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No.35651の一覧
[0] PERSONA4 THE TRANSLATION(ペルソナ4再構成)[些事風](2014/11/03 16:25)
[1] 序章 PERSONA FERREA[些事風](2014/11/03 16:25)
[2] 一章 REM TALEM MINIME COGITO[些事風](2012/10/27 23:54)
[3] 国を去り家を離れて白雲を見る[些事風](2012/10/27 23:57)
[4] マヨナカテレビって知ってる?[些事風](2012/10/28 00:00)
[5] ピエルナデボラシーボラ![些事風](2012/10/28 00:03)
[6] 出れそうなトコ、ない? ひょっとして[些事風](2012/10/28 00:07)
[8] 死体が載ってた……っぽい[些事風](2012/10/28 00:27)
[9] ペルソナなんぞない[些事風](2013/03/05 00:17)
[10] でも可能性あるだろ?[些事風](2012/10/28 00:34)
[11] バカにつける薬[些事風](2012/10/28 00:36)
[12] シャドウじゃなさそうクマ[些事風](2012/10/28 00:41)
[13] 吾、は、汝[些事風](2012/10/28 00:46)
[14] 俺はお前だ。ぜんぶ知ってる[些事風](2012/10/28 00:53)
[15] ノープランってわけだ[些事風](2012/10/28 00:56)
[16] 旅は始まっております[些事風](2012/10/28 01:05)
[19] 二章 NULLUS VALUS HABEO[些事風](2014/11/03 16:26)
[20] あたしも行く[些事風](2013/01/15 10:26)
[21] それ、ウソでしょ[些事風](2013/03/05 21:51)
[22] 映像倫理完っ全ムシ![些事風](2013/05/12 23:51)
[23] 命名、ポスギル城[些事風](2013/05/12 23:56)
[24] あたしは影か[些事風](2013/06/23 11:12)
[25] シャドウ里中だから、シャドナカ?[些事風](2013/07/24 00:02)
[26] 脱がしてみればはっきりすんだろ[些事風](2013/10/07 10:58)
[27] 鳴上くんて結構めんどくさいひと?[些事風](2013/10/14 17:36)
[28] セクハラクマー[些事風](2013/12/01 15:10)
[30] アギィーッ![些事風](2014/01/31 21:58)
[31] かかってこい、あたしが相手だ![些事風](2014/03/04 21:58)
[32] クソクラエ[些事風](2014/04/16 20:30)
[33] あなたは、わたしだね[些事風](2014/06/15 15:36)
[34] とくに言動が十八禁[些事風](2014/07/26 21:59)
[35] コードレスサイクロンユキコ[些事風](2014/09/13 19:52)
[36] 自称特別捜査隊カッコ笑い[些事風](2014/09/24 19:31)
[37] ッス[些事風](2014/11/03 16:29)
[38] oneirus_0d01[些事風](2014/12/14 18:47)
[39] 三章 QUID EST VIRILITAS?[些事風](2015/03/01 16:16)
[40] ええお控えなすって[些事風](2015/05/17 00:33)
[41] キュアムーミンだっけ[些事風](2015/10/18 13:01)
[42] おれ、弱くなった[些事風](2015/11/20 10:00)
[43] 中東かっ[些事風](2016/03/02 00:50)
[44] バカおやじだよ俺ァ[些事風](2016/05/15 16:02)
[45] ここがしもねた?[些事風](2016/08/16 15:11)
[46] 腕時計でしょうね[些事風](2016/11/15 13:03)
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[35651] セクハラクマー
Name: 些事風◆8507efb8 ID:f1eb91d1 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/12/01 15:10
 ここから動いてはいけない!
 ここは安全です。しかし外はとても広いため、
 あなたは確実に迷ってしまうことでしょう。
 あなたを助けにここへ来る人にも同様です。
 あなたはここから動いてはいけません。絶対に。
 もし助かりたいのなら!
 こんな見知らぬ場所にひとり置き去りにされて、
 きっと恐ろしく不安でいることでしょう。
 なにがなんだかわからなくてさぞ腹立たしいでしょう。
 まったく身に覚えがない、どうして自分がこんな、
 不当な仕打ちを故もなく受けなければならないのか!
 ここはどこなのか? どういう経緯でこんなことに?
 この手紙の書き手の言う安全とは、
 どんな脅威に対して保証されているものなのか?
 あなたは見当もつかず、命の危険すら感じているはず。
 でも大丈夫、あなたは必ず助かります。そして、
 あなたがいま疑問に思っていることをすべて、
 そのとき助けにきた人が説明してくれるでしょう。
 何日か、あるいは一週間か、
 時間は少しかかるかもしれませんが、
 助けは必ず来ます。
 心を強くもってお待ちなさい。
 助けは必ず来ます。がんばれ!





 手紙は手書きではない、ごくありふれたA4用紙にプリンターで印刷されたものである。少なくとも見た目上、その文章以外にはどんな特徴も見出せない。
(これ、素手で触ったりしないほうがよかったのかな。でもどのみち天城も触ってるし……)
「……天城、リュックって、なにが入ってるの?」
 雪子はリュックの中をごそごそ漁りながら、「水とか、食べ物とか、ウェットティッシュとか、もうホントいろいろ」と言った。むろん手紙にある「何日か、あるいは一週間か」の間のために用意されたものなのだろう。
(まず、犯人がこれを用意したとする。そう仮定する。――なぜ?)
 まったく「なぜ?」だらけである。手紙の内容といい、この世界で生存するために用意されたのだろう諸々の物品といい、犯人がその前提としてしようとしていることとなにからなにまで繋がらない。相手を確実な死地に――それも惨たらしく速やかな死の待つ――蹴落としておきながら、当の彼に懇切な慰藉と激励とを送り、救助を保証し、あまつさえ生存のための物資を用意するなどと。
(できるだけ長く苦しめるため? いや、シャドウに遭った時点でほぼ終わりなんだぞ、自分で観察できるわけでもなし、そんなことのために食料だのなんだの自腹まで切って、あんなバカでかいリュックに目一杯つめこんだりするか?)
