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No.35651の一覧
[0] PERSONA4 THE TRANSLATION(ペルソナ4再構成)[些事風](2014/11/03 16:25)
[1] 序章 PERSONA FERREA[些事風](2014/11/03 16:25)
[2] 一章 REM TALEM MINIME COGITO[些事風](2012/10/27 23:54)
[3] 国を去り家を離れて白雲を見る[些事風](2012/10/27 23:57)
[4] マヨナカテレビって知ってる?[些事風](2012/10/28 00:00)
[5] ピエルナデボラシーボラ![些事風](2012/10/28 00:03)
[6] 出れそうなトコ、ない? ひょっとして[些事風](2012/10/28 00:07)
[8] 死体が載ってた……っぽい[些事風](2012/10/28 00:27)
[9] ペルソナなんぞない[些事風](2013/03/05 00:17)
[10] でも可能性あるだろ?[些事風](2012/10/28 00:34)
[11] バカにつける薬[些事風](2012/10/28 00:36)
[12] シャドウじゃなさそうクマ[些事風](2012/10/28 00:41)
[13] 吾、は、汝[些事風](2012/10/28 00:46)
[14] 俺はお前だ。ぜんぶ知ってる[些事風](2012/10/28 00:53)
[15] ノープランってわけだ[些事風](2012/10/28 00:56)
[16] 旅は始まっております[些事風](2012/10/28 01:05)
[19] 二章 NULLUS VALUS HABEO[些事風](2014/11/03 16:26)
[20] あたしも行く[些事風](2013/01/15 10:26)
[21] それ、ウソでしょ[些事風](2013/03/05 21:51)
[22] 映像倫理完っ全ムシ![些事風](2013/05/12 23:51)
[23] 命名、ポスギル城[些事風](2013/05/12 23:56)
[24] あたしは影か[些事風](2013/06/23 11:12)
[25] シャドウ里中だから、シャドナカ?[些事風](2013/07/24 00:02)
[26] 脱がしてみればはっきりすんだろ[些事風](2013/10/07 10:58)
[27] 鳴上くんて結構めんどくさいひと?[些事風](2013/10/14 17:36)
[28] セクハラクマー[些事風](2013/12/01 15:10)
[30] アギィーッ![些事風](2014/01/31 21:58)
[31] かかってこい、あたしが相手だ![些事風](2014/03/04 21:58)
[32] クソクラエ[些事風](2014/04/16 20:30)
[33] あなたは、わたしだね[些事風](2014/06/15 15:36)
[34] とくに言動が十八禁[些事風](2014/07/26 21:59)
[35] コードレスサイクロンユキコ[些事風](2014/09/13 19:52)
[36] 自称特別捜査隊カッコ笑い[些事風](2014/09/24 19:31)
[37] ッス[些事風](2014/11/03 16:29)
[38] oneirus_0d01[些事風](2014/12/14 18:47)
[39] 三章 QUID EST VIRILITAS?[些事風](2015/03/01 16:16)
[40] ええお控えなすって[些事風](2015/05/17 00:33)
[41] キュアムーミンだっけ[些事風](2015/10/18 13:01)
[42] おれ、弱くなった[些事風](2015/11/20 10:00)
[43] 中東かっ[些事風](2016/03/02 00:50)
[44] バカおやじだよ俺ァ[些事風](2016/05/15 16:02)
[45] ここがしもねた?[些事風](2016/08/16 15:11)
[46] 腕時計でしょうね[些事風](2016/11/15 13:03)
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[35651] 吾、は、汝
Name: 些事風◆8507efb8 ID:f9bea2dd 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/10/28 00:46



 いま自らが置かれている状況を評して言うに、もし彼自身の知っている語彙の中で少しでも近いものを選ぶとすれば、それは「混乱」になるだろうか。
 それはすぐ横にいたクラスメートの絶叫と、少し離れたところにいた着ぐるみの絶叫と、悠自身の口から迸った絶叫とでさらに強化された。これに感化されたのか、それとも別の理由か、悠達に迫っていたシャドウまで驚いたように飛び退る。
 薄闇に溶ける長衣と鉄仮面とを纏い、その体躯ほどもある矛を杖に持つ巨人が、忽然と、悠に覆い被さるような形で膝をついていたのである。
「吾、は、汝」
 凍り付く悠の頬を巨大な掌が包み込む。いっそ優しいとさえ言える、穏やかな挙差で。
「汝、は、吾」
 先に見た夢のように、磨き込まれた鉄仮面が近づいてくる。近づくほどに混乱はほどけて、どこか隠された根拠に基づく大いなる安心感が胸を占める。
「汝、よ、告れ」
 鉄仮面の双眸、その奥に金色の炎が灯る。この炎がどこのなにから来ているのか、悠にはそれがなぜか当たり前のようにわかる。この炎の種火がどこの火床に由来するものか。
「吾、呼ばへ」
 悠は手を伸ばして、いまや鼻先にまで迫った鉄仮面に軽く触れてみた。熱い。炎の熱さではない、あたかもそのすぐ向こうに血の通った肌があるのではと思わせるほどの、それは温もりに満ちた、
「……仮面ペルソナ
「鳴上……」
 悠の視界、というより、かつて意識したことのなかったより上位の知覚に、ふいに彼自身と巨人の顔とが同時に投影される。――これはまったく、途方に暮れるほどの困惑であった。悠には自分の顔と巨人の顔が同時に見え、しかも同時には見えておらず、おのおの独立して見えている、のである。
(???)
