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No.35651の一覧
[0] PERSONA4 THE TRANSLATION(ペルソナ4再構成)[些事風](2014/11/03 16:25)
[1] 序章 PERSONA FERREA[些事風](2014/11/03 16:25)
[2] 一章 REM TALEM MINIME COGITO[些事風](2012/10/27 23:54)
[3] 国を去り家を離れて白雲を見る[些事風](2012/10/27 23:57)
[4] マヨナカテレビって知ってる?[些事風](2012/10/28 00:00)
[5] ピエルナデボラシーボラ![些事風](2012/10/28 00:03)
[6] 出れそうなトコ、ない? ひょっとして[些事風](2012/10/28 00:07)
[8] 死体が載ってた……っぽい[些事風](2012/10/28 00:27)
[9] ペルソナなんぞない[些事風](2013/03/05 00:17)
[10] でも可能性あるだろ?[些事風](2012/10/28 00:34)
[11] バカにつける薬[些事風](2012/10/28 00:36)
[12] シャドウじゃなさそうクマ[些事風](2012/10/28 00:41)
[13] 吾、は、汝[些事風](2012/10/28 00:46)
[14] 俺はお前だ。ぜんぶ知ってる[些事風](2012/10/28 00:53)
[15] ノープランってわけだ[些事風](2012/10/28 00:56)
[16] 旅は始まっております[些事風](2012/10/28 01:05)
[19] 二章 NULLUS VALUS HABEO[些事風](2014/11/03 16:26)
[20] あたしも行く[些事風](2013/01/15 10:26)
[21] それ、ウソでしょ[些事風](2013/03/05 21:51)
[22] 映像倫理完っ全ムシ![些事風](2013/05/12 23:51)
[23] 命名、ポスギル城[些事風](2013/05/12 23:56)
[24] あたしは影か[些事風](2013/06/23 11:12)
[25] シャドウ里中だから、シャドナカ?[些事風](2013/07/24 00:02)
[26] 脱がしてみればはっきりすんだろ[些事風](2013/10/07 10:58)
[27] 鳴上くんて結構めんどくさいひと?[些事風](2013/10/14 17:36)
[28] セクハラクマー[些事風](2013/12/01 15:10)
[30] アギィーッ![些事風](2014/01/31 21:58)
[31] かかってこい、あたしが相手だ![些事風](2014/03/04 21:58)
[32] クソクラエ[些事風](2014/04/16 20:30)
[33] あなたは、わたしだね[些事風](2014/06/15 15:36)
[34] とくに言動が十八禁[些事風](2014/07/26 21:59)
[35] コードレスサイクロンユキコ[些事風](2014/09/13 19:52)
[36] 自称特別捜査隊カッコ笑い[些事風](2014/09/24 19:31)
[37] ッス[些事風](2014/11/03 16:29)
[38] oneirus_0d01[些事風](2014/12/14 18:47)
[39] 三章 QUID EST VIRILITAS?[些事風](2015/03/01 16:16)
[40] ええお控えなすって[些事風](2015/05/17 00:33)
[41] キュアムーミンだっけ[些事風](2015/10/18 13:01)
[42] おれ、弱くなった[些事風](2015/11/20 10:00)
[43] 中東かっ[些事風](2016/03/02 00:50)
[44] バカおやじだよ俺ァ[些事風](2016/05/15 16:02)
[45] ここがしもねた?[些事風](2016/08/16 15:11)
[46] 腕時計でしょうね[些事風](2016/11/15 13:03)
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[35651] バカおやじだよ俺ァ
Name: 些事風◆8507efb8 ID:bea68ca4 前を表示する / 次を表示する
Date: 2016/05/15 16:02



(どうしよう、コレ)
 居間の襖のあわいから侵入する明かりで、仏前はほの明るかった。電灯を点けないのは「わるいこと」をしているからである。
(どのみちもうここには置いておけない)
 悠の手のひらの上には、ティッシュに半ば埋もれた、小さなピアスの片方が載っている。今ほど仏壇の裏から取り出したものだ。こびりついた死者の血の薄気味悪さに、今まで部屋へ持っていくのをためらっていたが、もはやそれどころではなくなってしまった。万が一にも遼太郎に見つかったらどうなることか!
 自分たちは図らずも重要な証拠を隠していた――しかり。透の言っていたとおり、ピアスも靴もその主人の殺害された現場に置き去られたものだからして、これは間違っていない。悠たちは犯行現場の第一発見者であり、かつ自身そうであることに確信を抱いていたにも拘わらず、現場保存を怠って重要な物証を無断で持ち去ってしまった。これがどんな罪に当たるかしかとはわからないが、きっと警察のほうで彼らにぴったりの「ナントカザイ」を見繕ってくれることだろう。
 とは言え、それもその犯行現場が捜査関係者にも入ってこれる場所であればの話である。今ごろは陽介をも悩ませているであろうこれらの遺品は、この世界から全く隔絶されたところにあったものだ。言わば火星に落ちていたのを拾ったようなもので、悠に罪の意識はなかった。誰も火星になど行けないし、まさか犯行のロケーションに使われたなどとも思わないし、悠たちがそこへ行けるとも思わないのだから、見つかりさえしなければどうということはないのだ。
 しかし悠もただの民間人というわけではない。過日の陽介と千枝とにそうしたように、彼に火星行きの往復便を手配することは決して不可能ではなかった。警官を犯行現場へ案内することは理論上可能なのだが、悠は端からこの選択肢を排除してかかっていた。というより、ほとんど念頭になかったと言っていい。
 警察関係者をテレビの中へ連れて来るということ――この非現実性の甚だしきは、先の「ペルソナ能力発現祝賀会」において、ペルソナつかいたち四者のとくに好んで挙げた議題であった。
 いわく、それはあまりにも危険に過ぎる。入ってきた人間たちとそのシャドウとを和解させるさえ手に余るものを、まして彼らが呼び寄せた怪物シャドウの大群を捌きながらそうするなどどだい無理な話だ。いや、そもそもこちらの話を信じてもらうことからして難題ではないか。ではひとりずつ無理矢理ひっぱってきては? 失敗したらどうする? それは犯人のしていることとなにが違う? 怪我人や死人が出たときの責任は誰が負う? 仮に成功したとして、その次は? 何度それを繰り返さなければならない? 自分たちがそれにずっと関わることのできる保証は? もし警察の捜査体制に組み込まれたとしたら、学校はどうなる? 我々の生活は? 四者は斧を振りかぶった薪割り人に薪材を差し出すように、叩き割って火を付けるためにどしどし提案した。彼らの異様な熱の由来は実にそれであった。
 なぜ四者がこの話題を好んだか? 彼らが大喜びでお互いに証明し合うその非現実性、不可能性こそは、わが手の内にある至宝を独り占めにする正当性を補強し、その価値を保証するものだったからである。もちろん、宝の宝たるはそのものの有する価値とおなじくらいに、その希少性に拠るのが常なので。
 彼らにとってテレビの中の異世界とそれに纏わる事々とは、各々のたなごころに大事に握りしめているところの大粒の貴石であった。誰かにちょっと分けてやろうと思えば、それを割り砕かずにはそうできない性質のものであった。たまさかそれを手にした幸運な人間と、その喜びを分かち合うことはもちろんしよう。この宝石を所有するものにその値うちを教え、あるいは教えられ、もってお互いの価値観を共有することこそはこのうえない喜びなのだから。しかしそうでなければ誰がこの宝を分けてなどやるものか――四人のいずれもこの本音の片鱗をすら口に上しはしなかった。しかもそれでいて、お互いの顔に大書してあるその文言を、正確に読み取らないものはなかった。
 もとより悠にこの「全き悪手」を検討するつもりなど毛頭なかった。そして今やほかの三人もである。このとき「警察に真実を教える」という選択肢は四者の無言の合意によって、完全に抹殺されたのであった。おお、まして遼太郎に教えるなどと!