 ではなにか。見せかけの希望に縋らせて、より絶望を大きくさせるため? いや、絶望させるだとか恐怖させるだとかいう目的であれば、そもそもリュックいっぱいの物資など必要ない、この手紙の内容と反対のことを書けばそれで済む。ここは化物がうじゃうじゃいる。せいぜい逃げ回ればいい。恐怖して苦しむがいい。おまえはぜったい助からない。一週間待ったって助けなんか来ない。諦めるんだな。――このほうがよほど堪える。 
「これ、犯人が置いてったんじゃないよね、まさか」と、悠の右肩に頭突きをくれるような恰好で千枝が呟いた。「犯人ならわざわざこんなことするイミないよね」
「じゃ、犯人でも俺たちでもない誰かってことか?」と、悠の左頬に耳をくっつけるような恰好で陽介が呟いた。「クマ、ここって他に住人なんかいねーんだろ?」
「クマの知ってる限り、そんなヒトいないはずクマ」クマは手紙を見たがって悠の目の前をウロチョロしている。「センセイなんて書いてあるクマ? 見えんクマ」
「他にもケットとか携帯用コンロとか、食器とかも」悠の首のすぐ後ろで雪子の声がリュックの中身を列挙する。「ねえ千枝、いま言った犯人って? 誰のこと?」
 この世界に入れてさえしまえば生身の人間など一日か二日ていどで殺されてしまう、犯人もすでに二度おなじことをしているのだからよく承知しているはず。仮に被害者にありもしない希望を持たせようとするとして、暑くも寒くもない、いたって清潔なこの世界で、食料や水だけならまだしもウェットティッシュだのケットだの携帯用コンロだのといった物品まで用意するだろうか? 明らかに数日の生存を前提とした、それも生活の質を考慮したラインアップだ。加えてそれらを詰め込んだリュックの大きさを考え合わせれば、この救援物資は総額にして一万や二万で収まるようなものではないだろう。
(不自然すぎる、どう考えても犯人が用意したものとは思えない)
「……みんな、歩こう。歩きながら考えよう。クマ」
 ふたたびクマを促して、悠たちは件の手紙に群がるような形のまま、のろのろと来た道を戻り始めた。悠の歩みにぴったり合わせてバンズもくっついてくるので、彼は依然として前後左右サンドイッチ状態である。
「雪子、誘拐されたんだよ? ひょっとしてわかってなかった?」と、千枝。
「わかんないよ、気がついたらここで、なんか凄く朦朧としてて」と、雪子。
「え、どうやって連れてこられたかとかぜんぜんわかんねーの?」と、陽介。
「ユキチャンカドワカされたクマか? なんかされてないクマ?」クマの言葉にはなにか期待のようなものが滲んでいる。
(こいつら……わざとやってるな)
 悠をギューギュー押し固めながら四人のぺちゃくちゃ喋る合間に、背後で雪子のそっと忍び笑う声が聞こえた。もちろんわざとやっているのであろう、一分、二分と経っても彼らはそしらぬ気でとぼけるつもりらしく、いっこう包囲を解こうとはしない。考え事のないときであればいくらでも喜んで付き合うのだが、
(気が散るなァ……)
「で、おれは投降するか死ぬかするまでこのアレシアから出られないってわけだ」手紙に目を落としたまま悠は呻いた。「クマ、もっと早く歩けるはずだぞ、知ってるんだからな」
「クマちょっと疲れちゃって、センセイまた運んでほしいクマ」と、クマ。
「あはは、なんか流れでさァ……つかツッコミ入るの遅すぎ!」と、千枝。
「えっとごめんなさい、なんかやらなきゃいけないのかなって」と、雪子。
「天城ノリいいじゃん、なんかそーいうイメージなかったけど」と、陽介。
「ふざけてないで、みんな一列になって、天城を真ん中に。急ごう」横並びに歩けば他はともかく、視界の利かない雪子には少しく不安でもあろう。「おれとくっつきたいなら事前に予定を確認して、ちゃんと服ぬいで」
「センセイクマこれイッチョーラなん――」
「ああほら出発! さっさと歩く!」
「はい……」クマはたちまちしょげ返った。
「あっ、鳴上くん怒ったクマ」と、千枝が雑ぜ返す。「鳴上くん発言がシモいクマー、セクハラクマー」
「セクハラクマー」と、背後で雪子が呟く。
「セクハラクマー!」クマはたちまち甦った。「センセイセクハラってなにクマァ? クマこどもだからわからんクマ、おせーてクマァ?」
「ほら悠おこらせるとこえークマよ、さっさと行こうクマ」陽介までクマ語を話し始めた。「俺がクマの後ろに並ぶから。悠は一番うしろでいいクマ?」
「……いいクマ」
 と、悠の仏頂面して言うのをさも面白げに、彼以外の四人がどっと笑う。首尾よく雪子を救出しおおせた安堵と達成感がそうさせるのだろうか、陽介も千枝も一転、常に勝る陽気さで、加えて雪子もそのおとなしやかな風貌とは裏腹に、このふたりのふざけてさんざめくのにむしろ喜んで同調するのだった。彼女にしても一身の助かった安堵があるのに違いはなかろうが、少しく意外の感がある。悠もまた陽介の言葉どおり、彼女には「なんかそーいうイメージなかった」のである。
(ちょっと緊張感に欠けるけど……仕方ないか)悠はしぶしぶ仏頂面を解いた。(多少は大目にみよう。きっとさんざん恐ろしい目に遭ったんだろうし、天城にはこういう慰めも必要なんだ、きっと)
 サンドイッチはほどなく分解して、一行はクマを先頭に一列縦隊を作った。件のリュックは「こーゆう重たいものは男子が持つべきだと思いまーす」との千枝の提案で、雪子の腕から陽介の背へと移動している。
(あれは犯人が用意したものじゃない、それは確実だ……と、思う)悠はふたたび手紙に目を落とした。(ということは、この手紙を書いたのは陽介の言う、犯人でもおれたちでもない誰かってことになる、けど)
 それもこちら側の住人ではない、ちゃんと店舗でリュックその他の物資を購入することのできる人間である。そのうえテレビの世界に出入りが可能で、クマやシャドウの探知を逃れおおせ、悠たちが救助に赴くであろうことを隠密裏に把握し、その旨に励ましの言葉を添えて書き置きをプリントアウトし、巨大なリュックサックを背にどうやってか犠牲者の許へ速やかにたどり着き……しかし単独で救助する力までは持たない、人間である。考えれば考えるほど眉間の皺が深くなる。こんなことのできる人間が果たして存在しうるのだろうか? したとして救助のためにここまでしておきながら、その仕事を引き継ぐはずの悠たちとなぜ連絡を取ろうとしないのか。彼は姿を見られたくないのだろうか。
 不可解な点はまだある。仮にこの手紙をしたためたのが犯人ではなく、ちょっと融通の利かない神通力と旺盛な道義心をもつリッチでシャイな忍者であったとして、彼はなぜこともあろうにここから動くな、ここは安全だなどと書いたのだろう。欺くつもりならなんとでも書けようが、じっさいここは危険きわまりないのだし、迷う迷わない以前にじっとしていたら命に関わるのである。すぐ救助が来るという前提であればまだしも、「何日か、あるいは一週間か、時間は少しかかるかもしれませんが」とあるからには、かの忍者は雪子を何日か放置することになるかもしれない、ということを理解していたのは間違いないのだし、リュックサックの中身は実にそのための物資であろう。その辺りの山でハイキング中に遭難したというのならこの指導も妥当かもしれないが、雪子の連れ込まれたのは飢えたワニやピラニアでひしめく淵である。かの忍者自身、それらを避けながら雪子の許を目指したに違いないはずなのに、かかる死の淵に胸まで浸かった状態の彼女に何日も動かず待てなどと言うのは、そのためにここまで労を執った彼自身の目的といかにも合致しない。
(なんでこうもちぐはぐなんだ……助けるつもりがあるのか? いや、殺すつもりもか?)
