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No.35651の一覧
[0] PERSONA4 THE TRANSLATION(ペルソナ4再構成)[些事風](2014/11/03 16:25)
[1] 序章 PERSONA FERREA[些事風](2014/11/03 16:25)
[2] 一章 REM TALEM MINIME COGITO[些事風](2012/10/27 23:54)
[3] 国を去り家を離れて白雲を見る[些事風](2012/10/27 23:57)
[4] マヨナカテレビって知ってる?[些事風](2012/10/28 00:00)
[5] ピエルナデボラシーボラ![些事風](2012/10/28 00:03)
[6] 出れそうなトコ、ない? ひょっとして[些事風](2012/10/28 00:07)
[8] 死体が載ってた……っぽい[些事風](2012/10/28 00:27)
[9] ペルソナなんぞない[些事風](2013/03/05 00:17)
[10] でも可能性あるだろ?[些事風](2012/10/28 00:34)
[11] バカにつける薬[些事風](2012/10/28 00:36)
[12] シャドウじゃなさそうクマ[些事風](2012/10/28 00:41)
[13] 吾、は、汝[些事風](2012/10/28 00:46)
[14] 俺はお前だ。ぜんぶ知ってる[些事風](2012/10/28 00:53)
[15] ノープランってわけだ[些事風](2012/10/28 00:56)
[16] 旅は始まっております[些事風](2012/10/28 01:05)
[19] 二章 NULLUS VALUS HABEO[些事風](2014/11/03 16:26)
[20] あたしも行く[些事風](2013/01/15 10:26)
[21] それ、ウソでしょ[些事風](2013/03/05 21:51)
[22] 映像倫理完っ全ムシ![些事風](2013/05/12 23:51)
[23] 命名、ポスギル城[些事風](2013/05/12 23:56)
[24] あたしは影か[些事風](2013/06/23 11:12)
[25] シャドウ里中だから、シャドナカ?[些事風](2013/07/24 00:02)
[26] 脱がしてみればはっきりすんだろ[些事風](2013/10/07 10:58)
[27] 鳴上くんて結構めんどくさいひと?[些事風](2013/10/14 17:36)
[28] セクハラクマー[些事風](2013/12/01 15:10)
[30] アギィーッ![些事風](2014/01/31 21:58)
[31] かかってこい、あたしが相手だ![些事風](2014/03/04 21:58)
[32] クソクラエ[些事風](2014/04/16 20:30)
[33] あなたは、わたしだね[些事風](2014/06/15 15:36)
[34] とくに言動が十八禁[些事風](2014/07/26 21:59)
[35] コードレスサイクロンユキコ[些事風](2014/09/13 19:52)
[36] 自称特別捜査隊カッコ笑い[些事風](2014/09/24 19:31)
[37] ッス[些事風](2014/11/03 16:29)
[38] oneirus_0d01[些事風](2014/12/14 18:47)
[39] 三章 QUID EST VIRILITAS?[些事風](2015/03/01 16:16)
[40] ええお控えなすって[些事風](2015/05/17 00:33)
[41] キュアムーミンだっけ[些事風](2015/10/18 13:01)
[42] おれ、弱くなった[些事風](2015/11/20 10:00)
[43] 中東かっ[些事風](2016/03/02 00:50)
[44] バカおやじだよ俺ァ[些事風](2016/05/15 16:02)
[45] ここがしもねた?[些事風](2016/08/16 15:11)
[46] 腕時計でしょうね[些事風](2016/11/15 13:03)
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[35651] 脱がしてみればはっきりすんだろ
Name: 些事風◆8507efb8 ID:67df69bb 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/10/07 10:58

 床に落ちたライトが戛然と鳴った。それが跳ねて転がって、いびつな半円をえがいて、やがて悠の足下ちかくで止まった。あたかもほんの数秒前までそれを持っていたものが、元の持ち主へ返そうとしたかのように。
(消えた。うまくいった、ともかく、もとの鞘に収めることはできた――はずだ)
 ライトが落ち着いて、それを悠が大儀そうに拾い上げるまで、おのおの口を開くものはなかった。彼らはあくまでルールを守ろうとしたに過ぎない。廊をとよもすこの小さな硬質の音が、「千枝」の最後の発言めいて四人に聞かれたのである。
「消えた……」ややあって、千枝が呆然と口火を切った。「アイツ、どこ行った? 帰ったの?」
「クマ、どう?」
「……だいじょうぶ、気配は完全に消えてる」クマの言葉は確信に満ちている。「シャドウはチエチャンと一緒になったクマ」
(よし、まずはひとり)
 クマのお墨付きを得て、悠はようやく安堵の息を吐いた。とたんに、今まで意識の外に追い出されていた疲労が空腹と喉の渇きとを味方につけて、にわかにその存在を主張し始めるのだった。このさい飢渇は我慢しもしよう、しかし、
(とにかく疲れた……二本あるんだ、一本はいいだろう。移動しながらでも吸おう)
 ささやかな成功報酬として、こちらの欲求を自らに許してもバチはあたるまい。悠はポケットの上からシガレットケースを撫でた。
 千枝はクマの言葉を聞いてもなお腑に落ちない様子である。
「成功だ、シャドウはもういない」と、悠は重ねて請け合った。「里中のなかに帰ったよ」
「なか? あたしの?」
「そう。ふたつに別れていたものがようやくひとつになったってわけだ。よくもうひとりの自分を受け入れた」言いながら、悠の視線は彼女の全身を這い回っている。「スマートには行かなかったけど、とりあえずこれで里中は安心だ」
(……ない。ないぞ、例の光は?)
