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No.35651の一覧
[0] PERSONA4 THE TRANSLATION(ペルソナ4再構成)[些事風](2014/11/03 16:25)
[1] 序章 PERSONA FERREA[些事風](2014/11/03 16:25)
[2] 一章 REM TALEM MINIME COGITO[些事風](2012/10/27 23:54)
[3] 国を去り家を離れて白雲を見る[些事風](2012/10/27 23:57)
[4] マヨナカテレビって知ってる?[些事風](2012/10/28 00:00)
[5] ピエルナデボラシーボラ![些事風](2012/10/28 00:03)
[6] 出れそうなトコ、ない? ひょっとして[些事風](2012/10/28 00:07)
[8] 死体が載ってた……っぽい[些事風](2012/10/28 00:27)
[9] ペルソナなんぞない[些事風](2013/03/05 00:17)
[10] でも可能性あるだろ?[些事風](2012/10/28 00:34)
[11] バカにつける薬[些事風](2012/10/28 00:36)
[12] シャドウじゃなさそうクマ[些事風](2012/10/28 00:41)
[13] 吾、は、汝[些事風](2012/10/28 00:46)
[14] 俺はお前だ。ぜんぶ知ってる[些事風](2012/10/28 00:53)
[15] ノープランってわけだ[些事風](2012/10/28 00:56)
[16] 旅は始まっております[些事風](2012/10/28 01:05)
[19] 二章 NULLUS VALUS HABEO[些事風](2014/11/03 16:26)
[20] あたしも行く[些事風](2013/01/15 10:26)
[21] それ、ウソでしょ[些事風](2013/03/05 21:51)
[22] 映像倫理完っ全ムシ![些事風](2013/05/12 23:51)
[23] 命名、ポスギル城[些事風](2013/05/12 23:56)
[24] あたしは影か[些事風](2013/06/23 11:12)
[25] シャドウ里中だから、シャドナカ?[些事風](2013/07/24 00:02)
[26] 脱がしてみればはっきりすんだろ[些事風](2013/10/07 10:58)
[27] 鳴上くんて結構めんどくさいひと?[些事風](2013/10/14 17:36)
[28] セクハラクマー[些事風](2013/12/01 15:10)
[30] アギィーッ![些事風](2014/01/31 21:58)
[31] かかってこい、あたしが相手だ![些事風](2014/03/04 21:58)
[32] クソクラエ[些事風](2014/04/16 20:30)
[33] あなたは、わたしだね[些事風](2014/06/15 15:36)
[34] とくに言動が十八禁[些事風](2014/07/26 21:59)
[35] コードレスサイクロンユキコ[些事風](2014/09/13 19:52)
[36] 自称特別捜査隊カッコ笑い[些事風](2014/09/24 19:31)
[37] ッス[些事風](2014/11/03 16:29)
[38] oneirus_0d01[些事風](2014/12/14 18:47)
[39] 三章 QUID EST VIRILITAS?[些事風](2015/03/01 16:16)
[40] ええお控えなすって[些事風](2015/05/17 00:33)
[41] キュアムーミンだっけ[些事風](2015/10/18 13:01)
[42] おれ、弱くなった[些事風](2015/11/20 10:00)
[43] 中東かっ[些事風](2016/03/02 00:50)
[44] バカおやじだよ俺ァ[些事風](2016/05/15 16:02)
[45] ここがしもねた?[些事風](2016/08/16 15:11)
[46] 腕時計でしょうね[些事風](2016/11/15 13:03)
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[35651] oneirus_0d01
Name: 些事風◆8507efb8 ID:2703359e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/12/14 18:47

 このオネイロス編はペルソナQ記念の断章で、
 本編と「あまり」関係のない独立した中編です。
 各章の終わりくらいに挿入される予定です。





 そこで気がついてから、あるひとつの結論に達するまでに、彼はたっぷり三十分ほどの時間を要した。
 落とされた。
 なにをどう考えても結局この考えに戻って来る。堂々めぐりを繰り返すたび焦燥は募る。焦燥はじき恐怖を伴い始める。恐怖は刻々といや増す。彼は怖いのがイヤで別のことを考えようとして果たさず、あくせくと恐怖の虫にえさをやっていた。なぜこんなことに? 不思議なことにこう自問してみても、その経緯も、自分がいつ学生服に着替えたのかさえ、まったく思い出せない。
 目下、悠はただひとり、見たこともないどこかの建物の中にいた。
 いや、建物というよりなんとなくトンネルの中にいるような、地下深くに埋められているような、重苦しい感じがする。窓のたぐいのいっさい見当たらないのがそういう印象を懐かせるのだろうが、どこか坑道のようなところに自分はいるのではないかと悠は推量していた。
 彼の前後には幅、高さともに七、八メートルもあろうかという、ひろびろとした隧道が開けている。床と壁とに隙間なくびっしりと、表面を粗く均した積石を廻らしてあるのと、天井の尖頭アーチみたいになっているのが、ぼうっとした灯りの中に認められる。壁に等間隔に穿たれた壁龕に大量の、火のついた太い蝋燭が備え付けられているおかげで、視界は存外良好であった。代償としてこの古代の堂めいた、不気味な雰囲気もまたついて回るのではあるが。
 仄揺れる無数の蝋燭の灯りに照らされる、という視覚効果を抜きにしても、この組積造の隧道は非常に古いもののように見られる。経年の染みと埃とに彩られた、それこそ千年を人目に触れず閲したとでも言えようほどの、眺めているとなんとなく不安になってくるような。そう、じっと見詰めていると染みが無数の、ひとの顔に見えてくるような……
 地下墓所――悠の脳裡に最悪のイメージが浮かぶ。
 そこが堂であれ墓であれ、隧道は残念なことにどうやら巨大である。行けども行けども曲がり角や勾配や浅い階段を経るだけで、どこかへ辿り着く気配はない。部屋のひとつさえ見当たらない。そして悠はそれを納得ゆくまで試みるより先に、べつのもっと深刻な障害を先に見つけてしまっていた。
 シャドウがいたのだ。
 いくつあるのか数えるのを止めて、少し経ったあとの、十数個目くらいにはなるはずのある曲がり角を折れたところで、悠は阻まれたように立ち竦んだ。それはとつぜん目に飛び込んできた。四匹――悠はただちに後ろ歩きで取って返して、角の壁に張りついた。荒い息を吐いた。あの個体は見覚えがあった。お面みたいな単純な顔の、五、六本も腕の生えた、汚泥の塊のようなやつ。小型だがはしっこくて恐れ知らずで、巨大なペルソナにもどんどん突っ掛かってくる……
 つまりここはテレビの中の世界なのだ! しかしテレビのパネルを潜った覚えはない。ではなぜこんなことに、と心の裡に問うまでもなく、先の雪子の体験談が無慈悲な現実を示していた。すなわち、
「おれ、落とされたんだ。犯人に……」
 あるいは夢ではないかと腿を抓ってみる。以前にも同じことをしたものだが、無論これは愚かな試みだった。夢の中で夢の夢たるを立証する手段のない以上、現実として捉えるよりほかないのだ。
 そうだ、現実を見ろ! 悠は壁に背を預けて、両手に爪を立てて握りしめて、その震えるのを抑えようと懸命に深呼吸を繰り返した。隣で陽介たちが一騒ぎしてくれればたやすく湧いてくるはずの勇気も、いまは在庫が払底しているようでなかなか集まって来ない。しかし悠長に入荷を待ってもいられない。
堪え忍べテトラティ・デーわが心よクラディエー! これよりもっと危ない橋だっておまえは渡ってきたはずだ……」
 あんな雑魚の四匹くらいがなんだ。おれはひとりでもやれる――悠は意を決して懐のタロットカードを抜き出した。
 犯人が彼のペルソナ能力を知って、その上でテレビの中に落としたかどうかはわからない。しかし知らずに無作為に選んだのがよりによって悠だったというよりは、犯行を邪魔だてし始めた生意気な「敵」を排除しようとした――どのようにして悠がそうであると知り得たのかは不明だが――と考えたほうがより辻褄は合うだろう。あるいはいつか自分も、と考えたことがないではなかったが、それは意外にもかなり早かったようだ。
(おれのシャドウは来ない、はずだ、たぶん)悠は少なくともこの世界において、自らのシャドウに襲われる心配だけはないはずだった。(問題はいま見たような怪物のほうだ。四匹……鳴上流でやれない数じゃない)
 件の曲がり角に躙り寄ってそっと通路を窺ってみる。いる。なにかに群がるようにしてひとつところに集まったまま、四匹ともときどき身震いするくらいでどこかへ行こうとする気配はない。戦わずに引き返すか? いや、引き返して新手と遭遇して、さてそいつらとやり合おうというときに背後から襲撃されても困る。見つけたなら、そしてそれが可能ならただちに排除しなければならない。彼我の距離からいって角に隠れたままペルソナを使うことはできない。奴らの目にこの身体を晒す危険を冒すのは避けられない。生身のほうが襲われる前に、すばやく四匹を倒さなければ……
「クマ、頼むよ、早く見つけてくれよ……!」
 と、悠は願掛けのように囁いた。唯一の希望はクマだ。彼ならすでに悠が、少なくともだれか「人間」がこの世界に入って来てしまったことを察知しているはず。陽介たちも悠が行方不明になったことを知っているか、ほどなく知ることになるだろう。両者が情報交換すれば必ず悠の現在の苦況に思い当たって、救出に駆けつけてくれるに違いない。悠はその間シャドウどもを避けつつ、倒しつつ、生き延びなければならない。
 彼は忍び足で曲がり角を出た。ペルソナが生身の身体から離れられる限界距離はせいぜい五十メートル程度、近づきすぎても離れすぎてもいけない。背後に巨大な存在感が出現した。全ての感覚がふたつになって、脳味噌を荒縄で締め上げているかのようなストレスが湧き上がってくる。
(くそっ、気付かれた!)
