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No.35651の一覧
[0] PERSONA4 THE TRANSLATION(ペルソナ4再構成)[些事風](2014/11/03 16:25)
[1] 序章 PERSONA FERREA[些事風](2014/11/03 16:25)
[2] 一章 REM TALEM MINIME COGITO[些事風](2012/10/27 23:54)
[3] 国を去り家を離れて白雲を見る[些事風](2012/10/27 23:57)
[4] マヨナカテレビって知ってる?[些事風](2012/10/28 00:00)
[5] ピエルナデボラシーボラ![些事風](2012/10/28 00:03)
[6] 出れそうなトコ、ない? ひょっとして[些事風](2012/10/28 00:07)
[8] 死体が載ってた……っぽい[些事風](2012/10/28 00:27)
[9] ペルソナなんぞない[些事風](2013/03/05 00:17)
[10] でも可能性あるだろ?[些事風](2012/10/28 00:34)
[11] バカにつける薬[些事風](2012/10/28 00:36)
[12] シャドウじゃなさそうクマ[些事風](2012/10/28 00:41)
[13] 吾、は、汝[些事風](2012/10/28 00:46)
[14] 俺はお前だ。ぜんぶ知ってる[些事風](2012/10/28 00:53)
[15] ノープランってわけだ[些事風](2012/10/28 00:56)
[16] 旅は始まっております[些事風](2012/10/28 01:05)
[19] 二章 NULLUS VALUS HABEO[些事風](2014/11/03 16:26)
[20] あたしも行く[些事風](2013/01/15 10:26)
[21] それ、ウソでしょ[些事風](2013/03/05 21:51)
[22] 映像倫理完っ全ムシ![些事風](2013/05/12 23:51)
[23] 命名、ポスギル城[些事風](2013/05/12 23:56)
[24] あたしは影か[些事風](2013/06/23 11:12)
[25] シャドウ里中だから、シャドナカ?[些事風](2013/07/24 00:02)
[26] 脱がしてみればはっきりすんだろ[些事風](2013/10/07 10:58)
[27] 鳴上くんて結構めんどくさいひと?[些事風](2013/10/14 17:36)
[28] セクハラクマー[些事風](2013/12/01 15:10)
[30] アギィーッ![些事風](2014/01/31 21:58)
[31] かかってこい、あたしが相手だ![些事風](2014/03/04 21:58)
[32] クソクラエ[些事風](2014/04/16 20:30)
[33] あなたは、わたしだね[些事風](2014/06/15 15:36)
[34] とくに言動が十八禁[些事風](2014/07/26 21:59)
[35] コードレスサイクロンユキコ[些事風](2014/09/13 19:52)
[36] 自称特別捜査隊カッコ笑い[些事風](2014/09/24 19:31)
[37] ッス[些事風](2014/11/03 16:29)
[38] oneirus_0d01[些事風](2014/12/14 18:47)
[39] 三章 QUID EST VIRILITAS?[些事風](2015/03/01 16:16)
[40] ええお控えなすって[些事風](2015/05/17 00:33)
[41] キュアムーミンだっけ[些事風](2015/10/18 13:01)
[42] おれ、弱くなった[些事風](2015/11/20 10:00)
[43] 中東かっ[些事風](2016/03/02 00:50)
[44] バカおやじだよ俺ァ[些事風](2016/05/15 16:02)
[45] ここがしもねた?[些事風](2016/08/16 15:11)
[46] 腕時計でしょうね[些事風](2016/11/15 13:03)
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[35651] ピエルナデボラシーボラ!
Name: 些事風◆8507efb8 ID:f9bea2dd 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/10/28 00:03



 フードコートで予想外に時間を食ったために、その後いそいで食品売り場を駆け回り、ジュネスを出て早足で帰途につき、家で菜々子に迎えられた時は六時を回っていた。
(おまけにナベカマの類が仕舞われてると来た!)
 米やら味噌やらがないのは覚悟していたが、これは完全な誤算であった。せめてきのう買い物に行くことができていれば……
(気づいたんだろうけど……ああもう! きょう花村たちに付き合わなければよかったかな)
 居間ではあわれな菜々子が腹を空かしてテレビ鑑賞もそぞろに、今かいまかとこちらをちらちら覗き見ているのだ。昨日はいろいろあって結局なにも作ってやれず、つめたい総菜の残り物でお茶を濁しただけに、今日こそはなにか暖かいものをこしらえてやらねばならぬ!
