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No.35651の一覧
[0] PERSONA4 THE TRANSLATION(ペルソナ4再構成)[些事風](2014/11/03 16:25)
[1] 序章 PERSONA FERREA[些事風](2014/11/03 16:25)
[2] 一章 REM TALEM MINIME COGITO[些事風](2012/10/27 23:54)
[3] 国を去り家を離れて白雲を見る[些事風](2012/10/27 23:57)
[4] マヨナカテレビって知ってる?[些事風](2012/10/28 00:00)
[5] ピエルナデボラシーボラ![些事風](2012/10/28 00:03)
[6] 出れそうなトコ、ない? ひょっとして[些事風](2012/10/28 00:07)
[8] 死体が載ってた……っぽい[些事風](2012/10/28 00:27)
[9] ペルソナなんぞない[些事風](2013/03/05 00:17)
[10] でも可能性あるだろ?[些事風](2012/10/28 00:34)
[11] バカにつける薬[些事風](2012/10/28 00:36)
[12] シャドウじゃなさそうクマ[些事風](2012/10/28 00:41)
[13] 吾、は、汝[些事風](2012/10/28 00:46)
[14] 俺はお前だ。ぜんぶ知ってる[些事風](2012/10/28 00:53)
[15] ノープランってわけだ[些事風](2012/10/28 00:56)
[16] 旅は始まっております[些事風](2012/10/28 01:05)
[19] 二章 NULLUS VALUS HABEO[些事風](2014/11/03 16:26)
[20] あたしも行く[些事風](2013/01/15 10:26)
[21] それ、ウソでしょ[些事風](2013/03/05 21:51)
[22] 映像倫理完っ全ムシ![些事風](2013/05/12 23:51)
[23] 命名、ポスギル城[些事風](2013/05/12 23:56)
[24] あたしは影か[些事風](2013/06/23 11:12)
[25] シャドウ里中だから、シャドナカ?[些事風](2013/07/24 00:02)
[26] 脱がしてみればはっきりすんだろ[些事風](2013/10/07 10:58)
[27] 鳴上くんて結構めんどくさいひと?[些事風](2013/10/14 17:36)
[28] セクハラクマー[些事風](2013/12/01 15:10)
[30] アギィーッ![些事風](2014/01/31 21:58)
[31] かかってこい、あたしが相手だ![些事風](2014/03/04 21:58)
[32] クソクラエ[些事風](2014/04/16 20:30)
[33] あなたは、わたしだね[些事風](2014/06/15 15:36)
[34] とくに言動が十八禁[些事風](2014/07/26 21:59)
[35] コードレスサイクロンユキコ[些事風](2014/09/13 19:52)
[36] 自称特別捜査隊カッコ笑い[些事風](2014/09/24 19:31)
[37] ッス[些事風](2014/11/03 16:29)
[38] oneirus_0d01[些事風](2014/12/14 18:47)
[39] 三章 QUID EST VIRILITAS?[些事風](2015/03/01 16:16)
[40] ええお控えなすって[些事風](2015/05/17 00:33)
[41] キュアムーミンだっけ[些事風](2015/10/18 13:01)
[42] おれ、弱くなった[些事風](2015/11/20 10:00)
[43] 中東かっ[些事風](2016/03/02 00:50)
[44] バカおやじだよ俺ァ[些事風](2016/05/15 16:02)
[45] ここがしもねた?[些事風](2016/08/16 15:11)
[46] 腕時計でしょうね[些事風](2016/11/15 13:03)
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[35651] とくに言動が十八禁
Name: 些事風◆8507efb8 ID:a0847952 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/07/26 21:59



「悠子ちゃん到着ー……ってなんかすごい絵だねコレ」と、千枝。
「心配したけどまあ、思ったよりかなり無事っぽいし」と、千枝のシャドウ。
「中でなにがあったのかあとで教えろよ、悠子ちゃん」と、陽介。
「やだァ……センセイユキチャンとナニしてたクマか」と、クマ。
(好き放題いいやがって……)
 こうして皆の前に引き出されては暴れるのもみっともない。といって助けを求めるのはなお憚られるし、そうしたところで彼らを余計に喜ばせるだけだろう。悠としてはもうふて腐れて腕を組んで、せめて「わたしはこの状態を不快に思っています。いささかも甘んずるところはありません」とアピールするよりほかなかった。
「みんな、ごめんなさい。迷惑かけて」
 と、悠を腕に抱えたまま雪子のシャドウが言った。そうして彼女が近づくにつれ漸を追って笑顔を消した雪子の、その憂いに落ち着いた面へ、
「あなたにも。雪子」
 至極おだやかに声をかける。
 雪子はこころもち眉を寄せて唇をつぼめて、泣く前兆とも笑う前兆ともつかない面持ちで、もうひとりの自分を黙って見詰めている。千枝たちに処置してもらったものか、右手にハンカチかなにかの厚くいびつに巻かれてあるのが見るも痛々しい。彼女の天城屋への愛を試した証跡が、その下にはあるはずだった。
「聞こえてた、確かに」と、雪子のシャドウは続ける。「あなたの泣き声が、天城屋を呪う声が。お母さんをなじる声が」
「…………」
「……わたしが天城屋を呪うのを、叱る声が。お母さんを、天城屋を許そうって、悪いところばかり見ちゃダメだって、励ます声が。雪子」
 雪子の口許がわななく。が、言葉は発せられない。
「雪子、わたし、天城屋が好きだよね? きらいだけど、好きだよね? わたし、矛盾したこと言ってる?」
 雪子は俯いてかぶりを振った。
「雪子、わたしたち、孤独だって、だれも助けてくれないって、思ってた。たとえ千枝だって、わたしを救い出してはくれないって」
