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No.35651の一覧
[0] PERSONA4 THE TRANSLATION(ペルソナ4再構成)[些事風](2014/11/03 16:25)
[1] 序章 PERSONA FERREA[些事風](2014/11/03 16:25)
[2] 一章 REM TALEM MINIME COGITO[些事風](2012/10/27 23:54)
[3] 国を去り家を離れて白雲を見る[些事風](2012/10/27 23:57)
[4] マヨナカテレビって知ってる?[些事風](2012/10/28 00:00)
[5] ピエルナデボラシーボラ![些事風](2012/10/28 00:03)
[6] 出れそうなトコ、ない? ひょっとして[些事風](2012/10/28 00:07)
[8] 死体が載ってた……っぽい[些事風](2012/10/28 00:27)
[9] ペルソナなんぞない[些事風](2013/03/05 00:17)
[10] でも可能性あるだろ?[些事風](2012/10/28 00:34)
[11] バカにつける薬[些事風](2012/10/28 00:36)
[12] シャドウじゃなさそうクマ[些事風](2012/10/28 00:41)
[13] 吾、は、汝[些事風](2012/10/28 00:46)
[14] 俺はお前だ。ぜんぶ知ってる[些事風](2012/10/28 00:53)
[15] ノープランってわけだ[些事風](2012/10/28 00:56)
[16] 旅は始まっております[些事風](2012/10/28 01:05)
[19] 二章 NULLUS VALUS HABEO[些事風](2014/11/03 16:26)
[20] あたしも行く[些事風](2013/01/15 10:26)
[21] それ、ウソでしょ[些事風](2013/03/05 21:51)
[22] 映像倫理完っ全ムシ![些事風](2013/05/12 23:51)
[23] 命名、ポスギル城[些事風](2013/05/12 23:56)
[24] あたしは影か[些事風](2013/06/23 11:12)
[25] シャドウ里中だから、シャドナカ?[些事風](2013/07/24 00:02)
[26] 脱がしてみればはっきりすんだろ[些事風](2013/10/07 10:58)
[27] 鳴上くんて結構めんどくさいひと?[些事風](2013/10/14 17:36)
[28] セクハラクマー[些事風](2013/12/01 15:10)
[30] アギィーッ![些事風](2014/01/31 21:58)
[31] かかってこい、あたしが相手だ![些事風](2014/03/04 21:58)
[32] クソクラエ[些事風](2014/04/16 20:30)
[33] あなたは、わたしだね[些事風](2014/06/15 15:36)
[34] とくに言動が十八禁[些事風](2014/07/26 21:59)
[35] コードレスサイクロンユキコ[些事風](2014/09/13 19:52)
[36] 自称特別捜査隊カッコ笑い[些事風](2014/09/24 19:31)
[37] ッス[些事風](2014/11/03 16:29)
[38] oneirus_0d01[些事風](2014/12/14 18:47)
[39] 三章 QUID EST VIRILITAS?[些事風](2015/03/01 16:16)
[40] ええお控えなすって[些事風](2015/05/17 00:33)
[41] キュアムーミンだっけ[些事風](2015/10/18 13:01)
[42] おれ、弱くなった[些事風](2015/11/20 10:00)
[43] 中東かっ[些事風](2016/03/02 00:50)
[44] バカおやじだよ俺ァ[些事風](2016/05/15 16:02)
[45] ここがしもねた?[些事風](2016/08/16 15:11)
[46] 腕時計でしょうね[些事風](2016/11/15 13:03)
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[35651] 鳴上くんて結構めんどくさいひと?
Name: 些事風◆8507efb8 ID:67df69bb 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/10/14 17:36

 歯の根が合わない。
(どうする、どうする! 決まってる、ひとつしかない!)
 陽介が花村流から回復――それもいちばん時間のかかるデッドライン越え――するまでに十分から二十分は余裕でかかってしまう。彼の助力は当てにできない。
「ぺ、ペルソナ……」
 背後から千枝の怯えた悲鳴が飛んでくる、クマの騒ぎ立てる声も同様に。陽介の片付け損ねたサイコロが、仲間を殺された溜飲をせめて下げようと彼女らへ迫りつつあるのだろうか。
「ペルソナ!」
 悠はポケットからタロットカードを引っ張り出して、震える手でそれを振り回した。ペルソナと怒鳴った。甲斐はない。目の前の騎士が右手に携えた長大な槍をこちらに向けた。彼のかかとについた拍車がガシャッと鳴った。腹を責められた巨馬が低く嘶いて、悠のほうへ並足で向かって来た。
「ペルソナッ!」
 思い出せ、花村流のあの感覚を! 巨馬が速歩に移った。騎士が槍を抱え込んだ。悠は跳躍に備えて低く屈み込んだ。
「来い、ペルソナッ!」
 叫びざま悠は跳び上がって、身体を反らせて回転しつつ、手にしたタロットを天高く突き上げた。――ひどい立ち眩みとともに視界が真っ暗になる。転瞬ののち悠の目に映ったのは、足下で今し頽れようとする自分のつむじであった。
(よし! 次は――)
 と、右手の矛を持ち上げる暇もない、騎士の槍先が面頬を擦って火花を散らす。悠は膝を落として馬の首をすくい上げるように抱え込みながら、突進してきた騎馬へ全力で体当たりした。このまま躱すなり去なすなりすれば悠の身体が馬蹄にかけられてしまう。
「この野郎ォ……!」
 さながら相撲の取り組みかなにかのように、ちょうど横たわる悠の身体の真上でペルソナとシャドウが四つに組む形となった。ペルソナの怪力をもってしてようやく拮抗状態に持ち込めるほどのシャドウ、この騎馬武者は明らかに今までに見てきた化物とはレベルが違う。鉄靴が石床にめり込む。騎士は長物の弊を捨てて腰の剣の鞘を払った。馬が猛り狂って肩口に噛みつこうとする、脚で蹴ってくる。悠はさらに腰を落とすと腹の下に潜り込むようにして、後ろ脚立ちになるくらいに馬の身体を持ち上げて、
「おまえらの相手は後っ!」
 大喝一声、立ち上がった馬の後ろ脚を蹴り払いざまもろとも横合いに倒れ込んだ。投げ出された騎士が派手な音を立てて床に転がる。悠は身体を起こすのももどかしくただちに矛を振り上げると、それを横倒しになってもがく馬の腹に渾身の力を込めて突き下ろした。
(そうだ、おまえらは後! こっちが――)
 馬に突き刺した矛をそのままに、悠は一足飛びで先の大広間に飛び込んだ。その先にはへたり込んで後退る千枝と、逃げる術とてなく置き去りにされた陽介と、その彼の前に益なく立ちふさがるクマと、彼らに襲いかかろうとするサイコロ様のシャドウが二匹。
「こっちが先!」
 悠は陽介の頭上を飛び越えながら、彼の接近に気付いてはや逃げにかかろうとするシャドウのうち一匹をサッカーボールよろしく蹴飛ばし、もう一匹を捕らえると踵を返してふたたび騎士のもとへ舞い戻った。ほんの瞬く間の出来事で、おそらく千枝たちには驚く暇さえなかったことだろう。
(サイコロは片付けた、次はおまえ!)