 とりあえず陽介に返事をしなければ、と、彼のほうへ振り向くと、今度は自分の後頭部と陽介が同時に知覚される。
「そいつって、お前の、いっ、言ってた」
「あ、待った、これは――」
 陽介が情けない悲鳴を上げる。知覚されていた悠の後頭部がぐうっと下へ沈み込んで、その向こうにへたり込んだ陽介と、彼を遠巻きにする二匹のシャドウを見下ろすような形になる。おれはいま立ち上がった――しかも、同時に悠は座り込んでいる。右手に硬く頼もしいなにかを握っている感覚がある。しかも、悠の右手は力なく身体の脇に垂れている。
(おれはいま、巨人になってるんだ……いや、おれはこのとおり座ってる。違う! いや、どちらでもあるんだ。なんだって? 馬鹿なことを! なに考えてるんだ? ええ?)
 この支離滅裂が疑いようもなく、しかし確乎とした真実であるというどうしようもない確信! 精神衛生上せめていま眩暈でも覚えられれば少しは楽になろうものを! この初めて出くわした、あまりにも異質に過ぎる概念になんとか説明をつけてみようと、彼は知れきった無駄な努力をしてみた。
「鳴上?」
「だ、大丈夫。ちょっと、待って、把握してる」
 右手をあごに持ってこようとする。頭上でなにかとんでもなく長大なものが持ち上げられる。それを振り仰ごうと上を向いても、悠の視界から陽介は消えない。どうやら巨人のほうがあごを逸らしたらしい。
(落ち着け、落ち着こう、いいんだ、わからなくていい、とりあえずこの場を……そう、こうしよう。とりあえず、どちらかだけ、いや、巨人のほうだけを動かそう、いや、この考え方はじっさい正確じゃない、動こう、よし、やれる)
「大丈夫クマかー、ユー!」
 着ぐるみがぎょっとした様子で後退る。「悠」がクマを見下ろしたのである。陽介を見詰めたままの悠はとりあえず、背中を丸めてアスファルトに突っ伏した。こちらの「統御」は最小限に留めなければ。
 シャドウに視線を転じると、二匹の小さな怪物は弾かれたように飛び退った。そうして惨めったらしい、負け惜しみめいた吠え声を上げ始める。
(あんなに得体の知れない、獰猛そうな怪物に見えたのに……)
 巨人の姿を得てよりのちに見下ろすシャドウの、なんとはかなく矮小に感じられることだろう! 悠はいま自らが、表現しようとしてしえないほどの、強大な生物であることを静かに認知していた。
「花村」悠は亀になったまま面を上げた。「この巨人の、後ろに」
「大丈夫なのかお前、どうした!」
「大丈夫。はやく、クマも。シャドウは、おれが」
 寄り添っていた二匹のシャドウのうち、一匹が乱杭歯を剥いて飛びかかってきた。――なるほど、クマの言い分は間違っていない。最初からこのスピードで襲いかかって来ていたら、悠も陽介も覚悟する時間すら用意できなかったことだろう。それも降って湧いたこの謎の力を得たあとでは、幼児が泣きながらだっこをせがんでくるのと大差なかった。
 振り上げた左腕にシャドウが齧り付く。なにかが腕を挟んだ、くらいの印象である。この巨人の肌を傷つけるには彼の歯も力も脆弱に過ぎる。もはやシャドウに対する恐怖は微塵もなかった。それどころか、必死にガリガリやるのを見ているうち、悠の中にはこの醜い怪物に対する軽蔑と、かすかな憐憫さえ湧いて来るのだった。
「花村、ほら。こいつは、なんにも、できない」自分でも驚いたことに、この科白は笑いを含んでいた。「そのゴルフクラブ、こいつらには、高くついたよな」
