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No.35651の一覧
[0] PERSONA4 THE TRANSLATION(ペルソナ4再構成)[些事風](2014/11/03 16:25)
[1] 序章 PERSONA FERREA[些事風](2014/11/03 16:25)
[2] 一章 REM TALEM MINIME COGITO[些事風](2012/10/27 23:54)
[3] 国を去り家を離れて白雲を見る[些事風](2012/10/27 23:57)
[4] マヨナカテレビって知ってる?[些事風](2012/10/28 00:00)
[5] ピエルナデボラシーボラ![些事風](2012/10/28 00:03)
[6] 出れそうなトコ、ない? ひょっとして[些事風](2012/10/28 00:07)
[8] 死体が載ってた……っぽい[些事風](2012/10/28 00:27)
[9] ペルソナなんぞない[些事風](2013/03/05 00:17)
[10] でも可能性あるだろ?[些事風](2012/10/28 00:34)
[11] バカにつける薬[些事風](2012/10/28 00:36)
[12] シャドウじゃなさそうクマ[些事風](2012/10/28 00:41)
[13] 吾、は、汝[些事風](2012/10/28 00:46)
[14] 俺はお前だ。ぜんぶ知ってる[些事風](2012/10/28 00:53)
[15] ノープランってわけだ[些事風](2012/10/28 00:56)
[16] 旅は始まっております[些事風](2012/10/28 01:05)
[19] 二章 NULLUS VALUS HABEO[些事風](2014/11/03 16:26)
[20] あたしも行く[些事風](2013/01/15 10:26)
[21] それ、ウソでしょ[些事風](2013/03/05 21:51)
[22] 映像倫理完っ全ムシ![些事風](2013/05/12 23:51)
[23] 命名、ポスギル城[些事風](2013/05/12 23:56)
[24] あたしは影か[些事風](2013/06/23 11:12)
[25] シャドウ里中だから、シャドナカ?[些事風](2013/07/24 00:02)
[26] 脱がしてみればはっきりすんだろ[些事風](2013/10/07 10:58)
[27] 鳴上くんて結構めんどくさいひと?[些事風](2013/10/14 17:36)
[28] セクハラクマー[些事風](2013/12/01 15:10)
[30] アギィーッ![些事風](2014/01/31 21:58)
[31] かかってこい、あたしが相手だ![些事風](2014/03/04 21:58)
[32] クソクラエ[些事風](2014/04/16 20:30)
[33] あなたは、わたしだね[些事風](2014/06/15 15:36)
[34] とくに言動が十八禁[些事風](2014/07/26 21:59)
[35] コードレスサイクロンユキコ[些事風](2014/09/13 19:52)
[36] 自称特別捜査隊カッコ笑い[些事風](2014/09/24 19:31)
[37] ッス[些事風](2014/11/03 16:29)
[38] oneirus_0d01[些事風](2014/12/14 18:47)
[39] 三章 QUID EST VIRILITAS?[些事風](2015/03/01 16:16)
[40] ええお控えなすって[些事風](2015/05/17 00:33)
[41] キュアムーミンだっけ[些事風](2015/10/18 13:01)
[42] おれ、弱くなった[些事風](2015/11/20 10:00)
[43] 中東かっ[些事風](2016/03/02 00:50)
[44] バカおやじだよ俺ァ[些事風](2016/05/15 16:02)
[45] ここがしもねた?[些事風](2016/08/16 15:11)
[46] 腕時計でしょうね[些事風](2016/11/15 13:03)
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[35651] アギィーッ!
Name: 些事風◆8507efb8 ID:6773adaa 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/01/31 21:58


「天城、天城よく聞いてくれよ、これから大事なこと言うから!」矢庭に雪子へ飛びかかると、悠は思い余って彼女の顔を両手で挟んだ。「おれの眼を見て、耳を傾けて、ぜったいウソは言わない、信じてくれなきゃ困るっ!」
 と、齧りつくようにして言い募る、眦を決してはたと見据える。雪子は押し倒されんばかりになって「なに、なに、なんなのォ?」などと動転も甚だしい。眼を白黒させながら、それでも悠の言葉にいちおう反応するようになったのは、あるいは自らの声――シャドウの声を耳にした驚愕がショック療法のような効能を示したものか。少なくとも彼女は正気を取り戻してはいる様子。
「よく聞いてくれよ――いまあそこに現れたのは、もうひとりの天城なんだ」
 そして正気を取り戻したからこそ、こんな言葉をすぐさま鵜呑みにするわけもないのだった。雪子は秀眉を寄せて「なに言いだしたのこのひと」とでも言わんばかりである。
「……え? あの、ごめん意味が」洟をすすり上げながら、「あそこって、現れたって、意味がわからない、んだけど」
「あ、いや、天城には見えないと思うけど、いま逃げてきたポス……天城屋から天城のシャドウが出て……ええとシャドウっていうのは――!」
「王子サマー! 雪子はここですよォー!」
 スピーカーを介したシャドウの声が、ポスギル城に反響して悠の言葉に覆い被さった。雪子の猜疑に満ちた眼がこの声の主を探して彼の肩むこうをさまよう。振り返るとちょうど、はや竈の焚口のようになりはてた天城屋の玄関から、雪子のシャドウがクラゲのようなスカートを揺らしながら歩み出て来るところだった。
 火だるまになっていて然るべきなのが、そこはシャドウのシャドウたるゆえんでもあろう、その身を包む古体なデコルテに火のひらひとつ帯びた様子はない。天にも閊えよと燃えるポスギル城を背負い、炎に嬲られ乱れる黒髪は輝かんばかり。マイクの擬せられた花唇の艶なる、影になずむ白磁の麗貌も窈然として雅やかに、ほっそりした姿態を楚々と歩ませるさまは美々しくも気高い、火裏の蓮華が化身もかくやあらんといった風情。
「いまの……さっきのもそうだけど、あれってわたしの――」
「そう、いや違う」雪子に向き直って、「天城おれの眼を見て! 集中! 声は気にしない!」
「だれに話しかけてるんですかァもう妬けちゃあう」
 衣擦れの音が悠の背後へと近づいてくる。万事休すか、いっそ雪子を引っ張ってスタジオまで走るかなどと自棄になりかけていると、
「天城ストップ! ちょっと待った」
 陽介が悠を庇うように、というより、雪子のシャドウから悠たちを隠すようにして前に出てきた。「天城」と言われて雪子が訝しげに彼を見たが、もちろん陽介は彼女に話しかけたのではない。
「なんですか? 王子サマ」雪子のシャドウは素直に停止して、持っていた可搬型スピーカーの音量を絞った。「雪子にご用ですかァ?」
「王子サマって、え、俺のこと? 王子サマとか呼ばれたの初めてだったりして……あー、陰でジュネスの王子とか言われたことあっけど」陽介は困惑まじりに、それでも愛想よく笑いながら続けた。「わり、あのさ、ちっと待っててくんねーかな、いま取り込み中でさ」
「花村くんなに言ってるの、天城って」
 と、雪子の訝しげに問うのに、陽介は振り返ってあいまいに笑いかけがてら、悠に鋭い視線を送って「なんとかしろ悠、シャドウ!」などと呟いた。
(こいつ、時間稼ぎを……?)