 悠は懊悩した。この手紙を書いた人間はいずれにせよ雪子を殺すか助けるかしたかったはず、しかしどちらを想定するにしろ「彼」が自分の求める結果のために辿った過程に明らかな矛盾があるのだ。もっとも――それが犯人であっても忍者であっても、あと一日も放っておけば雪子はおそらく死んでいただろう。あんな松明一本でそうそうシャドウの襲撃を防ぎ得たとは思えないし、悠の倒した例の騎士にでも出会せばそれで終わりである。いずれにせよ雪子は危ういところではあったのだ。
(じゃあ、この手紙の送り主は犯人ってことになる? いや、そんなのはただの結果論だ、とてもそうとは……)
「そういやさ、天城」と、前を歩く陽介が肩越しに振り返った。「ちっと訊きたいことあんだけど。つか、ヘンなこと訊くんだけど」
「え、なに?」
「大したことじゃねーんだけど……あのさ、天城んちにある服にさ、昔の西洋のお姫さまが着るみたいな、こんな裾が広がったドレスとか、あったりする?」
 雪子が口を開く前に千枝が「あっ、そうだよ!」と声を上げた。
「雪子あれなんなの? なんかプリンセスゥーってカンジの服きて、とつげき逆ナンーとかって」
「……え? なに? どういう意味?」
 雪子はまったく「なに言い出したのこの子」とでも言いたげな口調である。べつだん隠しごとが露見しそうになった狼狽を隠しているというふうもない、ただ困惑気にするばかりで、彼女に心当たりのありそうな様子はない。
「プリンセス……とつげき逆なに?」
「逆ナン」と、陽介が引き継ぐ。「とつげき逆ナーン、雪子姫の白馬の王子サマ探しィ、チョー本気ィ、とか」
「なになに? 逆ナンってなにクマ?」クマが振り返って後ろ歩きになる。
「あ、ちょっと似てるのがムカつく」千枝はニヤニヤしている。「雪子なんかすごいノリノリで今みたいなこと言ってたんだけど」
「映像倫理完全ムシィー、放送事故大歓迎ー、伝説つくっちゃうぞォー」陽介はクネクネしながらすっかり悪ノリに浸っている。「ヘンな声でちゃうーとかって、こんなカッコして、こんな、こんな」
 千枝は「うわーうざー!」とケラケラ笑って、じき傷の痛みに顔をしかめて「あいったい、いったい」と沈んだ。いっぽう当の雪子はなにか凄まじい誤解をゆえなく受けているといった様子で、「知らないよなにそれ! そんなこと言ったことない!」としゃにむに否んでかかる。
(気が散るなァ……)一列縦隊は早くも崩壊し始めていた。(こいつら、ここがどこか忘れてるのか? その辺りの山へハイキングに来たんじゃないんだぞ……)
「逆ナンって、お、王子サマ? わたしがいつそんなこと……!」
「逆ナンってなに? ヨースケ逆ナンって」クマは諦めない。
「センセイに聞きな」と、陽介は悠に押し付けた。「――だよな。つか、じゃあそういう服とか持ってないんだな」
「持ってないよそんなの! それよりなんなのその……伝説って……へんな声ェ?」
「見えないトコまで勝負仕様なんだよね」痛げに瞼を痙攣させつつも、千枝はいたって愉快そうにしている。いまは痛いよりも面白いほうが優先するらしい。「ポストクラブとかブッ建てちゃうんだよね」
「あれが天城じゃないってことはまあ、わかってたんだけどさ。じゃあやっぱりアレって……」
「センセイ、逆ナンってなにクマ?」
「……逆ナンっていうのは」と、悠は険悪な声を上げた。「前を歩いてるひとがお喋りしてぐずぐずしてると、最後尾のひとがかんかんになって怒り出すことをいうんだ」
 クマ以下四名はただちに向き直って粛々と前進を始めた。ただ千枝だけが未だにクマ語を改めないで「鳴上くんコワイクマ」などと雪子に囁いている。






「ここ、何階なんだろな、そういや」
 ややあって、陽介が誰にともなくそう訊いた。ちょうど先にクマの腕を抱えて駆け上がった螺旋階段に差し掛かったところである。走りながらいちいち数えている余裕はなかったのでしかとは解りかねるものの、たしか通算で五、六度も上ったであろうか。
 一行は一列縦隊を維持しながら階段を下り始めた。
「雪子それで下りれる?」千枝は和装の足下の心許なさを気にしている。「下カーペットだし、ゲタ滑らない? 脱いだほうがよくない?」
「んん、だいじょうぶ」雪子は褄を両手で持ち上げて、恐るおそるといった態である。「さっき一回おりたから」
「五階くらいか? 外から見た限りじゃ確かそんくらいだったよな、高さ的にここらが最上階なんかな」
「クマ、最短距離よりもシャドウを警戒して。遭わずに済むなら回避しよう」と、悠は手紙に目を落としたまま言った。「あとみんなごめん、ちょっと断っておくけど、いま少し考え事してるから、しばらく話しかけないでもらえると助かる」
「なに考えてんのお前、さっきから」と陽介が訊いたのは、話しかけるなと言って二秒も経たぬうちである。「その手紙? なんか考えることとかあんなら、ひとりで唸ってねーでみんなで考えようぜ。えーとアレ、第二回テレビの中の住人会議?」
「花村くん前みて、足下あぶない」と、雪子。「……いま言ったテレビの中の住人って?」
「わり天城、なに? もっかい」
「テレビの中の住人会議ってなに?」
「その前」
「あぶないから足下みてって言ったの」
「あー……おい悠」
「考えが纏まったら話す。煮詰める前に下ごしらえがいる」悠は顔を上げもしない。
