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No.35651の一覧
[0] PERSONA4 THE TRANSLATION(ペルソナ4再構成)[些事風](2014/11/03 16:25)
[1] 序章 PERSONA FERREA[些事風](2014/11/03 16:25)
[2] 一章 REM TALEM MINIME COGITO[些事風](2012/10/27 23:54)
[3] 国を去り家を離れて白雲を見る[些事風](2012/10/27 23:57)
[4] マヨナカテレビって知ってる?[些事風](2012/10/28 00:00)
[5] ピエルナデボラシーボラ![些事風](2012/10/28 00:03)
[6] 出れそうなトコ、ない? ひょっとして[些事風](2012/10/28 00:07)
[8] 死体が載ってた……っぽい[些事風](2012/10/28 00:27)
[9] ペルソナなんぞない[些事風](2013/03/05 00:17)
[10] でも可能性あるだろ?[些事風](2012/10/28 00:34)
[11] バカにつける薬[些事風](2012/10/28 00:36)
[12] シャドウじゃなさそうクマ[些事風](2012/10/28 00:41)
[13] 吾、は、汝[些事風](2012/10/28 00:46)
[14] 俺はお前だ。ぜんぶ知ってる[些事風](2012/10/28 00:53)
[15] ノープランってわけだ[些事風](2012/10/28 00:56)
[16] 旅は始まっております[些事風](2012/10/28 01:05)
[19] 二章 NULLUS VALUS HABEO[些事風](2014/11/03 16:26)
[20] あたしも行く[些事風](2013/01/15 10:26)
[21] それ、ウソでしょ[些事風](2013/03/05 21:51)
[22] 映像倫理完っ全ムシ![些事風](2013/05/12 23:51)
[23] 命名、ポスギル城[些事風](2013/05/12 23:56)
[24] あたしは影か[些事風](2013/06/23 11:12)
[25] シャドウ里中だから、シャドナカ?[些事風](2013/07/24 00:02)
[26] 脱がしてみればはっきりすんだろ[些事風](2013/10/07 10:58)
[27] 鳴上くんて結構めんどくさいひと?[些事風](2013/10/14 17:36)
[28] セクハラクマー[些事風](2013/12/01 15:10)
[30] アギィーッ![些事風](2014/01/31 21:58)
[31] かかってこい、あたしが相手だ![些事風](2014/03/04 21:58)
[32] クソクラエ[些事風](2014/04/16 20:30)
[33] あなたは、わたしだね[些事風](2014/06/15 15:36)
[34] とくに言動が十八禁[些事風](2014/07/26 21:59)
[35] コードレスサイクロンユキコ[些事風](2014/09/13 19:52)
[36] 自称特別捜査隊カッコ笑い[些事風](2014/09/24 19:31)
[37] ッス[些事風](2014/11/03 16:29)
[38] oneirus_0d01[些事風](2014/12/14 18:47)
[39] 三章 QUID EST VIRILITAS?[些事風](2015/03/01 16:16)
[40] ええお控えなすって[些事風](2015/05/17 00:33)
[41] キュアムーミンだっけ[些事風](2015/10/18 13:01)
[42] おれ、弱くなった[些事風](2015/11/20 10:00)
[43] 中東かっ[些事風](2016/03/02 00:50)
[44] バカおやじだよ俺ァ[些事風](2016/05/15 16:02)
[45] ここがしもねた?[些事風](2016/08/16 15:11)
[46] 腕時計でしょうね[些事風](2016/11/15 13:03)
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[35651] おれ、弱くなった
Name: 些事風◆8507efb8 ID:b702ab77 前を表示する / 次を表示する
Date: 2015/11/20 10:00



 三日前。
 テレビの中の世界において、里中千枝と天城雪子は初めて、自らの意志によってペルソナを喚んだ。そして悠と陽介とクマと、三者の厳重な立ち会いの下「なるほう」も試し、多少の騒動はあったもののこれを無事に成し遂げた。
 悠は心中、ひそかに胸をなで下ろしたものだ。なにしろあのタロットからどのような機序を経て巨人が出てくるかさっぱりわからないのだから。ふたりが女性だからという理由でペルソナを喚べない、などということもじゅうぶん考えられたし、最悪の場合「ペルソナー!」と叫んだとたんに上半身が爆発するとか、塩の柱になるとか、巨人が一ダースくらい出てくるとか、そういうことがあってもおかしくはなかったのである。
 とまれかくまれ、こうして千枝と雪子は晴れてペルソナつかいとなった。本当の意味での仲間が増えたことを、そして件の事件解決に資する貴重な戦力が倍に増えたことを、悠と陽介――と、ついでにクマ――がどれほど喜んだことか! しかしそれさえ当事者たちを襲った狂喜には比ぶべくもない。スタジオでの「お披露目」が終わったふたりはまったく興奮の渦中にあり、それを悠たちと分かち合おうと躍起になるのだった。
「そうだお祝いしようよ! ね、そうしよっ、いま帰るのとか不可だから!」と、千枝。
「わたしおかし買ってくるよ、あと飲み物とかも! もちろんおごるから!」と、雪子。
「ちょっとふたり先に帰ったらあとでペルソナスパーリングの刑だかんね!」
「クマさんちゃんと見張っててね! このふたり逃がしたらむしるからね!」
 女子ふたりは悠たちにきびしく解散を禁じると、ふたりして嵐のようにジュネスへ舞い戻っていった。
「向こうがわ確認しないで出てったなあのふたり……見つかったらどうするんだ」悠はあきれた。