 それまでみな後ろを向いて――あのお面が顔だとしたらだが――いた四匹が、ペルソナの現れるや否や同時にこちらを向いた。どうもなにか特別な感覚でペルソナの存在を察知できるらしい。奇襲は失敗だ。
(囲まれたら終わりだ、先に仕掛けなければ!)
 ペルソナが悠を追い抜いて、矛を振り上げて猛然と突進する。先方もそれを座視してはいない。塊になって突っ込んでくるシャドウどもの姿が、見晴らしのいいペルソナの視界に映った。横ざまの片手打ちが先駆けの一匹を斬り倒す。その余勢を駆って二匹目を鷲掴みにする。それを握り潰すと同時に、ペルソナは三匹目の体当たりを食ってあおのけに転倒した。この隙を突いて四匹目が飛び上がって、巨人の顔めがけて降ってくる。
 悠は安堵の息を吐いた。生身の悠に向かって来さえしなければ、小型シャドウの攻撃などいくら食らったところで恐れるに足らない。四匹目はペルソナの強烈な頭突きを食らって天井まで吹っ飛んだ。そうして地面にぐしゃっと落ちたきり、二度とは動かなかった。残るはあと一匹――
「あれ……」
 次はおまえだ、とばかり、ペルソナが立ち上がってふたたび矛を構える暇に、シャドウの生き残りは恐れをなしたか一目散に逃げて行ってしまった。――終わってみればいかにもあっけない。案ずるよりなんとやら、というやつだ。いかに悠ひとりの、それも不安定な鳴上流ペルソナとはいえ、やはり小物の四匹や五匹などは相手にもならないのだ。彼は忘れかけていた自信を思い出して少しく気をよくした。
「相手が悪かったな。おれをどうこうしたいならこの百倍は連れて来なきゃな」
 勝ち誇った勝利宣言が隧道にこだまする。これはさすがにちょっと小物っぽかっただろうか? ここは勝者の余裕と反省とを滲ませて「獅子は兎を撃つに全力を用う。手加減はできないのだ、悪く思うな」とでも言うべきだったかもしれない。つぎ同じことがあったときのためにちゃんと考えておかなければ――
 ふと、悠は床のある一点に目を留めた。
(なんだ? なにか……)
 ペルソナを消して駆け寄ってみると、果たしてなにか落ちている。そうといえば、そのあたりは先のシャドウどもが群がっていたところではなかっただろうか。ブロックと蝋燭以外のものを見るのはここへ落とされてから初めてのことだった。
「……ワッペン?」
 拾い上げたそれには曲がった安全ピンがぶら下がっている。厚手の円い、少しく光沢のあるウールシルク様の布でできた、ワッペンというよりはバッジの類である。外周を廻る赤地の帯に、
『GEKKOUKAN PRIVATE HIGH SCHOOL Since 1982』
 とあって、それの囲む黄色いふちの内側の、白黒の市松模様の中をぐるりと、
『MELIUS EST PAR CONCORS QUAM PERFECTOR UNUS』
 こんな文字が刺繍してある。
(ゲッコウカン、私立、高校?)
 どうもどこかの学校の校章らしい。あるいは過去にここでシャドウの餌食となった、不運な学生の遺品であろうか。
(ゲッコーカン、聞いたことないな。なんか醤油とか造ってそうな……)壁に寄って蝋燭の明かりに照らして見る。(内側のはモットー? 醤油造りの秘訣……じゃあないよな)
「メリウス・エスト・パ――」
「動かないで」
 突然、女の声が悠の呟きを遮った。動くなもなにも、彼は驚きに打たれて身じろぎもできない。
「そのままっ」
「……動くと、具体的に、どうなる?」
 悠は壁を向いたまま、辛うじてこう質してみた。女の返答は「動くと、具体的には、矢が刺さるかも」である。
「矢……って」
「いま弓矢で狙ってる。動かないで!」
 と、女の声が繰り返した。次いでパタパタと足音が近づいて来て、悠の背後十メートルくらいの位置で止まる。
「ゆっくり、こっちを向いて」
 彼は言われたとおりにした。さて視界の外から現れたのは、
(なんというか、場違いな……)
 美少女である。と評せば、まず百人中九十五人は賛意を示すだろう。余ったへそ曲がりの五人でさえ、彼女が悠とそれほど変わらない年ごろであろう、ということには異論を差し挟むまい。こんなところには場違いな若く美しい女が、場所にも持ち主にもまったくそぐわない、ちょっと機械仕掛けのようにも見える禍々しい弓を引き絞ってそこに立っていた。
 癖毛ぎみの茶色いミディアムヘアが揺れる。こころもち斜にした色白の細面に、大きな、目尻のやや上がったアーモンド型の目が悠を睨んで光っている。細くとがった鼻梁の下の、色の淡い花唇が小さく、
「ショウカンキなしでペルソナを……」
 と、忌々しげに呟いた。悠は目を疑うのを中断してただちに耳のほうへ取りかかった。
「ちょっと待って、いま、ペルソナって言った?」
 少女は答えない。彼女は矢を番えたまま悠を軸にして、値踏みするようにジロジロと彼を観察し始めた。
(この子いったい……でも確かにペルソナって、言ったよな)
 もういちど同じように質してみても応答はない。業を煮やして近づこうとすると「ホントに射るよ!」と威嚇される。仕方ないのでせめてもの抗議がわり、悠も彼女に倣って露骨にジロジロをやり返した。目が合うと明確な敵意を籠めて睨み付けてくる。どう考えても間違いなくこの少女とは初対面である。だのに、見知らぬはずの自分に対して彼女はなぜこのように刺々しい態度を取るのだろう。
(ナントカなしにペルソナを、って言ってたな。じゃあ、おれがペルソナを出すところを見てたんだ、この子……)
 いったい、少女はいろいろな意味で派手な恰好をしていた。こげ茶色のローファー、黒いソックス、このあたりはべつに普通であるが、同色のミニスカートあたりからその範疇を逸脱し始める。脇に矢筒がぶら下がっているのだ。魅惑的なアウトラインをタイトに包む、ピンクのニットカーディガンの上には黒い胸当て。その半ばを覆う赤い巨大なリボンタイ。左腕にはこれまた赤い腕章と籠手。衿の開いたシャツののど元に垣間見える、白いハート形のチョーカー。そして半身にして構えられた弓――その少女は奇妙なコスプレ感に満ちあふれていた。なまじ容色のすぐれているのが余計にその奇態ぶりを際立たせている。
 この女ロビン・フッドの服飾センスについてこのさい言及はすまい。おそらく彼女は学生、それも悠と同じ高校生くらいだろう。そして世にも珍らかなことに彼と同じく、かのペルソナの存在を認知している……
(……待てよ、こいつって)
 まさか――悠は自分のひらめきに戦慄した。
(ペルソナを知っている人間が、ペルソナを使える人間に会ったとしたら、驚くなり喜ぶなり事情を質すなりするはずだ。でもこの子は? この子はそのどれもしないばかりか、敵意も露わに忌々しげなひと言を漏らした。それきり呼びかけにも答えようとしないで、おれを弓矢で恫喝しながら用心深く様子を覗ってる……まるで敵に対してするように)
 ひょっとしてこの少女は犯人か、少なくともその仲間なのではないか?
