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No.35651の一覧
[0] PERSONA4 THE TRANSLATION(ペルソナ4再構成)[些事風](2014/11/03 16:25)
[1] 序章 PERSONA FERREA[些事風](2014/11/03 16:25)
[2] 一章 REM TALEM MINIME COGITO[些事風](2012/10/27 23:54)
[3] 国を去り家を離れて白雲を見る[些事風](2012/10/27 23:57)
[4] マヨナカテレビって知ってる?[些事風](2012/10/28 00:00)
[5] ピエルナデボラシーボラ![些事風](2012/10/28 00:03)
[6] 出れそうなトコ、ない? ひょっとして[些事風](2012/10/28 00:07)
[8] 死体が載ってた……っぽい[些事風](2012/10/28 00:27)
[9] ペルソナなんぞない[些事風](2013/03/05 00:17)
[10] でも可能性あるだろ?[些事風](2012/10/28 00:34)
[11] バカにつける薬[些事風](2012/10/28 00:36)
[12] シャドウじゃなさそうクマ[些事風](2012/10/28 00:41)
[13] 吾、は、汝[些事風](2012/10/28 00:46)
[14] 俺はお前だ。ぜんぶ知ってる[些事風](2012/10/28 00:53)
[15] ノープランってわけだ[些事風](2012/10/28 00:56)
[16] 旅は始まっております[些事風](2012/10/28 01:05)
[19] 二章 NULLUS VALUS HABEO[些事風](2014/11/03 16:26)
[20] あたしも行く[些事風](2013/01/15 10:26)
[21] それ、ウソでしょ[些事風](2013/03/05 21:51)
[22] 映像倫理完っ全ムシ![些事風](2013/05/12 23:51)
[23] 命名、ポスギル城[些事風](2013/05/12 23:56)
[24] あたしは影か[些事風](2013/06/23 11:12)
[25] シャドウ里中だから、シャドナカ?[些事風](2013/07/24 00:02)
[26] 脱がしてみればはっきりすんだろ[些事風](2013/10/07 10:58)
[27] 鳴上くんて結構めんどくさいひと?[些事風](2013/10/14 17:36)
[28] セクハラクマー[些事風](2013/12/01 15:10)
[30] アギィーッ![些事風](2014/01/31 21:58)
[31] かかってこい、あたしが相手だ![些事風](2014/03/04 21:58)
[32] クソクラエ[些事風](2014/04/16 20:30)
[33] あなたは、わたしだね[些事風](2014/06/15 15:36)
[34] とくに言動が十八禁[些事風](2014/07/26 21:59)
[35] コードレスサイクロンユキコ[些事風](2014/09/13 19:52)
[36] 自称特別捜査隊カッコ笑い[些事風](2014/09/24 19:31)
[37] ッス[些事風](2014/11/03 16:29)
[38] oneirus_0d01[些事風](2014/12/14 18:47)
[39] 三章 QUID EST VIRILITAS?[些事風](2015/03/01 16:16)
[40] ええお控えなすって[些事風](2015/05/17 00:33)
[41] キュアムーミンだっけ[些事風](2015/10/18 13:01)
[42] おれ、弱くなった[些事風](2015/11/20 10:00)
[43] 中東かっ[些事風](2016/03/02 00:50)
[44] バカおやじだよ俺ァ[些事風](2016/05/15 16:02)
[45] ここがしもねた?[些事風](2016/08/16 15:11)
[46] 腕時計でしょうね[些事風](2016/11/15 13:03)
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[35651] 俺はお前だ。ぜんぶ知ってる
Name: 些事風◆8507efb8 ID:f9bea2dd 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/10/28 00:53



「ヨ、ヨースケが、ふたりクマ……?」
「お前、誰だ!」
 陽介が誰何する。少年は冷笑を浮かべながら、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
「誰って、俺は花村陽介だよ」
 テレビの中の世界、シャドウ、ペルソナ、そしてお次はドッペルゲンガーか! 正直、驚き疲れた感がある。この店がもう少し広かったら床の上をのたうち回って叫んだことだろう。
「クマ、さっき言ってたシャドウって」
「……そこの、ヨースケ? クマ」
「バカ言うな、俺が花村陽介だ」
「違う。俺も、だ」シャドウの貌が歪む。「お前みたいなクズが俺だなんて、マジでウゼーけど」
「……なにを」
「そのあと、どうだった? 自分のことウゼーって思ってる女の気を引くの。お前って筋金入りのマゾだよな」
「お前、何者――」
「あーおあいこだよな、お前もウゼーって思ってたんだから! この女、心にもないこと抜かして、俺に取り入ろうとしてんだってなァ」
「ふっ、ざけんなァ!」陽介が爆発した。「お前だれなんだよっ! なんなんだその恰好!」
「ウゼーよなァ……なにもかも。あの商店街も、ジュネスも、このド田舎暮らしも、ダッセェ地元民も、全部……」
「そんなこと思ってない! お前――!」
「花村まて、落ち着けって!」
 前に飛び出した陽介をあわてて引き留める。クマの言うとおり、いま陽介そっくりの姿で話しているこの少年がシャドウだとすれば、もちろん殴りかかってなんとかなる相手ではない。
「……クマ、こういうシャドウもいるの?」
「初めて見るクマ、でも、変クマ」
「なにが」
「あのシャドウ、ヨースケとまったく同じ匂いがする……それに、ここに現れるまでぜんぜん、なんの気配も感じなかったクマ」
 これがシャドウについてクマの言っていた、人間が入ってきたとき特有の「ちょっと変わった動き」なのだろうか。確かにかのシャドウはいきなり現れている。
「シャドウ扱いかよ……ま、仕方ねーか」シャドウは寂しそうな貌をしている。「これって、つまり、シャドウのせいなんだろ? いや、おかげか?」
(シャドウの、せい? おかげ? シャドウであるという自覚がないのか?)