「まあ気持ちはよくわかっけど。だれだって喜ぶって、こんなの手に入ったらさ」陽介は自分のタロットカードをひらひらさせて言った。
「さっきむしるって言ってたクマ? ユキちゃんったらけっこうボーリョク的?」クマはまんざらでもなさそうである。
 千枝と雪子の「ペルソナ能力発現祝賀会」は、実に午後七時ごろまで続いた。菜々子は例によってフグへと変じたものだが、これを責める材を女子ふたりの強引さにばかり求めるわけにはいくまい。彼ら四人と一匹はめいめい床に足を投げ出すと、熱に浮かされたようにペルソナとこの異世界と、件の事件とについて議論した。その足許に散乱した飲食物をつまむ暇もあらばこそ、急かされるようにして話し合った。
 その充実感よ! 過日に陽介と自分たちのペルソナを調べたとき以上の、満ち足りたひととき。悠にとってはまったくの未知の快楽。かつてこれほどまでに惜しまれ、かつ速やかに過ぎていく時間などというものが、いったい自分の人生にあっただろうか? しかも彼は喜ばしいことに、惜しみこそすれその過ぎては必ず戻ることを疑い得なかったのである。悠以外の四者もまたその口調と態度とから、彼とひとしい心境にあるのだということがはっきりとわかったので。
 とまれかくまれ、こうして四人と一匹は熱心に話し合った。そしてようよう息も切れ、おのがじし時間を気にし始めたころ、四人はお互いのあいだに新しい、ある特別な認識が生まれたことを自覚しあうのだった。
「ペルソナつかい」という輝かしいタイトルを持つものとしての認識。選ばれた人間としての堅固な認識である。この人跡未踏の異世界における難事件を解決する使命と、そのための力を授かったのだという強烈な認識。世にあっては仰ぎ見ることもできないような権能ある人々が、なんとこのことに関しては自分たちの足の爪のひとかけらにさえ及ばぬのだという、誇らかな認識が。
 思えばこれは、陽介をしてペルソナ能力を手にした後に「俺たちが特別なんだっていう証拠にならないか?」などと言わしめた、そしてかの鰻屋においては千枝と雪子の胸にも去来したところの、あの心情と同じ性質のものであろう。それはあらためて三者を歓喜のうちに捉え、今度こそは悠の通人ぶった、よろず斜めに見がちな心をも漏らさなかったのである。
 これは四人という、それなりに纏まった人数が揃ったことも影響しているのだろう。千枝と雪子、ふたりの新しいペルソナを目の当たりにし、それらについてみなと語り合うに至ってついに、いままで胸中の隅っこにどうしても退かせずにあった「艫舵なき船の大洋に乗り出せしがごとく」とでも言うような、難業を前にしてしょうじき途方に暮れているといったような感じは消え失せ、
「難しいことだけどみんながいるし、協力し合えばきっとうまくいくさ!」
 くらいの前向きな展望が、代わってその座を占めるようになったのである。もはや彼の「ペルソナ号」はふたり乗りのカヌーではなかった。その船体こそ小さくとも、エンジンと屋根と船員とを得て、最近ちょっと調子が悪いがそれなりに機能するGPSを備え、不安を上回る期待と喜びとを喫水線ぎりぎりまで満載していた。艤装はすでに終わった。今こそ沖へと乗り出すときである。
 彼ら「ペルソナつかい」たちはこの日より以後、教室内で席が近いのも手伝って、状況がそれを許すかぎり磁石のようにいっしょになるのを好んだ。細井教諭にもからかわれたように、以前から悠と陽介と千枝とはくっつきがちではあったが、加えていっとう派手な雪子が正式にその仲間となったのだ。このビビッドな四人が教室のど真ん中にあって、ある日を境に忽然と一塊になるなど、二年二組においてはさぞ目立ったに違いない。
 もともとほかのクラスメイトとあまり接点を持たなかった悠と雪子はともかく、友人が多くありていに言って「クラスの人気者」とでも言えよう存在であった陽介と千枝は、その打って変わったような付き合いの悪さを早くも周囲から茶化された。さいきん四人でばかりつるんでいるな、などと言われたとき、そのとき彼らの面に過ぎったすまなそうな微笑は、しかしどこか誇らしげではなかったか? この「ペルソナつかいの紐帯」には、周りから不審がられれば不審がられるほど小気味よく思われるような、ちょっと秘密結社的な重く静かな芳香があったのである。
 とまれかくまれ、こうして悠たちはなかよし四人組となった。
 そしてなってみていよいよ、千枝が自分に対してどうやら抱いているらしい、なにか含みのようなものを、悠は感じ取らずにはおかなくなったのである。



 三日前の祝賀会において、悠は「ペルソナ部活動論」なるものを陽介たちに提案していた。べつに大した内容ではなく、要約すると、
「可能なかぎり毎日、学生が放課後を部活動に充てるような要領でペルソナの訓練をしましょう。そのためにバイトなどは邪魔になるので、架空の部活動をやるという名目のもと最小限にするか、いっそすっぱり辞めてしまいましょう」
 といったようなものである。花村流はともかくとしても、鳴上流のほうは継続して訓練しなければ使いものにならないのだ。その未熟なために苦戦を強いられた悠のこと、説得の言葉には自然と熱が込もった。
 陽介だけは慎重な態度を維持したものの、千枝と雪子とクマはこれに満腔の賛意を示す。彼女らにしてみれば一刻もはやく悠と陽介に追いつかねば、という気負いもあったであろうし、手に入れたばかりの未知の力を試したいという好奇心もまたしかりである。クマなどはほとんど毎日、だれかが会いに来てくれるようになるかもしれないのだから、この三者が陽介の両腕を引っ捕らえて、むりやり賛成の手を挙げさせたのも無理からぬことであった。
「いやっ、俺も賛成っちゃ賛成なんだけどさ」陽介は拘束されながらこう言ったものだ。「でもさすがにバイトやめろってのはちっと困るっつーか……ほら、俺もいいかげんキビしいもんがあっけど、天城とかはなおさらだろ? すっぱりやめる以前に、最小限にだってしてもらえねんじゃねーの? ペルソナ部活にするとか天城ソッコーで幽霊部員化まったなしじゃん」
 この場はクマのスピアリングタックルと雪子のエルボードロップでうやむやにされたのだが、陽介の予言は翌日、早くも現実のものとなった。雪子が放課後すぐ帰宅するようになったのである。
「わたし、きょうあすあさってはダメっぽい。ペルソナ」
 雪子は通学路で悠を捕まえると唐突に、「おはよう」のひと言もなくこう切り出した。つまり水曜、木曜に加えて祝日の金曜も全滅、ということである。
