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No.35651の一覧
[0] PERSONA4 THE TRANSLATION(ペルソナ4再構成)[些事風](2014/11/03 16:25)
[1] 序章 PERSONA FERREA[些事風](2014/11/03 16:25)
[2] 一章 REM TALEM MINIME COGITO[些事風](2012/10/27 23:54)
[3] 国を去り家を離れて白雲を見る[些事風](2012/10/27 23:57)
[4] マヨナカテレビって知ってる?[些事風](2012/10/28 00:00)
[5] ピエルナデボラシーボラ![些事風](2012/10/28 00:03)
[6] 出れそうなトコ、ない? ひょっとして[些事風](2012/10/28 00:07)
[8] 死体が載ってた……っぽい[些事風](2012/10/28 00:27)
[9] ペルソナなんぞない[些事風](2013/03/05 00:17)
[10] でも可能性あるだろ?[些事風](2012/10/28 00:34)
[11] バカにつける薬[些事風](2012/10/28 00:36)
[12] シャドウじゃなさそうクマ[些事風](2012/10/28 00:41)
[13] 吾、は、汝[些事風](2012/10/28 00:46)
[14] 俺はお前だ。ぜんぶ知ってる[些事風](2012/10/28 00:53)
[15] ノープランってわけだ[些事風](2012/10/28 00:56)
[16] 旅は始まっております[些事風](2012/10/28 01:05)
[19] 二章 NULLUS VALUS HABEO[些事風](2014/11/03 16:26)
[20] あたしも行く[些事風](2013/01/15 10:26)
[21] それ、ウソでしょ[些事風](2013/03/05 21:51)
[22] 映像倫理完っ全ムシ![些事風](2013/05/12 23:51)
[23] 命名、ポスギル城[些事風](2013/05/12 23:56)
[24] あたしは影か[些事風](2013/06/23 11:12)
[25] シャドウ里中だから、シャドナカ?[些事風](2013/07/24 00:02)
[26] 脱がしてみればはっきりすんだろ[些事風](2013/10/07 10:58)
[27] 鳴上くんて結構めんどくさいひと?[些事風](2013/10/14 17:36)
[28] セクハラクマー[些事風](2013/12/01 15:10)
[30] アギィーッ![些事風](2014/01/31 21:58)
[31] かかってこい、あたしが相手だ![些事風](2014/03/04 21:58)
[32] クソクラエ[些事風](2014/04/16 20:30)
[33] あなたは、わたしだね[些事風](2014/06/15 15:36)
[34] とくに言動が十八禁[些事風](2014/07/26 21:59)
[35] コードレスサイクロンユキコ[些事風](2014/09/13 19:52)
[36] 自称特別捜査隊カッコ笑い[些事風](2014/09/24 19:31)
[37] ッス[些事風](2014/11/03 16:29)
[38] oneirus_0d01[些事風](2014/12/14 18:47)
[39] 三章 QUID EST VIRILITAS?[些事風](2015/03/01 16:16)
[40] ええお控えなすって[些事風](2015/05/17 00:33)
[41] キュアムーミンだっけ[些事風](2015/10/18 13:01)
[42] おれ、弱くなった[些事風](2015/11/20 10:00)
[43] 中東かっ[些事風](2016/03/02 00:50)
[44] バカおやじだよ俺ァ[些事風](2016/05/15 16:02)
[45] ここがしもねた?[些事風](2016/08/16 15:11)
[46] 腕時計でしょうね[些事風](2016/11/15 13:03)
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[35651] あたしは影か
Name: 些事風◆8507efb8 ID:7f716c06 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/06/23 11:12


「ふたりとも来たんだ、やっぱり――ちょっとカオ向けないで」千枝が眩しがって、悠のライトを手で覆った。「目印わかった? チョコのカラ落としてきたんだけど」
「…………」
「……鳴上くん? 花村?」
 悠も陽介もとっさの返事が出てこない。安堵の吐息はどうしようもなく震えた。一杯くわされた怒りも股間を蹴られた恨みもたちまち消し飛んで、胸中を占めるのはただこのひと言だけ――よかった!
 きっと陽介も悠と同じようなことを考えているに違いない。こうして無事な千枝の顔を見る段になって初めて、強いて考えようとしなかった最悪のシナリオが次から次へと脳裏に浮かぶのである。いったい外門を潜ったとき、あるいは馬の像を調べているとき、どうして千枝の生首だの手足だのを見つけずに済む保証があったというのだろう。もし夜食中のシャドウにはたと遭遇して、今その手に持ってる布きれと同じ色の服を着た女の子を見なかったかと尋ねるはめに陥っていたら? あの噴水! 仮にあの噴水が勢いよく彼女の血を吹き上げていたとしても、苦情の持ち込み先などどこにもなかったのだ。
(とにかく、よかった、とにかく振り出しに戻れた……!)