 仕方なく、おととい来たばかりの家の台所を大車輪で転げ回って調理器具を探し、初めての手料理なんだから少し手の込んだものを作ろうなどと楽観していた自分を呪ったり激励したりしながら――悠がどうにかこうにか食事を用意できたのは、七時二十分過ぎごろであった。
「いいにおい! できた?」
「うん、できた。ごめんね遅くなって」
「菜々子てつだったのに」
「まあ、追々ね」
 鍋がないとわかった時点で、この小さな従姉妹の助力は丁重に辞退している。捜索と料理に貢献するささやかなメリットより、さして広くもない台所で彼女を踏み潰すリスクのほうがはるかに大きい。
「じゃあ、お皿だして。大きいやつ」
「どのくらい?」
「このくらいの腿肉だから、ええとね、自分で取るよ……」
「これなあに? お肉?」
「ピエルナスデポッロアッラシードラ」
「ええっ?」
「ピエルナスデポッロアッラシードラ」
「あははなにそれ! もういっかい!」
「ピエルナスデポッロアッラシードラ」
「ピエルナデボラシーボラ!」
 菜々子はこの長い料理名を気に入ったらしい。料理を居間に運ぶ間、彼女はずっと「ピエルナデボラシーボラ!」と唱え続けていた。
(叔父さん、本当に料理しないんだな……)
 悠は呆れ半分、感心半分のため息をついた。
 わずかな食器類を除いて、調理に関係するものほとんどはぴかぴかに磨かれたうえ、戸棚の一番上に整然と収納されていたのだった。遼太郎の諦めのよさと几帳面さの奇妙な混交である。ただ炊飯器だけ、台所の隅っこの埃まみれのキッチンワゴンの上にぽつんと置いてあったのは、おそらく何度か炊飯を試した名残なのだろう。中をうすく覆うカビが彼の努力の跡を示していた。
(夕飯が済んだら洗おう。朝つかうもんな……)
 ――こうして堂島家滞在二日目の、遅い夕食が始まった。ひょっとしたら料理中に帰ってくるかと思っていたが、依然として遼太郎からはなんの連絡もない。
「たべていい?」
「どうぞ。いただきます」
「いただきます!――どうやってたべるの?」
「かぶりついてもいいんだけど……」たぶん菜々子がやったらソースで服がとんでもないことになる。「ナイフとフォークで切ろう――切ってあげる」
「それ、お味噌汁?」
「ううん、キャベツスープ」母いわく、この世でもっとも簡単でうまい料理。「……というより、肉なしポトフになっちゃった。味噌汁は朝つくるよ」
「ほんと?」菜々子は味噌汁にご執心の様子だった。
「いまはキャベツで我慢して。これだってなかなかいけるから」
「うん。ごはん、ないの?」
「パンがあるよ」米は炊くつもりだったのだが、炊飯器のカビを見たとたんやる気が失せたのだ。「これにはパンが合うよ、きっと」
「ピエルナデボラシーボラ?」
「そうそれ。気に入った?」
「だってへんなんだもん! ピエルナデボラシーボラ!」
「へんなのは名前だけ、たぶん。――はい切り終わった、どうぞ」
「いただきます――おいしい!」
「そう、よかった」
 こんな遅くまでお預けを食っただけあって、菜々子はすばらしい食欲を見せて鶏肉を貪った。貪るかたわらパンを毟りスープを啜り、八面六臂の活躍である。
 悠は自然と口の端の上がるのを感じた。
「……おいしい?」
「うん!」
(母さんもこんな気分だったのかな)
 それは奇妙な感覚だった。まるで小学一年生の自分を見る母に乗り移ったような、小さい頃の自分に、今の自分が話しかけているような。
 疲労も食欲のなさも、まだ胃に残っている毒入り焼きそばの重圧感も気にならない。安心感と達成感に似たなにかが胸を占めるのを感じる、それは誇りや喜びにも似ているのだった。
 思えば、自分で食べるのでない、ひとに食べさせるために作る料理はこれが初めてだった。
 悠は母からなし崩し的にいくつか料理を教わってはいたが、積極的に作ることはまずなかったと言っていい。とりあえずは奇貨居くべしとばかりてきとうに習い覚えたものの、大して熱も入らなかったいわゆる余芸に過ぎず、これが生きる機会を想定したことなどかつてなかった。おまけに東京にいた頃はすぐに出来合いの料理が手に入ったし、自分のためだけに作る料理はコストの面からも利益が薄く、ただ煩瑣でめんどうで、悠にとってはそれに費やされる時間のほうがずっと惜しまれたのだ。