(叔父さんには心配かけられない、でしょ? 叔母さん)悠は正座して仏前にかしこまった。(これ、今まで隠してくれてありがとう。今日からおれの部屋で保管するからさ)
 その金地に薄明かりを反射して、仏壇は暗い鬱金色に輝いている。本尊の一段下に並んでいる五つの位牌のうち、いちばん左が叔母のものということだ。そのかみ富者の住家に金屏風などが設えられたのは、決して成金趣味の類ではなく、蝋燭や行灯の貧弱な照明を反射増幅するためのものであったのだと、なにかの本に書いてあったのを悠は思い出した。なるほど、目を窄めれば叔母の戒名もなんとか読めそうな気がする。
 初めて得る叔母の個人情報が戒名であることに、悠はふと滑稽を覚えた。彼は彼女の名前も顔も知らない。誓子も遼太郎もあえて教えることはしなかったし、この家には写真の一枚はおろか、その存在した痕跡さえ巧妙に消されていたのである。とうぜん仏壇にも遺影の類はいっさい飾られていなかった。
 菜々子が亡母を思い出して泣くからだ、というのが以前に聞いた遼太郎の言だが、なんだか奇妙な話である。そもそも仏壇などというものは故人をより長く記憶に留めるための装置ではないか?
「なにしてるの? ごはんたべないの?」
 背後の襖がサッと開いて、トイレに行っていた菜々子が顔を出した。午後七時を目前に空腹も極まったであろう彼女である。
「ちょっとお参りしてたんだ」悠は顔だけで振り向いた。「カレー温まった? もう食べれる?」
「みてくる!」
「見るだけだよ、袋さわったら熱いんだよ!」
 菜々子はキッチンへすっ飛んでいった。作り置きのカレーが冷凍庫になかったら、彼女は今ごろ悠の腿に食らいついていたに違いない。
 悠はピアスをティッシュごとポケットに突っ込んで立ち上がった。これが犯行現場を証明することは向後絶対にあるまい。が、例えば遺体発見現場の近くにあったということにすれば、少なくとも現在その捜索に充てられた無駄な人員をほかの仕事に回すことができる。間接的に警察の捜査に寄与できるだろう。
 問題はどうやって透に渡すかだが……現時点では悠にも陽介にも千枝にも妙案はない。彼らは透との悩ましい会見ののちに短い会合を持っていたが、三者ともただ青い顔を晒すだけだったのだ。彼らは負わされた土産の重さにウンウン唸りながら帰途についたのである。
 茶の間に戻るとじき、おなじみのエンジン音が玄関のほうから聞こえた。次いで菜々子の「お父さんかえってきたー!」との歓喜の声も。
(カレー、一パック追加だ)
 なんにせよ急いではならない。陽介たちと時間をかけて話し合えばきっといい案が浮かぶはずだ。ひとりだけで考えて行動するとろくなことにならないのは実証済みである。
「菜々子シャツ伸びるって。お父さん歩けないだろほらっ、離れなさい」娘に纏わり付かれながら遼太郎が茶の間に入ってきた。「よお、ただいま――菜々子ほらやめろって、やめないとくすぐるぞ、くすぐるからな、いいのかっ?」
 菜々子はエヘヘと挑発的に笑うだけで、いっこう父の恫喝に怯む様子はない。しこうして彼女は冷蔵庫の前でのたうち回って金切り声を上げることになった。
「おかえり叔父さん」
「おう。今日はなんだ?」ひとしきり娘をくすぐってから、遼太郎は大儀そうに立ち上がった。「ああハラへったよ。今日は昼メシ食えなくってなァ」
 そういえば透も同じようなことを言っていた。ふたりは組になって働いているのだろうか。
「ごめん、今日はおれも遅くなっちゃってさ、作り置きのカレーで我慢して――ほらこんなとこで寝転がってるのは誰だ!」悠は菜々子をくすぐって冷蔵庫の前から退かしながら、「こないだの残り今あっためるから。おれたちもまだ食ってないんだ」
「そんなら願ったり叶ったりだ、俺ァカレーは大好きだ」
 冷凍庫のストックから追加分を取り出して、湯煎の終わったものと交換で鍋に入れる。飯はけさ炊いたものの残りだ。せめてサラダのひと皿くらい出してやりたいが、件の証拠隠滅疑惑に動転してすっかり買い物を忘れてしまった。冷蔵庫は目下ほぼカラである。
「……悠、もいっこ追加で注文できるか」遼太郎は鍋の中をもの足りなげに覗き込んでいる。「大盛りがいい。もうないか?」
「まだあるよ。もう一個追加ね」
 遼太郎は結局、三つ目を自分で温めてようやく満腹した。



「四日と五日、だな」
 と、遼太郎がだれにともなく呟いた。その面に娘と甥の視線が集まった。
「ゴールデンウィークさ。四日と五日なら、まあ、休み取れそうだな」
 ゆうべの話の続きらしい。菜々子が満面の喜色で「ほんとっ?」と腰を浮かせたが、それもつかのまである。
「……ほんと?」
 遼太郎は心外そうに「なんだよ、疑ってるのか?」と唇を尖らせる。
「冬休みんときァ、ありゃ突発も突発で……あんなことァ十年に一回あるかないかだ」
「なつやすみもダメだった」と、娘も口を尖らせる。「ウミいけなかった。いつもダメになる……」
「海はダメだったけどプールは行ったろ。まあ今回は大丈夫だから――あー、ジュネス、行きたいんだったか?」
 菜々子の面には「どうせまたダメだ」と書いてある。どうも遼太郎の言う「十年に一回」はわりあい頻繁に起きるようだ。
「おい機嫌なおせって……そうだ、近所じゃなくたっていいぞ」遼太郎は娘のご機嫌取りに忙しい。「車で遠出してもいい。年明けてからどこも行ってなかったからな」
「ほんと? りょこう? いきたい!」
 菜々子はバネ仕掛けよろしく飛び上がった。効果覿面である。今ほどその小さな顔を占めていた憂愁の色は、すでに歓喜に塗り変わっている。そのまま出かけて行きかねない勢いである。
「旅行か、一泊したいってことか?」
「イッパクする! イッパクってなあに?」
「お泊まりするんだって、旅館とかホテルにさ。よかったね!」
 悠が口を挟んだ。菜々子はもう矢も楯もたまらぬといったふうである。
「しかし旅行……泊まりがけか、こりゃ完全に出遅れちまってるな。今ごろァもうどこも満員だろう。これから空き部屋さがして見つかるかどうか……」
