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No.35651の一覧
[0] PERSONA4 THE TRANSLATION(ペルソナ4再構成)[些事風](2014/11/03 16:25)
[1] 序章 PERSONA FERREA[些事風](2014/11/03 16:25)
[2] 一章 REM TALEM MINIME COGITO[些事風](2012/10/27 23:54)
[3] 国を去り家を離れて白雲を見る[些事風](2012/10/27 23:57)
[4] マヨナカテレビって知ってる?[些事風](2012/10/28 00:00)
[5] ピエルナデボラシーボラ![些事風](2012/10/28 00:03)
[6] 出れそうなトコ、ない? ひょっとして[些事風](2012/10/28 00:07)
[8] 死体が載ってた……っぽい[些事風](2012/10/28 00:27)
[9] ペルソナなんぞない[些事風](2013/03/05 00:17)
[10] でも可能性あるだろ?[些事風](2012/10/28 00:34)
[11] バカにつける薬[些事風](2012/10/28 00:36)
[12] シャドウじゃなさそうクマ[些事風](2012/10/28 00:41)
[13] 吾、は、汝[些事風](2012/10/28 00:46)
[14] 俺はお前だ。ぜんぶ知ってる[些事風](2012/10/28 00:53)
[15] ノープランってわけだ[些事風](2012/10/28 00:56)
[16] 旅は始まっております[些事風](2012/10/28 01:05)
[19] 二章 NULLUS VALUS HABEO[些事風](2014/11/03 16:26)
[20] あたしも行く[些事風](2013/01/15 10:26)
[21] それ、ウソでしょ[些事風](2013/03/05 21:51)
[22] 映像倫理完っ全ムシ![些事風](2013/05/12 23:51)
[23] 命名、ポスギル城[些事風](2013/05/12 23:56)
[24] あたしは影か[些事風](2013/06/23 11:12)
[25] シャドウ里中だから、シャドナカ?[些事風](2013/07/24 00:02)
[26] 脱がしてみればはっきりすんだろ[些事風](2013/10/07 10:58)
[27] 鳴上くんて結構めんどくさいひと?[些事風](2013/10/14 17:36)
[28] セクハラクマー[些事風](2013/12/01 15:10)
[30] アギィーッ![些事風](2014/01/31 21:58)
[31] かかってこい、あたしが相手だ![些事風](2014/03/04 21:58)
[32] クソクラエ[些事風](2014/04/16 20:30)
[33] あなたは、わたしだね[些事風](2014/06/15 15:36)
[34] とくに言動が十八禁[些事風](2014/07/26 21:59)
[35] コードレスサイクロンユキコ[些事風](2014/09/13 19:52)
[36] 自称特別捜査隊カッコ笑い[些事風](2014/09/24 19:31)
[37] ッス[些事風](2014/11/03 16:29)
[38] oneirus_0d01[些事風](2014/12/14 18:47)
[39] 三章 QUID EST VIRILITAS?[些事風](2015/03/01 16:16)
[40] ええお控えなすって[些事風](2015/05/17 00:33)
[41] キュアムーミンだっけ[些事風](2015/10/18 13:01)
[42] おれ、弱くなった[些事風](2015/11/20 10:00)
[43] 中東かっ[些事風](2016/03/02 00:50)
[44] バカおやじだよ俺ァ[些事風](2016/05/15 16:02)
[45] ここがしもねた?[些事風](2016/08/16 15:11)
[46] 腕時計でしょうね[些事風](2016/11/15 13:03)
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[35651] 二章 NULLUS VALUS HABEO
Name: 些事風◆fe49d9ec ID:32a17845 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/11/03 16:26

 悠はぎょっとして脇に飛び退った。危うく横合いを自転車が追い抜いていったのだ。
(殺す気か陽介……!)
 彼を轢きかけた黄色いマウンテンバイクは、通学路を行く他の八校生の間をすいすい走った後、いまほどの犯行を誇るかのようにゆっくり戻ってきた。無論、わざとであろう。
「よっ、おはよーさん」
「おはよう」悠はにこりともせず挨拶した。「確かにちょっと早いよな、この世からさよならするには」
「油断してるほうが悪いの。二回じゃ済まねーって言ったろ」
 陽介は自転車を降りて、悠の横に並んで歩き始めた。
「昨日の夜中の、見たろ?」