「……うん」
「きっとね、そのとおりなんだよ。いつかだれかが助けてくれるって、どこかへ連れ出してくれるって、ただ膝を抱えてうなだれてるだけじゃ、だれも気付いてくれるはずなんてなかったんだよ。わたしたちが困ってること、わたしたち、だれにも打ち明けなかった。ただ縮こまって、呻いてれば、いつかきっとだれかがそれを見咎めて、あわれんで、救いの手を差し伸べてくれるはずだって、ユメ見てたんだ」
「…………」
「だからまず最初に、わたしがあなたを救わなきゃ」雪子のシャドウがほほえんだ。「あなたがわたしを救わなきゃ。ね? そうして、立って、声を上げなきゃ」
 雪子はウンと頷いた。
「その声を待ってる耳がとりあえず」と、雪子のシャドウの胸に収まったまま悠が割り込んだ。「ここにふたつと、そっちに四つ……じゃない、六つある」
「あー、俺あと十七個くらい心当たりあんだけど」と、陽介。
「悪いけど奇数なのはぜったいツッコまんからね」と、千枝。
「六つって、花村とあたしら? クマくんのは?」と、千枝のシャドウ。
「ガーン! しどい! クマも入れてくんろー!」クマがぴこぴこ地団駄を踏み出した。
「……訂正、八つある」
「だって。雪子」と、雪子のシャドウ。「ねえ、わたしたち、ひとりぼっちじゃないよ。友達がこれだけいるんだもん」
「友達……なんてこった、ただの友達って思われてたなんて……」
 雪子が「むふっ」と笑って、いまさらながら「ところで鳴上くんって、なんでこんなことになっちゃったの?」と訊いた。もちろん「お姫さまだっこ」のことを言っているのだ。
「いろいろあったんだよ、あのあと。――ところで天城」悠は険悪な声を出した。「そろそろ下ろしてやってくれない? もしこれいじょう鳴上くんを晒しものにしないでやろうって思うんなら」
「あっ、ごめんなさい。ごめん、ちょっとやりすぎだったよね……」
 と言って、雪子のシャドウが彼を下ろすために腰を屈めようとすると、陽介が「はんたーい。悠はこのままのほうがいいと思うひとーハーイ」などと挙手してふざけ始めた。あんのじょう千枝たちもまたそれに和して「ハーイハーイ」と諸手を上げる。
「あとで覚えてろよおまえら……ホントに覚えてろよ……」
「だってさーもー、うおーアマギーって雪子たすけに入ってったのにさー」と、千枝。
「逆に雪子にお姫さまだっこされて出てくるとかさー……ごめんけどこれコントだって。ここ笑うトコだって」と、千枝のシャドウ。
「わりーけど今のお前おもしろい。あ、写メとっていい? 待ち受けにすっから」と、陽介。
「お姫さまだっこってなにクマ? あ、いまセンセイがされてるヤツクマね、うぷぷーセンセイかわいいクマー」と、クマ。
「……天城いいから、下ろして。あいつらは無視」
 陽介たちから冗談交じりのブーイングが飛ぶ。今度は雪子のシャドウも素直に従って、悠の身体を甃の上に横たえた。そうしていったん立ち上がりかけたあと、なにか思い出したように懐からハンカチを引っ張り出して、彼の額から頬の辺りを労るように拭い始めた。先にこめかみの辺りを切ったときから流れるに任せて、なかば固まってしまった血を、である。
「そういやお前……そうだ、なんでそんな血まみれでボロボロなんだよ。つか」この様子を見ていた陽介がにわかに、なにか気付いたようにしてその声の調子を変えた。「……ひょっとして俺、なんかしたのか、ペルソナになってたとき」
 今ほどへらへら笑っていたのが嘘のように、彼の面を勃然と自責の色が占める。悠は慌てて上体を起こして「してないしてない!」と手を振って否んだ。陽介の言う「なんか」とはつまり、先に悠がペルソナの扱いを誤って彼にケガをさせたような、そういう類のことを指すのだろう。
「なに言い出すかと思えば……おまえだってぜんぜん見てなかったわけじゃないだろう」
「俺がシャドウに掛かりっきりだったこと知ってんだろ。正直に言えよ、里中たちに訊いてもわかんだぞ」
「訊けよ、そうすればわかる。これは」
 ふと、雪子のシャドウが悠の顔を拭く手を止めた。彼の負った傷のほとんどは彼女との「話し合い」の過程でついたものであるからして、その由来を正直に口にすればどうしたところで雪子のシャドウは気に病まずにはいまい。悠は続きを言いさして、ちらと千枝の血に染まった肩を眺めて、ちょっと考えたあと、
「これは……里中と、お前と、肩を並べるためにつけた傷だ」
 と言った。まことに前後を転倒した奇妙な論理ではあるが、怪我をする前ならいざ知らず、傷ついた今となっては実際これがもっとも当を得た表現だった。
 世に傷は勲章などと言うが、今の彼にとってはじつに納得のゆく比喩で、誇るべき親友たちと同じくらいの赫奕たるを胸に飾ってみて初めて、悠はようやく自己を恥じずに彼らと肩を並べられたのである。いまや傷ついた友人たちに囲まれてひとり無傷で笑っているおのれの姿などは思いも寄らない。そのかみローマ人が自らの戦傷を誇示して顕職の名誉を乞うたように、それなくして悠は自分自身から、さらに言えば陽介たちから名誉と称讃とを求めることはできないのだ。
 当然ながら陽介は親友の屈折した肚裡を理解しはせず、訝って「肩って、なんで?」と首を傾げた。
「クマごめん、そこのリュック持ってきて。なにか飲みものない?」と、クマを手招きながら、陽介にもわかりやすいように改めて言い直す。「おれだけ無傷なんてカッコ悪すぎる、なんかひとりだけ逃げ回ってたみたいだ」
「はあっ? おま――」
「でも今ならこのとおり、MVPだって狙える、だろ?」
「お前なあ……いや、お前って……」
 怒っているのか呆れているのか、陽介はしばらく悠を見下ろしてなにごとかぶつぶつ呟いていた。が、ややあって「バーカ」と結んだあとは一転して機嫌もよく、彼は悠の向かいに大儀そうに腰を下ろした。
「で? ホントんとこどーなの里中」
「花村のせいじゃないって、だれのせいでもないよ」千枝のシャドウは明るく言った。「鳴上くんのも、あんたのも、チエのもさ」
「あたしさっきの風で転んで手ェすりむいたよ」千枝が物欲しげに手を突き出す。「慰謝料は愛屋の肉丼でいいよ。ふつう盛りでいいよ」
「ごめん。どう考えてもわたしのせい」雪子は申し訳なさそうにしている。「肉丼はわたし奢るから、花村くんはいいから」
「いいっていいって、花村のおカネでたべるからおいしいんじゃん――ほら、あたしらも座ろ、雪子」
「擦り傷くらい肉パワーで治せよ」陽介がボソッと呟く。
「なんか言った? つかモロ聞こえてるけどね」恐るべきは千枝のシャドウの地獄耳である。「あたしいまチョー耳いいから気をつけたほうがいいよ。肉パワーとか言わんほうがいいよ」