 騎士はすでに体勢を整えていた。彼は矛を生やしたままぴくりともしない馬に一瞥もくれず、対峙する悠へ挑むように長剣の切っ先を向けた。――またなんと弱々しい、子供じみた、いっそ可愛らしい虚勢に満ちた仕草だろう! このシャドウはいったいおれになにをして欲しくてこんなポーズを取るんだろう、おまえの運命なんてもう決まりきってるのに!
 悠は捕らえていた鉄のサイコロを振りかぶって、思い切り騎士に投げ付けた。彼の反応は速やかである、正眼に構えた剣先を颯と斬り上げれば、ヂリッという鋭い音とともにあわれなシャドウはまっぷたつになる。かの剣は少なくとも、陽介のペルソナが投げる手裏剣よりはよく切れる様子。
 悠は笑った。たぶん人間には聞こえない笑い声を伴って。
「おい、見ろよ、おまえの相棒を。添い寝の相手を欲しがってるぞ」
 敵の剣さばきを恐れるでもなく、矛を取り戻しに行くでもなく、身構えるでもなく、悠はゆっくりと騎士の許へ歩き始めた。
 なにを恐れることがあろう? この全身という全身、髪の毛の頭からつま先の爪の端までを、まったく同じ濃度と速度とで間断なく駆け巡り続ける凄まじい効力感、全能感! なにを恐れることがあろう! いまこの瞬間、悠はかつてなんぴとも達したことのないであろう高みに自らを見出していた。われこそは全世界の全生物をして一抹だに疑うべくもない、神にひとしい存在であるとの強烈な自覚に押し上げられていた。
(これだ、これだ! そうだ、なによりもこれに注意しなければ! 鳴上悠、理性、そう理性だ! 理性を忘れるな!)悠のうちで野放図に肥え太った倨傲が、理性理性と感情的に叫んで止まない。(へえ、おれが理性を忘れる? 笑える、おれがマジで、マジで? 理性を忘れるなんてことが? 陽介じゃあるまいし!)
 騎士が鋭い踏み込みとともに突きを繰り出してくる。悠はそれを余裕ぶって左腕の手甲で打ち払おうとしたが、果たさずに胴――人間でいうあばらの辺り――を切り裂かれた。身につけた厚手の長衣が捲れる。悠は横腹に、おそらくは「痛み」であろうはずのものを感じた。もっともそれは人間でいうところの「怪我」をしたときにもれなくついてくる、という条件のみを満たすばかりのもので、悠はあなどれぬ一撃が自らの身体を抉っていったことに、卒然と言いしれぬ深い感謝と喜びとを感じるのであった。
 それは確かに喜びであった。これから行使する暴力にきらきらしい正当性を付与してくれたことへの感謝、目の前に迫った甘美な復讐の時、たとえしもなく溜飲の下がるであろう遠からぬ未来の展望。愚劣きわまることにこのいやしい矮小な化物がたったいま、あとでどんな災いを蒙るかろくろく考えもせずに自分のしでかしたことを、骨身に徹して思い知りながら八つ裂きになるいとも喜ばしき展望!
 このうえなく心震える展望! 悠のあたまの中はただこのひと言のみで占められた――ブッ殺す!