「んん、見た」
 そのせいでいろいろあって昨夜はなかなか寝付けず、加えて妙な夢まで見たものだから、目下悠は深刻な寝不足状態にあった。家を出てからというもの、足元はさながら雲を踏むようである。
「誰だかいまいちわかんなかったけど、アレに映った以上、放っておけない」
「陽介、あれ、ほんとうに心当たりないか? ひょっとしたらこいつかもしれない、とか」
「いや、ない。俺も夜ずっと考えてたんだけど」陽介が八の字を寄せる。「しかもあれ、途中からなんかブワッて、変なふうにならなかった?」
「なった」
  悠にはそれが傘を差したように見えたのだったが、陽介に同様の感想を抱いたふうはない。
「ま、ここで腕組んでても仕方ない。とにかく放課後、様子見にいこうぜ。クマからなんか聞けるかも知れんし」
「んん……」
  放課後――悩ましいところだ。
 マヨナカテレビに映った時点で、被害者がすでにテレビの中に入れられてしまっているのなら、むろん放課後まで待ってなどいられない。零時から現在までの時間を生き残っているかさえわからないのだ、学校をサボってでも直ちに救出に向かわなければなるまい。いや、そんな状態の人間を放置したまま夜を明かすこと自体、そもそもの目的から外れる行為だ。救助に赴くのならそれが必要とわかった時点で速やかになされなければならない。
 一方で、悠には気になることがあった。
 早紀の場合、二度マヨナカテレビに映っているのだ。一度目ははっきり断定できていたわけではないが、千枝の挙げた特徴が早希のそれと似通っていること、陽介も早希ではないかと疑う程度の情報を引き出せたこと、そしてなにより、山野アナ以降の犠牲者が早紀ひとりであることから、ほぼ間違いはないだろう。とすれば、早希はテレビに入れられてから二度目の映るまで、一日以上の時間を生き延びているということになる。そしてもしシャドウがクマの言うような危険な存在であるなら、彼女は二日目の零時前後に襲われるまで一度もそれに遭遇していないという逆説が成り立つ。
(おれたち三人もあの世界を彷徨っている間、一匹のシャドウにも出会さなかった。向こうのコニシ酒店にいたやつはともかくとして、あの偽八十稲羽商店街へ行くときも、帰りもそうだ。もちろん、それほど長時間だったわけじゃないけど)
 クマはこう言っていた。シャドウは霧が晴れていると暴れる。そしてシャドウがいきなり人間の許に現れる、つまり人間からシャドウが出てくるという現象は、霧が晴れているときに起こりやすいと。
 その霧がいつ晴れるものかわからない、というのは確かにある。しかし選りに選って今晩ということもないのではないか? であれば、わざわざ非常の時刻に疲れた身体を引き摺って出向くこともないのでは……
 悠に夜中ジュネスに忍び込むのを躊躇わせたのは、ひとえにこれらの情報が彼に許した希望的観測――それと疲労に伴う怠惰――にあった。
「放課後なんかあんの?」
「……え?」
「いや、放課後。行けるだろ?」
「んん」
 もっとも、悠は昨晩行動を起こさずに床を取ってしまったことをとうに後悔していた。こうと決めるだけ決めて目を瞑ったまではよかったが、さて静かになってみればどうしても、この決断の妥当性についてあれこれ考え始めてしまうのである。
 結局、彼はゆうべ布団の中で一晩中、雪子かもしれない被害者の失われるかもしれない命と、早希や自分たちの例がもたらした可能性――加えて、深夜の不法侵入の廉で遼太郎に殴り殺されるかもしれないリスクも――とを秤にかけて悶絶せんばかり、朝方まで寝付けずに輾転反則していたのだった。多少危険でも仕切り直して万全の状態で、だなどと自分に言い訳しておいて、あげくにこの不調を招いているのだから、
(始末に負えないよな……今日が勝負の日になるかもしれないのに……)
「また誰か放り込まれたんだとしたら、やっぱマジで犯人、いるんだよな……」
「んん」
(それにしても、眠い、疲れも取れてない、絶不調だ。これじゃいますぐジュネスに行ったところで……)悠はひっそりと失望のため息を吐いた。自分への、である。(バカなことしてるよな、ゆうべ動かなかったのはなんのためだったんだ? 最悪だ。最悪ってわかってて選んでるんだからもうどうしようもない)
「被害者が死ぬ直接の原因は、あの世界のせいかも知れないけどさ」悠の生返事も陽介は意に介さない。「あの世界を凶器として使ってる奴がいるなら、許せないよな……」
(とにかく、うじうじ悩んでいても仕方ない、後悔はそれしかできなくなったときにでもじっくりやればいい。いまはできることを探そう。潰せるところから順繰りに潰していこう、選択肢を絞らなければ。まずは天城の安否を確認。連絡先はたぶん里中が知ってる)とはいえ、この段階ですでに早希の例が生きなくなる可能性もあるが。(なにもタイムリミットまで小西先輩と同じとは限らない。ゆっくり急げってやつだ、可能性と有効性を慎重に計りにかけて……放課後で間に合うのか……昼休みにひとっ走りしようか……あ、きょう土曜だっけ……)
「だからさ、ぜったい俺たちで犯人みつけよーぜ!」
「……え?」
「いや、犯人。捕まえるだろ?」
「んん」
「……お前、話きいてる?」
「放課後だろ、行けるよ、行ける……」
 悠はあくびを噛み殺した。
「眠いの?  お前」
「んん」
「なに、夜更かし?」