「なんか気になるトコとかあるの?」千枝が悠の横に並んであたまを突っ込んで来た。「ね、コレってさ、あたしらのほかにさ、被害者を助けようとしてるひとがいるってコトなんだよね」
(話しかけるなっつってんのに……)悠のムッとするのも千枝は気付かない。
「コレ大人なんかね。ひょっとしてあたしらみたいにさ、高校生だったりしてね」
「…………」
「あ、実はタテ読みだったりとか? こ、こ、あ、あ、あ、もってんなワケないか、あはは」
「…………」
「階段おりながら見るのあぶなくない?」
「んん」
「……やっぱクマくんみたいなのかな、コレ書いたの」
「クマ……?」
 悠はなにか引っかかりを感じて顔を上げた。
「や、だって、いるトコわかったからさ、雪子んトコまで来れたんだし……お、怒るトコですか? ここ」
 悠が黙ったまま凝視するのを、彼を怒らせたものと勘違いしたようで、千枝はたちまち縮こまって「ごめんって、うるさかった?」と窺うように言った。
「クマ?」
「匂いとか辿って来たんかなーって、思っただけで……鳴上くん?」
(クマ、クマみたい――そうか!)思わずアッと声が出かける。(クマだ、クマなんだ、でもクマじゃない……!)
 おお里中千枝、わがミューズ! 彼女の言葉はさながら女神の霊感であった。悠はふたたび手紙に目を落として、穴も開けよとばかり文面を睨まえた。クマみたい――自分たちはひょっとして、マヨナカテレビを映して殺人を未然に防ぎ止めようとする、テレビ側の「能動的な具体」と邂逅したのではないか?
「うおーい、鳴上くーん?」
「千枝うるさい。じゃないごめん、里中うるさい」
「いやいいけど……つかあやまるのそこですか」
「クマ、ちょっといい?」
 と、悠が呼びかけるなり、クマは階段の中途で危なげに「なにクマっ?」と振り返った。ボールを持って近づいてきた主人に嬉々として尻尾を振る子犬のようである。
「クマ立ち止まらないで、危ないから下りながら聞いて――ほらみんなも」と、促しながら続けて、「あのさ、おれが陽介と一緒にこっちへ入ってきたとき……二回目の、里中が来なかったとき」
「えーと、センセイとヨースケがケンカしたときクマ?」
「へえ、ケンカしたの? なんで?」
「そのときクマさ」ミューズを黙殺しながら、「あのスタジオのほかにもシャドウの入れないところがいくつかあるなんて……言ってたよな、たしか」
「あるクマ」と、クマは当然のように請け合った。陽介はすっかり忘れていた様子で、「マジ? そんなんあんの?」と素朴な驚きを見せる。
「そういうところってこの城の中にもある? わかる?」
 悠は急き込んで尋ねた。クマの答えは「あるかもしれんクマ」である。
「じっさいに行ってみないとわからんけど、あってもおか――」
「天城! この城で最初に気がついたとき」クマを遮りながら今度は雪子に向かって、「その場所から動いたよね、シャドウに遭ったのはそのあと? それともその場で?」
「え? えっと」
「応えてはやく」
 と、急かされた雪子はしどろもどろに、「んん、動いたあと、だけど」と言った。
「動くなって書いてあったんだけど、どうしても気になっちゃって、不安で……あの、よくなかった? よね」
 決まった――悠は思わず会心の笑みを浮かべた。
「笑ってるよこのヒト」無視された千枝は少しく膨れている。
「なに、もう下ごしらえ終わったっぽい?」陽介は苦笑している。「もうナベ火にかけてんぞ、はやく煮るぞ」
「ヨースケ、ヨースケ、ちょっと」クマがなにごとか注意を発している。
(この手紙の送り主は犯人じゃない、間違いなく忍者だ)
 彼は犯人が放置した雪子を保護して、シャドウの入れない「聖域」まで運んだのだ。そこから出る危険をあえて「確実に迷ってしまう」からとしか説明せず、シャドウの脅威に言及していないのはいささか片手落ちのようにも思われるが、あるいはそうすることによっていたずらに恐怖心を煽ったり、かえって好奇心を刺激された雪子が外の様子を見に行ったりするなどの事態を避けようとしたのかもしれない。
「鳴上くん、どうしたの?」と、雪子。「なにか気付いたの?」
「んん、ナベは必要ない」悠はぞんざいに返す。
「ヨースケ、あそこってあんなに狭かったクマ?」クマが不審げな声を上げる。「あとあんなトビラなかったはずクマけど」
 この外にはシャドウというバケモノがわんさかいます、君を見つけたらすぐ捕まえて食べてしまうことでしょう――なるほど、もし彼がただ真実をこそ伝えばやとこんな文言を追加しでもしていたら、果たして雪子はこの見えざる書き手の誠意を信じることができただろうか? 否であろう、それを見たことのない一般人の耳に入れるには、シャドウだのテレビの世界だのはあまりにもオカルティックに過ぎる。たちまち疑念を生ずるか、真偽を確かめたがるか、いずれにせよ彼女は彼の思惑から外れようとしただろう。まさしく彼はそんなことを書かなくてよかったのだ。
(山野アナや小西先輩にも同じものが? 思い出せ悠、あの現場の近くにリュックサックは――)悠は手紙から顔を上げて、千枝のつむじに目を据えた。(いや、なくても不思議じゃないんだ、あのふたりも天城みたいに移動したあと襲われたのなら……待てよ、そのとき忍者は誰の助けを当てにしたんだ?)