 騎士が胴を払い抜くまえに、悠は素早く剣身を両の手のひらで挟み込んで猛烈な膝蹴りを繰り出した。長剣を蹴り折ろうとしたのだが、一瞬はやく騎士は柄を手放した。この判断の素早さはシャドウならではなのだろうか、彼はぐずぐずせずにぱっと距離を取ると、先に自ら手放した槍を拾い上げた。が、その穂先はついに悠の投じた長剣を打ち払い得ない。
 投剣は騎士の腿の装甲を貫く。膝をつかないために今しがた手にした槍を杖にしたことがこのシャドウの命運を分けた。荒れ狂う悠の体はすでに空中にあり、その手にはすでに矛の柄が握られており、その刃はすでにして騎士の身体を誤たず捉えていたのである。
 必殺の一撃が騎士の肩口からみぞおちまでを斬り下ろす。黒い血が噴水のようにしぶく。尋常の高校生なら見ただけで気を失わんばかりの凄惨な光景だが、いまの悠は人間ですらない、血を好むいくさ神である。彼は血染めの矛をシャドウの残骸から抜いて、振りかぶってもういちど、渾身の力をこめて斬り下ろした。なにせ八つ裂きにしてやらなければならないのだから、最低八回はこうしてやる必要がある。悠は大いに気を散じつつ畑を耕すようにして、一心にシャドウの骸を切り刻んだ。
 騎士は七回目を待たずして馬もろとも掻き消えてしまった。
(あっ、なんだよ、終わっちまった……)
 悠は悄然と矛を下ろした。
 シャドウだけではない、つい今ほどまで黒い血にぬめっていた矛も、元の金属質の光沢を取り戻している。返り血の滴る長衣の裾も、石床を穢して咲いた大輪の黒い徒花も元の木阿弥、白昼夢のごとし。悠の胸に達成感の去来することはなかった。ただ名残んの興奮の冷めゆこうとするもの悲しさと、祭りのあとを思わせる寂寥と、割り当てに与えられた菓子をはや食い終えてしまった子供の無念とだけが残るのだった。花村流の効力感はそれらを埋め合わせてなどくれないばかりか、さらに焦がれるように次の獲物を探せと彼に命じる。もっと欲しい、今みたいなやつを探せ、おまえだってこんなんじゃぜんぜん足りないだろう、と。
(そうだ、まだいるかもしれない、大広間のほうは? 陽介の残りがまだ二、三匹はいるはず)
 シャドウ逢いたさに、悠は矛を引き摺って大広間へ取って返した。が、足下でわめきながらうごうごする千枝たち――なにか訴えようとしているらしい――を除けば、そこにはなにもいない。さっきのサイコロで最後だったのか、すでに逃げてしまったものか。彼女らに手ひとつ振ることもせずに、彼は大広間を出てレリーフの間を横切って、いちばん最初に目に留まった大扉を蹴破った。なにしろこれだけ大きな城なのだから、まだまだシャドウはいるはずなのだ。
(そうそう、天城! 天城はまだ襲われてるはずだ、きっとシャドウの大群に囲まれてる。はやく助けに行かないと)
 悠は気を取り直して矛を肩に担いだ。






 重い瞼をなんとかこうとか持ち上げて、最初に見えたのは誰かの首筋である。耳の辺りから肩口にかけて薄く、血を拭ったような錆色の斑が刷かれている。
(あたまが……最悪だ、なにが起きた)強烈な頭痛と倦怠感、なにか毒でも盛られたかと思わせるほどの絶不調である。(誰だ、これ。おれ、負ぶわれてる?)
 意識の戻ったときからずっと、ごく間近ではあはあと荒い息が聞こえている。悠が濡れた布団みたいにぐったりと身体を預けているこの肩は、
(陽介だ。陽介がおれを背負ってるのか……)
 それならとくに気を使うこともない、先にあれだけ苦労して担いでやったのだから、そのお返しに今くらいこうして楽をしてもよかろう。悠は怠いのにうんざりして、またすぐ彼の肩に頬を預けた。
「悠? 起きたか?」
 悠を運んでいた車が急停車した。いま身じろぎしたのに気付いたらしい。
「センセイ起きたクマ?」クマがちょんちょんと脇を突く。「起きたクマ? くすぐるクマよ」
「……起きてないよ、まだ寝てる」
 陽介は息を弾ませながら「おら起きたんなら自分で歩けよ、お前マジ重い」と言ってその場にしゃがんだ。
「降りてくれよ、ほら、もう脚ガクガクだし」
「頼むよ、カネ払うから、いまほんとうに辛い……」
「悪い、なんだって?」
「なぶるなよ、聞こえてるくせに。辛いって言ったんだ」
「ああ……わかるよ、それ。でもいいかげん俺も限界なんだ、悪いけど我慢してくれ」
「あと五分だけ。運んでやっただろ、おれと里中で」
「里中が無事ならなァ、ふたりで運んでやれるんだけど」
「……里中、どうかした?」
「え?」
「里中がどうしたって?」
「肩ケガしてる……つか、お前が手当てしたんじゃねーの?」
 悠はたちまち陽介の背から転げ落ちた。
「そうだ、里中は」
「ほら歩けなまけもの」
 千枝の声はすぐ後ろから聞こえた。彼女は悠を見下ろして弱々しく微笑んでいる。脇の下に止血帯を通したせいで肩ごと右腕の上がったのを、さらに傷に障らないよう左腕で組むようにして背を丸めているので、彼女は一見して寒いのを堪えているように眺められる。いや、じっさい出血のせいで寒気がするのかもしれない。
「大丈夫? 痛む? 手指の感覚がないとか、ない?」
「んん、だいじょ――」
「ひょっとして寒い? きっと血が出すぎたんだ、おれのこれ、上着、貸すから」
「だいじょうぶ、だいじょうぶだから」と悠を遮って、千枝は無事なほうの手を小さく振った。「寒くないし、鳴上くんの上着ぬれてるし……」
「陽介、里中に一枚かして――」
「あーだいじょうぶだって! 寒くはないですから、たぶん、や、寒くない、むしろ暑い!」
「……ならいいけど、でも、痛むだろ」
「そりゃまあ、痛いことは痛いけど、かなり痛いけど、動かさなきゃまあなんとか」と言って、千枝は気遣わしげに陽介を見た。「あたしより花村のほうが」
「おい」と、陽介がにわかに不機嫌な声を上げた。
「なによ、やっぱ言わなきゃでしょ。花村――」
「ちょっ、オメ――!」