「……え?」
「…………」
「保留だよ、保留、犯人逮捕なんて……」
「……悠こっち。そっち行くと中学だから」陽介はそう言って、よたよたと道を逸れて行く悠の袖を引っ張った。「ちなみにさ、昨日うちのテレビでさ、ちょっと試してみたんだけど」
「んん」
「あたま突っ込めたんだよ。お前みたいに」
「……え?」
「で、夜更かししたんだろ、見りゃわかるよ」
「バカなに言ってる!」眠気など一瞬で吹っ飛んでしまった。「突っ込めたって、テレビの中にかっ?」
  陽介はぎょっとして「な、なに、なんか悪かった?」と窺うように言った。
「入れたのか、テレビに」
「入れたけど……そんな驚くことか?」
(いや! ふつうに考えうることなんだ、あのタロットがおれのものと同じであるなら……)
 もしそうなら、あの世界に関連する条件について、陽介はもはや悠と変わるところはないということになる。
(これは傍証になる。たぶん、陽介はペルソナを使える――でも)
 彼が単独でテレビに入れるようになった、というのは、じっさい厄介な事態だった。これで彼の行動――ときに直情的かつ思慮に欠ける――を制限することができなくなってしまったのだ。
(極論すればこれで、おれがどんな態度に出ようと、陽介は思いのままに動けるようになったってことになる)彼は悠にタックルを食らわせる以外の手段を手に入れてしまった。(いくらおれが犯人逮捕や人命救助について慎重論をぶち上げたところで、陽介はこうすべきだと思ったことは是が非でも実行しようとするだろう、たとえひとりでも。少なくとも、そうできるということを自覚するだろう)
 これはある意味で陽介の安全を質に取られたようなものだった。悠が犯人逮捕に消極的であるかぎり、彼の単独行動を取る危険が常に付きまとうのである。
(くそっ、なるほどね、よくできてる。どうでもあの契約ってやつを遂行しなきゃならないって言うんだな)
 遠くイゴールの含み笑う声を聞いたような気のするのは、果たして寝不足のせいだろうか。
「これってやっぱり、あの力を手に入れたからなんかな」平静を装ってこそいるものの、陽介は喜びを隠し切れていない。「あの、ペルソナだっけ」
「だろうな」
「あれってもしかすると、事件を解決するためにさ、俺たちが授かったもんかもしれないよな」
 そもそもの出所は凝り性で飽きっぽい管理栄養士のおばさんなのだが。
「……あれは誰かから授かったなんて性質のものじゃないと思う」
「へえ、なんか心当たりとか?」
「口頭じゃ説明しにくい。しにくいけど、いちど喚んでみればたぶんわかる、と思う」
「するだけしてみてくれよ、理解すっから」
「…………」
 悠は坂の手前で立ち止まって、八高の門碑に枝垂れかかる染井吉野をぼんやり眺めたあと、陽介を振り返らないまま「朝、起きるだろ」と呟いた。
「……え、朝?」
「起きるだろ」
「起きる、けど」
「めざましのアラームを止めるよな」
「あ、俺いっつも携帯だから……いや、うん、止める」
「止めたあとさ、こういうふうに……思うかな」悠はあくび混じりに振り返った。「もの凄く便利でかつてない素晴らしい力を秘めているこの腕は、おれを責め苛む忌まわしいめざましの息の根を止めるために、畏くも父母がわが助けになれよかしと授け下したものなのだ……って」
 陽介はしばらく「なに言ってんだコイツ」とばかりに眉根を寄せていた。
「思わないだろ」
「……まあ、思わねーよな、フツー」
「そんな感じ」
「…………」
「だから言ったんだ。説明しにくいって」
 仮にうまく言葉にできたとしたら、陽介はおそらくよりいっそう困惑するだろう。こればかりは体験するに如くはなさそうだ。
(そうとも、言葉で理解できるはずはないんだ)悠はよたよたと坂を上がり始めた。(理解できるわけない。いまだかつて認識したことのなかったまったく新しいものが、どこまでも異質で、自己に所属するなんて思いも寄らないものが、自分の腕なんか比較にならないほど、当たり前すぎるほど馴染んでいて、ほかのなによりも自分的で、そうあることを意識しようとするのも難しいほど自然で、そうでない可能性を考えてみることすら馬鹿げてると思えるような……このどうしようもない二律背反!)
  それは実際、こうとしか言いようのないものなのだ。すなわち――あれはわたしである、と。
「ま、よくわかんねーけど、要はアレだろ」陽介が悠の横に並ぶ。「習うより慣れろってやつ? 放課後さっそく頼むわ、センセイ」
(ああ、放課後……どうする……このまま行くか……いや、この時間ジュネス開いてないか……)
「けど、テレビに入るのも、ペルソナも、お前が最初にやってのけたんだよな……」陽介はにわかに神妙になった。「まさかとは思うけどさ、お前って、もともとああいうことできたりしたのか?」
「……できてたらたぶん、隠してたと思う、こういう事件が起きても。間違ってもおまえや里中に見せたりはしなかっただろうな」悠は肩を竦めた。「もちろんできなかったよ。気持ちの上ではたぶん、いまのおまえと同じ」
「と、言いますと?」
「感謝三割、不安三割、迷惑四割……ってとこ?」
「……率直な話、迷惑って思ってんの?  お前」
「感謝もしてる、またとない体験だし」
「ふーん……」