「花村」
 悠がそう呼びかけると、陽介とシャドウの両方からもの問いたげな視線が返ってくる。
「いや、花村じゃない、というか……陽介」悠はシャドウを指さして言った。「そう、陽介。そう呼ぶけど、いいかな」
「いいよ……つか、名前で呼ばれんの初めてだな」
 驚いたことに、シャドウの面に照れくさそうな笑顔が浮かぶ。
(おれが名前で呼んだことのないのを知ってる……)
「おまえは本当に、その、花村陽介、なのか?」
「ああ」
「バカなに言って――!」
「花村たのむ、少しの間でいい、黙っててくれ」
「センセイ!」
「クマも。それで、陽介」
「なんだ?」
「悪いけど、正直に言って、おまえが偽物じゃないという確証が持てない」
「ま、そうなるよな、ふたりいるんだから。――なんか訊いてみる?」
「……じゃあ、里中はいまどうしてる?」
「切れた縄もって……どうしてんだろ。まだ家電売場にいるか、帰っちまったかもな」
「おれが転校した日、最初におまえに話しかけたとき、なんて言ったか覚えてるか」
「自己紹介して、なんだっけ、膝に乗りたいとかなんとか言ってたっけ、たしか。意味わかんなかったけど」
「里中と三人でジュネスに来た時――」
「お前らに焼きそば奢ったよ、ついでに言えばお前のは毒入り。あんときゃ悪かったな、今月あと三千円しかなくてさ……さすがに里中までいちゃステーキ奢れなかった」
「それはまあ、いい、けど」
「俺は三軒茶屋から転校だけど、お前は柴又で、でも元は三軒茶屋の近くに住んでた。オヤが板前で、ナナコちゃんってイトコがいて、タバコ吸ってて、少年院の常連で……天城越え狙ってる」シャドウがにっと笑った。「……まだやる? 意味ねーぜ、こんなの」
(確かに……姿形だけを似せた、なんてものじゃない、こいつは)
 信じがたいが、このシャドウは陽介であるらしい。――少なくとも、内も外も陽介同様の、シャドウであるという自覚のない、シャドウであるようだ。
「どうして、現れたんだ」
「……ずーっといたよ。つったって、わかんねーよな」シャドウが苦笑する。「この偽物の町に入ってからも、テレビの中に入ってからも、いや、お前の気を引こうとして、自転車でわざとスレスレに走って、バカみてーにゴミ箱に突っ込んで、助けてもらったときだって、いたよ」
「嘘だ! お前テキトーなこと言ってんじゃ――!」
「花村っ!」
「センセ――!」
「クマも! 頼む、静かにしてくれ」
(こいつ、シャドウはシャドウでも、話は通じるみたいだ)
 少なくともクマが恐れを交えて語ったようなシャドウではない、ついさっき襲ってきた口の化物などとはまったく異なる部類だ。なにをしに現れたにせよ、話し合いで解決できるかもしれない。
「質問を替える。なにが目的で花村の前に――自分の前に現れた」
「そいつに思い知らせるために」
 シャドウはそう言って、陽介を指さした。悠と話していたときは穏やかだった眼に危険な光が宿る。口元が軽蔑に歪む。陽介と相対したときだけ、彼は別人のような容貌になった。
「そいつがどれだけ汚らしい人間か。テメーだけキレイな外面とりつくろって、いままで俺にどれだけ腐りきったゴミを押し付け続けてきたか、思い知らせるためだ」
「ひとの恰好まねして好き勝手言ってんじゃねーぞ、シャドウ!」
「おお怖え――お前、いつまでそうやってカッコつけてる気だよ。シャドウだァ? お前ほんとうにそんなのが出てきたら、真っ先に鳴上の背中に隠れるつもりなんだろうが!」
 シャドウの面に浮かぶ、嘲りの笑顔が次第に薄れていく。
「前もって鳴上になんて言われてたって、お前が涙なんか流すワケねーぜ、たいして悲しくもねーんだから」笑みに代わって怒気が滲み始める。「小西先輩のことで納得したいからだとか、どの口がほざいてんだよ。お前は単にこの世界にワクワクしてたんだ」
「テメーになにが――」
「昨日のアレ、刺激的だったよなァ。里中がベソかいてんの見て、優越感に浸ってたよなァ。死体の跡、遺留品、喋る着ぐるみ、常識の通用しない異世界! 夜中の二時までお前、どんなこと考えてた? 最高だったよなァ、クソ面白くもねード田舎暮らしにはうんざりしてるし」
「黙れ」
「黙れ? 見りゃわかんだろ、お前が喋ってんだよ」憎々しげに陽介を睨め付けながら、「なにかおもしろいモンがあんじゃないか……お前がここへ来た理由なんて要はそれだけだろ」
「やめろ……」
 シャドウが嵩にかかって喋れば喋るほど、陽介は当初の勢いを失っていく。彼が反論らしい反論をしないので、傍目には図星を当てられて当惑しているようにも見える。
(花村が本当はこんなふうに考えてる……ってこと、なのか?)
「センセイ聞いて――」
「クマちょっと、静かに」
「やめねーよ。さっきのも凄かったよな、ペルソナ! お前つい本音が出ただろ、俺にも出せねーかなって」シャドウがゆっくりとレジのほうへ歩き出す。「鳴上の次はきっと俺だとか思ったりして、笑っちまうよな。ゲームのやり過ぎだっての、恥ずかしいヤツ! あわよくば悲劇のヒーローになれるって思ってたんだよな? 大好きな先輩が死んだって、らしい口実もあるし――」
「違うっ!」にわかに陽介が息を吹き返す。「お前、なんなんだ、誰なんだよ!」
「お前、ほんとうはわかってんだろ」
 シャドウがカウンターの上から写真の欠片をつまみ上げた。彼の面を占めていた憎しみの色が急速に薄れて、ふと弱気そうな、途方に暮れたような悲しみの色が滲む。
「俺はお前だ。ぜんぶ知ってる」
「ふざけんな! お前なんか――!」
 このシャドウの隙を好機と見たか、陽介が気負って一歩踏み出した。
「センセイ、シャドウが――!」
「クマいいかげ――シャドウ?」
「お前なんか知らない、お前なんか俺じゃないっ!」
 シャドウの横顔から感情らしいものが吹き消えた。怒鳴った陽介を一顧だにせずに、彼はそのままこちらに背を向けた。 
「クマ、シャドウって!」
「集まって来るクマ、ここに……」
「なあ、鳴上」
 背を向けたままのシャドウが、思いがけないほど明るい声で呼びかけてくる。
「……なに」
「悠って呼んでいいか?」
 悠は困惑した。先ほどのお返しのつもりなのだろうか、およそこんな場面にはそぐわない要求である。
「いい、けど」
「じゃあ、悠」
 と、言いながら振り返ったシャドウの顔を見て、悠は小さく呻いた。陽介もクマも同様の驚きを感じたに違いない。彼の両目に金色の、炎のような光の灯っているのが見える。
「俺、お前が好きだ」シャドウの口元が弛んだ。「ちっと理屈っぽくて、融通きかねーけど、お前はいいヤツだ、ほんとうに。同じ東京生まれだし、お前なら友達になってくれるかもしれないって、思ってた」
「…………」
「頼む、悠、クマ連れてここから出てってくれ」
「おまえは……花村は?」
「そんなヤツは存在しない」
 悠たちの背後で突然けたたましい音がする。振り返ると果たして、入口側の窓ガラスが割られている。
「そいつは俺のこと、俺じゃないって言った。自分を否定したんだぜ、いないのと一緒だろ」
「センセイ、来る、シャドウクマ!」
 クマの指さす先――いまほど割れた窓から、黒いヘドロ状のなにかが二、三、店内へ侵入して来る。
(くそっ、こんなときに!)