 一行は階段を下りきったあと、さほど歩かずに停止した。先頭のクマと陽介が立ち止まったのである。
「コレってもっと下のほうにあったヤツだろ、非常口」と、困惑げな陽介の声。「里中の……シャドナカに引っ張られてたときの。つかここって明らかに別んとこだよな」
「シャドナカゆうな」と、千枝。「でもそうだよね……そもそもあたしら道まちがえてないよね、フツーにきた道もどってきただけだし。なんで?」
「シャドナカってなに?」と、雪子。「ねえあの、そろそろだれかここのこととか説明してくれると……さっき移動しながら説明するって言ったから待ってたんだけど」
「あー、だよな、そっちもあったよな――おい悠」
「ナベはいらない。あとは盛りつけ」
「お前ちょっと、いい加減にしろって」陽介は最後尾までつかつかやってくると、悠の手から手紙をふんだくった。「コレに没頭すんのもいいけどちっとは周りも気にしろよ。天城が説明して欲しいって」
「あ……悪い、わかったところまでなら。その手紙はたぶん」
「そっちじゃない。ここのこととか説明してやらんと、天城もいいかげん気味悪いだろ。俺とかしてもいいけどお前するって言ってたし、シャドウの――」
「センセイ」
 と、クマが陽介を遮って悠を呼んだ。着ぐるみは「非常口」と表記のある緑色の誘導灯の下で、今ほど下りてきた階段を見上げながら聞き耳を立てている。
(非常口……?)
 見覚えがあるような――悠はようやく周囲を観察する必要を思い出した。
 いかにも、その誘導灯、というより、着ぐるみの背後に見え隠れする暗緑色の扉には間違いなく見覚えがある。天城屋旧館のロビーから例の長廊へ移動するとき、千枝のシャドウに乞われて開けたものと同じであった。べつに同じ意匠のものがここにあったからおかしいというわけではないが、
「陽介ちょっと待った。クマも」
(おかしい。この階段を上る前に扉なんか開けてないし、そもそもここはもっと広かったはず。あのバカでかい廊下は?)
 この城にある階段は今まで見てきた限り、どれも大人が七、八人も並んで上り下りできるほど大型のものばかりで、高校の校舎に設けられているような按配で直接廊下に接しているのが常であった。いま下りてきた螺旋階段にしてもそのはずだったのが、上り口に開けているはずの長廊の代わりに、あるのは緑色の誘導灯がぼんやりと光る、階段室の入口を思わせる狭い行き止まりだけ。短い矩形の隧道のようになったその先に見覚えのある鉄扉はあった。それがなんであれ前時代的な装飾抜きではありえないポスギル城の内装に慣れた目に、シンプルな扉や誘導灯はかえって異質に映る。
「なんで非常口がここに?」
「お前マジでいまさらだぞ」と、陽介は呆れた。
「鳴上くんいまさら過ぎる」と、千枝も呆れた。
「ねえ、クマさんがなにか」と、雪子。「クマさんどうしたの? 道まちがえたの?」
「クマ、そうなの?」
 クマは応えずに、小刻みに震えながら螺旋階段の吹き抜けを指さした。と、まるで彼がそうするのを待っていたかのように、階段の高みからなにか大勢のひとが塊になって駆け下りてくるような、雑然とした物音が微かに聞こえてくる。樋を切った真鍮様の丸手摺りがビリビリ震動するのが見える。クマはようやく口を開いて、
「シャドウが来るクマ」
 呆然と呟いた。彼以外の四人全員が目を剥いた。
「シャ――おい悠!」と叫んで、陽介はすぐさまタロットを取り出した。「ペルソナ! やるぞ!」
「ダメクマ、ものすごい数クマ!」クマがあわてて陽介の袖を引っ張る。「この城のシャドウのほとんどが集まってきてるみたい、いくらヨースケとセンセイのペルソナでも……」
 クマは女子ふたりを心配そうに見ている。仮にシャドウを倒し続けることはできたとしても、彼女たちが無事では済まないと言いたいのだろう。千枝と陽介の血の記憶はいまだ生々しい、彼らを庇って破片を浴び続けたクマにしてもそれは同様なのだ。今度はふたりだけでは済むまい、血に酔って暴れ狂う二体のペルソナの足下にあっては、悠たち四人の生存はおろか、あとに残る亡骸が人型を保っているかどうかさえおぼつかない。クマの着ぐるみもまたお化け屋敷でしか使ってもらえないようなありさまになることだろう。
 場所が悪すぎる――一端は引き出したタロットをふたたびポケットに突っ込んで、悠は非常扉のノブに飛びついた。
「クマの言うとおりだ、みんな逃げるぞ!」
「つったってその先に別のがいたら――!」
「ここは狭すぎる!」と、陽介を遮って、「やるにしたってもう少し広い場所に出なきゃダメだ!」
 悠たちのいる螺旋階段の上り口は、もともとあった長大な廊下へのアクセスが消失したおかげで井戸の底のようになっていた。面積にしてじつに八十神高校の教室一室ぶんほどのスペースしかない。こんなところで壁を背に千枝たちを庇いながら陣を張るなどすれば、先のサイコロみたいなのが数匹来るだけで生身の身体は危うくなる。非常口への狭い隧道に彼女らを押し込めて蓋をすれば当面は安全だろうが、当の非常口側からシャドウが現れたときに手の打ちようがなくなる。明らかに地の利がない、おまけに防衛を担当するのは数分だに理性を保ち得ない狂戦士たちなのだ。わがことながら彼らがひとつところに腰を据えて守勢一心に努めようなどとはどうしても思われない。
 非常扉は先に開けたものとは比較にならないくらい重い。まさか施錠されているのでは、と悠は蒼白になったが、どうやらそうではない、壁に足をかけて渾身の力を込めれば扉は僅かに動いた。どうも向こう側が負圧になっているような手応えがある。