 校門を過ぎた辺りで、悠に少し待つように言い置くと、陽介は思案顔を下げて自転車を停めに行った。いかにも含みありげな様子だが、かといって屈託を抱えているようにも見えない。
(わざわざ聞いたからには、迷惑だとは思ってないんだな、あいつ)
 ほどなく戻ってきた彼の面には、おそらく今ほど駐輪場まで持って行ったのであろう案件を、口に出そうか出すまいかと迷う躊躇のような色が見て取れる。
 陽介は小走りに駆け戻って来て、周りにひとのいないことを確認したあと、気後れがちに「あのさ」と切り出した。
「なに」
「さっきお前、なんか迷惑とか言ってたろ?  ペルソナ」
「感謝してるとも言ったよ」
「まあ、それはいいんだけど。迷惑っつーか、さ」
「え?」
「いやその、俺はさ、こう、なんてーの?  お前笑うかもしれんけど」陽介は煮え切らない様子でもじもじしている。「へへ、改まって言うのもなんかハズいんだけどさ……」
「実はあなたが好きでしたって?」
「バカ違う。そーいうんじゃなくて、あのさ、マジな話、選ばれた……って、思わないか?  お前」
「選ばれたって」
「ペルソナにっつか、ペルソナ使いにっつか……さ。俺のことイロイロ見たお前にだからぶっちゃけるんだけど、これって実際、スゲーことじゃん?」
 正直なヤツだ――悠は好意半分、呆れ半分のため息をついた。
「いいぜバカにしてくれたって。でもこれって、俺たちが特別なんだっていう証拠にならないか?」
「……ここは肯定するだけ肯定して、おまえのモチベーションの維持に貢献したほうがいいのかな」
「ちぇ、いいよ笑ってろよ。言うんじゃなかった」陽介はたちまち拗ねた。
「特別な事件に関与できる特権を手に入れた、とは思ってるよ」夢の中でブロンド美女に無理矢理押し付けられたものだが。「おれたちにとって特別なことと、おれたちが特別なこととは、同じようで違うんじゃないかな」
 人間だれしも自分だけは特別であると思い込みがち――顧みて悠は特にそういう傾向が強いのだった――であるが、いくらなんでもこの数奇すぎる運命を、従容と自己の特殊性とやらに帰結させて恬としていられるほど、彼は寝ぼけてはいないつもりだった。
「運命の神に見初められたっていうより、犬の糞を踏んだって感じ?」
「やる気の出るお言葉ですこと……」
「だろ。ひとを励ますのってけっこう得意なんだ」
「よく言うよ……ま、お前はそれでいいんだよな、きっとさ」陽介は苦笑した。「なんかお前ってブレーキって感じだし」
「陽介はブレーキパッドかな」
「磨り減んの俺かよ! つかアクセルなきゃ前に進まねーだろ!」悠を促して、陽介はふたたび歩き始めた。「俺はァ、アクセルとクラッチですよ」
「で、おれはブレーキ?」
「プラス、ハンドルかな――里中もう来てっかな」
 正面玄関に入るとすぐ、陽介は千枝を捜して左見右見し始めた。といって、おのがじし下駄箱に群がる八高生のなかに、折よく彼女の姿が見えるはずもない。
「なにか用事?」
「いや、用事っつか――あ」
 なにか思いついたようで、彼は靴を履き替えがてら、下駄箱の一画を無遠慮に開けて中を覗き込んだ。千枝の使っているところと思しく、近くにいた女子が胡乱げにその様子を眺めている。
「まだ来てないな」
「ひょっとして昨日の件?」
「ひょっとしなくたってそうだよ。悪いことしちまったし」
「……謝る?」
「謝っとこうぜ、なんか泣いてたしさ」
「またなにか奢ろうかな、ハンバーグとか」
「やめて! ぜったい俺も同じだけ要求されっから! 今月マジでやばいんです!」陽介は青くなった。「あいつのDVD代確保するだけでもう破産寸前なんだよ……!」
「あ、買って返すつもりだったのか。里中は売ってないなんて言ってたけど」
「あー、あいつは沖奈の店くらいしか知らんから。ネットで探せばたいていのもんは見つかるぜ、金あればだけど」
「へえ……」
「とにかくだ、なんでも金で解決しようなんてゲスいよ鳴上くん。男は黙ってアタマを下げるのみ」
「ものは言いようだ」
「われに秘策ありってな。これから段取り教えっからさ」陽介は自信ありげにしている。「何を隠そう謝ることにかけちゃあ、ちょっとしたもんなんですよ、俺は」
「こないだ股間おさえて呻いてた人間が言うと重みがあるな」
「これはTPOを選ぶんだよ、ここぞってときにしか使えない奥義なの」
「奥義ねえ……」
 こうして陽介の遠大なる構想のもと、悠は正面玄関から二年二組教室まで上がる途上、彼のかつて試みて許されなかったことのないという「オムニディレクショナル土下座」の方法と注意点――指を骨折したり膝の皿を割ったりする危険を伴うらしい――について重々しい講義を受けたのだった。果たしてこの必殺技みたいな謝罪を千枝が嘉納するかどうか……
(いいさ、こういうのも一興だ)悠はあえて陽介流を採るつもりだった。(なまじ言葉を尽くすより、こういうなりふり構わないやりかたのほうが、里中には通じやすいかもしれない。ちょっとバカっぽいけど、こいつに付き合ってみよう)
 鳴上ならこんなことはしなかっただろう、しかし悠はするのだ――普段の自分なら絶対にしなかったであろうことを、今やさして抵抗もなく肯定することができるというのは、意識してみるとなかなか気分のいいものであった。鳴上にとって自身の価値を減磨しかねないとも思われた「他人の影響を受ける」という事態を、彫琢の一環として易々と受け容れてしまえるこの悠の優越!