「……クマ! こっち、このでかいのの後ろに隠れろ!」
 陽介とクマが後退するのを待って、「悠」はゆっくりと歩き出した。悠を蹴飛ばさないよう迂回して、左腕のシャドウはそのままに、奥に控える片割れを目指して。――もう一匹の襲撃は、彼の相棒ほどの戦果も得られずに終わった。矛の無造作な一閃でシャドウはまっぷたつになり、なにか汚らしい中身をアスファルトにぶちまけて果てたのだった。
「うげ……」
「す、すごいクマ、シャドウがあんなにあっさり……!」
「……花村、少しは、気が晴れた?」
 巨人がUターンして戻ってくる間に、悠はそろそろと立ち上がりかけた。途端に巨人の足が縺れる。ついでに悠も横倒しになりそうになる。花村が慌てて駆け寄って彼を支える。
「おい、やっぱり大丈夫じゃねーだろ」
「いや、ほんとうに大丈夫なんだ、ただ操作が」
「操作? 鳴上、一匹のこってるけど――」
 と、陽介の言うあいだにも、件のシャドウは左腕からむしり取られたあげく、半紙でも千切るみたいにしてあっさり引き裂かれてしまった。
「…………」
「花村わるい、立たせてくれ」
 片方に専念するならともかく、この「巨人」を自分の身体と平行して使うのはそうとう難しいようだ。いままで試みたことのないたぐいの努力、喩えるなら、足で抽象画を描きながら手で写実彫刻を試みるような、まったく別次元のストレスを感じる。
 巨人が目の前に来るのを待って、悠はようやく花村から離れた。
(おまえを誤解してたな)
 自身の身体に専念するとじき、「もうひとつの知覚」はにわかに薄らぎ、それに伴って巨人の姿も霞んでいった。完全に消えてしまう間際、一枚の青い燐光を放つカードがゆっくりと、悠の結ぶ手のひらに落ちてくる。
(最初からあったんだ、おれのすぐ近くに。なくしたわけじゃなかった)
 落掌したのは見覚えのあるタロットカード。みすぼらしい旅装の若者が象徴的に、ちょっとデッサンを崩して描かれていて、その下のスクロールに「THE FOOL」の文字が躍っている。――彼はちょうど間に合ってくれたのだ、幾度も「自分」に恐れられ、誤解されながら。
「さっきのって、お前だよな、やったの……」陽介は呆然としている。「なんだよ、いまのやつ」
「……ペルソナ」
「ペルソナ……って、なに、どういう、てかお前なにしたんだよ!」
「あ、シャドウが」
 クマのそう言って示すほうを見たときには、すでに道路を汚す二匹の死骸は急速に消えつつあった。どういう原理か、シャドウは死ぬと――そもそも生きているのかどうかもわからないが――消えてしまうらしい。
「消えたな。どういう生き物なんだろう……」
「ああ、それもそうだけど、その、ペルソナのこと」
「よくわからない、おれも。ただ」悠は手に入れたカードを陽介の目の前に示した。「さっきの鉄仮面の巨人について、おれ、とんでもない誤解をしてたみたいだ」
「あ、そうなの……えっと、鳴上、なんだ?」
「え?」
「この指。なに?」
 と言って、陽介は目の前のタロットを怪訝そうに指さした。
「指って、いや、タロットカード」
「タロットカード? え?」陽介の眉が困惑に顰む。「……合図? 悪い、わからん、どういう意味?」
「ええと……カードだよ、カード。こういうのをタロットカードっていうんだ」
「こういうの、って……いやホント悪い、わかんねーんだけど。タロットカードは知ってるよ」
(……見えてないのか?)