(世間には年少の犯罪者だってごまんといるんだ、その中には人殺しだって。若さも見てくれも反証の材料にはならない! 思い出せ、ニュースでは犯人が複数人の年少者である可能性を指摘していた。この世界の事情を考慮にいれない推測には違いないけど、おれも似たようなことを考えてたはずだ。全員ではないにせよ、犯人たちの中にはこいつみたいな子供がいるんだ。だから警戒されにくい、だから素早く誘拐することができる……)
 少女がにわかに弓を下ろして、たぶんずっと痒いのを我慢していたのだろう、大急ぎであたまを掻いたあと、すぐまた大急ぎで悠に向けて矢を番え直した。見ているぶんにはなんともあどけない仕草である。こんな愛らしい少女が人殺しの一味であるなどとにわかには信じがたいが。
(もし、こいつが犯人に落とされたのでないなら、このテレビの中の世界へ自由に出入りできるなら、おれと同じようなペルソナ能力を、テレビを潜るためのパスを持っているはず)
 そしてこの少女はまず間違いなく「落とされた人間」ではない。その言動と悠に対する態度とからでも明らかであるし、彼に向けられたかの禍々しい弓矢もまたそれを証明している。彼女の手にあるのはどう見てもスポーツで使われるような代物ではない。ふつうの女学生にこんな物騒なものを所有する正当な理由などあるはずもなし、あったとしてよりによってそれを持って――かつ、矢筒と防具とを着けて――いるときを犯人が狙った、などということがありえるとは思われない。
 では無辜の被害者ではないとして、それを救援に来た忍者側の人間である可能性は? これはゼロどころかマイナスと言ってもいい。当の被害者たる悠に手を差し伸べるどころか、武器を向けて恫喝している時点でゼロである。それに件の忍者であるなら雪子に与えたようなリュックサック――と、せめてあるていど友好的な態度――のひとつも携行しているはずだ。
 つまり、この少女は正当ではない理由によってその人殺し道具を所有し、そのためにそれを用意したところのテレビの中の世界へ、自らの意志で入ってきたのである。弓矢はシャドウどもに対する自衛の一手段としてか、いま悠にしているように『落とされた人間』を恫喝――あるいは始末――するためか、その両方のために持ち出されたのだろう。そして彼女はペルソナを知っているだけではない、まず確実にその力を有している。
 獲物をどうこうしてやろうと思ってか、それとも誰かに命じられてか、彼女はこの世界に入ってきた。しかし彼女の餌食になるはずの少年はなんと、彼女のよく知る侮れぬ力を持っていた! 忌々しい、しかし油断はならぬ――こんなところだろう。してみると、犯人が悠を落としたのはただの偶然で、彼を自らの妨害者たる「自称特別捜査隊」のひとりと承知でそうしたのではない、ということになるのだろうか。
 いずれにせよ、悠はこの土壇場で犯人の正体か、少なくともそれに繋がる重要な糸口を掴んだらしい――同時に自らの玉の緒を掴まれてもいたが。
「……それ、制服だよね、なんでステッチ出てるの? なんか裏返して着てるみたい。どこの学校? 初めて見るけど」
 ようやく少女がジロジロをやめて、しかし弓矢はなおも構えたまま、呟くようにしてそう言った。探りを入れているつもりなのだろうが、よりによってこのド派手リボンつきミニスカピンク女に服装についてとやかく言われるとは思わなかった。おおかたこちらのことを心中で「ステッチ出太郎」とでもあだ名づけしているのだろう。このミニスカピンクめ――悠の愛校心は燃え上がった。
「ゲッコーカン私立高校。醸造科で醤油造ってる」
 と、悠は無愛想に答えた。八十神高校とその学生服――彼女の言及したとおり装飾ステッチの映える、少しく特徴的なデザインではある――を先方が知らないのは少しく意外だったが、そうであれば本当のことは言わないほうがいいに決まっている。
「ゲッコーカンって……それ、なに、騙してるつもり?」ミニスカピンクの面に嘲りのような色が浮かんだ。「てか、月光館学園って普通科だし、醸造科なんてないし、そんな仮縫い中みたいな制服じゃないし」
(仮縫い中……)
「ゲッコーカン高校を知ってるのか、あんた」
「月光館、学園。私立月光館学園、よおく知ってるわよ。なんたってわたしそこの生徒だし」
(ゲッコウカン学園、犯人の一味が在籍する学校……ここから出られたら調べてみなければ)
 ちょっと水を向ければたやすく自らの正体を明かし始める。どうやらこのミニスカピンク、それほど手強い相手というわけでもないらしい。人殺しに関わっているというわりには見た目どおりの、ただ容姿の整っているというばかりの、そのへんの女子高生とそう変わりはなさそうな印象だ。いや、こういう人間こそ得てして悪の道に走るのだろう。悪党がみな慎重かつ狡猾であるとは限らない。
「なあ、それってどこに――」
「動かないで!」
 悠が話しかけながら数歩も歩み寄ったとたん、ミニスカピンクはパッと飛び退ってふたたび先の警告を発した。鏃は悠の胸の辺りを捉えたままだ。前言撤回、話すほうはともかくとして、こちらのほうはちょっと場馴れている感さえある。射られずにペルソナで無力化できる距離まで近づくのは難しいようだ。が、
「動かないで、はもうわかったよ。それで、じゃあおれはいつまでこうしてればいい。それともなにか別に用でも?」
 と、悠は静かに訊いた。どうも先方に積極的に危害を加える意図はないようだ。もし射殺すつもりなら話しかける前にそうしているだろうし、悠長に着ている制服をあれこれ難じたりなどしないだろう。おそらく弓矢を向けるのはペルソナ能力の牽制を意図しているのであって、ミニスカピンクはなにか目的があって彼に話しかけたのだ。
「用がないなら行くけど」
「あんた、いつ、どうやって、ここに入ってきた?」
 と、ようやくミニスカピンクが訊いた。その面から敵意がいくぶん薄らいで、代わってなにか縋るような色が見え始める。
「……いま、なんて?」と、悠はふたたび耳を疑った。
「どうやってここに来たのかって、訊いてるの」
「どの口が言うんだおい……どうやって、ここに、入ってきただってェ? まさか知らないなんて言うんじゃないだろうなあんた!」悠は困惑した――と同時に怒った。「へえっ、知らない? 知らないならじゃあ教えてやる、あんたのお仲間のおかげでここへ来たんだおれは! このテレビの中の世界にっ!」
「お仲間って……テレビの中の世界ィ?」今度はミニスカピンクが困惑する番である。「なによそれ、てかなんでテレビが出てくんのよ。ここはタルタロスでしょ」
「タルタロスって……なんだ、それ。タルタロス?」
「ここのこと。――知ってるくせに、よりによってあんたたちがそれを訊く? 知らないはずないでしょ」
(あんたたち? 知らないはずがない? ってことはこいつ……おれが自分たちの悪事を妨害してる人間だって知ってるのか?)悠はつかのま怒りを収めて、ふたたび困惑し始めた。(じゃあこいつ、なんでおれがペルソナ能力を持ってることを知らなかったんだ? いや、さっき知ったあと見当をつけたのか? ナントカなしでとか言ってたな、そっちのほうを驚いてたのか……?)
「まあ、あんたたちはそうは呼んでなかったんだっけ。どうでもいいけど」と言って、ミニスカピンクはフンと鼻で嗤った。「お仲間のおかげってことは、じゃあ先輩たちにケンカふっかけて、負けたんだ、あんた。とりあえずご愁傷さまって言っとく」
「……先輩、たち? 先輩?」
「なによ、初めて聞いたみたいなフリして」
 先輩たち――悠は勃然としてふたたび怒りに駆られた。ということはひょっとすると主犯格でさえ、彼女とそれほど歳の離れているわけではないのかもしれないのだ! いったい彼らは人殺しを課外活動かなにかとでも思っているのか? では山野アナも早紀も、あたら若い命と将来とをまさか遊び半分に奪われたとでもいうのだろうか。
 あわれな陽介。こんなやつらの手慰みに思いびとを殺されたのだと知ったら、彼はいったいなんと言って世を呪うことだろう。恐るべし月光館学園、卑しきかな痴愚の学舎。背徳の巷、邪智の港、悪の巣窟にとぐろを巻くひとの皮をかぶったけだものども!
 ケンカをふっかけて負けた? いいや、自称特別捜査隊はまだ負けてなどいない!