 千枝を見つけたらぶつけてやろうと考えていた悪態など、はやあたまの中からきれいに雲散霧消してしまっていた。
「……陽介、左腕。おれは右を掴む」悠はかろうじてそれだけ言った。
「オーライ」
 ふたりは千枝の左右に張り付いて、その両腕をしっかりと掴んだ。活動的な印象からなんとなく筋肉質で硬い触感を想像していたものの、悠のてのひらに掴まったのは小柄な彼女にはいかにも似合わしい、細く柔らかな腕である。
「怒ってるよね、ごめん」彼女は不平のひとつもなく、まったくの無抵抗だった。「殴って。歯が折れるまで殴られたっていい。どこでも蹴って。恨まないから」
 千枝に開き直っている様子は微塵も覗われない、彼女の言葉にはいま口に上した内容の履行をねがう真情よりほか、どんな色も見つけようはなかった。こんなふうに言われればもはや、この紳士的なふたりに彼女をどうこうする気など起こしようがない。せめてこれが拗ねた文句であるとか言いわけがましい弁解であるとかなら、あるいは冗談にこと寄せて二、三発も小突くことができたかもしれないが。
「歯が折れるまでって、マジ? やった!」と言って、陽介は千枝の肩に腕を回して寄りかかった。「おい悠、里中先輩が歯が折れるまで肉おごってくれるってよ! ごちになりやーす!」
「はあっ? ちょ――!」
「やる気が出るなあ、里中先輩ごちそうさんです」悠も陽介に倣って千枝に凭れかかった。「あ、おれ鰻すきなんですけど、そっちでもいいですか先輩」
「鳴上くんまでなに言ってんの!」
「おっ、そうだ俺スゲー高い鰻屋しってる!」陽介が得たりと話を合わせた。「親父に一回つれてってもらってさ、うまいけどメチャクチャ高いの。そこ行こ、高いもん食お、高いの重要」
「ムリだってちょっとあたしお金ないから! 殴ってください蹴ってください! つか重いふたりとも!」
「里中先輩、こんなとこでマゾ願望カミングアウトとかフツーに引くっすよ……」
「そーいうイミじゃないっつの!」千枝は半ば笑っている。
「陽介、鰻重に白焼き追加するかどうかは店いったとき決めよう」
「だな。肝吸いとシメのうな茶もあるし、食えねーかもしれんし」
「あんたら……!」
 千枝が肉体的にも経済的にも押し潰される前に、男子ふたりは彼女の肩から腕を解いた。もちろん両の腕を掴まえ直すのは忘れない。
「とにかく、まずは無事でよかったよ」
「ホントだよ、マジで心配したっつの」
「サイフの心配もしてくださいよ……」
「里中、ここに来るまでシャドウには……変な化物とかは見なかった?」
 と悠が訊いても、千枝は「べつに見なかったけど、シャドウって?」と返すだけである。
「なんかよくわからん化物なんだけど……お前さ、ほんとに運いいぞ、マジで」陽介が鼻息を漏らす。
「運よかったらウナギおごるハメになんかならんでしょ……」
「鰻はともかく」悠はあらためて闇の中へライトを向けた。「ここ、どこなんだ? なんか外とだいぶ様子がちがう」
「ああ、ここね」
 と千枝の何気なく言うや、パパッという微かな音とともに、卒然と部屋の中が明かりに満たされた。反射的に見上げた天井に、古びた梁に沿って黄色っぽい蛍光灯のチラチラ輝いているのが見える。
「おい、今なんで明かりついた?」と、陽介。
「わからない。センサー?」
「センサーなんかついてねーっぽいだろここ……なんだろ、ホテルっぽいっていうか」
「……旅館の、ロビー?」
「そ。ここ、天城屋旅館のロビーなんだ」と、千枝が説明を入れた。「お城ん中にいきなりこんなんあるからちょっとビビッたけど」 
 三人は岩肌を模した乱型タイルの上に立っていた。大きな下駄箱と簀子のあるそこは玄関である。千枝の言葉通り、上がり口の向こうはおおよその古い旅館がかくもあろうかと思われるような、地元の情報ポスターを張り巡らした小体なフロントになっている。
 驚き呆れる男子ふたりと違って、千枝はなんの故があってか平然としたものだ。
「天城屋って、俺まえに行ったときはもっとでかくてキレイだったけど」陽介は昭和の気配漂うロビーを左見右見している。
「改築前の、昔のだもん、ここ。あんた行ったのは新館のほう。この旧館のロビーは取り壊されちゃってさ、もうないんだ」
 なるほど、千枝の「改築前」という言葉が妙にところを得たような部屋ではある。天井の化粧板は経年を示して薄黄色く――たぶん煙草のヤニかなにか――汚れているし、フロントの掲示板だけに留まらず、廊下の壁にまでやたらとポスターが貼ってあるのは、なんだかその下に傷でも隠しているふうである。フロントのすぐ横には「本日休業」の札が立つささやかな物販コーナーがあって、たぶん稲羽市の特産品かなにかと思しい、乾物や菓子や漬け物や、ちょっとしたおもちゃの類が彩りも乏しく小ぢんまりと陳列されている。その反対側は――もし粗大ゴミの仮置場でないのなら、たぶんロビースペースである。古い漫画の詰まった本棚、ガラステーブル、くたびれて変形した籐の椅子四脚と、コイン投入箱に錆の浮いた年代物のマッサージチェアが二台、老いて遠ざけられた使用人が主を待ちあぐねるようなもの悲しさでもってそこに佇んでいた。
(なんというか、うら寂れているっていうか……)
 薄緑色のビニル床にうっすらと轍のような跡のついているのは、何年何十年とスリッパの擦り続けた証左であろう。それはまったくもって改築されるべき要素に充ち満ちた「場末の旅館」の趣である。
「……なんつーか、ボロいのなァ、昔の天城屋って」陽介が妙に感心したような口で言った。「すげー流行ってない感ありまくりじゃね? 今じゃ予約すんのも半年待ちとか言われてるってのに」