「いまカードをつまんでるんだけど」
「……この指で?」
「そう、いま、この指で」
「冗談、じゃないよな、いや確認なんだけど」
「もちろん違う。大まじめ」
「……マジで? 見えねんだけど」
「冗談、じゃないよな、確認だけど」
「見えない。大マジで」
「そんなバカな、ほら、こうすれば感じる――」
 件のタロットで陽介の頬を撫でたつもりが、なんの抵抗もなく顔に埋没してしまった。
「どうして……」
「俺もどうして、だよ。たぶんお前以上にさ」陽介は力なく笑った。「ま、いいや。それはともかく、助かったぜ」
「助かったのはいいんだけど……」
「それより、さっきの、ペルソナって言ったよな」とたんに陽介の眼に好奇心が漲る。「なあそれ、俺も出せたりすんのかな……」
「というか、なんでおれにこんな」
「落ち着けヨースケ、センセイが困ってらっしゃるクマ!」
 最前から黙って様子を窺っていたクマが、ようようふたりの許へやってくる。なんだか恭しいような尊大なような、奇妙な態度である。
「……センセイ、だァ?」
「いやはやセンセイはすごいクマねー! クマはまったくもって感動した!」と言って、悠の手を取りながら、「こんなすごい力を隠してたなんて……シャドウが怯えてたのもわかるクマ!」
「隠してたわけじゃ」
「もしかして、この世界に入って来れたのも、センセイの力クマか?」
「あれを力なんて呼べるかわからないけど……そうなる、のか?」
「まあ、俺はできないから、そうなんじゃねーの?」
「ふむー……やっぱりそうクマか! こらすごいクマねー」ひとしきり感心したあと、クマは傍らの陽介の肩をびしびし叩いた。「なっ、ヨースケもそう思うだろ?」
「なに急に俺だけタメ口になってんだ! チョーシ乗んなっ!」陽介が凄んだ。「なんなんだその掌の返しようは!」
「はい……」クマはたちまちしょげ返った。「でもでも、ヨースケはアレ出せなかったし……」
「なんか言ったか」
「メッソウもございませんです」
「たく、オメーだってなんにもしてねーだろ」
「クマはシャドウを探知してくれただろ、案内もそうだ」
「そりゃ、そうだけど……」
「花村だって活躍したじゃないか、さっき」
「……ヨースケ、なんかしたクマ?」
「真っ先にシャドウに立ち向かって、おれとクマに逃げろって、言ってくれただろ」ひん曲がったゴルフクラブを指して、「誰にでもできることじゃない、おまえは凄い、ほんとうに。少なくともさっき、逃げることであたまが一杯だった、おれは……」
 火は黄金を試すというが、先の試金によって暴かれた陽介の裸かな姿は、顧みて悠の眼にいかにも眩しく映った。
 陽介はそもそも初対面のときから、いまひとつ軽薄で軟弱な印象の拭いきれない人間であった。彼に感じるようになった親しみもけっして丁重なものでなく、ただ側にいれば心和む、その陽気で善良な人柄に一定の信頼を置くことができただけに過ぎない。悠が彼を一段下に見ていた、というのは、じっさい否定しようもない事実だった。だのに……
(結局、おれにひとを見る目がなかったのか……いや、ぜんぶ見たつもりになってたんだろうな、きっと)
 この地金の輝きはどうしたことだろう? 捨身の勇気! それは悠自身、かつて自分の中に見出したことのないものだった。たしょう直情径行かつ短慮であるなどと、この輝きに引き比べてはほんとうに小さな短所と言わざるを得ない。彼は友人である、彼が友人である――この想念には悠自身の自尊心をくすぐる、なんとはない誇りがある。
「いや、いま考えりゃ、さっきは逃げなきゃいけなかったんだ。俺のはただの考えなしだって」陽介は照れているようだ。「誰でもできることじゃないっていえば、お前だよ。あのペルソナ? だっけ? あれスゲーじゃん!――あれってちなみに、いまもパッって出せたりすんの?」
「考えなしって言えばおれだって……準備してきたわけじゃない、あのペルソナが間に合ってくれたのはただの偶然なんだ、ほんとうに、ただの偶然」
 ましてその救世主を天敵あつかいしていたのだ。いかに悠自身に由来する力とはいえ、彼はその功績を誇っていい立場になかった。
「花村は逃がそうとした。おれは逃げようとした。この差は大きい」
「謙遜すんなって」
「そのセリフ、熨斗つけて返す」
「え、ノシってなに?」
「ヨースケはものを知らんクマねー。ノシっちゅーのはァ、桂剥きにして干したアワビのことでェ、むかしから敵を打ち伸ばして家産を伸し広めると言われて――」
「知らねーよっ! つかお前の知識どんだけ偏ってんだよ!」
「ええ……常識クマよ……?」
「なにそのちょっと信じられないこのヒトって態度!」
「尊敬するよ花村、ほんとうに」
 笑い含みにこんな言葉が口をついて出てくる。
 我がことながら、自分自身の言葉の、その真率の色に、悠は卒然とあることに気付かされた。――これは苦い自覚だった。思えば自分は、皮肉か諧謔でもないかぎり、そうすることによって相対的に、自らの価値を積極的に落としかねない言動を、いままで無意識に避け続けていたのではなかったか?