「タルタロスねえ……冥府タルタロスか、なるほど」いかにも、彼女らが面白半分にひとを落としている先は冥府あの世だ。悠は精一杯の嘲りをこめて鼻で嗤い返した。「うまいこと言ってるつもりなんだろうな、おまえら」
「知らないわよ。言いだしたのわたしじゃないし」
「下っ端ってわけだ。まあ、そうだろうとは思ってたけど、それで? 冥府の使いがおれになんの用なんだ。聞くだけは聞いてやる」
「だからどうやってここに来たのかって訊いてるでしょ」
「……あのさ、よし、じゃあさ、あんたが歩いてたとするだろ。どこかの道を歩いてたとする」眦がピクピク痙攣する。「いきなり誰かに背後から刺されて、病院に担ぎ込まれて、なんとか一命を取り留めたとしよう。そこへある女がベッドの枕元へやってきて、実はおまえを刺したのは自分で、しかも四人目なんだって告白したあとさ、こう訊いたら、あんたいったいどう思う? おまえ、どうやってここに来たんだって」
「わからないならそう言いなよ。ごちゃごちゃ言ってないで」
「こっ……!」
「わかるの? わからないの? どっち?」
 悠はしばらく歯ぎしりして黙っていたが、結局「わかってたらさっさと帰ってる。誰がこんなところにいるもんか」と吐き捨てるように言った。
「……そう」
 ザマを見ろ、とでも言うかと思われたミニスカピンクは、しかしにわかに顔を曇らせると黙り込んでしまった。俯いた面に失望が見え隠れする。
「なんだよ、あんまり嬉しそうじゃないな」
「わたしも、だし……」
 驚いたことに、彼女はため息まじりにこう宣ったのである。悠はみたび困惑した。
「あんたが? どうやってここに来たか、わからない?」
「んん」
「なんで」
「……わかってたらさっさとなんとかしてるわよ。誰がこんなとこいるもんですか」
「…………」
(こいつ、ひょっとして、こいつの言う先輩たちに『始末』されたんじゃないか……?)
 ありえない話でもなかろう。偏見、迷執、讒誣、欺瞞、不寛容――かの伏魔殿に通学する快楽殺人者どもなら、このくらいの美徳はもれなく備えていようというものだ。きっとこのミニスカピンクの「先輩」たちはその持ち前の美徳を大いに発揮して、やれ言動が気に入らないとか、態度が悪いとか、服装が派手でスカートが短いとか、そういった下らない理由を論ったあげく、恥知らずにも悠に続く「五人目」に自分たちの仲間を選出するという妄挙に出たのだろう。この世界に落として放っておけば手も汚れないし、自分たちの悪行を誰に口外されることもない。まことにお手軽な口封じと言える。
「ああ、見捨てられたんだな」同情心は湧いてこなかった。因果応報、ザマを見ろ、というやつだ。「とりあえずご愁傷さまって言っとく」
「見捨てられてなんかないっ!」と、ミニスカピンクが爆発した。「ちゃんと探してくれてる、ぜったい! 時間はかかるかもしれないけど、きっと助けに来てくれる……」
(こっちこそそうだ。クマと陽介たちが必ず助けに来てくれる……あともう少ししたら、たぶん)
 ふたりはしばらく無言で睨み合っていたが、じきミニスカピンクのほうが視線を外して、気を落ち着けるようにして静かに息を吐いたあと、
「ねえ、提案があるんだけど」
 と言った。意外にもその面と声音に敵意の色は薄い。
「聞く気、ある?」
「……おれも誰かに提案をもちかけるときは、今度から弓矢を構えた上でそうするよ。そうすりゃ断るやつなんかいないだろう」
「一時、休戦しよう」ミニスカピンクは気まずげに弓矢を下ろした。「っていうか、こんな状況で争ってなんかいられないでしょ? お互い。いまはひとまず協力すべきだと思うんだけど」
「勝手な言い草だ。そっちから始めておいて困ったら休戦しよう? そもそも誰のせいでこんなことになってると思ってるんだ。よくもそんなことが言えたもんだ」
「……なんか、あんたたちみたいなのを盗人たけだけしいって言うのよね。自業自得ってコトバ知ってる?」
「自業自得だって!」この女にだけは言われたくない科白である。「まず辞書ひいて記憶違いを訂正してから訊けよ、自業自得だって? 自分たちの悪事を妨害された報復に邪魔者を陥れて『自業自得だろ?』ときたか。まったく恐れ入るね。あっぱれな悪党っぷりだ」
「はあ? 悪事ィ? 悪事を妨害って――ああ、どうせまた選ばれた者だとか力がなくなるとか、メッチャクチャなこと言い出すんでしょ? あんたたちストレガってやっぱりどこかおかしい」
 ストレガ。たぶん彼らは邪魔者たる悠たち「自称特別捜査隊」にそういうルビを振って悦に浸っているのだろう。タルタロスの次はストレガ! いったい彼らはなんでも横文字にすればおしゃれだとでも思っているのだろうか。
「おかしいヤツにおかしいって言われるのは名誉なことだ。あんたとこの名誉を共有する準備もあるよ、うれしいだろ」悠は憤然とミニスカピンクへ詰め寄った。「それで、じゃあおれたちストレガはあんたたちをなんて呼べばいい? ヒトゴロシガ?」
「なに、それ。ヒトゴロシ……?」
「それともその腕章に書いてあるのがそう?」彼女の左腕の腕章には見える範囲で「S・E」とある。「なんて名乗ろうが勝手だけど、マーダラーのMはとうぜん入ってるんだろうな」
「さっきからなに言ってんの? マーダラーって」
「人殺しって意味だ。おまえらはもうふたり殺してる、お似合いだろ」
「あれは……じゃあ、やっぱり……」ミニスカピンクの顔がたちまち悲しみに翳った。「でも、だって、仕方なかったとしか言いようがない! わたしに責任なんかないって言ったら、それはきっとウソになるけど、じゃあほかにどうしようがあったって言うの? あんたはあの場にいなかったから……」
 おや、と、悠は胸中で訝った。意外な反応である。
(これは……そんなに単純な話ってわけでもないのか?)
 どうやらこのミニスカピンク、前二件の殺人を悔いているらしい。どころか、どうも彼女は直接手を下していないか、あるいは命じられて仕方なくそうしたような、そんな気配さえある。言葉も態度ももちろん、それらしく繕おうと思えばそうできないものでもないが、この吐露はともすると彼女がこの世界に落とされるに至った経緯と無関係ではないのかもしれない。
(こいつは最初から殺人に反対だったか、少なくとも乗り気ではなかったんじゃないか?)