「ボロいゆうな。でも確かにね、流行ってなかったな、昔は」千枝の面に微笑が浮かんだ。「いつもあのマッサージチェアんとこでね、雪子を待ってたんだ、あたし。小二んとき」
 千枝はふたりに腕を掴まれたまま、玄関を上がって物販コーナーへ寄った。悠も陽介も引き摺られるような形である。実際、そうはさせまいと踏ん張れば引き摺られたであろうほど、千枝の歩みは力強いものだった。
「里中ちょっと」
「あたし小二のころ、ここに引っ越してきてね、ぜんぜん友達いなかったんだ。だから雪子と友達になったときは嬉しくって、ほとんど毎日ここ来てた」
 千枝の手が悠の腕を掴み返した。
「雪子って、ちっちゃい頃からなんかいろいろ仕込まれてたみたいで、あそぼーってここ来てもね、なかなか出て来れなくてさ。んで粘って待ってると、お土産売ってるお婆ちゃんが近づいてきてね、あんた見ない子だけど、家どこって、訊くの。毎回だよ?」千枝は笑って、ワゴンの中に目を落とした。「でね、やっと雪子が来るとね、決まって待たせたお詫びみたいにこのアメ買ってくれてね、それ食べながらそこのイス座って、ふたりでセーラームーン読んでた」
「おい里中、放せってお前……!」
 陽介が慌てたような声を上げる。彼も悠と同じに腕を掴まれているのだ。
「雪子、今もキレイだけど、会ったころはもう人形みたいですっごいかわいくってさ、かわいくておしとやかで、メチャクチャ性格よくて、あたし見つけるとこう笑って、ちょこちょこ近づいてくんの。チーちゃんチーちゃんって」
「里中、腕を――」
「雪子って、宝物だった。なんか神さまがさ、あたしが生まれたとき持たしてやれなかったなにもかもをさ、やっと準備ができて、それでちょっと遅れたけどって、よこしてくれたみたいな感じ」
「里中」
 と悠の言うのに、千枝はようやく反応して「ごめん、なんか語っちゃった? ウザかった?」と笑った。
「あたしのひとり語りなんてどーでもいいっつの、ねえ? それよりほらっ、はやく雪子たすけに行こ!」
「里中、いったんあのテレビのところまで戻ろう。ここから先へは連れて行けない」
「だいじょうぶだって。あたしならなんとでもなるから」
「ならねんだっつーのに」陽介がちょっと焦れて苛立たしげな声を上げた。「お前がいると足手まといなんだ。さっき言ったシャドウってやつがこの先にいる。俺らはなんとかできるけど」
「あたしじゃできないっての?」
 悠と陽介は異口同音に「できない」と断じた。これで承伏しないのなら仕方ない、ペルソナを見せつけるまでである。
「……じゃあさ、ふたりとも、この手ふりほどいてみてよ」千枝は不敵に笑って、両手に掴んだふたりの腕を上げてみせた。「それできたらあそこまで戻るから」
「だからそれとこれと――」
「陽介、いい、やろう」悠は陽介を遮ってそう言った。「里中、どっちか片方でもそれができたら、諦める?」
 千枝はべつだん気負ったふうもなく「うん」と頷いた。
(大した自信だ! たぶんなにか格闘技でもやってるんだろうけど……)
 これは明らかに千枝の過信である。なんといっても悠や陽介とは体格の差がありすぎるし、ましてふたりがかりである、技がどうこうの問題ではない。彼女の細腕ではせいぜい、どちらか片方の腕にすがりついて振り回されるくらいが相場であろう。
「いつでもいいよ」と、千枝は自信たっぷりである。
「じゃ、一、二の、三――!」
 三、の合図で、悠の背筋に冷たいものが奔った。たちまち悲鳴のひとつも上げながら振り回されるはずの千枝の身体は、しかし微動だにしない。しないはずだ、渾身の力でもって腕を振り上げたのにも拘らず、
(外れない……どころじゃない、なんだこの力は!)
 千枝はことさら力を入れているようには見えない。自然体である。それでいて彼女の手はさながらコンクリート壁にボルト留めした手枷のようだった。いや、手だけではない。身体そのものが根の生えたよう、というより、地面に溶接されたみたいにまったく動かないのだ。どんな修練の結果が鋼鉄の筋力と関節とを彼女にもたらしたにせよ、体重そのものは大きく変えようなどない。仮に彼女のほっそりした身体がすべて鉄だとしても、男子高校生ふたりの力を結集すれば引き倒すことくらいできるはずなのに。
「マジかよぜんぜん歯が立たねーぞ! これ合気道かなにか?」陽介は縛められたサルみたいに、腕を押さえて跳んだり跳ねたりしている。
「合気道で体重が増えてたまるか! くっそ……!」
「ほうらほうら、おふたりあさん、そんなもんですかあ?」千枝はまったく余裕しゃくしゃくである。「あ、これあと一分以内に解けなかったさ、ウナギなしにしよう。そうしよう」
「ざっけんな! ぬおお……!」
「はーい十秒経過ー、ほらふたりとももう諦めなって。あ、五分経ったらあたしウナギ奢ってもらおっかなー」
「そんなバカな、ありえない……!」
「ほらほらもういいでしょ、力の差ってやつを――」
「鳴上くん、花村!」
 悠はぎょっとして声のしたほうを向いた。向いてもう一度「そんなバカな」と呟いた。先ほどまで三人のいた玄関に、クマを従えた千枝が立っていたのである。






「センセイ! ヨースケ! そっちの――!」
「クマ! そいつから離れろ!」と、クマを遮って陽介が怒鳴った。「くっそ、もうシャドウが……え、あれ」
「陽介、里中、眼鏡……」
 うまく言葉が出てこない。もっともこんな助詞を欠いた外国人みたいな科白を待つまでもなく、陽介はもう違和感に気付いているようである。
(バカめ、どうして気がつかなかった)悠は空いているほうの手で自らの腿を打った。(そうだ、ひとめ見てわかったはずだ、この里中は眼鏡を着けてないんだ!)
