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No.35651の一覧
[0] PERSONA4 THE TRANSLATION(ペルソナ4再構成)[些事風](2014/11/03 16:25)
[1] 序章 PERSONA FERREA[些事風](2014/11/03 16:25)
[2] 一章 REM TALEM MINIME COGITO[些事風](2012/10/27 23:54)
[3] 国を去り家を離れて白雲を見る[些事風](2012/10/27 23:57)
[4] マヨナカテレビって知ってる?[些事風](2012/10/28 00:00)
[5] ピエルナデボラシーボラ![些事風](2012/10/28 00:03)
[6] 出れそうなトコ、ない? ひょっとして[些事風](2012/10/28 00:07)
[8] 死体が載ってた……っぽい[些事風](2012/10/28 00:27)
[9] ペルソナなんぞない[些事風](2013/03/05 00:17)
[10] でも可能性あるだろ?[些事風](2012/10/28 00:34)
[11] バカにつける薬[些事風](2012/10/28 00:36)
[12] シャドウじゃなさそうクマ[些事風](2012/10/28 00:41)
[13] 吾、は、汝[些事風](2012/10/28 00:46)
[14] 俺はお前だ。ぜんぶ知ってる[些事風](2012/10/28 00:53)
[15] ノープランってわけだ[些事風](2012/10/28 00:56)
[16] 旅は始まっております[些事風](2012/10/28 01:05)
[19] 二章 NULLUS VALUS HABEO[些事風](2014/11/03 16:26)
[20] あたしも行く[些事風](2013/01/15 10:26)
[21] それ、ウソでしょ[些事風](2013/03/05 21:51)
[22] 映像倫理完っ全ムシ![些事風](2013/05/12 23:51)
[23] 命名、ポスギル城[些事風](2013/05/12 23:56)
[24] あたしは影か[些事風](2013/06/23 11:12)
[25] シャドウ里中だから、シャドナカ?[些事風](2013/07/24 00:02)
[26] 脱がしてみればはっきりすんだろ[些事風](2013/10/07 10:58)
[27] 鳴上くんて結構めんどくさいひと?[些事風](2013/10/14 17:36)
[28] セクハラクマー[些事風](2013/12/01 15:10)
[30] アギィーッ![些事風](2014/01/31 21:58)
[31] かかってこい、あたしが相手だ![些事風](2014/03/04 21:58)
[32] クソクラエ[些事風](2014/04/16 20:30)
[33] あなたは、わたしだね[些事風](2014/06/15 15:36)
[34] とくに言動が十八禁[些事風](2014/07/26 21:59)
[35] コードレスサイクロンユキコ[些事風](2014/09/13 19:52)
[36] 自称特別捜査隊カッコ笑い[些事風](2014/09/24 19:31)
[37] ッス[些事風](2014/11/03 16:29)
[38] oneirus_0d01[些事風](2014/12/14 18:47)
[39] 三章 QUID EST VIRILITAS?[些事風](2015/03/01 16:16)
[40] ええお控えなすって[些事風](2015/05/17 00:33)
[41] キュアムーミンだっけ[些事風](2015/10/18 13:01)
[42] おれ、弱くなった[些事風](2015/11/20 10:00)
[43] 中東かっ[些事風](2016/03/02 00:50)
[44] バカおやじだよ俺ァ[些事風](2016/05/15 16:02)
[45] ここがしもねた?[些事風](2016/08/16 15:11)
[46] 腕時計でしょうね[些事風](2016/11/15 13:03)
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[35651] でも可能性あるだろ?
Name: 些事風◆8507efb8 ID:f9bea2dd 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/10/28 00:34



(叔父さん、今ごろなにしてるんだろう)
 課業六時間目、午後一番の眠気も覚めはじめる時間帯である。細井教諭の白楽天についての講義をなかば聞き流しながら、悠は頬杖をついて朝方のことを思い出していた。
 腕時計は二時半を示している。
 けさ遼太郎が慌ただしく家を出て行ったのは、五時前ごろ、朝まだきの薄暗い時刻である。たまたま眠りの浅かったところに物音を聞いて、用足しがてら階下に降りてみると、ちょうど身支度を調えた彼が立ったままコーヒーを啜っているところだった。
「起きたか、早えな」
「……早いのはお互い様。どうしたの」
「呼び出しがあった。今日帰れるかどうかわからん」遼太郎は飲みさしのコーヒーを流しに捨ててそう言った。「じゃあな、もう行く。菜々子を頼む」
 朝の会話は実にこれだけである。
(ずいぶん急かされてたみたいだったけど、ゆうべ話してた件と関係あるのかな。そういえば諸岡先生も警察がどうとか――)
 ふと、なにかが椅子の背もたれを叩くのを感じて、悠は半身を捻って陽介に向き合った。当の陽介といえば小さく首を振って、たぶんそれで椅子を叩いていたのだろう、右手のシャープペンシルでしきりに悠の背中の辺りを指し示している。
(……付箋?)
 見れば、椅子の背もたれに付箋紙が貼り付けてある。
『あのピアスはヴィヴィアンウェストウッドっていうらしい。お前今持ってる?』
(あのピアス。あのピアスって、あれのことか?)