 なにがなにやら話が見えないものの、陽介が卒然と立ち上がって千枝に掴み掛かろうとするのに、悠は四つんばいになって割って入った。
「ちょっと待った。なんだ、ふたりとも、話が見えない。ケンカしてる場合じゃないだろ」陽介の脚を掴みながら、「里中、陽介がどうかしたの?」
「里中オメ言ったら――」
「陽介。里中?」
 千枝は陽介の睨まえるのを気にしつつ「花村、左耳聞こえないって」と打ち明けた。
「たぶん鼓膜破れてるっぽい。耳から血でてたし……」
「だからまだわかんねんだっつーのに」と、陽介は苛立たしげに否んでかかる。「そうなんかなって思っただけで」
「聞こえないって、どうして」
 悠の疑問に応えて、千枝は非情に言いにくそうに、
「鳴上くんの、ペルソナ? がさ、さっき花村の近くで、サイコロみたいなシャドウを蹴ったんだけど、そのときものすごい音したから、たぶんそれだと思う」
 と述べた。
(おれのペルソナ? ペルソナ……そうだ、おれ、変身したんだ。あの騎士が)
 記憶はすぐに戻ってきた。苦い失敗の記憶はさながら遅効性の毒物である。それと知らずに口にしたものを、苦しみのたうち回る段になってようやく解ったとてどう処方してみようがあろう。悠は色を失って愕然となった。そうそう甘い忘却に憩わせてはくれないようだ。
「そうだ、おれは――」
「悠まて! まず、俺なんだ!」と言って、陽介が荒々しく悠の肩を掴んだ。「俺なんだ、俺のせいなんだ、お前もわかってる」
「なんてことを、おまえ――」
「違うんだって――だから言うなっつってんのに!」と、八つ当たりのように千枝を怒鳴りつけながら、「俺がおまえらを放って、シャドウ狩りに夢中になって、里中にケガさせて、あげくにペルソナ消しちまったんだ。お前のせいじゃない、お前はフォローしてくれたんだ。お前のおかげで四人とも無事だ」
「無事じゃない、おまえ耳が――」
「こんなもんで済んでよかったくらいだろ、とにかく、俺らはまだやれる。それがいちばん重要だろ、天城ももう近くだし――だろ? クマ」
 クマは陽介の言葉に応えて「もうすぐそこクマ」と言った。
「もうひとりのユキチャンもいなくなったままクマ。近くにシャドウもいない、助けに行くなら今しかないクマ」
「な? いまはうじうじ悩んでる場合じゃねーの! ほら立てって」
 立てと言われてもその力が湧いてこない。いまだに花村流の後遺症が残っているのではあろうが、気力の面から言っても彼はとうてい立ち直れそうになかった。――なんとこの鳴上悠が、なんの落ち度とてない無辜のひとを、まして人もあろうにあたら親友を一生の不具に落としてしまうとは! 怒って殴りかかって来た時でさえ怪我はさせまいと手心を加えてくれた彼に対して、われながらなんという仕打ちであろう。これまで行為と結果とをすべて自らの中だけで完結していた悠にとって、自分の失敗の報いが他人に、それも大事な他人に降りかかるというのはまったく耐えがたい苦痛であった。
 せめてこれが身も知らぬ他人であればなんとでも言い訳できようものを。状況が悪かった、先に失敗したのは自分ではなかった、ベストは尽くした、被害を最小限に食い止めた――無益である。なにをどう言い繕おうとも友人ふたりの流した血だけが悠の目に鮮やかである。千枝の血の乾いてこびりついた自らの手指に目を落とすにつけ、彼はただひとり無傷で済んだわが身を恥じ、筋の通らない自責の氷雨に衿を合わせて縮こまるのである。友情の不条理、友情の猛毒、まさしく陽介の焼きそばには毒が盛られていた! あれさえ食わなければこんな苦しみもなかった。彼の誘いを断っていたなら、孤独の軒に留まってさえいたなら、そもそもこんな露天に出て行って濡れる心配もなかったのに。悠は晴れの日の日向がどれほど彼の「鉄芯」をぬくめたかをも都合よく忘れ去って、この篠突く雨の冷たさばかりを恨みに思うのだった。
「陽介にも里中にも、ほんとうにごめん、もう言葉もない……」悠は力なくうなだれて、呻くように呟いた。「情けない、さんざんおまえを貶しておいて、おれも同じことしてたんだ。おまけにふたりにケガまで」
 自身の理性が花村流のもたらす激情の奔湍にそう長くは抗し得まい、ということは事前にわかっていたものの、かの騎士との闘いを思い出すだに情けなさは募る。実に悠はわずか数分さえ理性を保ち得なかったのだ。そのさらに数分前、彼は同様の事態に陥っていた親友を腹の中でどのように罵っていたのだったか。
「ちょ、それだけ難しいってコトなんでしょ? 落ち込みすぎだって」と、千枝があわてて慰めにかかる。「それに花村にちらっと聞いたんだけど、なんか鳴上くんたちぜんぜんペルソナ使ったことないらしいじゃん。それであれだけやれたんだからさ、こんなんで済んでよかったんだって! つかあたしのはそもそも鳴上くんのせいじゃないし、むしろ手当てしてくれたんでしょ? あたし蹴っちゃったけど、ごめんけど」
「自分がイヤになる、最低だ、理性理性って、けっきょく口だけだった。ちっともペルソナを使いこなせなかった……おまけに陽介を攻撃するなんて」
「いや使いこなせてたっつの。お前があのボスをやっつけたんだろ?」と、陽介もあわてて慰めにかかる。「なんか騎士みたいなやつ? 俺みてねーんだけど、スゲーじゃんか、大金星だぜ。俺なんかザコ蹴散らしただけだし、つかこの耳のは攻撃じゃなくてただの事故だろうに」
「おれとおまえと、両方の意識がない時間を作ってしまった。その空白の時間にシャドウが襲ってきてたら? 四人とも全滅だった。なにが使いこなせてたもんか……それどころかおまえに一生の障害を……」
「あーもーオメーは……だから言いたくなかったんだよ」うんざりと陽介。
「なんか、ゴメン。マジで言わないほうがよかったかも」困惑気味に千枝。
「さっき言っただろ。ただでさえコイツ余計に背負い込むヤツなのに……なんで信じねーんだよお前は」
「いやなんかそういうイメージなかったとゆうか……ひょっとして鳴上くんて結構めんどくさいひと?」