「じゃあ、こっちの里中って……」
 陽介はいま自分の腕を掴んでいる千枝と、玄関に現れた千枝とを交互に見やって呟いた。両者に違いらしい違いはない、容貌、服装、身体的特徴、すべて寸分たがわず同じである――今ほど登場したほうの着けた眼鏡と、その手に握った大振りのナイフを除けば。
「ヨースケ、そっちがシャドウクマ!」
 クマが叫ぶ。もちろんそのはずだ。なんといってもクマはシャドウと人間の気配を区別できるのだから、もしどちらかがシャドウであるとすれば、万が一にも向こうがそうであるということはない。であれば、
「……シャドウなのか」
 と、悠は自分の右手を掴む「千枝」に訊いた。
 いまさらこんなふうに問うのもバカらしい限りだが、彼は訊かずにはいられない。「人間から出てくるシャドウ」が実際には、その人間本人となんら変わらない中身を持っているということを、陽介の例から彼は識ってはいた。いたはずだったが、先にあれほど打ち解けてじゃれ合っていた彼女が実はそうであると判明してみれば、こんな通り一遍の予備知識などいささかもショックの備えになってはくれない。
 狼狽する悠と陽介を一顧だにせず、千枝のシャドウは静かに「シャドウってなに?」と返すだけである。彼女は最前から玄関の千枝をじっと見下ろしている。
「なんであたしが」無論、千枝の狼狽たるや悠や陽介の比ではない。「なんなのコレ、ワケわかんない――クマくん!」
 クマはナイフの刃を向けられてキャーと諸手を挙げた。
「あ、アレはチエチャンのシャドウクマよ」
「シャドウってなに? はあ? え、ちょっとだれか説明……鳴上くん! 花村!」千枝がヒステリックに叫ぶ。「なにしてんのこっち来てよ! それあたしだって思ってるとか言わないよね!」
「クマくーん」悠と陽介が口を開くまえに、千枝のシャドウがクマを呼んだ。「こっち来て、雪子のとこ案内できるんでしょ? はやく行こ」
 クマは返答に困って「センセイ、どーしたらいいクマァー」と情けない声を出した。クマが言わなかったら悠が訊いていたところだ。
「ちょ……なに言ってんのあんた! あんた雪子になんの用よ! つかなんであたしとおんなじカッコしてんのよ!」
「ふたりとも、ほら、時間ないよ、ちゃっちゃと行こ」
 千枝のシャドウはまるで聞こえていないかのように、平然と千枝を無視した。そうしてフロント横の客間へと続く、薄暗い廊下に男子ふたりを引き摺っていく。悠と陽介がどれだけ抵抗しても無駄である。
「里中、里中! ちょっと待ってくれ!」
「痛て……おい里中、いいからちっと手ェ放せって! どこも行かんから!」
「まてコラァ!」
 黙殺された千枝が憤激して、ナイフを振りかざしながら追い縋ってきた。
「ムシすんな偽物! ふたりを放せ!」
「あー、あのさ」
 と、首だけ振り返ったときにはすでに、千枝のシャドウの目は金色の明るんでいる。
「あんたの相手はさ、あとでするからさ、今はどっかいって」彼女の声はぞっとするほど冷たい。細い眉が不快気に顰められている。「つかなんで戻ってきてんの? いいから消えて。ジャマ。ついてくんな」
「里中、わかる、ハラ立つのはわかる! でも今はとりあえず黙ってろ!」と、陽介が千枝を振り返りながら怒鳴った。ふたたび引き摺られながら、「これがシャドウなんだ! 先輩も山野アナもこれにやられたんだ!」
「シャドウって、なに言ってんの花村?」千枝のシャドウはおかしげに鼻を鳴らすだけだ。「あ、鳴上くん、ちょっとそこのドア開けて」
 彼女が顎で示したのは廊下の突き当たりの非常口である。
「わかった。里中、開けたら手を」
「放すから、花村のも」と言って、千枝のシャドウは照れ笑いを浮かべた。「えっ、ひょっとしてキモかった? ごめんごめん」
「……手を握って欲しいって言おうとしたんだよ」
 悠は非常口の鉄扉に手をかけた。
(これ、陽介のヤツとはちょっと違うケースだ)
 言動と態度からもわかる、陽介のときと同じに、このシャドウもまた自分のそこから出てきた「親」への憤懣があるのは間違いない。が、千枝のシャドウは千枝を罵倒するだとか、復讐を企てるだとか以前に、雪子の救出を優先しようとしているのである。であれば、
(説得しだいだ、説得しだいだけど、里中と和解させることは難しくない)
 雪子を助けるというただそれだけのために、ここへ来るまでのあいだ彼女のしでかしてくれた事々、雪子のためなら何でもできるとまで言わせたその献身が、いま千枝を差し置いて雪子を助けに行こうとするシャドウに共感を呼び起こす可能性はじゅうぶんある。「鍵」はすでに握っている。そして千枝の動揺が大きくなる前にシャドウの性質を説明して、なんとかして呑み込ませることができれば、錠前のほうも準備は整う。
 問題はそのあとだ。もし陽介の例に漏れないのなら、おそらく千枝のシャドウは自身の憤懣の大本を――つまるところ、千枝の許せない千枝を――千枝にぶちまけるだろう。はたして彼女が鍵を挿されて胸中を暴かれる痛みに耐えられるか。彼女がどれだけ自制して、これからシャドウの暴露するかもしれないおのれの「負の側面」を受け止められるか。
 鉄扉の先には本来あるはずの非常階段に代わって、タイル張りの床に緋毛氈を延べた、やたらと天井の高い長廊がひらけていた。なんだかヨーロッパの有名な教会建築にでもままありそうな、壁と穹窿天井に漆喰装飾――おそらくこれもそれっぽく似せてあるだけの――を廻らしたやつである。
(ここは明かりがあるな)
 廊内は明るいとは言えないものの、廊に等間隔で配された高窓から黄色い明かりが射し込んでいるおかげで、床のアーガイル模様が判別できる程度には視界が効いた。この高窓もよく見れば偽物で、外の明かりを取り込んでいるのでなく、ELシートのようにそれ自体が光っているのである。
 廊に入ってほどなく、千枝のシャドウは予告通りふたりを解放した。
「クマくん、こっちでいい?」と、千枝のシャドウが後ろのクマに訊いた。「なんかこっちにいそうな感じするんだけど、あってる?」
「そっちでたぶんあってるクマ、けど」
 千枝のシャドウはそれだけ聞くと、「ふたりとも早く行こ」と言ってずんずん歩き始めた。
(そうしたいのはやまやまだけど)