 彼女はそういった態度を「先輩たち」に危ぶまれて、そのゆえに始末されたのでは? 悠の中の敵愾心は少しく鳴りをひそめた。だから無罪放免というわけではないが、もしそうなら情状酌量の余地くらいは残してやってもいいだろう。
「……ひとつ訊きたい。イエスかノーかで答えて」
 ややあって、悠はぽつんと切り出した。
「え?」
「イエスかノーかだ、ほかの能書きはいい」
 と前置いて、悠はどんな嘘も見逃すまいと見据えながら「あんたはふたりを直接、その手にかけたのか」と静かに訊いた。
「…………」
「正直に。返答如何で提案を呑むかどうか決める」
「……それ、意味あるの? わたしがなんて言ったって、あんたは信じたいように信じるだけでしょ」
「イエスか、ノーか」
「ノー」ミニスカピンクは即答した。「ウソはつけない。ついたってつかなくたって結果が変わらないんなら、つかない」
「ノーか」
「じっさいはノーどころじゃない、あのふたりは――!」
「能書きはいいって言った」悠はぴしゃりと遮った。「あんたの言いたいことはだいたいわかる。おれはあんたがそうと考えてるよりは、ずっと知ってる人間だ」
「……ホントにィ?」
「おれは確かに現場に居合わせてはいないけど、あんたのいまの境遇と言葉と態度から、おおよその事情は推察できる」悠はこころもち胸を張った。「わかった、提案を受け入れる。救助が来るまでは協力しよう」
「それは、よかったけど」ふとミニスカピンクが言い淀んだ。「……ところであんた、チドリって子、知ってる?」
「誰? チドリ?」
「あ、知らないんだ……いや、いい」と、彼女は早々に打ち切って続ける。「先に言っとくけど、助けが来たら、あんたはたぶん捕まる。酷いことはされないと思うけど、あんたの仲間のところへは帰れなくなる、と思う。あんたたちがあと何人いるかしらないけど」
「こっちも先に言っとく。おれの仲間が救助に来たら、あんたのほうこそ捕まる」捕まえたあとどうするかはそのとき考えよう。「ふたりを手にかけてないのが本当なら、酷いことはしない……と思う。たぶん」
「わかった、それでいい」
「よし。じゃあしばらくは、お互いの遺恨を忘れよう」
「うん。で、さ……」
 ミニスカピンクが居心地悪そうにもじもじし始めた。
「なに?」
「えっと、なんていうの? 名前」ちらと指をさしながら、「ほら、呼びようがないし。まだ聞いてなかったよね」
「名前」
「名前。こっちで勝手につけていいって言うなら好きに呼ぶけど。ステッチ出太郎とか?」
「じゃあおれもミニスカピンクって呼ぶけど」
「……あだ名はやめよう。名前、名前おしえて」
「諸岡」と、悠はとっさに偽名を名乗った。「諸岡、陽介」
「鳥海」と名乗り返すと、ミニスカピンクはぎこちなく手を差し出した。「ええっと……うん、鳥海です」
「鳥海、じゃあ、短い間だとは思うけど」
 悠はその手を軽く握って、申し訳ていど上下に振った。
「一時休戦、ってことで。よろしく諸岡」
 握手が終わると鳥海はすぐさま手を引っ込めた。






 ふと思い立って、悠は先に拾ったバッジをポケットから取り出した。
(ゲッコウカン学園、ってことは)
「鳥海」
 と呼びかけると、少し前を歩いていた少女が怪訝そうな顔で振り返る。
「これって、ひょっとして鳥海の?」
「……え? あっ、あれ」
 件のバッジを示すと案の定、彼女は立ち止まって慌てた様子で自らの身体を検め始めた。やはり落とし主は鳥海らしい。
「わたしのだそれ。いつ外れたんだろ……あ、さっき拾ってたのって、これ?」
「そう」鳥海にバッジを手渡しながら続けて、「その内側のって、スクールモットー?」
 と、搦め手から探りを入れてみる。目下いっときの協力関係にある鳥海だが、いつ隙を見てどこかへ行ってしまわないとも限らない。いまのうちに引き出せるだけ情報を引き出しておきたいところだ。
「え? なに、スクールモットーって」
「スクールモットーっていうのは、なんていうか……標語みたいなもの? 学校固有の。大学とかはけっこう設定してたりするもんだけど」
「……かな。じゃない? 読めないけど」
「ゲッコウカン学園って、ミッションスクール?」
「ミッションスクールって、なに?」
「キリスト教系の学校。ラテン語だったから」
「ラテン語……?」
「キリスト教圏、というか、主にカトリックの伝統的公用語。ちょっとコヘレトの引用っぽかったし、ゲッコウカン学園って――」
「ちょっ、ストップ待った」鳥海が手のひらを突き出して胸を張った。「つぎヨコモジが出てきたらスネを蹴ります」
「…………」
「……その、なんだろ、キリスト教とかそういう、アヤシイのとは関係ないと思うよ。フツーの……フツーじゃないけど、なんか……フツーの学校だよ」
 やけに歯切れの悪い物言いである。
「あ、小中高一貫だから、かなり大きいかな。ていうか」鳥海は思い出したように目を瞠った。「諸岡ってほんとに月光館学園しらないの?」
「知らない。それってどこにある?」
 いい流れである。話を振ってみたのもこれが知りたかったからなのだが、どうやら向こうから進んで話してくれそうだ。アジトの所在地さえ押さえてしまえば、あるいは元の世界での動きようもあるというもの。
「どこにあるって……いや、ポートアイランドに建ってるでしょ、デーンって」
 なぜか鳥海は不審げである。
「ポートアイランド、って?」
「辰巳ポートアイランド、も、知らないわけ?」彼女の眉根の皺が深くなる。「なんか勘違いしてない? 港区に住んでるなら知らないワケないと思うんだけど」
「タツミ……港区……港区ゥ?」
「港区巌戸台」
「ええと、その港区巌戸台って、つまりその、なに県?」
「……それ、本気で言ってる?」鳥海は不審もいよいよ極まったといった面持ちである。「この国の首都だよ、東京都」
「とっ、東京都ォッ?」悠は驚愕のあまり喚いた。「ちょっと待て、いま東京って言ったか!」
「言ったけど。なんかそんなに驚かれることじたい驚きなんだけど……」
 思ってもみなかった場所だ。テレビの中の世界が八十稲羽にだけ繋がっているという保証はない、と考えるだけは考えていたものの、まさかそんなところから入ってきているとは……
「えーと、ちなみにこの国が日本って知ったら驚く?」
(それじゃあ、こいつら、どうやって稲羽市に住む犠牲者をこっちに落としたんだ?)
 悠は壁を向いて俯いて、両手を腰にやって「考え中」のポーズを取った。
「ちょっと。諸岡ってば」
 奇妙である。もし稲羽市へ獲物を探しに来ているというのなら、犯人たちはそのたびテレビの中の世界――彼らの言うところのタルタロス――を潜っているということになる。
 一般の交通機関でそうしている、というのは非常に考えにくいだろう。鳥海の「先輩たち」ということであれば、犯人はほぼ高校生と見て間違いない。その手元不如意かつ学業も無視できない身分の彼らが、稲羽ほどの遠くへ毎度まいど時間と金とを費やしてやってくるというのはいかにもおかしいし、そもそも稲羽でなければならない説明もつかない。無作為に選んだのがたまたま稲羽であったのだとしても、そこを「狩場」にし続ける理由にはなるまい。一カ所に狙いを絞っていれば足のつく危険は高くなっていくのだから、二人目以降は別のところで探しそうなものだ。
「ねえってば。ていうかあんたたちストレガってそもそもどこに住んでるの?」
 かといって、あらかじめ稲羽市在住の、山野アナから悠までの犠牲者四人をターゲットにしていた、というのもありそうにない話だ。よりによってそんなに遠くに住む、これといって共通点もない四人に面識があり、かつこの四者に前述の代償を支払ってでも全うしたいほどの殺意を抱く、東京都港区巌戸台在住の高校生――こんな人間が存在するとはとても思われない。女性陣の事情はさておき、なにより悠自身に思い当たるフシなどまったくないのだから。
「諸岡? 諸岡ー? もしもーし……」
 彼らはほぼ間違いなく犠牲者を無差別に選んでいる。女性の比率の大きいのが気になると言えば気になるが、犯人にそうさせるような嗜好があるにせよ、べつに地元の巌戸台で探しようのないこともあるまい。電車に乗って遠出するにしたって二十三区のどこでもよいはずである。テレビの中に入って迷い、たまたま見つけた出口が稲羽へ通じていた、とでも考えるほうががまだしも無理はない。
「こら諸岡ムシするな。返事しなさい」
「うるさい」
 もちろん、無理はないというのはあくまで比較的というに過ぎない。テレビの中ルートもじゅうぶんすぎるほどに無理の目白押しだ。いちど入ったら最後、どこに出るかもわからない、出てくることさえ叶わないこの世界に一か八かでエイヤと飛び込んで、そうそう都合よく稲羽へ通じる出口など見つけられようものなのだろうか。仮に見つけることができたとしても、それだけで稲羽を「狩場」とする理由にはなるまい。あえて「べつに誰であってもいい人」を探すためだけに、この世界を往復するたびシャドウどもに襲われるという巨大なリスクを乗り越えて、彼らは稲羽くんだりまではるばるやって来るというのか? そして誰の目にも明らかな「よそ者」が、見知らぬ土地で見知らぬひとを、どこにあるかもわからない、それも人払い済みのテレビまでおびき寄せて、言葉巧みに隙を誘って千載一遇好機到来、さあ覚悟せよと背後へ忍び寄る……?
 ありえない。
「ちょっ、諸岡ってば!」
 そもそも犯人たちがテレビの中へ入っているのなら、クマがそれを感知しないはずはないのだ。が、彼はそれらしいことを言うでもなし、会ったばかりのときも団体は悠たちが初めてだなどと――
「諸岡バカこっち向けこのっ!」鳥海がいきなり掴み掛かってきて、悠の肩をガクガクと揺すぶった。「考えごとしてるばあいじゃないっての前みなさい!」
「ちょ、なにする!」
「前! シャドウ!」
 ぎょっと鳥海が指すほうを見ると、なんと先に追い払ったタイプと同様のシャドウが奥の曲がり角から一体、例のお面みたいな顔をそろりと覗かせている。あるいは先に逃げ去った個体であろうか、悠が見つけてくれるのを待っていたかのような機で、それは角からゆるゆると這い出て来た。一体――ではない、全部で三体。
「くそっ、鳥海さがれ!」と言って悠が前に出ると、
「そっちこそ下がって!」鳥海も負けじと隣に並ぶ。
「この距離ならやれる、小物三体くらいならペルソナはいらない」
 腰の矢筒から一矢を抜き取りながら、彼女は口の端を上げて自信を覗かせた。
「ペルソナ喚ぶのは消耗する、はずでしょ? あんたのも」
「にしたって、そんな原始的な武器で三体も――」
「まあ見てなさい」
 と言って、鳥海が左腕の腕章に手をやった。プチッと小さな音がして、次いで携帯電話のバイブレーションのような、ブーンという微かな震動音が鳴り始める。
「なにを……」
「わたしの近くから離れないで、ぜったい」
「シャドウが来たらその限りじゃないぞ!」
「あいつらは近づけない」
「はあ? なんで」
 それきり悠には取り合わず、彼女は手に持っていた禍々しい弓に矢を番えて、シャドウに向けて引き絞った。
(原始的、ではないか、少なくとも見た目は。なんかランボーが持ってそうな……)
 その弓は半ば以上が金属製の、ちょっと蜘蛛の脚のようにも見える幾何学的な形のもので、弓弭に当たる部分に滑車がひとつずつ設けられていた。そこに張られた弦は一本ではない。弓の真ん中あたりからなにか見慣れない棒のようなものが伸びているのは、狙いを付けるためのものなのだろうか。
「当たって……!」
 第一矢はよく狙ったうえで放たれた。バンと弦の空気を打つ音がした直後、先頭にいた一匹が狂ったようにのたうち始める。曲がった矢柄がくねるシャドウの身体から突き出ているのが見える。当たった――と悠の思う暇に、ふたたび響く弦打の音。
(こいつ、ちゃんと狙ってるのか?)