 城の外に出たことで雪子の視界を遮る霧はいっそう濃くなっているはずだった。彼我の距離から言ってシャドウ側からはともかく、雪子には声こそ聴かれていてもまだシャドウの姿は見えていないはず。早晩その存在を目の当たりにしてしまうのは避けられなくても、せめて通り一遍でも悠が説明を終えるまでは、彼女がシャドウの、つまり自分自身のドッペルゲンガーの姿を見て錯乱することがないようにと、陽介は気を回したのだろう。この様子を見ていた千枝もまたクマを従えて、われらも合力せんとばかり悠と雪子の前へ躍り出てくる。
「うわっ雪子なにそのカッコ! つかどこに売ってんのそんなの」千枝はいささかわざとらしい、ことさら驚いたような様子でシャドウにからみ始めた。「ひょっとしてジュネス? コスプレ用品まで売ってるってちょっと品揃えよすぎじゃない花村?」
「ねーよ! うちはドンキかっつの……あーお前ドンキ知らねーよな、どーせ」
「しらねーよ。あ、雪子は知ってる? ドンキって」
「ヨースケ、チエチャン、こっちはシャド――」クマのあたまに千枝のヒジがめり込んだ。「――ドンキってなに? なぐるクマ?」
 こんな急場凌ぎの寸劇で稼げる時間などわずかだろう。それでも試みるだけは試みなければ――悠は雪子の顔を両手で挟んだまま、せめて少しでもシャドウから距離を取ろうと彼女をぐいぐい押しながら、
「天城きいてくれ、さっきも言ったけど、信じられないのは百も承知だけど、ウソは言わない。さっきの声の持ち主、天城と同じ声の持ち主、いま陽介と里中が話してるのは、もうひとりの天城なんだ」
 持てるすべての力をただ「誠心誠意」の四文字に傾けて、悠は雪子に覆い被さるようにして打ち明けた。
「……は?」もっとも雪子にはセの字すら伝わっていない様子。「もうひとりのわたし……って、え? どういう」
「わかるよ、わかる、その気持ちはわかりすぎるほどわかる! 困惑するのはもっともなんだ、陽介も里中もそうだった、信じられないのはあたりまえなんだ!」雪子が円形階段を踏み外しかけて悲鳴を上げるのも意に介さず、悠はなおも押しまくって言い募る。「でもこの世界のことを考えてくれ、この世界! ここは異常だ、おれたちのいた世界とはまったく異質で、常識なんかいっさい通用しない! そう天城も見たあのバケモノ、あんな生き物がおれたちの世界に? もちろんいやしない、ここは別世界、いや異世界なんだ! ここではおれたちの――!」
「鳴上くんわかったからちょっと放して、わかったから!」などと口だけでは言うものの、雪子は明らかにわかっていない口調である。「わかったから……ね? ちゃんと話きくから」
「あ、ごめん、放すよ、放す」悠はようやく雪子を解放した。「わかってもらえた? ここはつまり、そういう世界なんだ、人間の精神……とか心みたいなのが、その、形になって表面に出てくるというか」
 雪子は応えずに懐からハンカチを取り出して、しばらく無言のまま涙と洟とに塗れた顔を拭っていた。が、まったく眼は口程にものを言うとはよく言ったもので、指のあわいから隠れ見える彼女の眼の、悠を見るになんと濃厚な疑わしさを秘めていることだろう。もちろん彼女は少しもわかっていないのである。
(天城は正しい……)
 悠は彼女の視線から逃れるように、うつむいて目を瞑った。宜なるかな、雪子は正しい! いまさらこんな性急で雑なやりかたで躍起になって、この不可逆的失点を必死に取り返そうとしているおのれの醜さ馬鹿らしさを思えば、彼は瞑して歎ぜずにはいられない。もちろん雪子は正しい。いきなりこんなことを耳に入れられて、いったい誰がハイそうですねなどと信じるというのだろう。
「ほらっ、さっき、階段おりる前にさ、陽介も言ってただろ?」それでも黙ってなりゆきに任せることはできない。悠は顔を上げた。「天城のドッペルゲンガーみたいなヤツがここにいるって」
「ドッペルゲンガー……って、外国の、妖怪みたいな、あれ?」
「そうそれ、妖怪――じゃない、違う、陽介のはあくまで喩え! 妖怪とは違う」
「要は、さっき鳴上くんの言ってた、シャドウがいるってことなんでしょう?」雪子は納得しかけている、それもあまりよくない方向で。「ここに住んでる化物が、そっちに」
「違うんだよ、シャドウじゃ……いやシャドウなんだけど、シャドウには種類があって……」
 おお汝愚者よ――悠は急に泣き出したいような気持ちに襲われた。もはや罵り飽きた、そのための語彙も尽き果てた、今こそおまえに対する幻滅は極まった! 陽介たちが彼を恃んで時間稼ぎをしてくれているこんな状況になければ、悠は挽回する気力を奮い起こすことすら諦めて雪子の足許に泣き伏していたかもしれない。
 これは陽介が先にそう言って慰めたような、ともすれば不可抗力とも解釈できた今までの失敗とは次元が違う。この全き辛酸には不可抗力をもって自らを責めるときにしばしば支払われる、あのささやかな報酬、パセティックで自己陶酔的な、ほろ苦い甘味など少しも備わらない。悠は確かにあの手紙を受け取るまでは、雪子へシャドウの説明をせねばならぬと決心していたのである。そしてそれに充てる時間はじゅうぶんあった。にもかかわらず彼はそれを無為にも、貴重な時間を費やしてまでする必要もない思索で費消してしまった。汝愚者よ! 愚かな上にもバカである。
(うちに帰ったら辞書を引こう……おれにふさわしい、もうちょっと破滅的で凝った罵倒語がたぶん見つかるだろう)あくまで家に帰ったら、である。(鳴上悠、エポケー! 仕切り直せ! いまはバカのひと言で十分だ、自分のバカさ加減をつぶさに分析してる時間はないんだ! それよりなんとかして天城に説明しないと――)
 こんなふうに克己のひとり相撲をとっていても、畢竟それで雪子たちがどうなるわけでもない。彼が打開策を講じかねて煩悶している暇もなく、背後から「あっ、天城まてって!」などと陽介の制止する声が聞こえた。彼のせっかくの時間稼ぎも水泡に帰したようだ、その恃むところの友人はなにほどの成果も上げられなかったのだから。
 恐るおそる振り返ると、果たして足取りも優雅にこちらへやってくるシャドウと、それを追い抜きながらさかんに制止を呼びかける陽介たちとが見える。悠は窮余のあまり、先に親友に勧められた「楽観」とやらを試みてみた。雪子はおとなびていてしっかりしている。陽介や千枝とはさだめて人間の成長の度合いも違うことだろう、もちろんそれは彼女自身のシャドウにも言えることだ。あんがい雪子は自分のシャドウとうまく談判しおおせるかもしれない。いや、そもそも陽介と千枝の例に漏れないと考えるのが間違いだ、ひょっとするとふたりはお互い顔を合わせてもいがみ合わずに、時節の挨拶を交わす程度で済むかもしれないではないか!――彼のせっせと膨らませたこの小さな期待も、おそらくは雪子の姿を認めたのだろう、彼女のシャドウが嫌悪もあらわにその麗貌を歪めるのを見るや否やはかなく弾けて消えた。
「悪い悠、ダメだった。なんかぜんぜんハナシ通じないっつか……」陽介が駆け寄ってきて低く訊いた。「で、そっちはどう、成果は?」
「おれは楽観の才能もないらしい」悠は悄然として呟いた。
「ダメだったってこと?」と言って、千枝は雪子を隠すようにして悠の横に並んだ。「――雪子、鳴上くんの言うこと理解できた?」
