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No.35651の一覧
[0] PERSONA4 THE TRANSLATION(ペルソナ4再構成)[些事風](2014/11/03 16:25)
[1] 序章 PERSONA FERREA[些事風](2014/11/03 16:25)
[2] 一章 REM TALEM MINIME COGITO[些事風](2012/10/27 23:54)
[3] 国を去り家を離れて白雲を見る[些事風](2012/10/27 23:57)
[4] マヨナカテレビって知ってる?[些事風](2012/10/28 00:00)
[5] ピエルナデボラシーボラ![些事風](2012/10/28 00:03)
[6] 出れそうなトコ、ない? ひょっとして[些事風](2012/10/28 00:07)
[8] 死体が載ってた……っぽい[些事風](2012/10/28 00:27)
[9] ペルソナなんぞない[些事風](2013/03/05 00:17)
[10] でも可能性あるだろ?[些事風](2012/10/28 00:34)
[11] バカにつける薬[些事風](2012/10/28 00:36)
[12] シャドウじゃなさそうクマ[些事風](2012/10/28 00:41)
[13] 吾、は、汝[些事風](2012/10/28 00:46)
[14] 俺はお前だ。ぜんぶ知ってる[些事風](2012/10/28 00:53)
[15] ノープランってわけだ[些事風](2012/10/28 00:56)
[16] 旅は始まっております[些事風](2012/10/28 01:05)
[19] 二章 NULLUS VALUS HABEO[些事風](2014/11/03 16:26)
[20] あたしも行く[些事風](2013/01/15 10:26)
[21] それ、ウソでしょ[些事風](2013/03/05 21:51)
[22] 映像倫理完っ全ムシ![些事風](2013/05/12 23:51)
[23] 命名、ポスギル城[些事風](2013/05/12 23:56)
[24] あたしは影か[些事風](2013/06/23 11:12)
[25] シャドウ里中だから、シャドナカ?[些事風](2013/07/24 00:02)
[26] 脱がしてみればはっきりすんだろ[些事風](2013/10/07 10:58)
[27] 鳴上くんて結構めんどくさいひと?[些事風](2013/10/14 17:36)
[28] セクハラクマー[些事風](2013/12/01 15:10)
[30] アギィーッ![些事風](2014/01/31 21:58)
[31] かかってこい、あたしが相手だ![些事風](2014/03/04 21:58)
[32] クソクラエ[些事風](2014/04/16 20:30)
[33] あなたは、わたしだね[些事風](2014/06/15 15:36)
[34] とくに言動が十八禁[些事風](2014/07/26 21:59)
[35] コードレスサイクロンユキコ[些事風](2014/09/13 19:52)
[36] 自称特別捜査隊カッコ笑い[些事風](2014/09/24 19:31)
[37] ッス[些事風](2014/11/03 16:29)
[38] oneirus_0d01[些事風](2014/12/14 18:47)
[39] 三章 QUID EST VIRILITAS?[些事風](2015/03/01 16:16)
[40] ええお控えなすって[些事風](2015/05/17 00:33)
[41] キュアムーミンだっけ[些事風](2015/10/18 13:01)
[42] おれ、弱くなった[些事風](2015/11/20 10:00)
[43] 中東かっ[些事風](2016/03/02 00:50)
[44] バカおやじだよ俺ァ[些事風](2016/05/15 16:02)
[45] ここがしもねた?[些事風](2016/08/16 15:11)
[46] 腕時計でしょうね[些事風](2016/11/15 13:03)
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[35651] 命名、ポスギル城
Name: 些事風◆8507efb8 ID:24b9454a 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/05/12 23:56



 悠と陽介に加えて、千枝までテレビを潜って来るのを見たクマの、喜びようたるやひとかたならぬものがあった。
「ようこそクマー! いらっしゃいクマ!」
 われこそは人恋しさの権化であるとばかり、着ぐるみは欣喜雀躍はなはだしく、悠の挨拶しようとするのも意に介さずその辺りを転げ回り始めた。そうしてゴロゴロ蛇行しながら千枝の足下めがけて転がっていく。
「あーいいから、わかったから!」陽介の踵がクマを捉えた。「落ち着けって。つかお前じぶんで起き上がれねーんだから転がんなよな」
「うわ、ホントにあん時のクマだ」千枝はうごうごする着ぐるみを感慨深げに眺めている。「やっぱ夢じゃなかったんだ、よね、マジだったんだ」
「夢じゃないクマ、みんな来てくれたクマァー!」
「スゲー嬉しそうに寂しさ滲ませんのやめてくれませんかねクマさん、あとじっとしてて貰っていいですかねクマさん――悠、そっち持って」
「ほらクマ立って、喜びの舞はあとにしてくれよ」
「クマ、脚、脚! ちゃんと立てってオメ……アタマ取るぞアタマ!」
 悠と陽介に助け起こされて、クマはようやく垂直になった。
「いやはやついに三人そろったクマねー……クマはこの日をイチジツセンシューの思いで待ってました!」
「まだ何日も経ってねーだろ」と言う口ほどにもなく、陽介はひとのよさげな笑みを浮かべている。「あー、なんか時間的にさっき別れたばっかみてーなカンジするけど、元気してた?」
「元気だったクマ。でもでも今のクマに比べたらもーオソーシキ級に沈んでたクマね」
「こんばんわ、クマ」
「こんばんわセンセイ! えーとこんばんわってコトは、今は夜クマ?」
「そうだよ。クマは夜を知ってるんだ?」
「とーぜんクマ、クマはものしりなクマクマ」