 すわ襲撃かと陽介を壁に押し付ける。悠は慌ててタロットを構えたが、目で追う暇もあればこそ、ヘドロは悠たちではなくシャドウの下へ集まり始めた。
「……花村、クマ、外へ」
「駄目だ! お前は駄目だ、逃がさない!」シャドウが陽介を指さす。「悠とクマは行け、でもお前は駄目だ!」
 悠たちの見守る中で、シャドウの姿が徐々に歪んでいく。肥大していく。集まってきたヘドロが彼の身体に取り込まれていく。――先のものだけではない、ヘドロはいまや窓からも入口からもなだれ込んで来ている。
 まるでシャドウがそれを呼び寄せているかのように。
(入口もダメだ、あのヘドロが……!)
「陽介、陽介! 一体なにをするつもりなんだ!」
「いない人間が、いるのは、不自然だ、だから、いなくする」
 膨れあがったシャドウの下半身が裂けて、そこからもう一対の脚のようなものが迫り出してくる。いや、脚ではない、前に突き出されたそれは巨大な手である。四つんばいになったなにか不気味な生物の身体に、まだかろうじて陽介と判別できる、猿に似た奇形の上半身が生えている――シャドウは人間の形ではない、不気味ななにかを目指して変形しつつあった。
「ドケ、ユウ」 
 陽介のものとも思えない、野太い声が落ちてくる。悠の目の前で棚がひとつ消し飛んだ。シャドウが手で「払い除けた」のである。
(あんなのを食らったら……)
「イケ、ハヤク。クマモ」
 ちらと陽介を見ると、こちらは恐怖に竦んでひと言をも発せない様子。クマのほうでもゴルフクラブを振りかざす気力などとてもなさそうである。
「できない、陽介!」
「ドケ!」
(考えろ! どうすればいい? さっきのペルソナを喚んで、一か八かこいつと組み合うか……!)
「オマエヲキズツケタクネーンダ……イッテクレヨ」 
(ダメだ。まだ早い、まだ言葉は通じる。ここで敵意を見せたらかえってまずいことになるかもしれない。それに――)
「陽介」
 悠は震える足をなんとか一歩、シャドウのほうへ踏み出した。
 現状、使い方のよくわかっていないペルソナなど、喚んだところで分の悪い賭である。まして友人を、向き合うと心に決めた最初の友人を、勇気と好意とを示してくれた尊敬すべき友人を、少なくともその彼となんら変わらない「なにか」を、あの電柱みたいな矛で打ち据えるなどと!
「陽介、ここに入ってくる前におれが言ったこと……覚えてるか」
「サア、ナンダッケ」
「おまえがこの世界に入った時点で、望むと望まざるとに関わらず、おまえの安全はおれの責任になる、って言ったんだ」
「……ドケッテ」
「なあ陽介、おまえが無理に入って来たんじゃないか」悠は笑った。「そのあげくに退けって、ちょっと勝手だ。それにここではおれの指示に従うって――」
 店内を轟音が揺るがす。シャドウが四股を踏むようにして、腕を床に叩き付けたのだ。それを二度、三度と繰り返しながら、シャドウはにわかに呻き始めた。
「陽介、どうした!」
「イッテクレ、タノム! モウイイ、モウイイ!」
 シャドウは「モウイイ」を連呼しながら、長大な脚と腕とを滅茶苦茶に振り回している。棚が吹っ飛び、冷蔵庫はひしゃげ、カウンターに置いてあったレジが宙を舞って小銭の雨が降る。――様子がおかしい。暴れているというより、
(……アレを振り払おうとしてるのか?)
 間断なく浴びせかけられるヘドロから、シャドウは身体を守ろうとしているように見える。
「陽介! この黒いのが邪魔なのか!」
「ウルセエッ!」
 怒号とともに、青桐の葉のような巨大な掌が降ってくる。背後の陽介が一瞬はやく、悠を掻い込んでもろとも身を投げ出す。いままでシャドウの見せていた理性が、徐々に失われつつあるようだった。
「鳴上、ペルソナ!」立ち上がりながら陽介が怒鳴った。「出せねーのか!」
「……まだだ、それはしない」
「なんで! やらなきゃやられんだろーが!」
「とにかく――いや」
(窓がふたつと、入口がひとつ……)
 シャドウは明らかに苦しみ始めていた。よたよたと店の奥まで退いて、あたまを両手で庇って、ときおりなにか振り払うような手振りをしながら、「イッテクレ!」と「マテ、ニガサネエ!」を悲鳴みたいに繰り返している。
(あいつを斬ることはできない。しない。少なくともそれを最後の手段にするなら、現状のベストはこれだ!)