「土曜日ひょっとしたらだいじょうぶかもしれないから、そのとき行きたいけど。だいじょうぶかな」
「たぶん、大丈夫だと、思うけど」悠は気圧されぎみに、それでもなんとか労りの言葉をひねり出した。「いつも大変だな天城……まだだいぶ忙しいんだ? 旅館」
「んん……わたしなしでももうちょっとなんとかなるはずなのに、なんでこうなるんだろう……」
 さすがに「辞めさせてくれ」とは言わないまでも、彼女はおそらく天城屋に「もう少し休みが欲しい」とでも訴えたのだろう。そしてそれが容れられなかったのに違いない。
「ムカつくよ。平日はともかくだけど、わたし今週は金土日とも休みだったんだよ?」雪子はゴム手袋の左手を小刻みに振って、憤懣やるかたないといった様子。「でもきのう帰ったらぜんぶつぶされてた。相談もなし」
「潰されたって、よくあるの? そういうこと」悠は彼女をなだめるために、ことさら憤慨したふうを装った。「なんだよそれ。それじゃあ予定なんか立てようがないじゃないか、なに考えてるんだ」
「ホントだよ……ごめん、いきなり。朝からこんなこと聞かせちゃって」雪子は悲しげに笑って言った。「わかってるんだ。きっと月火と突発でお休みもらったせいだと思うんだけど、でもきのうはあんまり腹が立って――」
 いったい、これほど愚痴めいたことを口にする雪子というのも珍しい。よほどペルソナの訓練を楽しみにしていたものと思しく、彼女はひどく悔しげであった。悠としては控えめに天城屋を非難して、もって彼女を慰めてやるくらいしかできない。
(あわれ天城雪子……)
 かわいそうなことだが、しかしこれは想定のうちである。ことに雪子が自分たちと同じようには行動できまい、というのは悠も早くから指摘していたのだし、あらかじめわかっていたことだ。これは仕方がない。
 問題は千枝が教室でこれを知らされるや否や、
「あ、えーっと、あたしも今日はちょっと用事あるかな、うん」
 取って付けたようにこう述べたことである。それはときには用事のあることもあろうが、彼女は三日間、ほとんど同じ科白でもってジュネス行きを糊塗したのだ。つい先日に悠の提案をあれほどの熱意でもって肯定した彼女が。それまではいつも時間がありあまっていて、ほとんど必ず悠と陽介にくっついていっしょにジュネスでダベっていたヒマ人が、である。
(珍しい。里中が用事ねえ、なんだろう)
 最初こそ首を傾げるくらいだったものの、さて、そのあとの千枝の様子がなんとなくおかしい。
 そもそも前日から気には留めていたのだが、彼女は授業中に手紙を回して来なくなっていた。悠が休み時間に次の課目の準備などしていると、たまさか眼が合ってあわててそっぽうを向かれて、以後は横面になんとなく視線を感じるような気がする。不審に思って注意して観察してみると、いかにも千枝は「なんとなくおかしい」のだ。
 四人で集まっているときこそ、彼女は快活そのものである。隔意を感じるどころかむしろその逆で、この頃はなににつけても悠の側に肩を入れるような向きさえある。しかしいったんバラバラになればとたんに挙動不審を呈する。教室を出入りするときは素早く悠の席を確認する。彼の周りにひとが少なかったりすると、教室に入るのを止めてパッと踵を返してしまう。廊下を歩くときはなんだか無闇にキョロキョロして、まるでだれか探しでもしているふうである。いちどだけすれ違った折には、彼女はにわかになにか思い出したようにして早足になったものだ。おまけに今まではあれほど悠と陽介とばかりくっついていたのが、四人でいるとき以外は急に雪子にべったりになった。四人でかたまって喋っているときなど、雪子が小用で離れたりするとさりげなくついて行ってしまう……
(違う、たぶん用事があるわけじゃない。天城が同行しないから断ってるんだ)
 三回目、つまり今朝のことだが、同じような断りを電話で聞く段になって、悠は確信する。なぜそんなことを? 最近の千枝の不可解な挙動に加えてこれを考え合わせると、彼の胸裡にはどうしても否定しえぬ、ある疑いが浮上してくるのだった。すなわち、
(おれとふたりきりになるのを避けてる……?)
 千枝もひたすら悠を忌避するというのではなく、どうやら彼がひとりでいるとき、もしくは周りにあまりひとがいないとき、そして雪子を伴っていないときを避けるようなのだ。陽介を伴う場合でもジュネス行きを断るのはよくわからないが、万一なにかの拍子に彼がいなくなったとき、周りにクマくらいしか残らないからかもしれない。
 いずれにせよ、悠がある一定の条件のもとで、千枝に避けられているのはほぼ確実と思われた。顧みれば月曜のあの一件からこちら、彼女とは面と向かって一対一で話した記憶がない。いや、一度だけあるにはあった。その次の日の朝、教室へ移動中に彼女が階段を踏み外したとき……
(あれ、気のせいじゃなかったのか?)
 千枝が階段の踊り場で見せた、あのにわかな狼狽。いかにもあれは「ひょっとしてまだしこりが残ってるんだろうか」くらいの不安を悠に抱かせはした。しかしその後の「ペルソナ能力発現祝賀会」における四者の連帯結束には、間違いなくあれしきの小皺など跡形もなく均してしまえるアイロンの熱さがあったはず。実際、千枝は周りに悠以外の人間がそれなりに居さえすれば親切そのものなのだ。
 しかし友誼を求めているのなら自分を避けるはずはない。悠に親しく接するのは対外的なポーズに過ぎず、本当は心の底で憎んでいるのか? ただ認めたくはないが、どうやらこれだけははっきりと言えるらしい――例の一件はまだ終わっていなかったのだ!
 本日は金曜日、昭和の日。千枝に電話をして、ジュネス行きを断られたのが午前八時半ごろ。陽介から電話がきて、ジュネス行きを生返事で断ったのがそのすぐあと。外は雨。心は悩みでいっぱい。せっかくの祝日なのにどこかへ行く気もはや失せた。悠は自室のソファに座ってあたまを抱えてしまった。
 なんと気がついてみれば、投棄されたはずの「ちえのわ」はより複雑になって、いつの間にか手元に戻って来ているではないか! いまにして彼は三日前の雨の朝、あの三人のうちの誰かが余計な気を回したことを怨みに思わざるを得ない。あんなのはただの問題の先送りに過ぎなかった。いや、先送るどころかよりいっそうこじらせたのだ。あのときほんの一瞬の苦痛に耐えさえすれば、それはもちろんお互いの関係は今とたしょう変わったにせよ、千枝とのいさかいは一応の解決を見たはずなのに!