「大盛りのほうがいいだろって言ったんですよ……」
 ふたりの千枝もまた雪子の手を引いて、縮こまる陽介の隣に腰を下ろした。最後にクマがリュックサックを引き摺ってやってきて、悠の隣に収まる。ここに於てついに、この世界の人間のすべてがこころ平らかに会したのであった。おのおの疲労の大小、負傷の多寡こそあれ、だれひとり欠けることなく、無事に。
 悠はふと思い立って左腕に目を落とした。メモヴォクスの短針は六時と七時の間を指していた。
(午前六時二十五分……向こうの世界ではとうに夜が明けてるだろう)
「センセイ、のみものクマ、水クマ」
「あ、ありがと」
 クマに手渡された二リットル入りのペットボトルは、陽介が飲みでもしたかすでに半ばほどまで減っている。悠はそれを一息に呷って飲み干した。口の中に水を含んだ途端、どれだけ自分が乾ききっていたか思い知らされる。まるで喉のあたりにカラカラに渇いたスポンジが詰まっているみたいに、飲む端から胃に落ちずして消えていくかのよう。
「センセイまだあるクマ、茶色いやつ。これイエモンって読むクマ?」
「飲み物はとりあえず……それより、なんか食べるもの欲しいな」クマからリュックサックを奪い取って中身をかき回す。「……みんなもハラ減らない? せっかくここまで担いで来たんだ、遠慮なくもらおう」
「それ、だいじょうぶなのかな、食べちゃったりして」と、雪子が遠慮がちに言った。「わたしも水だけちょっともらったりしたんだけど……その、犯人? というか、わたしを浚ったっていうひとが置いていったのかもしれないんだよね、それって」
「毒とか入って……はないか、さすがに」千枝は思案げにしている。「でも雪子の言うとおりじゃん? なんかこう、ヤバくない? それ」
「そうそう、そういえば言ってなかったけど」
 悠がリュックサックの底から選り出したのは氷砂糖の袋である。ふだんなら喜んで口に入れるようなものではないのだが、今はその蝋石のかけらのような砂糖塊が異様なほど好ましく見える。疲れているからなのだろうか。
「このリュックサックを用意したのは犯人じゃない。いちおう根拠もある――ほら、どうぞ」
 と、リュックサックを千枝に押し付けて、悠は氷砂糖をうまそうにボリボリやり始めた。いまの彼の舌には天上の美味さながらといったところ。
「悠くんって甘党なんだ」と、雪子のシャドウが言った。悠の血のこびり付いたハンカチを懐にしまいながら、「それより、いま言った、犯人じゃないって」
「え? うん――あ、雪子も食べる?」
 思い立って悠が氷砂糖を勧めるのを、彼女はちらと笑って控えめに辞退した。代わりに陽介の腕が伸びてきて袋からひとつかみ持ち去っていく。
「根拠って言ってたけど、それって?」
「あくまで推測なんだけど……いや、それはここを出てからゆっくり話す。とにかく、そのリュックの中身は安全だ、と思う」とだけ言うと、悠は顔を背けて大あくびをした。「それよりなんか……ちょっと眠くなってきたかも。横になりたい」
 ともかくも一息ついて緊張がほぐれたせいか、無事この一件を収めることのできた安堵のゆえか、ここにきて身体がにわかに休息を求め始めていた。あたまがそうすまいと踏ん張っても、首から下が先に眠り始めているような感覚。下半身が徐々に融け出して床に広がっていくかのような錯覚を覚える。
 無理もない話だ。夜中の零時から今現在まで、本来なら床に入って眠っているはずの六時間を、非日常的なストレスの数々に晒されながら走りかつ怒鳴り続けてきたのである。疲労困憊の極みにあるのは悠だけではない、けだしこの場にいる全員が――クマはケロリとしているが――起きて話していることさえ不思議なくらいに疲れ切っているはずなのだ。
 さてこれからどうすべきか。みな尾羽うち枯らしたさんざんな態だし、時刻も時刻である、このままジュネスへ直帰するのが危険であることは言うまでもない。とりあえずは開店時間になるまで休憩と仮眠とで時間を費やすのが吉であろうが、ここでそうしていてはいつシャドウがやってくるとも限らない。と言って、いまや半ば融け出した尻を無理に引きはがしてスタジオまで伸すのはいかにも億劫であるし――悠がウトウトしながらボリボリやっていると、ずっと黙っていたクマがそれを見咎めたのか、
「センセイ、ひざまくらするクマ?」
 と言って、床に投げ出した自身の短い脚を示した。とても悠のあたまが収まるスペースなどなさそうだが。
「遠慮はいらんクマ。クマなんにもしてないし……このくらいのことはしたいクマよ」
「なんにもって……」お調子者の彼には珍しい、やけに謙遜した物言いである。「クマがなんにもしてなかったら、おれたち今ごろ天国でこうしてるよ」
「そーそー。お前あんなに苦労して道案内してくれたじゃん、それってお前にしかできないことなんだぜ」と、陽介が引き取る。「なんか天城に追いついたときもちっとヘコんでたけど、もちっと自信もてって。お前がいなきゃそもそもこの城だってどこにあんだかわかんなかったんだしさァ」
「クマの鼻は必須だ。おれたちのペルソナははっきり言って扱いづらいし、いろんな制限もある。そういつまでも使い続けられるものじゃないらしいんだ」
 実際、この事実は今回の「遠征」で得られた重要な収穫のひとつだった。生身の人間に比してペルソナがいかに強力ではあれ、その拠って立つところのものは同一なのだという、当たり前と言えばあまりにも当たり前な事実。ペルソナを行使し維持し続けるための巨大な代償はほかでもない、悠たち自身の身体から捻出されるのである。原付がスポーツカーとその小さな燃料タンクを共有させられるようなものだった。
「いくらあれが強力だって、クマがシャドウを感知して避けてくれなきゃ、じき使えなくなる」そしてスポーツカーのエンジンが止まったとき、おそらくは原付のそれもまた止まるのだろう。「おれたちが少しくらいシャドウを追い払えたってそれだけじゃ意味がない、ここぞというときまで力を温存するためには、どうしてもクマの力が必要なんだ。クマはおれたちの守り神だ」
 こんなふうに陽介と悠とが褒めかつ慰めても、どうやらクマは屈託を解かない。ただ頑なに「ひざまくら、するクマ?」と訊いてくる。これが人間であれば表情のひとつも読み取れるのだが、
(これ着ぐるみだしな……わからないな、なにかもっと別の悩みでもあるのかな)
「守護神の膝を枕にするなんてそんな畏れ多い」いずれ折を見て彼と腹を割って話さねばなるまいが、いまは煙に巻いておくしかない。「ありがと、気持ちだけもらっておくよ。それにどうせなら女子にやって欲しいし」