(でも、苦労した報いはちゃんとあったな)
 きっと他人、なかんずく大事な他人に出す料理というものは、それを食べる人間にも況して、料理人にとっては最高の美味なのだ。父が板前をやっている理由の一端はまさしくこれに違いない。――本当にどこで教えられるかわからないものだ! いま父母について得た小さな理解も、ここに越して来なければわからずじまいだったろう。
「おいしいね、すごいね、こんなの作れるんだから」
「あはは……見た目ほど手間はかからないんだけど」無論、虚勢である。
「お父さんのぶんも、ある?」
「もちろん。おかわりもあるよ」
「…………」菜々子はにわかに潮垂れた。「お父さん、かえってこない」
「お父さんから、連絡は?」
「ない。デンワするって、いっつも言ってるのに……」
「……おれがいるから、安心してるのかも」
「んん」
「そうだ、菜々子ちゃん、マヨナカテレビって知ってる?」
「マヨナカ?」
「うん。夜中の零時に――知ってるわけないよな」われながら馬鹿なことを聞いたものだ。小学一年生が深夜帯の都市伝説など知ろうはずもない。「ごめん、なんでもない」
「ええ? なあに? なあに、それ」
「うーん……雨の日の夜中の零時にね、消えてるテレビをひとりで見るんだ、そうすると――」
「それ、こわい?」菜々子はたちまち青くなった。「かいだん?」
「あ、いや! そんなんじゃないよ。それを見ると運命の相手が――帰ってきたみたいだね」 
 カーテンの隙間に車のライトが閃いたかと思うと、低いエンジン音が車庫に収まって、じき途切れた。遼太郎に違いない。
「あっ、かえってきた!」
 ほどなく玄関の引き戸の開く音がして、遼太郎が長身を持てあますようにしてのっそりと入ってきた。だいぶくたびれた様子である。
「ただいま、なにか変わりなかったか」
「ない。かえってくるの、おそい」菜々子が口を尖らせた。
「悪い、仕事が――うお、なんだこりゃ!」
 たぶんそうするだろうと思った通り、遼太郎は食卓を見て瞠目した。
「作ってみたんだ、ナベ探すのすごい大変だったよ」
「作ってみたんだって……おいおい、これをお前が?」
「時間かかったけど。叔父さん食べる?」
「あーいや、すまん、食ってきた。でもこんなのが待ってんなら、なんだ食わなきゃよかったな……これなんだ? クリスマスみたいだな、鶏肉か?」
「ピエルナデボラシーボラ!」と、菜々子。
「……ピエなに?」
「ピエルナデボラシーボラ!」
「まるでわからん。なんなんだ?」
「ピエルナス・デ・ポッロ・ア・ラ・シードラ、メキシコ料理。鶏の林檎酒煮」
「お前そんな高級そうなもん作れるのか、すげえな。親父さんから教わったのか?」
「高級なんかじゃ……それに叔父さんの姉だよ、教えてくれたのは。父さんからは教わったことないんだ」
「へえー……しっかしすげえな、助かるよ」笑って、遼太郎はソファにどっと腰掛けた。「よかったなあ菜々子、これから毎日うまいメキシコ料理くえるぞ」
「うん!」
「あはは、毎日はさすがに……」
「ねえお父さん、メキシコって?」
「メキシコってな、外国だよ、アメリカの……あー、下のほうだ」
「アメリカって、どこにあるの?」
「アメリカってのは……菜々子、テレビつけてくれ、ニュース」
 菜々子は無念そうにリモコンを取った。父親と話がしたかったのだろう。
 ニュースはちょうど時事報道に入ったところだった。
『――次は、霧に煙る町で起きたあの事件の続報です。稲羽市で、アナウンサーの山野真由美さんが、民家の屋根で変死体となって見つかった事件。山野さんは生前、歌手の柊みすずさんの夫で、もと依田慎太郎市議会議員秘書の生田目太郎氏と、愛人関係にあったことがわかっています』
(これが事件に関係……あるかな?)