 遼太郎が他人ごとのように言った。この科白のあとの菜々子の落胆はいっそ正視に堪えないほどである。バカおやじ――これにはさすがに悠も心中非難を禁じ得ない。
「叔父さん……」
「ああいやっ、見つかる、ぜったい見つかるから! こういうのは探しゃああるもんなんだ、大丈夫だ!」
 失言を悟ってももう遅い。菜々子はもはや聞いていない。座り込んで膝を抱えて顔を伏せて、彼女はすっかりぺしゃんこになってしまった。父をそのあわれなありさまでもって「そら見たことか。どうせこうなるに決まっていたのだ」とでも指弾しているかのようだ。期待で膨らみきっていただけに針で刺されたあとの落差たるや激甚である。
「おい嘘じゃないって。あー、よし、じゃあ今すぐ探す。見つかるまでお父さん寝ないぞ、どうだっ?」
 菜々子はちらと顔を上げて、すぐまた伏せた。
「ちょっと待ってろよ……その前にどこ行くかだが」と悩むふうを見せたが、遼太郎はほどなく指を鳴らした。「与差だ、与差にしよう。与差周辺の宿泊施設を探す。悠てつだってくれ、携帯つかえ」
「ヨサって、どこ? なんて字かくの?」悠は言われたとおり携帯を取り出した。「聞いたことないけど、ここから遠いの?」
「与えるに差別の差だ。県内で、こっからそうだな、高速つかえば車で二時間かからんだろう。たしか下道で二時間くらいだったから」
「ヨサ?」菜々子がまた顔を上げた。
「観光地としちゃわりあい開けてるとこだ。温泉があってな、ちっと離れるとなんかイスラム教の古い寺院だとか、でっかい鉱物の博物館とかあったな」遼太郎は携帯を操作しながら、半ばうわの空である。「赤ん坊のころ菜々子も行ってるんだぞ、お父さんとお母さんと菜々子で……覚えてないだろうが……」
「……お母さん、いったの?」
 遼太郎は娘の質問には答えず、忙しなく電話機の辺りを指さしながら「悠っ、名前と電話番号リストアップ、紙とボールペン」と命じた。
「与差周辺で検索ヒットするならどこでもいい、見つけた順に片っ端から書け。総当たりでかけるから――ああもしもし、わたし堂島といいますが」
 指示もそこそこにさっそく通話を始める。職業柄であろうか、こうなると遼太郎は果敢そのものだ。
 どうやら彼の言うとおり、ゴールデンウィークの宿泊を手配するにこの時期は遅かったようで、電話する端から断られるのは見ていてよくわかるのだが、遼太郎は休まずめげず諦めない。悠からするとかなり厚かましいように思われることも平気で言う。彼は断られても「はあそうですかわかりました」とはいかないのである。
「そちらの近場でどこか空いてそうなところに心当たりはありませんか。ふーん、そうですか、まあこの時期ですからねえ。じゃあキャンセルが出しだい連絡を下さい。電話番号は――」
 と、こうだ。電話の合間に「宿が取れたあとキャンセルが出たらどうするの?」と悠が訊くと、彼はニヤッと笑って「俺ァ知らない番号は取らない」などと平然たるものである。
 十五分ほども同じようなやりとりを経たころ、ようやく遼太郎の声が弾んだ。悠も菜々子もさてはと顔を上げた。
「大部屋がいい。大部屋のほうで頼みます」
 遼太郎の言うとおり探せばあるものである。彼は笑顔で話しながら、甥と娘に向かって拳を突き出して見せた。悠も同じように返すと、菜々子もまた従兄弟を真似して同じようにする。その面にもはや憂いの色はない。
「ちなみにそれは、何階の部屋ですか……そうですか。いや、ええと、三人です。ああ構いません、それで。そう一泊」
 三人。どうやら自分も数に入っているらしい、と思う暇に、つと遼太郎が「あっ、ちょっと待った、すいません」と言って携帯を手で覆った。
「悠、お前どうする? つい三人って言っちまったが。お前たしか予定なかったんだよな」
 と訊いてくる。ちらと陽介たちの顔が脳裡を過ぎったものの、連休ともなれば雪子の合流はいっそう望み薄であろうし、隣の菜々子の刺すような「予定などないはずである。来るべきである。来なければならぬ」とでも言わんばかりの熱視線も否みがたい。
「行くよ、もちろん。おれだけ留守番させるつもり?」
 悠は快くうけがった。菜々子はふたたび拳を突き出した。遼太郎はほどなく予約を終えたが、なんのゆえか使い終わった携帯に目を落として、含みありげに微笑んでいる。さては自分の参加が嬉しいのかなと悠が自惚れていると、
「妙な偶然だぜ。いま予約したこの紅楓苑ってとこ」遼太郎は悠のメモを示して言った。「電話してて思い出したが、うちのと菜々子と三人で泊まったのと同じとこだった。部屋は違うが」
「へえ、それは……」
「お母さん、とまったの? そこ」菜々子は大きな目をまんまるに見開いて驚いている。
「そうだ、菜々子もだぞ。もうあれから五年かそこら経つんだなァ……またでかくなったなァ、お前さんはよ」
 遼太郎は感慨無量といったふうで、娘をしげしげと眺めている。こういう彼はちょっと珍しい。
「菜々子でかくないよ。でかくなりたい」菜々子は不満げである。
「でかくなるさ。いまに」
「叔母さんって、背、高かったの?」
 と悠の訊いたのに、遼太郎はちょっと驚いたような視線を返した。
「いや、見たことないんだ、おれ。うちにも写真とかなかったし」ちょうどいい機会だ、訊いてしまえ。「まず名前も知らないしさ……」
「ドウジマチサトってゆうんだよ」と、菜々子。
「タッパは女にしちゃあるほうだった。だから菜々子もじき背は伸びる」遼太郎はひとつ鼻息を吐いた。「で、五日だが、昼はどうする? 午前中に出て、高速のサービスエリアでなんか食うか。それとも食ってからうち出るか?」
 いっけん乗り気でゴールデンウィークの予定を案じているように見えるが、叔父が故意に話題を逸らしたのに気付かない悠ではない。彼は隣の仏間の、あの戒名だけがならぶ鬱金色の仏壇を思った。遼太郎が妻の思い出のよすがをこの家から排除するのは、おそらく娘を慮ってではないのだろう。菜々子はダシに過ぎない、きっと彼自身がつらいからそうするのだ。
「向こう着いたらさっそく見て回るんだよね。じゃあ早いほうがいいよ、ここで食ってたら遅くなる」無論、叔父への憐憫はおくびにも出さない。