 いまの自分を遼太郎が見たらなんと言うだろう? いまこそ彼は安心して悠を十七歳認定するに違いない。鳴上はそれを喜ぶまい、しかし悠はそれを歓迎するだろう。





 教室の引き戸が開いて千枝が姿を現すや、背後で卒然と椅子を蹴る音が響いた。
「悠、リハ通りに」一緒に立ち上がって定位置に付いた悠に、陽介が低く耳打ちした。「飛びすぎて里中に衝突したら元も子もねーからな」
 もっとも気をつけるべきはまさしくそれである。いかにこころ優しい千枝とはいえ、朝の挨拶もそこそこに回転しながら体当たりを敢行する男子ふたりを、懺悔の表れと笑って許してくれるほどの大慈悲など持ち合わせまい。
 彼女は教室に入って来たときからすでに、悠たちふたりを含みありげに見詰めていた。もとより謝罪を求める腹づもりか、顧みて制裁が足りなかったと思い直したか、どうやら向こうのほうでも用事があるらしい。
「来た、よし悠、行け!」陽介が口上を急かす。「止めねーと距離が……!」
「ええと、さとな――」
「雪子、来てない?」
 小走りに駆け寄って来るなり、千枝は急き込んで悠を遮った。短く突っ慳貪な言葉に焦慮が滲む。
 悠は凍り付いた。
「……天城が、なに?」
「雪子、きょう見てない?  学校きてない?」
「いや、まだ見てないけど」困惑げに陽介が言った。「おい悠、段取り……」
「悪い陽介、オムニなんとかは中止」
 今ほど土下座だなんだと騒いでいたのが遠い昔のようだ――悠は悄然と席についた。先に棚上げしていた疲労がどっと肩に伸し掛かってくる。これから千枝がどんなことを口に上すか容易に想像できてしまうのだ。言ってみれば彼女はある意味で、悠の負債を請求しに来たようなものだった。ハンバーグや土下座などでとうてい贖うべくもない、巨大な負債を。
(さあ、ツケが廻って来たぞ。昨夜おまえが怠けて動かなかったツケが!)悠は唇を噛んで俯いた。(あとはもう小西先輩の例を信じるしかない、天城はまだ生きてるとして、一刻も早くあの世界へ行かなければ)
「……鳴上くん?」
「天城は見てない、おれも」
「なに、天城がどうかしたのか」
「ねえ、あれって」千枝は答えずに、声を低く落として続けた。「やっぱホントなの? マヨナカテレビに映ったひとは、向こう側と関係してるってやつ」
 陽介が口を開きかけて、思い直したように悠を見下ろした。話していいものか判断に迷っているのだろう。
「里中おちついて。天城がどうかしたの?」
 悠は軽く往なして話を続けさせることにした。どのみちここで昨日の出来事をつらつら語ってみたところで、千枝が膝を揃えておとなしく聞いているとも思えない。
(それに、里中には知らせないほうがいい情報もある。一度あの世界に入っているとはいっても、ペルソナを持たない里中はこれ以上、あの世界について識るべきじゃない)
「……きのう映ってたの、雪子だと思う」
「マヨナカテレビか?」思いも寄らなかったらしく、陽介は素直に驚いている。「あれが天城……悠?」
「……マヨナカテレビに映ったとき、天城、和服着てた?」
「着てた! 旅館でよく着てたやつ。ピンク色で、花が染め付けてあって、きのうテレビに出てたときも着てた……」
「テレビ?」陽介が首を傾げた。
「NHKのナントカって旅番組、きのう八時からやってたやつ。こないだ撮影来てて――そんなのはどうでもいい!」千枝は苛立たしげに打ち切った。「鳴上くんも見たの? マヨナカテレビで」
「え、マジなの?  つかお前どうして――」
「陽介ちょっと」陽介を遮って、「それと、傘を差したようにも見えたんだけど」
「消えるちょっと前にブワッてなったやつでしょ、あたしもそう思った。だから」
「……ひょっとしたら天城かもしれない、とは思ってたんだ」心外そうしている陽介に弁解して、「ちょうど昨日、帰りがけに天城に会ったんだ。そのとき和服着て、和傘もってたのが印象に残ってて」
「マジかよ……」
「それ見たあと心配になって、メールしたんだけど、返事こなくて、でも番組みたあと九時ごろ電話したときは普通にいて……きょう学校来るって言ってて……言ってたのに」
 話すほどに当初の勢いは失われて、千枝はしまいにしゃがみ込んで「どうしよう」と洟を啜り始めた。近くに座っているクラスメイトの幾人かが、その様子をきな臭そうに眺めている。なんとはなし悠と陽介が泣かせたような構図ができあがってしまっている。
「さ、里中、なあ、とりあえず泣き止んでくれよ、なんか周りの視線が痛えんだけど」
「ねえ、ウソだよね、雪子、向こう側に……入れられたりなんか」
 悠は黙って席を立った。立ち眩みがする。痺れるような倦怠感が頭中に湧き起こって、それが延髄を下ってじわじわと全身に拡がっていくかのよう。
(こんなのは利子の一部に過ぎない!)悠は歯を食いしばった。(おまえはもっとマシな時に動けたんだ。それをみすみす見送ったからには、この程度の体調不良なんて言い訳にならない)
 無論、学校はサボるつもりである。今日の授業を捨てて絶不調を押してでも、いま動かなければ挽回は叶わないだろう。もしまだ間に合うのなら、だが。
「悠?」
「ジュネス行くぞ」
「……ひょっとして向こう行くつもりじゃ」
「ひょっとしなくたってそうだ」