 千枝の身につけている服のどのポケットにも、それらしい輝きは見られない。例のタロットの光はかなり強いはず、たとえ下着の中に収まっていたとしても目に留まらないはずはないのだが。
「まあいいけど……それより雪子、やばいんでしょ? はやく助けに行かないと」じき悠の凝視に気付いた千枝が言葉後を呑み込んで、困惑気に八の字を寄せた。「……なに、なんかついてる? どうしたの?」
「いや」
「悠、里中のは?」
 と、陽介が訊いてきた。彼も考えることは同じらしい、この「の」はもちろんタロットのことを指すのだろう。
「時間ねーけど、とりあえずなるほうの出し方だけでも教えとこう。戦力になるだろ」
「…………」
「悠?」
「ないんだ。見えない」
「え?」
「……ひとによるのかもしれない、あのタロット。里中は持ってないみたいだ」
「ええ? いや――里中、ちっと服ぬいでみ」
「はあァ?」
 だしぬけに脱衣せよなどと言われた女性のほぼすべてがそうするであろうように、千枝は色めいて眉を聳やかした。
「あんたなに言い――」
「いやマジで、冗談じゃねーんだ。べつに俺らに見せろってんじゃなくて……いや、悠には見せなきゃなのか? とりあえず一枚だけ――」
「待った待った」と言って、悠は親友の思いやりを心ならずも退けた。「里中の言うとおりだ、時間がない。とりあえず先を急ごう」
「つったってお前――」
「クマ先導して。それと可能な限り天城の……この城の奥にいるひとの様子を報せて」ポケットからシガレットケースを取り出しながら、「ふたりとも移動しながら話そう。あのタロットだけど――あ、その前に里中」
「へ?」
「これ、見える?」
 言って、悠は左手に抓んでいたタロットを示して見せた。
「これ……って?」
「いまタロットカードを抓んでる――見えないんだな」
「タロット、カードって、え? 見えないって、いや、どういう……」
「見える? それとも見えない?」
「見えないよ、なんも。つか意味が――」」
「いいんだ。それと里中、移動する前に」
「な、なんですか……なんかもうついていけてないんですけど」
「一度だけ訊く。ついて来る? それともスタジオに戻る?」
 悠は煙草を咥えて火をつけた。
「もうあれこれ言わない。その時間もない。戻るにしてもおれたちが送って行くことはできない。もしついて来るとしても命の保証はしない。答えは簡潔に」
 彼女の目にいかにも威圧的に映るよう、悠はあえて不機嫌たらしく煙を吐いた。なにせ時間がないのだ、またぞろ行く行かないでごね出されては堪らない。
「最大限、里中の身を守るようにはする。それでも保証はしかねる。もし来るなら責任は自分で負うこと。大ケガしても恨まないこと」
 千枝は神妙な面持ちで、それでも「もちろん行くよ」と言った。
「よし。じゃあほら、足を動かそう――クマ、さっき言った人間はまだ走ってる?」
「えーと……いまは止まってる、クマ? たぶん。あ、ちょっと動いてるかもしれないクマ」
「……シャドウは?」
「近くにはいないクマ、たぶん。同じ匂いのシャドウは……あり? 消えちゃったみたいクマ、えーと」
「…………」
 いったいこの着ぐるみの言うことは信用できるのだろうか。先ほどより事態がよくなったように聞こえはするものの、クマの自信なげな口調がどうにも引っかかる。せめてこの「たぶん」がなければまだ安心できるのだが。
「クマ、もう少しはっきりわからないかな」
「うう……ムリクマよ、これが限界クマ」と、クマは苦しげに言った。「みんな外に出てればだいじょうぶクマけど……」
(そうだった、ほかならぬおれたちがクマの邪魔をしてるんだった)
 じっさい彼の鼻がよければよいほど、悠たちの匂いをどうしても拾ってしまうのだろう。なるほど感度はいいのだ、その感度に比例して雑音も増幅されてしまうのは道理である。
「ごめん、できるだけ頑張って――じゃあ全速力!」
「は、はいクマ」
 発破をかけられたクマがよちよち走り始める。彼の短い脚では無理からぬことでもあろうが、はっきり言って遅い。せいぜい悠たちの歩幅で早歩きか小走りていどの速度である。
「クマ、オメもっとスピード出ねーの?」横に並んだ陽介が呆れ声を上げた。
「文句あるなら、ヨースケ、負ぶってくれクマァ……!」
「お前かるそうだけどカタチがなあ……把手でもついてりゃいいんだけど」
 ふと悠の脳裡に、江戸時代の駕籠かきよろしく陽介とふたり、棒で貫いたクマを担いでひた走る自らの姿が浮かんだ。これは案外よい手段かもしれないなどとひとりほくそ笑んでいると、
「鳴上くん、もう怒ってない?」
 控えめな口で千枝がこんなことを言った。先に決断を迫ったときの印象を引き摺っているのだろう。
「いや、ぜんぜん」悠は咥え煙草のまま笑って見せた。「なに?」
「うん、あのさ……」
 なにか含みでもあるのか、千枝は自ら訊いておきながら少しく言い淀んで、けっきょく本意なげに、
「それ、おいしい?」
 などと訊いた。
「タバコ?」
「んん、そう」
「吸ってみる?」と言って、悠は銜え煙草をつまんで吸い口を差し出した。
「いやいいですいいです」
「おい悠、里中のタロットだけど」クマと併走していた陽介が下がってくる。「調べとかんと。シャドウが消えたんならあるはずだろ」
「さっきも言ってたけど、そのタロットってなに?」と、千枝が割り込んできた。どうやら陽介がした説明にタロットのくだりはなかったようだ。「占いのタロットのこと?」
「そう。それがあればペルソナを――陽介が説明したかどうかわからないけど、シャドウから身を守る手段として使えそうな、巨人を喚ぶことができるんだ」
「巨人?」
「そう。体長四メートルくらいあって、なんでか知らないけどお誂え向きに武装してて、少なくとも人間よりよっぽど強い」
「……冗談じゃなくって?」
 千枝は怪訝そうな、おかしそうな、いわく言いがたい面持ちである。
「冗談じゃねーんだ、マジで。なんかこういうことマジメに言ってっとヤバいひとっぽいっつか、マンガみてーな話だけどさ」陽介が自嘲気味に笑った。「山野アナと小西先輩の事件にも関わりあるっぽいんだ、このペルソナ……は、そうでもねーけど、さっきお前のも出てきた、シャドウっての」
「なんか……かなりついていけてないんですけど、鳴上くんたちなんでそんなことできるようになったの?」
 千枝のなにげなく口にした言葉に、いきおい悠は黙らざるを得ない。そうと言えばそうだ、どうやらシャドウとの和解によってそうできるようになるらしい、ということだけはわかっているものの、そもそもなぜその故をもってペルソナを喚べるようになるのか、悠たちはその根本を理解してはいない。
(そしてもちろん、いまそんなことを考えてる時間はない)悠はさっさと諦めた。(そんなのは後だ、もしこの場を切り抜けられれば考える時間なんていくらでも捻出できる)