 すでに謝罪する機を逸してしまった。千枝との関係は傷ついたあといびつに癒着して、のちの処置が悪かったものだから黴菌が入り込んだ。悠は感染症に苦しんだ。誰かが言ってはいなかったか? 傷は放置すれば膿むと。はやく手当てせねばならぬと……
(くそっ、過ぎたことは過ぎたことだろう、女々しいぞ鳴上悠!)ようよう顔を持ち上げると、テレビのブラウン管の中から陰気な、しょぼくれた少年がこちらを見つめている。(今日楽しみを作さざれば当に何れの時をか待つべき! 何ぞ能く愁い怫鬱として当に復た来茲を待つべけんや! おまえはせっかくの休みを一日中そうやってメソメソして費やすつもりなのか? さっさと立ち直れ、なにか気分転換のタネを探すんだ……!)
 悠はソファを立って、しまう場所がないためにいまだ積みっぱなしになっている段ボール箱のうちのひとつに寄ると、中から適当な本を一冊選り出した。なにかいまの気分を払拭してくれるような、自分を叱咤してくれるような言葉が要る。それも早急に。
「自省録。マルクス・アウレリウス……」
 いつ挟んだものか、文庫本の天から白いブックマークの端が覗いている。それの挟んであるページを開いてみる。


 波の絶えず砕ける岩頭のごとくあれ。
 岩は立っている、その周囲に水のうねりは静かに安らう。
「なんて私は運が悪いんだろう。こんな目にあうとは!」
 否、その反対だ。むしろ、
「なんて私は運がいいのだろう。なぜならばこんなことに出会っても、
 私はなお悲しみもせず、現在に押し潰されもせず、
 未来を恐れもしていない」である――


 なんておれは運が悪いんだろうオー・メー・イーンフェーリーケムこんな目にあうとはクィ・ホク・アッキデーリト! 悠は持っていた本を段ボール箱にぶち込んだ。まったく心に響かない! 目下彼はこんなことに出会って悲しみもしてるし、現在に押し潰されそうだし、おおいに未来を恐れもしているのだから!
 悠はその日、鬱々として自室に閉じこもったまま、段ボール箱の中の本を取り出してみては投げ込むという孤独な競技に憂身をやつしていた。心配した堂島父娘が部屋の戸を叩いたのは夕方のことである。






 彼女は好意を示す。しかも彼女は隔意を示す――この矛盾についてはもう考えないことにする。そもそも矛盾について考えることじたい徒労である。
 ではこの矛と盾、千枝の手にあるのがいずれであると規定するのがよいか、と言えば、それはより安全側、つまり隔意を持たれているとするほうであろう。これまでの経緯からしても、彼女が現在もなお悠に一定の反感を持ち続けている、と考えることは、そうでないと判断するよりは筋が通っているように思われる。
 いま悠がすべきなのは、理想を言えばやはり謝罪だ。千枝がいま現在どのような意趣を彼に対して持っているにせよ、その根本は疑いようもなくあの「悪夢の六限目数学」に求められるはずだし、実際それの終わっていなかったことはもはや明白なのだから。謝罪することによってなにかが起きるだろう、それは場合によっては悠と千枝の関係をいまより悪くするかもしれないが、それとて解決のひとつのかたちである。少なくとも悠は以後、懊悩して文庫本のカバーをめちゃくちゃにしたりせずに済むし、悪くなった関係を繕うための準備にだって晴れて取りかかれるのだ。
 しかし、これはとうの昔に時宜を逸している。難易度の面からいっても悠にはほとんど選択不可能であった。
 自尊心云々の話ではない。どころか、この六日間という時間はひとを冷静にさせ、かつ記憶の細部をあいまいにし、部分的には改造さえしてしまうにはじゅうぶん過ぎるほどの長さで、悠は自分をあれほどの暗い激情に駆り立てたものがなんだったのか、いまとなっては不思議なほど思い出せないのである。
 あらためて例の一件を振り返ってみても、彼の心に鮮明なのは授業を邪魔され恥をかかされた自身の憤懣などではなく、いっそ可愛らしいとさえ思える千枝の児戯である。底意地の悪い方法でやり返されて、みなの笑いものにされた彼女が、きっと感じたに違いない羞恥である。それを訴えても容れられず、ついには衆人環視のただ中で面罵された、そのとき流したあの涙の苦痛である。もちろん千枝が悠を不当に難じ、無体な態度を取ったという記憶はあるにはあったが、思い返すだになぜあれしきのことを流してやれなかったのか、悠は怒りどころか恥ずかしさと自己嫌悪でいっぱいになるのだった。あんなものがなんだというのだろう、それより自らが千枝に向かって「おい」と恫喝したことのほうが何十倍もひどい仕打ちではないか!