 例の陽介の戦利品はあのときのまま、ティッシュに包んで堂島家の仏壇の裏に隠してある。とても持ち歩く気にはなれない、いわくつきなのは明らかなのだ。
 付箋に眼を落としている間にまた一枚。
『メシの時大谷のサイフに同じようなのがついてたから聞いた』
(大谷、大谷、誰だっけ……あっ、あのキングサイズか。確かに丸太みたいなウェストだ)
 正面を向こうとするとまたコツコツ遣り出す。
『聞いておどろけ、なんと山野アナがそのブランド愛用してたんだと! 大谷情報。おれもさっきブログ確認済み!』
 思わず後ろを振り向くと、陽介の確信に満ちた眼に迎えられた。左手のスマートフォンを振りふり、口だけで「ブログ、ブログ」と繰り返している。
『ビビッと来たね。これってあたりじゃね?』
(なにを言い出すかと思えば……本気か?)
 可能性はないでもなかろうが、あまりにも短絡的に過ぎる。
『その話は学校終わってからって朝言ったぞ』
『話してないじゃん。書いてるだけ』
(気になって仕方ないんだな。その熱意を少しでも授業に向ければいいのに……)
 たまたま得た大谷情報とやらのせいで推測をたくましくしたあげく、この勇み足を披陳するのを我慢できなくなったらしい。陽介は人の違ったように生き生きとしていた。
『授業に集中。あと少しだろ』
『あと少しならいいだろ。お前どう思う?』
「…………」
『どう思うって。答えるまでおれはお前のイスにメモ貼り続ける』 
 ため息が漏れた。
『山野アナが愛用していて、あのベッドに同じブランドのものがあったから、そうだと言いたい?』  
『ドンピシャだろ?』
『大谷の妹とか姉とかの可能性は?』
『なんで大谷が出てくる』
『その通りだよ。なんで山野アナが出てくる』
『山野アナの愛用してるピアスがあの世界のあの部屋にあったから』
『山野アナの愛用しているブランドのピアスだ。ついでに大谷も、ひょっとしたら彼女の姉妹も愛用してる。山野アナの持ち物とどうしてわかる』
『山野アナは死んでる。あのベッドは死体が載ってた。そこにあった遺留品だぞ』
『山野アナは死んでる、だけあってる。死体が載ってたなんてただの推測で、具体的な根拠なんてない。あのベッドの染みの由来は素人の判断にあまる』悠はここまで書いたあと、平行してノートを写す作業を仕方なく諦めた。『あのピアスは遺留品かもしれないけど、犯人が残した可能性だってある。つけ加えれば、大谷の姉妹でも、そのブランドの愛好者でも誰でもいいけど、そのうちの誰かが最近死んでいないなんて保証もない』
『でも可能性あるだろ?』
『この世のヴィヴィアンウェストウッドファンの全てに備わる可能性だぞ。なにか特定の事情を推察しうるような規模の話じゃない』
『この世は言い過ぎだろ。せいぜい八十稲羽くらいじゃないか』
『あの世界が八十稲羽にだけ繋がっているとは限らない』
『じゃあ全然関係ないってのか?』
『もちろん大いに関係ある。大谷の姉妹と同じくらいには』いいかげん指が疲れてきた。『この話は後にしよう。今は授業に集中!』
 ――やっと後ろから小突かれなくなったと思ったら、今度は隣からにゅっと腕が伸びてきて、悠の手の甲に付箋紙を貼っていった。千枝である。
『なんの話? きのうのでしょ?』
(こっちからも来た……) 
 朝からひと言もこの話題に触れないのでついうっかりしていたが、口止めの必要な人間は隣にもいたのだった。
『家電の話』
『どんだけ家電好きよ! ぜったいウソだ!』
『授業に集中』
『できませーん』
 ため息が漏れた。
『未覚池塘春草夢階前梧葉已秋風』
 隣でくすっと笑う声が聞こえる。
『これ読めないんですけどどういう意味?』
(無視しよう。面白がってるだけだ)
『鳴上くんも読めないんだ』
 また背もたれがコツコツ鳴る。
『お前らなに話してんの? 今日ジュネス行く?』
『花村なんて?』
「…………」
 消しゴムのカスが飛んできた。
『なんだよームシせんでよー』
『ジュネス行こうって言ってる。授業終わってから話そう』
『どうする? 来いよ。今の話も聞きたい。里中にも聞いて。もう一回テレビの中行ったりする? というか行かない?』
(……まだ懲りてないんだなコイツ)
 この不埒な提案は握り潰してポケットに突っ込んだ。
『いまなんて? 鳴上くんはどうする?』
『真面目に授業を受ける』
 千枝は猛然と消しゴムを擦り始めた。
『行かない。里中は?』
『行こうよ。雪子も呼ぶから。来るかわからないけど』
(そういえばきょう見てないな、天城。病欠かな。きのう顔色わるかったけど)
『里中は行くみたい。俺は行かない』
『行かないとか言ってどうせ来るんだろ? 来いって』
『花村なんて? テレビの中はパスね。でもちょっと行ってみたかったりして』
(悪循環だな、なんとか――)
「じゃ、里中っち」
「へ……はいっ」
 いきなり教壇の細井教諭に指名されて、千枝がバネ仕掛けの人形よろしく立ち上がった。あれだけ集中して「メール」を書いていたのだから完全な不意打ちだろう。細井教諭に礼を言うべきか、それとも背中から刺された千枝にお悔やみを言うべきか。
(だから言ったのに……)
「一生懸命ノート取ってるみたいやし、わかるやろ、これ」細井教諭は満面の笑顔である。「これ、読んでみて」
 彼がポインターで示した黒板の隅には、
 
 盍在学堂学
 雖其言不楽
 猶不可不聞

 とある。が、あってしかるべき訓読点がない。
(いきなり白文って、これ東京よりレベル高いぞ。里中読めるのか?)