「センセイ、元気だすクマ。くすぐるクマか?」
「おれの耳を鉛筆かなにかで突いてくれよ……」
「なあ悠、続きはウチ帰ってからにしようぜ、あと一息なんだ、ここでグズグズしてたらまた天城のシャドウが出てくるかもだろ」と言って、陽介は座り込む悠の腕をつかんで引っ張った。「おらしっかりしろよ、いっつも偉そうにしてるくせに、お前らしくねーぞ」
「ヨースケもヨースケらしくないクマ、なんか今日はやたらエラソーね」クマもまた悠の背中をぐいぐい押して、立ち上がるように促す。「センセイ、きっとユキチャン待ってるクマ。こんなとこに何時間も閉じこめられてるんだから、心細いに決まってる。クマもちゃんとひとりで歩くからセンセイも立つクマ」
「ほーら立ってよー鳴上くーん、雪子まってんだからさー」と半ば笑いながら、千枝まで無事なほうの手で悠の腕をつかんだ。「あっ、鳴上くん立ってくんないとまた血が出る。マジ痛い、つかホントに痛い……!」
「里中いい! いいから傷をいたわって!」悠は千枝の手をやんわり振り払って、蹌踉と立ち上がった。「無理しないでくれよ、そのケガがそれいじょう悪化したら今度こそ立ち直れなくなる」
「おっ、これってけっこう脅迫の手段になりそうだったり?」千枝は額に脂汗の滲むのを、無理に笑って冗談めかしている。「ケガした甲斐あったかも」
「バカな。冗談じゃない――陽介おまえも」
 悠は陽介を振り返って「おまえ平気なのか? 片耳が聞こえなくなったんだぞ」などと急き込んで訴えた。加害者を故もなく許してはならぬ、厳罰をもって報いてやらねばならぬとでも言いたげな、難詰するような口調である。陽介は腰に手を当てながらその様子を見て、例の「困ったなァ」とでも言いたげな苦笑を浮かべて、「そりゃまあ、イヤだけどさ、聞こえてたほうがいいけど」と言った。
「でも、ここに入って来た時点でさ、これくらいのことは覚悟してたよ、俺。こんなんで天城が助かるんなら安すぎる買い物だろ。まだ右は聞こえんだし……指とか腕とかなくなるよりずっといいって。大したことじゃねーからさ、お前ももう気にしないでくれよ、マジで」
 この陽介の堂々たる態度に悠はうつむき恥じ入って、彼の靴のつま先をじっと見詰め続けることしかできない。これこそが彼の輝きであった。この過酷な運命を従容と受け入れてふて腐れもしない、彼の勇気はいかにも眩しい。眩しすぎて加害者の悠にはとても直視できるものではない。
「おまえは凄い。おまえのそういうとこ、逆立ちしても真似できない」
「はいはい凄いだろ俺。つかまたオマエハスゴイか」
「でもいまのさ、花村にしちゃカッコよかったよね。花村にしちゃ」と、千枝。「ふだんがなんかアレだから余計に際立つっていうか」
「はいはい恰好いいだろ俺。つかもう行かね? おらクマ、ボサッとしてねーで」照れ隠しなのか、陽介はクマにからみ始めた。「さっさと行こうぜ。悠もう歩けるっぽいし、案内してくれよ」
 クマの返事はない。
「おいクマ。クマ?」
「……クマくん? どしたの?」
 千枝の問いにも応えない。クマはあたまの上に突きだした小さな耳に手を宛がって、聞き耳を立てているふうである。
(なんだ、またトラブル?)
「クマ、なにかあった?」と、悠は恐るおそる訊いた。
「……センセイ、聞こえないクマ?」と、クマは囁くように応えた。「ひとの声がする。誰かいるんですかって、言ってる」
 クマの言い終える前に、千枝がいきなり「雪子ー!」と怒鳴った。傍らの陽介が喫驚して跳び上がった。
「里中オメ――!」
「雪子いるの? こたえてー!」
「くっそ、右までおかしくなったらどーすんだ……クマ、女の声か? 天城以外にひとなんかいねーんだろうけど」
「いまちょっとチエチャンが――」
「雪子ォー! いたた……!」
「里中しずかに、もうちょっと傷をいたわってくれって」千枝を遮って、悠もクマの真似をして耳をそばだてた。「いまのが聞こえたんなら応答があるはずだ。待とう」
(これは……天城か? それとも)
 クマは先ほど「もうひとりのユキチャンもいなくなったままクマ」と言ってはいたが、これはあまり当てにはならない。先の騎士型のシャドウでさえあれほど近くにいたにも拘わらず、直前まで彼は察知しなかったのだ。これから接触しようとしているのが雪子のシャドウである可能性は十分ある。
(いや、それならそれでやりようはある。むしろ先に会えたほうが都合がいい、里中のときみたいに事前に言い含めることだってできる)
 いまは落ち込んでいる場合ではない。そんなのは後だ、後悔はそれしかできなくなったときにでもじっくりやればいいと決めたではないか――悠は衿を正した。彼の頭脳は新しい懸案を得てようやく地団駄を踏むのをやめた。
「クマ、どう?」
「聞こえないクマね。うーん、空耳だった――」
「だれかいるの?」
 と、前方から微かに声のするのを、そのとき悠は確かに耳に聞いた。千枝の面に驚きと喜びとが閃く。クマもまた「いまの聞いたクマ?」とばかり悠を見上げる。が、片耳を失聴している陽介には聞こえなかったようで、自分以外の三人が気色を変えるのに少しく困惑している。
「えーと、なんか聞こえた? ぽい?」
 彼の言葉に応えるようにして、千枝が無言のまま前を指さした。悠たちのいるところから二、三十メートルも離れたT字路の角から、そのときそっと黒いあたまの覗くのが見えたのである。こわごわと様子を窺うように現れた顔は、
(天城だ! 確かに、顔は天城だ、問題は中身だけど)
「雪子!」
 と、千枝が喜びの声を上げるのに反応するものの、雪子は戸惑ったように「千枝? 千枝なの?」とこちらを打ち眺めるのみ。距離から言ってこちらを視認できていないはずはない。もちろん見えるはずだ、「千枝」はそうだった、見えているはずだ――もし彼女がシャドウで、霧を見通すことができるのなら!
(間違いない、あれは天城だ、シャドウじゃない!)