 いまや悠の中で被害者と加害者とは逆転していた。千枝は「ひょっとしたら好意から戯れかかったのを過度にはねつけられ、そればかりか不当に辱められたあわれなひと」であり、悠が自らに与えた地位は「思い込みが激しく共感能力に欠ける、短気で狭量で執念ぶかい詭弁家」という散々なものである。いまの彼に謝罪をためらわせるのは、来たる自尊心への痛撃などではなく、ひとえに千枝への猛烈な申し訳のなさであった。彼女を許してやれず、そういう自らをも許せず、行動をためらって安易な道に走った悠は、とうとう許しを乞う立場へと、しかもそれを容易になし得ぬ底辺へと落ちてきてしまったらしい。
 謝罪は困難である。特効薬は用意できない。ではどうするか? 現実的なのは彼女の隔意などそしらぬ気に、とりあえずは愛想よく親切に接すること。そして千枝が悠を避けて一歩退いたら、いっそう鈍感を装って一歩詰める。なにか言われてもできるだけ粘って離れない。そうしていれば彼女はおそらく、隔意の原因そのものを忘れるか、もしくはそれをはっきりと表明するか、いずれかの挙に出るだろう。具体的にどのようなことをしてくるかわからないが、そのときどきに応じて対症療法的に投薬するしかない。最悪の場合、特効薬そのものが求められるかもしれないが。
 しかしこれも簡単ではなさそうだった。妙な話だが、悠はこのためにむしろ、自身の中で被害者と加害者とが逆転してしまったことを惜しんだ。例の一件の翌日、陽介たち三人が飛びかかってくるまでわが胸裡を焼いていた二律背反は苦しいものでこそあったが、少なくもそこから脱せねばと彼を律して、強く行動をうながす原動力にはなったのだ。それに彼の性格上「おれは本当は悪くないけど、それが正しいからあえて冤罪を蒙るのだ」として自尊心の高きをあえて屈曲するなどは、じっさいに行われていればおそらく、それに伴う多大な苦痛のあとには、殉教者めいた快楽が付き従ったに違いない。自分が一歩譲ってやっているのだ、と考えることはすでに、彼には一種の報酬であった。
 いまはそれもない。悠がこれから関係改善のために働きかけるのは、彼の心情からすれば過去にひどい仕打ちをしてしまったひとで、しかもそれを表向きなかったことにしてくれた善人である。もしすげない態度を取られたら? 辛辣な言葉が飛んできたら? 千枝が先にそうしたように、あの残酷きわまる沈黙の壁を築いたら? 悠はそのとき別次元の痛みに耐えなければならない。それは殉教者の背に加えられる法悦の鞭ではなく、犯罪者を打ち据える刑罰のそれだ。しかもそうされるのが当然なのだという、全裸で大の字になるような心理的無防備のうちに行われる打擲なのだ。かかる極刑に処されたらどうなることだろう? 彼は自失し言葉を失って、果ては息子と夫を殺され国をも滅ぼされたあのトロイアの王妃のように、悲嘆のあまり犬にでも変じてしまうかもしれない。
 悠の自尊心はなによりこれを恐れた。ことは慎重になされねばならぬ、よってこれはあくまで努力目標とする。状況がそれを許さないかぎりは、
(せめてこれいじょう余計なことはしないで、現状維持に努めよう……)
 夕食後、悠が机上でひねり出した結論はこのようなものだった。
 これで終わり。これでひとまず結論は出た、もう思い悩む必要はない――悠は机から立ってひとつ長大息した。あとは明日から行動あるのみだ。なるようにしかならないのだ、ウジウジするのもいい加減にせよ。せめて上っ面だけでも男らしく振る舞うがいい。
 壁掛け時計を見上げる。時刻は午後十一時四十分過ぎ。二階へ上がる前に確認したときは確か九時半ごろであったから、部屋へ入ってすぐ机に着くなり沈思黙考、なんと二時間にも及んだことになる。たいした対策も立てられなかったわりに時間を使ったものだ。
(おれ、弱くなった、ホントに)自嘲の笑みに口角が持ち上がる。(おまえ、ここに来る前はこんなじゃなかっただろう? あの鉄の男はどこに行ったんだ?)
 もちろん決まっている、そんな男は最初からどこにもいなかったのだ。うぬぼれ屋の悠のこと、その強度を試す機会さえなければいくらでも自分を粉飾して飽かなかったことだろう。ついこの間までは自らの体幹に鉄芯が通っているなどと信じていたものだが、まったく大それた妄想である。他のすべてのひとと同じく、それもただの神経繊維の束に過ぎなかったのだ。ひとと違うところといえば、どうやらいっそう柔弱で感じやすくて脆いくらいのものか。
(そうだ、ダイヤモンドがいいな、それも合成のやつ。硬いだけですぐ砕ける、鉄じゃなくてダイヤの芯だ、それならおまえの高いだけのプライドも満足だろう? ダイヤモンド。ただむやみに光って金持ちにありがたがられるだけで、指輪にする以外のなんの役にも立たない。いや、研磨剤になるんだっけ? こりゃいい、ちょっと削り取ってこんど巽に分けてやろうか……)
 そういえばあいつもいかにも落ち込みやすそうな、繊細な印象があったな――ふと、悲しみに酔うひとはかくもあろうかと考えて、窓に寄ってもの憂げにカーテンを開けてみると、
「なんだこれ……霧……?」
 思いがけず窓の向こうは一面の霧であった。夜闇が質量を得たような異様な世界。腕を伸ばせば指先も霞もうかという濃霧が、家の前の街路灯に薄黄色く纏わりついているのが見える。不気味さよりも多く神秘を、そしてどこか既視感を感じさせる眺めだ。
(ああ、さっきニュースで言ってたっけ、夜から霧が出るんだった。初めて見るな……)
 この不思議な光景を前にしては、塞いだ心も少しく慰められる思いである。悠は窓を開けると天板に両手をついて突っ張って、身を乗り出してしばらく外の様子を眺めていた。そう言えば夕食のとき、遼太郎が「さいきん霧が多いな」などとこぼしていたような気がする。そのあと退屈した菜々子がチャンネルを変えて、大好きなジュネスのコマーシャルに当たって、それをしおにゴールデンウィークにどこか行こうという話になったのだ。半分うわのそらだったのでどことは覚えていないが、彼女は歌いながらしきりにジュネスを推していた。予定を訊かれたのは記憶しているので、たぶん悠もいっしょに行こうという話に――
 ふいに背後でザーという物音がしたのに、悠は物思いに沈んでいたのも手伝って「うおっ!」と飛び上がった。振り返るとテレビの電源がひとりでに入って、断続的に砂嵐とホワイトノイズとを出力している。
(あれ、リモコン踏んだ? 故障?)
 慌ててあたりを見回してみる。が、リモコンはソファの上に転がっている。身体が当たったかしたわけではない。それを操作して電源を落としてみようとするが、しかし反応はない。テレビ本体の主電源ボタンを押してみても同様である。
(……これ、ひょっとして、マヨナカテレビ?)
 ふたたび時計を見上げる。折しも時刻は午前零時。そうしている間にもテレビははたと静かになった。まるで今ほどの悠の思いつきを肯定するかのような間で。
(マヨナカテレビが映るのは雨のときだけじゃないのか? まあ霧も水分には違いないけど……あれ、待てよ……)
 マヨナカテレビ。テレビの中の世界。悠は窓へ取って返して、眼下の街路灯を見つめる。
(黄色い。確かあれ、白色灯だったはずだ。霧に色がついてるんだ、この霧は黄色い……)
 既視感を覚えるはずだ。このレモン色の濃霧、これと同じようなものを、自分はどこかで見たことがなかったか?