 悠は千枝たちのほうを露骨に見ながら「誰かいないかなあ、ケガして疲れ切ってるかわいそうな男を癒してくれる親切なレディは」などと聞えよがしに言った。
「心当たりある?」千枝はリュックサックを漁りながら顔を上げもしない。
「うんごめんない」千枝のシャドウも同様である。
「おい里中、シャドナカ、肉は入ってねーぞ多分」と、陽介がからかった。
「肉とか探してないっつの」
「シャドナカゆうなっつの」
「じゃ、ペルソナカ?」
「花村ー、ヒザ枕したげる。あんた枕ね」千枝のシャドウが立ち上がった。
「ちょっ、待った待ったシャドナカさんじゃないペルソ――痛い痛いギブギブ!」
 彼女に膝でのし掛かられて、陽介は痛いとは言いながらあんがい嬉しげにしている。その様子を笑って眺めていると、
「悠くん、わたししようか?」
 出し抜けに雪子のシャドウがこんなことを言い出した。悠がぎょっとして「なにを?」と訊くと、果たして彼女は「膝枕」と返す。
「疲れてるんでしょ? いいよわたしなら」
 彼女は両の脚を投げ出して、ちょっと衽のはだけたのを整えたあと、自らの腿をポンポンと示した。笑って断られて終わるはずの冗談だったのだが、
(まさかOKが出るとは……)
 思ってもみなかった展開で、悠は腹の中で狼狽した。それならありがとうご厚意に甘えて、などと軽薄なことはまさかにできない。しかし断るにはあんまり惜しい申し出だし、ここで慌てて遠慮しなどするのは据え膳食わぬはなんとやらというやつで、なんだか意気地のないようで恰好もつかない。あくまで冗談として通し切るつもりならむしろ受けて立って、平然と感想のひとつも述べるほうがよいのではないか? いやしかし先方が単に冗談を冗談で返しただけなのだとしたら……
 ふと周りを見渡すと、うらめしいことに全員が悠を注視している。こんなことで逡巡しているのを悟られてはいかにも恥ずかしい。悠はとりあえずもうひとりの当事者に「いいの? 天城」とお伺いを立ててみた。彼女がならぬと言えばそれで収まりもしよう。
「あの、なんかこんなこと言ってるけど、いい、のかな」
「わたしに訊かないでよォ……」雪子は困り果てて赤くなった。「知らないよ、好きにしたら?」
「それなら」ままよ――悠は腹を決めた。「ええと、お言葉に甘えて……」
「どうぞどうぞ、遠慮なく」雪子のシャドウになにかしら不快そうな色はない。ほんとうに膝を提供してくれるつもりらしい。
「センセイはユキチャンのほうがいいクマね……クマには興味ないクマね……」クマが萎れる。
「そこは断れよーナンパものー」千枝のシャドウが冗談交じりのブーイングを飛ばす。
「鳴上くんエローい」千枝もそれに和する。
「鳴上くんサイテー」陽介が気味の悪い裏声を上げる。
「うるさい言ってろ」これも成功報酬のうちだ。悠は内心うきうきしながら雪子のシャドウに躙り寄って、「じゃあ、あの、失礼します」
 彼女の腿にあたまを宛がった。はずだったが、彼の後頭部を迎えたのは胸中でかくもあろうかと夢想した乙女の柔肌ではなく、
「いってェ……!」
 石である。目から火花が出た。彼は床の甃に頭突きしたのだった。冗談のつもりで脚を引きでもしたかと慌てて雪子のシャドウを振り仰ぐと、
(あれ、いない……)
 そこに彼女の姿はない。千枝が呆然と「消えた」と呟く。
 辺りを見渡しても雪子はひとりしか見つからない。みなの視線が悠の頭上の辺りをさまよっている。雪子のシャドウは全員の見ている前で忽然と消えたのだろう、すでに経験のある陽介や千枝にしてからが驚きを隠せないほどだ。まして雪子の困惑と狼狽とは彼らの比ではない、陽介の例に洩れず、彼女は血相を変えて立ち上がって、
「なんで……どうして! ウソ、ウソだ、待って、鳴上くんあの子どこ行ったの!」
 などと大慌てに慌て始めた。
「天城おちついて、天城のシャドウは――」
「おっ、落ち着け? わたしが消えたのに、落ち着けっ?」雪子はなにをバカなことをとでも言わんばかりである。「落ち着いてられない、探さないと!」
 既視感を覚える光景だった。ふと陽介と目が合う。過日の彼を苛んだ喪失感が、今度は雪子の胸を焼いているのだろう。
「天城、消えてねーよ、どこにもいってねーって」同病相憐むの感情か、陽介が慰めるように、ことさら明るい口調で切り出した。「ちゃんといるじゃん。なに、見えてねーの?」
「どこ。どこに!」
 陽介は黙って雪子を指さした。
「つきあってられない」憤然と一蹴して、彼女は悠に食ってかかる。「ねえあの子どこに行ったの? お願い探して、まだあの子に言わなきゃいけないことが――!」
「天城おちついて、大丈夫、ちゃんと伝えられるから。いるから」
「どこに」
「ここに」悠は陽介に倣った。「陽介の言うとおり。それが全てだ」
「そんな……」
 雪子は力なく呟いて、その場にへたり込んでしまった。
「天城雪子はさ、ここにいる、だろ?」陽介は考え深げに腕を組んでいる。「どこにも行ったことなんかない、今までも、今も、一度だって離れたことなんかない。鏡を見りゃあいつでも会える」
「…………」
「……って、自分に言い聞かせてさ、俺はムリヤリ納得した。そうするしかねーんだ」
 雪子がおもむろに陽介を振り返った。その眉根に深い皺が寄る。
「じゃあ、花村くんも?」
「陽介は第一号なんだ、シャドウと和解した、ね」悠が引き取って代弁する。「陽介のシャドウも天城のと同じで、みんなの見てる前で、ふっと消えた。さよならのひとつもなしに、突然」
 雪子も陽介も言葉はない。
「……そのあとさ、もう大変だったんだ」悠は一転、笑って陽介を指さした。「コイツ大泣きしてさあ――なあクマ」
「ちょっ、おま――!」
「そークマねー、どこいったんだよーとか、おれも話したいことあるんだーとか言って、ヨースケったらオイオイ泣いてたクマ」
 クマはあたまを蹴られて派手にひっくり返った。
「ギャース! なんばすっとクマァー!」
「クマてめチョーシのんな! つかオメーは――!」陽介が真っ赤になって詰め寄ってくる。「ひとがしんみり回想してっときに……そもそもそういう流れじゃなかっただろーが!」
「おれとしては」陽介を去なしながら雪子を見て、「天城が泣くところも見てみたくはあるんだけど……これはさ、べつに悲しむようなことじゃないと思うんだ」
 悠は笑って言った。そうすればあるいは雪子も愁眉を開くかと期待したのだったが、彼女は「だって悲しいもん」と唇を尖らせて、非難の視線を返すだけである。
「悲しいよ、悲しくないわけない、やっとわかりあえたのに」と言って、ちらと陽介を見ながら、「わたしはわかる、花村くんの気持ち。わらいごとにするなんてひどい」
