まったことがあるだけ?)
「で、ところでさ」
「ん?」
「昨日の夜……見た?」
「…………」悠は机の寸法を気にしだした。
「…………」陽介は床の木目を数えだした。
「ちょっと、ねえ」
「その……お前はどうだったんだよ」
「見た! 見えたんだって! 女の子!」千枝は興奮した様子だ。「……でも運命のひとが女って、どゆことよ?」
「そりゃお前――」陽介はふたたびすねを蹴られて叫んだ。「――まだなんにも言ってねーだろいってーな!」
「顔に書いてあんだよ……でも誰かまでは分かんなかったけど、明らかに女の子でさァ……」
(こっちは男女の区別もつかなかったよ)掌の傷の痛むような気がする。(目下それどころじゃなかったし、よく覚えてないな)
「髪がね、ふわっとしてて肩くらい、で、ウチの制服で」
「それ……もしかしたら、俺が見たのと同じかも」
 陽介の声にはなにか、焦慮のようなものが透いて見えた。
「俺にはもっと、ぼんやりとしか見えなかったけど」
「え、じゃ花村も結局みえたの? しかも同じ子……運命の相手が同じってこと?」
「知るかよ……」
「ふたりを結びつけるキーパーソン……ってとこじゃないか?」
「は?」
「え?」
「つまり、ふたりが運命の相手同士で、それの仲介役が映ったのかなって」
「んなわきゃねーだろっ!」
「んなわけないでしょっ!」
「あはは息ぴったりじゃないか」こちらに話題を振られたくない一心である。「お似合いだと思うけど」
「バッカ言えよ……いや、里中がどうってわけじゃなくて」陽介は蹴りを警戒しているようだ。「なんていうか……ねーよ、それ」
「ないのはこっちだっつの」
 拍子抜けするほど脈がない。このふたりはそういう気配とは無縁らしい。
「で、お前は?」
 韜晦の甲斐もなく、陽介は当然のように聞いてきた。これでお茶を濁すことができれば、と思ったのだが、失敗のようだ。
「そういえば、木造校舎って珍しいよな」
「珍しいな。で、お前は? 見たんだろ?」
「鳴上くんなんでごまかしてんの」
「里中が映ったから……ちょっと恥ずかしくて」
「へえ……で? ホントは?」
「……天城が映った」
「……鳴上」
「ん?」
「なんで隠す」
「…………」
「なあ里中、俺、ちゃんと喋ったよな? 昨夜のこと」
「うん。あたしもちゃんと喋ったよね? 昨夜のこと」
「……実は」
「うん」
「ごめん、見なかった、零時前に寝たんだ。菜々子ちゃんを寝かせたあと、すぐに」
「ええ? 見るって言ったじゃん……」
「忘れてた。朝おきて、しまったとは思ったんだけど……あとの祭りだ、ごめん」
「…………」
 陽介は黙ってじっと悠を見つめている。先にあれだけ仄めかしたのだ、もちろん彼だけは騙せまい。それでも千枝に素っ破抜かないのは、彼なりにこちらに事情があるのだと気を回してくれたものか。
「じゃ、おれ、帰るよ」
 居たたまれなくなって悠は席を立った。――そもそもなぜこんな居心地の悪い思いをしなければならない? 全部あのマヨナカテレビのせいなのだ。言えるものか、テレビに入っただなどと誰が信じる?
「あ、鳴上くん、またジュネス寄ってかない?」
「行こうぜ、話したいことあるし。ヒマだろ?」
「今日は用事あるし」全身が痛いし、悩んでるし、煙草吸いたいし、「また今度さそって。じゃ」
 残念がるふたりを残して、悠は教室を後にした。きのうあれだけ親密にしたのだから、なにも今日まで彼らへの義理を貫くことはなかろう。
(そうとも、テレビに入れるなんて誰が……入ったなんて)
 悠はふと下駄箱の前で立ち竦んだ。恐怖と好奇心の結晶したような、恐ろしい考えがあたまに巣くおうとしている。
(確かにおれは入った、テレビの中に……入った)
 入った。自分は、テレビに。
 では今は?
 今は入れるのか?