 夜のあるとも思われないこの世界でなぜ夜を知っているのか、あいかわらずこの着ぐるみは得体が知れない。あるいはこの世界から霧が晴れたとき、頭上に日月星辰のへめぐる夜空が現れるとでも言うのだろうか。それとも以前はここにも昼夜の別があった? 天井を見上げても黄色い霧の凝っているばかりだったが、不自由ながらこの辺りの見晴らしが利くからには、かかる濃霧を透かしてでもこの世界を照らしうる光源が上にはあるのだろう。ひょっとするとそれは悠の世界でいうところの、太陽や月のようなものなのかもしれない。
「ところでクマ、早速なんだけど――」
「おーっとこちらはやっと来てくれたコーイッテン!」クマの興味はたちまち新しい客へと移ってしまった。「お待ちしてましたクマー」
「あはは、こんばんわ。えーと三日ぶり? になんのかな」
 千枝はクマに歩み寄ってドーム状のあたまをポンポン叩いている。
(まあ、いいか、すぐ済むだろう。それより現状把握)
 彼女の気が逸れているうちに、悠は例の眼鏡をポケットから取り出して、目の前に翳して周囲を見渡してみた。隣の陽介もちょっと遅れて悠に倣う。たしょう不便でも千枝の詮索を避けるために、ふたりはテレビの中へ入る前から眼鏡をかけることはしていなかった。
(きのう来たときと同じだ、ここの様子に変わりはない)
 スタジオはもちろん、昨日ふたりで来たときと変わった様子はない。ひょっとするとここに雪子がいるかもしれないなどと万が一の期待を抱いていたのだったが、
(そううまくはいかないよな。いくらここがスタジオっぽいからって)
 ここであの「雪子姫の白馬の王子サマ探し!」が収録されていた、と考えるのは、いささか安易に過ぎたようだ。
「また会ったね、クマくんよろしく」
「うほー! ついにクマにもガールフレンドができるクマね……えーと、サトナカ、サトナカ」
「ん、名前? あたしは里中――」
「あっ、そーそー、ニクエチャンクマ」
「やっべ……」
 と、陽介が小さく声を漏らした。どうやら千枝に新しい名前を奉っていたことを忘れていたらしい。
「え、ニクエチャンってなに? あたし千枝だけど」
「チエチャン? ニクエチャンじゃないクマ?」
「ちがうちがう。つかニクエって……ニクって」千枝の胡乱げな視線が男子ふたりの間を行き来する。
「肉が好きだからニクエチャンクマ?」
「……どっち? ほら手ェ上げる」
 悠と陽介はお互いを指さし合った。
「ちょっと待て、おまえ――!」
「いやいや俺じゃねーだろ!」手を振って否んだあと、陽介は懇願めいて囁いた。「オメーのほうがぜったい被害少ないから……頼むから……!」
「…………」
「花村でしょ、そーいうカゲグチ言ってんの」
「いや、ごめん、おれ」悠は濡れ衣の上にさらに濡れ衣を被った。「里中ってほら、肉、好きだろ、それでつい」
「……へー、鳴上くんってそういうコト言うひとなんだ、隠れて。へー」
 悠は内心、呻かんばかりである。千枝は彼がこう出るだろうと思ったような暴力行為のたぐいには及ばず、意外なことに面を伏せて傷ついた様子を見せたのだった。
「なんですかニクエって。あたしそんなに肉ばっかりたべてませんよ。野菜だってたべてますよ。コメだって好きだし……」
 彼女は怒り出す代わりに拗ねてしまった。
(まずい、冗談で片付いてない! やっぱり陽介に言わせたほうがよかったんだ、おれよりは付き合いの長い陽介ならまだ気安さがあったのに……)
 千枝の繊細な一面を見たような気がする。ちょっと男性的な心安さのある千枝も、ことさら肉を好むなどと揶揄されるのはやはり、世間なみの女性とひとしく羞じらいを感じるのだ。いわんや顔を合わせて数日ていどの、それも親しくしはじめた男子に陰口で言われたと思えば、その恥辱はいかばかりであろう。被害が少ない? とんでもない、怒りの蹴りが飛んでくるよりこの様子のほうがずっと悠を苦しめた。
 陽介め――やはり冷麺の代金は身ぐるみ剥いででも徴収せねばなるまい。
「ごめん、怒ってる?」思いがけず弱気な声が出てくる。
「怒ってませんよ、ぜんぜん」千枝は膨れている。
「いやほら、悠だって悪気があって言ったんじゃないしさ、愛情表現、愛情表現だって」陽介も悠と同様の居心地の悪さを感じているふうだ。
「言ったのセンセイじゃないクマ。ヨースケクマよ」
 と、クマがすっぱ抜くや、インパラはテレビから五歩も離れないうちにヒョウに捕食された。
「やっぱりオマエかこのっ!」飛矢のようなフロントキックが陽介の背中を捉える。「ひとに罪おしつけるとかサイテー!」
「クマてめ空気読めって――ちょっタンマ! 暴力反対!」なんとか転倒せずに済んだものの、陽介はそれきり亀になって防戦一方である。「悠たすけてえ! 親友のピンチだから!」
「陽介、アレやっとけよ、オムニなんとか」悠は冷たく言い放った。
「ムリMPがない! お前見てないで止めろって!」
(喜んでるくせに)
 あえて止め立てする必要もなさそうだ。千枝も言うほど怒ってはいないようで、じゅうぶん手加減しているようだったし、助けろなどと叫んでいる陽介にしてからがどこか嬉しげに見えるのである。
「陽介嬉しそうクマー」クマはうらやましそうにしている。
「クマてめ覚えてろよ……!」
「クマ、ふたりの愛の語らいは放っといて、こっちはこっちでよろしくやろう」と言って、悠は着ぐるみのあたまに手を置いた。「それより今日ここに来た理由なんだけど」
「セ、センセイ、クマセンセイのコト好きだけど」クマがじりじりと後退る。「そーいうシュミはちょっとクマはやいかなって思うの……」
「趣味って……いや、よろしくやろうっていうのはそういう意味じゃなくて」
「鳴上くんに謝ってください、つか主にあたしに謝ってください、奢りでも可です」千枝はスナップの利いた寸止めジャブで愛を訴えている。
「さっき怒ってないって言ったじゃねーか! ちょっやめて当たる当たる!」
「いま怒った――いった!」
 革袋に入った鉄板を木槌で打ったような、コンと硬質の音がしたかと思う間に、千枝が驚いたように拳を引いた。
「いーったァ……え、なに?」
「……いますごい音したけど、里中大丈夫?」
「いや、なんか硬いものに当たったんですけど」千枝は手を振りふり困惑気にしている。「あんた服ん中なに入れてんの? 鉄板?」
「手、大丈夫か? つかお前コレ殴って痛いで済むとか頑丈だな」
 と言って、陽介が懐をゴソゴソやり出した。なにか強引に押し込んだものを無理矢理ひっぱり出すみたいに、彼は腕の半ばほどを服の中に突っ込んでいる。
「いや、いつ出そうかって、迷ってたんだけどさ……あーくっそ、大急ぎで突っ込んだから……」
「ちょっと、なにが出てくんの」と、千枝。
「赤ん坊? 陽子ちゃん難産だな」と、悠。
「おう、ちっと待ってろ、マイサンを見せてやっから」
 しばしの悪戦苦闘ののち、彼が得意げに服の中から引きずり出したのは、鞘がらみの大振りなナイフであった。
(ナイフ……お守りのつもり?)