「……ごめん。ふたりとも、笑ったのは謝る。悲しむようなことじゃないっていうのは、訂正する」いらぬ小細工だったらしい。悠はため息を漏らした。「でも喜ぶべきなんだ。喜ばなきゃ。だって雪子が泣きながら、悲しみながら天城の許へ戻ったなんて思う? 喜ばなきゃ……」
 ほかならぬ悠自身、雪子のシャドウが挨拶のひとつもなしに消えてしまったというのは、じっさい寂しくも悲しいものだった。なんといっても彼の接した「天城雪子」とはむしろ、雪子よりも彼女のほうであったのだから。彼は雪子ならぬ彼女から天城雪子の来し方を聞き、彼は彼なりの天城雪子への真情をもって雪子ならぬ彼女にぶつかった。わずかな間ではあったが悠に語り、また悠の話に耳を傾け、最後には心安く「悠くん」と呼んで親しげにしてくれたもうひとりの雪子の存在は、彼にはやはりどうしても惜しまれた。が、ここは彼女のためを思えばこそ悲しむべきではないし、彼女が今ほど回帰した雪子自身をもまた悲しませるべきではない。彼女らはこうなることで喜ばなければならないはずだ。
 そして悠もまたそうすべきであるはず。
「天城のシャドウは……雪子はさ、やっと天城と同じ眼で見て、同じ口で話せるようになったんだ」あとひょっとしたら、同じ膝を同級生の枕として提供できるようにも。「雪子は、天城雪子になってもいいんだって、ようやく思えたんだ。だから姿を消したんだ、きっと。今までそうできなかったのは、お互いがお互いを自分じゃないって思ってたからだ。そっちのほうがよっぽど悲しいことだ」
「それじゃあ」と、出し抜けに千枝が声を上げた。自身のシャドウを悲しげに見ながら、「あんたも……あんたも消えちゃうの?」
「消えるんじゃねーって――おらクマ立て」クマを助け起こしながら陽介が言った。「むしろ消えてたんだ。お前から、シャドナカが」
「あくまでシャドナカかい」千枝のシャドウはもはや訂正しなかった。「なんか消えるとか消えないとかいまいちピンと来ないけど――雪子」
「え?」
「鳴上くんの言うとおりだよ、たぶん」と言って、彼女は千枝を横目で見た。「なんか仮に、いまあたしがその、消えたとして? チエが泣いたり怒ったりしてるの、もしあたしが見れたとしたらさ」
「したら?」と、雪子。
「……なんか、ちょっとバカっぽいって思うかも」
「バカっぽいってなによ!」千枝が熱り立った。「あんたひとの気も知らないで!」
「だってなんか、ヘンだもん。ここにいるのに、そこにいないってワーワーゆうの」
「ど、どーいうイミよ」
「あんたはあたしで、あたしはあんた、なんでしょ? たぶんじゃなくってさ」千枝のシャドウはリュックを引き寄せて、再び中を漁り始めた。「雪子だってそーだったんでしょ? なら見えなくなったって消えてはないじゃん。伝えたいことあるならさ、どんだけ小さい声で喋ったって聞こえるよ。耳ふさいだって聞こえる。カオ見たいなら花村が言ったみたいに、鏡みればいいんだよ」
「んなこと言ったって」千枝は困り顔である。「アンタは消えるほうだからいいけど、消えられるほうの身にもなってよォ……」
「とっくになってるっつーのに。あたしはあんただってさっきから――おっ」
 千枝のシャドウがなにか気付いたふうにして、リュックのサイドポケットから平たいパッケージを引っ張り出した。
「……あったじゃあん、ビーフジャーキー」ほくほく顔で包装を破りながら、「チエ、あんたもたべる?」
「たべるけど……とっといてよ、いまはそんな気分じゃ」
「あっ、そうだそうだ、あたしぜんぶ食べてもいいんだ。あたしはあんたなんだから」
「ちょっ、待った待った!」千枝の憂鬱はたちまち食欲に征服された。「じゃああたしがぜんぶ食べてもいいってことじゃん!」
「そうそう。そーゆうこと」
 と、言い終えた瞬間、千枝のシャドウもまた雪子のシャドウのように、なんの前触れもなしに消えてしまった。ビーフジャーキーが床に散乱した。千枝が「あっ」となにか言いかけたが、その先は言葉にならない。彼女の俯いたあとはただ重苦しい沈黙だけが訪れた。
 言おうようのない哀愁が悠の胸中を満たす。つい先ほどまで笑ったり泣いたりしていた人間が、少なくともその人間と見分けのつかない生き物が、まるでフィルムを切り取って巧妙に継いだ古い映画の特撮のように、あまりにも唐突に不自然に消失してしまうこの無常! 過日の陽介のシャドウがそうであったように、雪子のシャドウも、そして今や千枝のシャドウも、切り捨てられたひとひらのフィルム片として、もう二度とアーク灯を浴びることはないのだろう。もう二度と「彼女ら」に会うことはないのだ。
「チエチャン」
 と、クマが気遣わしげに呼んでも、千枝はしばらく返事をせず、ただ下を向いてズルズルと洟を啜っていた。が、ほどなく真っ赤な目を上げて、
「ちょっと得したよね、うん。これでぜんぶあたしのもんだ」
 ジャーキーを拾い集めながら気丈にこう言った。取り乱す気配はない、彼女は自らの喪失と獲得とに耐えたのである。
「千枝、だいじょうぶ?」と、雪子が呟いた。
「んん、だいじょぶ。悲しいは悲しいけど」と言って、千枝は悠を見た。「……鳴上くんの言うとおりだよね。というか、正直ぜんぜん言うとおりじゃないけど、言うとおりにしなきゃ、なんだよね」
「言うとおり、って」
「喜ばなきゃってこと。アイツの――いや、あたしか、あたしがさっき言ったとおり、ここで泣いたりしたら変人じゃん」
「…………」
「鏡の中のじぶんがさ、じぶんに向かって話しかけてくれないって、騒ぐようなもんなんだ、きっと」ズッと鼻を鳴らして、千枝は続ける。「こっちから話しかければ同じことなのにさ。そうだよ、悲しむようなことじゃないんだよ……」
「それさ、実は俺もおんなじこと考えて、やってみたんだけど」と、陽介が口を挟んだ。
「え? どーだった?」
「いや、なんか、超バカっぽかった」
「……やっぱ鳴上くんって間違ってる?」
「間違ってる間違ってる。さっき悲しむようなことじゃないとか言ったときは八回くらい殴るって誓ったし」
 氷砂糖のかけらが飛んできた。悠はそっと呻いた。
「喜ぶべきってのは、そりゃそうできるようになってからゆっくりやりゃいいと思うぜ、俺は」と言って、雪子を見ながら陽介は笑った。「天城もさ、あのシャドウにいきなり消えられりゃあ、動転すんのは当たり前なんだよ。悲しいのも当たり前なんだ、だから泣いたって慌てたって別にいいだろ。天城が泣きたいなら、天城のシャドウだって泣きたいってこった。だろ?」
 雪子はウンと頷いた。
「……で、天城さ、泣かね?」
「え?」
「里中でもいいや、ちょっとさ、ここらで一発だれか泣いとこうぜ。泣いたの俺だけだとカッコつかねーしさァ、なっ? ほら、サンハイ」