「……アレは、シャドウなんでしょ? 要するに」雪子が恐るおそる自分のシャドウを指さす。「なんなのアレ……なんかすごい恰好してるけど」
「なんだわかってんじゃん――ほらクマきち、こっち! はやく!」
「なんでクマだけ王子サマじゃないクマ……?」
 ぶつぶつ言いながらクマが千枝の横に並んだ。ちょうど雪子と彼女のシャドウを隔てるようにして、悠たち四人が堵を作ったような恰好である。
「天城あれは――」悠たちの目の前、五歩ていどの位置でシャドウは立ち止まった。タイムオーバーである。「――天城、これだけは理解してくれ、あの天城は化物じゃない、妖怪でもない、天城自身なんだ」
 肩越しに雪子へ強く言い置くと、悠はひとりシャドウの目の前へ歩み出た。ついに恐れていたシャドウとの遭遇を果たし、かつ「彼女」がじき雪子にとってはなんとしても認めがたいであろう、耳に痛い話を切り出すのが目に見えている今、この上なにをどう言って聞かせたところで彼女はシャドウの本質を理解しなどしないだろう。雪子の錠前はほどなく泥に漬けられようとしている、もはや彼女自身へのアプローチに望みはないと言っていい。けっきょく千枝の例と似たようなケースになってしまった。が、
(里中と同じケースならまだやりようはある、天城がダメなら天城のシャドウだ)
 少なくともシャドウには雪子がいま見せているような動揺の色は覗われない。陽介や千枝のときと同じで、シャドウは常に「驚かす側」なのだ。もちろんこのまま放置して雪子と会話させれば牙のひとつも見せるのだろうが、悠が先制して話しかければきっと「普段の雪子」が返事をしてくれるはず。
「やあ」
 と、悠はシャドウに笑いかけた。笑いかけながら内心、いくらなんでも「やあ」は不自然すぎたと唇を嚙んだものの、意外にも彼女はいたってにこやかに、
「やっと迎えに来てくれたんですね、王子サマ」
 などと応えた。
「あはは……王子サマか。また不審者からずいぶんと出世したな、おれ」
「もちろんあれは冗談ですもん。あなたは王子サマだ、か、らァ、傘とか帯なんかあげるのは失礼なんです」シャドウが一歩詰め寄ってきた。「王子サマにはもーっといいもの、深夜帯じゃないとあげられないものをあげちゃいます!」
「そりゃ、楽しみ」悠は思わず目を逸らしかけた。「ええと、ところで、天城はお姫さまだからこんな、きらびやかな恰好を?」
「そうです! コレ番組用に特注したやつなんですけど、キレイでしょ? 似合いますかァ?」
 と艶然とほほえんで、雪子のシャドウはスカートの両裾を取ってちょっと持ち上げて見せた。
 間近で見る彼女はいよいよ美しい。転校初日に帰路を共にしたとき、千枝の冗談に付き合って悠がじろじろ見るのに不快感を表明していたことからも察せられるとおり、雪子はいったいおとなしめな質で、とてもではないが男に対してあからさまな媚態をつくるようなことは間違ってもしそうにない――親しい人間にはするのかもしれないが――のだが、いざこんなふう「しそうにない」を実現されてみるとその威力はなまなかのものではない。平素より女色なにするものぞ、あに蛾眉皓歯のわれを征すべけんやなどと高をくくっている悠にしてからが動悸を禁じ得ないのである。が、
(ドンキっていうより、トイザらス?)
 霧に紛れては絹の光沢とも見られたデコルテはしかし、彼女の魅力を引き立たせるどころか減殺しかねないしろもので、改めて近くで見てみるとなんともペタッとした厚みのない、ビニールのような安っぽさが目立った。一瞥してどこにも縫製の跡が見られないのは、ひょっとすると糊かなにかでくっつけられているのかもしれない。身体のそこここに鏤められたコサージュも遠目には薔薇のように見えたが、その実態は手芸初心者が練習用に作ったみたいな、形も大きさも不揃いの至ってつたないものである。
「うん、まあ、似合うよ、似合う」
 雪子のシャドウにそれらを恥じる様子はないばかりか、なんとはなし誇らしげですらあった。こんな「おもちゃ」をまるで正装のように着こなす姿は、モデルの不釣り合いに容姿端麗なのも手伝っていっそグロテスクである。いかにも、彼女はポスギル城の姫君であるらしい。
「で、あのさ、ちょっとお姫さまに話があるんだけど」
 悠の言葉は中途から、シャドウの傍らに置いてあるスピーカーによって大きく増幅されて響いた。彼女がマイクを悠の口許に差し向けたのである。
「あっ、こちらの王子サマ、わりと積極的です」あらぬほうを向いて、今度は自分の口にマイクを引き戻して、「これだと逆になりませんねー……でもドキドキしてきたかも、出方を見てみたいと思います!」
 見えない誰かに話しかけるようにして、雪子のシャドウは実況中継でもしているふうである。陽介の「なんかぜんぜんハナシ通じない」と言うのはこれを指すのだろう、先にもゲストがどうだのと言っていたが、どうやらこれは先にマヨナカテレビで見た「雪子姫の白馬の王子サマ探し!」の続きであるらしい。
(出方を見る……ってことは、要はおれがナンパしてるって体裁になってるんだな、コレ)
 これは彼にとって不名誉きわまりないことだったが、まがりなりにもシャドウが受身になってくれたのは都合がよい。そうだ、ナンパにこと寄せて説得すればよいのだ! 悠は世のナンパ男が獲物を見つけたときにかくも繕おうかと思われる笑顔で、
「天城のこと、雪子って、呼んでもいいかな」
 これまでのセオリー通り、雪子と彼女のシャドウを呼び分けるところから始めた。――少しく顔に血の昇ってくるのを意識せずにはいられない、もちろんこの科白もシャドウの持つマイクによって聞かざるあたわざるの大音量で拡声されている。背後の四人にもじつに明瞭に聞かれたことだろう。
「鳴上くんちょっと、なに――」
 案の定、聞き捨てならぬとばかり後ろで雪子の声が上がったものの、これは陽介と千枝とによって速やかに止められた。事情を知るふたりに加えてクマもいるのだ、彼女の抗議はこのさい彼ら三人に任せて無視してしまう。いっぽう、ひそひそ言い合う陽介たちを大して気にするふうもなく、雪子のシャドウは後ろを向いて小さくガッツポーズをとって、
「脈アリです! もーいきなり大本命攻略寸前? でもコレ尺的にどーなんでしょうか、そのぶんカラミ増しでOK? それともちょっと冷たくしてみたりして……」
 あいかわらずの実況スタイルである。
(やりづらいな……そもそもマヨナカテレビのときもそうだったけど、コレ、明らかに普通の天城じゃない)期待していた「普段の雪子」はどうも留守らしい。(どうしてこんな話し方を? ふつうに喋れないのか?)
「で、天城、どう?」
「あっダメダメ、こんなトコで失速してたら数字とれない、伝説つくるんだから――はい王子サマ!」雪子はようよう振り返った。「えっとなんでしたっけ、なんでしょうか!」
「雪子って、呼んでも、いい? ダメなら――」
「いいですいいです! でもその代わりィ」いたずらっぽく微笑んで、雪子のシャドウはついと詰め寄ってきた。「わたしも王子サマのこと、悠くんって、呼びます。いいですかァ?」
「……いい、よ、もちろん、うん」
「じゃあ」と前置くと、彼女はふいに息がかかるくらいまで近づいてきて、心持ち下から覗き込むようにして、尻上がりの甘えた声で、
「ユーウくんっ」
 などと呼ばわった。
(コイツ……!)