「天城!」と、悠の呼びかける声にも歓喜が滲む。
「いまの、鳴上くん? なんで?」
「おっとォ、花村くんも忘れてもらっちゃ困るよ!」陽介は喜びまじりにおどけて見せた。「よっ天城! 助けに来たぜ!」
「おっとォ、クマも忘れてもらっちゃ困るクマよ!」クマも陽介の真似をしてわめき始めた。
「……いまの、だれ?」角から出てきかけた雪子が、クマの声に驚いてふたたび戻ってしまう。
(怯えてる……シャドウを見たせいか?)
 クマの報告を信じるとすれば、雪子はシャドウに追われていたということである。が、さなきだにこれだけ長い時間ポスギル城にいたのだから、シャドウを見る機会に事欠くことはなかっただろう。しかし、それにつけても彼女が無事なのはよほどの幸運のなせるわざか。あるいは角の陰になっている部分にその代償も隠されているのだろうか。
「あっ、クマオメ警戒させただろーが! ちっと黙ってろ!」
「ユキチャーン初めましてー、あなたのクマクマー!」
「クマちょっと黙って――天城、いまからそっち行くから」
「まって! まって、来ないで」と、雪子は警戒心もあらわに叫んだ。「ひっ、ひとりずつ来て……」
「……わかった。誰がいい? 里中?」
「……鳴上くん、来て」
 意外にも雪子は親友ではなく、いちばん付き合いが薄いはずの悠を指名した。意を決したようにして角から出てきた彼女は、先日公園で見たままの紬姿である。が、
(なんだ、あれ。松明?)
 彼女の手には長さにして二メートルほどもあろうかという松明が握られていた。無論こんなものを持ったままテレビに落とされたなどということはなかろう、ポスギル城の内装を失敬しでもしたのだろうか。
「天城、その松明、どうしたの?」
 と、悠の訊くや否や、彼女は当の松明を槍のように彼へ向けて、「鳴上くん、ほんとうに鳴上くん?」と震える声で問うた。
「どうして見えるの? こんなに霧だらけなのに」
(あ、それを警戒してたのか)
 ひょっとすると彼女はこちらのことを、人間の声を模倣したシャドウかなにかだとでも疑っているのかもしれない。よほど恐ろしい目に遭ったその反動なのか、まさか悠たちが助けに来られるはずはないという考えもあろうが、悠にはむしろこの警戒心が好ましく思われた。なるほどこういう彼女だからこそ、この世界で何時間も無事でいられたのかもしれない。
「霧を見通せるメガネをかけてる……って言っても信じないと思うけど」
 悠は眼鏡を外してみた。もちろん辺りは一面霧で、視界の利くのはせいぜい十メートル程度である。この狭いスペースに閉じこめられた人間に声だけが「おまえが見えるぞ」などと言えば、誰だって不気味に思いもしよう。雪子が訝しむのも当然ではある。
「天城に貸すから、かけてごらん。いまそっちに投げる」
 と言って、悠は雪子のいると思しい辺りに眼鏡を放った。彼女が小さく悲鳴を上げるのが聞こえる。この視界の悪さだからして、投げ付けられたのが眼鏡だろうと手榴弾だろうと雪子には非常な驚きに違いない。――ややあって聞こえてきたのは、硬質の、おそらくは松明を取り落としたのであろう音と、膝から頽れる重い音と、聞くも痛々しげに泣きむせぶ彼女の声である。
「雪子、雪子!」と、千枝がもう辛抱ならぬとばかり、悠に先んじて雪子の元へよたよたと駆けていく。「もうだいじょうぶだから、助けにきたよ!」
 雪子はただ泣くばかりで言葉もない。しばらく彼女の嗚咽と、それを懸命に慰め励ます千枝の声とだけが、物音のひとつとてない長廊の沈黙を小さく揺るがし続けていた。
「ミッションコンプリート」と、ややあって陽介が感慨深げに言った。「大っ成功じゃん、どうよ俺らの力は。やっぱやってできないことじゃなかったんだ」
「おまえも里中も大ケガしてる。大成功じゃないし、まだ折り返しの道もあるし、なにより天城のシャドウが――」などと言っているうちにも笑顔が浮かんでしまう。「――だよな、大はつかないかもしれないけど、成功だ。よくここまで来られたよ、ホントに」
「マジでなァ。クマもありがとな、鼻きかねーのに頑張ってくれたよな」
「んむむ……クマ今回はちょっとジシンソーシツしたかも」クマはこころなし悄然としている。ように見える。「センセイ、ハナ鍛えるにはどーしたらよかとですか?」
「ハナ……ああ、それはもう仕方ないし、実際どうしようもないと思うよ。仮にクマの鼻がこれいじょう良くなったって、それだけおれたちの匂いを余計に拾うんだろうしさ」と、悠はクマを慰めた。「ともかくこうして目的は果たせたんだ、クマはよくやってくれた」
「でもでも、シャドウがどこにいるかわからなかったら――」
「だーいじょうぶだって! ほら、こないだみたいにシャドウに遭ったら終わりってんじゃない、もう俺と悠のペルソナがあんだからさ、ちっとくらいファジーでもぜんぜんいいんだって」
 と、陽介も重ねて慰めるものの、クマはふだんの朗らかさを取り戻さない。なにか思うところがあるのか、なにしろ見た目が着ぐるみなのでしかとはわからないのだが、なんとなく屈託を抱えているようにも見える。
「まだシャドウとかかなりいるんだろうけど、天城と合流できたんだからもう時間の制限なんかねーし、なんとでもなるだろ」陽介はクマの様子をいっこう気に止めず、彼のあたまをポンポン叩きながら余裕綽々である。「俺らのペルソナの前じゃあスライムレベルのザコばっかだし、悠がやったボスだって、里中の話じゃあっという間だったらしいし。なんかもう矢でも鉄砲でも持って来いってカンジ?」
「問題は天城のシャドウだけど」