 このふたりは証人なのだ――悠は前向きに考えることにした。このふたりに呈示されたのだから、結果もこのふたりが見なければならない、きっとそうなのだ。
(どちらに転ぶにせよ、ひとりで見届けるよりはいいかもしれないじゃないか。入れなければそれでよし、フードコートで馬鹿話して、トマト買って帰ろう。もし入れたら――ええい、そのときは覚悟してもらおう)
 ジュネス八十稲羽店、二階の家電売場で、悠は期せず陽介と千枝に再会していた。
「おっと、結局きてんじゃん鳴上くん」千枝はにこにこしている。
「なに、お前の用事って家電がらみ?」陽介はにこにこしている。
(覚悟しろよふたりとも……)
「うちのテレビ、まだブラウン管でさ。安い液晶ないかなって」嘘ではない。近いうち遼太郎にそれとなく聞いてみようとは思っていたのだ。「電気屋さがしてたんだけど結局なくて……そっちは?」
「ウチもそう! テレビちっちゃくてさ、大きいの買おうかって話してんだ」
「買い換えすげー多いからな今、アナログ放送おわるし」
「うんうん、ここならきっと花村が安くしてくれるし」
「まだ言ってるよコイツ……できねんだってのに」
「あーゆうのがいいなー、でかいやつ」
 千枝の駆け寄ったのは四十六インチの液晶テレビである。
「はー、こんなのでドニー兄貴の大立ち回りが見たい!」千枝はなにかの型よろしくてきぱき動き出した。「ハイッ! ハーイッ! モウイェンガッ!」
「はいはい……てか、お前んちってDVDだっけ? ビデオ」
「うん」
「ブルーレイは?」
「……名前は知ってる」
「プレステ3とかねーんだ」
「うちは2が現役ですけど。つか3とかどこの貴族ですか……」
「DVDだとあんま綺麗に映んねーぞ、でかけりゃでかいほど。今どきのは一定以上の大きさになるとたいていフルHDだから、綺麗なの見たいならついでにブルーレイに乗り換えるのも手かもな。ま、画質の善し悪しなんて感じ方はひとそれぞれだけど」
「フル……え、なんで?」
「花村、家電に詳しいんだ?」
「詳しいっつか、おれここでバイトしてるからさ。ここに回されたとき最低限のこと知っとかないと、なんか聞かれたとき困るし」
「こんなところにもバイト使うのか?」
「まさか。学生のバイトなんか使わねーよ、品出しと売り子だけ。こーいうとこで使われんのは俺。言ったろ? 俺だけ特別待遇だって」
「大変なんだな」
「そのぶん給料もいいんでしょ?」
「最低賃金だっつの。お前信じる気ゼロだろ」
「それより、なんでDVDじゃダメなんよ」
「……ダメなわけじゃねーけど。画素数っつか、解像度が違い過ぎるからボケるんだよ、でかいと。DVDはだいたい三十五万ピクセル、フルHDだと二百万ピクセルくらいで、ブルーレイも映画はだいたい同じ。単純計算で六倍も違う、だからでかいテレビでDVD見ると基本スカスカなわけ。気にしないひとは気にしないし、離れればそうでもねーけど」
「……センセー、よくわかんないんですけど」
「あーっと……つまり……アレだよ、ジャムが全然たりねーんだよ、パンがでかすぎて」
「塗りかた次第っしょ」
「そういう意味じゃなくて……」
「そーいや、ここって店員とかいないの? ガラーンてしてない?」
 千枝の言うとおり、テレビのコーナーには案内の店員が見当たらなかった。ほかに客らしい客もいない、大繁盛のジュネスとはいえ、どこもかしこもというわけではないようだ。
(それは当然か。ダイコンやニンジンとは違うもんな)
「葛西さん倉庫いってんだな……」陽介は静かにため息をついた。「正直、うちでテレビ買うお客とかほとんどいなくてさ、この辺は隣のブースとの兼任がひとりだけ。しかも今は倉庫で一服中、たぶん」