 悠はあわてて数歩下がった。こんなあからさまな、しかし耳朶を嚙むような蠱惑的な媚態に、免疫のない彼は不意を打たれたのも手伝ってみるみる赤くなった。おおやめてくれ! 悠は心中で反り返って身もだえした。ここで顔を背けてしまえば狼狽を気取られる、といって、なんとか歴戦のナンパ師を演じ続けようと試みても頬の紅潮するのは止めようがない。
 動悸がする。イヤな汗が背筋を伝う。この数瞬間、悠の精神を鎧う論理の甲冑は消し飛んでいる。雪子のシャドウはたったひと言で彼を武装解除してしまったのである。
「ユーウくん、ユキコって呼んでくれないんですかァ?」
「え、あの……ユキコ……」
「悠くんかーわいい!」雪子のシャドウはケラケラ笑いながら、ふたたび後ろを向いて実況を再開する。「意外や意外、カレの素ってけっこうウブみたいです、ちょっとイメージと違ったかも!」
 背後で陽介の失笑するのが聞こえる。あとでぜったいブッ殺してやる、彼は鰻屋で流動食を食うことになるだろう――悠は歯ぎしりして拳を握りしめた。
(畜生……なんなんだコイツは、卑怯だ! どうしてふつうに話さない!)
 激しい論難や敵意、不意の暴力にならあるいは雄々しく立ち向かいもしよう、そのための力を自身のうちに見出しもしよう。しかしこのあまりにも特殊な威力に対して悠にどのような備えがあっただろう。これは彼がかつて経験したことのない類の戦いであった。ましてこの赤面もののやりとりをハイボリュームで陽介たちに提供し続けなければならないなどと、いったいこんな凄惨な拷問を受けるに値するどのような罪を自分は犯したと言うのだろう。
 いや、拷問で終わればまだいい、この躱しかたのわからない攻撃を二度、三度と食らい続ければ、冤罪を主張するどころではない、いつ目を覆わんばかりの醜態を晒すか知れたものではないのだ。友人たちの耳目に晒される中で、それもひとの生き死にに関わる重大な局面で、たかだか女子一人のつまらぬ媚ごときに、この鳴上悠ともあろうものが菜々子みたいに真っ赤になってもぐもぐ言いながら縮こまる? それは彼にとってはなによりも恐ろしい、自尊心の危機である。
(コイツ、ほんとうに天城のシャドウなのか? いくらなんでもあんまり天城と違いすぎる!)
 こんな窮境に追い込まれた腹立ち紛れに、悠は思わずそもそもの根本から疑って見ないではいられなかった。実に陽介と千枝と、前二件の例はシャドウと本人との相違をまったくと言っていいほど示さなかった。特に後者などはのちに千枝本人が現れるまで、悠も陽介もシャドウであるなどとは露も疑わなかったくらいだ。しかるにこの悩ましい、チャラチャラした、雪子本人とは似ても似付かない軽薄なコスプレ女は――
(バカなことを……これは天城だ、確かに! 現実から目を逸らすな!)悠は自分の腿を強く抓った。(コイツは公園での一件を知ってた。天城を見て顔色を変えた。これは天城のシャドウだ)
 奇矯な言動をさえ除けば彼女の反応は確かにシャドウのものであるし、もしまったく違う存在であるならクマが黙ってはいまい。おそらくは個々人の性質にもよるのであって、こういう類の感情や性格などが際立って表出するような人間もいるのだろう。もしくは雪子が二重人格であるか、あるいはふだんの落ち着いた態度を鋼鉄の意志で演じ切っているか……
「意外、か。かもね、誰の前でもこうってわけじゃないし」
 悠は彼女から目をそらすと、せめて赤面するのを利用して少しくはにかんで見せた。黙るな、踏み込んで攻めよ! とにかく口を開くことだ、赤くなるのはもう仕方ない、いまはこちらから打って出てそれ以上の影響を食い止めなければ。
「イメージと違って幻滅されたかな。雪子はおれみたいに内気なのは眼中になかったかな……あー、かなりショックかも」
 背後で揉み合うような気配がする。陽介たちの言い合う声、というより、彼らに言い含められてなお承伏しない雪子の苛立たしげな声が、徐々に悠の耳裏を打つようになってきていた。クラスメイトが彼女にとっての「自分の偽物」を自らの名前で呼び、本物あつかいしてなれなれしくしているのだ、心中穏やかでないのはかつての陽介や千枝と同様であろう。先のような癇癪を起こして大声など上げないよう、うまく陽介たちが去なしてくれればよいのだが。
「ぜんっぜん! そんなことないです、むしろ好み、ストライクゾーン!」雪子のシャドウは急に慌てだした。「マジメそうでステキです、ホントに、わたしクールなひとって実はあんまり好きじゃなくって」
「フォローありがと、でもいいんだ、顔みれば脈なさそうなのわかるしさ……」悠はあえて引いてみた。「ま、釣り合うワケないよな。わかってはいたんだ、うぬぼれだ」
「ええっ? そんな、ウソじゃないですよ!」シャドウが素早く背後を振り返って「編集点! 編集点!」と手刀で切るような仕草をした。
「や、いいんだって、大丈夫、恥かくのは慣れてる。くそ、顔が熱い、あははなんかおれバカみたいだ」彼女にはどうやら押すより引くほうが効果があるようだ。「転校早々こんな美人とお近づきになれるなんてそんな大それたユメ、見るだけで満足しなきゃ」
「ホントに、ホントに王子サマだって、ずっと思ってたんです! 王子サマ候補は何人かいたけど悠くんが大本命、やっと現れた、このひとなんだって、このひとが――!」
「ずっとって言ったって一週間も経ってないし……ホントに、こっちこそいいんだ、ぜんぜん。なんかそんなふうに言ってもらえるとかえって恐縮するよ、フォローありがとう、雪子っていいヤツだよなァ」
 形勢逆転! ザマを見ろ――などとほくそ笑むのもそこそこにしておかなければ。そろそろ掌を返す頃合いであろう。いま少し彼女の歓心を得る必要がありそうだが、先の公園での一件のお陰か、振り出しからことのほか好意的なのはまったく救いであった。この調子なら例の説明を切り出すまでにそう長くはかかるまい。
「これ以降もさ、べつにヘンに付き合いづらくなったりとかしないし、あー、その、もしよければだけど、おれたちって友達からとか――」
「ちがう!」
 突然、雪子のシャドウが悠を遮って怒鳴った。この科白は拡声されていない、彼女は初めてマイクを下ろしていた。 
「鳴上くんが転校してきたときから、わたし、ずっと見てたの。鳴上くん、気付いてなかったと、思うけど」
 彼女の様子がにわかに変じている。いまや彼女の面輪を占めていた媚を含んだ笑みはことごとく失せて、代わって過日の雪子に見られたような幸薄げな憂愁の色が、その細面を匂やかに満たしているのである。
(……これ、天城だ。雪子じゃない!)
 ついに本当の天城が出てきた――と、心中で快哉を叫ぶのもつかの間、今度は悠の背後から、
「なに言ってるの! ウソだ! いい加減なこと言わないでっ!」ついに堪忍袋の緒も切れたとばかり、雪子の怒声が飛んできた。「鳴上くんもなんなの? どうしてそんな――!」
(ああくそっ、これからってときに……陽介なにやってる!)