「むしろお前、なんとかならないかもって思ってんの?」陽介の口調はいっそ嘲るようである。「お前、ぶっつけ本番で二回も成功してんだぞ。今回は俺のペルソナだってある、さっきはそりゃ失敗したかもしれんけど、おかげで次は気ィ付けられるだろ? シャドウの大群が出てこようが天城のシャドウが出てこようが、んなもんもう消化試合だって、楽勝楽勝」
「ヨースケノーテンキクマねー」
「うっせ。こーいうときは楽観していいの!」
「楽観するのはおまえの仕事。悲観するのがおれの仕事」と言って、悠は自嘲気味に笑った。
「お前へこみやすいから向いてないぜ、悲観すんの」
「おまえも浮かれやすいから楽観には向いてないよ」
「だろ? だからちっと交代してみ。お前もたまには楽観しろ」
「楽観ねえ……なあ」
「え?」
「耳、大丈夫か? 痛くないか?」
 たぶんそうしないとよく聞こえないのだろう、陽介は最前から誰かが話し始めると、顔を左側に傾けて少し俯きがちになるのだった。気にするなと言われてもこうした仕草が悠を無言のうちに責めるのである。
 陽介はちょっと不快気に「気にすんなっつったぞ」と言い捨てた。
「気にしてない、心配してるんだ。テレビから出たらすぐ医者つれてくからな、里中も診てもらわなきゃいけないし……」
 ちょうど雪子もようよう泣きやんだようで、さっそく親友の異常な恰好を見咎めたらしく、今度は彼女が大わらわで「はやく病院いかないと!」などと心配をし始めている。幸い血は止まってくれているようではあるが、のちのち膿むなどして痕でも残ろうものなら千枝もさぞ無念であろう。悠自身もまた自らの不手際に責任を感じざるを得ない。
(天城も警察まで送っていかなきゃならないけど……まいったな。血まみれの里中まで一緒に連れていったら余計な詮索は避けられないだろうし、かといって行方不明のはずの天城を病院まで引っ張り回して、警察に見咎められでもしたら厄介だし。怪我人同士でなんだけど、陽介に里中を連れて行ってもらうしかないか)
 テレビから出たら泥のように眠ろうとばかり思っていたのに――悠の見えないマネージャーときたら、彼の都合などお構いなしにどんどんスケジュールを詰め込むのであった。もっとも昨晩みたいに夜中に突然「天城窮地にあり、急行せよ」などとやられないだけマシではあるが。
「おれたちも行こう、行って説明しないと――天城」陽介とクマを促して、悠は声を頼りに雪子たちのいるらしいところへ移動した。「ごめん天城、不便だろうけどメガネ返してくれる?」
 雪子はしゃがみ込む千枝の傍らでなよやかに膝を崩して、泣き濡れた面で悠を見上げていた。愁眉を強いて開いて涙のうちにも微笑もうとする彼女の貌は美しくも婀娜である。悠はこの霧の中から現れた麗人の姿態にしばらく見惚れて、やっぱりこういう幸薄そうな様子が似合うなァ、とか、メガネも似合うなァ、とか、和服はこういう仕草が絵になるなァ、などと間の抜けた感想を抱いていた。
「……鳴上くん?」
「あ、ごめん、見惚れてた」と言っておけば、本当に見惚れていたとは思うまい。「メガネ、いい? 天城のぶんもあればいいんだけど――クマ、予備とかない?」
「ビルドトゥオーダー、ビルドトゥオーダーですクマ、作り置きはございませんクマ」と言って、クマは悠を押しのけて前に出てくる。「ユキチャン初めまして! やー今日はいい日クマねー、ガールフレンドがいっきにふたりもできちゃったクマー」
「はじめまして……あのう、あなたは」雪子は戸惑うばかりで、悠を見上げて「このひと誰?」とでも言わんばかりである。
「クマクマ! ユキチャン付き合ってください!」
「ハナシこじれるからお前ちっと黙ってろ」と、陽介が背後からクマを横倒しにした。「――天城おつかれさん。これクマな。この着ぐるみ」
「やめれー! 起き上がれんクマー!」クマはゴロゴロ転がっている。
「クマ、さん?」
「そう。ここに住んでる気のいいクマで、天城の救出に協力してくれたんだ」陽介の話を引き取って悠が続けた。「ちょっとおしゃべりだけどいいやつだから、怪しいやつじゃないから」
「説得力ないけどね、見た目あやしすぎるし」と、千枝。「でも中身はぜんぜん怪しくないし、悪いやつじゃないよ、ホントに。おもしろいやつ」
(……なんて言ったところで納得しやしないんだろうけど)
 雪子の腑に落ちた様子はない。当たり前の反応である。これほど見た目の怪しいクマだからして、見たまま「こいつ怪しいから」とでも紹介されたほうが彼女とていくらか得心がいったかもしれない。かといってここでもう少し具体的にクマの正体を明かす――彼の首回りのファスナーを引き回したり――などすれば、彼女の疑いを解くどころか頑丈に補強しかねない。悠とて初対面の折は彼の着ぐるみを脱がせにかかったものだが、もし陽介たちがそれを止めなかったとしたら、おそらく言われるままクマに付き従いはしなかっただろう。
(そもそもこのクマって何者なんだろう……)などと考えている時間はもちろんない。(とりあえずは何者でもいい、わかってる範囲だけでもこの着ぐるみはじゅうぶん信用できる。天城もじきそうするようになる)
 いまは怪しさの塊に違いはなかろうとも――雪子には薄気味悪いことではあろうが、いましばらくは「なぜか着ぐるみをつけてる怪しいなれなれしいこども」くらいの印象で我慢してもらわなければ。
 悠はクマを助け起こしながら「天城、メガネ、返してもらってもいい?」と重ねて催促した。
「あっ、ごめんなさい」雪子はあわてて着けていた眼鏡を外して、それを袖で拭って悠に手渡した。「ごめん、涙で汚しちゃった」
「とんでもない。これでこのメガネ洗えなくなったな」
 悠の視界は旧に復した。この眼鏡の便利に慣れると霧だらけの世界は不安このうえない。雪子もこれを手放すのはたいそう心細かろうが、
(天城はこれに慣れないほうがいい、天城のぶんを作らせるわけにはいかないんだから)