「菜々子おべんとうもっていきたい!」菜々子が挙手する。
「弁当? 車ん中で食うってことか? でも俺ァ作れんし、菜々子もひとりで弁当ってのァまだ無理だろう」遼太郎と目が合った。「……けどまあ、大丈夫か。今年は心強い味方がいたんだったな。なっ?」
 彼は大仰な仕草で甥の肩をびしばし叩いた。菜々子もまた父親の真似をして、悠の空いているほうの肩を両手でぴしぴし叩く。
「なー?」
「もちろん喜んで拝命するよ」悠は従姉妹を捕らえて髪の毛をメチャクチャにしながら、「献立はなにがいい? そうだ菜々子すり潰してハンバーグにしよう。叔父さんいいよね」
「だめ! じゃなくてハンバーグたべたい!」菜々子は大喜びで賛成する。「フツウのハンバーグがいい! あかいハンバーグ!」
「ああ菜々子なんかちっこくて食うとこないからダメさ」
 菜々子はこの暴言に制裁を加えるべく、悠の手から飛び出して父親へ向かって突撃していった。彼女を待っていたのは凄惨なくすぐり刑である。
(チサト叔母さん、か……)
 悠は刑の執行をぼんやりと眺めながら、まだ見ぬ叔母を思った。両親が彼女の葬儀のために出掛けていったのは、あれは二年ほど前のことであったろうか。
 悠はそのとき留守番だった。平日のことで学校もあったし、これといって関心を引くでもなかったので、右から左へ聞き流した覚えがある。誓子もまたこういうときの常で、是非にとは勧めなかった。いったい彼女は自分の親兄弟や郷里に纏わることがらに、夫と息子をなるべく関わらせないようにしているふしがあったので。
 誓子は実家と疎遠だった、と言えば、それは表現としてかなり穏当かつ過小だろう。実際ははっきり嫌忌していたと言っても過言ではなかった。彼女が「カソイナバ」の田舎風情や不便を貶すというのは、鳴上家の団欒における光景として珍しいものではなかった。彼女は嘲るのでなければあまり自分の若いころのことを話したがらなかったし、悠の覚えている限りでも帰郷したことなど二、三度あるかないかで、しかも前述の葬儀をその中に含むのである。むろんいずれも息子を伴うことはせず、従って悠は物心ついてからこの歳になるまで、母の実家というものを見たことがなかった。まず叔父の遼太郎にしてからが、幼い悠への脅し文句における文脈にしか登場しなかったのだ。
 あるいは人間的に、あるいは坊主憎けりゃの精神で、誓子が叔母を快く思っていなかったかどうか、それはわからないが、いずれにせよ彼女が息子に弟嫁の名前を強いて教えなかった要因は、そんな事情に根ざしているのだろう。
(母さんと叔父さんって、仲わるかったのかな……)
 まさか犬猿の仲というなら息子を預けたりはしないだろうが、少なくとも縁遠かったことは確実である。こんど電話が来たときそれとなく母に訊いてみるがよかろう。そりゃ喜んで話しはしないんだろうけど――悠はひっそりとため息を吐いた。まったく母とその親類の不仲を疑うのも、東京のアパートのリビングでソファに寝ころんでする分には気楽だったが、叔父と従姉妹の存在を知ったいまとなってはなんとも心苦しいものだ。まして彼らと同じ屋根の下で生活する身となってはなおさらである。
 ふと静かになったのに気付いて顔を上げると、堂島父娘が怪訝そうに悠を見ている。
「やっぱり予定あったか? 友達かなんかと」と、遼太郎。「いいんだぞ無理しなくても。なにも遠慮してこう言うんじゃない。お前は学校転入したばっかりなんだから、友達づきあいのほうが優先なんだからな」
「いや、予定はないよ。違うちがう」悠は笑ってごまかした。「ハンバーグは明日にしようかなってさ。せっかく弁当作るんならちょっと変わったもの入れようかなって、考えててたんだ」
「そんならいいが……でも連休なんだ、友達から声がかかるなりしたんじゃないか? いるんだろう、親しいののひとりやふたりが。花村とかさ」
ひやりとした。ことさら話して聞かせた覚えもなし、なぜ遼太郎が陽介との交友を知っているのか。こんなささいな情報でも彼のような人種の手に、こちらの与り知らぬ方法によって握られているというのは不安である。
「叔父さん、あいつ知ってるの? なんで?」
「おととい菓子折もって挨拶に行ってきたんだ。ほれ、あの夜中の事故の件で」
 ここはひとまず胸をなで下ろすところだろう。そういえば以前叱責されたときにそんなことを言っていた。
「行ったらちょうどウチにいてな。ちっと話したんだが、ぜんぶ自分の責任で、お前はなんにも悪くないって、血相変えてなんべんも言ってたぞ」
「……そう」
「それとほら、もうひとり女子がいたろ? 里中っていう」
 お次は千枝か! そしてその次は雪子で、とどめにクマまで出てきたら――というのはさすがにあり得ないが、悠は顔色を変えずにいられない。
「いたね、里中……」
「花村さんちで住所おしえてもらってな、ついでっつっちゃあなんだが、そっちにも挨拶に行ってきたさ」遼太郎は甥の顔を見てニヤニヤ笑っている。「で、その子もウチにいてな、それがまたおんなじこと言うんだよ! 目ェこんな見開いてな、悪いのはぜんぶ自分だ、お前はなんにも悪くないって」
「…………」
「ほら、こないだ菜々子にウナギ食わしてくれたとき一緒に行ったっていうの、そのふたりだったか? いい友達じゃねえか」
 菜々子が勢い込んで「ウナギたべたのちえちゃんとゆきちゃんと、もうひとりのひとのなまえわすれた」と父に答えた。
「そうだったなァ……ん、なにちゃんとなにちゃん?」
「あっ、菜々子ちゃんこんどお父さんに頼んでみようよ、ウナギ食べに行こうってさ!」悠はあわてて割り込んだ。「そういえば菜々子ちゃんってなにが好きなの? 叔父さんは? 弁当のリクエストあったら言ってよ」
 べつにあえて隠し立てするようなことでもないのだが、できれば事件の当事者たる「ゆきちゃん」と親交のあることを知られるのは避けたい。話しながら菜々子に黙るよう必死で念を送っていると、彼女はそれに気付いたようにして悠を見て、ちらと不満げに眉を顰めた。
(おれ、なんか癇に障るようなこと言った?)