 ちらと背後を振り返ると、意外にも陽介たちは劣勢であった。三対一なら苦もなく封じ込められるだろうとばかり思っていたのが、クマはすでにして床に転がされており、千枝も片腕では思うようにいかないようで、雪子の細腕にさえ抗し得ずに振り回されている。なかんずく陽介には明らかに手加減しているふうがあった。怒りに燃えてしゃにむに押しのけようとする雪子を、ふたりとも本気で抑え込もうとはなかなかできないでいるのだ。
「ホントに? や、ちょっと信じられないけど」ともあれ、現在の悠の仕事はナンパである。「あー、嬉しい、マジで、なんだ、じゃあおれたち普通に友――」
「鳴上くん、じゃなくて、悠くん!」
 と、悠を遮って、雪子のシャドウが急に悠の両肩を掴んだ。そのまま万力のような力で締め上げながらひと言、
「好きです」
 と言った。背後で雪子が叫んだ。その際になにかしたのか、次いで陽介のくぐもった呻きが聞こえた。悠といえばシャドウの告白と凝視と怪力とに縛められて、ひと言だに発し得ずに突っ立っている。
「雪子は王子サマのものです、だから、王子サマ、お願い、雪子をここから連れ出してください!」雪子のシャドウは熱っぽく続ける。瞳が潤む。悠は肩の肉をむしり取られんばかりである。「もうここにはいられない、もう一日だっていたくない、なにもかももううんっざり! 悠くんなら――!」
「雪子いたい! 肩! ちぎれる!」
「あっ、ごめん、ごめんなさい!」雪子のシャドウは慌てて悠を解放した。が、なおも興奮した様子で詰め寄る。言い募る。「でも悠くんならわかるでしょう? 東京から来た悠くんなら、こんなド田舎イヤでしょ? こんな――!」
「わかった、待って、わかった! 雪子の言いたいことはわかった、わかったから」
 さて容易ならざる事態となった――ともかくも落ち着かせようと、悠は先に雪子のしたように形ばかりの「わかった」を連発した。なんにせよ拒絶して壁をつくることだけはできない、このあと彼女に理解してもらわねばならないこともあるのだ。が、
(まさか愛の告白とは……参った、おまけにここから連れ出せだって?)雪子のシャドウの言う「ここ」とは無論、このテレビの中の世界のことではあるまい。(とんでもなく脱線されたぞ、ここからどうやって本題に繋げる?)
 話の内容が内容である、彼女の歓心惜しさにいつまでも迎合していれば、本題を切り出すタイミングなど永遠にやっては来ないだろう。当座はどのようにでも言い繕って賛意を示しつつ、なんとかして彼女を宥めなければ、などと作り笑いの裏でやきもきしていると、
「どいて!」
 突然、悠は背後から横殴りに突き飛ばされた。
「ごめん雪子そっち行ったー!」
 との千枝の警告はあまりにも遅きに過ぎる。しまった、確認しておくべきだった! 地べたを転がってはたと上体を起こしたときにはもう手遅れである。怒りと恥とで真っ赤になった雪子が、そのときちょうど平手を振りかぶって、自身のシャドウを打ち据えようとするところだった。
「天――!」
 硬いものが肉を打つ重い音が鳴った。平手打ちのような鋭い音ではない、雪子は平手で張るのではなしに掌を打ち下ろすようにして、シャドウの横面を袈裟懸けに殴ったのである。
「デタラメ言わないで化物っ!」打たれてたたらを踏むシャドウに返す刀でもう一撃。「あなたなんなの……なんでわたしの顔を? おまけにこんな、こんなバカみたいな――!」
 三発目を見舞った雪子が苦痛の呻きを上げて、打った手を押さえて驚いたように後退った。おそらく雪子のシャドウがそのシャドウたるの力を発揮したのだろう、鼻孔から血の細く伝うのも痛々しげに、彼女は殴られた跡の赤く残る面をおもむろに上げた。うってかわって感情の色のことごとく消え去ったそこには、果たして燃え立つ金色の双眸が据わっている。
(なんてことを……なんてことを!)悠の努力はまたたく間に御破算となった。(全部ムダにしやがった……おれの苦労を、全部、あの三人! ひとひとり捕まえておくのがそんなに難しいのかあのバカども!)
 口惜しさと湧き上がる憤怒とで彼は叫ばんばかりである。いったい三人もの人間が雁首そろえておきながら、かよわい女子高生ひとり満足に足止めしておけぬとは! 揃いもそろってなんという役立たずども! おれが大汗かいて懊悩してる後ろで欠伸して笑っていたんだろうに、こんな簡単な仕事もろくろくしおおせないのか! 泡を食って駆けつけて来た陽介たちは労いの言葉の代わりに、悠の呪いの視線に迎えられることとなった。
「悠わりい、マジですまん!」
「ごめん、急に雪子が――!」
「いい、いいっ! いいから早く天城を遠ざけろ!」
 喉までせり上がっていた罵声こそかろうじて飲み下したものの、その語調はどうしても怒りで上擦った。雷をこうむった陽介たちは首を竦めて雪子を取り押さえにかかる。彼らも彼らなりに一生懸命やったのではあろうが、不名誉なナンパの真似事までして大汗大恥かいて、さてようやく説得というところまでこぎ着けたものをこれほどあっさりと台無しにされたのだ、笑って許したくてもなかなかそうできるものではない。
「センセイ、この――」
「なんだよっ!」
 八つ当たりの一喝に、クマもまたひとたまりもなく竦み上がってしまう。――鳴上悠、バカもたいがいにしろ! 仲間割れしてどうする! 悠はあたまを抱えて唸りながら、荒い息で忙しく深呼吸を繰り返す。怒りは燃え尽きるイーラエ・デーフラグラーント! 怒りは燃え尽きるイーラエ・デーフラグラーント! 怒りを制するは最大の敵への勝利なりイーラム・クィー・ウィンキト、ホステム・スペラート・マークシムム! 肚のなかで狂奔する怒りを全身全霊で抑え込もうと内心七転八倒、彼はそのまま破裂しかねない勢いである。
「セ、センセイ……?」
「ごめんよ、ああクマ、なに? 用件は短く、ああクソッ! イーラエ――」
「センセイ、シャドウが」
 クマの囁きは少なくとも、怒りの過剰摂取で消化不良を起こしていた悠にはすばらしい胃薬として機能した。ついでに血圧降下、不整脈、瞳孔拡大、および若干の振戦をともなった。
「……シャ、シャドウがなに?」
「シャドウが集まってくるクマ」クマは呆けたように言った。「あちこちから、たくさん」
 胃がギリギリと痛む。この薬は明らかに効きすぎである。ついに最悪の事態が到来した、雪子のシャドウの怒りがそのしきい値を超えたのだ。
「陽介タロット準備!」雪子と揉み合う陽介たちに怒鳴って、「シャドウの大群が来るぞ――雪子!」
 悠は雪子のシャドウに駆け寄ると、その細い両肩を荒々しく掴んだ。むろん彼女は微動だにしない。悠は鉄骨に留まったハエみたいなものである。
「雪子、聞いてくれ、王子サマの言葉だ、もちろん聞いてくれるだろ?」
 雪子のシャドウは無言で、やんわりと悠の手を振り払った。そのままなにを言うでもなく踵を返して、優雅な足取りで熱風さかまく天城屋の玄関前まで戻ると、甃のうえに横たわっていた「屋城天」の看板を拾い上げた。
「悠! マジでシャドウ来んのかっ?」陽介は千枝たち三人を煉瓦塀の一画へと誘導している。「おいクマこっち! 里中と天城も、ここに固まれ、しゃがんでろ! くっそマジで来んのかよォ……!」
「待った、四人ともそっちじゃない、こっち!」
「なんでだよ、壁際じゃねーと――!」
「つべこべ言うな早く来いっ!」悠はキレた。
 雪子のシャドウが折り返してふたたびこちらへやってくる。その面にはすでに元の媚笑が湛えられている。文字通り振り出しに戻ってしまった。
(いや、振り出しよりずっと悪い。雪子はもうとっくにキレてる)
「なあ悠、こんな道の真ん中でどーすんだって」四人が悠のすぐ後ろに到着した。「ここじゃどう考えたって不利だろ」
「鳴上くんアレなに! さっきの――」
「雪子、じゃない、天城、黙れ」悠は指を突きつけながら低い声で、「おれが喋っていいって言うまで黙れ。口を開くな」
 冷然と雪子をはねつけた。彼女の感情からすれば仕方のない話ではあっても、彼の努力をぶち壊した張本人である。
「だま――」
「黙れって言ったぞ天城、つぎ口を開いたら」
 ぶん殴るぞ、と言いかけて、悠は言葉後を呑み込んだ。彼女の鼻孔から赤いものが一筋、ツーと伝うのに気付いたのである。
(鼻血?)