「やる気ない売場だねェ」
「回収しづらいとこにひとなんか回せねーよ、ここはこれが精一杯。ホントに欲しけりゃ客のほうで店員さがすだろ」
「ま、ずっと見てられんのは嬉しいけど……これダメだよ、高すぎ、ありえない」
「これブルーレイレコーダー内蔵型だからな。それ見越せばお得じゃね?」
「うー……なんかオススメないの? 安くてキレイででかいやつ」
「隣のこちらなどいかがでしょうかお客様」陽介の声が一転、セールストーク用のそれに切り替わった。「この春発売されたばかりの最新型で、3D映像もお楽しみ頂けます。専用のキャスター付きテレビ台もセットになっておりまして、お部屋の模様替えの――」
「ちょっ全然安くないじゃん! ゼロいっこ多いだろって!」
「これゼロいっこ減らしたらシャープの社員首つるぞ……てか、まずお前の安いがどんくらいか聞かないと」
「えと、五万円くらい?」
「おま……それテレビ台買って終わりだからな。二十インチちょいの小さいやつならあっかもしれんけど」
「でかいの欲しいの!」
「五万じゃ買えんの!」
「花村のコネで安くしてよォ……そんなら、ここで買うからさ」
「だーからそういうのは無理だっつってんのに……あ、鳴上?」
「ひとりで見てるよ。悩んだら聞くから」
 まずはひとりでやってみなければ――悠はふたりから離れると、テレビを選るふりをしつつ監視カメラの死角を探してコーナーを歩き回った。ひとに見つかる可能性は低そうだが、テレビに手を突っ込む瞬間を録画でもされたらおおごとだ。
(よし、ここなら)
 悠の立ち止まったのはコーナーの一番奥である。そこは死角であるばかりでなく、お誂え向きに六十五インチの大型プラズマテレビが鎮座していた。ちょっと腰を屈めるくらいで簡単に中へ入ってしまえそうだ。
(ここならアレが来ない、っていう保証は、ないんだよな)
 家で試さなかった最大の理由がそれだが、もしあの鉄仮面がところ構わず悠のいるところを嗅ぎつけてやってくるなら……
(あのふたりがいる。彼らに助けを求めればいい、そうさ、その為のふたりだ)
 悠はひとつ深呼吸して、用心ぶかく辺りを眺め回して、誰の目にも留まっていないことを確認したあと、テレビのパネルを指でちょんと突いてみた。――やはり入る。その事実が、悠にはなぜかとても嬉しい。これはちょっと胸の高鳴る展望ではないか? 理由こそわからないけれど、自分はどうやらいつでもテレビに入れるのだ!
 口角の上がるのを感じる。
「花村ー、里中ー、おーい」
(おまえたちの蒔いた種の結実を見せてやる!)
 果たしてふたりは暢気に話しながらやってきた。彼らの驚く顔が目に浮かぶようだ。
「なに、決まった?」
「うお……鳴上くんそれ買うの?」
「げっ六十五インチ! 見てただけだろ?」
「……そうだな、ちょっと小さめだけど、これなら菜々子ちゃんも妥協してくれるかな」
「小さめって……」
「どこのセレブだよ……」
「値段も手頃だし、3D映像も見られるし――」悠はちょっと芝居めいたあと、おもむろにテレビのパネルに手を突っ込んだ。「――腕も入るし」 
 この瞬間のふたりの顔を写真に残せないのが残念だ――切実にそう思わせるくらい、彼らの驚愕は見物であった。
「え、テレビ、ダメだろ、おまっ壊したら……」
「壊す?」悠は突っ込んだ腕をぐるぐる回して見せた。「壊れてないな」
「しっ新機能? それ、え、なんの役に立つの、それ?」
「番組がなくても楽しめるな」
「パナソニックすげー……」
「ってねーよっ!」
「マジでささってんの……?」
「マジだ……ホントにささってる……スゲーよどんなイリュージョンだよ!」陽介は興奮した様子だ。「で、どうなってんだ? タネは?」