「えーと、えーと、あれ」
 千枝は苦し紛れに「一生懸命」取っていたノートを捲りだした。どうやら彼女は読めないようだ。が、それがもっぱら彼女自身の怠慢によるものだとしたら、
(ここの生徒はちょっとした白文くらいパッと読んでしまうのか? いや、国語だけじゃない、ひょっとしたら他の教科だって)
 たかだか山奥のド田舎高校だなどと、自分は少々侮っていたのかも――千枝に見せるカンニングペーパーを書き殴りながら、悠は自分自身しらずに暖めていたかもしれない「東京の学校から来た」という驕りを厳しく自戒した。そうとも、床が板きれでできているからといって、その上で勉強している人間の学力が低いなどということにはならないのだ!
「んー、わからへんかなあ、里中っちえらい集中してたみたいやったし、読める思たんやけどなー」
「えーと……え、な、なんぞがくどうにありてまなばざる、そのげんのたのしからずといえども、なおきかざるべからず……?」
「おおっ、凄っ!」
 二組の生徒ほぼ全てが「わかりません」を確信していたであろうだけに、この千枝の回答はちょっとしたどよめきを呼んだ。
 イヤな予感がする。
「里中っちこれ読めたんや、わー先生びっくりした。かなり凄いで、それ」
(しまった……!)
 細井教諭は拍手しながらじっと悠のほうを見ている。いまほど答えを見せたのがバレている、だけではない。
「白文読み下しなんて勉強してへんはずなんやけど、独学してたんや、えっらいわあー」
「え? ええっと」
「……ごめん里中、罠だった」 
 それも勝手に深読みして設置した、手製の地雷である。いまのは明らかに余計な手出しだった。黙ってわからないと言わせればよかったものを、これで千枝に助け船を出したことだけでなく、悠自身授業を聴いていなかったことまで露呈してしまった。
「じゃ、隣の鳴上っち、この意味を答えて」
「……はい」細井教諭に、というより、なかば以上は千枝に向けて、「わざわざ学校に来ていながらどうして勉強しないのだ。たとえおもしろくなくても授業は聞いていなければならない――こんなところでしょうか」
 隣で千枝がそっと呻いた。
「はいありがとう。後ろの花村っちー、聞こえてた? 先生もいっかい言おか」
「あ、いえ、聞こえました……スンマセン」
(見てたんだな、先生。そりゃあれだけ頻繁にやりとりしてれば見えるか……)
 悠、陽介、千枝の三人そろってしゅんとなったところで、六時間目終了のチャイムが鳴った。
「はい、六時間目ようがんばったなーみんな。やっとガッコ終わったで」
 日直が起立と礼を号令し終わるや否や、細井教諭は壇上からまっすぐ千枝の席へ歩いてきた。
「先生、おれが勝手に――」
「ええってええって」立ち上がろうとした悠を遮って、「鳴上っち、東京のガッコって白文読んだりするん?」
「ええ、まあ」
「高二なったばっかりやから、じゃあ高一で勉強したゆうことや、レベル違い過ぎやな」細井教諭はしきりに感心している。「こら真面目に聞く気ならへんのも道理やけど……さっき鳴上っちのゆうたとおりやで、やっぱり授業は聞かなな」
「はい、すみませんでした」
「それにしてもまあ、読ませるつもりあらへんかったから先生ちょっとびっくりしたわ。で、なにをそんなに一生懸命やりとりしてたん」
「や、その、学校おわったら遊び行こーぜ、みたいな?」陽介が慌てて弁解を始めた。「あはは里中机きたねーな、メモしまえってメモ……!」
「付箋紙だらけやな、ん」
「あっ、ちょっ」
 陽介の狼狽ぶりは見物だった。千枝へのメールに見られて困るようなことは書いていなかったが、それを陽介が知る由もない。
「おー……先生、専門は現国やけど、これは知ってるで」千枝の机の付箋紙から一片を取って、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。鳴上っち、続きをどうぞ」
「未だ覚めず池塘春草の夢、階前の梧葉已に秋声」
「里中っち、どういう意味かわかる?」
「う、えーと、少年は老いやすくて学が成りがたいから」
「まんまじゃねーか……」
「うっさいな、じゃ花村わかんの?」
「う、えーと、少年は老いやすくて学が成りがたくて」
「アンタも変わんないでしょーが!」
「あはは君らおもろいなー。じゃ鳴上っち」
「若いうちから勉強しておけ、歳を取るのはあっという間だから、少しの時間も疎かにするな。楽しい春の夢の覚めないうちに、冷たい秋風が衰えを運んでくるものだから」
「……身に沁みるお言葉」
「……耳が痛いです」
「鳴上っちって漢文好きなん?」
「好きというか、親の影響で」
「親御さん、先生なの?」
「板前です」
「板前……? ふーん」細井教諭の眉が困惑に顰む。「まあ、これで少なくとも、授業中ちょっかい出し始めたのが鳴上っちやあらへんのはわかったわ」
「俺っす」陽介が小さく挙手した。「鳴上はずっとやめろって言ってたんですけど、俺が無理に……調子に乗りました。スンマセン」
「あ、あたしもスンマセン」
「じゃ、おれもスンマセン」
 ひとしきり笑い転げたあと、細井教諭は「なんや君らおもろいトリオやなあ」と笑い含みに呟いた。このやりとりはかなりウケたようだ。
(トリオだって? やめてくれ、こんなのと一絡げにしないでくれ!)