「……好きなもんっていやあ、カレーかな、俺は」
 遼太郎はいわく言いがたい、妙な表情を浮かべている。かえって怪しまれたかもしれない。
「カレーってさっき食ったばっかりじゃない。それに弁当箱に入らないよ」
「ま、とくに食えないものァない」
「ほかになんかない? 好きなもの」
「なんでもいいよ。なんでも好きだ。喜んで食うさ」
 この鷹揚さはおそらく装ったものだ。考えるのが面倒なようで、遼太郎は非協力的である。
「なんでもいいっていうのがいちばん困る」
「主婦みてえなこと言うなァお前」遼太郎は笑って、傍らの娘に水を向けた。「ほら菜々子はどうだ? お兄ちゃんに好きなもの言ってみな、作ってくれるってよ」
 菜々子は悩む様子もなく言下に「コロッケとミートボールがいい!」と宣言した。
「コロッケとミートボールね。ほかには?」
「……ハンバーグたべたい!」
 こちらは協力的だがバラエティーも七歳児水準である。肉とイモだらけの弁当というのも味気ない、自分で考えるしかないようだ。
「ハンバーグは明日ね……じゃあ、ちょっと変わったコロッケ作ろう。ファラフェルっていうの」
「ファラヘル?」と、菜々子。
「なんだそりゃ」と、遼太郎
「イスラエル料理。ヒヨコマメのコロッケ。コロッケだけど食感が肉団子っぽい。あとクミン入ってるからカレーっぽい風味もある。どう、完璧じゃない?」
「イスラエルって……お前また変わったモン作るんだなァ」遼太郎は驚き半分、呆れ半分といった様子。「材料なんかここらで手に入るのか?」
「たいして手間のかかるもんじゃないよ。材料もジュネスの輸入食品売場で確認済み」
「ファラヘルってチョウうまい?」と、菜々子。
「ファラフェルね。超うまいよ」
「チョウかよ……あんまりへんな言葉教えてくれるなよ」と苦笑して、遼太郎はソファに凭れかかった。「……それで、お前うまく逸らしたつもりみたいだが」
「え?」
 心臓が跳ねた。やはり先ほどのは不自然だったか? 遼太郎相手にあれは稚拙な小細工だったらしい。
「なに、逸らしたって……」
「あの里中って子のこと、好きなのか?」
 まただしぬけにとんでもないことを言い出したものだ。悠はつい意表を突かれて、いつもの調子を忘れて「はあっ?」と過剰に反応してしまった。
「ちょっ、なにがどうなったらそんな話になんのっ?」
「たしかあの子、お前が転校初日にいっしょにいた子だろ。こないだ足立としてた恋愛相談ってのァあの子のことだと踏んだが、どうだ?」
 あのバカ刑事め――今日は透に冷や汗をかかされ通しである。
「どうだって……どうもこうもないよ見当違いにもほどがある!」
 相手はほかでもない、こういう反応をこそ欲しがっているのだが、焦った悠は言い終わるまで気が付かない。ますます叔父を喜ばせる始末である。
「照れんでいい」
「照れてないって。なに叔父さんそういう話すきなの?」
「おい菜々子、お兄ちゃんカノジョできたらしいぞ」
「できてない! 怒るぞ叔父さん」
「そうだな、まだだったな。片思いか?」
「カノジョってなあに?」と菜々子が訊いた。
「ヘブライ語でバカおやじって意味だよ」悠はむっつりと答える。
「あははバカおやじときたか! 違いねえ!」遼太郎が大笑いし始める。
 悠は頬の熱くなるのを自覚せざるを得なかった。別してこの手の話題は苦手である。不得手である。普段の彼ならこういう話が出て来る前に、あるいは出てきた時点で、あえて自ら踏み込むことで冗談にしてしまうのだが、今回は勝手が違った。叔父の詮索を警戒していなければ「籍は向こうに入れたよ」とでも言って去なせたものを、出だしで躓いてしまった。
「姉貴にも報せなきゃなァ、こっち来てさっそく手ェ出し始めたってさ」遼太郎はあくまで甥をからかうつもりだ。「よし祝杯あげるか悠。お前ビール呑むか?」
「おれ風呂はいってくるから。食器洗っといてね。ビールは菜々子が呑むよ、炭酸すきらしいから」
 悠はいかにも辟易したふうを装うと、ご満悦の叔父を袖にして風呂場へと退散した。いや、あれでよかったのだ。事件への関与を疑われるよりはよほどマシではないか? うぶな甥っ子だと思わせておけばいいのだ……
(里中のことはいい。あと何日もないんだ、弁当のメニュー考えないと……くそっ)
 せっかく今まで忘れていたのに、遼太郎の的外れな勘繰りのおかげで、またぞろ脳裡に千枝の顔がちらつき始めた。こうなってしまえば強いて弁当の献立を案じてみても甲斐はない、考えまいとすればするほど彼女の姿は鮮明になる。悠のあたまの中では千枝がテーブルに着いて、タヒニソースをかけたファラフェルをぱくぱく食い始めていた。
 風呂から上がって部屋に戻って、布団の中に入って目を閉じてラストオーダーを告げても、彼女はとうとう彼のあたまの中から退席しなかった。それは実に晩の夢にまで及ぶのだった。夢の中で千枝は悠のこしらえたイスラエル料理のフルコースを「ふまいねコレ。でもあたし和風のほうがすきだな」などとこぼしつつペロリと平らげるのだが、代金を請求される段になると「そんなにするとは思わなかった。カルチャーショック」と財布を振りながらごね始め、しまいには「鳴上くんってなんでそんなガンコなのっ? オトコらしくない!」と憤激。腹立ち紛れにレストランの入口の窓ガラスをヒジ鉄で粉砕し、勘定を支払わずに出て行ってしまうのである。






 結果から言うと、悠が授業中に「汁気の多いものは避けよう」とか「野菜が足りない」とか「あえて菜々子ちゃんの嫌いなものも入れて、この機会に克服させようか」などと思案して決めかけていた献立も、食材といっしょに買ってきた新品のお重も、そのために用意したところの役には立たずに終わった。
 遼太郎のいわゆる「十年に一回」がまた起きたのである。旅行二日前、ゴールデンウィーク前夜のことだ。
 悠は食後の多くをそうして過ごすように、その晩も居間のちゃぶ台に菜々子とふたりで収まっていた。このごろはとみに家主の不在が多いので、夕食のあとから就寝までの時間はたいてい、自室へ上がるのでなければテレビの前にふたりきりである。悠自身にはあまりテレビ番組を視聴する習慣はなかったが、動物ものやクイズものの大好きな菜々子につきあって視ることはしたし、興が乗ればトランプを持ち出してきて、彼女のババぬき全敗記録を更新しもした。そのサイズと質量とに目を付けて、従姉妹を筋トレのウェイトに活用することもたびたびである。
 あいにくその日はこれという番組もなく、悠と菜々子は見るともなしにニュース映像を眺めていた。
(またコイツか……)
 彼を嘆息させたのは、例のアイドルなにがしの活動休止に関するものである。よほど世間を騒がせているようで、この類の報道はここ最近、朝夕ともなくコンスタントに続いていた。あまり頻繁に耳目にするので、悠はこの知りたくもない「千伊奈りせ」についておおまかな来歴を覚えてしまったほどである。
(事件でもなんでもないだろ下らない、勝手に引退させとけよ。ほかに報道することはないのか?)