「それナタ?」と、千枝。
「父親はだれ?」と、悠。
「俺どんだけ器用なんだよ……あとナタじゃねーよ、なんかボウイナイフっていうらしい」陽介は薄くカビを刷いた鞘から刀身を抜き出した。「じゃーん。これカッケーだろ? アルミとか真鍮とかじゃなくて、ホンモノの鋼だぜ、刃もついてる。かなりの値打ちもん」
「ブキクマ……ヨースケ野蛮クマ」クマは忌まわしげにしている。
「うっせ、オトコはみんなこーいうのに憧れんの! ま、お前にゃこーいうロマンはわからんのかね、中身ねーし」
 クマは例によってぴこぴこ地団駄を踏み始めた。
「で、どーよコレ、いけてない?」
 陽介の自慢げに見せびらかすそれは、確かに見たところナイフであった。が、世間一般で認知されているような、ポケットに入るような代物ではない。まさしくナタのような、というより、刃渡り二十センチを優に超えるであろうそれは、もはや小さな「剣」である。
「そんなもんどこで買ったのアンタ」千枝は呆れ顔である。
「それ法律とか大丈夫なのか」
「あれ、なんだよ、もちっと盛り上がってくれよ」ナイフをびゅんびゅん振り回しながら、「うちの親父が昔アメ横で買ったらしくてさ。けど興味本位だったみたいであんま大事にしてなくて、倉庫に放ったらかしにしてあったのを俺が保護してたんだ。で、ついに役に立つときが来たってわけ」
 興味本位もなにも、こんなものをなにかの目的のために吟味して手に取るような父親など、息子のほうでも願い下げであろう。
「……ひょっとして電話で言ってたいいもんって、それ?」
「そ。チョコだと思った? まあ一本しかねーけどさ、お前にも貸してやっから」
「おまえ、まさかそれで」
「おう。効くだろコレなら。刃物だし、強そーだし」
 陽介はあっけらかんとしている。まさか悠の濁した言葉後を理解していないはずはない、であれば彼は自分のナイフがシャドウ退治に有効であると考えているのだ。
(本気かコイツ……)
 まさかあの口の化物のことを忘れたわけではないだろうに――悠は呆れた。いったい彼は勇気の塊なのか、それともただ危機感に欠けるだけなのか、まったく花村陽介という男はなんとも量りがたい。
 クマの言うところの「ほとんどぜんぶ、人間なんかぜんぜん敵わないほど強い」シャドウを相手に、刃渡り二十センチのナイフが届くくらいまで肉薄する勇気を仮に振り絞ったとして、彼はほんとうにそれにふさわしい報いを得ることができると本気で考えているのだろうか。効くかどうかもわからない刃渡り二十センチの武器が相手に届くまえに、直径二十センチの穴を二十個くらい身体に空けられるかもしれないと考えたりはしないのだろうか。
(本題に入る前にあとどれだけ面倒が起こるんだ? 時間がないって言うのにバカなことを……)
「……それ、カッコいいな、ちょっと貸して」
「いいよほら。へへ、お前もやっぱ男だよな――あ、コレかなり重いから。あと刀身に触るとヌルヌルすっかも。錆止めにシリコン塗ってあってさ、拭ってきたんだけどさァ」
 なるほど、陽介から受け取ったナイフは確かに「かなりの値打ちもん」らしい雰囲気がある。おそらくメッキであろうが、金色の峰と十字鍔にアカンサスかなにかの模様がびっしり象嵌されていて、骨らしい生成り色の柄には、誰かの名前と思しいアルファベットの彫り込みがあった。使用感こそないものの時代がかった佇まいのそれは、素人目にも量産品にしては手が込んでいる印象を受ける。なにかの記念モデルか、あるいは誰かが特注したものなのかもしれない。
 陽介の父親がコレに幾ら払ったかわからないが、そのおかげで息子がレンコンみたいになるならお買い得感もクソもあったものではないだろう。
「鞘も」
「ほら。ちっとカビてるけど本革だぜ」
 悠は受け取った鞘にナイフを納めて、それを千枝に手渡した。
「里中、預かってて――クマ、変なことしないから」と言って、悠はクマを手招いた。「いいかげん本題に入ろう。おれたちが来る前に――」
「ちょ、おいおい、ナイフ返せよ。つか急に本題に入んなよ」
(でしょうとも)
 案の定、陽介の抗議が悠を遮る。
「かえせよ里中、大事なもんなんだ」
 千枝は返事をせず、渡されたナイフにじっと目を落としている。
「陽介、こんなものは役に立たない」
「なんで決めつけんだよ、わかんねーだろそんなこと」
「もし役に立つなら」悠はなんとなく既視感を感じた。「もし役に立つなら、なおさら持って行かせるわけにはいかない」
「なんで」
「それを使おうって思うだろ。少なくともそういう選択肢が生まれる。逃げるか、それとも最適な方法で対処するかの二択に、最悪のジョーカーを加えることになる。おれが言おうとしてること、わかるか」
 陽介は少し考えるふうを見せたあと、「つまり、そんなもん振り回すくらいならアレやれってことだろ」と言った。
「そのとおり」
「でも例えば急に間近に出てきたときとか――」
「陽介、そんなレアケースはそうそう訪れない」