『警察では背後関係をさらに調べるとともに、関係者への事情聴取を進める方針です。番組では遺体発見者となった地元の学生に、独自にインタビューを行いました』
「……第一発見者のインタビューだァ?」遼太郎がぼやいた。「どこから掴んでんだ、ったく」
 当然ながらVTRに「地元の学生」の姿は映されず、ただスカート――遺体発見者は女性らしい――の膝から足までが画面を占めるだけだ。矢継ぎ早に質問を連発するインタビュアーに対して、ボイスチェンジャーを通した甲高い声は要領を得ない、しどろもどろの受け答えに終始している。
(あれ、この靴、どこかで……)
 ダークレッドの、革のストラップシューズが質問されるたび、困惑を示してつま先を開いたり閉じたりしている。
(そうだ小西先輩だ。同じ靴だ……本人かな)
「悠」
 出しぬけに遼太郎が呼ばわった。
「……え?」
「昨日は、悪かったな」
「ああ、あのくらい」
「助かった、本当に。あの子らにも言っといてくれ」
「うん」
「……手ェ、早えなァ、それにしても、クク」
「なにが?」
「ええ? 初日にふたりもかよ……とんでもねえ色男だな」
「ああ、あれ? ふたりとも美人だと思わない?」
「あれ、かたっぽは旅館の子供だな、確か」
「そう言ってたね」
「びじん?」菜々子が首を傾げた。
「ああ……なんでもないんだよ」遼太郎はひとつ大きな欠伸をした。「菜々子、音おおきくしてくれ……」
 菜々子はふくれ面でリモコンを取った。
「おい悠、メシ作るのに買ったもん、あとで金額おしえろよ、出すから。お前の小遣いでメシ作らせてるなんて、姉貴には口が裂けても言えん」
「うん」 
『――地元の商店街の近くで起きた、悲惨な事件。商店街関係者の多くは、客足がさらに遠のくのではと懸念しています』
「ふん、お前らが騒ぐから余計に客足が遠のくんだろ……」
 その後、犯罪心理学者のコメンテーターとキャスターの小対談に移り、ニュースは犯人の性格や嗜好についての眠たい推理の垂れ流しになった。学者先生の推測によれば、犯行はごく若い複数人の少年たちによる可能性があるということだ。死因不明、という点については言及を避けていたが。
「ガキならどれだけ楽だか……」
 ニュースが中断し、テレビはコマーシャルに移った。
(死因が不明って、どういう状態なんだろう。外傷がないってことかな)
 それらしい傷があれば当然、ニュースでそのように報道するはずであろうから、目に見える外傷は見つからなかったのだろう。
 ふと、きのう事件現場で瞥見した防護服の男たちが思い出された。なんであんなものを? 不審死に立ち会う場合、警察は必ずああいう装備を用意していくのだろうか。もしそうでないなら? 外傷がないから毒の可能性を疑ったのか。疑ったとして、それが周りに影響があるかもなどとただちに考えるものだろうか。
(それとも、一見してそういう危険を感じさせる死体だったか……ダメだな、飛躍し過ぎだ。警察が慎重なだけだろう、あくまで念のためだ。行方不明になってからそんなに経ってないし、もしすぐに死んでたとしても、ここはけっこう涼しいし、それほど腐敗も進まないだろうし……叔父さん消毒してきたんだろうな)
「あっ、ジュネスだ」
『――ジュネスは毎日がお客様感謝デー。来て、見て、触れてください』
「エヴリデイ・ヤングライフ、ジュネス!」お馴染みの菜々子の合唱が入った。「ねえお父さん、こんどみんなでジュネスいきたい」
 遼太郎の答えはない。
「……だめ?」
 ないはずだ、彼はソファにもたれて眠りこけていた。
「あーあ……もー……」
「菜々子ちゃん、ご飯たべちゃおう――叔父さん」
「んお」
「風呂はいって、着替えて。寝るのはそれから」
「んん」
「……叔父さん、携帯ふるえてるよ」
「んっ」遼太郎は瞬く間に覚醒した。「……あん? 着信ねえぞ」
「そりゃないよ、嘘だもん」
「悠……」
「さ、起きて風呂はいって着替えて部屋いって、それからまた寝てよ」
「へいへい」遼太郎は苦笑して、大儀そうに立ち上がった。「こりゃどっちが子供なんだかわからねえな……」
「菜々子ちゃん、お父さんがソファで寝たら、いまみたいに言えばすぐ起きるよ」
「けいたい?」
「携帯が起きればお父さんも起きる」
「はは、二度も同じ手は食わねえよ……」
 遼太郎は欠伸しながらバスルームに入って行った。





 十一時五十五分。
 食事を終えて、残り物を仕舞って皿を洗って、炊飯器を掃除して米を研いでタイマーをセットして、風呂に入って菜々子に挨拶して二階に上がって、自室のソファに座ってセネカに眼を落としながら、明日は残りの鶏肉を切ってトマト煮にでもしようかしら、ジュネス行ってホールトマトかピューレ買って来なきゃ、などと考えつつ――ふと顔を上げたときである。眼に飛び込んできた壁掛け時計は、十一時五十五分を指していた。
 悠はため息をついた。
(……思い出しちゃったな、あれ、マヨナカテレビだっけ)悠は苦笑した。(安直すぎるよな、名前が。昼やってたらマッピルマテレビ?)