 うんざりして従姉妹に聞こえないようブツブツこぼしていると、時ならぬ電話のコール音が彼らを驚かした。菜々子などは喫驚するあまり声を上げて飛び上がった。
 堂島家の固定電話がその役目を思い出すというのは、実はかなり珍しい。悠の知るかぎり、今まで隣近所や親戚などからかかってきたことはなく、現状はほぼ遼太郎から娘への一方向専用回線と化しているのである。そして悠がここへ来てからというもの、彼がそれを利用するというのは稀だった。受話器を取った菜々子の様子を見るに、どうもその稀が来たようだが。
 小さな耳に受話器を当てて小声で「ウン」を連発する彼女が、みるみるうちに萎れていく。イヤな予感がする。この時期にこれほど彼女をへこませる話題があるとすれば、悠に心当たりはひとつしかない。
(まさか……マジかよ叔父さん、ダメになったのか?)
 締めくくりに「ウン。かわる」と呟いて、菜々子は悠の許へ受話器を持ってきた。
「かわってって」
「お父さん、だよね」
「んん。お休み、とれなくなったって……」
 菜々子はそれだけ言って悠に受話器を押し付けると、とぼとぼと自室へ引っ込んでいってしまった。最悪の事態。
「……叔父さん、おれだけど」
『お前か』
 遼太郎は電話口でひとつため息をついた。
「聞いたよ。マジなの?」悠の口調にはどうしても非難の色が滲んでしまう。「なんとかならない……からダメになったんだろうけど、でも」
『わかってる、俺もさんざん考えたんだが……悪い、じつは若いのが体こわしたっつっててな』遼太郎の声も沈んでいる。『よりによってこんなときに……いや、こんなときだから都合よく壊れるんだろうが……まあ、邪推しても仕方ねえ。とにかく、俺が代わりに出るしかなさそうだ』
「それ、足立さんじゃないよね。体こわしたっていうの」もしそうなら文句のひとつも言ってやらねば。
『足立? いや違う、あいつァ壊して壊れるような生きモンじゃない――そうだよ、お前はもともと壊れてるって話だ』どうやら近くに透がいるらしい。『宿はもうキャンセルしといた。お前には悪いことしたな、せっかく探してくれたってのに、急にこんなことになっちまって。弁当だってお前、用意してたんだろ?』
「それはいいけど、菜々子ちゃんが……」
『あいつ、近くにいるか?』
「寝間に行っちゃったよ。落ち込んでる」
『ああ……くそ、まいったよ、まったくこれで何度目だ? 約束やぶってばっかりだ』
「菜々子ちゃん、楽しみにしてたよ、旅行。その話ばっかりしてた」
『バカおやじだよ俺ァ。お前の言うとおりだ』遼太郎は自虐的に笑った。『すまんが、気にしてやってくれんか、頼む。あと今日は遅くなるか、ひょっとしたら帰れんかもしれん。そのつもりでいてくれ』
「わかった。菜々子ちゃんのことは……まあ、なんとかしてみる」
『助かる、本当に。はは、そういやこないだもこんな調子で、お前に尻ぬぐいさせちまったっけなァ』
「え、こないだって?」
『ほれ、登校初日にお前、事件現場の近くに来て、菜々子を迎えに行ってくれたろ? お前のカノジョもいっしょだったな』
「ああ……いやカノジョじゃないってば」
『お前を預かってなきゃあ、今ごろどうなってたかわからんよ、うちは。お前にももちろんだが、お前のお袋さんにも礼を言わなきゃなァ』
 つい先日、母とその親類の不仲について考えていたことを、悠はこのときふと思い出した。昔の彼らは互いに礼を言い合うような仲だったのだろうか?