 ようやく雪子と千枝とに笑顔が戻ってきた。それは薄くではあれ、後に悲しみの尾を曳かない穏やかな笑みである。これは悠が先ほど彼女らに与えようとして失敗したものだったのだが、
(コイツがうまくやってくれたってわけだ)この真夜中の冒険に論功行賞があるとすれば、功一等は間違いなく陽介であろう。(また見せ場を持ってかれたな……ま、いいか)
「それでどっちか泣き終わったら、次はおれの処刑だろ? 覚悟はできてる」悠はその場に大の字になった。「八回殴ろうが二十回蹴ろうがもう好きにしてくれ。おれは夢の中で天城に膝枕してもらいながら昇天する」
「あっ! そーそー思い出したクマー!」と、クマがとつぜん大声を上げた。「チエチャン、クマチエチャンにひとこと言っとかなきゃいけないことがあったんだクマ!」
「なんだ急に」と、陽介。
「なによクマきち」千枝はきょとんとしている。
「チエチャン、チンチン蹴っちゃダメクマ」
 不意打ちもいいところだった。重苦しい沈黙が戻って来る。さてこれを見逃す手はあるまい――苦労して上体を起こすと、果たして千枝はみるみる真っ赤になるところだった。
「は……はあっ?」
「チンチン蹴っちゃダメクマ」クマはなおも言い募る。「チエチャン、ここに来るときセンセイとヨースケのチンチン蹴ったクマ? ふたりとものたうち回ってもだえ苦しんでたクマ。オトコはねえチエチャン、チンチン蹴られると死んじゃうこともあるんだクマ! もんのすごく痛いクマよ、チエチャンはそりゃあつい――」
「クマストップ」陽介の制止が入った。「やめとけ。これ以上は死体蹴りだぜ、武士の情けだ」
 千枝はいっそあわれを催すほど赤面している。雪子がその様子を後目に見て、追い打ちをかけるように「蹴ったの?」などと訊き始める。
「けっ、蹴ったって、ええ? ど、どこをよ!」
「どこって、その……ほら、そこっ」雪子は指示代名詞でお茶を濁した。「それより! わたし前に学校で言ったじゃない、男のひとのそういうところって下手すると命に関わるって。冗談で蹴っていい場所じゃあ」
「じょ、冗じゃっ、冗談じゃないっちゅにょ!」
「千枝いま嚙んだァ!」雪子の声が一オクターブ上がった。彼女は先の公園のときのようにけたたましく笑い出した。「あははちゅにょって! ちゅにょってなに!」
「チンチン蹴っちゃダメクマ?」クマはあくまで追求の手を緩めない。
「あーうっさいうっさいわかりましたよ!」千枝は赤いのを通り越して赤黒くなりつつある。「ごめんなさいすみませんもうしません! はいこれでいいでしょっ!」
「なにをもうしないクマ? しっかりはっきり言葉にしなさい、クマは怒ってますクマー」
「こ、このアホグマ……!」
「チンチン蹴っちゃダメクマァ」陽介はどうやら武士の情けを忘れたらしい。
「チンチン蹴っちゃダメクマァ」もちろん悠もそんなものは持ち合わせない。
「おい悠、股間ガードしとけよ。ハンターが来るぞ」
「ここは物騒な世界だな、冗談じゃないっちゅにょ」
 悠と陽介は脇腹を蹴られて叫んだ。
「雪子もうっさい! いつまで笑ってんのあんたはっ!」
「だって、じょっ、冗談じゃないっちゅにょ……!」
 雪子に笑い止む気配は一向なさそうだ。じき堪忍袋の緒を切った千枝とのつかみ合いになったが、さしもの拳法つかいも片腕を封じられてはハンディキャップが大きく、雪子はよく親友の髪ひっぱり攻撃に抗し得ている。じきそこへクマが仲裁に割って入ったことで騒動はうたた混迷を極めた。しばらくは三人でなかよくやっていることだろう。
 悠は蹴られた脇腹をさすりながら、同じような恰好で傍らに寝転がる陽介を横目に見た。
「な、陽介」
「あん?」
「……おれってさ、金か、銅か、どっちかな」
 藪から棒の問いに陽介は訝って、「はあ? どーいうイミよ」と眉を顰めた。
「それとも芋かな」
「芋ォ? なんで芋……?」
 彼はさして考えるふうもなく、「金だよお前は」と言った。
「金だ金、十八金。とくに言動が十八禁」
「十八金か!」純金ではないのだ。それでも金は金だ。「そうか、十八金か……」
「で、なんでんなこと訊くのお前」
「さあね」悠は仰向けになって手枕を作った。ふたたび大あくびが出る。「ああダメだ、眠い、もう起き上がれない……」
「ここで寝たらマズくね? シャドウが来たら――」
「お前がなんとかしてくれるんだろ……たのむ三十分だけ……」
「へいへい。ま、今まで建物の外で襲われたことはなかったし、ちっとくらいは大丈夫だろ、たぶん」と言って、陽介は横たわったままひとつ長大息した。「……どうよセンセイ、ぜんぶ終わってみて。天城救出隊の隊長としてひと言」
「隊長はお前だろ」
「俺は参謀だから。隊長はお前。はい三、二、一、キュー」
(隊長ねえ)
 悠は寝転がったまま目を瞑って、深夜から続いたこの大冒険を振り返ってみようとした。が、すでに半ばいじょう眠りかけたあたまは思うように回らない。ジュネスの外での騒擾。千枝の妨害。彼女のシャドウとの遭遇、千枝たちの言い争い。初めての実戦。親友の負傷。そして雪子たち――もはやディテールはドロドロに溶け出して前後の区別もつかない。読み取れるのはもはや最後の実感だけだった。こうして無事にしおおせるまでまさかやり遂げられようとは思いもよらなかった、この大仕事を成功裏に終えたビビッドな実感。
「アークタ、レース、エスト……!」
 終わったぞ――悠は両の握り拳を赤い空へ突き上げて、それを大声で表現した。





「菜々子ちゃんはなにがいい?」
「オレンジジュース、ある?」
「オレンジ、えっとね、ファンタがあるよ」
「タンサンだからファンタのめない」
「あーそっかー……紅茶は? ミルクティー。甘いよ」
「それがいい!」
「おれも同じのでいいよー」と、悠は両手でメガホンを作った。「あ、待った、無糖がいい。無糖たのむ」
「オメーは自分で買え。カネ持ってんだろーが」陽介は辛辣である。「おごんのは菜々子ちゃんだけ!」
「菜々子だけー!」菜々子がにこにこしながら陽介の真似をする。
 べつに喉が渇いたわけではなかったので、菜々子にひとつ手を振ったあとは買いに立つでもなく、悠はそのままベンチに収まっていた。
 彼の背後には御康駅の駅舎が建っている。悠たちが電車を降りたときより駅前に人足はようやく増え、目の前の小体なロータリーにも人待ち様に横付けされた車両がいくつか散見され始めていた。折々に出入りするタクシーがそれを迷惑げに睨め付けている。ベンチのすぐ隣に立っている「駐車禁止」の標識はほとんど顧みられない様子。
 悠は左腕のメモヴォクスに目を落とした。十時三十分――そろそろ合流できないと予約の時間に遅れてしまうかもしれない。