「……転校生だから?」
「俺もそーだよっ!」
「じゃ、柴又と三軒茶屋の違いかな」
「柴又すげー……」
 ふたりは食い入るように見つめている。さもあろう、悠でさえ昨晩あんなことがなければ彼ら同様、飛び上がるほど驚き興奮したに違いないのだ。
(中に入ってみようかな、本当に)
 もしこのプラズマテレビの中が昨晩押し込まれた場所とそれほど違わないのなら、空気はあるはず。死にはすまい。
 我ながら軽挙妄動の極みだ――それでも、なによりこのふたりの驚き興奮する様が、この彼のいつにない野放図な好奇心を駆り立ててやまない。いい気分だった。悠にとってはこの降って湧いた非日常への招待よりなにより、この善良なクラスメートたちの面に閃く反応のほうがずっと関心を引いたのである。
(テレビのフレームを支えにしたらたぶん壊れるな……ちょっと辛い体勢だけど)
 もういちど周囲に誰もいないことを確認すると、悠は脚を前後に開いて、少々不自然な前傾姿勢でテレビの中にあたまを突っ込んだ。――店内を飛び交っていたあらゆる音が掻き消えた。慌てたように背中をツンツン突くのは陽介か千枝か、向こうではさぞ大騒ぎしているのだろう。こんな突飛なことを目の前でされたふたりの驚愕ぶりが伝わってくる。
(昨日と同じだ、薄黄色の靄、ちょっと湿気たような空気)
 靄が濃すぎて周囲になにがあるのか全く見えない。大声で叫んでみると、意外にもこだまは返ってこない。この中はかなり広いようだ。
 例の鉄仮面の現れる気配はなかった。思えばあれは二回とも堂島家で現れた、とすれば、アレはひょっとしてあの家に憑いた……
(ばかばかしい……って言えればいいけど、こんなことがあった後じゃなんとも……)
 と、いきなり後ろから引っ張られて、悠はジュネス店内の喧噪に引き戻された。彼を出迎えたふたりといえば周章狼狽、顔面蒼白の態である。
「バッカなにしてんだお前ェ!」
「ひと、来たか?」
「来ねーよ、お前が行っただけだよ!」
「やばいって監視カメラ映るよ!」
「ここは死角になってる」
「お前……お前……」陽介は少し落ち着きを取り戻したようだ。「そうかお前このことを……じゃあ昨晩」
「ご明察」
「なに、なんの話よ!」
「家電の話。――中はかなり広いみたいだ」
「なっ、中ってなに!」
「テレビの向こうの空間」
「くっ、空間ってなに!」
「もう一度はいってみる」
「バカよせって!」
「大丈夫、たぶん」
「たっ、たぶんってなに!」
 ふたりの止めるのを聞かずに、悠はふたたびあたまを突っ込んだ。
(ここって、無人なのかな)
「誰かー! 誰かいないかーっ!」
 ――返事はない。
(地面が見えれば入ってみるんだけどな……なにか落としてみようか)
 悠はポケットからシガレットケースを取り出した。中の一本を抜き出して、下に放ろうとして――止める。あと三本しかないのだし、今後なかなか手に入りそうにないのだからもったいない。
(落とすだけなら吸殻でいいか)ここなら一服しても誰も文句は言うまい。(ライター、あったかな……あれがあったはず、スタンドで貰ったやつ)
 制服のポケットに両手を突っ込んで、ライターを探し当てた瞬間、陽介か千枝か、誰かに背中をどんと押されて、悠はろくに踏み止まることもできずにつんのめった。とっさの手が出ない。腹がテレビのフレームを乗り越える。血の気が引く――
「うわっなに――!」
 さながら海戦の捕虜が両腕を縛られた状態で、甲板から荒れ狂う波濤へと蹴り落とされるように――悠はテレビの中へ落ちた。





 かなり長い時間、身の毛もよだつ自由落下が続いたわりに、着地の衝撃は驚くほどあっけなかった。
(絶対死んだと思ったけど……それよりなにより!)