「叔父さん、あのさ」
『ん? なんだ』
「今する話じゃないかもしれないんだけど……変なこと訊くけど、うちの母さんと叔父さんってさ、仲、よかった?」
 とっさに現在形を避けたのは、その上で否定されることをなんとなく恐れたからだった。一人息子を預けるくらいには信用しているにせよ、誓子は悠が長じてからというもの、間違いなく彼とは疎遠であったはずなのだ。あまりよい返事は聞けそうにない。
 果たして遼太郎の答えは『まあ、よくはなかったな』である。つまり、悪かったのだ。
『どこもそんなもんだろう。ふたつしか違わん、しかも男女のきょうだいだ。いがみ合うこともあるさ』
「……そう」予想していても悠は落胆した。
『それでも俺なんかいいほうだったぞ。親父とのほうがよっぽど険悪だったよ、姉貴は。葬式にも来なかったくらいだもんな』
「えっ、行ってないの? 葬式」
 これには驚いた。というのも、誓子は父親の葬儀へ出席したはずだったのである。あれは中学生になって初めての、夏休みの初日のことで、玄関を出しなに「喪服が暑い」としきりにこぼしていたのを、悠はよく覚えていた。
『ああ、お前知らなかったのか』
「いや、行ったんだよ、母さん、葬式に。それって四年前くらいだよね」
『ああ。行ったって、どういうことだ』
「そのままの意味。喪服着てさ、行きたくないけどお祖父さんの葬式行ってくるって言って、うち出てったんだ。で、次の日に帰ってきた」
 受話器から遼太郎の唸り声が聞こえてきた。
『……話さんほうがよかったな、こりゃ。姉貴にゃ言ってくれるなよ』
「言わない言わない、もちろん。で、なにかあったの? 昔」
『なにがあったってわけじゃないが……お前は聞いたかどうかわからんが、うちァおふくろが早くに死んでな、家事は姉貴がほとんど全部ひとりでやってたんだ。いや、やらされてたっつったほうが正しいのかな、少なくとも姉貴にとっちゃ』
 初耳である。悠は受話器を耳に当てたまま身を乗り出した。
「それ初めて聞いた」
『んん、それがイヤでたまらなかったんだろう、姉貴は。親父も親父でそりゃ女の――』遼太郎がにわかに言葉を呑み込んだ。『――悠わるい、切るぞ。菜々子のこと頼むな』
「ああ、うん、任せて……」
 言い終わらないうちに電話は切れてしまった。向こうでなにかあったらしい。
(肝心なところを聞けずじまいだったな)
 しかし姉の昔話について、遼太郎はそれほど語るに慎重ではないようだった。いずれ折を見て訊く機会もあるだろう。とりあえずは菜々子をどうにかしなければならないが――けっきょくその晩、悠の努力の実ることはなかった。彼女は寝間に畳んで積んである布団の中に上半身をすっかり埋没させて、従兄弟のなだめすかす言葉にも足と尻のジェスチュアだけで応じたのである。いかにも、菜々子の悲憤は七歳児水準の語彙ではとうてい表現できないほどのものだった。






 遼太郎が先日、ゴールデンウィークの予定について「友達から声がかかるなりしたんじゃないか?」と言っていたが、そういえば陽介たちはどうするつもりだったのだろう――悠は起床後、一階へ下りる階段の途中でふと立ち止まって、あらためて連休中にすることのなくなってしまったわが身の上を思った。
 堂島父娘と旅行へ行く予定を、悠は誰にも話していなかった。話そうと思うことは思ったものの、訊かれもしないうちに先んじて予定のあることを告げるというのは、なんだか「とうぜん君たちはその日おれをどこかに誘おうと思っていたに違いないよね」とでも言うみたいで、自意識過剰のようで恰好がつかない。まず陽介たちならこの連休を恰好の機会として、間違いなく向こうの世界へ行こうと思い立つ――雪子が参加できるかどうかは置くとして――だろうから、それを提案されたときにでも告げればよいと考えていたのである。
 しかしついにその提案はなかった。悠のほうでもここ最近はいろいろ考え込むことが――遼太郎流に言えば「カノジョ」のこととか――多かったので、気が付けば「そういえばゴールデンウィークどこか行ったりするの?」くらいに軽い話題を振ってみるとか、そういったこともせずにここまで過してしまったのだった。まったく悠の「対友人マニュアル」の内容たるや、著者をして忸怩たらしむる貧弱さである。
(電話のひとつもくれればいいのに……いや、ほかの友達と遊ぶ用事でもあるのかな……あいつら、せっかくの機会なんだぞ、あんなにやるやるって息巻いといてなんだよそれ……)
 などと内心で身勝手な愚痴をこぼすのも惨めな話だ。いっそこちらから連絡してみようか? いや、断られたらそれこそ惨めではないか! 仕方ない、連休はマニュアルの改訂にでも充てようか……
「あ、おはよ……」
 ダイニングへ下りてきた悠を、菜々子の尻すぼまりの挨拶が迎えた。彼女の座っている居間のちゃぶ台の上には、空の皿とハチミツの瓶が置いてある。テレビを見ながら今ほど遅めの朝食を終えたところ、といったところか。
「おはよう。ごめん、なんか作ればよかった」とは言え、冷蔵庫はほぼカラなのだが。「菜々子ちゃん休みなのに早いね。今日はどこか行くの?」
 菜々子はウウンと否んだ。つまり従兄弟と同じ境遇ということだ。
(なら今日は買い物がてら、菜々子ちゃんとジュネスかな)
 ゆうべの旅行中止ショックが尾を引いているらしく、彼女はどことなく沈んだ様子である。さすがに悠ひとりで旅行へ連れて行ってやることはできないが、大好きなジュネスへ誘えば少しは憂さも晴れるだろう。
「そっか。じゃあ菜々子ちゃん――」
 今日はおれとジュネス行こうか、と言おうとするのを、そのとき玄関のチャイムが遮った。悠と菜々子は思わずお互いの顔を見合った。宅配や訪問販売の来そうな時間でもなし、ふたりともこんな時間の訪客に心当たりはない。
「誰だろうね……おれ出るよ」
「菜々子もでる」菜々子が立ち上がってくっついてきた。
 玄関の磨りガラスの向こうには小柄な人影が立っている。はて物売りの類には見えないが、と引戸の鍵を開けてみると、その向こうに立っていたのは、
「おー、よかった、いるじゃん」
 なんと千枝である。
「里中……」
「里中です。おはよーございます」
「……え? なんで?」
 悠のあたまの中は「なんで?」でみっしりと埋まった。玄関から顔を出して辺りを見回してみても、彼女のほかには誰もいない。ひとりで来たのだ。
(なんで? なんでだ? 全部おれの勘違いだったのか? いや、そんなことはあり得ない!)
 ではなぜ? 彼女は自分を避けていたはずだ。別してふたりきりになることをあれほど忌避していたはずなのに、なぜひとりでこんなところへ乗り込んで来る? そうまでして果たさねばならぬいったいどのような重大な用事が、千枝をしてその脚を狼の巣へ向かわしめたというのか。
 彼の「なんで?」を、なぜ家がわかったのかという疑問と受け取ったようで、千枝は「ほら、雪子と一回来たことあったじゃん? まあちょっと迷ったけど」と答えた。
「あ、菜々子ちゃんもおはよー、元気ィ?」
「おはよ、ちえちゃん。げんきだよ」背後の菜々子がちらと笑って挨拶した。言うほど元気には見えないが。
「そっかァ……えー、ところで突然ですが、鳴上くん今日ってヒマすか?」
 いまこそ困惑は極まった。わざわざ訪ねてきて「今日ヒマか?」などと訊くというのが、相手を連れ出したいという意志の発露を意味することくらいは、彼の薄いマニュアル本にも載っているのだ。千枝は悠を連れ出したいのである。つまり今日ふたりでどこかへ出掛けないかと誘いに来たということであって――これは夢想だにせぬ人生の一大事である。
「いや、ヒマ、というか、まあ、予定はない、と言えば、おおむね間違いでは、ないけど」悠はしどろもどろになった。
「ちなみに花村は『ヒマじゃなくても強制連行』って言ってた。雪子も『来ないと鳴上くんのシャーペンの芯ぜんぶ4Hにすり替える』ってさ」
「あ、そう、そっちね……」悠はそっと胸をなで下ろした。「はは……なにシャーペンの芯って……」
 同時に落胆した。なんのことはない、千枝は彼を特別捜査隊の活動へ誘いに来たに過ぎないのである。もちろんそうに決まってる、なにを寝惚けている鳴上悠! 千枝が自分を「デート」に誘うなどということが本当にあり得るとでも?