「ひとりじゃムリだ、陽介手伝え――ふたりも! 里中、天城!」呼ばれた三人が押っ取り刀で鉄扉のノブに集結する。「せーので引くぞ、せーの――!」
 一瞬の拮抗ののち扉は勢いよく開いた。悠たち四人はその余勢を駆ってもろとも背後へ倒れ込んだ。とたんにこちら側の空気が扉のむこう側へどっと殺到して、いま開けたばかりの鉄扉がゆるゆると閉まろうとする。
「おいここ、さっきの旧館だぞ!」と、陽介。
「扉、扉! また閉まっちゃう!」と、千枝。
「ふたりともどいて! 重いー!」と、雪子。
「三人とも早くどけ! 苦しい!」と、悠。
 縺れる四人を置いてクマが間一髪、閉まりかけていた非常扉のノブを掴んだ。着ぐるみの向こうには陽介の言うとおり、ポスターを張り巡らした薄暗い天城屋の廊下が見え隠れしている。
「いつのまにそんなに下りたんだよ俺ら!」
「ヨースケはやく! シャドウがすぐそこまで来てるクマ!」
 とクマの指さす先、悠たちの背後に、よりにもよって例のサイコロ様のシャドウが一匹、先行して降ってくるのが見える。泡を食って立ち上がろうとする陽介たち三人に踏まれ蹴られしながら、悠はポケットからふたたびタロットを抜き出した。――雪子が悲鳴を上げる。悠たち四人とシャドウとの間に巨人が立ちふさがったのである。
「いまのうちに! はやく行け、クマも!」小型のシャドウの一、二匹であれば、よたよた歩きの鳴上流ペルソナでもなんとかなるだろう。「おれが最後に!」
「バカ言ってんなっ! お前ひとり残して――!」
「ちゃんと行くから! 扉おさえててくれ!」悠は尻餅をついたまま振り返ると、陽介を遮って怒鳴った。が、後半の「扉おさえててくれ!」は半ば笑い混じりである。「おれがひとりで残って扉を閉めるって? 誰がそんな映画みたいなマネするもんか!」
 さあ来い! 悠はペルソナの視界に映る黒っぽいサイコロへ、威嚇するようにして矛の切っ先を向けた。隧道は狭く長物を振り回すようなスペースはない。向かってくるようなら突きを入れるしかないが――などと身構えていると、件のサイコロはペルソナが武器を持ち上げたとたん、まるで「とんでもない、争うつもりなんかないんですよ」とでも言わんばかり、一目散に逃げ去ってしまった。
(あいつ、そういえば上の大広間でも……)
 ふと先の騎士型のシャドウとの闘いが思い出される。陽介たちを救おうと大広間へ飛び込んだとき、かのサイコロどもは悠のペルソナの姿を見るなり獲物そっちのけで逃げにかかっていた。そうといえば陽介のペルソナがシャドウ狩りに精を出していたときも、最後まで残っていたのは彼らである。おそらくほかのシャドウが陽介に食ってかかる間、累を避けて逃げ回っていたのだろう、どうもシャドウの中では臆病な部類に入るようだ。
(シャドウは動物みたいに、種類ごとに習性があったりするのか? 火を避けるのもなんだかそんな印象があるし)
 どうやら得体の知れない、人知の及ぶべくもないエイリアンというわけでもないらしい。あるいは悪夢的な外貌がその脅威を実際以上に見せかけているのかもしれない。もちろん人間の力の抗し得ない存在であることにかけてはライオンやクマと変わるところはないが、いかにもライオンやクマには習性があり、弱点があるのだ。シャドウにしてもその可能性はじゅうぶんある。
 悠はなおも警戒しつつ、ペルソナと自分の身体を交互に後退らせながら、陽介たちの待つ非常口を潜った。その間にも小型のシャドウの襲来が散発的にあったものの、来るのはすべて例のサイコロで、凶器を振り上げたペルソナとはち合わせるや否や「あ、部屋を間違えました」とばかりさっさと退散するのであった。
「いいぞ陽介、閉めろ!」
 悠とペルソナが通るのを見届けてすぐ、突っ支えをしていた陽介が扉を閉めた。どうやら本当に、それもかなり強力な負圧になっていたようで、重い鉄扉は閉まり際に陽介を突き飛ばして、ついでに彼を「うおっ!」と跳び上がらせるほどの凄まじい音を響かせた。これならいかにシャドウが尋常でない力を持つとはいえ、扉そのものを破壊しでもしないかぎりそうそう突破されることはないはず。
「くっそ鼓膜ふるえたぞ……右まで破れたらどーすんだ」
 閉まって五秒も数えないうちに、扉がふたたびズドンと鳴る。悠と陽介の恐怖の視線が集中する。もちろんシャドウが向う側からぶち破ろうとしているのだろう、衝突音はそれから間断なく続いた。なんだかホラー映画のワンシーンのような、既視感を覚える光景である。
「……なんか前にもこんなことあったよな、たしか」と、陽介。
「あのアパートだろ?」
 頑丈な鉄扉は派手な音こそたてるもののじゅうぶん持ち堪えている。どうもただむやみにぶつかってくるばかりで、人間のようにノブを回して引くといったような知恵も持ち合わせないらしい。悠と陽介はお互いを見合って安堵の笑みを浮かべた。無事に虎口を脱したようだ。
「で、里中は腰ぬかして泣いてたんだよな、たしか」と、陽介。
「チビってなかった?」
「あはは……そうそうチビッてたチビッてた」陽介の笑いに疲労が滲む。「あー、そういや里中たちは? つかここなんか――」
「鳴上くん、花村! はやく!」
 と陽介を遮って、ロビーのほうから千枝がよたよたと駆け込んできた。背後を指さして「ここ火事! 火ィついてる!」などと切迫した声を上げる。
「はあっ? 火ィ? なんで?」と、陽介。
「なんでも!」と、千枝。「いまは理由なんてどーでもいいでしょっつか早く出ないと焼け死ぬっつの!」