 こちらのほうがよほど問題だ――海戦の捕虜はひとりだけではなかった。なんと陽介と千枝も落ちてきてしまったのである。
「ふたりとも、大丈夫?」
「いってェ……ケツの財布がダイレクトに……!」 
「もーなんなのォ……!」
「怪我は?」
「ええ? ケツが粉砕した……」
「え、ここどこ、ジュネスのどこ?」
 怪我らしい怪我はないようだ。
「……上でなにがあった。背中を押されたんだけど」
「う、ごめんあたし、ぶつかっちゃって。だってひとが来て……!」
「ほかの客が来て、里中テンパってお前にぶつかって……俺、お前の脚つかんだんだけど……」
「あたしは花村のを……イカドーブン」
「……参ったな」
 三人の捕虜の流れ着いた孤島は、やはり黄色い靄に覆われている。地面は柔らかい、少し硬めのゴム様のなにかでできていた。もしもコンクリートかなにかだったら三人とも無傷では済まなかっただろう。
「ねえ……どこ、ここ」
「ジュネス、じゃ、なさそうだな」
(カンザスでもなさそうだ)
 音らしい音がしない。空気も全然ちがう。昨日きた世界と同じ、違うことと言えば……
(帰れない……ってことか)
「ジュネスじゃないって……じゃ、どこよ!」
「どこって、そりゃお前……テレビの中、だろ」
「中って――」
「うおっ!」
「うあっ、なにっ、なによォ!」
「周り、見てみろって!」
 陽介の指す先にうっすらと、クレーンのアームのようなトラス構造の骨が渡されている。そこからつり下がった大型の照明、撓んだケーブルの束、家庭用では用途の見つかりそうにない巨大なカメラ。よくよく見れば立っている地面もなにかのイラストが描かれている。三人の落ちてきたそこはなんとなく、どこかの室内スタジオのように眺められた。
「でかい声だすなバカァッ!」陽介の腰に猛烈な蹴りが飛んだ。「ビックリすんでしょ!」
「いって……わり、でも、ここってなんなんだろ。スタジオっぽい?」
「すごい霧、じゃない、スモーク……?」
「なんか色ついてっけど……毒ガスじゃねーよな」
「こんな場所、ウチらの町にないよね……?」
「あるわけねーだろ……どうなってんだここ、やたら広そうだけど」
「……どーすんの」千枝の声は微かに震えている。
「……帰るんだよ」陽介の声も微かに震えている。
「そっ、そうだよね、とにかく一回かえってさ……帰って……」
「……どーやって」
「あ、あたしら、そういや、どっから入ってきたの?」
 悠は黙って頭上を指した。
「出口……上ってこと?」
 落ちてからここへ到達するまでにはかなりの時間があった。仮に上に出口があるにせよ、手足で登っていけるような距離ではないだろう。
「……出れそうなトコ、ない? ひょっとして」
「ちょ、そんなワケねーだろ! どどどーゆーことだよ!」
「知らんよあたしに聞かないでよ! やだもう帰る今すぐ帰るー!」
「ふたりとも静かに」
「だからどっからだよっ!」
「あたしに聞くなっつってんだろォ!」
「おい静かに――」
「ヤダもうなにコレェ……ざっけないでよォ……!」
「泣きてーのはこっち――!」
「静かにしろふたりともっ!」
 ふたりともぴたりと押し黙った。
「人工物があるってことは、誰か来たことがあるってことだ」安心したような、なんとなく落胆したような。内心は複雑である。「誰か来たことがあるってことは? 出入口があるってことだ」
「……うん」
「……おお」
(その出入口がまだ開くかどうかはわからないけど)
「ここがもしスタジオなら、とうぜん番組が収録されているはずだ。ここはどこかのビルかもしれない。いずれにせよ、出入口はある――ふたりとも、携帯は通じる?」
「……ダメ」
「俺のも」
「……おれのもだ。これで助けは呼べないことがわかった」繋がったところで呼びようもないが。「なら、この脚で出口を探すしかない」
 ふたりとも絶望的な顔をしている。悠のほうでも一皮むけば似たようなものだったが、
(三人なかよく絶望して泣き叫んで、いったいそれでなにがどうなる! おれがしっかりしなきゃ……)
「さ、ふたりとも立って。歩こう、ここでこうしていてもどうにもならない」
「歩くって、どこへだよ」
「どこから試してもいい、ここ以外ならぜんぶ出口に繋がってる。簡単だろ」言って、悠は非常な苦労をして無理に笑って見せた。「ふたりとも元気だせよ! どうした、いつも底抜けに明るいくせに。あした天城に話すぞ、ふたりとも震え上がって泣き叫んでたって」