「もちろん行くよね? 行かないとノートの字メチャクチャ薄くなるよ。あたしも鳴上くんの消しゴム消滅するまで擦るよ」
「あはは……あー、ちょっと待ってもらえる?」
 悠は背後の菜々子をちらと顧みた。黒目がちの大きな目がなにごとかと見返してくる。
(ということは、行き先はジュネスだ、けど……参った)
 千枝もまた微妙なタイミングに来てくれたものだ。これで菜々子をジュネスへ連れて行くことが難しくなってしまった。
 雪子の言伝があるということは、予想に反して彼女はゴールデンウィークに休みを貰えたということだ。であれば陽介たちは決してこの機を逃しはすまい。ヒマじゃなくても強制連行、とは決して冗談ばかりではないのだろう。ジュネスへ行けば向こうの世界へ入ることになるのは確実だった。
 が、それも菜々子を伴わなければの話である。悠はその場合、失意にひしがれる幼い従姉妹を、食事の用意もなく家に置き去ることになってしまう。
「菜々子るすばんしてるよ」
 悠がなにか口に上す前に、菜々子がこう言ってにこっと笑った。例の歳不相応な気遣いを発揮して、従兄弟が自分の処遇について悩んでいることを察したらしい、彼女は自ら身を引いたのである。この健気な申し出に目頭を押さえる暇もなく、
「あっ、菜々子ちゃんもいっしょに行く? 行こうよ!」
 千枝の言葉がまたしても悠を困惑させる。彼は菜々子と異口同音に「いいの?」と述べた。
 けっして社交辞令で言っているのでないことは、彼女の様子からも明らかだ。おかしい。千枝たちが悠の自由と学習の利便とを妨げてまでジュネスへ来いと言っているのは、ひとえに「テレビの中の世界に行きたいから」ではないのか? 菜々子を連れて行けばその叶わないことがわからぬ千枝ではあるまいに。それとも今日のお誘いはただ親睦を深めようというだけのもので、それ以外の意図はない? まさか! 陽介はいざ知らず、ここのところずっと仕事の都合で向こうの世界へ行けずに鬱屈していた雪子が、ようやく廻ってきたこの機会を逃そうとはとても思われない。
「だってほら、いや、おれはむしろそのほうがいいというか、そうでないと困るくらいなんだけど……」悠は千枝に顔を近づけて小声になった。「でも、いいの? わかるよね、なにが言いたいか」
「ええっとォ……うん、まあ、でも」千枝は妙に煮え切らない。「だってその、鳴上くんも困るっていま言ったじゃん? 菜々子ちゃんも行きたいよねー?」
 菜々子は口をへの字に結んでぶんぶん首を振って、自分は見たいテレビがあるから今日はどこにも行かなくてよいのだ、という主旨の内容をつたなく説明して、大いに従兄弟を感激させた。彼女は悠が自分への遠慮からためらっているのだと考えて、下手くそな嘘を吐いているのだ。
(許せ天城……)
 こんなあわれ極まる姿を見せられては、もはや雪子たちの思惑など考慮の外である。べつに今日以外に機会がないと決まったわけでもなし、どのみち菜々子をひとりで留守番させるわけにはいかないのだから、今日のところは「テレビの中の世界」は諦めてもらうしかあるまい。
「え、テレビって今日なにかあったっけ? 初めて聞いたけど」悠は空とぼけてみせた。
「あるよ……おひるにあるよ……」菜々子は苦しげである。
「じゃあ、おれも今日はうちでそれ見ようかな。きっと面白いんだろうし」悠は千枝に目配せしながら、「里中ごめん、わるいけど、今日はおれジュネスには行けなくなったから」
「ジュネス? ジュネスいくのっ?」菜々子は寝耳に水といった様子。
「そーだよー、今日はみんなでジュネスでゴハンたべて遊ぼーって思ってたんだけど」と、千枝。「でも鳴上くんと菜々子ちゃん来ないならイミないなー、しかたないから今日はやめにしよっか。花村たちには解散ってメールしようかなー」
「ジュネスいきたい! テレビはこんどにする!」菜々子はたちまち翻意した。
「え、いいの? おれテレビ見たいなーって思ってたんだけど」悠はいっそう空とぼけた。「菜々子ちゃんうちでテレビ見ようよ、そうしよう、ね?」
「そんなのみたくない! ジュネスいく!」菜々子は地団駄踏み始めた。
「鳴上くんっ」千枝が笑って軽く蹴ってきた。「おし、じゃあ菜々子ちゃん、すぐ行ける?」
 菜々子は「パンかたづけてくる!」とだけ言うと、矢のように家へ駆け戻って行った。彼女の不自然なほどに老成した精神も、ジュネスの魔力の前には抗し得ぬらしい。
「菜々子ちゃんってチョーいいこだよねえ、いいこすぎる……」千枝は感に堪えないといったふうである。
「いつもはこの中に入ってる」悠は自分の眼を指さした。「じゃあ、おれも準備してくるから」
 菜々子を追いかけて家に戻ろうとすると、その背を千枝が「あ、ちょっと」と呼び止めた。
「なに?」
 悠が振り返っても彼女はしばらく無言だった。彼と目を合わせたかと思えば伏せ、なにか言いかけたと思えばアーだのウーだの唸るという挙動不審を呈していたが、結局、
「えっと……なんでのな……なんでもないでしゅ……」
 と、もぐもぐ呟いて赤くなった。どう見ても「なんでもある」ことは明らかである。
「どうし――」
「いけるよ、菜々子いけるよ!」
 ここで菜々子が押っ取り刀で戻って来たために、悠は詮索の機を逸した。彼は改めて財布を取りに自室へ向かったが、ふと二階へ上がる階段の途中で立ち止まった。先の千枝の異様な態度、「なんでもある」そのあることについて、忽然とある霊感のようなものが働いたのである。
 ポケットの中で「ちえのわ」が鳴ったような気がする。彼女が先になにがしか言いかけた言葉、その内容は例の「悪夢の六限目数学」に纏わることだったのではないか?





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