 ひょっとするとシャドウたちはこれを察知して避難しようとしていたのかもしれない。ドンドンと非常扉を叩き続ける音がにわかに、なんだか必死に助けを求めているようにも聞こえてくる。むろん助けるつもりなどない、もうじきエンディングクレジットだし、続編の製作予定もないのだ。主人公たちを脅かした化物どもはここらで一斉退場してもらう。
「なんか焦げ臭いなとは思ってたんだけど、火事ですかハイそーですか」陽介はげんなりしている。「そりゃ納得……つか火事率たけーな俺ら、火事オチ? 爆発オチよりゃマシだけど」
「一難去って一難去って一難去って……まだ親戚が来るのか」悠もげんなりしている。「次の握手会は先着何名って決めとこう。整理券用意しよう。というかもうイチナンは出入禁止だ」
「んなコト言ってる場合っ?」千枝が眉を逆立てる。「向こう煙すごいからね! ほら全速力!」
「天城は?」
「クマくんと一緒にもう外でてる!」
 ――千枝の言質はものの数秒で覆った。騒然と白煙立ちこめるロビーに転がり込んだ三人は、あにはからんやマッサージチェアの傍らに立ち竦む雪子と、彼女の袖を引っ張って必死に避難を勧めるクマとを見出したのだった。
「なにやってんの雪子!」
 よほど慌てたものか、千枝は雪子の許へ駆けつけるなり両手で掴み掛かってしまい、すぐさま「いっだー!」と床に頽れてしまった。
「なにやってんだ里中!」煙に咽せながら陽介が怒鳴った。「天城もクマも! 死にてーのかお前ら!」
「ユキチャンが動かないクマ! おかしくなっちゃったクマ!」と、クマが怒鳴り返す。「ユキチャンここ出ないとあぶないクマ、黒こげクマー!」
「陽介、里中を――天城、天城! 早くここから出ないと!」
 雪子は悠を振り向きもしない。咽せて咳き込みながら、かといって慌てるでもなく、彼女は忘我の境といった様子で、
「なんでここ……なんでうちが、うちが」
 などとぶつぶつ呟いている。
「天城……?」
「さっきからずっとこんなカンジクマ……」
「なあ後にしてくれよ、今はそんな――ああもういい!」悠ははや匙を投げた。比喩なしの焦眉の急なのだ、あれこれ言って聞かせている時間はない。「里中、立てる?」
 千枝は立ち上がって、歯を食いしばって無言で頷いた。彼女にまで回す腕はない、痛くても自分で歩いてもらわなければ。
「陽介、左腕。おれは右を掴む。引きずり出すぞ!」
「またそれかよくっそ、どいつもこいつも……!」陽介が雪子の左腕を乱暴に掴む。「早く出るぞ! 上なんかミシミシいってるし!」
 彼の言うとおり、最前から天井と言わず壁と言わず、周囲からは木材の爆ぜて軋めく不穏な音が引きも切らない。室内には煙のただようばかりで炎が見えないのは、火が出てそれほど経っていないのか、あるいは出火元が外であるのか――こんな無人の世界で不審火? あるいはシャドウが放火した? しかし彼らは火を嫌うはず……
(考えてる場合かバカっ! ぐずぐずしてたら天井が落ちてくる!)悠は呆々然たる雪子の右腕を掴んだ。(コニシ酒店みたいに小さな店舗ならともかく、こんな巨大な城の天井が降って来たらいくらペルソナでも……)
 みなを庇い得まい。かの鬼神の怪力もいかでか抗せんや、けだし巌石鶏卵を圧するのたやすさで潰されてしまうに違いない。いわんや悠たち生身の人間においてをや、クマもまたお化け屋敷のリクルートを探すどころではない、跡形もなく潰れて焼かれて、果ては一介の缶詰入り珍味として好事家の賞翫を待つ身となろう。
「イヤクマー! 黒こげイヤクマー!」クマがあわれっぽい声で泣き出した。涙は流れなかったが。「クマまだ誰ともオツキアイしてないクマァー!」
「誰だってイヤだよっ!」悠も缶詰は御免であった。「陽介いくぞ! 全員全速力!」
 雪子が少しく抵抗する色を見せたものの構ってはいられない、悠と陽介は文字通り彼女を引き摺って玄関を下りた。そこには幸か不幸か、先に通ったときにあったはずの隧道は見当たらず、代わりに温泉旅館の玄関にはいかにも似合わしい、磨りガラスを嵌めた古びた組子の格子戸があるだけ。この奥に広がるのは城の内庭か、それとも逃げ道を塞ぐ総鉄製の落とし格子か。もしペルソナの力でそれを破壊できなかったとしたら……
 千枝が引戸をカラリと開け放った。安堵の息が漏れる、どうやら杞憂に終わったようだ。城を包んでいるのだろう炎にあかあかと照らし出された馬の立像、贋物の煉瓦塀、円形階段に噴水――すべて見覚えがある、出た先は間違いなく城の内庭である。なぜ内門が根こそぎ消えてしまったのかはわからないものの、とにかく無事に外へ出ることができたらしい。
 悠たちは煙に押し出されるようにして、内庭の半ば辺りまで一散に駆けた。助かった、今度こそ虎口を脱した! まったく頭上に広がる重々しい赤黒い空が、快晴の青空ほどにも清々しく感じられるようだ。
「今度こそ終わりだろーな……」とやけくそ気味に呟くと、陽介は雪子の腕を投げ出して、やれやれとばかり円形階段に腰を下ろした。「あーくっそ疲れた、リュック重てーし、ハラへったし、のど渇いたし、いま何時だよ……」
(あとはスタジオまでゆっくり歩いても十分程度……)悠も彼に倣って雪子を解放した。(終わった、とにかく終わった、ポスギル城陥落! よくやったぞ陽介)
 ふと今ほど逃れてきたポスギル城を振り返ると、いつの間にそうなっていたものか、先に見た「ぽすぎる」ファサードは唐破風もゆかしい日本家屋のそれへと変じている。というより、日本家屋の上に城が生えたような按配になっていた。この和洋合体した奇妙な建造物が赤い空を突き上げて囂々と燃えているのである。