 悠はふいに刺すような不快を感じた。あまり感じたことのない類の、不思議な、落胆を伴うような不快感である。彼は自分が落下中であることをはたと認識した。
「先生も言わなあかんのかと――」
 と、細井教諭の言いかけたのを、時ならぬ校内放送のチャイムが遮った。教室内のざわめきが一瞬にして静まった。もっぱら先日の例に強く肖ったのだろう、今やこの旋律は不穏と非日常の象徴として聞かれるようになってしまったようだ。
『先生方にお知らせします。只今より緊急職員会議を行いますので、至急職員室までお戻りください』
「え、なんやろな」と、細井教諭が不審気につぶやく。彼に心当たりはないようだ。
『また全校生徒は各自教室に戻り、指示があるまで下校しないでください』
「うっわ、来たよこのパターン」と、陽介。「今度はなんだ、つか、誰だ?」
「誰とか言うなっつの、不謹慎でしょ」と、千枝。「でもホントになんなんだろ」
 またなにかあったらしい。昨夜の叔父の言葉、早朝の慌ただしい出勤、そして今朝の諸岡教諭に通勤路を変えさせた事情が、一筋の糸で繋がったように思われた。
 もちろんなにかあったのだ、それも警察沙汰の、決して軽くない、よくないことが。
(ひょっとしたら、小西先輩がらみの)
「おい鳴上、もちろん行くよな、このあと」
「……なにがもちろんなんだ」
「わかってんだろ」ちらと細井教諭を見て、「このパターンがもしアレなら、また向こうでイロイロあっかも」  
「えー、みんな聞こえたやろ、しばらく教室で待機な!」細井教諭が声を張り上げた。「たぶんHRはあらへん、諸岡先生来ォへんから、各自しずかに指示を待つこと! 帰ったらあかんよ!」
(また菜々子ちゃんを迎えに行かなきゃ……)
「ほならな三人衆」と言って、細井教諭は足早に教室を出て行った。
「なあ、行こうぜ」
「行かない。花村、付箋紙ちゃんと捨てとけよ」
「まあほら、まだなにがあったかわかってないんだしさ……たいしたことなかったら、鳴上くん行く? いちおう雪子呼んでみるけど」
「行かない。今日はジュネスに用はない」
 まるで昨日付き合ったのはあくまで買い物のついでであって、そうでなければお前たちなどと出かけたりしない、とでも言わんばかりの、悠のこの冷たい突っ慳貪な返答に、授業を妨害された憤懣を読んで取ったのだろうか、ふたりともそれ以上の要求は避けておずおずと席に着いた。
(……なんでふたりに対してこんな態度を)
 悠は内心、狼狽の極みにあった。なぜこんな無遠慮な、不機嫌な言葉が口を吐いて出る? どうして自分はいまこれほどの不安定に見舞われている? いったいお前はさっきまであれほど機嫌がよかったではないか。
(ああ、そうか)
 自身が底へ落ちてきたことを、悠は唐突に知らされた。彼にはそれがすぐわかった、そこは馴染み深い、暗くて静かな、いつもの彼の定位置だったので。――そうだ、少なくともいま、自分は手庇を作って遠くを眺めているのではなく、ただ仰いでいるのだ。
 底へ戻ってきて初めて、悠はたったいま自分の落ちてきた高みの眩しさを憶った。
(近づきすぎたんだ、それを指摘されて、反射的に飛び退いたんだ、おれは……おれはこんな、つまらない人間だった?)
 不機嫌の去ったあとは先に感じた落胆ばかりが、ちくちくと執拗に自尊心を突き回す。いや、これは特別なケースなのだ! 共にあんな奇妙な冒険をしてみれば、特別な精神的紐帯が生まれもしようものではないか! いや、お前はたったいま気付いた真実が、お前のきれいに結晶した過去にどれだけ認めがたい亀裂をもたらすか知って、それを援用してみるのを忌避しているだけではないのか? そんなはずはない! そうかもしれない。そうだとしたら?
 なんだか惨めさばかり募って、頬杖をついて慣れない鬱屈を持てあましていると、
『怒ってる? ごめんね』
 千枝の手がそっと伸びてきて、悠の机の隅っこに付箋紙を貼っていった。
(じゃあ、今までのは全部ただの、子供っぽい倨傲に過ぎなかったっていうのか? そんなはずは……)
『自分に怒ってる』
 結局、悠は嬉しかったのだ、彼らと一緒くたに語られることが。
 単なる驕りからか、それとも彼我の妥当な人間的価値の値踏みによるものかは措くとしても、それをとっさに不当だと反発しておきながら、彼は自らその掣肘を憎んだのだった。――では自分はいったい、それを喜んだことに落胆したのか? それともこんな自然な情動すら肯定できなかった、自らの矮小な哲学に対して?