「……俺は泣いてねーだろ」陽介はよろよろと立ち上がった。
「わがった……」千枝は洟を啜りながら立ち上がった。
「よし、行こう。なんかワクワクしないか? ふたりとも」なにがワクワクだ! わが言葉ながら呪わしいことこの上ない。「ちょっとSF映画みたいじゃないか」
「お前元気だね……」
「ゾクゾクならする……」
(映画なら最後にはちゃんと帰れるものだけど)
 もしくは、後ろからひとりずつ食い殺されて、最後に生き残った先頭の主役が脱出してエンディング――パニック系ホラーの古典的展開はたいていこんな感じだ。人食いモンスターはいつも後ろからやってくる……
(その人食いモンスターがもし鉄仮面を被ってたら……そうだ、ここはあいつの世界なんだ)
「まずはこっちだ――おれが先頭に立つよ」
 ふたりの頼もしげな視線が、なんとなく後ろめたく感じられた。





「ふたりともストップ」
「え……また?」
「なに、なんなんだよ」
「…………」
「鳴上?」
(やっぱり……なにか後ろからつけてきてる)
 例のスタジオを発って三十分ほど、三人は一列縦隊で足の向くまま、この黄色い霧の立ちこめる世界をさまよい歩いていた。
 もちろん出口は見つかっていない。わかったことと言えば、先のスタジオのように具体的な人工物のある場所は稀でありそうなこと。いくつか扉を開けても、この妙な霧はどこまでも続いていそうなこと。行き止まりが多く、両の脚で踏破できそうな範囲は案外せまそうであること。
(そしてずっと何者かにつけられていること……くらいか)
 最初は気のせいだと思っていたが、何度か故意に急停止してみたところ、この三人以外の誰かの足音が微かに聞こえたのだ。疑ってかからなければ聞こえないような、微かなものだったが。
(ふたりに報せるべきかな)
 陽介も千枝も相変わらず恐怖と不安に拉がれている。
 陽介はまだいい、それらを紛らすために虚勢めいて多弁になっているが、それも自身を奮い立たせるためだ。が、千枝のほうはもはやそんな気力もなく、折々しゃくり上げたり洟を啜ったり弱音を吐いたりしつつ、陽介の制服の裾を掴んでよちよち歩いているという有様だ。
 それでも、悠はこのふたりの道連れをありがたく思っていた。
 怖れ震えるあわれな様子を見れば、彼らのためにも尚のこと冷静に努めなければと、いきおい悠は奮い立たざるを得ない。言ってみればこのふたりが彼のぶんまで怖がってくれているようなものだった。このふたりが恐怖に打ち震えるという重要な仕事に専念してくれるおかげで、彼だけはその悪疫を免れているのである。
 たったひとりこの世界に投げ出されていたらどうなっていただろう? もっとも、悠を落としたのも彼らなのだが。
「おいなんだよ、気持ちわりーな。なんか見つけたのか」
「んん」
(問題はなにかあったときだ、後ろの奴がなにか変わったアプローチを仕掛けてきたとき)具体的には、三人が二人に減ったりする類の。(そのときなにも知らないでいるのはフェアじゃないな)
「おいってば」
「ふたりとも、落ち着いて聞いて欲しいんだけど」
「……へ?」
「なに、実はあなたが好きでしたって?」
「ここから出たら指輪を贈るよ。――花村も、里中も、取り乱さないでくれよ」
「へえ、やけに勿体ぶるじゃん」
「な、なに……?」
「誰かにつけられてる」
 悠は「なにか」とは言わなかった。
「……え?」 
「気のせいじゃ」
「そうあって欲しかったけど、何度か立ち止まって、足音を聞いた。間違いない、おれたちのうしろに誰かいる」
「だっ、誰がいるって……!」
「もーやだァ……!」
「落ち着けって! つけてるってことは、いますぐどうこうしようってわけじゃないってことだ。いや、できないってことだ」
「わかんねーだろそんなこと!」
「じゃあ、説明してくれ。どうして後ろのやつはなにもしない? いや、具体的に言おうか。どうして襲ってこない?」
「…………」
「答えを教えよう。そうできないか、そもそもそうするつもりがないからだ。だから安心して、でも注意しよう」
 もちろん、今はたまたま虫の居所がよいとか、まだ食事の時間には早いとか、三匹ぶんの凝った献立を思案中であるとか、悪いほうにだっていくらでも考えられる。が、その可能性を指摘したところでなんになろう。
「……結局、今までどおり探し回るしかないってことだろ、出口」
「その通り。スリル満点だな、明日は話題に困りそうにない」
「は、花村、あたし、真ん中いっていい?」