「ちょ、待てって、落ち着けって」
「雪子、やっぱり、向こういるの……?」
「いやまだわかんねーだろ――おい悠、悠!」構わずに行こうとする悠の肩を、陽介が荒っぽく引き止める。「待てってば。まず確認を」
「待てもなにも、おまえも行くんだぞ」悠は陽介の肩を掴み返して、低い声で呟いた。「なんでもするって言ったのは嘘じゃないよな」
「嘘じゃねーし、するけど、やることやってからだろ」と言って、陽介はふと訝しげな色を見せた。「……そういやなんかお前、顔色悪くねーか」
「生まれつきだよ。文句は両親にどうぞ」
「じゃ電話番号教えてくれ。それとちっと時間くれ、十分でいい」悠の返事を待たずに千枝を振り返って、「里中、天城に電話は?」
「うち出る前、雪子んちと携帯に、一回ずつかけたけど、ダメだった」
「……とりあえず今、もう一度かけてみろ」
「でも」
「出っかもしれんだろ、とにかく確認。出ればよし、出なけりゃ……そんときゃ俺と悠でなんとかすっから」
「陽介、時間が――」
「らしくねーな。焦んのは俺とか里中だろ、いつもなら」悠を窘めるためだろう、陽介はことさら陽気に笑っている。「あ、訂正、十中八くらいで里中だわ」
「うっさい」
 ようやく少し冷静を取り戻したか、ジャージの袖で涙を拭って、千枝は気まずげに立ち上がった。
「……雪子、ほんとうに、向こうに入れられたの?」
「わからん。可能性はあっけど、もしそうなってもまだ打つ手はあるんだ、マジで」千枝を安心させるためか、ただの見栄か、陽介の言葉には自信が透いて見える。「だから、とりあえずかけるだけかけてみてくれよ、電話。悠もそんくらい待てるだろ」
「待つのはおれじゃない。天城なんだ」
「天城越え狙ってんなら、ちっと待たせて焦らすのも手かもな」
「こんなときによく冗談が出てくるな」
「そのセリフ、ノシだったっけ? つけて返すぜ。――里中」
「……わかった、してみる、電話」
 出鼻を挫かれた悠は仕方なく、疲労の命ずるままふたたび席についた。そうして携帯を耳に当てて、なにか巨額の懸賞の通知を待つかのように緊張を漲らせる千枝を、じりじりしながら眺めていた。無駄なことを、きみは抽選に漏れたのだ! 雪子がすでに向こうの世界に入れられてしまっているのは明白なのだ。すでにツーアウトの身の上、一刻も早く行動しなければならないというのに、ましてこの無益に費やされる時間を、千枝が望みを絶たれて苦しむ姿を観察するのに使わされるなど業腹この上なかった。
「やっぱりダメ、留守電になる……」ほんのいっとき持ち直した彼女の貌も、たちまち翳ってしまう。「出ないよ……雪子……」
「……里中、いま出ないって言った?」
 微かな希望が胸を突き上げる。
「うん」
「じゃあ、繋がることは繋がったってこと? コール音があったってこと?」
「う、うん……でも出ないよ」
 悠の思考に追いついたらしい、陽介がなにか思い当たったように目を見開いて、無言で同意を求めて来た。
「なに、どうしたの?」
「……里中、最初に向こう行ったとき、悠に言われて携帯通じるか試したの、覚えてるか?」
「え、ああっ!」途端に千枝の貌が希望に明るんだ。「そーだよ! 向こう入ってるなら繋がんないんじゃん!」
「里中声でかいって……!」
「あ、ごめんごめん」
「……天城が携帯を置いて行ったか、入れられる前に奪われるかした可能性のほうが大きいと思う」
 明るみ始めた千枝の貌も、この悠の無慈悲な解釈によってまたもや翳ってしまった。
「おま……上げて落とすとか鬼畜すぎんだろ……」
「そろそろHRだ、諸岡先生が来る前に行くぞ」
「……もうそれしかねーか」と言って、陽介はひとつため息をついた。ようやくその気になったようだ。「くっそ、結局ぶっつけ本番かよ。仕方ねえ、こうなりゃセンセイ、あとは――」
「待って」
 にわかに千枝が手を上げて、陽介の口の辺りを覆うような形を作った。「黙れ」の合図である。そのままなにかに急き立てられるように、空いているほうの手で忙しく携帯を操作し始める。
「えーと、里中さん?」
「そうだよ……そうだ、置いてってるんだ……!」
「里中、なにか心当たりでも?」
 悠の呼びかけにも応えず、千枝は黙って携帯を耳に押し当てた。先のように小柄な身体を緊張に強張らせて、不安と期待のあわいを揺れ動く、曰く言いがたい面持ちで。彼女の顔の皮一枚下で、希望と絶望とが鎬を削るのが目に見えるようである。
「雪子……お願い……!」
「あのう里中さん、どちらにかけておいでで……」陽介が控えめに訊いた。
「本館、天城屋旅館の――あっ、あの、さっ里中ですけど」千枝の声が一オクターブ高くなった。「えと雪子は、雪子さんは……」
「本館?」
「天城……仕事中ってこと?」
「こんな朝早くに、学校やすんで仕事?」
「……ねーな。こないだの事件のときならまだしも」
「里中はこのまま置いて行こう、とにかく――」
「あ、雪子っ?」
 千枝の華やいだ声が上がる。彼女は歓喜し、陽介は瞠目し、しこうして悠は驚愕した。
「里中、天城が出たの?」
 千枝はなおも携帯に話しかけながら、いい加減にウンウンと頷いて見せた。
(そんな……じゃあ、あれはまったくの 別人だったっていうのか?)