 一悶着は避けられまいが、言わずに済ませられることでもない。悠は陽介を遮って大きく息を吸い込んだ。
「なぜっておれたちは万難排してそれを避けるからだし、万一そうした場面に遭遇したところで、ナイフを振り回すなんて選択肢はありえない。あのごつい金属の塊とカードとどっちが軽い。とっさに懐から出すものとして、どっちがよりやりやすい。リスクに見合うだけのパフォーマンスは? どうしてわざわざ戦車から降りてレターオープナーで灰色熊にケンカを売る必要がある。確かにあの剣の赤ちゃんでも鋭ければ灰色熊に刺さるかもしれない、運良くそうできたなら、なんらかのダメージを与えることができるかもしれない。そうしてどうなる? 熊は逃げてくれるか。それとも手が滑ったんだって誤解して、こっちをお願いしますって未開封の手紙を差し出すか。怒り出したらどうする? 腕一本で勘弁してくれたかもしれないのに首を引っこ抜かれたら? この世界にひしめく熊がみんな、おれたちのクマくらい紳士的なやつばかりとは限らない」
 以前こんなふうにまくし立てられたときのように怒り出すか、よくて不機嫌になるのは避けられないと思っていたのが、意外にも陽介は平静を保っている。そればかりか、彼は微かに苦笑を浮かべてさえいた。強がりや負け惜しみの色ではない、ちょっと困ったような笑みである。
「おれたちの目的は天城の救出じゃない、今この世界に入ってる四人全員の生還だ」陽介の余裕を訝りつつ続けて、「天城を助け出せたって、おまえの死体を担いで帰るようじゃ失敗だ。最善の手だけを使ってさえ完遂できるかおぼつかないこの冒険に、どんな小さなリスクだって持ち込むことはできない。陽介、ナイフは里中に預けていくんだ」
「わかったよ、お前に言い合いで勝てるとは思ってないし」と言って、陽介は腰に手を当ててため息をついた。「じゃあ、使わないなら持ってってもいいだろ?」
「手の届くところにあれば使いたくなる。置いていくんだ。荷物にしかならないだろ」
「俺いま譲ったじゃん、そっちもそれくらい譲ってくれよ」
「陽介……」
「ほらほら、ここ入ってちっと時間くってるしさ、ワーワー言ってねーではやいとこクマに話聞こうぜ。本題本題!」
 などと言いながらも、彼はさっそく千枝を口説きにかかるのだった。どうでも息子と離ればなれになるのはイヤらしい。
「里中、渡さないで。掴み掛かって来るようならぶん殴っていいから」と、千枝に言い置いて、悠は改めてクマを手招いた。「ごめん、とにかく本題に入ろう。おれたち以外にここに――」
「あ、ちょっと待ってセンセイ。クマもいつ出そうか迷ってたものがあったクマ――じゃーん」
 陽介のマネであろうか、クマもまた懐からなにかを取り出して皆の注意を引いた。出てきたのはもちろんナイフではなく、
(しまった、すぐに取り上げておくべきだった!)
 例の眼鏡である。千枝に渡すつもりなのだろう。
「ウィズラブフロムクマトゥーチエチャーン! プレゼントフォーユークマ――」
 案の定、喜び勇んで千枝のもとへ持っていこうとするのを、悠が後ろからひょいとつまみ上げる。
「あっ、なにするクマ、返すクマ! それはチエチャンのクマよ!」
「え、あたし? なんかくれるの? ちょうだいよ」
 陽介からの返還要求を生返事とスウェーで去なしていた千枝が、クマの抗議を聞きつけるやさっそく自らの権利を主張し始めた。
「センセイにはもうあげたでしょ! デザイン気に入らなかったんならちゃんと予約してくださいクマ。ウチのブランドは創業からずっとビルドトゥーオーダー、お取り置きはしてませんクマ!」
「ちょっとなんで鳴上くんが取り上げんの。つかプレゼントってなに?」
「チョーおしゃれな眼鏡クマ、それかけるとココの――」
「クマごめん足が滑った」
 着ぐるみの短い脚に窮余の変形小外刈りが決まった。クマはぶざまにひっくり返って甲羅を下にしたウミガメみたいになった。
「ギャース! なにするクマァー!」
「里中ごめん、でも今はダメだ、またあとで」悠の踵がクマのあたまを捉えた。「クマ本当に、マジで、本題に入ろう」
「はい……」
「ま、いいけどさァ」
 食ってかかってくるに違いないと思いきや、千枝は意外なことにあっさり引き下がって、粛々とクレーム対応に戻ってしまった。来たる彼女の抗議をはねのけるために陽介に浴びせかけたような「実弾」を準備していた悠であったが、
(なんだよ、陽介といい里中といい……おれひとり空回りしてるみたいじゃないか)
 こういうあっさりした反応を返されると、なんだか必死になって眼鏡を取り上げたことまで馬鹿らしく思えてくるのだった。ひょっとしてこの四人の中で自分がいちばん余裕がないのだろうか。
「クマ、この世界におれたちより前に誰か入った?」
「入った、とゆーか、入ってるクマ」
 踵が少しめり込んだ。
「……あと、このあいだ陽介と一緒に来たとき行ったみたいな、変わった建物とか、できてたり?」
「できたクマ」
 踵が深くめり込んだ。
「城みたいなやつ?」