 思えば、クラスメートを「尊敬」するのは、これが初めてだったのではないだろうか。同年代の他人に対してこんな考えを抱くのは、実に初めてのことでは? 自分は「同級生」という細胞群で構成された一匹の生物に対して、いままでどんなことを考えていたのだったか。
(……光が強くなった)
 左手に抓んだままのタロットが、とみに輝きを増す。眼を射る燐光の中の、旅装の「悠」がもの言いたげに、彼を見上げているような気がする。――おれは愚か者ザ・フール、ではおまえは何者?
「あーもー大げさ過ぎんだって! それに殴ったってぜんぜん効かなかったんだし、なんかしたことにはならねーって……」
「そークマね」
「なんか聞こえた?」
「クマ耳ちいさいから」
「……お前も同じことしてみろっつんだよ」
「ムリムリ。筋肉ないもん」
 おまえはかつて同年代の他人を、ちゃんと見ようとしたことなんかなかった。尊敬したことなんかなかった。それどころか、おまえはその逆のことさえ考えていたのではなかったか。もし自分という人間を友人に持つものがいたとしたら、それが彼にとってどれほどの光栄であることか! その光栄の安売りなどすまい――おまえはこう考えていたのではなかったか?  
(やめろ! まったくなんて下らない答えが出てきたんだろう、考え過ぎるものじゃない、馬鹿馬鹿し過ぎる! こんなのはただの下手くそな自虐だ、謙遜のし損ないに過ぎない!)
 破り捨ててしまおうか――悠はタロットにそっと両手を宛がった。旅装の「悠」の無言の責めがむしょうに腹立たしかった。なにしろ思い当たることがあり過ぎた。ただこうも直接的に断じなかっただけ、彼一流の諧謔と韜晦とが、それをなにか別のものに擬態していたというだけ。
(いままでの考えを否定しさえすれば、それでおまえはどこかしら前に進んだ気になれるのか? おまえはそれほど愚かだったか! 考えるのをやめろ! 違う、考え続けろ!)