「なんだありゃ……来たときと変わってんじゃん」陽介は呆然と燃える城を打ち眺めている。「つか、あの下のやつって」
「天城屋だ、ここ、昔の」と、千枝が呟いた。「上のほうはアレだけど」
 彼女の言葉どおり、破風の下に掛かった古色蒼然たる木の看板には「屋城天」とある。玄関口を征服しつつある炎にちらちら舐められて燻っていたそれが、乾いた音を立てて甃の上に落ちた。と、今まで死灰のように黙然としていた雪子がなにを思ったか、その音を聞くや否や一転再燃、弾かれたようにして炎上する天城屋へと駆け出した。
「天城! おい――!」
 とっさに伸ばした手があやうく彼女の手首を捕らえる。引き留められた雪子と言えばさながら狂女の態で、
「放して! 消さなきゃ! 消さないと!」
 おぼとれる緑の黒髪も物凄く叫ぶ、日和下駄を蹴飛ばして暴れる、悠に打ち掛かってしゃにむに逃れようとする。彼の腕に噛み付かんばかりの取り乱しようである。このにわかな狂態に悠の手こずるのを見て、陽介たちが泡を食って駆けつけてきた。
「なにがどーした天城! なに、お前なんかしたの?」陽介はうんざりした様子で、それでも張り切って雪子を取り押さえにかかった。「つかもうマジでちっとは休ませてくれよお前ら……」
「雪子、あれは本物じゃないんだって! ニセモノなんだって!」千枝は親友の癇癪に恐々としながら、雪子に負けじと叫び返している。「ここはあたしらの世界じゃないの! 夢の中みたいなもんなの!――雪子どうしちゃったの?」
 彼女の声が届いているのかどうか、雪子の叫びにはほどなく涙が交じり始めた。もはや恥も外聞もない、彼女は悠たちに縛められながら力なくもがいて、あさましくも痛ましく泣き叫ぶ。不明瞭な言葉の端々に「ちがう」とか「ウソだ」などといった短い慨嘆の文句が聞き取られる。
「……ユキチャンって、いつもこうクマ?」先ほどまでのむやみな狎昵はすっかり鳴りをひそめて、クマはなにか恐ろしいひとでも見るかのようである。「ちょっとおっかないコクマねえ、急に笑ったり泣いたりして」
「いつもはこうじゃないんだよ、いまはちょっと取り乱してるだけで」
 などとは言うものの、悠も内心ではしきりに首を傾げていた。それは旧居の焼亡を目の当たりにしたのだから、心に迫るものなきにしもあらずとは理解できるものの、この反応はいくらなんでも過剰である。さだめて雪子独特の事情でもあるのだろうが、燃え盛る天城屋とポスギル城とのなにが彼女をこれほどまでに錯乱させるのか、悉皆よそびとの彼には見当もつかなかった。わかることと言えばどうやら雪子はいま正気を失っていて、ひとりで歩くことはおろか立っていることさえできそうにない、ということだけである。
「陽介、とりあえず移動しよう、手間だけどスタジオまで引っ張ってくぞ。どのみちここじゃどうしてやることもできない」悠は内心の辟易を苦労して押し隠した。「さあもう一仕事……これが終われば日曜日だ、ちゃっちゃと片付けよう」
「雪子どうしたんだろ、なんでこんなんなっちゃってんのかな……」今度は千枝まで泣きそうになっている。「ねえ雪子ォ、あんたどうしちゃったの? つか聞いてるの?」
 雪子の反応はない。いまや嗚咽と呻吟とを漏らすばかりのその麗貌は悲嘆に歪み、涙と洟とに塗れてまったくあわれこのうえないありさまである。
「これテレビから出たらさ、カウンセリングとか受けさせたほうがいいんかなァ」陽介は気の毒げに雪子の様子を覗っている。「これってなんかアレっぽくねーか? アレ……なんだっけ、ナントカショーガイゴナントカってやつ、でてこねーけど。誘拐されたりシャドウとかに遭ったりしたせいなんかな」
「心的外傷後ストレス障害クマね、ピーティーエスディー」クマがしれっとのたまう。
「お前ってなんでそんなに知識偏ってんの……」
「たぶん警察でそういう配慮もしてくれるだろう」こんな状態の雪子を警察まで引っ張っていくのは骨だし、情においても忍びないのだが。「しばらくしても落ち着かないなら、もうおれたちの手には余るよ。いまはできるだけ――」
「ゲストの皆様ァ!」
 悠はゾッとして言葉を呑み込んだ。スピーカーを通したかん高い声に続いて、キーンというハウリング音がポスギル城の内庭を圧して轟く。悠たち五人は戦々として逃れてきたばかりのポスギル城を振り返った。今まで苦悶の涙にあえいでいた雪子でさえ、この声を聞くなり瞠目して黙ってしまっている。
「んもう登場したばっかりなのにィ」なまめいた声は城の入口――天城屋の玄関から聞こえてくる。「もう帰っちゃうんですかァ? 冗談ばっかり」
「イチナンの総元締めが来ちまったぞ……」陽介が呟いて、胸ポケットからタロットをそっと抜き出した。「つかやっぱりシャドウだったんだな、アレ」
 おどろき身構える悠たちの前に現れたのは、先にマヨナカテレビであられもない嬌態を晒していた雪子――胸ぐりの深いデコルテ姿に、マイクと可搬型スピーカーとを携えた雪子のシャドウである。
「なんで、あれ、わたし……?」
 と、傍らの雪子が微かに漏らすのを聞いた途端、悠は雷に打たれたように愕然となった。そうだ、自分はなにか重大なことを忘れていはしなかったか?
(しまった……予防接種……!)
 彼は手紙に夢中になるあまり、雪子にシャドウの説明をするのをすっかり忘れていたのだった。



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