 十分ほどして、校内放送が臨時の全校集会を報せるまで、悠は深い内省の虜と化していた。





 このひとつところに集められた八校生徒たちを、もし天井の辺りから俯瞰することができたなら、きっと贔屓の歌手かなにかのお出ましを今や遅しと待つ、ファンの一団みたように眺められたことだろう。この学校での全校集会が初めての悠にも、この彼らの騒々しさの常ならぬものであることは容易に想像できた。
 彼らは期待と不安に煮え滾っていた。前者ははちきれんばかりで、後者はほんのひとつまみ、前者に深い味わいを与えるための、欠かせない隠し味。
(先生たち、浮き足立ってるみたいだ)
 先日の事件以降、すでにその美味の期待されて久しい、あの非日常という御馳走を全校生徒に炊出してやるために、教師たちは調理と配膳とに大わらわの様子である。喜び勇んで駆けつけた生徒たちとの対比も鮮やかに、彼らは五人来ては二人戻るといったように、なかなか集まり切れないでいた。
献立の内容が想われる不穏さである。
「鳴上くん」
 千枝が後列の人垣を縫って近づいてきた。
「え?」
「雪子これないって。ジュネス」
「そう」
「えーとさっきはその、スンマセンした」
「いいって本当に。スンマセンはこっち」
「で、行かない?」
「行かない」
 千枝はいまだにジュネス行きを勧める腹積もりらしい。
「鳴上、これ、なんだと思う?」
 斜め前に立っていた陽介が後ろ歩きに横に並んだ。
「ライブかな」
「っぽいよな……ってんじゃなくて、内容」
「……あんまり考えたくないけど、花村の考えてることに近いと思う」
「お、やっぱそう思う?」
「花村なに考えてんの? いや、言わんでもわかるけど」
「……けさ五時前くらいに、叔父さんが慌てて家を出て行ったんだ」無人の壇上を見詰めながら続けて、「それと通学するとき、いつもの通勤路を警察が封鎖してたって、諸岡先生が言ってた」
「うぇ、マジ? それってやっぱり……」
「お前の叔父さんって?」
「刑事なんだ、この前の事件にも関わってる」
「うお、なんだ読み当たりじゃん。そっかそっか……」
 続けようとしていた言葉を、悠はさんざん迷ったあげくに呑み込んだ。先の事件と似たようなことがもし起きたとすれば、昨夜の叔父の話は陽介をひどく悩ますだろう。まして今このように好奇心に駆られて、ある意味で喜んでいる場合には特に。
(なにかもっと別の事件であって欲しいけど)
 ややあって、それまで体育館の入口付近に並んでいた教師の列から、祖父江教諭と松枝校長が歩み出てきた。とたんに全校生徒のがやがやが鳴りをひそめる。彼らの眼という眼が、壇上を往くふたりのアイドルに注がれる。
「えー、みなさん静かに」
 と、まずは祖父江教諭の露払いが始まった。言われるまでもなくすでに「みなさん」は静かであったが。
「これより臨時の全校集会を始めます。これから校長先生のお話がありますが、これはみなさんにはたいへん辛い内容になります。お話の途中でも騒いだりせずに、最後まで落ち着いて聞いてください」
 心中、悠は呻いた。さながら心臓に矢の刺さったような気分である。ではこのイヤな予感はほぼ的中だ、これから手ひどい痛撃をこうむるであろう陽介がただ不憫だった。
 壇上で選手交代ののち、松枝校長がマイクを執った。
「んん、なにぶん急な全校集会で、ええ、みなさんも何事かと、不安に思っていることと思います」
 松枝校長は口元からマイクを離して、それからまた寄せた。ため息をついたようだ。
「今日はみなさんに残念なお報せがあります。三年三組の小西早紀さんが、お亡くなりになりました」
 生徒たちのがやがやが一斉に復活した。ちらと陽介の貌を覗うと――こちらは口を半開きにして茫然自失の態である。斜め後ろからなんだか視線を感じるのは、おそらく千枝によるものだろう。
「みなさん静かに、静かに」
 教師の列から諸岡教諭の「静かにしろー!」との援護射撃も加わって、生徒たちはうわべだけは静かになった。
「小西さんは今朝はやく、遺体で発見されたということです。現在警察の方々が捜査を始めていますが、小西さんはなんらかの事件に巻き込まれた可能性が高く、死因など詳細はいまのところ判明しておりません。警官に協力を求められたときは、我が校の生徒として節度ある姿勢で応じてください。また併せて、報道各社などのインタビューには、もし応じる場合は慎重に答えてください。面白半分の推測や軽々しい憶測などは厳に慎み、また不謹慎な質問や、小西さんとその家族を不当に貶めるような詮索には決して乗らずに、もしあまりしつこいようであればしっかり断ったうえで、担任の先生に必ず申し出るようにしてください。学校から警察経由で抗議する準備があります。なお、先生方からはいじめなどの事実はなかったと聞いておりますが、もし心当たりのある生徒は、担任の先生もしくは教頭先生、私にでも構いませんので申し出てください。そして毎日の通学と帰宅、とくに遊びに出かける際は、絶対に危険なところや怪しいところ、不審な人間へは近寄らず、夜遅くまで家を離れることなどないように! 小西さんがお亡くなりになったのはたいへん悲しい出来事ですが、みなさんの身に万々が一にも同じようなことが起きれば、これだけの人間がまた同じように悲しみに暮れます。この一件の詳細がわかるまでは、みなさん一人ひとりがしっかりと防衛意識を持って、自重に努めなければなりません。先生方も今まで以上に生徒たちをよく見守って、生徒たちの発するサインを見逃さないように、また要すれば積極的に相談に乗ってあげるなどしてください。――それでは最後になりますが、天国にいる小西さんのために、一分間の黙祷を捧げましょう」