「転校生だから?」悠の口から出たのはいつもの韜晦である。
「里中が持ってない理由って、それだとか本気で思ってねーよなお前」と、陽介が真に受ける。
「もちろん。だって里中も転校生だ」
「え? なんであたし?」と、千枝。
「あーそういや、小二のとき引っ越してきたとか言ってたっけ」
「……あたし言ったっけ、それ。なんで知ってんの?」
 などと口先だけでは言うものの、千枝自身その情報の出所には見当がついている様子である。
(言わないほうがよかったかな)
「さっきシャドウがさ、里中の……」と、陽介は言い淀んだ。「あのさ、べつに変なこと言ったりはしなかったからさ。天城と友達になったとかなんとか」
 千枝の表情は硬い。彼女からすれば心の中を覗き見されたようなものなのだろう。たちまち疑わしげに「ほかになに聞いた? アイツから」との追求が入る。
「なにってべつに――」
「里中のスリーサイズとか」と、悠が助け船を出した。彼女はこの話題から遠ざけたほうがいいようだ。「いやホントに耳を疑った。あの申告を全面的に信じたら里中はヒョウタンみたいになるところだ」
「それぜったいにウソだから……つかスリーサイズとかペラペラ喋るワケないし」
「あーあとウナギ奢ってくれるっつってたよな! やっべ忘れてた!」陽介も得たりと話を合わせてくれる。「あと肉! 歯が折れるまで食わしてくれるって――里中先輩ごちっす!」
「ごちっす」
「ウソウソぜったいウソだ! あんたらいい加減なこと言って!」
「それよりタロットだよ、タロット、里中の!」陽介が急ハンドルを切った。「シャドウがいなくなったんなら出るはずなんだ、探そうぜ」
「探す必要はないよ、ホントに見えないし」と、煙草の灰を落としながら悠は言った。探したいか探したくないかで言えばもちろん探したくはあるのだが。「そもそもシャドウと和解しさえすれば必ず手に入るってわけじゃないのかもしれない。むしろこんな異常な能力が条件さえ整えば万人に備わるだなんて、虫のいい話だとも思えるし。仮に手に入るとしても適用されるのは男だけで女性はダメだとか、そういう理由だってあり得る。なんせまだわからないことだらけだ」
「とりあえず脱がしてみればはっきりすんだろ」
「オイしれっととんでもないことゆうな。とりあえずってなによ」千枝が口を尖らせた。
「陽介、あのタロット、見詰めても眩しくないからあんまり光ってないように見えるけど、実際はかなり強く光ってるんだ。だからサイフとか厚いものに包めって言ったんだけど――ほら、見えるだろ」
 悠は持っていたタロットをシャツの襟に入れて、その上から上着で覆って見せた。千枝が「センセー見えません」と呟く。
「まあ……見えるな。見えるんだな」
「里中もそんなに厚手のもの着てるわけじゃないし、これならたぶん下着の中に入れてたって光が漏れる。里中を素っ裸にしなくたってわかる」
「チエチャンがスッパダカクマ?」クマが聞き捨てならぬといったふうに振り返る。
「おら走れクマきち!」と、千枝がはりきって鞭を揚げる。「そーいうネタに反応すんな! 駆け足!」
「ひい……クマもう心臓が破裂寸前クマァ……!」
「あははクマお前そんなもん入ってたっけ」
「あんまりクマ……ヨースケは冷血動物クマ……スライムボールクマ……!」
「おい後半なんか聞き捨てならねーんだけど――うお!」
 と、陽介はつんのめってクマと衝突しそうになった。クマが突然なにかに阻まれたように急停止したのである。それほど速度の出ていなかったこともあって衝突は免れたが、
(なんだ、どうした?)
 イヤな予感がする。クマはつま先立ちになって天井を仰いで、忙しなく左見右見している。
「クマ、なにかあった?」
「また走り出した……だけじゃないクマ、追われてるクマ」こういうときに限ってクマの声は確信に満ちる。「追いかけてるヤツがいるクマ! たくさん!」
 四人の間に緊張が奔る。
「やべーぞ悠、こんなチンタラ走ってたんじゃ――!」
「陽介、左腕。おれは右を掴む」
「あ?」
「運ぶぞ、急げ! ナイフは里中に!」
「りょっ了解!」
「里中これ持って」と、千枝にライトを押し付けながら、「クマ案内して――全員全速力!」
 果たして、クマは左右の腕を担がれて荷物よろしく運搬されることになった。ちょうど駕籠かきの棒を進行方向に対して垂直にしたような按配で、
「センセッ、ヨスケッ、揺れっ、揺れが! オエッ!」
 柔軟な回転軸と不規則な運動とが災いして、クマは見えないカクテルシェイカーにぶち込まれたように激しく揺さぶられるのだった。
「我慢しろ! おい真っ直ぐでいいのか!」
 走りながら陽介が怒鳴る。廊は一本道ではない上に、悠たちの背に倍して余るほどの扉が左右にぽつぽつと散見されるのである。この城の中はかなり入り組んでいるらしい、道を選び間違えばタイムロスは計り知れまい。
「そっ、そこっ、扉、左クマ! たぶん!」
「たぶんは言わなくていい!」
「……鳴上くん、ちょっといいかな」
 扉の前で立ち止まるとすぐ、千枝が意を決したように話しかけてきた。なんとなく走っているあいだずっと切り出すタイミングを窺っていたような、そんな気配を彼女から感じる。
「鳴上くんっつか、あの、三人になんだけど」
「なに?」
 悠も陽介もともに、クマを床に放り出して息を整えている。大きさの割に着ぐるみの軽いのはせめてもの救いであったが、やはり荷物ありのマラソンはことのほか堪えるものだ。
「悠あけよう」陽介は千枝の言葉にさして注意を払っていない。「カギなんかかかってねーだろーな……悠、こっち押そう。里中も手ェ貸せよ」
「里中はいいよ。まずふたりでやってみよう――里中どうぞ、続けて」
「んん、さっきのシャドウのことなんだけど」
 悠は陽介と協力して、身の丈を優に超える扉――黒檀様の地にバロック調の唐草を金象嵌した――を押し開いた。
(なんだ、見た目のわりに……)
 存外、重厚な見た目に反して扉はやすやすと開く。これならひとりでもさして苦もなく開けられたであろう、触感からして明らかに中空で、ベニヤ板のように軽いのである。このポスギル城にはいかにもふさわしい出来と言える。
「あのさ、あれはさ、あくまで雪子を助けるためだから」
 悠と陽介は同時に千枝を振り返った。
「……え?」
「ほら、なんか……アイツはあたしだとか言っちゃったけど」千枝は気まずげにもじもじしている。「アレはさ、その、あの場をさ、納めようっていうか、そんなカンジで言った言葉だからさ。誤解しないでほしいなー……とゆうか」
 陽介が不審気に悠を見る。
(と、いうことは)
「なんてゆーか、要はさ、あたしは雪子を助けたいってことなんですよ! なんつーか……そんだけ」
 悠は不審気に陽介を見た。
(コイツ、和解したんじゃねーのか?)