「そそ、ものすごくでかいクマ。あのうセンセイクマのあたまが絶賛陥没中……」
「ごめん」悠はようやく足を上げた。「で、それ、どこ?」
「ココから近いクマ、そっちのちっちゃいトンネルの向こう」
 クマは横倒しになったまま、いくつかあるスタジオの出入口のうち、三日前に悠たち三人が帰り道を探して最初に潜ったトンネルを指した。
「そこからまっすぐ歩いて、十分もしないうちに見えてくるクマ」
「……そこにまだひとはいる? わかる?」
「いるクマ」とクマの言うのを聞いて、悠はひとまず胸をなで下ろした。
「入口の近くまで行ったんだけど、シャドウがいたからどーしようもなくて引き返してきたクマ。とりあえず中に誰かいるのは間違いないクマ」
(シャドウ、やっぱりいるんだ)雪子の心配ばかりしている場合ではない。(おれたちにあるのは付焼刃のナイフがふた振りだけ。それも使い方しだいだ、あの陽介のおもちゃを振り回すよりずっといい)
「センセイたちはそのひとを助けに来たクマ?」
「そうだよ、知り合いなんだ。クマに案内を頼みたいんだけど――」
 その時、にわかに陽介の叫びとも呻きともつかない声が耳を打った。顔を上げて見るとなんと、今し彼が股間を押さえて千枝の足下に頽れるところである。
「陽介……ちょっと、里中どうした!」
 呼びかけに応じてこちらを向いた彼女の面に、しかしこれといって釈明するような色は見出せない。無表情である。いっぽうの陽介は悪態をつく余裕もない様子で、ただ股間を押さえて呻吟しつつ、瀕死のエビみたいに力なく地べたをのたうつだけである。彼女に蹴られたのだろうか。
(そりゃぶん殴っていいとは言ったけど……)
「なに、へんなところ触られた? それにしたってちょっとやり過ぎじゃ」
 悠が慌てて駆けつけると、なにを思ったか彼女のほうでも足早に歩み寄ってくる。まるで胸を合わせるみたいにして急接近するや否や――さながらナイフが鞘に収まるような按配で、悠の股間に彼女のヒザが吸い込まれた。
「あっ、センセイ!」と、クマが叫ぶ。悠は叫ぶこともできない。
 エビが一匹ふえた。
「こんなに時間かかるんなら」と言って、千枝は苦悶する悠のポケットをあらため始めた。彼女の声は冷静そのものである。「自分で訊いてればよかった――これだよね、あたしの」
「さっ、里中、待て……!」
 愚者! どうしようもない愚者! おまえは陽介のときからなにも学んでいない! 下から突き上げてくる地獄の激痛と、上から無数に降り注ぐ自責の念とで、いきおい悠はどうかなってしまいそうだった。
「クマくん、コレ、なんなの?」千枝が取り返した眼鏡をクマに示す。「なんか見えるの?」
「あのう、かけるとその、霧を透かしてものが見れるクマ……」
 いったいおまえは、彼女が腹芸のひとつも満足にできない単細胞だとでも思っていたのか! もちろん彼女は演技していたのだ。不思議なほど雪子の安否に言及しなかったのも、妙に落ち着いて見えたのも、すべてはこちらを油断させるため、邪魔なエビを陸に打ち揚げるためだったのだ。
「里中てめ……!」陽介が脂汗をかきながら這い寄ってくる。
「ふたりともごめん。ホントにごめん。もし戻って来れたらなんでもする」と言って、千枝は眼鏡をかけた。
「里中たのむ、思い留まれ、危険なんだ、化物がいる、人間じゃ太刀打ちできない、殺される」悠は痛みに震えながら譫言のように言った。
「……鳴上くん、外でさ、なんつったっけ、雪子のためになにができるって言ったんだっけ」
「里中、後生だから」
「あたしね、雪子のためならなんだってできる」
「できない」
「できる」
「できない!」
「鳴上くんにはわかんないよ」千枝の声に暗い満足が滲む。
「おまえにはできない! おまえのはするかしないかだ! おまえの欲しがってる結果なんかついてこない! どうしてわからないっ!」悠は声をひっくり返して吼えた。もはやヤケである。「誰のためにもならない! なんの意味もない! おまえが死んで天城が助かるんなら今すぐそのナイフで喉を突けバカヤローッ!」  
 陽介の手が千枝の足首を掴む。が、やんわりと蹴り払われる。
「ごめんね花村、鳴上くん。ごめんね、じゃあね」
「クマ、里中を止めて……!」
 と、エビが懇願したところで、目下ウミガメは天地逆である。千枝はそれいじょう自らの釣果を眺めることはせず、持っていたナイフの鞘を払って投げ捨てると、先にクマの示したトンネルへ走り去ってしまった。
(最善の手だけを取る? もう絵空事だ! 考えうる限り最悪のスタートだ!)這って千枝を追おうとしても、両手はその甲斐もないのに股間を離れてくれない。(おれたちは振り出しで躓いた! 里中のせい? 愚者め、おまえのせいだ! この試金の結果を見ろ、おまえのメッキはとうに剥がれてるぞ、鳴上悠!)
 歯噛みする口の中に塩辛いものが流れ込んでくる。悠はぶざまに転がって股間を押さえたまま、痛さと惨めさのあまり涙を流し始めた。






(動けるか?)