 ロータリーを挟んだ駅の対面には、こんな日曜日の昼前にはちょっと賑わいそうな、小ぎれいな駅前通りが開けている。実際それなりに繁盛してはいるのだろう、クッキーみたいなこげ茶色の、チェック柄のタイルで舗装されたアーケードに、見られる限りの範囲でシャッターを下ろした店舗はひとつもない。道行く人々の中には悠たちと同じような年代の人間も多い。あるいは八校の人間も紛れ込んでいるかもしれない。
(あ、ジュネス見っけ)
 駅前通りのすぐ入口にあるスターバックスの頭越しに、距離を違えてイオンモールと、おなじみのジュネスの看板が眺められた。菜々子が見たら狂喜乱舞まちがいなしだ。八十稲羽駅から電車に乗って三十分ほども揺られれば、ジュネス八十稲羽店だけでは支えられない需要を満たしうるこのような商店街に来られるのである。もっとも陽介の談では店舗の規模と種類、なかんずく若向けのそれにおいては、ここよりもう二、三十分も先の沖奈には及ばぬということだが。
「ほいよ」
 ベンチに戻って来るなり、陽介は悠の目の前に缶ジュースを突きだした。
「え、くれるの?」
「ちっと飲んでみ。感想きかして」
 缶には「リボンシトロン」とあって、デフォルメされた少女と犬のキャラクターが描かれている。初めて見る銘柄だ。
「聞いたことないな。リボンシトロン?」
「それなにあじ?」と、菜々子。
「俺も初めて見んだけどさ。なんか怪しくね? 名前」陽介は自分用に買ってきたコーヒーを啜っている。「なんか見た目は子供っぽいけど……ドクターペッパーに通じるイミのわかんなさがあるっつーか」
「ドクターペッパーって?」と、悠。
「それなにあじ?」と、ふたたび菜々子。
「ドクペ味。ドクターペッパーってのは、まあ、いつか自販機で見つけたら飲んでみ、オススメだから。それより今はリボンシトロンだ」
「おれは毒味役か……これサイダーって書いてあるけど」
 蓋を開けて中身を少し含んでみる。味は酸っぱくないレモンスカッシュといったところだ。缶の意匠といい子供向けにでも作られたものなのだろうか。
「おいしい?」と、菜々子。
「うん、いける。まんまサイダーっていうか、子供用レモンスカッシュって感じ」
「あ、そう。なんか興ざめだな」陽介はつまらなそうにしている。「スゲーまずかったら面白かったのに。百二十円ソンした」
「…………」
「ちょっとのんでいい?」
「ん、菜々子ちゃん炭酸のめないってさっき」
 と、悠が言いさすと、菜々子はちょっと不機嫌そうに眉を顰めた。
「ええと、大丈夫?」
「だいじょうぶ」悠の差し出した缶を受け取って、「ちょっとならだいじょうぶ。のんでみる」
 菜々子は恐るおそるリボンシトロンを賞味し始めた。
(おれ、なんか癇に障るようなこと言った?)
「なあ悠、ところでそれって」
「え?」
 呼ばれて振り向くと、陽介はなぜか照れたような微妙な笑みを浮かべている。
「……なに、なんだよ」
「ひょっとして気に入ってんの? 安もんだけど」
 と言って、彼は悠の羽織っているカットジャケットの袖を摘んだ。それは一週間前のあの大冒険のあと、それまで着ていた上着に代えて陽介から買い与えられたものだった。
「いや、たまたま」もちろん気に入っている。彼から授与された勲章のようなものだ。「いちばん目近にあったから着てきただけ」
「あっそ……」陽介は苦笑してコーヒーを呷った。
 時間で言えばちょうど一週間前のいまくらいであろうか。休憩後の仮眠から醒めた悠たちが、さてジュネスへ戻るにはどうしたらよいかと寝ぼけたあたまを傾げ始めたのは。
 行きはよいよい帰りはなんとやら、というやつである。おのおの小さな傷はリュックサックに備え付けてあったファーストエイドキットで治療ができた。血痕も拭くことはできた。汚れた顔もくたびれた髪も煤けた服も、それらしく繕うことはまずできた。が、なにしろ問題になったのは千枝と悠の服だった。かたや血まみれ、こなた焼け焦げだらけ、まさか着たまま怪しまれずに済むはずはなし、といって脱いだあとの替えもなし。さしもよろずに気のつく忍者のリュックといえども、服だけは入っていなかったのだ。
「俺がまずひとりで出てって、お前らの服テキトーに見繕ってくるから」
 と、解決案を示したのは陽介である。とうぜん悠たちは眉を顰める。というのも、誰も財布を持ってきていないことはすでに確認済みであったので。しかし彼は胸を張って、
「俺って店長の息子だからさ、ツケが利くんだよ。ジュネスの王子の数少ない特権のひとつだよな」
 などと言い出す。いくら店長の息子でもそんなことが許されるのかと悠たちも訝ったものだったが、ともあれ彼はジュネスへ戻って三十分もしないうちに、悠の上下ひとそろいと千枝の上着――止血帯を隠すためのブカブカのパーカー――を購って戻ってきたのである。まったくもって花村陽介という男は得難い友人であった。もし「天城救出隊」に彼がいなかったら、警察に補導されずに家へ辿り着くことはおろか、そもそも夜中にジュネスへ忍び込むことすら適わなかったのだから。
(ほんとうに得難い友人だ、こいつは)
 のちにわかったことだったが、このとき陽介は尻と大腿に七カ所もの傷を隠していた。暗い色のジーンズを穿いていたせいで誰も気がつかなかったのである。露見したときは出血こそほとんど止まっていたものの、とくに脚の傷のうち一カ所は決して浅いものではなく、靴を脱がせてみればあんのじょう靴下も靴の中も流れ落ちてきた血で染まっていた。大したことはないと平気な顔をしてはいたが、内心は歯噛みして堪えていたに違いない。一時的に彼のペルソナが理性を失って大暴れしたとき、やはりその代償は彼自身に降り注いでいたのだった。
「タンサンシューシューするね」菜々子は意外に気に入った様子。「リボンシロトンおいしい!」
(シロトン……)
「お、菜々子ちゃん炭酸へいきになった? じゃあこれで大人だ」と、陽介。
「タンサンのめたらオトナなの?」
「うん大人。あ、菜々子ちゃんのお父さんってビール飲む? というか、ビールってわかる?」
「わかるよ、ビール。ビールお父さんのむよ。ゴホンのめるよ」
「そっかあ……ほら、ビールって炭酸はいってるじゃん? シュワシュワいってるじゃん?」
 菜々子はウンと頷いた。
「炭酸は大人の飲み物だからさ、だからビールにも入ってるってわけ。だから菜々子ちゃんは大人」
 菜々子はこの無茶苦茶な論理に大いに得心して、誇らしげに「リボンシロトン」を打ち眺めている。
「菜々子これのむから、こっちあげるね」
 もはや用はないとばかり、彼女は陽介から貰ったミルクティーを惜しげもなく悠に差し出した。菜々子の中ではすでに牛乳入りの甘い紅茶など「こどもののみもの」に格下げされているのだろう。