 陽介の顔にはそのように大書してあった。






「ストップ! ストップ!」
 と、クマが卒然とサイレンみたいにがなり始めたのは、城内を縦横して駆けずりまわり、幾度も階段を上がったあと、これまで数え切れないくらい同じ意匠のものを見てきた扉の、その直前でのことだった。
「なに! どした!」
 しめたとばかり、陽介はクマの腕を投げ出してがっくりと毛氈に膝をついた。つい先ほど断末魔めいて叫びつつ階段を駆け上がったばかりの彼のことだ、正直なところは悠とひとしなみに、もう一センチ膝を上げるのさえ厭わしいはず。
「どう、したの、クマ」
「この先、シャドウがいるクマ。たぶんこのすぐ向うがわに」目の前の扉を忌避するように後退りながら、「これいじょう近づくと気付かれるかもしれんクマ」
「この扉の向こうにシャドウがいるってこと?」と、千枝。
「ということは、そのまた向こうに、天城がいるって、ことだ」陽介と同じ恰好で、悠は息を整えながら言った。「追いついたぞ陽介、あともう少し」
「つったってオメ……もう脚あがんねーよ俺……」陽介は限界のようだ。
「クマ、今はどう? 天城の様子」
「えーとユキチャンはァ……」先に千枝から名前を聞いたクマは、ただちに雪子をそのように呼んで憚らなかった。「今は止まってる、たぶん隠れてるクマね。もう近いクマ、たぶん同じ階にいる」
「……ここのほかに、道って、ある?」
「ないクマ」クマはにべもない。
「ないクマか……」
「ないクマ。とゆーか、あるかもしれんけど、ものすごく戻ると思うクマ」
「ぜってームリです、死にます、俺もー走れねーし」
 陽介は床に大の字に寝転がってやけくそ気味に呟いた。そもそもここに辿り着くまでの道程でさえ、クマのいとも精妙きわまるナビゲートのたまもので、幾度か来た道を戻ることがあったのだ。もちろんシャドウとの遭遇を避けるためにそうせざるを得なかった、という局面もあったのだろうが、そのたびに悠も陽介も心底うんざりしたものだった。
(ここまで来て別の道を探すなんてムリだ、肉体的にも精神的にも、時間的にも。ということは)
 雪子の許へ辿り着くには敵中突破しかない、ということである。
(実戦は避けられないか……どうするかな)
 ペルソナを「喚ぶほう」つまり鳴上流が、現時点で防衛力になり難いのは火を見るより明らかだ。仮に喚んだとしても大した役には立つまい、いっしょに走っているうちに双方とも転んでシャドウのえさになるのが関の山であろう。もしかの化物どもをちぎって投げつつ突撃するなら「なるほう」、つまり花村流を採らざるを得ない。が、
(花村流は生身のほうが動けない……)
「ペルソナになって運びゃいーじゃん」などと先日の陽介はあっさり言い切ったものだが、生身の人間はペルソナにとってあまりにも脆すぎるのだ。まして花村流には甚大な効力感と興奮とがつきまとう。そしてその荒ぶる人外の力を使うのはむろん神さびた上古の聖賢などではなく、その対極にあるような煩悩多き一高校生である。力を加減するどころではない、ゴリラに湯葉で鶴を折れと言うようなものだ。いまこの須臾の間に悠と陽介とが大いなる使命感に打たれて精神一到、豁然と寂滅たる明鏡止水の境涯に達し、アパテイアに安らうその大悟心をしてペルソナの一挙手一投足に微妙無辺の蘊奥を通わしむる……というのならともかく、
(ムリだ。前提条件にしてからまずムリだ。とにかくあんな感情の怒濤に揉まれながら人形遊びをするなんて……ムチ打ちや脱臼で済めばまだマシだろう)
 花村流がもたらす凄まじい昂揚の渦中にあって、凡俗弱冠の未熟者――こういう局面でさえ恬然と自らの克己心を恃みにできるほど悠は自信家でない――ふたりがどれだけ自制して理性を保ちうるか、そしてそれを保てなくなったとき、ペルソナの怪力が人間の肉体のはかなきにどのような影響をもたらすか、それは試してみることさえためらわれるのである。まず無傷では済むまい。
 この不利を押して花村流を採るとしても、シャドウが戦意喪失して――そもそもシャドウがそんな生き物みたいな反応を示してくれるかさえわからないのだが――潰走するか、一匹のこらず倒れるかするまで戦闘が続けばまだいい。鬼神のごとき花村流のペルソナを二体も用意できれば、そしてもし扉の向こうにたむろしているであろうシャドウが先日の口の化物みたいなタイプだけであるなら、たとえ生身の身体を守りながらという制約つきにせよ殲滅するのは決して難しくはないだろう。
 問題は、そして一番ありえそうなのは、シャドウがこちらを抗し難しと見て雪子を追いかけ始めるという事態だ。そうなった場合こちらに打つ手はない。花村流を採る以上、ペルソナの移動限界距離を超えて彼らを追撃することはできない。仕切り直して追いかけるにせよ、花村流からのリカバリーにはかなりの時間がかかる。
「クマ、オメーこっからは自分の脚で歩けよ」と、陽介が投げやりな声を上げた。「もー手も足も動かねー、つか今度はオメーが俺らを担いでくれよ」
「ヨースケひよわクマねー、センセイを見るクマ。センセイはまだまだ走れるクマ」
(好き勝手いいやがって……いや、待てよ)悠はちらとクマを見た。(そうだ、この方法があるにはあるな)
「この方法」はわりあいすぐに思いついた。動けないのなら今までクマにそうしてきたように、担いで移動すればいいのだ。なにもペルソナの手によってのみ人体を運搬できるというわけではない。悠も陽介も尋常の体型であるからして、その気になれば人力で抱えて運べないものでもなかろう。だが、
(重いんだろうなァ、コイツ)悠はあおのけになった陽介を後目に、やるせなくため息をついた。(少なくともクマよりはだいぶ重いはずだ、背負って歩くなんて考えただけでイヤになる。でもおれはたぶん陽介よりもっと重いだろうし……)
「ね、鳴上くん」
 千枝がちょんと肩をつついてくる。彼女はそれほど息を乱していない、悠や陽介よりはだいぶ元気が残っていそうである。
「なに?」
「疲れたんなら代わるよ、クマくん担ぐの」ちょっと申し訳なさそうに、「や、今まで言おう言おうって思ってたんだけどさ、なんかタイミングが」
「里中ー、代わってくれえー」陽介がさっそく名乗り出る。「ついでに俺も担いでマジで、お前の肉パワーで」
 陽介は脇腹を蹴られてわざとらしくむせた。
(……人足は揃った、な。揃っちゃったな)悠はふたたびため息をついた。どうやらこの方法しかないようだ。(仕方ない、やろう。迷ってる時間はない)
「里中、それじゃ陽介と代わってもらえる?」