 こんな考えがいま、どれほど彼の胸中を虚しく滑っていくことだろう。悠は悄然として「悠」を破り捨てるのを諦めた。どんな凶悪なシャドウでも、彼をこれほどの恐怖に陥れることはできなかっただろう。背筋の凍る思いだった。どれほど真っ当らしい言説で自身を弁護しようとも、たったいま初めて見出した輝きが、それを隠しようもなく照らし出す。
「へーへー、じゃ次は盾にでもなってもらうか」陽介が悠の肩を叩く。「ま、お前らのおかげで、この先シャドウが出てもなんとかなりそうじゃん!」
「…………」
「おいって、そんなに落ち込むことねーだろ。ほら、おれだってとっさの行動で、次おなじことあったら逃げるかもしれんし」
「ありえるクマ」
「なんか言ったか?」
「センセイ元気ないなーって言ったクマ」
「いや、うん……」
「ほらほら元気だせってセンセイ、頼りにしてっからさ!」
「おまえは凄いよ、花村」悠は深いため息をついた。「先生なんて呼ばないでくれ、そんなんじゃない……」
「いやお前のほうがスゲーじゃん。つか……なんでそんな急にテンション低くなってんの? あれ?」
「ユーのほうがいいクマ?」
「……いや、センセイでいい」
 忌まわしいタロットはひとまず胸ポケットにしまって、悠は気を取り直した。
「悪い、ちょっとイヤなこと思い出してさ。――さ、中に入ろう」
「おう。じゃクマ、次はよろしくな。お前が戦ってくれんだろ?」
「もういっかいヨースケのお手本が見たいクマー」
 曲がったゴルフクラブを押し付け合いながら、陽介とクマが店内に入っていく。クマがことさら注意を発しないところを見ると、どうも中にシャドウはいない様子である。彼らが敷居をくぐるのを待って、悠も店内に足を踏み入れた。
 とたんに、店内の蛍光灯が一斉に灯る。





 八十稲羽商店街の店舗はおしなべてそうなのか、店内はわりあいに広かった。幅のそれほどない代わりに奥行きがある。鰻の寝床というやつだ。
「クマ、シャドウはいないんだよな」
「いないクマ」クマは自信ありげに断じた。「この町にはもう一匹もいないクマ」
「安心はできねーけど、でもまあ、こっちには鳴上センセイがいるし」
「そーそー、センセイがいればシャドウなんかこてんぱんクマ」
 一瞥した限り、店内に取り立てて奇妙なものは見当たらない。右手の壁にずらりと並ぶリーチインタイプの冷蔵庫が、しんとした店内に微かな顫動音を響かせている。色鮮やかな蒸留酒、つまみや菓子類に混じって、ちょっとした酒器のたぐい――雪子の言っていたものだろうか、城根焼との表記がある――まで販売されているのは、零細の専門店ならではなのだろうか。店のいちばん奥にちょこんと設えられたレジカウンターも、あまり窃盗を警戒していない、開けっぴろげな田舎っぽさを悠に想起させる。
「花村、ここに入ったことは?」
「え? ああ、向こうの世界でってことか」
 向こうの世界――もちろんそうとしか言いようがないのだが、おそらく一生涯出ることなどないはずだった世界を形容するのに、ちょっと素朴すぎる言い方ではある。
「なにか気付いたことはない? こう、パッと見た限り」
「どう、だろーな。俺も二回しか来たことなかったし」
「ああ、そうなのか」
 彼にも思い人を訪ねるに、その年頃にふさわしい含羞があったようだ。それとも侵略者たる負い目が躊躇させたものか。
「……言っとくけど、そういうんじゃねーからな」心を読まれたようだ。「ここに来る用事じたい、そもそもねーし。それでなくたってこの辺りにいると白い眼で見られたし」
「そういう思いをしてでも、二回は来たんだな」
「そーだよ……来ましたよ、小西先輩めあてで」陽介はあっさり白状した。「でもこんな感じだったぜ、たぶんほとんど変わってない」
(そういえば……あのアパートも、向こうの世界に実在するんだろうか)
 クマの懸念、この町のディティールの再現度、そして陽介の言葉を考え合わせれば、あの部屋も現実の、向こうの世界のコピーである可能性が高い。もしあれが陽介の言うように、山野アナと関わりのある場所であったなら、
(メゾン・ド・ラ・ネージュ、だったっけ。戻ったら調べてみなきゃな……いっそ叔父さんに訊いてみようか)
「そーいえば、コニシセンパイって、なにクマ?」クマが口を挟んだ。「さっきも言ってたけど、ひとクマ?」
「……なんだっていいだろ」