 ふたたび選手が交代し、祖父江教諭がマイクを取り戻した。松枝校長の項垂れるのを待って、
「黙祷」
 祖父江教諭が低く宣言した。しんとした体育館に、おそらくは早紀の友人のものであろうか、押し殺した嗚咽のような呻きが二、三、微かに聞かれた。





(里中)
 下駄箱の前で千枝の険しい貌をしているのを、悠は見咎めた。早々に教室を出たもので、てっきり先に帰ったとばかり思っていたのだが。
 千枝は悠に気付いても答えず、黙って今まで見詰めていたほうを不快気に顎で示した。女子の数人が寄り集まって声高に、なにごとか話し合っている。
「――死体、山野アナのときとおなじだったんでしょ?」
「前はアンテナだったのが、今回は電柱らしいじゃん。連続殺人ってことだよね、これって」
「死因は正体不明の毒物とか、誰かが言ってた」
 これらはおそらく先日の悠たちのようにして、だれかしら朝の現場に出会した生徒からもたらされた情報であろう。鵜呑みにはできないが、
(正体不明の毒物……またあの火星探査員がいたのかな)
「正体不明って、そりゃちょっとドラマの見過ぎだって」悠は発言した女生徒もろとも一刀両断された。「そういえばさ、例のマヨナカテレビ? 早紀に似てる子が映ったらしーよ。超くるしがってたってェ、怖くない?」
(そういえば昨日、雨が降ってたんだっけ……十二時前に寝たな、見逃した)
「はは、そっちこそ絶対ユメ!」
 睨まえる千枝にとうとう気付かず、女生徒たちは靴を履いて正面玄関を出て行った。
「ったく、ヒトゴトで好き勝手いってるよ……」千枝は義憤に燃えているようだ。「あのひとら小西先輩と同じクラスだよ? 信っじらんない!」
「泣くひともいる。笑うひともいる。距離の問題」下駄箱から靴を取り出しながら、「対岸の火事は大きいほど楽しい、でも隣人は煙が目に入る」
「鳴上くんマジで言ってんの?」
「……悲しみや怒りにも、ある条件下では快楽が伴うそうな。精神が同情や義憤を徳行と見なして、それらを導く情動を惹起したことに満足を覚えるという」
「あ、あたしがそうだっての?」
「心当たりでも?」
「ないよ……つかだれよ、んなこと言ったの」
「デカルト」
「……デカくないよそのひと、小さいよ」
「なら、波の絶えず砕ける岩頭のように、里中」靴を突っかけながら、「小西先輩のことにも、彼女に無関心なひとたちの放言にも、動じないようになろう。好きに言わせておけばいい」
「あ、帰っちゃうの?」
「鳴上はいまは罷らむ菜々子泣くらむ……ってね。夕飯の支度――」
「鳴上!」
 悠を遮った声は、果たして陽介のものである。階段の踊り場から悠と千枝を見下ろしながら、彼は微かに荒い息をついていた。きっと悠を探して駆け回っていたのだろう。
「あせったぜ、お前いないし……」足早に階段を駆け下りながら、「鳴上、話がある」
「花村、おれは行くつもりは――」
「聞けって」語気の荒いわりに、陽介は意外にも冷静に見えた。「お前、昨日、あの夜中のテレビ見たか?」
「あのさ……花村までこんなときになに言ってんの!」千枝はまったく語気の通りである。「ひとが死んでんだよ? あんた親し――!」
「いいから聞けっ!」
 突然、陽介が物凄い剣幕で怒鳴った。冷静に見えたのはうわべだけだったらしい。正面玄関付近にいた生徒たちすべての視線が三人に集中する。
「花村落ち着け」悠はいま履いたばかりの靴を脱いだ。「声を小さく」
「俺は落ち着いてる」
「なら二番目のほうに集中する」内履きを突っかけながら、「場所を変えよう、人目がありすぎる」
「あ、こっち、行こ。遠いほうがいいっしょ」 
 千枝の先導で、三人は一階の一番奥の、無人だった視聴覚室へ舞台を移した。放課後のことで、隣接する部屋はすべて無人である。たしょう大きな声を出しても聞き耳を立てられる障りはないだろう。
(もっとも、聞いたところで理解できないだろうけど)
「じゃあ、どうぞ、続けて」
「……俺、どうしても気になって見たんだよ」陽介は俯いて、パソコンモニタの列居する長机に寄りかかった。「映ってたの、あれ、たぶん小西先輩だと思う」
「はっきり見えたのか」
「いや……でも、前みたとき、里中と同じのが見えたって言っただろ? あのとき俺、ひょっとしたら小西先輩なんじゃないかって思ってたんだ」
「言われてみれば……そうかも、しんないけど」
「だろ? それで、昨日よく見て、確信した。間違いない」
「…………」
「先輩なんか、苦しそうに、もがいてるみたいに見えた。それで……そのまま画面から消えちまった」
「さっきも三年生が似たようなコト言ってた、けど」
「先輩の遺体、最初に死んだ山野アナと似たような状態だったって話だろ?」
「……続けて」
「里中おぼえてるか? お前こないだジュネスで言ってたよな、マヨナカテレビに山野アナが映ったって言ってる生徒がいたって」
「言った、けど」
「俺、思ったんだ、もしかするとさ……山野アナも死ぬ前に、あのマヨナカテレビってのに、映ったんじゃないのかなって」 
「なによそれ……それってまさか、あのテレビに映ったひとは死んじゃう、とかって言いたいわけ?」
「そこまでは言い切らないけどさ。ただ、偶然にしちゃ、なんていうか、引っかかるっていうか……」
(確かに引っかかる。偶然にしては)
「それと、向こうで会ったクマが言ってたろ。なんか……えーっと、なんだっけ、なんか出てくるから危ないとか」
「シャドウ」
「そうシャドウ――あと、里中がちらっと言った、もうひとりの鳴上みたいなやつが、誰かを押し込むとかなんとか」