 陽介が横たわったまま「おお心の友よ、お前マジいいヤツ……」と力なく呟いた。
「いいけど、鳴上くんはいいの?」
「鳴上くんはいいの。ただし、担ぐのはクマじゃない。コレだ」
 悠は床の陽介を指して言った。
「え、俺?」
「なんで花村?」
「苦しむ陽介を見てられない――なんて理由じゃないよ、もちろん。陽介にはペルソナになってもらう」
「なんのはいいけど、お前は?」のそのそ起き上がりながら陽介が言った。
「おれもおまえを担ぐ」
「あー……ペルソナで担ぐってのはダメなんだっけ。ちっと試してみね?」
「おれはいいよべつに、そのほうが楽だし。あとでおまえ拾い集めることになりそうだけど」
「ですよねー……」
「五体満足でいたいならその方法はナシだ。で、おれと里中でおまえの身体を運ぶから、おまえはシャドウからおれたちを守るんだ、ペルソナの力で。はいタロット準備」
 ほかの方法を挙げようとしてか、陽介は「でもお前も」と否む様子を見せたものの、
「……それしかねーか。喚ぶほうは使いもんにならねーし、お前のは遠くに攻撃できねーもんな」
 じき得心して、促されるままポケットからタロットを取り出した。
「そういうことだ」
「どういうことだ」と、千枝が割り込んだ。「センセーなんもわかりません。巨人っつかペルソナってなんなんですか? ちょっと見せて欲しいであります」
「……そうか、里中はまだ一度も見てなかったな、ペルソナ」
「見てないよ。そういえばクマくんは? つかクマくんも出したりできるの?」
「クマは出せないけど、もー何度も見たクマ」と、クマ。「出てくるたびにおっかなくて近寄れなかったクマ。何回か踏み潰されそうになったクマ。一回ヨースケに輪切りにされかかったクマ」
 千枝は控えめに「わあ、ペルソナ見たあい」と呟いた。
「ま、催促されなくたって今から見せてやっからさ」と言って、陽介は件の変身ポーズの準備をする。「ビビんなよ里中、つったってビビるだろーけど」
「待った陽介、ヒーローに変身する前に」
「ええ? もうCM終わったんですよ、採石場きちゃったんですよ」
「すぐ終わるから。念のためにクギ刺しておくけど」ポケットからタロットカードを取り出して見せて、「おまえを担ぐのに邪魔だから、おれはペルソナを喚ばない。どうしてもおまえひとりじゃ対処できない場合はともかくとして、基本的にシャドウはおまえひとりで相手してもらうことになる。それとペルソナを喚ばない以上、ペルソナに変身してるおまえと意思の疎通はできなくなる」
「あ、そっか……でも別にいいだろ。なんか困る?」
「困るから今のうちに言っておく。知ってるはずだけど、今からおまえのする変身は冷静を保つことが難しくなる。シャドウの相手をするのに夢中になって、おれたちの護衛をおろそかにしてもらっちゃ困るんだ。おまえのペルソナは浮くことができたよな」
「ああ、できる」
「おれたちから絶対に離れないでくれ、絶対に、絶対にだ。おれの頭上一メートルの位置を保って、周囲を警戒しながら、襲いかかってきそうなヤツだけを攻撃するんだ。おれたちの目的はあくまで天城の救出であってシャドウ狩りじゃないし、どのみちおまえひとりでおれたちみんな無傷のまま狩りつくせるとも思えない。もし扉の向こうに入ってもシャドウが襲ってきそうにないなら、なにもせずに道を急ぐぞ。こっちから火の粉を振りまくようなことはするなよ」
「わかった、護衛最優先な」陽介は苦笑まじりに言った。「んで余計なケンカはふっかけない」
「そう。おれたちの命はひとえにおまえの働きにかかってるってわけだ。おれはまだ死にたくない、里中だってそうだろうし、クマだって天城だってきっとそうだ。おまえはどうか知らないけど」
「あー俺スゲー死にてーんだけど、お前らが死にたくないってんなら仕方ねーなァ……なんてな」陽介はすぐ真顔になった。「わかってるよ。俺がどうだって、お前らの命がかかってんなら無茶なんてしようがねーよ。気をつける」
「頼む。もう合図できなくなるから……じゃあ、おれと里中がおまえを担いで、そこの扉の前に来たら開けてくれ。タイミングは任せる」
「了解」
「里中、ナイフとライト、クマに渡して」
「うん……クマくんこれ持つよりさ、こん中いれとくスペースとかないの?」
 と言って、千枝は着ぐるみの胴をポンポン叩いた。軽い音がする。中身が入ってないのだから当然である。
「ここはポケットじゃないクマ」
 などと言いながら、クマは首回りのファスナーをちょっと開けて、千枝に渡されたものをそこへ突っ込んだ。彼はシャドウ探知機能つきおしゃべり機能つきの自走式トランクである――悠の中でクマの株がすこし上昇した。
「フツーにポケットじゃん……つか、ナイフはあぶないんじゃない? 走ったりしたら刺さるかもだし」
「あ、里中、それ中身はいってねーから」と、陽介。
「は?」
「言葉どおりの意味。クマは中身からっぽなんだ」と、悠。
「……じゃ、なんで歩いたり喋ったりしてんの?」
「テンコーセーだから」と、クマ。「ところでセンセイ、テンコーセーってなにクマ?」
「中身が入ってない着ぐるみのことだよ」適当に去なして、「陽介いけるか?」
 陽介はふたたび変身ポーズを取って「スタンバイ。監督のゴー待ち」と請け合った。
「じゃ、採石場へどうぞ。アクション」悠は見えないカチンコを鳴らした。
「チエチャン離れてたほうがいいクマ」と言って、クマは真っ先に陽介から距離を取った。「ヨースケ悪ふざけ好きだからあぶないクマよ」
「クマ、いまのよく覚えとくわ。期待を裏切っちゃわりーからな」陽介が跳躍に備えて屈み込む。「いくぜ――ペルソナッ!」
 外連味たっぷりのジャンピングポーズを経て、陽介の背後に身長四メートルほどの巨人が忽然と現れる。千枝が悲鳴のひとつもあげるかと内心期待していたのだったが、
「うおっ、すご……!」
 あんがい彼女は冷静である。
「これが、その、ペルソナ?」
「そう。あんまり驚かないな、里中」陽介に駆け寄って身体を支えながら、「里中きて、片方たのむ」
「いやメチャクチャ驚いてますけど……花村どうしたの、寝てんの? グッタリしてるけど」
「誤解を恐れずに簡潔に言うと、タマシイがペルソナに乗り移ってる。だから生身の身体をおれたちで担がなきゃいけない」
「……シャドウぜんぶやっつけるまでココに置いとくとかはナシ?」
「ペルソナは生身からあるていど離れると消えるから――質疑応答はあとだ、ほら」
「了解です……えーと、コレ腕を担げばいいの?」千枝はぎこちなく陽介の腕を取って、それを自らの肩に乗せた。「タマシイって、なんといいますか……なんか驚きすぎて一周してるってカンジ」