 シャドウが離れたのを機に、千枝とクマがふたりの許へ駆けてくる。ようやく四人揃ったわけだが、
「アレ、なに、ふたりとも! シャドウってなに!」
 千枝といえば掴みかからんばかりの剣幕である。
「悠どうする。俺が話すか? それともお前?」と言って、陽介は含みありげに声を潜めた。「俺が話すほうがいいような気すっけど」
 明らかにジュネスへ入る前の悶着をふまえた口振りである。少しく気に障ったが、先に同じ提案を断って失敗している立場上、
(ここはおとなしく譲ったほうがいいな。こう言うからには説明する自信があるんだろうし、なんといっても当事者同士だ)
 悠は「じゃあ頼む」と陽介に任せて、クマを手招いた。
「クマ、ちょっと」
「あーセンセイ、やっと合流できたクマ、たいへんだったクマよ」
「おつかれさん。途中でシャドウには遭わなかった?」
「ブキもったおっかない女の子なら遭ったクマ、刺されるトコだったクマ……」
 悠はあぶれたもの同士で話すことにした。クマの話によると、千枝は一度城内に入ったものの、悠たちとの合流を考えて外に出ていたとのことである。彼女のシャドウの言った「なんで戻ってきてんの?」はこれを示すのだろう。
「つまり、里中はおれたちが来る前、さっきのロビーにいちど来てたってこと?」
「ロビーってさっきのイスがあった部屋クマ? そーみたいクマ」
「……里中?」
「んなワケないでしょ! アレがあたしだって言うならなんであんな態度――!」
「だからオメーの中にはオメーが考えてるみたいなオメーだけじゃなくて――!」
「イミわかんない! そもそもなんであたしがもうひとり出てくるんだってハナシでしょ!」
「俺に訊くな! こっちが訊きてーよ! シャドウはそーいうもんなんだってハナシだろ!」
(ダメだこりゃ)
 陽介の「説明」とやらはほどなく口論へと移行していた。もっともこれは彼にというより、あたまに血が昇って聞く耳を持たなくなった千枝側に問題があるのだろう。クマと話しているあいだ漏れ聞こえてきたのはたいてい、千枝の「はあ?」とか「なんで?」とか「なに言ってんのアンタ?」とかいう、攻撃的でとげとげしい罵声に近い受け答えであった。
「里中」
「なにっ!」
 声をかけるなり開口一番に怒鳴られて、悠は気圧されてちょっと黙ってしまった。
 振り向いた彼女の面は真っ赤に上気している。潤んだ目がギラギラ輝いている。明らかに尋常の様子ではない。陽介が彼女に応酬して怒鳴りつけていたのはあるいは、不当な態度に憤ったのではなく、こんな異様な剣幕に恐怖した反動なのではと思われるほどだ。
(狂気じみてる。いったいなにに怒ってるんだ?)
 目の前に突然ドッペルゲンガーが現れればそれは驚きもしようし、そいつに不敵な言葉を投げかけられたなら、あるいは怒りもするかもしれない。が、いくらなんでもこの反応は異常に過ぎる。千枝からこれだけの反応を引き出すどのようなことを、彼女のシャドウがしたというのだろう。実にかのシャドウは冷たく「いいから消えて。ジャマ。ついてくんな」と言い放ったに過ぎないのに。
 悠は言葉を続けるのを止めて、まず彼女の面を無遠慮に見つめた。
「……なに! ちょっと!」
(怒ってるだけじゃないな。いや、怒ってるっていうより)
 これが千枝の精神的な病というのでなければ、彼女はなにかに必死になっているように見える。子供が自らの悪事の露見しそうになるや、訊かれもしないうちに浮き足だってアリバイをわめき立てるような、にわかな必死さ。彼女の肩を怒らせるその向こうに、悠たちが追いつくのを待っているのか、千枝のシャドウが腰に手を当ててこちらを見つめているのが見える。
(……さっきシャドウの言った、なんで戻ってきたって、まさか)悠は唇を噛んだ。(ひょっとしてもう接触してるのか? おれたちより前に、すでに)
「ごめん、なんでもない」と、いい加減に千枝を去なして、悠は傍らのクマに声をかけた。「クマ、さっき言ってた話」
「クマ?」
「里中に刺されそうになったって言ってたけど」ちらと千枝を見て、「その時からもう落ち着きがなかった?」
「そうクマねえ……」クマは千枝の反応が気になる様子だ。「うーん、ちょっとおっかなかったクマよ、なんかツンツンしてて」
 案の定、千枝はクマに食ってかかり始めた。
(じゃあ、やっぱり)
 千枝は自らのシャドウからすでに「先制攻撃」を受けている可能性が高い、ということだ。
 今日はどうしてこれほどまでにうまくいかない? どうしてこうも躓くんだ――思わず舌打ちが漏れる。千枝の錠前はもう泥に漬けられてしまった、鍵穴に泥を詰められてしまった。先に悠の思いえがいた都合のいいシナリオは早くも画餅に帰した。
 いま鍵を挿してどれほど回したところで、錠前の機構が傷つくばかりだ。彼女はもう半ば心を鎖してしまっている。陽介が今ほど試みてすげなく突っぱねられたように、いまさら「もうひとりの自分」の説明など受け付けまい。陽介がそうであったように、彼女はそれを認めることが大前提であるところのものを、躍起になって隠すことだろう。けだし彼女の必死さはかのシャドウに言われたであろうことを認める恐怖、そしていま自分とおなじ姿で現れた「彼女」が、自分のクラスメイトにそれを素っ破抜きはしないか、そして彼らがそれを信じはしないかという恐怖の裏返しなのだろうから。
 これで陽介のときと同じ悪条件、憤激混乱する千枝と、たぶん彼女と同じくらい激しい反応――加えておそらくは害意と暴力をも――を示すであろうシャドウとを説諭しなければならなくなった。まして陽介のシャドウが示してくれたような厚情を期待することはできない状態で、である。
「おい悠、シャドウが」と陽介が言って、考え込む悠の肩を指で突いた。「こっち来いって、手招いてっけど」
 見ると陽介の言うとおり、千枝のシャドウはこちらを呼ぶようにして、手を降ったり跳び上がったりしている。屈託なげに微笑むさまは本体の錯乱ぶりといっそ対照的である。
(まてよ、そうだ、まだ試すことが残ってる)
 突然、悠の脳裡にある考えが閃いた。もし千枝と、彼女から出てきたシャドウが本質的に同じであるなら、彼女にしようとしたことをシャドウに試みても同じ結果が得られるはずではないか?