 仲間の射撃された瞬間から、シャドウたちの動きは一転して機敏になった。が、勢いづいて跳ね始めた二匹目も射手の腕前か幸運によるものか、見事な偏差射撃を食って床に転がる。あと一匹。
(外した!)
 三射目がむなしく空を切って突き当たりの壁を穿つ。鳥海の舌打ちと、矢筒から次の矢を抜くスパッという音が同時に聞こえる。言わぬことではない! 悠はただちにポケットからタロットを取り出した。巨人が現れるや否や悠の頭上を飛び越えて、ふたりとシャドウとのあいだに立ちはだかる。彼我の距離からいって四発目は間に合わない――
「あれ……」
 と、思われたのだが、シャドウはなぜかペルソナの攻撃圏内へ入るだいぶ前に急停止してしまった。巨人を恐れているのなら後ろへ退こうものだが、シャドウはなにか見えない壁があるみたいにして、悠たちから一定の距離を保ってただ右往左往するのである。
「言ったでしょ? こいつらは近づけないって」
 鳥海が四発目を射る前に、悠のペルソナの矛がシャドウをまっぷたつに切り裂いた。
「ショウカンキなしですぐ喚べるのって、ほんとズルいなあ」と、鳥海は妙に感心したように言った。射損ねた矢を仕舞いながら、「諸岡、矢、回収するの手伝って」
 悠を手招いてシャドウの死体のほうへ歩いていく。最後まで苦しみのたうっていた一匹目がようやく静かになる。ふたりがそこへ行くころには跡形もなく消えて、ただ刺さっていた矢だけが床に残った。
「鳥海、さっきの」
「え? あーやっちゃったあ」拾い上げた矢の先端を見て、鳥海はため息をついた。「ポイント潰れた……」
「どうしてシャドウが近づいてこないって、わかった」悠の拾ったほうも鏃が曲がってしまっている。「なんか阻まれたみたいになってたけど」
「これのおかげ。いま忌避剤を散布してます」鳥海が左腕の腕章をつついてそう言った。「あ、スイッチ切っとかなきゃ」
「忌避剤?」
「忌避剤」
「って……え、虫とか獣とか遠ざける、あれ?」
「そ。ムシとかケモノとか遠ざけるアレ」
「じゃあ、なに、タンスに入れる樟脳とか、そういうのでシャドウを追い払えるって?」
「これは銀だけどね、銀イオン。たいていのシャドウは銀がキライなんだ。まあ、あんたたちは知らないのか」
 シャドウがそんな黴菌みたいな性質を持つというのも驚きだが、それを一高校生に過ぎぬ彼女が知っているというのはなお驚きである。
「……なら、この矢も銀?」
「これはパラジウム」潰れた鏃を示しながら、「銀は武器としてはあんまり使えないんだって。鉄とかよりはマシらしいけど」
「パラジウムゥ?」
「たあっかいんだから、その矢。だから返してね」
(忌避剤、銀イオン、パラジウム……)
 まさか適当に試したら効いたなどという話ではあるまい。とても高校生数人が精出して収集できるような類の情報とは思われないし、これらを購入するにしたってその辺りのホームセンターで売っているようなものではないだろう。特注したか手作りか、とはいえパラジウムなどいったい何屋で買えるというのか。確か銀歯の材料になるというのは聞いたことがあるが……
(じゃあやっぱり、主犯格は大人なのか? それもなんだか三人や四人なんて規模のものじゃなさそうな……)
 しかし少なくともこれで、仮に彼らが頻繁にテレビの中の世界に入っていたとして、じゅうぶんに危険を回避しうる手段を持っている、ということだけはわかった。悠たち自称特別捜査隊がそうと感じるほどには、彼らはこの世界に脅威を抱いてはいない。それほどのリスクではないのだ。知識においても準備においても、彼らには一日の長があるということを認めざるを得まい。
「ストレガってやっぱそういうのぜんぜん知らないんだね」鳥海は外した三本目を拾いに曲がり角へ向かった。「まあ、お手軽ペルソナがあるからべつにいいのか、そんなのなくても」
「鳥海、さっき言ってたショウカンキってなに?」これは金でできているのだろうか。「最初あったときも、さっきも、ショウカンキなしでペルソナがどうとか言ってたけど」
 どうも鳥海の口振りから察するに、それはなにかペルソナを喚ぶ助けになる道具と思しい。本当に金でできているなら手の出しようもないが、
(もしおれに用意できて応用の利くものなら、ペルソナももっと別の使い方ができるようになるかもしれない。こいつ、この世界についておれたちの知らない情報をずいぶん持ってる……)
 可能なかぎり聞き出すべきであろう。犯人たちの力を盗んで、それによって犯人たちを追い詰めるのである。思うに彼らはこのやたらと口の軽い年少の仲間を、もっと早く始末すべきであったのだ。それが遅れたおかげで自分たちの対抗勢力へ鍵の開いた金庫をプレゼントすることになったのだから。
 いや、説得しだいではこの金庫ごと自称特別捜査隊へ持っていくことも不可能ではないかもしれない。おそらくはもともと犯行に気乗りしてはいなかったのだろう鳥海のこと、自分が見捨てられたのだと理解すれば、いまだ保っているらしい「先輩たち」への信頼もようやく瓦解しようというものだ。
「今度はこっちが訊く番でしょ?」壁に突き刺さった矢に手をかけて、鳥海が悠を振り返った。「あんたたちってどうしてショウカンキなしでペルソナ出せるの?」
「鳥海は出せないのか」悠は彼女を追いかけながら、「こっちにとってはそのほうが不思議だけど」
「出せることは出せる、っていうか、出てくるらしいんだけどね、話では。でもホントに気が昂ったときとか、命の危険が迫ったときとか、そういうときにパッと出てくるくらいなんだって」
「鳥海はそういう……ペルソナとかシャドウとかの話をどこで聞いたんだ?」
「それズルい。先に訊いたのわたしでしょ――あーっ、ポイント壁の中はいっちゃったよもー」
「どうしてって言われてもなァ、体質だよ体質。なんとなく……鳥海?」
 鳥海がふと固まったのを訝って、悠は声をかけながら歩み寄った。彼女はなにか気付いたふうにして曲がり角の向こうをじっと見詰めていたのだが、じき血相を変えて、
「諸岡走って! やばい!」
 こう怒鳴ると、引き抜こうとしていた矢を諦めていきなりこちらへ駆け戻ってきた。悠の腕を引っ掴んでそのまま連れて行こうとする。が、
「鳥海止まれ! まずい!」
 今度は悠が彼女の腕を掴む番である。背後側の曲がり角からそのときちょうど、ペルソナほども丈のある筋骨隆々の、顔のないプロレスラーみたいなシャドウが出てきたのだった。それも一体や二体の話ではない、十体、二十体……この場でプロレス団体を創設して興業を打てそうなほどの数である。血の気の引く光景。
「挟まれた……」
 と、鳥海が呟く。まさか、と彼女の逃げてきたほうを見ると、案の定シャドウの大群が角からその姿を見せたところだった。こちらは小型ばかりであるものの、先の汚泥みたいなのに加えておなじみのサイコロと、以前に見た首なしカラスまでいる。
 悠と鳥海はどこへ逃げ込む当てもなく、最寄りの壁に張りついた。
「鳥海、忌避剤」
「もう撒いてる、けど」
「……けど?」
「ああいう中型は」と、レスラーたちを見て、「とくに人間型には、しばらくは有効でも対処されることが多いの。なんか妙にあたまいいから」
「あれで中型? 対処って?」
「扇いだり、吹いたり? とにかく、そう長い時間このままでいられるとは思えない」
「じゃあ、どっちみちやらなきゃならないわけだ」
 忌避剤が効いているうちならまだしも、それをどうにかされてしまえば鳴上流ではとても防ぎ切れまい。花村流を採るしかないが……
「鳥海、あんたのペルソナがどこまでやれるかわからないけど」悠はふたたびタロットを取り出した。「せめて少しの間、あの小物の大群を抑えておくことはできない?」
 プロレス団体のほうは身体こそ大きいものの、ポスギル城で遭遇した騎士型のように装甲されているわけではない。武器のたぐいを持つでもない。花村流ペルソナなら複数相手でも善戦できる可能性は高い。そのあいだ生身の身体を小物どものおやつにされなければ、だが。
「できるだけ具体的に教えて。鳥海のペルソナはどんなことができる」
「どんなことって、まあ、このくらいの数ならたぶんひとりでも……」
 鳥海はしれっとこう宣った。
「……え?」
「たぶん、ひとりでだいじょうぶ。諸岡がバックアップしてくれるなら」
「ひとりでって、あの小物全部を?」
「むこうのマッチョも含めてぜんぶ」呆気にとられる悠に、鳥海はちらと笑って見せた。「あ、驚いてる? 諸岡のペルソナって便利だけど、ちょっとヘナチョコだもんね」
「ヘナチョコ……」
「小物相手に転がされてるんだもん。ストレガのペルソナもピンキリってことか」
 鳥海が腰に着けていた矢筒を少しずらした。そこから現れたのは白い大腿だけではない。脚になにか帯状のものを巻いている、ということには最前から気付いていたものの、矢筒の陰に隠れていたのはなんと拳銃である。白いレッグホルスターに収まった自動拳銃が、スカートの下で黒っぽい銃把を覗かせていた。
「拳銃……あんたたち、そんなものまで……」
「これがあんたの訊きたがってたショウカンキなんだけどね」
 彼女は拳銃ではなく、その横のポケットにいくつか挿してある、銀色の瓶のようなものをふたつ取り出した。うち一方の蓋を開けて中身をいくつか掌に落とす。
(薬?)