「たぶんここで消えた、学校の先輩なんだ」悠が注釈を入れた。「おれたちの知り合い」
「……えーと、そのう、ごめんクマ」
「いーって! よし、じゃあ店ん中しらべてみようぜ」
(もしあのアパートで起きたことと似たようななにかが、ここで起きたとすれば――)
 奥へ向かっていくらも経たないうちに、陽介が短く呻いて立ち止まった。棚と棚とのあわいに視線を落として、じっとなにかを見詰めている。
(――こういうものがあるのも、まあ、予想できたことなんだよな)
 立ち竦む陽介の肩越し、明るいウッドペイントの床に、なにか粘性の液体をこぼしたような、いびつな茶色い溜まりのあるのが見える。そして微かに鼻を突く、あの部屋で遭遇したのと同じ、異様な腐敗臭。
「先輩……」
 陽介がその場にしゃがみ込んで、なにか拾い上げた。
「それ、小西先輩の」
「やっぱり、そうなんかな」
 彼の手にあったのは、右足側だけの、女物の革靴だった。ダークレッドのストラップシューズ――間違いない、インタビューを受けたときにも履いていた早紀の靴である。
「先輩、やっぱりここで……」
「花村」
「……遺品に縋って泣くのかって、言ったよな、お前。学校で」
「んん」
「前もって言われてなきゃ、そうできたのにな、ったく」陽介は振り返って、気丈に笑って見せた。「そうだよな、そんなことしに来たワケじゃねーもんな。泣いてる場合じゃない」
「ああ――クマ、ちょっと」
「クマ?」
 物珍しげに冷蔵庫の中を眺めていたクマが、呼ばれて近寄ってくる。
「これ、どう思う」
 床に溜まって広がる「なにか」をクマに示して見せる。先にちらと見るだけ見たきり、クマはあまりこの光景に感心を寄せていない様子だった。
「跡クマね」
「跡?」
「跡クマ。ひとの」
「クマちょっと――」
「おい、跡ってどういう意味だ」陽介が悠を遮る。「お前なんか知ってるのか」
「よくわからんけど、ひとがシャドウに襲われたあとは、いつもこんなものが残ってるクマ」
「なんで死体がないんだ?」
「……死体はある。向こうの、おれたちの世界に」
「誰かが運んでるってのか」
「たぶん違うクマ。一回だけ見たことあるクマけど、こう、ズブズブーって、地面に沈んでいくクマよ」
「沈む……って」
「……なんで?」
「んー……しらんクマ」
 クマは大して気にならないらしく、あっけらかんとしている。いずれにせよなんらかの理由で、どうやらこの世界でシャドウに襲われた人間は、向こうの世界に「帰って」しまうらしい。変わり果てた姿となって。
(変わり果てた姿……あのシミ、この液体、腐敗臭……)
 例の火星探査員、大量のブルーシート、女生徒たちが噂していた「正体不明の毒物」――これらの断片的な情報がみな一様に、犠牲者たちの辿ったなにか不穏な運命を示唆しているように思われる。あの日、遼太郎が事件現場でなにを見たにせよ、それはほぼ間違いなく「変わり果てた姿」であったのだ。
 それこそ、大事な一人娘の安否をいっとき忘れてしまうくらいの。
「クマ、お前、なに持ってんだ」
 なにか見咎めたようで、陽介がクマを差し招いている。
「そこの台の下に」クマが奥のレジカウンターを指す。「落ちてたクマ」
「…………」
 クマからなにか受け取ったなり、悠に見せるでもなく、陽介は卒然とレジへ駆けて行く。
「花村?」
「これ……そうだ、やっぱり」カウンターの上でなにか忙しくしながら、陽介が言った。「鳴上、こっち」
 陽介の示したのは、いくつかの小片が合わさってできた一枚の写真である。細切れになっていたものを陽介が繋いだのだろう。
「前にバイト仲間と、ジュネスで撮った写真だ」
 まだ二度しかジュネスへ行ったことのない悠には、その写真の撮られたのが店内であるということ以外はわからない。服飾系と思しい小売店舗の前で、七人の男女が雑然とひとかたまりになって映っている。
「これ、先輩が?」
「なんでこんなこと……」
 たんなる偶然か、それとも破り捨てた本人が避けたのか、最前列に並んでしゃがむふたりの顔にだけは、裂け目が及んでいなかった。陽介と早紀の笑顔――写真撮影に臨んで用意するような笑顔ではない、なにかとても賑やかで、楽しいひとときをまさに生きている人間の、その一瞬間を切り取ってきたような、幸福な笑顔。
「――それよりさァ、早紀さ、ちょっと話あんのよ」