「肩に回すまではいい。それで――」
「キャー! ヨースケやめるクマァー!」
(なにやってんだアイツは……)
 声のしたほうを見ると、陽介のペルソナが逃げるクマを追い回して戯れに踏み潰すフリをしている。先の言葉どおりクマの期待に応えているつもりなのだろう。
「アレ、止めたほうがよくない?」と、千枝。
「止めようがないよ。ああなってしまえばおれたちの言葉はまったく通じなくなる。もちろん向こうからもね」
「へえ。なんで?」
「なんでかな――ほら千枝、向こうはいいから」
 と言ってすぐ、千枝が少しく驚いたような貌を見せるのにはたと気付いて、
「あっ、ごめんウソ、じゃない、えっと」
 悠はのちのち顧みて情けなくなるほどの狼狽を見せてしまった。
「や、いいんですよ、マジで。ぜんぜん気にしないっていうか」悠の狼狽が伝染したものか、千枝もにわかに落ち着きを失った。「えーと、つかなんでこんなことでテンパってんのあたしたち」
「ホントごめん、訂正する……」ひとつ咳払いして続けて、「じゃあ、里中、もういっかい腕を担いで」
 千枝は言われたとおり、陽介の右腕を自身の肩に回した。
「回したらそのままで、こいつの腕は保持しなくていいから、こんなふうに」手本を示して見せながら、「左手をこいつの肩に回して支えて」
「こう?」
「そう。で、右手のほうはこの膝のウラにこうやって」
「鳴上くん」
「この状態で立ち上がれば陽介は持ち上がるはず――なに?」
「べつにいいよ、名前で呼んだって」
 このまま聞き流して忘れてくれればよいものを――この微妙な言い誤りをわざわざ蒸し返した千枝を、悠は心中でちょっと恨んだ。
「いいんだ。里中いい? 脚の力で垂直に持ち上げるんだ」
「あたしは気にしないし」
「まあ、ね。準備はいい?」
「あ、いいです」
「じゃ、せーの――」
 悠と千枝とで陽介を抱えていざ立ち上がってみると、
(覚悟はしてたけど身長差が……)
 果たして陽介の身体は大きく右側に傾ぐのだった。
 たちまち千枝の面に「あ、これヤバイかも」とでも言わんばかりの苦渋の色が広がる。無理もない、身長百八十センチ前後の悠に対して、小柄な千枝はせいぜい百五十なかばに届くかといった程度である。相対的に支え手の位置の低い彼女はどうしても陽介の重みを余計に負わざるを得ない。まして「千枝」が見せたような剛力を持ち合わせない、見たままの華奢な彼女のことだ、たとえ半分とはいえ身長百七十センチなかばを超す男子高校生の体重を持ち上げるなどと、理想的な体勢からそうするのでさえ手に余るはず。
「里中だいじょうぶ?」
「え? いやぜんぜん……ぜんぜん重いっす……!」
「一回おろそう」
「いい、だいじょうぶ、それより早く行こ! ぐずぐずしてらんない」
「……わかった、じゃあできるだけ下げるから」
 千枝に配慮して悠はそろそろと腰を落としてみた。腿が震える。重量物を保持するのにもっとも向かない体勢である。今ほど発揮したばかりのジェントルマンシップに早くもヒビが入るのを感じる。
「鳴上くんこそ平気なの?」と、今度は千枝が心配し始めた。彼女の目にはおそらく悠の貌にこそ「あ、これヤバイかも」とでも言わんばかりの色が映るのだろう。
「なんかすごいカオしてるけど」
「え? いやぜんぜん……」
 平気じゃないに決まってる。そもそもここまでクマを運搬してきた疲労もいいかげん鬱積しているのだ。が、このさい文句は言っていられない。
(この重さがおれたちを急かしてくれるって考えよう、じっさいこれで走ったら何分も保ちゃしない! 早く済ませて早くこの重荷を捨てよう、もう思いっきり床に投げ捨てよう!)
 そしてその暁には陽介にも同等の重荷を負ってもらおう――悠と千枝は陽介の抜け殻を抱えて、扉の前でシャドウボクシングに精を出すペルソナの許へ小走りに駆けた。
「花村はやく開けてー! 開けろー! 重いー!」
 千枝が巨人に向かって悲鳴まじりに怒鳴る。それを聞いて、というわけではなかろうが、ふいに陽介のペルソナが悠たちを見下ろして三本指を突き付けてくる。二本、一本と減っていくので、
(カウントダウン?)
 と、悠が見当をつけた瞬間、死者も甦ろうほどの音をたてて巨人が扉を蹴破った。
「バッ……陽介……!」
 どっと冷や汗が吹き出る。もし悠に自由になる腕が残っていたら、彼の胸で太平楽に寝息を立てているこの狼藉者の頬を五、六発もひっぱたいてやったことだろう。
「あわわ……ヤバイクマ……!」
 分解して消し飛んだ扉が広間の中へ――一瞥して二、三十匹ものシャドウがたむろする虎穴の中へ――バラバラと転がり込む。シャドウたちに一匹としてひとらしい態のものはいない。が、ノックを忘れたばかりかいきなり部屋の扉を破壊されるなどすれば、不快に思うことにかけてはシャドウもひとや虎と変わるところはないようだ。
(このバカッ!――まずい、みんなこっちを見てる!)
「センセイ、完全に気付かれちゃったクマ……」
 八十神高校の体育館が余裕で収まってしまいそうな大広間の中には、以前に見た口の化物に加えて、人間の頭部に指がたくさん生えたイソギンチャクのようなの、カンテラを掴んだ首のないカラスのようなの、ぶるぶる震える赤錆びた巨大なサイコロみたいなの、どこか人間めいたパーツを持つ巨大な昆虫みたいなの等々、悪夢に出てきそうなモンスターの目白押しである。それらがみないっせいに闖入者へと目を――それがないものはどうやらそれらしい器官を――向けている。
「ヤバイよ、これ、どっ、どーする……」千枝が怖じけて後退ろうとする。初めてシャドウを見る彼女のショックはことのほか大きいようだ。
「はし……走れ、走れ! 行くぞ里中っ!」
 と千枝を強引に促して、悠はなかばヤケになって走り出した。いまさら部屋を間違えましたで済む話でもなかろう、現にシャドウのうち目ざとい数匹はすでにこちらへ向かってきているのだ。退くにせよ進むにせよ迷っている時間はない。
「待ってけれー! 置いてかないでクマァーッ!」クマが転げんばかりに追いすがってくる。
「クマ急げ! 悪いけど! 待ってられない!」
「鳴上くんごめんもうちょっと遅くしてっ! ついてけないっつか前、前ェー!」
「いいからこのまま走れー!」
 このままでは先走ったシャドウの何匹かと数秒後には衝突してしまう。が、ここで立ち止まれば静観しているシャドウにまで「人間狩り」参加の願書を提出される恐れがある。ここは作戦どおり陽介がうまく防ぎ止めてくれることを祈るばかりだ。
(頼むぞ、仕事しろよ陽介!)