(試す価値はある。まだやれることはある、腐るな、挽回だ! できるはずだ、おれはひとりのときだってできたんだ。今度はふたり、条件は格段にいいはずだ)
「……陽介、里中を抑えてて」
「ちょ、おい!」
「ぜったい里中をこっちに来させるな。あともし可能ならシャドウのこと、説明しておいて」
 それとタロットの準備も、と捨て科白して、悠は招かれるまま千枝のシャドウに近づいた。背後で千枝の「ちょっと、鳴上くんどこ行くの!」などとわめき散らすのが聞こえる。得体の知れない力を持つシャドウならいざ知らず、生身の女子高生ひとりくらいなら陽介単独でもじゅうぶん抑え込めるだろう。ふたたび彼女がゴールドオーブの破壊を企てなければ、だが。
「遅いよ、花村は?」千枝のシャドウは世間話でもしているふうである。
「まあ、ごらんの通り」悠は背後を示して見せた。「ところで里中」
「なに?」
「里中はその、里中に――いや、まず、ちょっと頼みがあるんだけど」
「お金ならないっすよ」千枝のシャドウは笑って言った。
「里中に金のことなんか言わないよ。鰻屋までは」悠も笑い返して、「そうじゃなくて、あのさ、里中のこと、千枝って呼んでいいかな」
 千枝のシャドウは「えへっ」と笑って盛大に照れ始めた。
「えー、なんというか、こう面と向かって言われるとハズいですなー……なんかハズいって言うのじたいハズいし。つか、えっと、なんでまた?」
 意外にも好感触である。悠はがぜん勢いづいた。
「どうしても。ダメ?」
「いや、いーけどさァ……や、いいよ、べつに、呼ぶがいいよ、どんと来いオラ」
「じゃあ、千枝」
「オス……ぐあ、めっさハズい……!」
「慣れて。それで、千枝は里中にはいつ会った?」
 赤くなってニヤニヤしていた千枝のシャドウが、急に顔色を変えた。
「里中って、アレのこと言ってんでしょ?」悠の肩の向こうをちらと見ながら、「あそこでキーキーわめいてるヤツ」
「いま赤くなってニヤニヤしてもいたね」
 千枝のシャドウは不快気に眉を顰めた。が、否定の言葉はない。「俺はお前だ」と言っていたのは陽介のシャドウだったが、彼女にしても同じらしい。シャドウは自分が何者なのかを、少なくとも言葉の上ではちゃんと理解しているのだ。
「それで、千枝はおれたちに会うより前に、里中に会ってた?」
「どういうこと訊いてるのかはわかるよ」と、千枝のシャドウは寂しげに言った。「でもなんかな、あたしも鳴上くんたちと一緒にこの世界に入って来たんだけどね」
「ごめん、わかってる」
「会ったよ。さっきの旧館のロビーに初めて来たとき、なんかすっごい懐かしくて、雪子のこと考えてるうちに、自分に……自分に話しかけることができた」
 悠の推測は当たっていたようだ。そこで千枝は恐らく陽介のときと同じに、なにか秘めておきたかった内心をシャドウに暴露されたのだろう。
「声きいただけであいつ逃げたけど」
「そう。それで、千枝はどうして自分がこんな……誤解を恐れずに言えば、里中と千枝とに別れてしまったか、理解してる?」
「わかんない。別れたってカンジとも違うけど……シャドウってやつのせい? ひょっとして」
「そう」
「……さっき花村が言ってたけど、そのシャドウって、あたし? ひょっとして」
 憫れみを催したものの、悠はきっぱりと首肯した。
「そっか」思いがけなくも、千枝のシャドウはあっさりと聞き分けた。「あたしは影か、そっかそっか」
 まったく感謝すべきは千枝の性のよさである。千枝本人こそ理性を失ってヒステリックになってしまってはいるが、ふだんの冷静な千枝に相当するであろうこの「もうひとりの千枝」の素直さ好ましさといったら! こっちが本体で向こうがシャドウならどんなによかったことか――こんな益体もないことを考えているうち、悠はふとある可能性に思い当たった。
 本質は同じ、というだけではない、そもそも両者には本体やシャドウという区別自体、存在しないのではないか?
「いや、影じゃないのかもしれない」
「そなの?」
「そうかもしれない……もし千枝がシャドウなら、里中もまたシャドウだ。ふたりが同じ里中千枝ならそういうことになる」
 確かにシャドウは本体にはない力を持っている。あの化物のシャドウを呼び寄せたりもする。そういった面からは弁別されるべきである。しかしだから「影」で、人間ではないということになるのだろうか? そもそもシャドウという名前がいけない。どうしてもネガティブな印象が際立つし、これではどこまでも本体に従属するおまけのように聞こえる。たしか最初にこう呼んだのはクマであったろうか。
(どういうつもりでシャドウなんて名付けたんだろう。そもそもなんで英語?)