 なにかのカプセルと思しい。それを口に含もうとしてふとやめて、鳥海はちょっと改まった様子で悠を見つめた。
「諸岡くん。お願いがあります」
「え? あ、はい。なんなりと」
「今からペルソナを喚ぶんだけど、代わりにわたしは二十分くらい、完っ全に意識を失います。なにされても起きません。忌避剤があるからそう簡単にシャドウが近づいてくることはないと思うけど、もし来るようならペルソナで援護してください」
「はい、まあ、善処する、けど」
「あとわたしの傍から離れないこと。それと……なんかヘンなことしようとか思わないこと。ペルソナで見てるからね」
「……善処するけど」
「それと最後に」
 と言って、鳥海は右手で弄んでいたカプセルを口に含んで、もうひとつの瓶の中身でそれを飲み下した。すぐさま腿のホルスターから件の拳銃が引き抜かれる。
「今の、まさか自決用の青酸カリとか言わないよな……」
 こいつはこの拳銃でなにを始めるつもりだろう――悠はちょっと不安になってきた。
「ちがう。塩酸メチルフェニデートっていう薬」
「毒じゃないならいいけど……なんだ、それ。青酸カリの親戚?」
「元に戻るために必要なの。詳しくは訊かないで、わたしもよくわかんないから」
 プロレスラーたちがお互いを見合ってなにごとか思案げに唸り始めた。それに反応して、反対側に集結した小物のほうもにわかに騒がしくなる。
「なにかしようとしてる……先制しなきゃ」鳥海はいちど深呼吸して、「諸岡、わたしの後ろに立って」
 と低い声で言うと、持っている拳銃の遊底を慣れた手つきで引いた。前に向けて撃つのか、それとも天井に向けるのか、このショウカンキなる拳銃が補助具であるなら、あるいは銃口からペルソナが飛び出したりするのだろうか。それとも撃ったところから生えて来る?
(たぶん銃から出てくるんだろう。どういう原理かわからないけど、いまの青酸カリもどきとなにか関係あるのかな。銃なら弾が要るわけで、そうすると回数制限とかありそうな……)
 こんなふうに悠が独り合点を決め込んでいると、鳥海はなにを血迷ったか拳銃を前後逆に握って、その銃口を自らの額に押し当てた。
「待て待てちょっと待った!」さすがにこの使い方には思い及ばなかった。「落ち着け! それでなにするつもりだちゃんと説明――!」
「いいから後ろにっ! 早くしてシャドウが来る!」
 鳥海が怒鳴る。確かに彼女の言うとおりらしい。先ほど「扇いだり、吹いたり」と言っていたのは冗談ではなかったようで、レスラーたちが示し合わせたようにして一斉に、その大きな両の手で悠たちを扇ぎ始めたのである。
 髪の毛が軽くなびくほどの風が起こる。風下へ流れてきた忌避剤を嫌ってか、小物の集団が悠たちから少しずつ離れていく。そのぶんだけレスラーたちは躙り寄ってくる。スタジアムのウェーブよろしく、バンザイとスクワットを繰り返しながら、筋肉の壁がゆっくりと近づいてくる……
「言ったでしょ? こうなるの。あくまで一時しのぎなの、これは!」鳥海が左腕の腕章を示す。「もう忌避剤はアテにならない、早くしてってば!」
 彼らに捕まったらたぶん、胴上げやビールかけ程度では済まされまい。悠はしぶしぶ言われたとおりにした。
「なあ、せめてどういう使い方をするかぐらい――」
「見てればわかる」鳥海はにべもない。
「いやだってそれ絶対そういう使いかたするもんじゃないだろ!」
「諸岡聞いて! 今から、気を失うから、支えて」緊張しているのか、鳥海の声は硬い。「いい? 後ろから、わたしの身体を、捕まえるの。床にあたまぶつけないように。撃ったら倒れるから」
「いま撃ったらって言ったか! やっぱりそれ――!」
「うるさい! いい? いくよっ?」
「よくない! ちょ――」
 バシッと音がした瞬間、鳥海の身体は完全に脱力して、重力に引かれるまま膝から崩れ落ちた。
(これが鳥海たちのペルソナの喚びかたなのか? なんて乱暴な……)
 手から落ちた拳銃がカツンと床を打つ。支えるどころか一歩踏み出すのがせいぜいで、悠がとっさのうちにできたのは彼女の背中に膝蹴りを食らわすことくらいである。それでも床にあたまを打ち付ける前に、なんとか二の腕を捕らえることはできた。
 鳥海はまずもって生きてはいる。額に風穴が空いているわけでもない、火傷のたぐいも見られない。悠の腕の中で身じろぎひとつせず安らかに寝息を立てている。いまほどかなり強めに蹴られたのに、痛みを感じているふうは微塵もない。おそらく花村流と似たような昏睡状態に陥っているのだろう。
「おい鳥海、ちゃんと起きてくれるんだろうな。このまま死にでもしたら――」
 悠は言葉後を呑み込んで、彼女の上体を抱き寄せたままふと顔を上げた。いつのまにか辺りが静かになっている。めいめい騒がしくしていたシャドウたちがピタリと動きを止めて、そののち悠たちを恐れるようにしていっせいに後退った。
 頭上で太く重々しい、鎖の擦れ合うような音が聞こえた。見上げると黒い、裂けてボロボロになった長衣の裾が悠たちを覆うように広がっている。それはゆっくりとふたりの前に降り立つと、その両の手に持った古風な回転式拳銃をシャドウたちに向けて、ユラユラと酩酊したひとのように身体を揺らし始めた。
(これが鳥海のペルソナ……?)