 あれほどの霧も翌朝までには嘘のように消え去っていた。そののち雲ひとつなく晴れ渡ったのは、ここ何日かずっと雨ふりだった、その帳尻合わせであろうか。
 悠は住宅街を抜けてすぐの田園沿いの小道を、ちらほら見え始めた八校生に混じって歩いていた。前屈みになって道のはたの砂利を蹴りながら、きょう千枝に会ったとき最初にかける言葉などをつらつら考えていると、ふと早足で自分を追い抜こうとする人間のあるのに気付く。
「鳴上くんおはよ!」
「あ……おはよう、天城」
 横合いから覗き込んできたのは雪子である。
 先日と打って変わって、彼女はことに機嫌がよさそうであった。なにせ今度はちゃんと朝の挨拶があったし、「きのう霧すごかったね」だの「もうじき中間テストだね」だの「近所の染物屋さんであのタロットを入れる袋を買ってみたんだ。これこれ」だのと妙に饒舌で、その面から微笑みの絶えることがなかった。
「どう、今日は行けそう? 大丈夫?」と話の合間に尋ねれば、
「うん、ほとんど大丈夫だと思う! 今日こそはペルソナ行ける。あんまり日を開けると喚びかた忘れちゃうからね」
 彼女はよくぞ訊いてくれましたとばかりに、こう述べて笑う。雪子は幸薄げにしおたれている姿こそ美しい、などと内心ひそかに思っていたものだが、こうして朝日の下でにこにこしていると生来の麗貌もいや増しに輝いて、太陽の女神が化身したかのような神々しささえあるではないか。周囲の八校生男子どもにはきっと後光が差して見えたことだろう。この女神を傍らに伴って、彼らの羨望の眼差しにちくちく刺されながら歩くというのはなかなか気分のいいものである。
 雪子は上機嫌だった。彼女の様子には今日の「お休み」について、なにか天城屋から確約を取り付けたふうがあったので、悠も今日こそは行けるものとすっかり安心していた――放課後までは。
 課業後のHRが終わるとほどなく、雪子は席を立って廊下へ出て行った。このとき悠はむしろ隣の千枝の動向を気にしていて、いっしょに席を立って着いて行きはすまいかとチラチラ様子を窺っていたのだが、さて、気付けば小用かと思われた雪子が、五分経ち十分経ちしても帰ってこない。教室に残っている生徒も漸を追ってまばらになっていく。
「ねえ、雪子どうしたんだろ。出たきりだよね」
 これを気にしたようで、千枝が廊下のほうを向いて呟いた。たまたま陽介が話しかけたおかげか、彼女は席を立つことはしていなかったのだが、このひと言を機に腰を浮かすような気配を見せる。
「あ、おれ、ちょっと見てくるよ」
 彼女に避けられていることはすでにわかっている。相手の意図が見えていればこそ、それを実際の行動に移されるのはなんとなく辛い。できる限り避けたい。悠はなかば反射的に立ち上がると、千枝が自分から逃げ出す前に教室を出たのだった。
 ああ情けない、おまえは里中の道化だ。ご主人さまが小指一本動かしただけでおまえはてんてこ舞いだ――などと内心で自らの女々しさについて悪態を吐く暇に、悠は手洗場の流しの縁に寄りかかって、携帯電話を耳に当ててうつむく雪子を見つけた。
(ああ、ダメになったんだな、たぶん。顔に書いてある……)
 その横顔に深く陰が落ちたように見えるのは、手洗場の窓を背にしているからというだけではあるまい。ぽつぽつと低い声で電話に向かって話しながら、彼女は塑像のように無表情を保っている。感情をいっさい面に表さない、というのが非常な不機嫌を意味するということを、悠は自らの経験からよく知っている。電話の相手もその伝える内容も、雪子の様子からは容易に推察された。
「……はい……わかってます、はい。はい」彼女の返事はまったく「わかっていなさ」に満ちている。「はい……思ってません。いえ思ってません」
 悠が近づいてくるのに気いたようで、雪子はふと彼のほうを向いて、声を出さずに口だけで「最低」と言った。
「わかりましたからもう切ります。すぐ帰らなきゃいけないので」
 と、それだけ言い放って乱暴に電話を切る。たぶん話の途中だったのをむりやり打ち切ったのだろう。
「なら最初からそう言ってよォ……!」
 うつむき拉がれたまま、雪子はヒステリックに呻いた。肺腑から絞り出したような声である。なんと言葉をかけていいかわからず、しかし黙っているよりはと、悠は言わでものことを訊いた。
「行けなくなった?」
「ごらんのとおりっ!」
 見ればわかるでしょ、とでも言いたげな、突き放した捨て鉢な科白が返ってくる。
「……ごめん。わたし、当たってる」が、ほどなく恥じたような言葉があとに続いた。「鳴上くんが八つ当たりされる筋合いなんかないのに。ごめんなさい、ほんとに」
「いや、おれも八つ当たりならちょっとしたもんなんだ。母親にプロ認定されたことあるし」悠はあえて陽気にいらえた。「天城のはまだまだ、基本がなってない、アマチュアだな。それに言われたほうじゃ喜んでるくらいなんだから、天城は代金を請求してもいいくらいだ」
 雪子は唇を嚙むような仕草をしたあと「喜んでたの?」と訊いた。
「実はそっちのほうもプロ級」顔を近づけて囁く。「で、もう少しやってみない? あと二、三言は罵ってほしい、もっと攻撃的なやつ。報酬ははずむから」
「……それはまたこんど、ね」雪子はようやくちらと微笑んだ。「今日はもう帰らなきゃいけないから」
「なんだお預けか。最近いいことないな」
「お互いにね――鳴上くん」
「おっ、気が変わった?」
「そうじゃなくて」雪子は苦笑しながら、「ほんとに、ごめん。情けないよ。わたし、こうなることわかってたのに……」
 彼女の言う「こうなること」とは無論、旅館の仕事に忙殺されて自称特別捜査隊の活動を疎かにしてしまう事態を指すのだろう。
「鳴上くんだってわかってて、だから止めてくれたのに。自分がイヤになる」