 激痛がいくらか和らぐまでに十分も経っただろうか。
「陽介」
 少し離れた位置に転がっている陽介に声をかけてみる。彼にはどうやって立ち上がったものかクマが専属で付き添っており、腰を叩いたり上半身を上げ下げしたりするなどの看護を施しているのである。
「ヨースケがんばるクマ、キズは浅いクマ」
「陽介、立てるか」
「ムリHPがない……」
 クマの懸命な施療の甲斐もなく、症状は悠と似たり寄ったりらしい。
「マジであの女、ブッ殺すわ、マジで」陽介はぶつぶつ呟いている。
「ブッ殺すのはあとだ。それに半分はおれにも権利があるだろ、半殺しで我慢しろ」
「うう……あいつわかんねんだこの痛みが」怒りか苦痛か、陽介の声は震えている。「ゴールドオーブに痛恨の一撃とか冒険の書が消えるレベルだって……!」
「文句言うな、おれのなんかメッキだ」
 悠は生後間もないガゼルみたいに、ぶるぶる震えながらなんとかこうとか立ち上がった。下腹部の痛みは依然として治まってはいない。あらためて恐るおそる股間に手をやってみると――喜ばしいことにちゃんとふたつあった。兄のほうも弟のほうも無事である。
「センセイ、割れてなかったクマか?」クマは心配そうにしている。「クマもわかるクマ、その辛さ苦しさ、やり切れなさ。オトコの宿命クマね……」
「たぶん割れてはいない、と思う。ちょっと表面が剥がれたけど」
(クマもわかるって、男なのか? あいかわらず得体が知れないな、この着ぐるみ) 
 もっともパンツだの胡椒だの夜だのを知っているのだ、いまさら陽介の言うところの「ゴールドオーブ」の存在を知っていたところで怪しむには足りない。
「立つんだ陽介」
「立てません。勃ちません」
「里中を追いかけなきゃ……ブッ殺すんだろ? おまえの子供も浚われたままだぞ」
「……俺の息子たちはここにいる」 
 陽介は生まれたてのインパラよろしく、がたがた震えながらなんとかこうとか立ち上がった。そうして悠に倣ってこどもたちの安否を確認する。
「なんとか無事っぽいけど……お前らにも苦労ばかりかけるなあ」
 陽介は息子たちの受難を労っている。なんといっても金なのだ、それは大事に思いもしようが、悠のはメッキである。先の惨めさ悔しさがふつふつと甦ってきて、悠はやるせなくため息をついた。こんな安物でも蹴られれば痛い、もいで捨てるわけにもいかない。
「センセイ……ヒビクマ?」クマが近寄ってきてそっと囁いた。「クマだれにも言わないクマ、欠けちゃったクマ?」
「いや、だいじょうぶ。心配ありがとう」と言って、悠はクマのあたまに手を置いた。「ところでクマ、さっき言ってた城のことだけど、中のどの辺りにひとがいるかわかりそう?」
「うーん……だいたいの位置はわかるとおもうクマ、たぶん」
「なにか問題でも?」
「問題とゆーか、いまあんまり鼻が利かないクマよ、ひとがいっぱい入って来てるから。クマひとりのときならもービンビン物語クマけど」
「……まあ、とにかく一緒に来て、試してみて。里中を追わなきゃ」
「たく世話の焼けるヤツだよホントに」陽介はこわごわ脚を上げたりしゃがんでみたりしている。
「あー、それと、悠」
「なに」
 陽介はにわかに畏まって、「悪かった、俺のせいだ」とあたまを下げた。
「里中のこと?」
「ああ。やっぱアイツ入れるべきじゃなかったんだ、マジですまん。お前やめたほうがいいって言ってたのに」
「おれだって同意しただろ。それにおれ、里中の様子がおかしいって、テレビに入る前からちょっと思ってたんだ。でも楽観して……」悠は涙の跡を拭って続けた。「なんの警戒もしないで、その結果がこれだ。全部おれのせいだ、おれが寝ぼけてた」
「いや、なんで? お前のせいにはならんだろ」陽介が呆れたように八の字を寄せた。「つか、そんなドーサツとかスイサツとかってレベルで責任どうこう言うとかたまんねーぞ」
「おれは里中の態度に引っかかってた。わかってたんだから回避できたはずなんだ。しなかったんだからおれの責任だ、お前のせいじゃない」
 悠のあくまで言い張るのを見て、ふと陽介の面に苦笑が浮かんだ。先にナイフを置いていけとまくしたてたときに見たような、ちょっと困ったような笑みである。
「……なんだよ、なにがおかしい」
「あのさ悠、ほら、俺のシャドウが出てきたときさ」腰に手をやりながら続けて、「あんときお前、なんか言ってなかったっけ? 自惚れんな、お前は完璧人間じゃねーとかなんとか。あれノシつけて返すぜ」
「…………」
「自惚れんなって、お前は完璧人間じゃねーだろ、お前のせいじゃねーよ。そんで俺のせいでもねーってお前が言うんなら、俺らのせいじゃねーってこった。――クマ」
「へ? なにクマ」
「お前、誰のせいだって思う? 俺らがこんなんなって、里中がひとりで行っちまったの」
 クマはしばらく思案気によちよち歩き回ったあと、「チエチャンのせいじゃないクマ?」と自信なげに言った。
「クマよくわからんけど、ヨースケとセンセイのチンチン蹴ったの、チエチャンクマ」
「な? そーゆーこと」と、陽介が胸を張った。「この場合どう考えたって、いちばん悪いのはアイツだろ。お前のせいじゃねんだよ」
 この物言いは正直なところ、悠の耳にあまり快く響きはしなかった。それはお前の手の及ぶことではなかった、できるはずはなかった、仕方なかったと慰められるより、できたはずのことをできなかったと責められるほうがどれほど彼の自尊心を慰めたことだろう。たとえ彼らの定規の目盛りが信頼に足るとしても、なにもかもそれを援用して万事うまくいってしまうほど、自ら恃むところひとかたならぬ悠の度量衡は単純ではない。
「そうかな」
「そうだって。お前は悪くないの、不可抗力」
 と、言われれば言われるほど、なんだかむしょうに反発心が湧いて出てくる。自分は陽介の言う「ドーサツとかスイサツとか」はじゅうぶんできていたはずだ。不可抗力? 否だ、もちろんそうではない。自分にはそうできるくらいの能力はあった。決して己惚れなどではない、己惚れと言うなら、その能力の及ぶかぎり無謬であると考えることこそが己惚れなのだ。自分は失敗したのだ、それは謙虚に受け止めなければ。
 そうだ、これはひとつの失敗だ――悠は腰ポケット越しにタロットを掴んだ。これはひとつの失敗だ。誰しも失敗はするものだ。いまおれがすべきは、金だと思っていた自分はじつは銅に過ぎなかったと悲嘆に暮れることでも、里中に盲目的に責任転嫁することでもない、挽回を期すことだ。
「悠……お前なんでそんなムッとしてんの?」さだめて破顔するとでも思っていたのだろう、陽介は困惑気にしている。
「べつに」
 そうだ、そもそも試金の結果メッキが少し剥げてたしょう地金を晒したからといって、それがどうだというのだ。金か銅かという二択からしてすでに間違っているのだ。上のほうはメッキした銅かもしれないけど、下のほうは混じりけのない金かもしれないではないか。そうだ! わずか一週間に満たない期間にたまたま見出したこんな小さな試金石など、どだい爪の先を擦るのがせいぜいなのだ。いったいこんな些末な事件のひとつやふたつがわが全存在を証しなどしない! 先に泣いたのだって陽介の言うところの「痛恨の一撃」による痛みのせいに過ぎない。挽回だ、次に同じようなことが起きたとき、そのときこそ挽回するのだ!