「……鳴上くん?」
「キスするぞ。里中も、クマもだ、時間がないから黙れ。あともうちょっと離れて、噴水の向こうまで。駆け足」
「じぶんが来いって言ったんじゃん……」などと千枝が口を尖らせたものの、悠の瞋恚の視線を受けてひとたまりもなく「あっウソウソ、なんでもないです……」と縮こまった。
「えーと、駆け足?」
「駆け足――陽介、聞け」雪子とクマを促してこそこそと去っていく千枝を後目に、「このあとのことだ。質問も返事もなし」
 雪子のシャドウが近づいてくる。
「もしおまえと同じケースなら、このあと飛んでくるのはシャドウじゃない、少なくとも最初は黒いヘドロみたいなヤツだ、たぶん。いや、あれもシャドウではあるんだろうけど」ちらちらとシャドウを窺いながら、「そいつが雪子……天城のシャドウに取り付こうとするはず、まずはそれを食い止める。おまえはヘドロからシャドウを守るんだ。もしくは、怪物のシャドウのほうが来るなら、それから皆を守る」
「両方来たら」と、陽介が質問した。
「両方守る」
「そりゃオメ言うだけなら……!」
「忘れるなよ、これはなるべくしてなったんじゃないぞ、最善策をしくじったせいで採らざるを得なくなった下策なんだ」誰かさんたちのせいでね!「コレ失敗したら百パーセント全員死ぬからな。もう次はないぞ。やれるな」
 陽介は唇を嚙んで、それでもうなだれるようにして深く頷いた。悠は大きく鼻息を吐いた。
「……頼む。おれも喚ぶほうを出す、どれだけ役に立つかはわからないけど」悠はポケットからシガレットケースを抜き出すと、中に残った最後の一本を口に咥えた。「盾くらいにはなるだろう」
「やってみっけど……」
「行け、時間だ――やあ雪子」
 いまや目の前まで来た雪子のシャドウに、悠は向き直ってふたたび笑顔を作った。以後おそらく陽介のときと同様に、シャドウは雪子を疎んずるだけでなく本格的に命を狙い始めるだろう。さだめて外野もうるさくなるだろう。窮地には違いないが、
(それでもまだ話は通じる。それも陽介のときと同じに、天城もまたおれに一定以上の好意を持ってる、はず。おそらくおれ個人を攻撃することは避けるだろう)
 まして年来の親友である千枝に危害を加えるなど決してしようとはすまい、彼女が雪子にぴったりくっついていれば当面は安全のはずだ。陽介のほうは……過日の人種差別発言を根に持ってさえいなければ、たぶん仮になにかされるにせよそれほど手ひどくはされまい。
「悠くんタバコ吸うんだァ、わあワイルド!」
 少し離れた位置に置き去りにされた可搬型スピーカーから、雪子のシャドウの声が飛んできた。彼女は弓手に持っていたスピーカーの代わりに、先ほど拾った大きな看板を腋に挟んでいる。ぶ厚い木製のものでかなりの重量のあるはずなのが、彼女には発泡スチロールのようなものなのだろう、身体を傾ぐこともしていない。
 その両の眼こそ金色に輝いているものの、雪子のシャドウはにこにこと機嫌よさそうである。
「わたしタバコはぜんぜん大丈夫なんです、小さいころから周りがみんな吸ってたし、ケムいからやめてーなんていいませんから!」
「そう? そりゃよかった、ならつきあい始めても禁煙しなくて済むってわけだ」悠は大きく譲歩した。彼女の歓心を得るだけではない、こちらの安全を保証する「好意の盾」をもより大きくしておかなければ。「でも雪子にそうしろって言われたら、すぐにやめられる自信あるけどね、おれ」
「ホントに? ホントですか? わたしの言うこと、聞いてくれますか?」
「もちろん」
「ぜったい? ウソつかない?」
「誓う」悠は片手を上げておどけてみせた。「でもおればっかりそうしててもなァ……雪子のほうはどう? 雪子はおれの――」
「じゃあ、悠くん、王子サマ、わたしをここから連れ出して。一緒に出て行きましょう」雪子の眼の輝きが増した。
「まあ、別にそうしたっていいけど、こないだ着いたばっかりだし、もうちょっと――」
「わたしすぐパスポート取ります。悠くんは持ってるよね? チケットも買います、ふたりぶん、貯金下ろせば買えるから、成田発サンノゼ行き、エコノミーだけど、調べてあるんです」
「ええと……いやさ、行くのはいいけど、ほら、退学の手続きとかもあるし、お互い家族に言っておかなきゃいけないし」
「手続きなんかどうでもいい! ぜんぶ捨てて行くの、来週日曜のフライトでいいでしょ? 土曜のほうがいいならそっちにする、悠くんの好きなほうで。あ、悠くんのご両親に電話しておいたほうがいいよね、あとで番号教えてくださいね」
 とっさに言うことを聞くなどと言ったのは軽率だったかもしれない。雪子のシャドウが文字どおり目を輝かせて躙り寄ってくるぶん、悠は踏み止まることもできずに仰け反ってジリジリと後退した。まずい流れだ、完全に圧倒されている。
「待って雪子、ちょっと待って、おれもパスポートは持ってないんだけど……それはともかく、おれの話も少しは聞いて――」
「えっ? むしろ好都合! じゃあ一緒に申請しに行きましょう!」
「鳴上くん、ちょっと、わたしにも話をさせて、わたしにも!」
 背後で雪子の怒ったような、切羽詰まったような声が上がった。シャドウに寄り切られたせいで彼女らとの距離がだいぶ詰まってしまっていた。
「千枝はなして! あなた、シャドウ! 理由を言って、目的があるんでしょう! なんの恨みがあってこんなことを!」
 肩越しに背後を覗うと、腕の関節を捻られて奇妙に前屈しながらわめく雪子と、彼女を片腕一本で器用に縛める千枝とが見えた。先の悠の怒りに感化されたのだろう、千枝はもはや親友を抑えつけるのに躊躇しなくなった様子である。
「雪子だまってってお願いだから! 鳴上くんに任せようってば!」それでも彼女は引き摺られ気味である。「花村ちょっと手伝って、手伝えコラァ!」
「こっちはそれどころじゃねんだよっ! 畜生、頼む、うまく行けよ……」陽介はタロットを両手で掴んで願掛けでもしているふうである。「もう失敗できねえ、花村陽介、キレるな、冷静になれ」
「ヨースケもう来るクマ、はやくペルソナ出さないと!」
 クマがぴこぴこ地団駄を踏む。外門の方角でガシャンという金属質の騒音が響く。招かれざる客が呼び鈴がわりに、扉を押し倒して訪ないを入れたのである。黒いヘドロ状のシャドウがあるものは這い、あるものは飛びつつ雪子のシャドウの許へと集まってくる。
「ヨースケ!」
「くっそ、やるしかねえ!」陽介が跳躍に備えて屈み込んだ。「悠あとは任せた――ペルソナーッ!」
 彼の背後に身長四メートルほどの巨人が忽然と現れた。現れるや否やその手に持った対の手裏剣を、外門のほう目がけて猛然と投げ付ける。巨人は周囲を忙しく見渡しながら浮き上がって、千枝たちの頭上三メートルほどの位置に陣取った。