「思い付きだってば……」
「なんでもいい。それにあの、ポスター貼ってあったあの部屋……事件となんか関係ある感じだったろ。これって、なんかこう……繋がってないか?」
「どうかな」
「もしかしたら、先輩や山野アナが死んだのって、あの世界と関係あるんじゃないか?」
「…………」
「なあ、俺の言ってること、どう思う」
「……まずどうしたいんだ、花村は」
「ああ、もし繋がりあるなら、先輩と山野アナも、あの世界に入ったってことかもしれない。あっちでなにかあったってんなら、あのポスターの部屋があった説明もつく。もしそうなら、先輩に関係する場所だって、探せばあるかもしれない!」
「花村、あんたまさか」
「ああ、俺、もう一度いこうと思う。確かめたいんだ」
「よ、よしなよ……事件のことは警察に任せたほうがいいって」
「警察とかアテにしてていいのかよ! 山野アナの事件だって進展なさそうじゃんか!」陽介はふたたび大きな声を上げた。「第一、テレビに入れるなんて話、まともに取り合うワケねーよ。ぜんぶ俺の見当違いなら、それでもいい。ただ先輩がなんで……死ななきゃなんなかったか、自分でちゃんと知っときたいんだ」
「花村……」
「こんだけ色んなモン見て、気付いちまって、なのに放っとくなんて、できねーよ……」
「……終わった?」
「あとはこれだけだ――鳴上、俺を連れてってくれ、あの世界に」
「ちょっとバカよしなって! あんた――」
「里中ちょっと」手を挙げて割り込みながら、「先にいいかな、話しても」
「あんたさ、なんかあったらどうすんのって! また帰って来れる保証ないんだよ!」
「里中」
 千枝はなおもなにか言いたげにしていたが、結局しぶしぶ悠に譲った。
「花村、さっきパスした、花村の話をどう思うかについて……話しても?」
「ああ、聞かせてくれよ」
 悠はひとつ深呼吸したあと、どのようにして陽介を説得しようかと考えながら、おもむろに口を開いた。
(なんと言ったところで納得しないだろうけど)
「……結論は、最後にするとして、まず、花村の見たマヨナカテレビに映った人間が、小西先輩だったと仮定する」
「仮定じゃない、絶対そうだ」
「それでもいい。で、山野アナもまた確実に映ったとする。そしてふたりとも死んだ」
「ああ」
「だから映った人間は死ぬ?」
「だと思う」
「……おれもさ、教室の連中の話を聞くでもなく聞いたりしたんだけど、マヨナカテレビって、けっこう前から映るらしいな」
「うん、そう。何年か前から、だね」
「いろいろ聞いたよ。有名どころでは、いわく上野樹里が映った、松平健が映った、パフュームの誰だっけ、三人のうちのひとりが映った。ブラッド・ピットなんて言ってる奴もいたな。いま生存している人間だけじゃない、織田信長まで出てきたらしい。豊川悦司扮する、ね」
「…………」
「みんな生きてるな、信長は死んでるけど。それと、山野アナと死んだ状況が似ていたって、それは誰が調べた情報?」
「生徒、だろうな」
「素人が、興味本位で、興奮しつつ、遠巻きに、警察に阻まれながら、好奇心と先入見の色眼鏡越しに収集した、ね。かなり信頼できる情報だな、まあ、これはじきテレビで報道されるだろう。あと」
「……あと?」
「あの世界のあの部屋、花村はさっき、なんか関係ある感じなんて言ってたけど、具体的にどんな点が今回のふたりの死に関係してるって考えられるんだ」
「あのピアス」
「授業中に書いただろう、あれだけじゃ判断らしい判断なんてできない」
「あの異様なポスター、あの首つり椅子、ベッドの死体の跡!」
「声を小さく――花村、なにも繋がらない、ただ異様で目立つだけだ、ふたりとはなんの関係もない」
「シャドウとかいう……危険な奴」
「それはなんだ、花村。なにに対してどんなふうに危険なんだ。おれたちはなにも知らない」もしそうだったならどんなによかっただろう!「人殺しを辞さない危険な奴ならこっちの世界にだって無数にいる」
「お前と同じことのできる奴が――」
「花村、仮にそういうことのできる人間がいたとして、じっさいふたりに対してやったとして、そのシャドウというのが凶悪な殺人鬼であったとして、そいつが彼女らを毒牙にかけたとして、どうして死体がこっちに出てくる。わざわざ犯人が担いで戻ったって言うのか、その凶悪な殺人鬼の目を盗んで」 
 次第に陽介の貌に、いま低い声で話している転校生への、抑えがたい怒りが滲んできた。
 悠は悲しくなった。怒りを向けられていることにではなく、勢い込んでこんな穴だらけの論証をさせるほど性急に行動を要求する、彼のその悲痛な動機に同情を覚えたのである。この悲しみに快楽はついてこなかった。であれば、いま悠はまさしく彼の隣にいて、彼を焼き焦がし責め立てる炎と煙とに巻かれているのだ。
 悠はこの苦痛に喜んで甘んじた。
「話を続けようか。もっぱら親戚の名誉のためにこう言うんだけど……山野アナの事件が起きてから、今日で何日目?」
「……三日だろ」
「すごいな花村、たった三日で、警察の捜査が進展してないなんてわかるんだから。いや、これが六日だろうが二十日だろうが、どうして花村に警察の捜査の進捗状況なんてわかる。警察をアテにしてはいけない? なぜ? 向こうはその訓練を受けていて、それを職業にしているプロだろう。花村やおれは、里中は? わからないなら教えよう、ただの高校生だ」
 花村の歯軋りする音が聞こえる。