「鳴上くーん……?」
「ごめん、ちょっと考えてて……とにかく」悠はひとつ咳払いした。「千枝は里中千枝の影じゃない。シャドウっていうのは便宜上の、ただの用語。気にしないで」
「そうなんだ……つか、影っていったらさ」ふたたび悠の肩の向こうを見ながら、「むしろ向こうのほうが影っぽいよ。見てよあのウザさ、花村マジでかわいそすぎる」
「里中はそう考えるだろうね、きっと」
 ちらと背後を覗うと、果たして陽介と千枝はクマを巻き込んでのつかみ合いになっていた。手足が出るくらいならまだしも、彼女が右手に持っているものを活用しようなどと考え出さないよう祈るばかりだ。
「それが自然だと思う。自分がもうひとり現れるなんてあり得ないことだ、どんなに似てたって、ふつうはそれがもうひとりの自分だなんて考えない。姿形を似せた偽物だって考えるのは普通のことだ」
「そうかな」千枝のシャドウの言葉には否定的な色が滲んでいる。
「でも千枝は違う、だろ? 千枝は里中が、そりゃあどうしようもなくムカついて、ウソつきで、最低なヤツだって思ってはいても、自分と同じだってこと、わかってるはずだ」
「……なんで、ハズ、なの? 鳴上くんになにがわかんの?」千枝の目に金色の光が兆す。
(なにか失言があったか? 慌てるな、挽回)
「陽介がそうだった。陽介も同じだったんだ。このあいだあいつが千枝に縄を押し付けて、おれに体当たりしてテレビに入ったとき」
「ホントに?」
「ホント。陽介のシャ……もうひとりの陽介が出てきて、陽介のことをメチャクチャに罵った。お前はどうしようもないクズで、綺麗ごとばっかり言ってるけど、本当は汚らしいことばかり考えてるって」
 千枝のシャドウは不快気に押し黙っている。悠はこれを図星をつかれた決まりの悪さと解釈した。
「千枝もそう思ってるだろ。違う?」
「別にんなこと考えてないけど。なんでそうなんの?」
「そう? ならいいんだけど」
 ウソだ――悠は心中でほくそ笑んだ。それでいい、開き直られでもしたらかえってやりづらくなる。見栄だろうと虚勢だろうと重要なのは「わたしは彼とは違う」という姿勢である。
「でも陽介の場合は違ったんだ。もうひとりの陽介は確かに本当のことは言ってた。でもひどく一面的で、そいつの言うことを全面的に信じれば、花村陽介はいいところなんかひとつもないひとでなしになってしまうほどだった。陽介のほうでも腹を立てて、おれはそんなんじゃない、ウソをつくな、おまえは偽物だって、頑なになった」
「…………」
「本当に大変だったんだ、なんせお互いがお互いの言うことなんかぜんっぜん聞きゃしないんだから。あいつって分からず屋なところ、あるだろ? おれより付き合い長い千枝ならいくらでも思いつくと思うけど」
「んん、まあねえ」
 千枝のシャドウの面にかすかな笑みが浮かんだ。もちろん、陽介は決して分からず屋なわけでは――もし彼にそんなことを言ったら、鏡に向かって言えと笑われるだろう――ない。二、三日してふたたび訊けば、彼女とてもっと答えに慎重になることだろう。が、こんなふうに前置きすればよほど実態とかけ離れていない限り、実際にはそうでなくともそうと錯覚するものである。それは彼女をして「陽介はそんな体たらくだが、同じケースに遭遇したとき、わたしはもちろん彼よりうまく立ち回るだろう」という、自尊心をくすぐる想念であるから。
「聞く耳を持たないヤツがふたりだ、分かり合えるはずなんかない。あのふたりのあたまの中にいる花村陽介って言ったら両極端で、おまえは悪魔だ、いいやおれは天使だって、終始こんな感じなんだ」
「あー、なんか思い当たるフシが……」
 さだめし今ごろ彼女のあたまの中では、著しい例外の一般化が行われているのだろう。陽介には気の毒な話だが、いましばらくは彼女の中で彼女に都合のよいまぬけを演じてもらうことにする。陽介の例をわかりやすく「悪しき前例」として戯画化・寓話化すれば、彼女はおなじ轍を踏むまいとその事例を意識するはず。
「それで、ここからが重要なんだ、よく聞いてほしい――千枝はたぶんシャドウを、化物を呼ぶことができる」
 千枝のシャドウが眉を顰めた。
「正確には、勝手に集まってくるんだ、化物が」おまえも化物になるのだ、とは言わないほうがいいだろう。「千枝が里中に怒ると」
「……なんで? 化物?」
「陽介のときがそうだった。陽介のときも、小西先輩のときも、山野アナのときも――覚えてる? あのアパート、メゾン・ド・ラ・ネージュ」
「最初この世界に入ってきたとき行った、あそこ?」
「んん。あの部屋のベッドにあったひどい臭いのするシミ。クマに聞いたんだけど、あれは人間が化物に襲われた跡なんだ。あのときはなんとなく言っただけだったけど、あれは本当に死体の跡だったんだ、山野アナの」
 彼女は口を半開きにして悠の言葉を待っている。
「小西先輩の『跡』も、おれたちは見つけた。遺品があったし、状況から考えてほぼ間違いないと思う」
「遺品って……教室で言ってた話?」
「そう。あのとき陽介が仄めかしたかもしれないけど、実際はもっといろんなことがあった。さっき言った化物にも襲われた、陽介はもうひとりの自分を怒らせたから」
 千枝のシャドウの面が色濃い憐憫に翳った。彼女はしばらく黙って悠を見つめたあと、「マジで大変だったんじゃん」と呟いた。
「なんで言ってくんなかったの? あたし思いっきり蹴っちゃったじゃん、何回も。サイテーとか言っちゃったじゃん」
「どうしてかわからない? あのときも、きのうジュネス行ったときも、今日だっておれたちは千枝に入ってきて欲しくなかった。こうなるかもしれないって思ってたから」
「こう……って?」
 悠は黙って千枝と千枝のシャドウを指さした。
「千枝と、里中に別れて、自分同士でいがみ合う事態に。口論で済めばまだいい、けど山野アナや小西先輩や、陽介の例が示すのは仲違いなんかじゃない、自分の殺害なんだ。千枝は里中と話し続ければ、必ず里中を殺してしまう」
「…………」
「自覚があるかもしれないし、今のところはそこまで憎いわけじゃないかもしれない。ひょっとしたら危ういところで、千枝になんとかそれを踏み止まることができるかもしれない。けどシャドウが集まってくればもう終わりだ、シャドウたちはそんなことお構いなしだ。必ず里中は死んで、おれたちの元いた世界の電柱かなにかに、変わり果てた姿で吊されることになる。その両隣をおれと陽介が飾るかもしれない。でもそれを防ぐ方法はある――千枝と里中がお互いを認め合って、和解することだ」
 千枝のシャドウが唇を噛んだ。その「和解」の困難さがわかっているのだろう。