「わたし飛行機はじめてなんです、時差ボケとか大丈夫かなァ」あるいは陽介のペルソナを見て驚いてくれるかとも思ったが、雪子のシャドウはちらと見上げただけで大した反応は見せなかった。「向こうのこといろいろ調べたんです、時差が十七時間もあるんだよね、着いてすぐ悠くんのところに行くのは失礼でしょ? 二、三日はホテルに泊まるつもり、サンタナロウのホテル・バレンシア」
「黙って! 黙れー!」雪子の叫喚は血を吐かんばかりである。「わたしそんなの考えたことない、知らない! 信じないで!」
「初日はゆっくりして、サンタナロウを見て回って、ストレイツ・レストランでご飯たべて、ウェストフィールド・ヴァレーフェアにも」
 悠は反射的に雪子のシャドウの前から飛び退いた。陽介の倒し損ねたヘドロがいくつか、彼女の足許に飛び込んできたのである。
(やっぱりひとりじゃ防ぎきれないのか……)
 陽介は苦戦している。無理もない、狭い入口と窓だけ塞げばよかったコニシ酒店とは防衛の難易度がまるで違うのだ。悠たちのいる内庭は左右に塀こそあるものの上はがら空きで、四方八方から寄せ手が引きも切らないのである。シャドウの許まで到達するヘドロは徐々に、確実に増えてきていた。
 ヘドロは雪子のシャドウの足許に、というより、ポスギル城を包む大火に照らされて落ちた大きな影に、吸い込まれるように集まっては消えていく。見ているぶんにはそこに池でも掘ってあるかのようである。陽介のときと少し様相は違うものの、どのみちその導かれる事態に変わりなどあるまい。悠はポケットからライターを取り出して、銜え煙草に火をつけた。最後の一本、できうる限り温存しておきたかったが、どうやらその余裕もなさそうだ。
「そう、一通りサンノゼを見終わったらサンタクララに移動して……あ、スタンフォード大学のメモリアルチャーチも見たいな、教会ってわたし好きなんです、あの雰囲気。それで、ゆくゆくはサンフランシスコ!」
 悠は胸ポケット越しにタロットを掴んだ。背後に巨大な存在感が現れるのと同時に、ふだんの倍の仕事を押し付けられた脳がストレス過多で悲鳴を上げ始める。悠のペルソナがゆっくりと立ち上がって、その手に持った長大な矛を持ち上げて、ハエ叩きよろしく飛び回るヘドロの駆除を始めるのを見ても、やはり雪子のシャドウの反応は薄い。それは興奮の極みにあるらしき雪子も同様であった。
「雪子、ちょっと黙って。少しはおれにも喋らせてくれよ」と言って、悠はそっと背後を窺った。「こっちの予定も聞いてもらわなきゃ」
(少しコイツを黙らせないと……天城がどうにかなってしまう) 
 雪子はもはや意味のある言葉を発しなくなっていた。ただ小さい子どもみたいにワーワー叫んで、躍起になってシャドウの科白を潰そうとするだけである。
 彼女があまりにも気の毒だった。おそらく今までの例から察するに、シャドウは本当のこと、実際に雪子自身が考えていることを話しているのだろう。「彼ら」は常にその元から出てきた人間にとって、とくに耳に痛い話を喜んで――おそらくほんとうはシャドウ自身にとってさえ辛いはず――暴露するきらいがあるのだから。きっと雪子は観光案内の手引きかなにかでも見ながら、心中ひそかに叶う見込みの薄い旅行計画でも立てて、その空想を日々の繁忙の慰めにでもしていたのだろう。が、よりにもよってそのきっかけとなったに違いない悠の目の前でそれをつぶさに開陳されるなどと、まったく雪子にとっては顔から火が出る思いに違いないのだ。まして悠は彼女の伴侶役という設定である。
「ふたりで行くんだからふたりで計画を立てるべきだ。それとも雪子は、おれの言うことなんかどうでもいい? 自分の都合だけ?」
「あ、ごめんなさい、気が早かったよね。まずはサンノゼだよね」試みに引いてみたものの甲斐はない、彼女に悠の話を聞く気はどうもないらしい。「ウィンチェスター・ミステリーハウスにも行ってみたいし、あ、聖ジョセフ大聖堂って悠くん知ってる? サンノゼの地名の元になった――」
 雪子の絶叫に千枝の悲鳴が重なった。が、今度は間に合った、拳を振り上げて突進してくる雪子を、悠は振り返りざまタックルを食わせるようにして押し止めた。千枝は怪我をしたほうの肩口を押さえて地べたに蹲っている。あるいは業を煮やすあまり雪子が狙って打ったものか。
「よくもそんなデタラメをっ!」
「天城おちつけ! 殴りかかってなんとかなるんならとっくにそうしてる!」
「……デタラメェ?」
 雪子のシャドウが初めて、雪子自身に声をかけた。先に学校で千枝の携帯電話を奪ったときに聞いたような、低く無愛想な声である。
「あなたが考えてたことでしょ。夜中、ベッドの中で、ニヤニヤ笑いながら」
彼女の足許に落ちた影が不気味に波打ち始めた。炎の揺らめきによるものではない、影はその下でなにか蠢きでもしているかのようである。
『陽介、ヘドロが飛んでくる、もう少しなんとかなるだろ! 思いっきり暴れていいんだぞ!』
 と、悠は陽介のペルソナに発破をかけてみた。彼の応えは『うっせーバカ! 見りゃわかんだろ全力でやってるっつーの!』ある。
『ひとりじゃムリだ畜生、防ぎ切れねーよ! 里中の出させろ里中のっ!』
『それこそムリだ! とにかく――ああもう頑張れ! なんとかしろ!』
『おま――!』
「あなたになにがわかるの、わたしのことが、あなたみたいな化物に!」と、雪子が歯を剥く。「なにが目的? 殴って欲しいんならこっちに来なさい、来い!」
「わかるよ、もちろん、だって」シャドウの眼が三日月形に撓む。「わたし、あなただもの。見ればわかるでしょ」
「違う、わたしあんなこと考えてない! あなたなんかわたしじゃない!」雪子は悠をもぎ放そうと大暴れしている。「放して、触らないで! 馴れなれしいっ!」
「天城……!」
 雪子のシャドウがふたたび無表情になった。が、薄気味悪いことに声だけが元の媚を含んだ調子に戻って、
「さーて、王子サマ探し後編に移るまえにィ……ちょっと番組の裏方さんにインタビューしてみたいと思いまあす!」などと実況を再開し始めた。「まずはこおんなでっかい焚き火を用意してくれた大道具さんに挨拶しておきましょう! ほら大道具さん映って映って!」
 彼女は見えないカメラを誘導して、揉み合う悠たちの許へやって来た。マイクを向けられたのは雪子である、シャドウの言う「大道具さん」とは彼女を指すらしい。
「大道具さんっていつも和服なんですかァ? 火ィつけるのたいへんだったでしょう、袖を焦がしちゃったって聞いたんですけどォ」