 陽介の言葉は悠の中で奇妙な化学反応を起こして、ある種の開き直りを彼にもたらした。
「センセイ、どうしたクマ。まだ痛いクマ? やっぱりヒビクマ?」
「んん……いや! やっぱりおれのも金だよなってさ、思ったんだ」悠は遅ればせながら破顔した。「そうだな、とりあえず、里中には制裁が必要だな」
 責任転嫁と責任追及はまた別の話である。新たなエビが暴力の網にかかる前に、男は股間を蹴られると宇宙が見えるのだということを彼女に理解させる必要がある。
「そーそー、俺たちの性なるゴールドオーブを破壊しようとした肉食暴力ザルはブッ殺されるべきなんです」陽介もまた賛意を示す。
「そのとおりだな――陽介、走れるか」悠はふたつの金塊を労りながら屈伸を始めた。「シャドウ狩りの前にサル狩りだ、あのヒザ蹴りがどれだけ高いものにつくか思い知らせてやる」
「おお。ま、アイツだってなんでもできるとかカッコつけてたけどムチャクチャビビリだし、今ごろ入口でチビッて座り込んでんじゃね?」
 その可能性は十分にある。これまでの経験からいって、道中でシャドウに出会す可能性は低そうだ。もし遭遇するとすればおそらくあのテレビに映った城の中でだろう。あの怖がりで泣き虫な千枝のことだからして、奥へ行ってしまう前になにかとんでもない態をしたシャドウを見でもしてくれれば、
(まだ希望はある。挽回してこそ金を証明できるんだ、里中を回収して、天城も助ける!)
「クマ、あのトンネルを抜けてまっすぐだったっけ」
「そうクマけど、あのう」クマの声が沈んだ。「センセイ、クマ走るの遅いから、ひょっとしたらついて行けないかもしれんクマ……」
「うん、急ぐからたぶんムリだと思う。とりあえず先行してあの城まで行って、里中を探せれば探しておくから」
「わかったクマ」
「できるだけ急いで後から来て」なにはともあれまずは千枝の身柄の確保である。「陽介いくぞ」
「よっしゃ――あっ、ちょっ、痛いですコレ痛い! マジいてえ!」
 陽介は内股でぴょんぴょん跳ねるようにして走り出した。そのすぐ前を走る悠も似たり寄ったりのみっともない走り方だったが。
「なあ悠!」
「なに!」
「アレ、やっとこう、アレ!」
「アレって」
「おまじない、なんか景気いいヤツ! いてて……!」
「そんなこと言ってる場合かおまえ! あつつ……!」
「お願いしますハイ3、2、1、キュー!」
「ファクタ! ノーンウェルバ!」
「おし! で、なんて意味っ?」
「喋ってないで走れ!」






「悠、あれだ」
(ずいぶん大きいな)
 併走していた陽介が前方を示す。スタジオを出て五分も経たないうちに、ふたりは八十神高校の校舎ほどもあろうかという巨大なシルエットを見出した。
 近づくほどに細部が露わになって、それはほどなくマヨナカテレビで見た、例の城とも宮殿ともつかぬ洋風の建築物であると知れる。悠と陽介はその外郭の、煉瓦色の塀に辿りついたところでようやく走るのを止めた。ふたりからそれほど離れていない位置に、おそらくは外門と思しい塀の張り出しが見える。
「でけーな、マジで」陽介は塀に寄って呼吸を整えている。
「前のは商店街をまるまる一区画だぞ、こっちは小さいくらいだ」
 もっとも中身もちゃんとできているというなら、こちらのほうがずっと厄介であろう。それこそ高校の体育館みたいにがらんどうという可能性もないわけではないが。
「アレかな、入口」
「んん……陽介、ここからは」
「わかってる。シャドウに気をつけろ、だろ」
 悠と陽介は示し合わせたようにして、同時にポケットからタロットを抜き出した。
「むしろ気をつけろって、シャドウに言ってやるよ」陽介は不敵に笑っている。
「先方はおまえの優しい心遣いを忘れないだろうよ」悠は忍び歩きに外門へ近づいた。
(開いてる。里中が開けたのか?)
 外門に設えられた蒲鉾型の格子扉は、片方だけが開け放たれていた。中を覗き込んでみると、
「……なにか落ちてる」
 悠は門扉を潜って、床に落ちていた小さななにかを拾い上げた。騎乗した髪の長い女性のロゴと「GODIVA chocolatier」の文字――先に千枝の食べていたチョコレートの包装である。
「アイツ、わざと落としてったんかな」と、陽介。
「かもしれない」
 千枝があんな行動を取ったのはひとえに、自分が救出に赴くことを許されなかったからで、なにも悠と陽介に来てもらっては困るというわけではないのだ。この目印がわざと置かれたものなら、彼女はあるいはそれほど行かないところで、悠と陽介が自分を追いかけてくるのを待っているのかもしれない。
(……あそこだ、テレビに映ってた)
 外門を潜ってすぐのところは、両側を塀で挟まれた内庭のような空間になっている。今ほど通り過ぎた外門から城までのちょうど中ほどの位置に、浅い円形階段が掘り抜かれていて、真ん中から噴水が上がっているのが見える。その向こう、後肢で立ち上がった馬の像の立ち並ぶ先に、雪子の消えた城の内門はあった。マヨナカテレビを撮影したカメラ――もしそんなものがあるとすれば――は位置的に噴水を背にしていたと思しい。
「悠、気付いてっか?」
「なにに」
「あれ」と言って、陽介は黙って上を指さした。
「……イヤでも気付くよ」
 この城がうっすらと見え始めたくらいから、霧のかかるだけだった「天井」がにわかに変貌しているのに、悠は最前から気付いていた。例の偽八十稲羽商店街で見たような、赤い空の明滅するなかに黒い雲が浮いているという、不気味なものにである。
「里中ビビッただろうな。なんなんだこのキモい空は」陽介の口角が不快気に歪む。「なんか見てて不安になってくんだよな」
「これいじょう降らないなら文句なんかないよ」悠は濡れた袖を引っ張ってそう言った。「行くぞ、里中がこの先で待ってるかもしれない」