「……仮にここまで、花村の言うことがすべて真実であったとする。それで、首尾よく向こうに行って、小西先輩の不幸のあったらしい現場にどうやってかたどり着くための、算段がついたとする。そこへ行ってどうなる? 確かめたい? まだ痕跡が残っているとでも? あったとして、それを見つけて確かめて、花村はどうしようって言うんだ。彼女の遺品に縋って泣こうとでも? 取り合ってくれるワケもない警察に報せようとでも言うのか。どうして先輩が死ななきゃならなかったか? いったいなにか納得できそうな理由が、花村はあるとでも言うのか。ああ、それなら仕方がない、彼女は死んで当然だった――ばかばかしい、ひとの死ななきゃならない理由なんてない、あってはならない、知ったところでどうにもなりはしない」
「鳴上くん、ちょっと――!」
「おまけに言うに事欠いて、ぜんぶ自分の見当違いならそれでもいいだって? それがひとを危険に付き合わせようとする人間の言い草なのか花村。色々なものを見た、気付いた、放っておく? いったいおれたち三人はあの世界を彷徨ったあげく、なにを見てなにに気付いた。ほとんど見てないし、気付いてもいない、ただ常識を覆されて混乱しただけだ。ついでに言えば、花村がそうできないで歯噛みしなきゃいけないような、放っておくなにごとかなんて存在しない。花村のはただの独り相撲だ」
 陽介の面に浮かぶのはもはや怒りではなく、憎しみに近いものだった。悠は黙って睨まれるに任せた。
「花村、おまえを連れて行くことはできない。あと結論がまだだったな――馬鹿げてる」
「じゃあぜんぶ偶然だって言うのかっ!」
「……花村、授業中にも似たようなことを書いたな。無意識にやってるのかもしれないけど、花村は論点をすり替えてる。――花村はいったい、自分の主張したことが正でなければ、あとは全て偶然になるとでも言いたいのか。まるでおれが、すべてが偶然というわけではない、と言えば、花村の主張したことが真実になるとでも言いたげだ。その二択は詭弁だ、間違ってる。おれたちは正誤を議論しているのであって、必然か偶然かなんてひと言も話してない。そして花村の話には正であることを主張するための証明がほとんどない。八十稲羽ではどうかわからないけど、世間一般ではそれを思いつきと言う」
「…………」
「花村、花村はさいきん身の回りで起きた、非日常の匂いのするもの全てを、なかんずくあの世界を、小西先輩の死にむりやり繋げようとしているだけだ」悠は努めて優しく続けた。「小西先輩に関わっていたいんだろう? こうなってしまったあとでも、まだそうすることで関わっていられるようななにかが、自分にできることがなにかあるはずだって、思ってるんだろう? おれは責めない、でも間違ってることは正す、とくに、見過すと危険だとわかっているような暴走は」
「もういい!」
 陽介はひとこと怒鳴ったあと、憤懣やるかたないといった様子で視聴覚室を出て行った。行き先は自宅のベッドか、それともジュネスの二階か。
「行っちゃった、けど」
「……やっとふたりきりになれた?」
「やめてよこんなときに冗談とか……鳴上くん言い過ぎだって、いくらなんでもあれじゃ花村……」
「賛同してテレビの中に入ったほうがよかったかな。おまえは正しいと思う、一緒に行こうって」
「そんなことないけど……どうしよう、どうすんの?」
「靴を履いて、玄関を出て、自分の家の方角に向かって歩き出せばいい」
「だ、だって」千枝の狼狽ぶりたるや、あの世界に迷い込んだときと遜色ないほどだ。「花村どうすんの? 鳴上くん帰っちゃうの?」
「夕飯つくらなきゃ」
「夕飯って……でも、花村は」
「花村は向こうには行けない、ひとりでは」
「そうだけど、だけどさ、放っとけないよ」
「そんなことより、里中、ちょっといい?」
「へ」 
「夕飯の献立で悩んでるんだけど、ちょっと相談に乗ってくれないかな」
 今度は千枝の貌にまで、不穏ないろが見え隠れし始めた。
「あのさ……こんなときになに言ってんの?」
「菜々子ちゃんになったつもりで、ちょっと選んでみて。一、トマト入りミネストローネ。二、トマト入りロールキャベツ。三、トマト入りキッシュ」
「知らんよ、勝手に決めなよ!」
「そう。参ったな、どうしようかな。ものによっては買い物に行かなくちゃな、昨日トマト使っちゃったし」
「はあ……?」
「行くとしたらどこかな、って言っても、ジュネスしか知らないんだよな……」 
 千枝はしばらく「なに言ってんのコイツ」とばかりに眉根を寄せて訝っていたが、ややあってようやく含みに気付いたようで、
「……えーと、たぶん、ロールキャベツがいいと思う。挽肉増量の、コメダワラみたいなやつ」
 やっと笑顔を取り戻してくれた。
「本当に?」
「うん、菜々子ちゃんならきっとそれを選ぶ。自信ある!」
「そうすると……トマト買いに行かなきゃならないわけだ。めんどうだけど仕方ないな」
「仕方ないね、仕方ないよ。もーなによめんどくさいなあ!」
 もちろん、仕方のないことだ。
 相手が陽介か、あるいは千枝でなければ、あそこまで言い募ることはなかっただろう。適当に去なして落ち着かせたうえで帰宅して、トマトの入らない夕飯を菜々子に振る舞ったことだろう。
 先の内省の結果が、振り返ってみた過去が、たとえ従姉妹に二日連続でトマトを食わせることになっても、彼らに対して小細工なしで衝突してみよと示唆するのだった。彼らが特別なのかそうでないのかはもはやどうでもいいことだった。完璧に仕上げてきた学校生活にヒビが入ってもいい、とにかく今だ、いま気付いたのなら、そのときいちばん手近にいた人間から始めなければ!
 そしてその相手はもう決まっていた。




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