 霧雨の屋根を叩くかすかな音が聞こえる。条件はいちおうこれで整ったことになる、本人のやる気を除けば。
(明日なんて言おうかな)
 悠はセネカを投げ出した。まずなにも映るまいが、気の利いた返答は用意しておかなければ。
(里中が映った、でもいいか。いや、もし天城の機嫌がいいようなら、そっちに話題を振ってみるのもいい……いやいや、ここはまだろくに話してない洲臣か瀬戸目にしたほうが。あ、ここはさんざん気を持たせて、結局じぶんが映ってたっていうオチにしようか……いや、これはちょっと花村がやりそうだ。ダメだな)
 こんな益体もないことをつらつら考えているうちに、時針はついに零時を指した。――我ながら情けないことに、悠は少しくぞっとした。
 本当に電源の入っていないテレビに、明かりが灯ったのである。
「……夢?」
 悠は自分の頬を抓ってみた。こんなことをするのも、してみようと思わせるような事態に遭遇するというのも、普段の彼なら一笑に付してしまうような馬鹿げたことだったが――驚いたことに、こういうことをひとはしてしまうらしい。頬は痛みを訴えている。ということは、夢では……
(馬鹿! 夢の中なら抓ったって痛くない、なんてことはないだろう。これは夢だ、いつどこから切り替わったかわからないのが夢なんだから)
 テレビの画面にはレモン色のもやもやしたものが映るだけだった。が、ややあって見ているうちに、それの奥でなにかさかんに動いているのが見えるようになる。ひとのシルエットのようなものが、なにかと揉み合うように激しく波打っている。非常に音質の悪い、雑音のような呻きのような音が折々、そこから薄気味わるく響いている。菜々子が見たら震え上がってトイレに行けなくなるだろうこと請け合いだ。
 こんな不気味このうえないテレビに悠を歩み寄らせたのは、勇気というよりはむしろ、自分にはそれがあると自身に証明しようとする意地のようなものだった。
 画面の中のシルエットはいよいよ激しくのたうち回っている。これはなんだろう? 人? 悠は近づきしな、部屋の真ん中に置いてある小さなテーブルの脚に躓いてちょっとよろけた。よろけて、身体を支えようとテレビの天板に手をかけて、そのとき親指がブラウン管に埋没するのを見て――彼は驚愕のあまり飛び退ってもう一度テーブルにぶつかった。
「…………」
 あまりのことに声も出てこない。悠はしばらく薄ぼんやりとしたテレビ画面を睨まえながら、荒い息を抑えかねて突っ立っていた。
(そりゃ、入るさ、指くらい)悠は懸命に深呼吸した。(これは夢なんだ! そんなわざとらしく驚くことはない……)
 悠はもう一度、今度は恐るおそる、テレビ画面を指で突いてみた。やはり入る、なんの抵抗もなく。ブラウン管のガラス面をどうやってか貫いて、指の先にテレビの中の空間をはっきりと感じる。ちょうど冬のある日、寒い廊下から暖房の効いた室内へ入ったときのような、異質な空気。ブラウン管の入口付近にある第二関節がちりちりする。見た目には立体映像を貫通するようだが、この境界にはかすかに電気の通っているような感触があった。
 中は少なくともテレビのケーシングサイズよりは広い。思い切って腕まで突っ込んで振り回してみると、少し粘るような湿度を感じる。中からテレビを触れるか試してみたが……やはり触れない。これはかなり新鮮な体験だった。向こうのなにもない空間に自分の肘から先だけが浮いているようなもので、突っ込んだ手をテレビ画面から引き出さない限り「こちらがわ」の身体には触れないのだ。
(これ……あたまも入るかな)
 この無謀な冒険心に、悠の良識はさかんに警鐘を鳴らす。中に酸素がないかもしれない。急に電源が落ちて首が切断されるかもしれない。馬鹿なことはよせ! いや、確かにそうだが、これは夢だ。夢ならこれくらいの冒険は許されて然るべきではないか? この奇妙な夢を面白い夢にして、明日気持ちよく目覚めよう。このテレビを通って三軒茶屋のラーメン屋へでも行けたなら、少なくとも明日花村に土産話ができるではないか。
 しばらく逡巡した後、悠はけっきょく冒険心のほうに従った。
(ここまで来たんだ、もう少し見せてくれ、醒めるなよ――)
 このとき、突っ込んだままの手に毛羽だったような、少し温もりを帯びたなにかが触れた、と思う間もなく、抵抗する暇こそあれ、悠はいきなり投げ出されるようにしてテレビの中に引っ張り込まれた。――いや、引っ張り込まれたのではない! 悠は自身の後頭部を鷲掴みにする冷たい、金属質のなにかの感触を震えとともに感じた。
(なにかに押し込まれてる!)