 あの感覚を思い出せ、かつて意識したことのなかったあの感覚を! さながら祈るように、悠は左手のタロットを目の前に掲げた。
「ユウ、ヤメロ!」シャドウが悲しげに叫ぶ。「オマエ、ソレデナニスルツモリダ、オレヲコロスノカヨ!」
 悠の手前数歩の位置に忽然と、黒い長衣に身を包んだ巨人が現れた。同時にあの途方もない、とうてい達成し得ない大仕事を強制され続けるような、うんざりするようなストレスに身を苛まれる。
「やれ鳴上! あんな化物――」
(よし、来てくれた。あとは)
 悠はその場に膝をついて俯いた。「悠」の統御を最低限に落として、代わりに「ペルソナ」の自由を確保する。――ペルソナが歩き回るには店内はかなり窮屈だった。
「鳴上……なにやってんだ」
 陽介の呆気にとられたような言葉が降ってくる。悠はペルソナの巨体と矛とで店の入口を塞いだのである。
(よし、ヘドロの流入がかなり減った。あとはあの窓!)
「陽介、じゃない、花村」悠はそろそろと立ち上がった。「あの窓を塞ぐ。手伝え」
「はあっ? なんで!」
「あのシャドウを助ける」
「バカ言って――!」
「花村、おまえにはあれがなにに見える」
「シャドウだろ」
「おれには……いい、馬鹿にしてくれたっていい、あれは花村にしか見えないんだ」
「お前――違う、ぜんっぜん違う!」陽介の面に裏切られたような、難詰するような色が刷かれる。「なんで信じてんだお前は!」
「わかった、花村はいい。――クマ!」
 クマは部屋の隅っこでがたがた震えている。そちらへ行こうと陽介から離れた途端、それまで唸るのに忙しかったシャドウがいきなり突進してきた。悠ではない、陽介のほうへ。
「シネッ、ツブレロ!」
「待て陽介! 待てっ!」
(ダメだ、花村から離れることはできない!)
 そして悠が戻ってくるとつんのめるようにして急停止し、ふたたび呻きながら「タノムドイテクレー!」とか「テメースリツブシテヤル!」などと叫び始める。
(葛藤してるんだ。花村に危害を加えたくても、おれを巻き込みたくない……)
 なぜ? もちろん、陽介の悠に対する友情がそうさせているに違いない。彼はまさしくシャドウであっても、陽介以外の何者でもなかった。
 皮肉な話である。かつてあれほど内心蔑視し臭がっていた概念が、いまや彼の命を守る最後の盾となっているのだ。彼が心中ひそやかに誇ってきたかばかりの知性と理性とが、いったいいまこの場でなにほどの役に立っているというのだろう。
(いや! きっと役に立ててみせる。ペルソナの力も、陽介の勇気もおれは持ってない、おれにはこれしかない……)
「クマ! 大丈夫か!」
 クマはヒステリックに「だいじょうぶだけどいますぐにでもそうでなくなるクマァー!」と叫んだ。
「クマ、こっちへ来て!」
(どうやって窓を塞ぐ?)
 店内に落ちているもので使えそうなのは、棚材の切れ端くらいである。それさえ窓に打ち付ける道具もなく、そうできたところであのヘドロを防げるかわからない。――ふいに悠のもうひとつの知覚、ペルソナの身体に、盛んになにかが衝突するような衝撃を覚える。視界にヘドロの姿はなく、代わりに先に見たような口の化物と、その仲間らしい形容しがたいシャドウの数匹が映っている。埒があかないと踏んでヘドロが仲間を呼んだものか。
(ペルソナはじゅうぶん持ち堪えるだろう。でも窓はダメだ、なにか方法は……)
 クマがこちらへ駆けてくる途上、なにかを踏んで勢いよく転んだ。瓶である。床に蒸留酒の瓶が幾本か転がっている。
(このヘドロとか化物とかって、火を怖がったりしないか?)
「陽介、聞こえるか!」
「ドゲ……ユウ……!」
「待ってろ、いま助けてやるから!」
「鳴上……」陽介が心底わからないといった口で訊いてくる。「お前、なんであいつをそんなに」
「あれが――」悠はシャドウを指さして怒鳴った。「――花村陽介だからだ! クマ!」
「はいクマ!」クマがびしっと気をつけをする。
「床に転がってる瓶、わかる?」
「わかるクマ、けど」
「あれの中身を、あの窓の周りにありったけぶちまけて。転がってるやつ全部」
「わかったクマ、けど」
「そのあと火をつける。ああ、火はこれを」悠はズボンのポケットからライターを取り出した。「これ使って」
「……これどーやって使うクマ?」
「ええとこうやって――いや、ちょっと待って」
 ライターに続いて、制服のポケットからシガレットケースを取り出す。中に残った二本のうち、一本を忙しく銜えて火を点けて、悠はそれをクマに手渡した。
「これを火種に。さあ」
「わかったクマ、ええと、ええと……こ、この瓶クマ?」
「全部!」
「はいクマ!」
 クマのあたふたと仕事に取りかかるのを後目に、悠はふと思い立って、しまいかけたシガレットケースをふたたび開いた。
 残り一本。
(これが最後の一本)それを銜えて火を点ける。(これを最期の一服にはしない、してたまるか! ぜったいここから無事に出て、なんとしてでも叔父さんのタスポを借りる!)