 悠の読みが外れた、というだけならわかるが、幼馴染の千枝もまたかなりの確信を持って断じたのだ。まして彼女の場合、判断力の面だけではない、悠には見えなかった着物の色や柄まで当てているからには、精度においても彼の見た映像とは比べものにならなかったはずである。その千枝を欺きうるほど雪子に似た特徴を備えた人間が、選りにも選ってテレビに入れられたとでもいうのだろうか。
 千枝はもっぱら親友の無事を喜ぶのに忙しく、悠と同様の疑問を温めているふうはない。
「よかったー、いたよォ……え? ううん、なんでもないっす、こっちの話」
「あははマジでいたし……ま、よかったじゃん? 慌てて飛び出さんでさ」陽介は得意気にしている。「ブレーキ役がアクセル踏んでもうまく行きっこねーよな、やっぱさ」
「里中ちょっと」
 と、形ばかり断って、悠は会話中の千枝の携帯をひょいと取り上げた。
「ちょ、なに、なにすんの」
「天城?」
『……え、誰? 千枝は?』
 雪子は少しく沈黙したあと、不信げにそう誰何した。携帯を通して聞く彼女の声は低く、無愛想である。いきなり電話の相手が変わったのだから無理もないが、警戒されているようだ。
「あ、おれ、鳴上。昨日はどうも」
『鳴上くんっ?』雪子の声が一オクターブ高くなった。そうとう驚いているらしい。『どう、したの? いま学校?』
「ああ、うん、学校で、もうすぐHR」千枝が携帯を取り返そうと掴みかかって来るのを往なしながら、「驚かせてごめん、ちょっと里中に替わってもらってるんだけど」
「替わってない、ちょっと返してって!」
『……いまの、千枝?』雪子は含み笑っている。『替わってないって聞こえたけど』
「ノイズかな、ちょっと電波悪いみたいだ。里中にはちゃんと了解をもらってるから、五分につきヨコヅナハンバーグひと皿の約束で」
 千枝はたちまち神妙になったが、じき強欲に堕して無言のまま二本指を突き出してきた。
『千枝の携帯って高いんだ』雪子はおかしげに笑っている。『それで、わたしになにか……?』
「え? ええと、天城、今日は仕事?」悠は頭を振って一本指を突きつけた。「学校は……来られない?」
 とっさに千枝の携帯を奪ったまではよかったものの、悠にも雪子の安否確認以上のことをするつもりはなかったので、用事を聞かれて彼はしどろもどろになった。
『んん……ちょっと急な団体さん入っちゃって、土日は付きっ切りかな』近くにいる誰かを憚ってか、ふいに雪子の声が小さくなった。『ほんとうに、こっちの身にもなって欲しいよ』
「……大変なんだ、なんて言うとおざなりに聞こえるかもしれないけど、いまほんとうにそう思ってる、おれ」悠は昨日のことを思い出していた。「バイトもしたことない身からすると、天城って超人だ」
 なおも二本指を主張する千枝の横で、陽介がそっと人差し指を上げた。悠は黙って親指を下に向けた。
『大げさだよ。好きでやってるわけじゃないし、仕方なくだもん』
 と言ったあと、誰かに呼ばれたらしく、雪子はいったん受話器から離れて「はーい!」と返事をした。忙しい最中に抜け出して電話を取っているものと思しい。
『ごめんなさい、もう戻らないと……』
「いやこっちこそ、ごめん。それで、最後にひとつだけ」
『なに?』
「あの……最近、身の回りで変なこととか、起きてない? 不審者を見かけたとか」
 もう少しピントの合った警告をしたいのだが、一連の事件と向こうの世界の関係を知らない雪子には、ほかにどう言ってみようもない。
(天城がこうして無事な以上、マヨナカテレビに映ったのは別人なんだろう、おそらく。それでも)
 悠にはもうひとつ納得がいかない。そもそもは雪子に抱いている「薄幸美人」的な印象に起因するのだろうが、悠は雪子が不幸な目に遭うに違いないという、予感と期待とが相半ばするような、奇妙な感覚をどうしても捨てきれないのだった。それが根拠のあるなしに拘らず注意を発したがるのである。
 携帯のスピーカーから雪子の忍び笑う声が聞こえてくる。
「天城?」
『見かけた……見かけたよ、不審者』雪子は吹き出した。『きのう公園で! わたしの帯が欲しいって言っててね……傘で追い払ったんだけど……!』
「……危ないなあ、そういう手合いはしつこいから、まだどこかで機会を窺ってるかもしれない」妙に静かになった千枝と陽介を不信げに見ながら、「いっそあげてしまうっていうのはどう? 目的を果たせばそいつだって静かになると思うよ」
『帯だけで満足するかな』
「あ、それは絶対にないな。おれはよくわからないけど」
『じゃあ、鳴上くんの叔父さんに相談することにする。警官なんだよね』
「ふと思ったんだけど、その不審者はほんの出来心だったんじゃないかな。まず再犯の危険はないね。おれはよくわからないけど」
『そう? いちおう念には念を――』
 と、言いかけて、雪子はふいに切羽詰まった甲高い声で「すみません、いま行きます!」と叫んだ。また誰かに呼ばれたか、なにか催促されたものか。
「ごめん天城! 悪い、ええと、おれが引き留めたって言って!」
『ううん! いいよ、こっちこそごめん。じゃああの、また学校で』
「天城、気をつけて」
『……不審者にね』
 笑い含みの声を最後に、電話は切れた。