「千枝、里中を見ててどんな気分になる?」
「どんなって言われても……」
「あたまに来る? ぶん殴ってやりたい? いや、もっと根深い感情のはずだ。陽介から出てきたもうひとりの陽介はこんなことを言ってた、おまえはおれに汚いものばかり押し付け続けてきたって。この言い分には一理があると思う。陽介は自分の汚さを認めなかったし、そうであることをいままで考えたことはあったかもしれないけど、少なくともふだん意識に上すことはなかったんだと思う。そりゃふつうは忘れる。そんなことをいつまでも覚えているのは骨だから、無意識に忘れてしまうもんだ。だから陽介の汚さに苦しむのは、それをずっと覚えているもうひとりの陽介だけってことになる」
 ひとがふと折に触れて過去の失敗や罪を思い出すのは、あるいはこのもうひとりの自分――シャドウが自らに語りかけるからなのかもしれない。もっとも悠の場合、自分がなにをしていたのかさえ知らなかったのだが。
「いままでわたしが努力して積んできたレンガを、掠めたり壊したりしかしてこなかったヤツが、わたしを差し置いてこれを築いたんだってふんぞり返ってる。どうしようもなく腹が立つ。不当だ、犯罪だ、おまえこそわたしを騙る偽物だ、わたしこそがわたしなのだ――里中を見てて感じるのって、こんなふうじゃないかな」
 千枝のシャドウは俯いて黙り込んでしまった。
「……わかり難かった? 見当違いだったかな」
「ううん、言いたいことはわかった。えっと、そんなカンジなんだと思う、たぶん」と言って、千枝のシャドウは面を上げた。「ちなみにさ……鳴上くんはどーだったの?」
「え?」
「あたしっつか、シャドウっつか、もうひとりの自分? みたいなの、遭わなかったの?」
「おれは遭わ――いや」今度は悠が俯く番である。「遭った、遭ったよ。たしかに遭った」
 たしかに悠は自分のシャドウに遭っていた、それはまさしく悠の中にいたのだった。彼は口をきわめて悠を罵った。今までの生き方を蔑み、無知のはなはだしきを呪い、悠が後生大事に首にかけて得意になっていたものをこう評した。いわく「偏見」と「軽蔑」であると。
「ホントに?」
「ホントに。遭いたくなかった、遭うだけであれほど苦しいものなんて他にない、里中と千枝を見ていて改めて思う。里中は千枝になにを言われたって辛いだろうし、千枝は里中の顔を見るだけでムカつくだろ」
「…………」
「それでも遭わなきゃいけない、こうしてお互いが目の前に現れたからには。背中合せだった今までとは違う。会って、話し合って、理解し合わなきゃ」悠はため息をついた。「……ほんとうは、里中に言わなきゃいけないことなんだろうって思う。陽介ともうひとりの陽介の話だけど、ふたりにはふたりそれぞれの思い違いがあった。さっきの喩え話じゃないけど、陽介っていう建物は、ふたりで壊しながら組み立ててきたもののはずだ。でも陽介たちはその功罪を峻別して、手元に置くにせよ相手に押し付けるにせよ、功と罪とを一緒にしはしなかった。悪いのはほとんどぜんぶ相手のほうで、自分に非はないみたいな考え方をしていた。たぶん里中と千枝にも多かれ少なかれ、そういう傾向があるんだと思う。それは双方ともに改めなきゃいけないことだ。でも最初に行動を起こさなきゃいけないのは、やっぱり里中のほうだ」
「んん」
「だから、頼むしかない、どうか千枝のほうから歩み寄って欲しいって。里中はもう理性を失ってる、あっちを説得して、千枝と話せるだけの忍耐と理解を用意するのにはかなりの時間がかかる。でもおれたちにはその時間がない」
「雪子」
「そう。クマが言うには、人間からシャドウが、もうひとりの自分が出てくるのは、この世界から霧が晴れたときだって話なんだけど、必ずしもそうじゃないらしい。千枝がこうなってるみたいに、天城も同じようになっているかもしれない。あるいはこの城にいるらしいシャドウに、今ごろは追いかけ回されているかもしれない。千枝、もしどうしても里中に我慢ならないなら、それなら天城のために堪えて欲しい」
「雪子のために」
「天城のために。千枝がさっき言ってただろ、雪子のためならなんだってできるって」
 千枝のシャドウがくすっと笑って、「そんで鳴上くんにオマエなんかできないって怒鳴られたんですけど」と言った。
「……ごめん、おれアホだから、あんまり気にしないで」
「ジュネスの外でだってさー、オマエは雪子じゃなくて雪子が大事な自分が大事なのかーとかってさー、フンマツテントーとかってさー」
 冷や汗が出た。よく覚えてないなどと言っていたのはウソだったようだ。
「ホントにごめん。すいません。許してください」
「よしよし……拙者とてオニではない、条件しだいではゆるしてやらんこともないぞよ」
「なんでもしますから、先輩」悠は半ば笑って言った。
「えーと、じゃあウナギなしとかァ……いいすか?」千枝のシャドウは急に弱気になった。「あのですね……おカネなくてですね」
「ぜんぜん! むしろおれが奢る」
「マジですか! あーよかった、やーホントはお詫びしなきゃなんだけど、今月キッツくてさー……その、蹴っちゃったお詫びはいずれまたってコトで」
 いったい陽介といい彼女といい、シャドウには今月の窮状を訴える性質でもあるのだろうか。
「もちろんそれでいい。それプラス、もし里中と冷静に話し合いができたら」
「へ?」
「こっちから頼むんだから、とうぜん報酬がなきゃ。里中とちゃんと話し合うことができたら、そうだな、金額無制限の奢りとかどう? 十回分」
 それまで笑顔だった千枝のシャドウが、みるみるうちに潮垂れてしまった。
「あたし自信ないよ……やるだけやってみるけど」
「十二回」
「向こうの出方しだいってトコもあるし、あたしだけの問題じゃあ」
「十五回」
「……もうひと声」
「十……八、いや、二十!」
「そうまで言われて断っちゃあ、女がすたる」千枝のシャドウは半ば笑いつつしぶい声を出した。「里中千枝、やらさしていただきやす」
「ただし個々の上限は二千円まで」
「あっ、ずるい! 卑怯!」
 千枝のシャドウがつかみ掛かってきた。本人はじゃれているつもりかもしれないが、悠にとってはヒグマとはいわないまでもツキノワグマに弄ばれるくらいの事件である。
「手加減! 千枝手加減! 腕が折れる!」
「あ、ごめんごめん」
「悠!」
 にわかに背後で陽介の叫ぶのが聞こえる。どうやらこの騒動を悠への攻撃と考えたようで、彼はタロット片手に血相を変えて駆けてきた。
 もちろん、後ろに千枝とクマとを従えて、である。




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