 辺りに舞う粉塵に紫煙が混じると、なかば割れてしまった蛍光灯の薄明は紗に漉したようにおぼめいた。この舞台効果を待っていたかのように、シャドウはにわかに鎮まり、あらたかな煙草の御利益の甲斐か、悠の重苦しいストレスもいくらか和らいだような気がする。
 幕の引き始める頃合いだ――それが誰の、何の幕であるかはわからないけれども。
「陽介、聞こえるか」
 シャドウは応答とも呻きとも取れない声を漏らした。
「陽介、おまえさっき、こう言ったよな。自分が現れたのは、陽介自身に思い知らせるためだって」
「鳴上……」
「それはさっき言ってたようなことなのか」
「……ソウダ、ソノクズガ!」
「陽介、もういちど花村に向かってクズなんて言ってみろ、ペルソナでぶん殴るぞ!」悠は一歩踏み出して怒鳴った。「花村は、お前はクズじゃない、たった三日つきあっただけのおれにだって、そんな当たり前のことはわかる!」
「タッタミッカデナニイッテヤガル、オマエニハワカラネー。ソイツハドウシヨウモネーヤツダ」
「おまえはクズじゃない、でもおまえが聖人君子だとも言ってない――花村」
 いきなり話を振られた陽介が、きょとんと悠を見る。
「陽介が言ったことはぜんぶ本当か」
「……あれを陽介って言うな」
「ぜんぶ本当か」
「バカ言うな、違う」
「じゃ、ぜんぶ嘘か」
「嘘だ」
「……今日、朝、学校の校門でおれを待ってたよな」
「ああ」
「おまえ、言ったよな。昨日はなかなか眠れなかったって」
「当たり前だろ、あんなことがあったんだ!」
「そうだ。そうして授業中もその話ばかりした。授業が終わって、職員会議の放送があったとき、おまえは新しい事件を予感して、またここに入ろうって言った。――花村」
「…………」
「あの全校集会で校長先生がみんなに言う前に、小西先輩の身になにか起こったこと、おれが知ってたって言ったら、おまえ驚くか」
 陽介の眉が驚愕に顰む。シャドウが彼の動揺を代弁して、「オマエ、ドウシテイワナカッタ!」と言った。
「たとえじきわかってしまうことだって、おまえが可哀想だった。おまえが喜んでたから、楽しそうだったから言えなかった。この降って湧いた非日常を、それに片脚を突っ込んで、他のひとの知り得ない秘密の一端を掴んだ、そのことを楽しんでいたから」
「違う! 俺は――」
「チガワナイ!」シャドウが陽介を遮る。「ソウダ、テメーニトッテタニンノコトナンザ、イツダッテヒマツブシノタネニスギナカッタ!」
「なあ陽介、だけど、そうでない人間がいったいどこにいる」
 もう二、三歩進んで、悠はちょうど陽介とシャドウの中間あたりで止まった。――ふいに焦げ臭い匂いが鼻を突く。クマの努力が功を奏して、窓の下から桟の辺りにかけて炎が踊っていた。建材を焼く黄色い炎が、アルコールの青いそれを征服しつつある。じき店内にも燃え広がるだろう。
 件のヘドロは炎の窓によって防がれている。
「センセイ、火、ついたクマー!」
「ありがとう、助かった!」
「ぜんぜん助かってないクマ! このままじゃここもやばいクマよ!」
「わかってる――花村」漂ってくる白煙を手で扇ぎながら、「この一連の事件を楽しんでたのはおまえだけじゃない。知ってるはずだ、クラス全員が、いや、八十稲羽のほとんどの人間が、あの珍しくて日常からかけ離れたニュースに沸き立ってた」
「ダカラッテ」
「対岸の火事は大きいほど見物だろう。自分の身になんの関係もない事件を秘やかに楽しむ、ささやかな罪を、誰しも持ってるはずだ。誰も知らない秘密を垣間見た、それを探求する権利を手に入れた喜び、それを欲しがらない人間なんかいないだろう。いったいそれが、そんなに非難されるようなことなのか? おまえはその罪を持ってないって言うのか。自分は好奇心のひとかけらもない、学生服を着た枯木だとでも言うのか花村」次いでシャドウに向かって、「それを持っていた自分を、それを欲しがった自分をクズだと罵るのか陽介。自分だけは周りの人間のつまづく地隙に、足を取られることなんかないはずだったとでも? それは自惚れだ、おまえは聖人君子じゃない。クズでないのと同じに」
 シャドウに指を突き付けながらも、悠は心中穏やかではいられない。それは自惚れだ、おまえは聖人君子じゃない――わが口から出たこの何気ない言葉が、これほど苦しい自傷をもたらすとは! さながらシャドウの背後にもう一匹の、悠の恰好をした化物を見る心持ちだった。そらぞらしい理論で装った自尊心の権化、路という路を知ったつもりになりながら道に迷っている、旅装の愚者の姿を。
「ソンナコトヲイイタインジャナイ! コリツスンノガコワクテヒタスラヘラヘラシヤガルクセニ、テメーココロンナカジャドンナコトカンガエテヤガッタ! ヒトノタメダァ? オレハウマクヤッテルダァ? ウンッザリナンダヨ!」
 悠のつま先、ほんの数センチ前の床が派手に陥没した。シャドウが両の拳を叩き付けたのである。
「テメーダケキモチヨクジブンニヨッテ、オレニイママデナニヲナスリツケテキヤガッタカ! オレダケニ、テメーハ、ドンナゴミヲナスリツケテキタカ! テメーニハドンナキレイゴトモネー、テメーニアルノハキタネーヘンケントケイベツダケダッ!」
「偏見、軽蔑」
「俺は、そんなこと、そんなもの」
 偏見と軽蔑。単純で、表面的とさえ思える言葉。悠は胸の奥底になにかが刺さって、抉るように回り、封じられていたものが無慈悲に暴き立てられる激痛を感じた。偏見と軽蔑! こんな素朴で安っぽい、ありふれた鍵が、自分の複雑繊細なはずの錠前にこれほどぴったりと合ってしまうなんて。
 悠は足下の穴を跨いでシャドウに肉薄した。
「花村、陽介、おまえはおれだ……」
「な、鳴上?」
 偏見と軽蔑、つまりはそれだったのだ。悠がいままで周囲に抱き続けてきたのは、悠を支えてきたのはつまるところ、それだった。自己批判を逃れるために、ただそうと判じるにはそぐわない程度に、見てくれを歪められていたというだけに過ぎない。言うなれば優しい偏見、穏やかな軽蔑であった。
(内心でどれだけ反論できたって無駄だ、過去を振り返って見ろ、それが全てを証している。これだ! いつもそれにだけは陥るまいとしていた穴に、おれは住んでたんだ……)
 それは何度も通った、通い慣れた路だった。おれは誠実で論理的な人間だから、その判断は客観的で、偏見と軽蔑によるものでだけはありえない――なんという愚者! それは夜道を行く子供の唱える迷信的なおまじないだった。これを唱えれば追いはぎに遭わない。これを唱えれば野獣に遭わない。百度とおって百度遭遇しても、彼はこの下らぬおまじないの霊験を大前提として、それをほかのなにか別のものであるとして、事実を認めはしなかった。路を替えはしなかった。ほかならぬその高らかな声が、追いはぎと野獣とを呼び寄せていたことに気付きはしなかった!