「はあっ? お前それ酷すぎだろ! さんざひとのこと盾にしといて!」
「だっでェ……!」
「男の見せ所だな花村、代わってあげたら?」
「お前ひとごとだと思って……!」
「じゃ先頭やる?」
「……ここ出れたらなんか奢れよ里中」
「うん、ありがと……」千枝の盾は陽介から悠に交代した。「……ヨコヅナハンバーグでいい?」
「……もちっとあっさり系で頼むわ」
「フォルサン・エト・ハエク・オーリム・メミニッセ・イウァービト」
 悠はポケットからライターとシガレットケースを取り出した。
「へ?」
「なに、おまじない?」
「格言。いつかこの災厄も楽しく思い返す日が来るだろう。今のおれたちにはぴったりだろ」
 思えば一服つけるのは稲羽に来てからこれが初めてだった。非喫煙者のふたりを憚って横を向いて、悠は銜え煙草に火をつけた。
(もっとも、アエネアスはその後も試練の連続だったんだけど……)
 赤い火種が薄黄色の霧に紛れてかすかに翳る。久しぶりのせいかちょっとクラッと来たが、ささやかな鎮静作用がいまは奇妙にありがたい。
「その日が明日でないなんて誰にわかる? ふたりとも明るく行こう。じき出口も見つかって、今日の一件は笑い話になるよ」
 陽介も千枝も口を半開きにして、悠の右手の二本指の間を凝視している。
「これ、気になる?」
「……お前、タバコ吸うんだ」
「うおー……不良だ……」
「意外?」
「意外っつか……意外だわ」
「うん意外。なんかこう、もっと優等生ぽいって思ってた……」
「ひとを見た目で判断しちゃいけない、これでも東京じゃ札付きの悪党だったんだぜ……」
 リクエストに応えて、悠はいっぱしの不良よろしく悪げに煙草をふかして見せた。こんな茶番でもふたりにはいい気分転換になるだろう。
「えーホントにィ……?」
「うっわ説得力ねーな」
「ホントさ。窃盗、傷害、覚醒剤、十回留年して今じゃ二十七歳の高校十二年生、少年刑務所の常連だ」
「へーえ……で、その少年刑務所ってどんなとこよ」陽介の面にようやく笑顔が戻った。「そんなの柴又にあったっけ?」
「東京にはない、埼玉の川越。運動ばっかりさせられる。そのぶん普通の刑務所よりはメシ多いけど」
「…………」陽介の笑顔が凍り付いた。
「……マジ?」
「フフフ……そうは見えないかもな……」
 ふと、吹き上げた紫煙の先に薄ぼんやりと、そこだけ霧の黄味の強く見える一画が目に留まった。
(なんだろう)
 霧が濃すぎて遠近の区別こそつかないが、明かりの灯っているかのようなそれは、少なくとも悠の眼の高さよりはかなり上に見える。
(今までいろいろ廻ってきたけど、あんな高いところになにかあるのは初めてだ)
「ちょっと俺お前のほうが怖くなってきたんだけど!」
「鳴上くんマジなの? ウソでしょ?」
「鳴上先輩って呼んでくれ。ふたりとも、あれ、見えるか?」
「なあホントのとこどーなんだよって!」
「二十七歳ってさすがに……ないっしょ……ケ、ケームショって……」
「口が滑ったな。知られたくない過去だったんだ、実際いまも胸が張り裂けそうで……行ってみよう」
「お前ニヤニヤしてんじゃねーか! おい待てって!」
「あ待って待ってあたし真ん中! 花村ァ!」
 指摘されて初めて、悠は自分の「ニヤニヤ」しているのに気付いた。
(おれ……喜んでるのか? こんな窮地の只中で?)
 指摘されて初めて、悠は静かな驚きに打たれた。例の彼の身体の中を通るつめたい鉄芯が、いったいいつからどのようにされて今に至るのか、赤熱して輝き始めているのである。家族から慰謝を得るときでさえ、かつてこれほどの熱を遷されたことはなかったというのに。悠はこの熱の輻射を表情に出すまいとして、しかしそれを抑えかねた。彼は背後のふたりに見られないように「ニヤニヤ」した。
 陽介と千枝は熾烈なポジション争いを繰り広げている。
(いまは笑おうじゃないか、素直に。状況が特殊なだけだ、それに都合もいい、この異常な世界でやる気を出してくれるものなら、なんであれ活用するべきだ)
 一時的に芯材が銅に代われば、それは熱くなりもする。いつもとは状況が違うだけ――悠はそのように納得して足を速めた。いまふと見出したこの例外的な暖かみを、世間一般の名付けがちな陳腐で安っぽい俗称で性急に呼ぶことは、彼の中のなにかが許さなかった。曰く、友情!
 ニヤニヤ笑いが次第に減衰していく。




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