 悠は一瞥して驚くというより、とっさに恐怖を感じた。サイズこそ悠のペルソナより少し大きい程度だが、その見てくれは今までに見たどんなペルソナからもかけ離れた不気味このうえないものだ。裾の破れたよれよれの、ちょっとキリスト教の祭服のような長衣を着け、その上から両肩にかけて長大な、船舶用のアンカーチェーンさながらの太い鎖を襷にしている。
 悠たちのペルソナが一様にそうであるように、鳥海のペルソナもまた顔を隠していた。が、それは仮面やヘルメットの類によってではない。その頭部を覆うのは赤黒い血染みのようなもののべっとりとこびり付いた、汚らしい袋だ。土嚢に使われるジュート織りのものに似た、荒目の袋。絞首刑や銃殺刑に際して受刑者にかぶせられるような……
 鳥海のペルソナがおもむろにこちらを振り返った。首だけを百八十度まわして、である。全身の皮膚が粟立つ。袋に一カ所、鉤裂きのような裂け目が空いていて、そこから赤茶に混濁した虚ろな目が悠を見下ろしている。
(なんなんだこの……薄気味悪いヤツは。本当にペルソナなのか、これ)
 血も凍るような、というのはこういう視線を喩えて言うのだろう。悠は鳥海を床に横たえて立ち上がると、彼女のペルソナから少し離れて自身のペルソナを喚んだ。鳥海と意志の疎通を図るため、というのもあるが、この死神じみた巨人の近くに無防備で立っているのはどうにも恐ろしかった。
『鳥海?』
 返事はない。が、呼びかけに反応するようにして、鳥海のペルソナは前へ向き直った。シャドウたちのほうへ向けられたままになっていた拳銃の、その銃口が突如火を吹く。――轟音とともに射線に立っていたレスラーの十余匹が消し飛ぶ。
 耳鳴りがする。まるで戦車砲である。悠はただ耳を塞いで呆気にとられるしかない。続けて二発、三発と銃声が隧道を揺るがす。レスラーたちはたちまちその半数を亡い者にされてしまった。が、彼らも黙って射的の的にはなっていない。
 風で忌避剤があらかた流れてしまったか、彼らは復讐に燃えて、かどうかはわからないが、なにを憚ることなく残る戦力で総攻撃をしかけてきた。悠のペルソナが鳥海のペルソナの横に並んだ。
(小物はまだ動かない、もうしばらくは放っておける。いまはこいつらから生身の身体を守らなければ!)
『鳥海、防ぐぞ。こいつらを通すな!』
 曲者ばら来たらば来たれ、とばかり、悠のペルソナが張り切って矛を脇に引きつけるその横で、鳥海のペルソナが身体を小刻みに揺り始めた。襷に掛けていた鎖がゴロゴロと鳴って解けて、まるで意志を持っているかのように床にわだかまる。ああこれは武器の類であったのか、と悠の得心する間に、それは蛇のように這い、鎌首をもたげて、主人の許へ殺到するレスラーたちに向けて突然、弾かれたように飛びかかった。
 悠はペルソナに矛を構えさせたきり、目の前の地獄絵図を呆然と眺めているほかなかった。彼がひとりわがペルソナとその矛とを駆使して戦ったなら、なにほど苦戦したかもしれない相手である。数である。隣に陽介たちがいてさえさほどの余裕を生みはしなかっただろう。それらが、かの死神ペルソナの手にかかっては単なる血肉の詰まった脆い皮袋に過ぎないとは! 鎖はレスラーたちを滅茶苦茶に打ち据え、叩き潰し、たちまちなんだかよくわからない肉餅と血だまりとに変貌させるだけでは留まらず、この広々とした隧道に壁を床を天井をあまねく打ち鳴らしてひしめいた。
『鳥海やめろ! もういいやりすぎだ、でかいのはみんな死んでる!』
 音がふっと止んだ。鎖が力を失ったようにして床にゴトゴトと落ち、ゴロリゴロリと耳障りな擦過音をたてて主人の肩へ戻っていく。なるほど、鳥海があれほど気楽に請け合うわけだ。はっきり言って彼女のペルソナは悠や陽介のそれとは比べるべくもないほど強力である。
 いったい犯人たちのペルソナはみなこれほどの力を持つのだろうか? 生来の資質に依存するのなら諦めるしかないが、もしショウカンキの使用がこの絶大な力をもたらすのなら、
(ぜひ手に入れたいところだ、ことによっては鳥海から取り上げてでも)悠は床に転がった拳銃をちらと見た。(これはとんでもない力だ、切り札になる。鳥海が起きたら試しに借りてみなきゃ……)
 さて次は小物のほうだが――あわれな彼らは鳥海のペルソナが自分たちへ向き直っただけで、先を争って逃げ出してしまった。あんなものを見せつけられれば当然の帰結ではあるが、このうえ立ち向かおうなどと考えるものは一匹もいない様子である。
『まさに鎧袖一触だな、鳥海。おれの出番なんか――』
「シ、バ、ブー」
 悠はぎょっとして鳥海のペルソナを見上げた。確かにいま、悠の耳に聞こえる声で、鳥海のペルソナがはっきりとなにごとか喋った。それと同時に小物シャドウたちがピタリと動きを止めた。宙に浮いているものは床に落ち、床を這うものはクタッとその場に伸びてしまった。
「ム、ド」
 もはや驚きの声も上げられない。この次の言葉を合図に、地べたに転がったシャドウたちがいっせいに腐り始めたのである。
(なんだ……これ、鳥海がやってるのか?)
 それはまったく「腐っていく」としか言いようのない光景であった。小刻みに震えるシャドウたちの、そのめいめいの肌がにわかに変色して、グズグズに崩れて得体の知れない液汁を流し始める。全身を水腫に覆われる。身体から無数の剥片を落とし始める。もしシャドウに命があるとすれば、だが、彼らは生きながら腐っていった。
 どの個体の上げたものか、小さな、悲痛な鳴き声が聞こえる。それもじき絶えて、半ば液状化した死体もかき消え、隧道内には薄ら寒い静寂が訪れた。あまりにあっけない、しかも不気味な決着。
 悠は初めて、少しだけ、シャドウに同情した。
『鳥海、いくらなんでも今のはやり過ぎじゃないか』と、責めるのも筋違いではあるのだが、彼はせめてひとこと言わずにはいられなかった。『いや、逃がすのが危険だってのはわかるけど……』
 鳥海のペルソナは無言である。が、ふと用ありげに悠のペルソナに向き合うと、
『それにしても、まあ、こっちはもう驚きっぱなしだよ。ずいぶんいろんなことが――』
 これといって気負った動作もなく、ごく自然に銃を持ち上げて、いきなり発砲した。右肺に鈍痛が点る。仰向けに倒れ込んだ巨人の腹、脚へ一発ずつ、容赦のない追い打ちが加えられる。
『おい、待て! なにをする!』
 件の鎖が解け始めた。まずい、あれを食らったら――悠は挽肉にされる直前でペルソナを消した。一瞬前まで巨人の横たわっていた床を極太の鎖が打ち砕いた。
(こいつ、裏切りやがった!)
 鳥海が裏切った――おお鳴上悠、驚いたふりなどするな! 今にして思えばじゅうぶん考えられることだったのだ! 悠の前ではどのように取り繕っていても畢竟、彼女はやはり殺人犯の仲間であった。騙し欺くなどお手の物、すべては素早くペルソナを喚べる悠に隙を作らせるための芝居だったのだろう。
 絶体絶命の危地である。
(どうすればいい。もういちどペルソナを喚んで、鳥海を、殺すか。それとも)悠はふたたび床に転がった拳銃を一瞥した。(一か八か試してみるか。鳥海から薬を奪ってる時間はない、それなしでどうなるかわからないけど……)
 いかに自らを陥れた憎い敵とはいえ、ペルソナの矛で彼女を斬り殺す、というのは悠にはどうしても躊躇われた。その覚悟を用意する時間とてない。彼は鳥海の言う「ショウカンキ」に全てを託して、すぐ近くに落ちている拳銃に飛びかかった。が、
「シ、バ、ブー」
 ふたたび鳥海のペルソナの不気味な声。彼は引っ掴んだばかりの拳銃を取り落として、重力と慣性とに従って横倒しになった。側頭を床に打ち付ける。その拍子に胸ポケットからなにかが抜け落ちる。
 悠の目の前に転がってきたのは眼鏡である。クマの作ってくれた、この世界で視界を得るために不可欠なはずのもの……
(なんだ、やばい、まずい、なにをされた!)
 しかし眼鏡などにかかずらっている場合ではなかった。身体がほとんど動かない。全身から感覚という感覚が消え失せて、身体の下に敷いて一晩を明かしてしまった腕のように、ただぬるい痺れだけを感じる。かつてない恐怖が足許から上ってきて、麻痺した全身にジワジワと広がっていく。つぎは例の鎖でグシャグシャにされるか、それとも生きたまま腐るか、いずれにせよ待っているのは死である。
 悠は震えた。震えながら必死に動かない首を動かして、鳥海のペルソナを見上げようとした。
 目が合った。
「やめろ、たのむ」
 と、微かな声で命を乞うのに、鳥海のペルソナはちらと首を傾げるような仕草を見せたあと、持っていた回転式拳銃をゆっくりと頭上に振り上げて、
「だめ」
 身の毛もよだつ、笑い含みのひと言とともに、それを悠の顔に打ち下ろした。





 三章を期待していた方には申し訳もありません。年明け頑張ります……


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