 シャドウが押されたように後退った。
「……陽介、どうかそれを恥じないでくれ、花村陽介がそれを持っていることを」
「俺はそんな……そんなもの持ってない」
「持ってるさ、だからおれはおまえに惹かれたんだ、きっと」悠は自嘲気味に笑った。「陽介、お前にとってはゴミでも、おれにはそれが全てだったんだ……あんまりいじめるなよ」
「ナニイッテル! オマエハソンナノモッテナイ、オマエハソンナヤツジャナイ!」
「そうだ、お前はもっと――!」
 と、言いかけて、陽介はシャドウをちらと見上げた。シャドウもまた多少の驚きをもって陽介を見下ろす。
「おれも偏見と軽蔑の塊だ。いや、おまえはまだ上等だ、花村」
「チガウ! ソイツハ、オレハクズダ、オマエトハチガウ」
「さっきのこと、忘れてないよな。おれとクマを捨て身で逃がそうとしてくれたよな。花村、おまえはおれと同類、偏見と軽蔑の塊、似たもの同士の友達さ。でも」シャドウに向かって、「陽介、おまえにはおれにない輝きがある、だから尊敬するんだ」
「オマエハトモダチナンカジャナイ」シャドウは悲しげに言った。「オマエミタイナヤツガ、オレナンカノトモダチニナッテクレルワケナイ。ソンナコトハワカッテル」
「花村、おれたち、友達じゃないのか?」
「……俺は」
「あれだけ話して、ここまでお互いの事情わかってて、いっしょに二回もこんなところ来といて、それでまだアカの他人って言うのか?」悠は笑って続けた。「ちょっと無理ないか、それ」
「お前……」
「オマエニ、オマエニソンケイサレルヨウナ、ソンナニンゲンジャナイ、ソノクズハ」
「またクズって言ったな陽介、いくら友達だっておれもしまいにはキレるぞ」
「……センパイノシンダノヲ、ソイツハコウジツニシヤガッタ、クズダ!」
 鍵を見つけた――悠は唐突にそう思った。
「ふざけんな偽物、テメーになにがわかる!」陽介が俄然いきりたつ。「テメーはやっぱり偽物だ、俺なわけない!」
(そうだ、これ、使えないか?)
 悠は先ほどの、自らに同調した陽介を見下ろすシャドウの様子を思い出していた。この自分同士の不毛ないさかいを仲裁する鍵、それは陽介とシャドウ、両者のお互いに対する「共感」なのではないか?
 そもそもシャドウは陽介に「思い知らせるため」に現れたと言う。しかし陽介は思い知ることなく物別れとなり、ためにこのような事態となった。もし、陽介が最初からシャドウの言うことに耳を傾けていたら、シャドウもまた陽介の言い分を理解していたら、どうなっていただろう。そのあとシャドウがどうなるにせよ、両者は争わずに和解できたのではないか?
(花村陽介、悪いけど試すぞ……!)
「花村、おれも気になってたんだ」
「え……なにを」
「おまえ、ほんとうに先輩の死が悲しいのか?」悠は疑わしげに訊いた。「おれは陽介の言うことのほうが信じられる。そのほうがおれを説得しやすいから――」
 こめかみの辺りに火のような一撃を食って、悠は尻餅をついた。殴られた、と認識する暇もなく、怒れるシャドウが陽介へ詰め寄る。
「お前――!」
「待て陽介! 待て、いまのが答えだ!」這って両者の間に割って入る。「陽介、おまえは先輩の死が悲しい、そうじゃないのか!」
「ソイツハカナシンデナイ!」
「悲しんでる! おまえがほんとうに陽介なら、いまおれを殴ったときの花村の気持ちがわかったはずだ!」立ち上がりながら、「陽介、花村がおまえを偽物だと決めつけるように、おまえも花村を偽物あつかいしてる」
「チガウ!」
「花村、小西先輩が好きだったか」
「ああ」
「ウソダ! オマエハアノヒカラセンパイヲミクダシテタ!」
「陽介、小西先輩が好きだったか」
「スキダッタ」ふいにシャドウの目から涙が溢れる。「スキダッタ、ダイスキダッタ、ココニキテハジメテヤサシクシテクレタヒトダッタ!」
 花村が言葉の詰まったように呻いた。
「じゃあ、花村」
 悠は陽介の眼をじっと見詰めた。
「陽介は、小西先輩が好きだったか?」
「……好きだった。好きだったよ」
 シャドウが言葉の詰まったように呻く。
「花村、訊いてもいいか」
「なに」
「見下してたのか、先輩を」
「……さっきのアレ、小西先輩と、水原先輩ってバイトのひとなんだけど、そのひとらの話なんだ。聞いただろ」
「んん」 
 陽介は長いあいだ黙ったあと、ぽつんと「偶然アレを聞いたとき、正直キツかった」と呟いた。
「あんなに仲良くしてくれてたのは、結局、俺に取り入るためだったのかって、マジでヘコんだ」
「センパイハカレシガイタ、オレナンカガンチュウニナカッタ。ダカラ――」
「でも、どんなに疑ってかかっても、先輩はずっといいひとだった。俺にはどうしても先輩が、本心からああいうことを言うひとだなんて思えなかった!」
「オマエハイツモ、ココロノナカジャセンパイニドクヅイテタ。シッテンダロ!」
(まずい、火が……) 
 悠は忙しく煙草を吹かした。内心あせっている。最前から店内はすでに、かろうじて呼吸ができるといった程度にまで火の手が回っている。外壁はほぼ炎に嘗め尽くされて、今し天井へ燃え広がろうとしていた。入口を塞ぐペルソナといえば、この炎の中にあってさえ被害らしい被害を蒙った様子はない。頼もしい限りだが、
(おれが丸焼きなったら元も子も……くそっ、なるようになれだ!)