「陽介、間に合うかな、時間」ミルクティーを押し頂きながら、悠はふたたび腕時計を一瞥した。「予約って十一時なんだろ? いま三十八分だけど」
「そろっと電車も来んだろ、もう着くはずだから」と言うだけは言いながら、陽介の面はだんだん曇り始める。「……着くはずなんだけど、ヤベーな、乗ってっかなァ。病院込んでて遅くなってるとかって可能性も」
「電話してみたら?」
「電車きても降りて来なかったらしてみっけど……あーあいつら遅れんなら連絡しろよなァったく」
 などと陽介がぼやいているうちにも、御康駅のホームへ電車が滑り込んでくる。あれに乗っていればいいけど――悠は菜々子にベンチを勧めて、貰ったミルクティーの封を開けた。もし時間に遅れたばあい千枝と雪子のぶんはキャンセルできるのだろうか。もし折詰にでもしてもらえるなら遼太郎へ恰好の土産にもなろうが、
(ムリだよな、さすがに。なんたって県内で一番の有名店だもんな……)
 ふと、例の紬を着た雪子が、しずしずと高級鰻屋ののれんを潜る光景が目に浮かぶ。さだめし彼女なら行く先がどのような高級店でも絵になることだろう。
「……天城、和服きてくるかな」
 と、悠はひとりごちた。
 もっとも仮に着てきたとしても、それはおそらくあの因縁の紬でだけはあるまい。彼女はほかならぬそれを着て誘拐され、異世界へ連れ込まれ、未知の怪物に追いかけ回されたあげく、煤の薄く染み付いたのもそのままに、ただひとり警察へと出頭したのだから。雪子にとっては苦痛とトラウマの象徴とでも言えようものだ。
「わたしはひとりでだいじょうぶだから、鳴上くんはふたりを病院に連れてってあげて」
 去る一週間前、そう言って悠の同行を強いて断ったのは当の雪子であった。おそらく一緒についてくれば事情聴取は避けられない。まさか本当のことを言うわけにはいかない、といって、真相を隠したまま警察相手にそうそう辻褄の合う供述ができるとも思われない。ボロが出ればいらぬ疑いをかけられないとも限らない、よって来るべきではない……
「わたしは警察のひとに声をかけられしだい、気がついたらこのあたりにいましたって言うつもりだから。なにを聞かれても『覚えてない』で通しきるしかないと思うの。ひょっとしたら捜査の妨害になっちゃうかもだけど……」
 お説ごもっとも、確かに彼女の言うとおり。悠はそれ以上どう引き留めてみようもなく、内心おおいに彼女を案じながらその華奢な肩を見送ったのだった。その後は警察の聴取なりカウンセリングかなにかのケアなり色々あったのだろう、学校へは来ていない。陽介経由で千枝から彼女の様子を知らされてはいたが、あの日以来いちども会ってはいないのである。
 雪子はきょう千枝の傷の抜糸につきあったあと、一緒にここへ来ることになっていた。
「お、来たんじゃね?」
 陽介がベンチを離れて駅舎を覗き込んだ。じき千枝のものと思しい「おー、出迎えごくろー!」などと言う声が聞こえる。
「ごくろーじゃねーよ、もう時間おしてっぞ。予約は十一時!」
「うぇ、十二時じゃなかったっけェ? お昼ゴハンでしょ?」
「おま……俺メールまでしたっつーのに。十二時枠なんか四日前に電話しても空いてなかったし」
「ほら、やっぱり十一時だった」と、雪子の声。「お茶のんでたら確実に遅刻してたね」
 陽介に伴われて千枝と雪子が駅舎から出てきた。ふたりとも悠と菜々子を見つけて小さく手を振る。肝心の雪子は和服ではなく、臙脂色のワンピースに同色の羅のスカーフといったいでたち。
(まあ、似合ってるんだしいいか)悠はかすかに落胆した。(べつに和服マニアってわけでもなし……でもあの紬もよかったよな……)
「おーっす鳴上くーん、とォ、菜々子ちゃーん!」千枝が小走りに駆けてくる。「ひさしぶりー! 元気してた?」
「ひさしぶりー!」と、菜々子の返事もじつに屈託ない。「ちえちゃんと……ゆきちゃん!」
「ひさしぶり、菜々子ちゃん。と、鳴上くんも」と、雪子も微笑む。
「ひさしぶり。じゃあとりあえず」悠はベンチを立ってミルクティーを呷った。「行こう、鰻屋。もう時間ないし」
「はいはいあたしのせいあたしのせい」千枝はわざとらしく膨れている。
「だな。里中のせい」と、陽介。
「ホント千枝のせい」と、雪子。
「ちえちゃんのせい」菜々子はおそらくわからないまま同調している。
「菜々子ちゃん以外うっさい」
「ほら陽介、案内」と、陽介を促して歩き出しながら、「里中どうだった? 抜糸」
 悠は彼女の傷の容態を訊いてみた。彼自身も処置に関わった傷なのだ、この一週間というもの片時も忘れたことはなかった。
「まだあんまり動かすなって言われたけど、もうぜんぜん」千枝はあっけらかんとしている。「縫ったり抜糸したりよりさ、最初の上着はずされるときのほうが痛かったくらい。くっついてたし」
「やっぱり強く縛りすぎた? 医者はなにか言ってなかった?」
「いやべつに……あーもーなんで落ち込むのォ? 鳴上くんのせいじゃないじゃん!」
「べつに落ち込んでない――おい陽介、道、どっち」
「こっちこっち」陽介が代わりに先頭に立った。携帯になにごとか打ち込みながら、「仮に百歩譲って悠に責任があんだとしてもさ、今日のでチャラだろ?」
「そーそー! 今日の高級ウナギであたしの傷は完治する予定ですから」
「ホントによかったの? わたしいちおうお金もってきたから」雪子は申し訳なさそうにしている。
「菜々子ももってきたよ。センエンあるよ」菜々子はまだ缶ジュースを舐めている。
「いいんだ。里中の快気祝い兼……まあ、反省会? とにかく、今日はおれがぜんぶ奢るから」
(反省会、兼、決起集会になるか。それとも)悠は千枝と雪子のポケットをちらと見た。(それともこれにて解散となるか……)
 ふいに懐の中の携帯が鳴き始めた。電話ではない、取り出した携帯のバックパネルには「メール受信」とある。
『今日言うんだろ? タロットとペルソナのこと』
 メールは陽介からのものだ。彼はそしらぬふうで振り向きもしない。もちろん、千枝たちのポケットのことを言っているのだった。テレビの中から出る以前にすでに燐光を放ち始めていた、おそらくはその中にタロットカードが入っているのであろう、彼女らのポケットについて。
 背後の女性陣は最前からなかば冗談まじりに、悠の気前のよさをあれこれと褒めそやしている。悠は彼女らから離れて陽介の背後に近づくと、
「どうかな」
 と、彼にだけ聞こえるよう小声で呟いた。


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