 悠、陽介、クマの三者とも、ぎょっとして声のしたほうを向く。
 なんの前触れもない、女の声が卒然と、カウンターと反対側の部屋の隅から聞こえてきたのである。
「あたしはね、まあ、いいんだけどさ、ミキのやつがギャーギャー言っててさ」
(誰もいない……なんなんだ? サキって)
「なに? ちょっと、もう時間やばいよ、行かないと」
 最初の声に答えたのは、果たして早紀のものだ。同意を求めて陽介を覗うと――案の定、口を半開きにして驚きを隠せないでいる。
「すぐ済むから。あのさ、早紀って、火曜のシフトドタキャンしたじゃん」
「うん……それはごめんって、ホントにさ」
「いやいーのよ、代わるのは別にさ。ただ、アンタ何回かやってるよね」
 沈黙が流れる。クマが最前から説明を求めるように、悠と陽介とを交互に見遣っている。
「……チーフに言うべきだと思うんだわ、家の事情ならさ」
「言ってるって」
「家の事情じゃないから、チーフに言わないで花村に言うんだ?」
「はあ?」早紀の声にトゲが生える。「なに言ってんの?」
 シフト、チーフ、花村――早紀がジュネスでバイトしていたことを考え合わせれば、どうやらこの会話は彼女とそのバイト仲間とのものであるらしい。いつ、どこで話されて、なによりどうしていま、このように不可思議な方法で「再生」されているのかはわからないが。
「あのさ、早紀さ、花村が早紀のこと好きなの知ってる?」
「……知ってんでしょ、そんなの誰でも」
「あんたはどうなの。好きなの?」女がため息をつく。「……ミキがさ、アンタが何回か休み取ってんの、ジョージツだとか言いふらしてんだわ、カズミとかに。黙らしといたけど」
 ふたたびの沈黙。クマが悠の袖を引く。悠は手振りで黙るよう合図する。
「早紀さ、いま付き合って――」
「なんとも思ってないって。向こうが勝手に熱あげてるだけだから」
 笑い含みの声。陽介にはさぞかし苦痛であろうはずなのに、その顔色の変わることはない。ただ声のするほうをじっと睨んでいる。
「花村、完全に勘違いしてるよ」
「それは向こうの勝手でしょ」
「アンタわかっててあんなに仲良くしてんだ」
「なに? じゃ嫌われるようにしろって言うの?」
「なんでその二択になんのよ。距離を保ちながら親しくって、できるでしょ。小学生じゃないんだから」
「わたしがどうしようとオリエには関係ないでしょ」
「ないね。あたしは彼氏の都合でズル休みとかしないし」
「誰が――」
「アンタさ、勝手に休んで悪いとか、周りのひとに対して思わないの? アンタが利用してる花村とか――」
「向こうが好きで利用されてるだけだって! わたしは関係ない!」
 みたびの沈黙。陽介が項垂れる。クマが焦れて地団駄を踏み出す。
「……マジで言ってんの? 早紀」
「マジよ。いろいろ付き纏ってきてウザいし、花村……」
「センセイ」
「クマちょっと静かに」
「……そのウザい花村にムリ通させて、代わりに誰かが穴埋め入ったりしてんの、どう思ってんの」
「だから謝ってるじゃない。それにムリならみんな言ってるでしょ、それを通すかどうかなんて花村しだいで、わたしは関係ないって言ってるの」
「ああそう……ジョージツのほうがずっとマシだったわ。もういいよ」
「なにその失望したみたいなポーズ。そっちが詮索してきたんじゃない」
「センセイ、そこに」
「いいから――そこ?」
「大した悪女だね、早紀」
「自分は善人のつもりなんだ? もう行くから」
「そこにシャドウが……」
 クマの指さしたのは、先ほどから女の声の聞こえてくる、部屋の隅の暗がりである。そこへ近づこうとして悠はすぐに足を止めた。
「花村、クマ、おれの後ろに」
 胸ポケットのタロットを引き出して構える。悠の睨め付ける間にも、暗がりからゆっくりと人影が吐き出されて来る。
「聞き覚え、あるだろ? 二ヶ月も経ってねーし、お前そうとう落ち込んでたし」
 悠は思わず背後の花村を振り返った。クマも悠と同じような感想を抱いたのだろう、傍らの陽介と、今し暗がりから出てきたばかりの人影を交互に見遣っている。
「ちっとマゾっ気はいってるよな、最後まで立ち聞きしてんだからさァ」
 蛍光灯の下に照らし出されたその人影は、見紛いようもない、陽介そのものだった。




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