 ふたりはタロットを構えて警戒しつつ、白い甃で舗装された内庭をそろそろと進んだ。噴水を迂回して内門へ近づく。千枝の目印らしいものは見当たらない。
「おい悠」背後の陽介が声を上げた。
「なに」
「これ、ちっと見てみ」
 振り返ると、彼は馬の立像のひとつに手をかけてこちらを手招いている。
「これっつか、この馬ぜんぶ見て、どう思う」
「ぜんぶ同じだな」
 立像は道を挟んで五体ずつ並んでいたが、十体すべて同じ意匠である。
「なんか感じないか?」
「……なんだろう、なんか違うというか、拙いというか」
「チャチい」
「そうか、安っぽいんだ」
 言われてみれば確かに、馬はどれも一様にディティールに凝ったふうもない、どこかのホームセンターで売っているような安っぽい置物をそのままサイズアップしたみたいな、稚拙な投げやり感があった。まず間違いなく彫って造られたものではない。
 悠はふと思い立って、内庭の道に沿って聳える煉瓦塀に近づいてみた。ブロックの継ぎ目に目を凝らしてみると、
「……やっぱり」
 果たして、塀は煉瓦を積んで造られたものではなく、煉瓦色のなにかに等間隔の切れ目を入れただけの紛い物である。
「煉瓦も偽物だ。ひょっとしてほかも」
「つか、まずこの城がさ……まあ、それっぽいんだけど、わりとでかめの遊園地にあったりしねーか? こんなカンジのナントカ城っつか、ナントカの館みたいな。そういうのを単純にでかくしただけみたいなフンイキない? ここ」
 悠と陽介は少し道を戻って、改めて城のファサードを見上げてみた。
「……な? ぽいんだけど」
「……ぽすぎる?」
「そ、なんかさ、ぽすぎるんだよ、この城」
 城は確かに立派ではあった。が、あまりにも「西洋の城」のステレオタイプに忠実すぎる印象がある。「外国の古いお城」と言われて大抵のひとが即座に思い浮かべるような意匠、てっぺんの尖った小塔、三角旗、蒲鉾型の窓、上端のデコボコした狭間胸壁、壁龕に収まった騎士の像――こんなものが煉瓦色の建屋の周りに、あるバランスに則ってシンメトリックに配されているのだ。個々の造形がよくできているならまだいいものの、先の煉瓦や馬の例を待たずとも、よくよく見ればそれらは遠目にも安っぽい造りをしているのがわかる。
 なるほど陽介の言うとおり、規模を除けばこの城はまったく「遊園地」レベルの代物であった。遠くから見れば本物「ぽい」が、近づけばたちまち稚拙さを露呈する。
「命名、ポスギル城」陽介が呟いた。
「おれたちはポスギル城に挑むふたりの騎士?」
「逃げ出したサルを回収しにきた飼育員だろ?」
(もしくはヒョウをね)
「二時十五分、深夜勤務もいいところだ」悠は腕時計に目を落として言った。「とりあえず早くサルを捜そう、花村飼育員」
 ふたりは内庭を後にして「ポスギル城」の内門へ入った。中は短い隧道になっていて、奥にアーチ状の入口が開いているのが見える。頭上に吊り上げられた城門と落とし格子の下を潜りながら、陽介がこわごわ「悠、あの門、ペルソナでぶっ壊せっかな」と呟いた。両方ともほとんど全て引き上げられているのだが、一瞥して容易に破壊できそうもないことはわかる。城門は分厚い木材を鉄枠で補強した堅固きわまりないもので、落とし格子に到ってはまず間違いなく総鉄製である。もしアレが背後で落ちでもしたら……
「どうだろう。ふたりがかりなら――陽介」悠は陽介を制止して、アーチ状の入口の前で止まった。「おまえ明かり持ってる?」
 隧道の中もいいかげん薄暗いのだが、入口の中はほぼ闇であった。城内すべてがそうであるならライトは貴重である。
「ケータイのフラッシュがライトになる。アプリで」
 と言って、陽介は実際に携帯電話でライトを点けてみせた。さして強くもない光が石造りのアーチを照らし出す。
「あんま強くねーな。ライト持ってくりゃ――」
「陽介まて、そこ、上のところ」悠は陽介を遮って、入口の上の辺りを指で示した。「ここ照らして、もう一回」
 白いスポットがアーチの主梁に戻ってくる。そこには墨痕を模した漢字で「屋城天」とあるのが見て取れる。
「……アマギヤ」
「天城屋って、え、天城んちの旅館だよな」
(このポスギル城は天城に関係あるってことなのか?)
 そうといえば、山野アナのときも早紀のときも、明らかに彼女らに関係する場所がこの世界に現れていた。であれば今回もその例に漏れないのだろうが、
(なんで西洋の城なんだ? なんか純和風って印象だったけど、こういうのが好きなのか?)
 かといってそのディティールのいい加減さが、もうひとつ雪子の嗜好を説明してくれない。もし好きならもう少し凝った造形になりそうなものだ。もっともこのポスギル城のチープさが彼女の好みに合致するという可能性もないではないが。
「いま考えても仕方ない、行こう」
「おう――お前そういやライト持ってたな」
「うん、さっそく役に立ったけど」と言って、悠は腰に差していたハンディライトを抜いた。「陽介、そっちの明かりは点けるな。携帯は温存しといて」
「わかった。そーだよな……必ず照明があるわけじゃねーんだよな」
「入るぞ、タロット準備」
「俺はなるほうで、おまえは呼ぶほう」
「んん、今回はそれでいく」
 件の「鳴上流」は今のところ、それ単独ではとても自衛の手段になりそうもない。最低でもふたりのうちどちらかがあの強力無比な「花村流」を採らなければ。
(さあ、鬼が出るか蛇が出るか……)
 悠は陽介を背後に、「屋城天」を潜ってライトを点けた。途端、三人の絶叫が室内に響き渡る。
「びっ……びっくりした! びっくりした!」
「おま、ふっざ、てめ……!」
「さ、里中っ?」
 部屋に入って最初にライトが照らし出したのは、もしサルかヒョウでないなら、千枝であった。



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