 この世界は彼女にはただ一度きりの、悪い夢で終わらせなければならぬ――悠が決意を新たにしていると、そのすぐ横で千枝が「クマくん、雪子の作るのってどれくらいかかりそう?」などと当然のように言い始めた。
「ユキチャンのためなら時間は惜しみません、クマきょうは徹夜で頑張りますクマ!」クマも大いに調子をくれる。「ユキチャンには特別なやつを進呈するクマ。それはもーキュートでグレートでブリリアーントなリミテッドモデル、リョーメンヒキューメンクマ」
「これねーとほとんど見えねーからなァ」陽介は眼鏡を外したりつけたりしている。「ここ建物ん中だからまだマシだけど、外でたらマジでなんも見えないから、天城気ィつけたほうがいいぞ」
「マジ必携のアイテムだよねー……最初ここ入ったときにこれがあったらさ、あんなにビビらんで済んだっつか、むしろ楽しんだかもなのにね」と、千枝。
「いやお前はあってもなくてもぜったい泣いてた」と、陽介。
「あーうっさいちょっとテンパっただけだっつの――雪子もさ、見たくなったら言ってね、あたしのコレ貸すからさ」
 千枝は不自由な片手で眼鏡を外して、それを大事そうに矯めつ眇めつしている。テレビの中から出たあと返せと言ったところで、この様子ではとてもすんなり従うとは思われない。
(かといって、記念に手元に置いておいていいものなのかどうか……隙を見て取り上げるなりしなきゃならないのかな……)
「天城のメガネについては、またあとでゆっくり話そう」無論、そんなものは是が非でも作らせはしないが。「天城、立てる? こんなところに長居は無用だ、移動しよう」
「うん、なんとか……もうなにから訊いていいのかわからないくらいなんだけど」と言いながら、雪子はよろよろと立ち上がった。「鳴上くんたち、どうして、というか、どうやってここに?」
「どうしてもその帯あきらめきれなくてさ、ストーキングしてたんだ――なんて冗談いってる場合じゃないよな」雪子がにこりともしないので、悠は決まりが悪くなって早々に打ち切った。「その前に、天城はここがどこか知ってる?」
 雪子は力なく頭を振った。
「ここ、どこなの? こんな、あんな生き物が……妖怪みたいなのがいて……」
「じゃあ、天城はシャドウを見たんだ。あれはシャドウっていって、ここに住んでる……たぶん住んでる化物」
「んで、ここはシャドウたちの世界ってわけ。俺ら人間の住んでる世界の、裏っ側? ってカンジなんかな」と、陽介。
「フツーならたぶんぜったい行けない場所なんだけどさ、あたしらっつか、鳴上くんはなぜかこっちに来れるんだ、テレビのパネル通って」と、千枝。
「クマはこっちに住んでるけど、シャドウじゃないクマよ。ここ重要クマ。クマは彼女募集中のクレバーでカインドリーなイケメンクマ」と、クマ。
 雪子の腑に落ちた様子はない。どころか、悠たちの話すのを聞くにつれて彼女の眉間の皺はいっそう深まるばかりである。
「天城、とりあえず移動しながら説明するから――その前にひとつだけ」
「え、うん」
「天城、自分と同じ姿形をした人間に、遭った? あるいは見たりした?」
「……え?」
 と、雪子の眉をひそめるのを見るだけでもわかる。彼女は自らのシャドウに遭ってはいない――悠はひとまず安堵の息を吐いた。
「会ってないけど……わたしと同じ姿?」
「いや、いいんだ、安心した――ほらクマ、先導して」と、悠はクマを促した。「みんな行こう。ここはまだ安全じゃない」
 なにしろいつ雪子のシャドウが現れるかわからない。このまま遭遇せずに帰れるなら言うことはないが、
(もしそれが避けられないなら、ここがどういう場所かなんて話はあとだ、それより先に説明しなきゃならないことがある)
 雪子が自身のシャドウと遭って話をしてからでは遅い。それまでに千枝のシャドウに試みたような「予防接種」を、彼女にも受けてもらわなければ。
「いきなり『オマエと同じ顔をしたヤツを見たか』とか言われてかなりホラーかもしれんけど、その説明もおいおいすっからさ」と、陽介は朗らかに続けた。「ちっとネタバレすると、まあそういうヤツがいるにはいるんだけどさ、べつに見たら死ぬとかそういうんじゃねーから。ドッペルナントカじゃねーから」
「いまはやめなって、そーゆうこと言うと余計ブキミでしょ――ほら雪子、いこいこ」千枝が雪子の背中をぐいぐい押し始めた。「帰ろ帰ろ、帰ってお母さん安心させなきゃ。天城屋のみんなも心配してるよ」
「あっ、待って、その前に」
 クマが歩き始めてすぐ、雪子はふいになにか思い出したようで、先にこちらの様子を窺っていたT字路まで戻って行ってしまった。
(なんだ、リュック?)
 雪子がT字路の陰から引っ張り出してきたのは、おそらく登山用と思しい、中身の詰まった大型のリュックサックである。彼女はそれを重たげに抱えて、
「これ、気がついたら横に落ちてたの」
 と言った。
「……え?」
「誰だかわからないんだけど、たぶんわたしのために置いていった、みたいなの」
 雪子以外の四者が一斉に、彼女の示すリュックに視線を集める。悠たちにとっては爆弾発言もいいところである。
(犯人が? どうして? リュックの中身は?)
「天城のためって、なんで?」
「これ、中に入ってたんだけど」と言って、雪子は紬の懐から四つ折にした紙を取り出した。「たぶんわたしに宛てたものだと思うの……見る?」
「見せて」
 悠はそれを奪うようにして受け取った。たちまち陽介と千枝があたまを突き合わせるようにして詰め寄ってくる。彼らにとっても驚愕の新情報であろう、その手紙の書き出しは
『ここから動いてはいけない!』
 である。



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