「止めたけど、そのあと考え直したじゃないか。あれは陽介が正しい」悠は二年二組教室を指さして笑った。「あいつたまに正しくなるから余計に始末に負えないんだ。いつも間違ってりゃあいいのに」
「花村くんはたぶん、わたしがかわいそうだから、あんなふうに言ってくれたんだと思う。わたしきっと、みんなの足を引っ張る……」雪子は一転、泣きそうな顔になる。「ペルソナ、三人で行ってね。もうわたし待たなくていいから、行けるときになんとかがんばるから。事件解決を第一に考えてね」
 先日の「ペルソナ能力発現祝賀会」以降、悠たちがテレビの中の世界へ入っていないのを、彼女はどうも自分を憚ってのことと思っていたようだ。実際はもれなく千枝までいなくなってしまうので、けっきょく気乗りしないまま悠と陽介とふたり、ジュネスのフードコートでなんとなく暇を潰していた、というだけなのだが。
「事件解決を第一に考えることと、天城を待たないこととが、なんでイコールで結ばれるかよくわからないけど」と、そしらぬ気に悠。「天城を待つのは伊達や酔狂じゃない、そうすることが必要だからだ。そうする必要のあることは誰に止められたってするし、そうでなきゃ誰に勧められたってしないよ。自称特別捜査隊に入隊した以上、隊長の計画には従ってもらわなきゃ」
 嘘も方便である。このへんは柔軟に考えるべきだ、重要なのは雪子が受け入れやすいかどうかである。
「そう言ってくれるのはうれしいけど」
「おれにもそれなりの構想みたいなものがあってさ、そのためにペルソナ能力に格差を作るのはできる限り避けたいんだ」
 ということにしておこう。理想的にはそうありたいわけだし、げんに悠は過日の鰻屋でその旨を主張している。
「こないだはペルソナ訓練を部活化しようなんてことを言いはしたけど、あれは要は訓練する時間をつくるために、架空の理由をでっち上げたほうが都合がいいってくらいの意味であって、バイト制限しろっていうのはあくまで付帯的なもの、努力目標に過ぎない。陽介だって言ってただろ? 天城は難しいものがあるってさ。それはもうとっくに想定済みだから、いまさらこんなことで気に病まれるとかえってこっちが恐縮するよ」
「でもみんなに悪いもん。千枝だってあんなに行きたがってたのに……」
「里中はここ最近、用事つづきですぐ帰ってるよ」おれを避けてね。「もし天城が毎日行けたとしても、けっきょくは里中がブレーキになったわけだ。そのほかの日だっておれや陽介がそうなる可能性はじゅうぶんある。こんなのは団体行動につきものの欠点で、べつに天城に特有の事情ってわけじゃない」
「でも、比重としてはわたしがいちばんだよ。ほかのみんなとは比較にならないくらい、お荷物なの」雪子の面に自嘲の笑みが浮かぶ。「やっぱり行けるときに三人で行ってほしい。わたしを待ってたら誰も入れなくなっちゃう」
 理詰めは難しいか――悠はひっそりとため息をついた。このばあい雪子自身が問題点をわかりすぎるほどわかっているのだから、論理的な説得は困難であろう。であれば、感情に訴えるしかない。
「……ひどいな。おれたちを見捨てるの?」
 と、悠が低い声で言ったのに、雪子は弾かれたようにして顔を上げた。
「なに言ってるの違うよ、むしろわたしが足手まといになるから、だから……」
「だから見捨てろって? なあ天城」悠は彼女のほうへ一歩近づきながら、「天城はもう『四本目の足』なんだ。ちょっと挫いたからって斬り落とすことなんかできない、そのとき流れる血は天城のだけじゃないからだ。ふつうは右足を傷めたら、それをいたわって安静にするもんだろう? そのあいだ左足だけ勝手にそのあたりをウロウロしたりなんかしない。走るときも座るときも、いっしょだ。そうだろ?」
「……うん」
「それは、それらが協同してひとつのものを構成しているから、チームだからだ。おれたちはチームで、ひとつのものだから、たとえ三本の足が自由に動いたって、傷めたもう一本のほうを引きずったり斬り落としたりはしない」
「うん」
「いまは捻挫が治って、自由に動かせるようになるのをゆっくり待つときだよ。一本目も二本目も三本目もそれを望んでる」悠はちょっと気恥ずかしくなって、雪子から一歩はなれた。「……こないだも言ったけど、ペルソナはさ、少なくともなるほうだけなら、訓練らしい訓練はいらないんだ。当分はそっちを使わざるを得ないから、だからひとり欠けた状態でムリに向こうへ行って、あくせく訓練する必要なんかないんだ。だから気にしないで」
 いまそのように勧めるだけでさえあれほどの悲嘆を見せるのだ。雪子の言うとおり三人だけでテレビの中に通い続けるなどすれば、仲間外れの彼女の意欲はどこまでも落ちていくことだろう。いまや彼ら四人にとってテレビの中の世界と、ペルソナを喚ぶタロットカードとはかけがえのない価値あるものとなったが、それとて四人と一匹の堅い結義のあればこそだ。孤立し続ける雪子にはいつか、その財産も光を失って見えるときが来るかもしれない。
 そのとき彼女が「やっぱりわたしにはムリだったみたい」と嘆いて、隊長にタロットを返却することになったとしたら? たとえ悠とのことがなくても千枝は激しく動揺するはず。彼女が親友に続く可能性ははっきり言って高い。しこうして、杖を二本失った悠たちふたりは派手に転ぶだろう。
 方便には真実も含まれていたようだ。悠たち三人のペルソナ習熟が少しくらい遅れるのは構わない、雪子の参加はやはり待つべきなのだ。雪子にとってのベストはそもそも自称特別捜査隊に加わらないことだった。しかし加わったのなら、可能なかぎりその活動から漏らすべきではない。
「……みんなが向こうに行かないと、クマさん寂しいだろうね」
 ややあって、雪子は薄く笑ってこう言った。毎日入ってくるものと思っていた悠たちが火曜日以降まったく顔を見せないのだから、あの寂しがり屋のクマの孤愁と憂憤たるやなまなかのものではあるまい。