「叔父さん! 叔父さあん! くっそ……!」
 テレビに肩から上を突っ込まれた状態で悠はもがいていた。必死で自身を縛める誰かを攻撃しようとしても、両手も両足もむなしく空を切るだけだ。心臓の凍る思いだった、悠を完全に封じ込めているこの巨大な手は、手首から先だけが独立してそうしているのでなければ、彼自身の後頭部から生えているとしか言いようがないのだ。
 遠くからなにかを引き摺る、重々しい擦過音が近づいてくる。薄黄色い靄のその奥からひょろりとした巨大な何かが歩いてくる。こちらにやってくる。痛いほどの既視感を覚える。これはあの夢の続きだ! この手の持ち主は、今やってくるこの鉄仮面の巨人は……
「アレ・ハ・ナレ・ナレ・ハ・アレ」
 悠は叫びながら全力で暴れた。彼のあたまを押さえつける変質者の、鉄の籠手めいた手首を両手で掴んで、捻ったり体重をかけたり、自身の首も折れよとばかり全身のバネを躍動させて抗った。――甲斐はない。両の掌に血の滲むのを感じる。
「ナレ・ヨ・ノレ・アレ・ヨバヘ」
(捕まる……!)
 鉄仮面がその巨体を折るようにして屈み込み、悠のあたまを握り潰そうとまさに手を伸ばしたとき――ふいに彼を縛める力は亡失し、彼はかねてからそうありたいと切に願っていた以上の勢いでテレビから抜け出ると、先に二度も蹴りをくれたテーブルに強烈な頭突きを見舞ったのだった。






 携帯のアラームが鳴っている。
「…………」
 きのう引き忘れたカーテンの隙間から弱い光が差し込んでいる。雨天だ。夜から降り続いたのだろう。
 悠はテーブルとテレビの間の、粗いカーペットの上で横臥していた。この部屋にこれいじょう狭くて寝心地の悪い空間はちょっと見つかりそうにない。
(我ながら……変なところで寝たもんだ……)
 全身の節々が痛い。別して両腕が痛く、ひどくだるい。全身筋肉痛の様相を呈している。上体を起こすとあたままで痛み出した。最高の寝覚めだ、朝これだけ酷い始まり方をすれば、この一日の終わりまでにはちょっとした帳尻あわせが待っているだろう。
(……こわい夢、見たな)なにかに捕まって、首を斬り落とされかける夢。(くそ、なんなんだろう。昔あんな映画みたっけ?)
 少しずつ恐怖の記憶が蘇って来るにつれ、毛布ひとつ被らずに横になっていたのも災いしてか、寒気がしてきた。ソファまで躄って携帯を掴んで、アラームをリセットする。五時五十分、起きて菜々子に約束の味噌汁を作ってやらなければ。
(その前に着替えておこう、もういちど二階に上がるのはなんだかだるい……)
 悠はのろのろと立ち上がって、寝惚け眼でトレーナーを脱いだ。ソファにそれを放って、ハンガーのワイシャツを取ろうと腕を伸ばして――叫んだ。
「なんだ……これ……」
 悠は目を瞠った。両の掌が乾いた血に染んでいる。にわかに痛みが増したような気がする。そうだ、昨日、なにかに掴み掛かったのだ。あたまを押さえ付けられて……マヨナカテレビ! ブラウン管の中に押し込まれて、なにか宣告されて、処刑されそうになって……
(マヨナカテレビ……夢じゃなかったのか……!)
 菜々子のものと思しい、軽い足音の階下から駆け上がってくるのが聞こえた。




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