 悠は腹をくくった。陽介を焼き焦がし責め立てる、この炎と煙とに喜んで甘んじよう――自分はそう決めたではないか。
「そうだよ、いつも思ってた。そうやって気にかけてくれるのは、次の休みを取りやすくするためなんだろうって、俺への好意なんかじゃないんだろうって、思ってた。でもそんなんじゃ説明がつかないほど先輩は優しかった、親切だったよ。それに」陽介がシャドウへ一歩詰め寄った。「なによりあの日、俺が立ち聞きした日から、先輩は俺に休暇を頼まなくなった。知ってんだろ」
「ミズハラセンパイニイワレテヤメタダケダ」
「そうかもしれない。それでも、先輩がずっと優しくしてくれたのは事実だ。俺に頼まなくなってからも優しくしてくれたのは、先輩が優しいひとだったからだ。たとえ好意じゃなくたっていい。俺が、お前が好きだったのはそういう先輩だ。そうだろ?」
「俺は嫌われてた」
 シャドウの眼から金色の光が失せた。声も陽介のそれとなんら変わらない、元の通りに戻っている。
「……嫌われるのは、慣れてんじゃねーか、お前」陽介の眼から涙が溢れた。「八十稲羽の鼻つまみ者、ジュネスの王子、ゼンリョーなチイキジューミンを食い物にする侵略者、だろ? 陽介」
 入口でペルソナを押し退けようと躍起になっていたシャドウの群れが、唐突にその動きを止めた。成功か――内心快哉を叫んだ瞬間、頭上から木材の圧壊する不穏な音とともに、火を纏った化粧板が雨あられと落ちて来た。





「悠!」
 先にシャドウの攻撃から悠を庇ったときと同じに、陽介が飛びかかって来た。覆い被さる彼の身体越しにドスドスと、なにか重たいものの間断なく衝突するのが感じられる。
「花村……大丈夫か!」
「あー、へーきへーき」
「平気っておまえ!」
「なんともねーよ、こんなの」
 大怪我どころの騒ぎではないはずなのが、しかし身体を起こした陽介になにか不調らしい様子はない。おかしい――おかしいと言えば、そのすぐ向こうでクマと一緒にこちらを眺めている、もうひとりの陽介の姿などは……
「……陽介、なのか?」
 シャドウは手を差し伸べながら「どっちも一緒だろ」と笑った。つい先ほどまで目の前にあったシャドウの巨体が、忽然と消えている。
「クマ、それと……あー、花村」シャドウが陽介を指さした。「こっから出よう、店そろそろやべーし。悠、あれ消して、ペルソナ」
「ああ、うん……」 
 まるで憑物の落ちたように、シャドウは穏やかになっていた。つい先ほどまで見られたあれほどの激情の発露が、いまや彼には欠片も見出せない。別人のようである。
(成功、したんだよな……まあいい、それはともかく)
 いまはここから出なければ――ひと暴れさせて入口を広げてから、悠はペルソナを消した。三人と一匹は這々の体で、今し焼け落ちようとするコニシ酒店から脱出する。
「……かなりまずかったな、間一髪だった」
「火、つけるなんて、無茶すぎ、クマ……」
「はあ、結果オーライじゃね……」
 道路の真ん中までよろぼい出たきり、悠たちは誰からともなくその場にへたり込んだ。四者とも程度の差はあれ、身体中ススまみれの散々な態である。
(結果オーライか……でもほんとうに、やばかった)フィルタ手前まで吸いきった煙草を吹き出す。(ああ、タバコ、もう一本残ってたらな。いま吸えたら最高なのに……) 
 店の中でなにかメリメリと音がしたかと思うと、開け放たれた入口と窓から盛大な火の粉が吐き出される。火はようよう屋根にまで燃え広がったようだ。薄闇を押し広げて偽八十稲羽商店街の一角を明々と照らし出すその様は、ひとつの巨大なかがり火のようでもある。
「なあ、お前、ええとシャドウ?」
 路面に思いおもい座り込んで、少し経ったあと、陽介がおもむろに声を上げた。
「シャドウじゃねーよ」シャドウが気怠げに答える。「自分に向かってシャドウもねーもんだ」
「つったって、なんて呼びゃいいんだか……」
「ヨースケ、その、もうひとりのヨースケ? シャドウじゃなくなってるクマ」
「え?」
「は?」
「シャドウじゃなくなってる、クマ」
「もともとシャドウじゃねっつの。そりゃ、なんかよくわからんけど、俺がふたりいるのはシャドウのせいかもしれんけど……」
「クマ、もうちょっと詳しく」
「……さっきまで、少なくとも気配はシャドウのものだったクマ。でもいまはぜんぜん区別がつけられなくなってるクマよ」
「どーいうこった?」
「わからんクマ、こんなの初めてクマ。とゆーかそもそも、シャドウにこんなに近づいたことだってなかったクマ」
「おれはもう驚き疲れた。もういやだ、いまはもうなにも考えたくない」悠はその場で仰向けになった。「ああ……タバコ吸いたい……」
「ま、いっか、俺ももう疲れた! シャドウでもなんでも来いってんだ……」陽介も悠に倣った。「こういうときタバコ吸えたら気分いいんだろうな、雰囲気的に」
「試したことあったろ、むせただけだったけど」シャドウまで路面に横になった。「あー、いい天気だな」
「赤黒いだろ、どこがいいんだよ」
「俺が言わなきゃぜってー言ったくせに――花村」
「あん? つか、名字で呼ばれるとこっちが偽物っぽい――」
「ん」
 シャドウが寝ころんだまま、横たわる陽介の胸になにか置いた。
「持っといて」
「え、これ――」
 と、陽介の聞き返そうとしたときには、すでにシャドウの姿はなかった。
「あれ、え?」
「消えた……?」
「うっそだろ――クマ!」慌てて飛び起きながら、「クマお前見てただろ、シャドウは!」
「消えた、クマ、急に」
「ふっ……ざけんなよシャドウ! おい出て来い、こんな……!」
 陽介がなにか握りしめている。いまほどシャドウが渡したのだろうそれは、片っ方だけのストラップシューズ――店内で見つけた早紀の遺品であった。
「こんなんありかよ……あんだけ好き放題いいやがってっ!」陽介は俯いて泣いていた。「俺にはなんにも、言わせねーで、消えちまうのかよ……!」