「クマは何年も何十年もひとりであそこにいたんだ。一週間かそこらくらいなんとも思わないよ」もしクマが聞いていたら地団駄ふんで否定したことだろう。「それに、会わない期間が長ければ、それだけ会えたときの喜びも増す。もっと焦らしてやってもいいくらいだ」
「クマさんって、そんなに長く生きてるの?」雪子は目を丸くして驚いている。「それに、ひとりだったの? そういえばあの世界って、ほかにクマさんみたいなひとっていないの?」
「ヘタすると何百年、何千年って単位かもね。本人も覚えてないって言ってたし。そのあいだ見たのはシャドウと、ほんの少しの人間だけだったって」
「少しの人間……」
 雪子はそう呟くと、尻を預けていた流しの縁から勢いよく離れた。その面にはもう笑みは浮かんでいない。
「そのひとたちはみんな、亡くなったんだよね」
「そう。例外はいまのところ、おれと陽介と里中と、天城だけだ」悠も真剣な表情を作る。「そしてこれからは死者こそが例外になる。おれたち四人がそうする。被害者は全員助けて、犯人は捕まえて、死なない程度にブッ殺す」
「そのあとわたしがぶん殴る」
「……このぶんだと、犯人は記念すべき最初の例外になるかな?」
「カバン、取ってくる。わたし行くよ」雪子は発奮したようだ。「うちに帰って、仕事かたづけて、お休みもらって、はやく向こうに行かなきゃ」
「天城、ムリだけはしないこと」悠はあえて釘を刺した。「事件のこととか、おれたちのこととかを考えてくれるなら、そのためになにより、体調を維持して健康に留意して。向こうの世界の危険だけを言うんじゃない、おれたちはこっちの世界でも怪しまれないようにしなきゃいけない」
 雪子はおどけて「はい、了解しました。隊長」と悠に向かって敬礼してみせた。
「よし。では行って任務を遂行したまえ。天城隊員」
 悠は笑って答礼を返した。






「ええっとォ、あたし今日はちょっと用事あるかもなんだ、こんどはウチでさ」
 三人で雪子を見送った後、千枝は早々と訊かれもしないうちからこう弁明した。
(来たな……)
 予想どおりの口上だ。いつもなら「あ、そうなんだ」で済ますところだが、この言葉の裏の意味を理解したいまとなっては、やすやすと看過するわけにはいかない。悠はあらかじめ用意していた「空気よめない鳴上くん」を装うと、
「え、用事ってどんな?」
 いかにも不思議そうに訊いた。
「へっ? いや、あー、たいした用事じゃにゃい、ないらしいんですけど……」
 千枝は訊かれると思っていなかったのだろう、慌てた様子である。思った通りだ、本当は用事などないのだ。
「大した用事じゃないならいいじゃないか。行こうよ」
「やーそうなんだけど、なんか付き合え付き合えってうっさくてさー、困ってんだけどさー……」
「お前ってなんか、さいきんそんなんばっかだな」ここで陽介から思わぬ掩護射撃。「てっきり天城んちの手伝いでも行ってんのかと思えば、そんなことねーって言ってるし」
「ええ? あたし旅館の手伝いなんかできないよォ、そんなスキルないし」千枝は笑顔を繕っている。「あ、でもジュネスでバイトくらいはできそうかなー。花村さいきんバイトあんまり行ってないけど、クビにでもなったの?」
(話題をすり替えた……)
「減らしたんだよ。完全になくすのはムリだけど……親父が許さんし、カネねーし……」陽介は不服そうに悠を一瞥しながら、「で? お前きょうも行けねーのか? その用事ってそんなに大事なモンなのか? あんまりブランク空くとペルソナの使いかた忘れっぞ」
「そのことだけど」と、悠は割り込んだ。「最近ちょっと考えててさ、天城が合流できるまで、しばらく向こうの世界には入らないようにしようと思うんだ。クマにはかわいそうだけど」
 こう言えば陽介も千枝もその理由をいろいろ質してくるものと思っていたのだが、ふたりは存外聞き分けがよかった。
「天城とペルソナのいろいろに差がつかないようにってんだろ」と、陽介。
「雪子だけ仲間はずれはかわいそうだもんね。あたしはいいよ」と、千枝。こころなし彼女の面が明るくなったような気がする。
「天城を待つのは構わんけど、ペルソナ使わなきゃべつにいいんじゃねーの? 入っても」
「それについてはあとで話そう。で、だ」悠は勇を鼓して千枝に向き直った。「里中、今日、なんとかジュネス行けないか? 天城のことでちょっと話したいこともあるし」
 さあせいぜい渋れ、なんとしても食い下がってやる――悠は丹田に力を漲らせて拒絶の言葉を待ち受ける。が、
「え、いいよ、行こうよ」
 千枝は拍子抜けするほどあっさり肯ってしまった。
「オメさっき用事があるとかなんとか言ってたのなんだったワケ……?」陽介が呆れる。
「あーあれは……まあどうせどーでもいい用事だって、きょうはいいよ、うん」千枝は悪びれた様子もない。「おーしひっさしぶりにハンバーグ食べれるぞーわーい。これはヨコヅナいっちゃうかー?」
「に――」陽介は千枝にすねを蹴られて飛び上がった。「――ちょっ、なんか言ったか俺いまっ! いってーなクッソ!」
「ぜったいニクって言おうとしたいま。バカにしようとした」
(やけにすんなり承諾したな。でもこれで少なくとも、里中は天城がいなくてもジュネスに来る、ということはわかった)
 つまり今までは、やはりテレビの中の世界へ行くのを――つまり向こうで悠とふたりきりになるかもしれない事態を――を避けていた、ということになる。あのほかにどこにも行き場のないスタジオで、陽介やクマがいなくなることなどまずあり得ないのだが、もしそうなったとき完全に逃げ場がなくなるということを不安に思っているのかもしれない。
「よし、決まり。じゃあ行こうか」とりあえずは一歩前進。つぎは愛想よく、親切に接すること。「……里中、ハンバーグ奢ろうか?」





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