 もちろん心配するまでもなく、陽介のペルソナは悠の言い含めたとおり、シャドウを迎え撃つために彼の頭上に陣取った――と思いきや、そのままあたまを飛び越えて化物の群に突っ込んでいってしまった。このまま生身との距離が一定いじょう離れればペルソナは消えてしまう。
「里中いそげ! アイツおぼえてろよクソ……!」
「花村テメー! ざっけんなコンチクショーッ!」
「ヨースケのアホー! アホ……アホークマー!」 
 三者の心からの声援を糧に、というわけではなかろうが、陽介のペルソナは勇躍飛翔、先行して襲いかかってきたシャドウの幾匹かを造作もなく蹴散らした。
「すっご……」
 千枝が苦しい息の下から賛嘆の声を漏らす。まさに鎧袖一触である。
 花村流ペルソナの強さはそれこそ、先に陽介と調べてみたとき容易に想像はできたのだったが、じっさいに眼で見るのは壮観のひと言に尽きる。彼がバンザイするように両手を振り上げるや否や、巨大な手裏剣が恐ろしい轟音を引いて飛ぶ、誤たずシャドウに殺到する。接敵すれば蹴りの数発も繰り出す。掴んで殴る、引きちぎる。隙をついた二、三匹がしゃにむに打ちかかり噛み付くのも、かのいくさ神を向こうに回しては石像を穿たんと試みる蜂にもひとしい。そしてこのペルソナに触れられてふたたび動き出すものは一匹もいない。
(強い……言うことなんかぜんぜん聞きゃしないけど、やっぱり強い! これなら行ける!)
「里中、扉の前でいったん下ろす! おれが開けるから!」
「もうそろっと限界! ウデあがんない!」
「クマもひい……限界クマァ……!」
 先に入ってきた扉から広間を真っ直ぐに駆け、ようよう反対側の扉に辿りつこうという位置まで、実に悠たちは無人の野を――無人にしては凄まじい騒音に満ちていたが――往くがごとくであった。陽介のペルソナは当面の敵を片付けると足らぬとばかり、部屋の中にいる残りのシャドウたちへ嬉々として襲いかかる。もはや当初の目的は完全に忘れ去っている様子。この件については人間に戻ったら灸を据えてやる必要があるが、
(その前に少しくらい褒めてやってもいいだろう、とにかく、花村流はやっぱり凄い威力だ。シャドウはもう恐れるに足らない。いきなり包囲されるなんて状況に陥らない限り、この方法でじゅうぶん打開できるはず)
 ちらと振り返ると、陽介のペルソナは逃げまどうシャドウの残党を追いかけて、悠たちから急速に離れつつあった。彼がなおも悠たちから距離を取ろうとすれば、じきペルソナの移動限界距離に達してしまうはず。
(このまま全滅させる気なら、扉を開ける前にあいつと合流したほうがいいな)
「里中、ちょっと――」
 と、悠が千枝を見るのと、彼女が突如おとがいを反らせて歯を食いしばるのとは同時であった。
「里中!」
 彼女の面に閃く驚愕、困惑、苦痛といった感情の、刹那の変遷がスローモーションのようにくっきりと目に飛び込んでくる。だしぬけに重くなった陽介に引っ張られる形で、悠は千枝に続いて転倒した。
「あっ、センセイ、チエチャン!」
(なにが起きた、里中!)
 千枝は転んだあと少し遅れて、思い出したように悲鳴を上げ始めた。広間の緋毛氈にうずくまって痙攣する彼女の右の肩口に、黒っぽい歪な三角定規のようなものの突き刺さっているのが見える。見る間にもその根本からじわじわと、ジャケットの緑地を侵して赤黒い斑が広がり始めた。
「チエチャンだいじょうぶクマか、チエチャンが!」
「さ、里中、おい」
 千枝は返事もできない様子。じき彼女の悲鳴は胸の潰れるような苦悶の嗚咽へと変わった。
(攻撃されたのか! どこから――)
 周りを見渡す暇もなく、ふいにドドッという重い音がして、今度はクマが「アイターッス!」と素っ頓狂な声を上げた。
「なんか刺さった! なんか刺さったクマー!」
 着ぐるみの背中に千枝のものよりいくらか小型の、同じような破片が二、三、食い込んでいる。彼が大騒ぎする間にもヒュッと空気を裂いてなにかが飛んでくる。――攻撃ではない、これは、
(シャドウの破片だ! 陽介が倒したヤツの!)
 クマの背中から抜き取ったそれはほどなく、悠の手の中で煙のように消えてしまったのである。はたと千枝を確認したときにはやはり、その肩を破った破片は跡形もない。
「あのバカ……!」
 果たして、陽介のペルソナは巨大なサイコロのようなシャドウを狩り始めていた。黒っぽい金属質の化物に非常な速度で手裏剣が食い込む。バチッと火花が散って数瞬ののち、サイコロは鉄筋が断裂するような音とともに破裂、四散する。これだ――と眥を決する間に、悠の顎すれすれにピュッとなにかが飛んで来た。彼は泡を食ってクマの陰に隠れた。肩や腕に当たるのならまだいい、こんなものが首や胴体の急所に飛んできたら命に関わる。
「クマちょっとこっち来て!」
「ギャース! また刺さったクマー!」
 悠はクマの返事を待たず、強引に彼を戦闘中のペルソナと自分たちとの同一線上に据えた。着ぐるみを盾にした形である。彼は先ほどから大騒ぎしているわりにことさら痛がっている様子もない、仮にケガをしているにせよ血が出ないだけ悠たちよりいくらかマシであろう。その体内に急所となる臓器らしいもののないことも先刻確認済みである。
「クマごめん、ホントにごめん、そのままそこに立って!」
「センセイ、チ、チエチャンだいじょうぶクマか?」
「わからない……わかるもんか」
「ケガしたクマか?」
「さ、里中?」
 痛むか、と訊いても、千枝は傷口の近くを掴んでむせび泣きながら、念仏のように「いっだい、いっだい」を繰り返すだけ。破片の消えたことでかえって出血が促されたものか、血の染みは肩から脇下、背中までじりじりと広がりつつある。放っておいてよい傷でないことだけは確かだろう。
(どうする、どうする? どうって、血が出てるんなら止血しないと!)