「花村……」
 陽介の忍びやかな嗚咽に、木材の粛々と爆ぜる音だけが和する。ふたりと一匹はしばらくそのまま、ものも言わずにただ佇んでいた。
「ヨースケ」ややあってクマが沈黙を破った。「さっきのシャドウ」
「……んだよ」
「考えてたんだけど、あれはたぶん、もともとヨースケの中にいたんだと思うクマ」
「だからとつぜん現れた?」と、悠。「それにあいつ、花村と記憶を共有してた……」
「そうとしか思えないクマ。あのシャドウ、出てきたときも匂いだけはヨースケと同じだった。そんで、なにがどーなったのかよくわからんけど、そのあとは気配まで完全にヨースケと同じになったクマ。クマ思うに……もともとはそれが、あのもうひとりのヨースケ? の、ほんとうの姿クマ。あれもヨースケそのものなんだクマ、きっと」
「へっ、もうひとりの自分の逆襲ってか。マジで映画だな」
「花村、あいつは、陽介は多分、花村に危害を加えたくて現れたんじゃないと思う」
「…………」
「あいつは言ってた、おまえに思い知らせるためだって。言い方は乱暴だけど、おまえに自分のこと……つまり、おまえ自身のこと、理解して欲しかったんじゃないかな」
「……俺の認めたくなかったこと、とか?」
「勘違いするなよ花村、おまえが汚らしいだけのヤツだなんて思ってない。あいつの、陽介の言い分だけを認めれば、おまえはそういうヤツだってことになるけど……」
 陽介はひとつため息をついた後、悠を振り返って「ありがとな、鳴上」と泣きはらした目で笑った。
「俺の、なんてーの、弁護士? みたいなこと、してくれたろ」
「弁護っていうより調停というか、仲裁みたいだったけど――」
 言いかけて、悠はふと、陽介の胸ポケットの薄く光るのに気付いた。炎の照り返しで見えにくくなってはいるが、間違いなく光を放っている。
「もうひとりの自分かァ。ムズいよな、そういうのに向き合うのって。お前がいてくれてよかったよ、俺ひとりじゃぜってーダメだったろうし――あっ」
「花村、その――」
「なあおい、ちょっと待てよ、先輩って」
「え?」
「先輩、ひょっとして、俺と同じ目に遭ったんじゃねーか?」
「……クマ?」
「ありえる、とゆーか、たぶんそうクマ」クマは考え深げにしている。「いきなり人間の近くに出てきて、襲って……いままではそのシャドウはそのままどこかへ行っちゃってたんだけど」
「山野アナも」
「山野アナのことはなんとも――」
「マジでそう思ってる? お前」
「……裏を取ってからだ、そう断じるのは」
 現状、関係なさそうな要素より符合しそうな要素のほうが多い。件のアパートがもし山野アナにゆかりあるものなら、ほぼ同一の事例と見て間違いないだろう。
(それはここを出てからだ、それより――)
「花村、その胸ポケット」陽介の胸を指さしながら、「気付いてたか?」
「え?」
 陽介は指さされた辺りをじろじろ見たあと、「なにを?」と訊いてきた。
「いや、ポケット、光ってる」
「……え、胸? ここ?」
「そう、そこ」
「光ってるって言った?」
「……見えてない?」
「いや、なんも――なに、さっきとおんなじだな。タロットとかなんとか」
 悠は手を伸ばして、陽介の学生服の胸ポケットに指を突っ込んだ。――なにか薄い、カード状のものが入っている。
「あ、またタロット」
「うお……なに、手品?」
 例によってまた見えないのかと思いきや、意外にも悠の引っ張り出したタロットは見えている様子。
(これって、ひょっとして)
 カードにはペンタグラムを捧げ持つ、冠と長衣とで装った若い男が描かれている。その下のスクロールに踊る「THE MAGICIAN」の文字――見覚えがある、悠の持っていたタロットカードの一枚である。
「……花村、ほら」
「え?」
「これ、たぶんおまえの」
「え、でも」
「おまえのポケットから出てきたんだから、おまえのだよ、きっと。おれのはほら」
 言って、自分のタロットを示して見せる。
「……俺のは、マジシャン? 手品師?」
「確か魔術師だったと思う」
「これフールって読むんだよな……え、お前のって、バカってこと?」
「交換しよう」
「いやいいよ、いいって! 放せ……!」
「遠慮するなよ……!」
「いい、手品師でいいですマジで!」
 なかば奪われるようにして、マジシャンのタロットは陽介に落掌された。
「いいな、マジシャン」
「マジシャンってガラじゃねーけど。へー、光ってるなァ……」
 陽介は嬉しげに、手に入れたばかりのタロットをクマに見せびらかしている。もっともクマには見えないようだったが。
(花村も手に入れた、ってことは)
「なあ、これ俺にも貰えたっつーか、とにかく手に入ったんならさ……出せんのかな」陽介も同じことを考えたようだ。「あの、ペルソナ?」
「ヨースケのガラじゃないクマね」
「わりーよく聞こえなかったわ」
「クマも出してみたいって言ったクマー」
「ペルソナの出し方は……口頭でうまく伝わるかどうかわからないけど、あとで教える。いまはとにかくここから出よう。またシャドウが来るかもしれない」
「いま教えてくれりゃあシャドウが来たって……」
「わるいよく聞こえなかった」
「急ぎましょうそうしましょうって言ったんだよ、なあクマ」
「ヨースケそんなこと言ってないクマー」
 クマがそれほど注意を払っていないからには、先に店内へ押し入ろうとしていたシャドウは、少なくともこの近くにはいないのだろう。かといって、この手に入れたばかりでろくろく使い方もわからない力を恃みに、こんなところで肝試しとしゃれ込むつもりはない。
(五時前だ。時間も押してる、家につくころには六時を回ってるだろう……)
 ますます火勢を強めるコニシ酒店を後目に、ふたりと一匹はスタジオへと引き上げて行った。多くの収穫物と、新たになった謎とを抱えて。




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