 いったい、これを聞いた雪子の反応は異様だった。彼女は電池が切れたみたいにぴたりと暴れるのをやめて、中途半端な姿勢のまま凍りついた。口を半開きにして、眼をかっと見開いて、自らのシャドウを穴も開けよとばかり凝視する。こころなし震えているようにも見られる。
「天城、天城?」
「マッチ一箱まるまる使ったんですってね、こんな長いやつ、寒い中ご苦労さまでした!」シャドウの口許には悪意に満ちた笑みが浮かんでいる。「痴呆症のおばあさんもきっと喜んでますよ! 仕事熱心な大道具さんに盛大な拍手ーパチパチー!」
 雪子は呆々然たる様子で、それでも右手でシャドウの背後を指さして「あれをやったのは、あなたでしょ」と呟いた。
「わたしは中にいた。千枝だって、クマさんだって、見てる、わたしじゃない。違う」
「笑ってたじゃない、あなた」シャドウは吐き捨てるように言った。背後で燃える天城屋を示しながら、「クマさんに訊いて見ればいい、あなた確かに笑ってた。こうしたかったんだよねェ、もうひとりのわ、た、し」
「違う」
「残念だったよねェ、あのときこんなふうにならなくて」
 雪子の反応を見るに、どうやらいま話している事柄こそが彼女にとってのほんとうの「なんとしても認めがたいであろう、耳に痛い話」であるらしい。彼女の言う「あのとき」がいつを指すのか悠には見当もつかないが、雪子のシャドウが言及しているのはどうやら、その背後で燃える天城屋についてだけ、というわけではない様子。
「わたしは中にいた!」
「そうそう、あなたそう言ってた!」いまこそシャドウの面は凄まじい軽蔑と憤怒とに満ちた。「わたしウチのなかにいました。外でおばあちゃんが、ゴミを燃やしてましたって、あなた言った!」
「やめて!」雪子は耳を塞いでその場に蹲ってしまった。
「雪子、雪子まった、協力する!」悠はあわてて仲裁に入った。「言い合っても解決しない、双方に言い分があるだろう! おれが――」
 雪子のシャドウがちらと目配せするなり、とつぜん悠の足許から小さな火柱が上がって、睫毛を焦がさんばかりにして彼に迫った。市販の花火より少し強力といった程度のものであったが、悠を驚かすには十分である。彼はペルソナもろとも地べたに尻餅をついた。
「やめて? 見てわからないの? あなたが話してるの! あなたが――!」
「うるさいうるさい!」雪子が面を上げて絶叫した。「あなたなんかわたしじゃない! 化物っ!」
「天城!」
 シャドウはぴたりと押し黙った。その手からマイクと天城屋の看板とが落ちて、彼女の足許の甃を戛然と打った。そこに落ちた影は最前からすでに、雪子のシャドウの輪郭を大きく逸脱し始めていた。
「千枝」
 と、雪子のシャドウが呟いた。いつの間に来ていたものか、歯を食いしばって前屈みになった千枝が、悠たちのすぐ後ろに立っていたのである。
「千枝、ケガ、だいじょうぶ?」
「雪子……」
「千枝、待っててね、すぐ終わるから」シャドウの面に打って変わって、穏やかな笑みが広がった。「終わったらいっしょに、病院行こうね――」
 雪子のシャドウが天を仰いだ。その喉から「アギィーッ!」という、とても人間のものとは思われない、耳をつんざく凄まじい怪鳥音が轟いた。悠たちの喫驚して耳を塞ぐ間に地鳴りがして、ただポスギル城の炎の照らすばかりだった内庭が突如として、目も眩まんばかりの黄色に染まった。シャドウの口からほとばしった声に呼応するようにして、城の外郭という外郭から爆音とともに炎の壁が立ち上がったのである。
 顔を上げたときにはすでに雪子のシャドウの姿はない。ただ床に広がった大きな歪な影だけが主人の身体もなしに、墨汁を湛えた小さな池のように広がっている。
「シャドウ、どこいった?」千枝が呆然と呟いた。「消えた? 終わったってコト? つかあの火なに?」
(消えた……いや、それより!)
「クマ」
 悠がなにを訊きたいのかもうわかっているのだろう、クマは悠の目配せを受けて「来るクマ」とだけ呟いた。終わったのではない、どころか、まさにいまちょうど始まったのである。
「ただ」
「……ただ、なに?」
「このお城の周りにたくさん集まってきてるんだけど、なんかこう、勢いがないとゆーか、あんまり入りたがってないみたいクマ」クマはあちこち見回している。「これ、いまボーンてなったやつのせいかも……」
 どうやら今ほど一斉に現れた炎の壁が、シャドウの侵入を防いでくれているらしい。もっとも上はがら空きである、先のコニシ酒店のときのように完全にシャットアウトするところまではいくまいが。
『陽介』
『なに! おい化物のほうが入ってきてっぞ! コレ――』
『やることは同じだ、皆を守れ!』彼を忙しく遮って、『それはともかく、ニュースがある。いいのと悪いのと、どっちから聞きたい』
『ああ? じゃいいニュース――オラァッ!』
 上から降ってきた口の化物の数匹を、陽介の手裏剣が唸りを上げて迎え撃つ。悠もまたペルソナを立ち上がらせて、不自由ながらその手に持った矛を構えさせた。あんな小物でさえ悠たち生身の人間には致命的である、陽介の討ち漏らしの数匹なりともせめて防いで戦わなければ。
『いま城の敷地の周りに火がついたろ? それがシャドウの入ってくるのを防いでるみたいだ。数じたいは減ると思う』
『そりゃいい! で、悪いほうは――』
 と、陽介のペルソナがちらと悠のペルソナを見下ろしたとき、先ほどまで雪子のシャドウの立っていた辺りから突然、轟音とともに巨大な火柱が立った。千枝たちの悲鳴が上がる。彼女らと火柱との間に悠のペルソナがいたのはせめてもの僥倖であったが、
(今度はなんだ、まだ厄介ごとが来るのか……!)
 火柱はポスギル城の屋根ほどにも上昇したあと、なにかの形を取ってそのまま赤い空を飛行し始めた。上空で例の怪鳥音が二度、三度と響き渡る。
「なに、アレ。鳥?」と、千枝。「つか、あの鳥……でかくない?」
 千枝の言う「鳥」が羽ばたきながら宙に留まって、妙に人間くさい仕草でこちらを向いた。悠は息を呑んだ。その鳥には長い頭髪が生えていたのである。
(あれ、まさか……)
 鳥は千枝の言うとおり巨大だった。目測でも四、五メートルはあるだろうその巨躯の頂く顔は、不気味に単純化されてはいるものの見覚えがある。
『悠、アレか? 悪いのって』陽介のペルソナが鳥を振り仰ぐ。『……あれって、シャドウの大ボス?』
「アギィーッ! オウジサマァー! クビヲアラッテマッテロヨ!」
 空に留まっていた怪鳥――雪子のシャドウがひと声鳴いて、悠たちの許へと急降下してきた。



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