「里中、身体おこせる? 手当て、手当てしないと……」
 とは言うものの、悠自身こんな大怪我をした人間の「手当て」などしたことはない。さすがにこの方面の知識に疎いのは彼も世間並の高校生と変わるところはない。傷口は圧迫して出血を抑えなければならない――悠にわかるのは実にこの程度のものだ。
「クマ、こういうケガって、手当てとかしたこと、ない?」
 一縷の望みをかけてお伺いを立ててみる。が、クマは振り返って千枝の血に染んだ肩を見るなり、がたがた震えながら「血がいっぱいクマ……チエチャンが死んじゃうクマ……」などと泣き出さんばかりである。
(ダメだ、クマは役に立たない)となればもう自分でやるしかない。(やりかたも勝手もわからない、けど、放っておくわけにはいかない、仕方ない……!)
 もう見よう見まねでやってみるしかない――以前テレビか映画かなにかで見たままおぼろに残っていた記憶を頼りに、悠は千枝の血染めの上着をもたもたと脱がし、それを止血帯として彼女の傷の緊縛を試みた。慣れない手つきでそうしている間にも、金属の噛み合う音、破裂音とともに飛来する破片は引きも切らない。まさしく戦場である。このさいなにか没頭できる事があるというのはせめてもの救いだった、手隙であったら悲鳴のひとつもあげていたかもしれない。
(これでいいのか? これ、ヘタにやったらあとで腕を切断とかにならないか……?)
 この前にしなければならないことはなかったか? 服の上から緊縛してもいいのか? 圧迫したらかえって血が出てきはしないか? いや、もっと強く縛ったほうがいいのでは? でもそうしたら手指の血流が止まって――疑念は鞭のように、彼の不要領を責めながら同じだけの激しさでもって行動を急かす。彼のわかるはずもない「正しいやりかた」を誤たず選べと。
「セ、センセイ、だいじょうぶクマ? チエチャンだいじょうぶクマ?」
「うるさい! わからない! ちょっ、ちょっと黙っててくれ!」
 千枝の呻吟と血とが悠の手をいっそう戦かせる。指にこびりついた血は果たしてほんとうに彼女のものなのだろうか。まるで傷ついた自分の身体から「タマシイ」だけが抜け出して、それが横たわる自分自身の傷を必死に手当てしているとでもいうような感覚。その治療が適わなければ当然の結果として、それによって招来する不都合にはすべて責任を負わなければならないとでもいうような、重い強迫観念と責任感とが悠のあたまを占める。彼を衝き動かすのは千枝をこそ救わずんばあらじとの使命感ではない、なべて傷つけるは癒さざるべからざれとの義侠心からでもない、いちばん近い言葉で表現するなら恐怖であった。千枝の手当てに失敗すれば自らが不具になるとでも言わんばかりの奇妙な恐怖。この自発的な行動を強制される、というより、強制されているにも拘わらずどこまでも自発的であるという矛盾、なんという不条理!
 なんという友情の不条理! たとえそれを命じるのが喜んで従うべき千枝への友情であるとしても、拝承してどこまでも責任を負わなければならないのはしろうとの悠だというのに。――思い直して千枝の止血帯をきつくしたとたん、くぐもった悲鳴とともに思いっきり蹴られた。この不当な仕打ちもつつしんで承らなければならない。不条理、不条理きわまりない。あのバカ! あのどうしようもないバカのせいでこんな目に遭う! 悠はいきおい自分をこんな苦況に追い込んだ陽介を憎悪せずにはいられない。
(このバカを。この恰好つけの、大法螺吹きの、鳥アタマの近視眼的単細胞を)悠は腹立ち紛れに、千枝のすぐ隣に転がる陽介の身体を力任せに蹴りつけた。(ぶん殴るのはあとだ! とにかく早くこの戦場から逃げないと)
「里中、手当て終わったけど、まだ痛む?」いまだに震える手を千枝の背に置いて、「つらいと思うけど、あと少し、歩こう。ここは危ない、この部屋から出ないと」
 千枝は荒い息の下で「いたい」と呟くだけだった。恨めしげな視線が悠の面に刺さる。今ほど脂汗をかきつつなんとかこうとかやってのけた大仕事が余すことなく報われる、まったく涙が出るほどすばらしい感謝である。いっそ自分の肩に飛んで来てくれたならどれだけよかったことだろう。少なくとも彼女はもっと優しかったに違いないし、ひょっとしたら自分のために泣きさえしてくれたかもしれない。
「歩けそう?」
 千枝は不機嫌たらしく首肯した。彼女の傷は少なくとも歩くのに支障が出るような性質のものではないはず、可哀想だがこのさい痛いのくらいは我慢してもらわなければ。
「よし――クマ、だいじょうぶ?」
「クマの玉のお肌がガサガサクマ……」
 破片を浴び続けたことで彼の体表はかなりささくれ立ってしまっていたが、かといってとくに不調を訴えるでもない。やはりクマは怪我をしているわけではないらしい。
「あとでスキンケアを手伝うから」ペルソナとシャドウの戦いをちらと窺って、「おれが扉を開けてくるから、もう少し里中を守ってて」
 と言って、悠は中腰のまま走って扉に取り付いた。たしか海外の紛争地帯のニュース映像かなにかで、こんな恰好で走る兵士を見たような――ただ眺めるぶんにはへっぴり腰でちょっとみっともないなどと思っていたものの、実際に飛来物の飛び交う「戦場」に放り込まれてみればこうせざるを得ないというのは否応なく実感できる。彼らの苦労もいくばくか理解できようというものだ。
「センセー! 待って、待ってクマー!」
 扉を開け始めた矢先、背後のクマが突然わめき出した。なにごとかと振り返ると、
(……あれ、ペルソナは)
 陽介のペルソナが見当たらない。
 全身の皮膚が粟立つ。つい先ほどまでサイコロを追いかけ回していた巨人が影も形もない。実際おおごとであった、彼はついに移動限界距離を超えて生身から離れてしまったのだ――それもシャドウの幾匹かを残して!
「クマこっち! 里中はしれー!」と怒鳴りながら、悠は一息に扉を開けた。「早く! 陽介はおれがなんとか――!」
「ちがうダメクマー! そこ開けちゃダメクマァー!」
 扉を開けたその向こうには、今ほど通ってきた広間ほどではないにせよ、それなりに広い空間が打ち開けていた。白い大理石様の床に、これまた白い石造りのレリーフがぐるりを取り囲むという、いままで見てきたような部屋とは異なる意匠に満ちている。遙かな高みにかかる格天井から光のおぼろに降りてくるその下には、
「センセイ、奥にシャドウが!」
「ち、畜生……」
 悠は震える脚で一歩、二歩と後退った。部屋の中央、光の降りる一段高くなったそこには、体高四メートルほどもある白馬に騎乗した、全身を甲冑で鎧った巨大な騎士が佇んでいたのである。



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