(最後のは真面目に受け取ってもらえなかったな)
「あっ、切っちゃったの?」千枝はさっそく膨れた。「まだあたし話してたのに!」
「ごめん……向こうのほうで切られてさ」携帯を返しながら、「天城、忙しいみたいだ。明日くらいまで仕事らしい」
「あ……そっか」千枝の貌が曇った。「ま、無事が確認できただけでもいーか……」
「つか、家の商売の都合で学校休まされるとか、ブラック過ぎねーか天城んち」わが身に準えたか、陽介は大いに憤慨し始めた。「まるでドレイだろ。これで天城が出席日数とか足りなくなったら、ちっと俺マジで抗議すっかも」
「んん、でも、年に一回くらいだよ、こーいうの」
「年に一回でもありえねーって。学業優先だろフツー」
「抗議するときは声かけて。付き合うよ」悠は大義そうに席についた。「そうか……天城じゃなかったか」
「……なんか残念そうだな、お前」なにか思い当たったのか、陽介はニヤニヤ笑い出した。「ひょっとして天城に入ってて欲しかったとか? カッコよく助け出すために」
「ある意味、ね……」
「やめてよマジで……あー寿命ちぢんだよもー……」
 ――ほどなく予鈴が鳴って、諸岡教諭が教室へ入って来た。HRが始まった。彼の来る前に様子を見に行こうと悠の言っていたのを、どうやら陽介は忘れてしまっているようだった。
(ある意味ね、陽介)悠は疲れた頭を振って、新たに湧き上がってきた問題を考えていた。(そうだ、ある意味において、遭難していたのは天城であったほうがよかった……そうすれば今ごろは汗だくになって、ジュネスの家電売場へ走っていただろう。そうするだけの気力を簡単に捻出できただろう)
 見も知らぬ他人のために自分の時間を捧げ、命の危険を冒すという行為の、どれほど難しく強い克己を必要とすることか! 悠は悩んでいた。雪子の危機にはあれほど過敏に、速やかな行動を急かした彼の精神が、その対象が未知の人間になったとたん鈍麻してしまった。著しくやる気が減退してしまったのである。
 これは一見地味な、しかし厄介な障害だった。ついこのあいだ転校してきたばかりの悠に、当然ながら知人は少ない。もし今後被害者が出て来るとして、それが彼の顔見知りである可能性はかなり低いだろう。であれば、彼は「それ」をできるかできないか、の前に、まず行動に繋げるための動機を練り上げる作業から始めなければならないのだ。無辜の人命が失われようとしている――こんなト書きひとつでは、悠の横着な精神はいまひとつ発奮しないようだった。
(疲れてるせいならいいんだけど……おれって結構、薄情なのかな)
 ふいに背中を突かれて、悠は諸岡教諭の目を盗んで背後を振り返った。陽介が右手に持った定規で、彼の椅子の背もたれをしきりに指している。
(また付箋紙か)
『お前って具合悪い?』
 意図の掴めない質問だったが、悠は素直に『ただの寝不足だけどかなり悪い』と返信した。
『HR終わったらおれ一人でジュネス見に行ってみるから、お前寝てな』
 どうやら忘れていなかったらしい。
『気持ちだけありがたく。でも単独行動は却下』
『誰かが見に行かなきゃならないし、俺なら店開いてなくても入れるし、もし今日助けに行かなきゃならないならお前は少しでも休んでなきゃだろ』おまけでもう一枚。『単独行動するなとかお前が言う?』
『中に入ってクマに確認するだけならまだしも、もし中に誰かいれば、お前絶対一人でも行くだろ』
 この付箋を書いている途中で、悠はふとあることを思い出した。少し気分がよくなった。
(そうだった、おれはこれのために、あの世界に入るんだった。なんだ、そんなに薄情ってわけでもないじゃないか、おれ)
 そもそもの目的が違うのだった。地域社会への奉仕であるとか、警察への協力であるとか、世のため人のためであるとか、そんなことを目的にこの無謀な試みを始めたのではなかったのだということを、悠は思い出した。
 見ず知らずの他人にかける情に薄くてもいい、見ず知らずの他人に情を注ぐ彼のために、自分はハンドルとブレーキを操ればよい。庭師は自分の庭に関心を保てばそれでいいのだ。果樹はやがて枝葉を張り、柵の外に実を落とすだろう。それが自分の、外界との新しい付き合い方なのだ。
 得心した途端、にわかに眠気が兆し始めた。
『中に入って確認だけして、すぐ戻ってくる』
『いてもいなくても、だ』
『いてもいなくてもな。お前はちゃんと寝てろよ。勉強すんなよ』
 思わず笑いの漏れたのが気になったか、隣の千枝がちらとこちらを向いた。悠の机に散らばる付箋紙に気がついたようで、さっそく机の中をごそごそやり始める。
『七分たってたから二皿ですよダンナ』
 天城峠じゃ電話代も高くつくな――悠は苦笑した。
『五分につきだから、二分は切り捨てになるはず』
『二分のぶんはふつうのハンバーグでもいいよ。ステーキでもいいよ』
「…………」
『さっきの電話、なんかいいフンイキだった?』
(いいフンイキ、か。かえって悪いことしたな。天城、怒られてなきゃいいけど……)
『ある意味ね』
 悠はペンを置いて船を漕ぎ始めた。






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